帰山人の珈琲漫考

コーヒー1年生の本

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年12月11日 05時00分]
コーヒー1年生とは何か? ここでは、この1年ほどの間にコーヒーに関心を寄せ始めた人たちを‘コーヒー1年生’と呼ぶことにしよう。そして、この1年ほどの間に発行された4冊を「コーヒー1年生にオススメする本」として紹介する。是非初心不可忘、時時初心不可忘、老後初心不可忘。
 
 コーヒー1年生の本 (1)
『がぶのみコーヒーの日々』(濵﨑寛和:文 はまさきはるこ:絵 文芸社:刊 2021.02.15)
《珈琲を作れるようになるまでの道のりと、これからの思いを本にしました》(p.4)。「カフェ サボローゾ」店主による開業(2009)の翌年からの「民主新報」への寄稿を元に、私家版(2014/2019)の出来を経て、出版社扱いで再刊されたエッセイ集。
 
 コーヒー1年生の本 (2)
『コーヒーに砂糖は入れない』(松下育男:著 思潮社:刊 2021.06.20)
《コーヒーに砂糖は/入れない//もうなにも/これ以上あまくしたくないから》(p.8)。‘ライトヴァースの達人’の18年ぶりの新詩集は、出版直前にタイトルを表題作へと変えられた(表題作は同人誌『生き事』4号 2008 掲載)。
 
 コーヒー1年生の本 (3)
『廃墟の形』(フアン・ガブリエル・バスケス:著 寺尾隆吉:訳 水声社:刊 2021.07.30)
《私が元日を迎えたのは、コーヒー地帯にある一九世紀の農園であり──細い柱を土で塗り固めた昔ながらの屋敷で、床には琺瑯びきの板が張られていた──、アルサシアというその名前には、プロイセンの退役軍人がコロンビアのアンデス山中に残していったノスタルジーを感じ取ることができた》(p.176)。ガイタン暗殺とボゴタ動乱、麻薬戦争とエスコバル射殺、謀略と流血の歴史をめぐる小説。
 
 コーヒー1年生の本 (4)
『コーヒーと短編』(庄野雄治:編 mille books:刊 2021.10.01)
《一編一編は短いけれど、強弱とリズムのある自由な一冊。そして、それがコーヒーに合わないわけがない》(p.2)。安藤裕子がカバーモデルで庄野雄治が好き勝手に編んだシリーズ(『コーヒーと小説』『コーヒーと随筆』に続く)第3弾。 
 
 コーヒー1年生の本 (5)
コーヒー1年生とは何か? いわゆる‘初心者’を指すのか? だが、私はコーヒーに関して‘初心者’という言葉を好まない。この点、『ホーム・コーヒー・ロースティング お家ではじめる自家焙煎珈琲』において《「初心者はまず手網からはじめるべし」が帰山人の変わらぬ持論だ》などと記されたことは、実に心外である。初心に対する後心(こうしん・ごしん)、この後心に自らがあると思い上がった愚者ほど‘初心者’や‘1年生’を濫用する。そうした狭隘なる愚者の声に耳を貸すことなく、コーヒーが絡んだ本を自ら探し出して読むが好い。是非初心不可忘、時時初心不可忘、老後初心不可忘。
 
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コーヒー本に載って

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年12月04日 01時00分]
コーヒー本に私(鳥目散帰山人)が登場した。恥じ入っている。「コーヒーの実相を探るために避けるべきキーワード20選!」(日本珈琲狂会:選定)にある「おウチ(お家)」という言葉、これを副題に含めたコーヒー本に載ってしまったからである。
 
 コーヒー本に載って (1)
『ホーム・コーヒー・ロースティング お家ではじめる自家焙煎珈琲』(嶋中労・旦部幸博:著 集英社インターナショナル:刊 2021)
 
