コーヒー1年生の本
コーヒー1年生とは何か? ここでは、この1年ほどの間にコーヒーに関心を寄せ始めた人たちを‘コーヒー1年生’と呼ぶことにしよう。そして、この1年ほどの間に発行された4冊を「コーヒー1年生にオススメする本」として紹介する。是非初心不可忘、時時初心不可忘、老後初心不可忘。
『がぶのみコーヒーの日々』(濵﨑寛和:文 はまさきはるこ:絵 文芸社:刊 2021.02.15)
《珈琲を作れるようになるまでの道のりと、これからの思いを本にしました》(p.4)。「カフェ サボローゾ」店主による開業(2009)の翌年からの「民主新報」への寄稿を元に、私家版(2014/2019)の出来を経て、出版社扱いで再刊されたエッセイ集。
『コーヒーに砂糖は入れない』(松下育男:著 思潮社:刊 2021.06.20)
《コーヒーに砂糖は/入れない//もうなにも/これ以上あまくしたくないから》(p.8)。‘ライトヴァースの達人’の18年ぶりの新詩集は、出版直前にタイトルを表題作へと変えられた(表題作は同人誌『生き事』4号 2008 掲載)。
『廃墟の形』(フアン・ガブリエル・バスケス:著 寺尾隆吉:訳 水声社:刊 2021.07.30)
《私が元日を迎えたのは、コーヒー地帯にある一九世紀の農園であり──細い柱を土で塗り固めた昔ながらの屋敷で、床には琺瑯びきの板が張られていた──、アルサシアというその名前には、プロイセンの退役軍人がコロンビアのアンデス山中に残していったノスタルジーを感じ取ることができた》(p.176)。ガイタン暗殺とボゴタ動乱、麻薬戦争とエスコバル射殺、謀略と流血の歴史をめぐる小説。
『コーヒーと短編』(庄野雄治:編 mille books:刊 2021.10.01)
《一編一編は短いけれど、強弱とリズムのある自由な一冊。そして、それがコーヒーに合わないわけがない》(p.2)。安藤裕子がカバーモデルで庄野雄治が好き勝手に編んだシリーズ(『コーヒーと小説』『コーヒーと随筆』に続く)第3弾。
コーヒー1年生とは何か? いわゆる‘初心者’を指すのか? だが、私はコーヒーに関して‘初心者’という言葉を好まない。この点、『ホーム・コーヒー・ロースティング お家ではじめる自家焙煎珈琲』において《「初心者はまず手網からはじめるべし」が帰山人の変わらぬ持論だ》などと記されたことは、実に心外である。初心に対する後心(こうしん・ごしん)、この後心に自らがあると思い上がった愚者ほど‘初心者’や‘1年生’を濫用する。そうした狭隘なる愚者の声に耳を貸すことなく、コーヒーが絡んだ本を自ら探し出して読むが好い。是非初心不可忘、時時初心不可忘、老後初心不可忘。
『がぶのみコーヒーの日々』(濵﨑寛和:文 はまさきはるこ:絵 文芸社:刊 2021.02.15)
《珈琲を作れるようになるまでの道のりと、これからの思いを本にしました》(p.4)。「カフェ サボローゾ」店主による開業(2009)の翌年からの「民主新報」への寄稿を元に、私家版(2014/2019)の出来を経て、出版社扱いで再刊されたエッセイ集。
『コーヒーに砂糖は入れない』(松下育男:著 思潮社:刊 2021.06.20)
《コーヒーに砂糖は/入れない//もうなにも/これ以上あまくしたくないから》(p.8)。‘ライトヴァースの達人’の18年ぶりの新詩集は、出版直前にタイトルを表題作へと変えられた(表題作は同人誌『生き事』4号 2008 掲載)。
『廃墟の形』(フアン・ガブリエル・バスケス:著 寺尾隆吉:訳 水声社:刊 2021.07.30)
《私が元日を迎えたのは、コーヒー地帯にある一九世紀の農園であり──細い柱を土で塗り固めた昔ながらの屋敷で、床には琺瑯びきの板が張られていた──、アルサシアというその名前には、プロイセンの退役軍人がコロンビアのアンデス山中に残していったノスタルジーを感じ取ることができた》(p.176)。ガイタン暗殺とボゴタ動乱、麻薬戦争とエスコバル射殺、謀略と流血の歴史をめぐる小説。
『コーヒーと短編』(庄野雄治:編 mille books:刊 2021.10.01)
《一編一編は短いけれど、強弱とリズムのある自由な一冊。そして、それがコーヒーに合わないわけがない》(p.2)。安藤裕子がカバーモデルで庄野雄治が好き勝手に編んだシリーズ(『コーヒーと小説』『コーヒーと随筆』に続く)第3弾。
コーヒー1年生とは何か? いわゆる‘初心者’を指すのか? だが、私はコーヒーに関して‘初心者’という言葉を好まない。この点、『ホーム・コーヒー・ロースティング お家ではじめる自家焙煎珈琲』において《「初心者はまず手網からはじめるべし」が帰山人の変わらぬ持論だ》などと記されたことは、実に心外である。初心に対する後心(こうしん・ごしん)、この後心に自らがあると思い上がった愚者ほど‘初心者’や‘1年生’を濫用する。そうした狭隘なる愚者の声に耳を貸すことなく、コーヒーが絡んだ本を自ら探し出して読むが好い。是非初心不可忘、時時初心不可忘、老後初心不可忘。