蕎麦に居るね 66
【蕎麦を読む ざるともり】
まんが専門誌『ぱふ』1982年12月号(雑草社:刊)を読み返していた時、「今年の夏の思い出は?」という問いに答えた柱コメントが目に留まった。曰く、《ざるともりのちがいがわかったことです──のりのちがいではない──(宮田篤)》。この一文だけなので、宮田篤が《わかった》という《ざるともりのちがい》が、‘粉’なのか‘汁’なのか‘器’なのか或いはそれ以外なのか、諸説のどれを捉えたのかはわからない。
ところで、《ざるともりのちがい》については、檀ふみが『ああ言えばこう食う』(阿川佐和子・檀ふみ:著 集英社:刊 1998)の中でこんなことを言っている。
《私の父は「内食の人」だったと、この本の「はじめに」にも書いた。(略) 外に食べに連れていってもらったことなど、数えるほどしかない。そういうわけで、「ざるそば」と「もりそば」の区別がやっと、というような少女が育ってしまった。「天ざる」だったらなんとか想像ができるが、「おかめ」や「月見」となると、どんなものか見当もつかない。》 (前掲 『ああ言えばこう食う』 「迷わぬ朝食」)
ここでも、檀ふみが《やっと》知っていたという《「ざるそば」と「もりそば」の区別》が、‘海苔’なのか‘粉’なのか‘汁’なのか‘器’なのか或いはそれ以外なのか、諸説のどれを捉えたのかはわからない。そこで、『ああ言えばこう食う』の中から檀ふみによる蕎麦の‘ざる’と‘もり’とが絡んだ話をもう一つ。
《ごくたまに、食堂に連れていってもらえることもあった。(略) 胸を弾ませてテーブルにつく。お子様ランチを食べたかったが、その心を懸命に抑え、遠慮しいしい「ざるそば」を頼んだ。すると、どうだろう。父の顔がみるみる険しくなり、(なんと愚かな子供であろう)とばかり、苦々しげに言うではないか。「お金がないって、言ったでしょう!」 「ざるそば」のどこがそんなにいけなかったのだろう。「もり」か「かけ」しか選択肢がないのなら、子供なんかに選ばせずに、父が勝手に注文してしまえばよかったではないか。》 (前掲 『ああ言えばこう食う』 「はじめに」)
つまり、檀ふみが父親の怒りを通して知った《「ざるそば」と「もりそば」の区別》は、値段の差であった。いや、案外と世間一般でも、この‘ざる’と‘もり’との価格差それ自体が、差違や区別の‘正体’なのかもしれない。
【家系蕎麦 よりより】
‘家系(うちけい)蕎麦’をロラック(岐阜県関市)製の茹で麺で拵えて食すこと度度(よりより)。
2024年7月20日から10月8日までに駄蕎麦ばかり計12食。このうちで最もウマかったのは、9月29日に食した「汁なし中華蕎麦」。
【蕎麦を読む 新聞記事】
『中日新聞』朝刊に蕎麦が絡んだ記事を4つほど拾う。
1つ目、2024年6月24日の「中日春秋」。曰く、《街のそば屋さんというのがぐんと減った。出前なんかもしてくれる、昔ながらのそば屋さんといえば分かりやすいか▼ああいうそば屋さんの出前用のバイクの後部には岡持ちをつり下げる装置が付いていた。料理をこぼさぬため、バイクの振動やカーブでの傾きをやわらげる装置で、最近知ったが、あれはそのまま「出前機」というそうだ》。いや、正式(?)には「出前品運搬機」であり、當麻庄司(朝日屋會系列の目黒区の蕎麦屋の主人)が発明者である。
2つ目、同年7月4日の「北村森のモノめぐり」の「#刀屋のもりそば 「普通とは何か」を考えた」。曰く、《で、今回なのですが、長野県の上田市にある「刀屋」という名店の話です。(略) この刀屋、そばの盛りがずいぶんと多いのが特徴です。もりそばは少ないほうから「小」「中」「普通」「大」とあり、「普通」は800円です。そして、この「普通」がもう普通ではない。よその店の3人前はある。(略) 創業60年を越える刀屋にとって、この盛りはきっと普通なのでしょう》。いや、「刀屋」が《普通ではない》のは、‘普’盛りが‘中’盛りより多量に置かれていること。