慚愧(ざんき)の念に堪(た)えないが、これを堪(こら)えて、私の登場箇所(pp.134-150)に沿って参照できるように、本ブログで記した過去の記事を掲げる(キーワード⇒「ブログ記事」の順)。途中、誤りも正す(※を付した)。
 
◎「コーヒー悪魔の辞典」より
日本珈琲狂会 「CLCJ
日本コモディティコーヒー協会 「日本コモディティコーヒー協会
※日本コモディティコーヒー協会は、私が創設者であっても主宰ではない。
日本コーヒー文化学会 「悪魔の辞典
※私は昨2020年度より日本コーヒー文化学会の会員ではない(会費未納により自然退会)。
カッパー 「悪魔の辞典 2
コピ・ルアク 「クソッタレなコーヒー」 「クソッタレなコーヒー2
理性派・知性派・野生派 「熱い方程式を解く2
 
◎「九九パーセントがコーヒー」より
交際相手 「裸のコーヒー
九九パーセント 「嗜好の連鎖
大坊勝次の自宅 「風来ぬる 前篇」 「JCS巡遊記 中篇」 「再発見のコク 前篇
※《夫婦で大坊の自宅にお邪魔》したことはない。コーヒー関連では単独行動が常。
ニガマ 「ニガマとサナマ
手廻しロースター 「私的珈琲論序説~(2)直火焙煎派 その1」 「地界の殺戮
※私は「初心者はまず手網からはじめるべし」を持論にしていない。2トン容量のフルーイドベッドロースターを自宅に据えてはじめても可とする。
コーヒークラッチ 「気更来日乗」 「かなかな2020」 「読んで旅する」 「なつともし2021
 
◎「一本焼きの宗家」より
※《ドラム内には二枚の羽根》は間違い。私の手廻し焙煎釜の羽根は4枚。
ディスカバリー 「再発見の風来 後篇」 「再発見の逆襲
※富士珈機セミナールームのディスカバリーでパナマの枯れ豆を焙煎した時は、《煎り止めは一八分前後》ではなくて20分40秒である。
 
◎「三三年間の手帳の束」より
2050年問題 「SDGsを通して考えるコーヒー 2」 「コーヒーとSDGs危機」 「世界からコーヒーがなくなる」 「薄れゆく希望
サビ病 「コーヒーわび病」 「三粋人珈琲問答」 「コーヒーを救え?
日本産コーヒー 「コーヒーの世界遺産 2」 「夢の途中
※《例の「二〇五〇年問題」》について取材で問われた際に、私はCLR(コーヒーさび病)や日本国産コーヒーを主眼として答えていない。「2050年に向けて世界のコーヒー消費需要を確実に半減させなくてはならない。そのためにはコーヒーを焼くな淹れるな飲むな」と主張した。嶋中労は松政治仁(編集者)と顔を見合わせながら、「それは本に書けねぇよ」と苦笑していた。CLRや日本国産コーヒーへ話題を逃がしたのは取材・制作側の誘導によるもの、私の意は異なる。
※私の手帳に《焙煎したコーヒー豆の名前などが細かく書かれている》のは事実だが、自らが飲用したコーヒーを全て記してあり(現在で35年間分)、それが本義である。
父死す 「ぶたんべ珈琲に遊ぶ
 
 コーヒー本に載って (2)
『ホーム・コーヒー・ロースティング お家ではじめる自家焙煎珈琲』は、著者2人がコーヒーの‘自家焙煎’をさかんに勧めている。曰く、《もしあなたが焙煎未経験で、コーヒーのことをもっと知りたいと思うなら、実際に自分で何度か焙煎してみることを強くお勧めします》(旦部幸博 「まえがき」)、《焙煎したことのない人は、ぜひこの機会にコーヒー生豆にふれ、自らの手で豆を煎ってほしい》(嶋中労 「あとがき」)、と。こうした喧伝に、私は与(くみ)しない。もしあなたが焙煎未経験で、缶コーヒーのことをもっと知りたいと思うなら、焙煎などには手を出さずに缶コーヒーの深遠なる世界を探り続けることを強くお勧めする。焙煎したことのない人は、仮にコーヒー生豆にふれて自らの手で豆を煎っても、広漠たるコーヒーの世界の僅かな一面を垣間(かいま)見るに過ぎないことを解かってほしい。コーヒーを焼きたい人は焼けば好いが、「焼かねば始まらない」などと強迫する者がいるのであれば、まずその者を焼くことから始めるが好い。
 
