帰山人の珈琲漫考

セレンの宝石

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2018 [2018年03月26日 01時00分]
名古屋のささしまライブにある独立行政法人国際協力機構中部国際センターで開かれるコーヒー催事へ向かう。いや、その前に同じ街区で催されている「それいけ!アンパンマンショー」(中京テレビ番組まつり)を覘いて、(腑抜けた演出が原作者の本意に応えているとは思えないが)平和に関わるあんパンの問題をコーヒーに置き換え考えながら観る。
 
《戦争が続いて、野も山もすっかりやけただれた国がありました。荒れはてて砂漠のようになった土地にほんの数人の子どもたちが、なんにもたべるものもなく死にそうになっていました。もう最後かとおもうとき、空のむこうにちいさな点があらわれたかとおもうとみるみる大きくなって近づいてきました。 アンパンマンだ! アンパンマンはこげ茶色のマントの下からやきたてのアンパンを子どもたちの上へおとしました。 「しっかりするんだ。死んじゃいけない。私は何度でもアンパンをはこんでくるぞ」 そのとき、ドヒューンという音がしてアンパンの胸のあたりに、白いけむりがあがりました。飛行機とまちがえた高射砲陣地が火をふいたのです。 アンパンマンはどうなったか、それはわかりません。しかし、決して死にはしないでしょう。世界じゅうのおなかのすいた子どもたちのために、アンパンマンは今もとびつづけているはずです。》 (やなせたかし 「アンパンマン」 月刊『PHP』1969年10月号 PHP研究所:刊/後に 『十二の真珠』 山梨シルクセンター:刊 1970 に収載)
 セレンの宝石 (1)
《中南米の小さな国エル・サルバドルはコーヒーの産地として日本ではよく知られていますが、1980年代から90年代初めにかけて内戦が起こるとコーヒー産業が衰退していったことはあまり知られていないかもしれません。コーヒーは平和ととても深くつながっています。50回目を迎える今回のコーヒーサロンでは、JICA(国際協力機構)のエル・サルバドルに対する開発支援を取り上げ、コーヒーがエル・サルバドルの救世主となるか考えてみたいと思います(エル・サルバドルはスペイン語で「救世主」を意味します)。》 (第50回コーヒーサロンのご案内)
 
532日前の「第48回コーヒーサロン」で《私は世界でコーヒーが変わることをしった》が、今般の私は何を考えるのだろう…
 セレンの宝石 (2)
 
2018年3月24日
「コーヒーをエル・サルバドルの救世主に」 第50回コーヒーサロン
 「コーヒーと平和」シリーズ2 (JICA中部 なごや地球ひろば)
 主催: コーヒーサロン 国際協力機構(JICA) 日本サステイナブルコーヒー協会
 協力: コーヒーアミーゴス中部
 
 セレンの宝石 (3) セレンの宝石 (4)
ホセ(川島良彰氏)の挨拶に始まり、マルタ・リディア・セラヤンディア・シスネロス駐日大使によるエルサルバドルの紹介、この話っぷりに惹かれた。そして、ホセ・藤城一雄氏・金子智広氏によるエルサルバドルコーヒー関連の講話3つに、稲葉誠氏によるルワンダコーヒー関連の講話が1つ、計4演を聴く。藤城・稲葉両氏はいかにも手練れのJICA人(?)な感じ、金子氏のインターン経験談は初々しい感じ、いずれも面白かった。途中の休憩では、ミカフェートのエルサルバドルコーヒー(モンテカルロス農園のパカマラ)を喫しながら参加者と談論風発。「第50回コーヒーサロン」閉会後、階下の「クロスロード」へ移って懇親会に参加。池本幸生氏の挨拶に始まり、飲んで食べてさらに談論風発、楽しい時を過ごした。
 セレンの宝石 (5) セレンの宝石 (6)
 
エルサルバドル──それは、コーヒーサロンでも紹介されたように国民性の類似で「中米の日本」といわれる国である。だが、狭小な国土が火山だらけであるところも日本に似ている。セラヤンディア大使も紹介していたエルサルバドル初にして唯一の世界遺産(文化遺産:1993年登録)はホヤ・デ・セレン(Joya de Cerén/セレンの宝石)、この地もマヤ文明の村が火山灰に埋もれて「中米のポンペイ」と呼ばれる。セラヤンディア氏はエルサルバドル東部のチャパラスティケ火山があるサンミゲルに1957年に生まれ、1976年当時は国立文化専門学校で音楽を国立大学で生物学を学んでいた。そしてこの年、セラヤンディア氏は3歳上の兄を戦禍で失い、また同年にホヤ・デ・セレンが発見されたのである。エルサルバドルは、国の歴史も人の歴史も火山と戦争から逃れられない。
 セレンの宝石 (7) セレンの宝石 (8) セレンの宝石 (9)
《コーヒーがエル・サルバドルの救世主となるか》…今般にコーヒーサロンの講話を聴いても、私にはわからなかった。マリオ・サパタの《この国を破滅させた責任はコーヒーにある》という言を黙殺するのであれば、資本家が栄華を誇ったエルサルバドルのコーヒーもホヤ・デ・セレンのように地に埋もれるべきではないのか? …帰宅後、西条園抹茶カフェの抹茶さくさくシュー(帰り際、樋口美枝子氏に買って戴いた)とコーヒー(自作の焙茶王)で憩いながら考える。《戦争が続いて、野も山もすっかりやけただれた国がありました。荒れはてて砂漠のようになった土地にほんの数人の子どもたちが、なんにもたべるものもなく死にそうになっていました》…その時に産み出して与えられるものがコーヒーでいいのか? やはり、平和を騙る非理を知った時のコーヒーには「セレンの宝石」と同じ未来が相応しい。
 
コメント (0) /  トラックバック (0)

コメント

この記事にコメントする

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
https://kisanjin.blog.fc2.com/tb.php/1115-ce43188a
編集

kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

12 ≪│2025/01│≫ 02
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
Powered by / © Copyright 帰山人の珈琲漫考 all rights reserved. / Template by IkemenHaizin