3つ目、同年9月12日の「くらしの作文」の「嬉しいなぁ」。曰く、《元中華料理店の場所だ。(略) そのお店が「蕎麦(そば)屋」となってオープンしたらしい。(略) 興味が湧いて、夫と行ってみることにした。注文した「冷やしたぬき蕎麦」が出てくるまで結構時間がかかり、店内の隅々までゆっくり観察することができた。(略) 店主は若くてかっこいいし、お蕎麦も美味(おい)しい》(林明子 岐阜県山県市=主婦・78歳)。「餃子舗 呂呂」という《元中華料理店の場所》で2023年6月に「蕎麦とゴハン 72%」が開業。
4つ目、同年9月16日の「思い出グルメ 」の「日中友好団体会長 任利民さん」。曰く、《…中国青海省出身の任利民(にんりみん)さん(66)は日本そばを食べると故郷を思い出す。中国の「青稞(せいか)麺」に似ているとか。(略) 故郷の門源回族自治権は標高2800メートルの高地。(略) ちなみに好きな青稞麺の食べ方は、刻みネギを油で炒め、塩で味付けして麺に混ぜる食べ方だそうだ》。どうして愛知県豊田市の蕎麦屋「くくり」の蕎麦が《中国の「青稞麺」に似ている》のか? わからない。
「人生は短くはかないものだ。この大盛り田舎ソバと同じだよ。 一度口にいれると、その旨さと喉ごしのために、心地良さがいつまでもいつまでも続くような気がする。 実際は、あっという間になくなってしまうが…………」 by 平賀太平 (「家族の瞬間」/『MASTERキートン』4「長く暑い日」 浦沢直樹:画 勝鹿北星:作 小学館:刊 1990)
まんが専門誌『ぱふ』1982年12月号(雑草社:刊)を読み返していた時、「今年の夏の思い出は?」という問いに答えた柱コメントが目に留まった。曰く、《ざるともりのちがいがわかったことです──のりのちがいではない──(宮田篤)》。この一文だけなので、宮田篤が《わかった》という《ざるともりのちがい》が、‘粉’なのか‘汁’なのか‘器’なのか或いはそれ以外なのか、諸説のどれを捉えたのかはわからない。
ところで、《ざるともりのちがい》については、檀ふみが『ああ言えばこう食う』(阿川佐和子・檀ふみ:著 集英社:刊 1998)の中でこんなことを言っている。
《私の父は「内食の人」だったと、この本の「はじめに」にも書いた。(略) 外に食べに連れていってもらったことなど、数えるほどしかない。そういうわけで、「ざるそば」と「もりそば」の区別がやっと、というような少女が育ってしまった。「天ざる」だったらなんとか想像ができるが、「おかめ」や「月見」となると、どんなものか見当もつかない。》 (前掲 『ああ言えばこう食う』 「迷わぬ朝食」)
ここでも、檀ふみが《やっと》知っていたという《「ざるそば」と「もりそば」の区別》が、‘海苔’なのか‘粉’なのか‘汁’なのか‘器’なのか或いはそれ以外なのか、諸説のどれを捉えたのかはわからない。そこで、『ああ言えばこう食う』の中から檀ふみによる蕎麦の‘ざる’と‘もり’とが絡んだ話をもう一つ。
《ごくたまに、食堂に連れていってもらえることもあった。(略) 胸を弾ませてテーブルにつく。お子様ランチを食べたかったが、その心を懸命に抑え、遠慮しいしい「ざるそば」を頼んだ。すると、どうだろう。父の顔がみるみる険しくなり、(なんと愚かな子供であろう)とばかり、苦々しげに言うではないか。「お金がないって、言ったでしょう!」 「ざるそば」のどこがそんなにいけなかったのだろう。「もり」か「かけ」しか選択肢がないのなら、子供なんかに選ばせずに、父が勝手に注文してしまえばよかったではないか。》 (前掲 『ああ言えばこう食う』 「はじめに」)