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瑣末な胡乱 其の肆

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年12月01日 01時00分]
コーヒーに関するピューニー・フォウニー(Puny Phony)、すなわち瑣末(さまつ)な胡乱(うろん)を追ってみよう。
 
 瑣末な胡乱其の肆 (1)
TV番組『タモリ俱楽部』(テレビ朝日系)の「これでアナタも書店員!? 秋のブックカバー掛け祭り!」(2021.10.23)で、「美村里江がこの秋オススメする3冊」のコーナーがあった。その1冊目は『国語辞典を食べ歩く』(サンキュータツオ:著 女子栄養大学出版部:刊 2021)で、美村里江は《たいへん面白くて》《国語辞典の単語に沿いながらご自身の体験と考えてることと、各辞典によって違う解説がなされているのを別視点で立体化していく》本として紹介していた。この『国語辞典を食べ歩く』には「コーヒー」も取り上げられていて、‘新明解くん’(新明解国語辞典第八版 2020)と‘三国くん’(三省堂国語辞典第七版 2014)と‘明鏡くん’(明鏡国語辞典第三版 2021)の語釈をサンキュータツオが比較して語っている。
 
《ほとんど一緒じゃないかと思うかもしれないが、この細かい違いが辞典好きにはたまらない。まず、「嗜好品」と最初に断言するところがこの辞典の特徴だ。大雑把に説明することを理念としている。しかしよく見ると、コーヒーの木の説明〔 〕内の情報が違う。新明解は植物的な説明をしているが、三省堂は原産地を重視している。コーヒーは今はコーヒーベルトと呼ばれる赤道付近の地域でしかとれないが、中でも原産地を中部アフリカというところにコーヒーに一家言あるような三省堂のプライドを感じる。》 (『国語辞典を食べ歩く』 p.153)
 
このサンキュータツオの説く意が、私には解からない。‘新明解くん’の〔=アカネ科の常緑小高木〕という《植物的な説明》よりも、‘三国くん’の〔=中部アフリカ原産の常緑樹〕という《原産地を重視している》説明の方に、どうして《プライドを感じる》ことになるのか? むしろ私には、《原産地を中部アフリカというところ》が気に障る。中部アフリカとは、(例えば国際連合の地域分類などによって)アフリカ大陸を5つ(北・西・東・中部・南部)に分けた場合に指す用語である。はるか1千万年以上前に生まれたコーヒーノキの大元の‘祖先’であれば中部アフリカを発生地と推定することも可能であるが、(現代人が飲用しているコーヒーの原料である)いわゆる「コーヒーの三原種」と称されるコーヒーでは、中部アフリカ原産といえるのはロブスタ種(カネフォーラ種)だけであり、アラビカ種は東アフリカを、リベリカ種は西アフリカを原産地とするべきである。したがって、〔=中部アフリカ原産の常緑樹〕などと極めて錯誤に近しい粗雑な情報を掲げる‘三国くん’に、《コーヒーに一家言あるような三省堂のプライド》など私には微塵も感じられない。さらに、サンキュータツオの言が不可解であるところは他にもある。
 
《新明解では「熱湯を通して」、明鏡では「熱湯で煎じた」と書いてあるが、三省堂には熱湯の文字はなく「それ(粉)を使った飲み物」としか書いていない。おそらく水出しコーヒーなどを想定したものだろう。比べて読んでみると「書かれていないこと」にも意味があることを、国語辞典という読み物は教えてくれる。》 (『国語辞典を食べ歩く』 p.154)
 
このサンキュータツオの説く意が、私には解からない。どう考えても、《熱湯の文字》がないことをもって《おそらく水出しコーヒーなどを想定したもの》とするには無理がある。しかも、この根拠のない妄念をサンキュータツオは引っ張り出して、項目のキャッチコピーとして「熱湯でいれるか、水出しを意識するか」(p.151)と掲げてしまった。《熱湯の文字》が《「書かれていないこと」にも意味がある》とする暴論に、私は呆れ果てるしかない。私が《「書かれていないこと」にも意味がある》と憶測できるとすれば、読者の目を引き気を惹くためには理に適わない妄執を掲げても恥じないという‘意味’までは正直に‘書かれていない’という著者の俗物ぶりについてである。
 
 瑣末な胡乱其の肆 (2)
このように、『国語辞典を食べ歩く』に取り上げられたコーヒーは、面白いハズの本を著しく信憑性の低いものにしている。コーヒーは、‘三国くん’(三省堂国語辞典)が言うように人にとって「嗜好(シコウ)品の名」である。しかし、そのコーヒーを人が説き明かすとき、思考(シコウ)と称して錯誤や妄念を並べ立てる志向(シコウ)へ陥りがち、だが短慮な私考(シコウ)は忌むべきである。
 
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識る秋 喫む秋

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年11月17日 05時00分]
【たんべ講演】
 識る秋喫む秋 (1)
2021年10月31日、旦部幸博氏の講演「コーヒー:おいしさと香味成分」を自宅でWeb視聴する。滋賀医科大学の学園祭である「若鮎祭」のオンライン企画として、YouTubeライブで配信された。ムダも澱みもなくわかりやすい好い講話。私はチャットで、《一昔前からの変わり種の品種が、最近では風変りな精製が、一部でもてはやされていますが、それら品種や精製の差による特徴は、「コーヒーのおいしさと香味成分」にどれほど関与しているものですか?》と質疑。コーヒーを識(し)る。
 
【ひぐち改装】
 識る秋喫む秋 (2)
2021年9月18日、「珈琲工房ひぐち アピタ各務原店」(岐阜県各務原市)を改装前の営業最終日に訪ねて、エチオピア・イルガチェフェを飲む。
 識る秋喫む秋 (3)
2021年10月2日、「珈琲工房ひぐち アピタ各務原店」の改装中に仮設店「Coffee Stand Higuchi」を訪ねて、エスメラルダ・ゲイシャ(エアロプレス抽出)を飲む。
 識る秋喫む秋 (4)
2021年11月10日、「珈琲工房ひぐち アピタ各務原店」を改装後の5日目に訪ねて、コロンビア・サントゥアリオ・ゴールドウォッシュトを飲む。コーヒーを喫(の)む。
 
【あだち対談】
 識る秋喫む秋 (5)
2021年11月10日、「カフェ・アダチ」(岐阜県関市)で催されたトークイベント「カフェ・アダチ 小森敦也×コクウ珈琲 篠田康雄」に参加する。私は、《コーヒー業界の動向、市場での流行(はや)り廃(すた)れなどを、どれくらい気にしたり、気にしないフリをしたり、影響されたり、されないように歯をくいしばったり、していますか?》と質疑。また、《あなたにとってコーヒーとは?》と訊く。小森敦也氏の答えは、《黒くて苦いお湯みたいなやつ》と。篠田康雄氏の答えは、《明るいところと暗いところが混在しているもの》と。
 識る秋喫む秋 (6) 識る秋喫む秋 (7) 識る秋喫む秋 (8)
催事の前にはヘーゼルナッツのエクレアとともにインディアを、催事ではグァテマラ(アダチ)とマンデリン(コクウ)を、催事の後にはハニー・オレを、飲む。演者や参加者とコーヒー談議。コーヒーを識(し)り、コーヒーを喫(の)む。
 
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コーヒー番組 2

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年11月15日 01時00分]
録りためてあったコーヒー関係のTV番組から4つを一気に観る。それでコーヒーの何かがわかるのか?
 