つまり、檀ふみが父親の怒りを通して知った《「ざるそば」と「もりそば」の区別》は、値段の差であった。いや、案外と世間一般でも、この‘ざる’と‘もり’との価格差それ自体が、差違や区別の‘正体’なのかもしれない。
【家系蕎麦 よりより】
‘家系(うちけい)蕎麦’をロラック(岐阜県関市)製の茹で麺で拵えて食すこと度度(よりより)。
2024年7月20日から10月8日までに駄蕎麦ばかり計12食。このうちで最もウマかったのは、9月29日に食した「汁なし中華蕎麦」。
【蕎麦を読む 新聞記事】
『中日新聞』朝刊に蕎麦が絡んだ記事を4つほど拾う。
1つ目、2024年6月24日の「中日春秋」。曰く、《街のそば屋さんというのがぐんと減った。出前なんかもしてくれる、昔ながらのそば屋さんといえば分かりやすいか▼ああいうそば屋さんの出前用のバイクの後部には岡持ちをつり下げる装置が付いていた。料理をこぼさぬため、バイクの振動やカーブでの傾きをやわらげる装置で、最近知ったが、あれはそのまま「出前機」というそうだ》。いや、正式(?)には「出前品運搬機」であり、當麻庄司(朝日屋會系列の目黒区の蕎麦屋の主人)が発明者である。
2つ目、同年7月4日の「北村森のモノめぐり」の「#刀屋のもりそば 「普通とは何か」を考えた」。曰く、《で、今回なのですが、長野県の上田市にある「刀屋」という名店の話です。(略) この刀屋、そばの盛りがずいぶんと多いのが特徴です。もりそばは少ないほうから「小」「中」「普通」「大」とあり、「普通」は800円です。そして、この「普通」がもう普通ではない。よその店の3人前はある。(略) 創業60年を越える刀屋にとって、この盛りはきっと普通なのでしょう》。いや、「刀屋」が《普通ではない》のは、‘普’盛りが‘中’盛りより多量に置かれていること。
3つ目、同年9月12日の「くらしの作文」の「嬉しいなぁ」。曰く、《元中華料理店の場所だ。(略) そのお店が「蕎麦(そば)屋」となってオープンしたらしい。(略) 興味が湧いて、夫と行ってみることにした。注文した「冷やしたぬき蕎麦」が出てくるまで結構時間がかかり、店内の隅々までゆっくり観察することができた。(略) 店主は若くてかっこいいし、お蕎麦も美味(おい)しい》(林明子 岐阜県山県市=主婦・78歳)。「餃子舗 呂呂」という《元中華料理店の場所》で2023年6月に「蕎麦とゴハン 72%」が開業。
4つ目、同年9月16日の「思い出グルメ 」の「日中友好団体会長 任利民さん」。曰く、《…中国青海省出身の任利民(にんりみん)さん(66)は日本そばを食べると故郷を思い出す。中国の「青稞(せいか)麺」に似ているとか。(略) 故郷の門源回族自治権は標高2800メートルの高地。(略) ちなみに好きな青稞麺の食べ方は、刻みネギを油で炒め、塩で味付けして麺に混ぜる食べ方だそうだ》。どうして愛知県豊田市の蕎麦屋「くくり」の蕎麦が《中国の「青稞麺」に似ている》のか? わからない。
「人生は短くはかないものだ。この大盛り田舎ソバと同じだよ。 一度口にいれると、その旨さと喉ごしのために、心地良さがいつまでもいつまでも続くような気がする。 実際は、あっという間になくなってしまうが…………」 by 平賀太平 (「家族の瞬間」/『MASTERキートン』4「長く暑い日」 浦沢直樹:画 勝鹿北星:作 小学館:刊 1990)