初めての珈琲」(映画「第一杯咖啡」 2021)を観る。
(日本映画専門チャンネル 2021年10月2日放送)
 コーヒー番組2 (1)
特別出演の王策(チャド・ワン/WBrC2017優勝)曰く、《夏雪さんは伝統的な河野流の淹れ方を披露します。私はオリジナルのヨーロッパ式極細挽きの快速ハンドドリップです》。だが、夏雪(大久保麻梨子:演)が使うフィルター(ドリッパー)はコーノ名門でなく、注湯も怪しい。字幕が下手で疲れる。
 
「ぐっさん家 THE GOODSUN HOUSE」の「ぐっさん!男心をくすぐる!天白区専門店旅」を観る。
(東海テレビ 2021年10月16日放送)
 コーヒー番組2 (2)
寄鷺館」のガテマラを飲んだぐっさん(山口智充)曰く、《あ、香りイイ…あ、うん、爽やかな苦味で、軽やかな感じで、イイですね》。コーヒースカッシュを出した牧義兼(寄鷺館店主)曰く、《コーラみたいなもんですけど、ちょっと違うんですよね》。シブかったですよね~。
 
「飯尾和樹のずん喫茶」の「浅草」・「神田」・「上野」・「銀座」の各エリア計4話を観る。
(BSテレビ東京 2021年10月17・24日・11月7・14日放送)
 コーヒー番組2 (3)
「デンキヤホール」と「オンリー」でペッコリ、「ラドリオ」と「ショパン」でゴロゴロ~、「古城」と「ダンケ」でホッコリ~、「アメリカン」と「樹の花」でキュン、芸能界で喫茶店好きベスト20に入ると自称する飯尾和樹曰く、《撮影中に座りが多くてラクラクで。それなのに美味しいコーヒーと自慢のお料理を食べられるわけですから。打ち合わせ気分でやってましたね》。
 
「カンブリア宮殿」の「スタバ1強時代に立ち向かう 猿田彦珈琲 新戦略の舞台裏!」を観る。
(テレビ東京系列 2021年11月4日放送)
 コーヒー番組2 (4)
村上龍(インタビュアー)の編集後記に曰く、《その迷いが、猿田彦珈琲の本質だ。果たしてこれでいいのか、という迷いが、コーヒーの味につながっている》。だが、大塚朝之(猿田彦珈琲代表)の座右の銘は「初志貫徹」。初志から迷っていたのか? 迷いを貫徹するのか? 果たしてこれでいいのか? その迷いが「猿田彦珈琲」の味につながっている。
 
録りためてあったコーヒー関係のTV番組から4つを一気に観た。さらに何度も観返した。それでもコーヒーについては何もわからない。
 
  突然降り出した雨の中二人 空を見上げてる横顔を見てた
   風に乗って漂う香りは 夢の中で私を誘う 会いたい 会いたい…
 
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瑣末な胡乱 其の参

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年11月01日 01時00分]
コーヒーに関するピューニー・フォウニー(Puny Phony)、すなわち瑣末(さまつ)な胡乱(うろん)を追ってみよう。
 
コーヒーは、嗜好品として飲んで楽しむものである。だが、いわゆる‘エコ’(主として保全的に環境にやさしい意での‘ecological’の略)で騙られるコーヒーは楽しめない。
 
《在宅ワークをすることが増え、自宅で淹れるコーヒーに自分なりのこだわりを見出した人も多いのではないだろうか。(略) こうした中、美味しいコーヒーを楽しみながらゴミを減らしたいと願う人へ、環境に優しいコーヒーの淹れ方を紹介! まず大前提として、コーヒーの出がらしは “ゴミ” ではない。捨てるのはもったいなすぎるくらい、再利用方法がたくさんあるのだ。》 (大庭美菜 「おうちコーヒーをもっとエコに楽しむ方法。」/Webサイト『VOGUE(ヴォーグ)』 今週のサステナTips 2020.09.23)
 
コーヒーの出がらし(抽出かす)は‘ゴミ’である。大庭美菜が自らも《ゴミを減らしたい》と説いて《捨てるのはもったい》と言うのだから、まず大前提として、コーヒーの出がらしは‘ゴミ’である。廃棄物であるものを廃棄物ではないかのように唱える、こうした撞着に無頓着で破廉恥な言説はコーヒーに関する‘エコ’として傾聴に全く値(あたい)しない。
 
 瑣末な胡乱 其の参
《自宅で最もグリーンにコーヒーを淹れるには、エネルギー消費量とコーヒー豆の使用量を考慮する必要があります。顆粒のインスタントコーヒーとフレンチプレスは、そのどちらの基準についてもかなり高く評価できます。顆粒のインスタントコーヒーは1杯当たりのコーヒー豆使用量が比較的少量です。(略) エスプレッソメーカーの場合、直火式でも電気式でもプラスチックごみを出さないものの、コーヒー豆の使用量が多めで、ほんの少量の1杯を淹れるだけでも多くのエネルギーを消費します。(略) 最も環境に優しい方法でコーヒーを淹れたいなら、以下を実践してみましょう。 (略) ☑エシカルなコーヒー豆を購入する ☑必要な分だけ淹れる ☑コーヒー豆のかすは再利用する》 (「いちばん環境に優しいコーヒーの淹れ方とは?」/『これってホントにエコなの? 日常生活のあちこちで遭遇する“エコ”のジレンマを解決』 ジョージーナ・ウィルソン=パウエル:著 吉原かれん:訳 吉田綾:監訳 東京書籍:刊 2021/原著 “Is it really green?: Everyday eco-dilemmas answered” 2021)
 
この『これってホントにエコなの?』という本でも、《いちばん環境に優しいコーヒーの淹れ方》として愚かにも《コーヒー豆のかすは再利用》を挙げている。コーヒーの抽出過程(淹れ方)と、その残滓(抽出かす)の行方と、その間には(言うまでもなく)何らの関係もない、こうした撞着に無頓着で破廉恥な言説はコーヒーに関する‘エコ’として傾聴に全く値(あたい)しない。但し、この駄本にも留意すべきところはある。それは、コーヒー抽出の器具や方法による《1杯当たりのコーヒー豆使用量》の多寡を持ち出して、量が少ないものを‘エコ’として論じていることだ。これは、《2050年に向けて、世界のコーヒー消費需要を確実に半減させなくてはならない》とする私の主張に近しい観点だ。だが、(真の‘エコ’として)「コーヒーを飲むな」とまでは訴えない『これってホントにエコなの?』は、《これってホントにエコ》では全くない駄本である。
 
コーヒーは、嗜好品として飲んで楽しむものである。だが、いわゆる‘エコ’や‘エシカル’や‘SDGs’で騙られるコーヒーには偽善と欺瞞が満ちていて必ずしも楽しめない。
 
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アラキスのコーヒー

ジャンル:グルメ / テーマ:コーヒー / カテゴリ:珈琲の記:2021 [2021年10月17日 01時00分]
「生物というものは、閉じた系が持つ生物存続余力を向上させる。生物とは──すべての生物とは──生物に奉仕するものにほかならない。生物にとって必要な栄養分は、生物多様性が増大するにつれて、その多様な生物により、いっそう豊富にもたらされる。それによって環境全体も活況を呈し、多彩な相互作用と相互作用内の相互作用で満ちあふれるようになる。」 (アラキス初の惑星学者パードット・カインズの講義より)
 
 アラキスのコーヒー (1)
以下、小説『デューン 砂の惑星』〔新訳版〕(フランク・ハーバート:著 酒井昭伸:訳 早川書房:刊 2016/原著“DUNE” 1965)より抄出。
 
《最高の人材を集めるには、最高のコーヒー用炉床を用意せねばならない》(上p.80)
 
《「コーヒーの用意がある。ほしいものは遠慮するな」 公爵はそういって、一堂に会した幹部たちを見まわした。(略) 隣室からコーヒーが運ばれてきて、各人の前に置かれるあいだ、公爵は待った》(上p.205)
 
《メイプス、なにか気つけになるものを。カフェインがいいでしょう。香料入りコーヒーがまだ残っているかもしれないわ》(上p.354)
 
《カインズはフレメンのひとりにあごをしゃくった。「シャミル、香料コーヒーをおれの岩屋へ」(略) 「コーヒーがこない時点で、異変に気づくべきだった」とカインズはいった》(中pp51-60)
 
《「ジェイミスのコーヒーセットを示すマーカーは」 スティルガーはそういって、緑の金属でできた、平たい円盤を取り上げた。「シエチに帰還後、しかるべき儀式を通じてウスールに与えられるだろう」》(中p.262)
 
《ジェイミスの住窟(ヤリ)は……ジェイミスの岩屋は……もうおまえのものだ。ジェイミスのコーヒーセットもおまえのものだし、この女、ジェイミスの女もそうだ》(中p.329)
 
《コーヒーをたのもうと思いたち、その思いとともに、フレメンの生活様式の中でつねづね気になっている矛盾を改めて感じた。(略) ふいに、そばの垂れ幕のあいだから色の浅黒い手が差しだされ、テーブルの上にカップを置いてさっと引っこんだ。カップからは香料コーヒーの馥郁(ふくいく)たる香りが立ち昇っている。(誕生の祝いのおすそわけね) カップを手にとって、コーヒーをすすり、思わずほほえんだ。(略) コーヒーのことを考えたとたん、カップが差しだされたわけだが──そこにはテレパシー的なつながりがあるわけではない。あるのは同心(タウ)──シエチ共同体の一体感だ。それはみなが共有する高香料食中の、わずかな有毒成分と引き替えにもたらされる》(下p.71-72)
 
《右にある低いテーブルの上には、ポールがジェイミスから受け継いだ、銀とジャスミウム合金の、縦溝模様がついたコーヒーセット一式が乗っていた。ジェシカはセットを見つめ、この金属はいままでどれほど多くの人手を渡り歩いてきたのだろうと考えた。チェイニーがこのセットでコーヒーをつぐようになったのは、受け継いでから一ヵ月以内のことだ。(砂漠の女は、公爵のためにコーヒーをつぐこと以外、なにができるかしら〔略〕)》(下p.157)
 
 アラキスのコーヒー (2)
小説『デューン 砂の惑星』に登場するコーヒーは、物語の前日譚を語る‘附録’(デューンの生態学)でも触れられた(下p.303)。‘Dune’(デューン)として知られるカノープス(竜骨座アルファ星)の第3惑星アラキスに、パードット・カインズがコーヒーを(ナツメヤシ・ワタ・メロン・各種の薬草などと共に)移植したことが記されている。だが、その実験が産業的な栽培として成功したのか、小説の本編で飲用されているコーヒーの原料がアラキス産なのか、それらは明らかにされていない。それでも、メランジ(Melange)と呼ばれる香料(スパイス)入りのアラキスのコーヒーは他に類を見ない独特のものであり、その《香料コーヒーの馥郁(ふくいく)たる香り》に魅かれる。アラキスのコーヒーは、物語の進展と共に饒舌かつ深甚なものとして描かれている。Ya! Ya! Yawm!(ヤー! ヤー! ヤウム!)
 
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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