本を喫む 18
コーヒーを喫(の)む。本を喫(の)む。『衝撃!世界の食文化』(「5分後に世界のリアル」シリーズ 藤田晋一:文 金の星社:刊 2024)を喫む。世界は驚きに満ちている。
《では、「世界三大珍(ちん)コーヒー」とよばれるコーヒーを知っているだろうか。(略) 一つめは、インドネシアの「コピ・ルアク(ルアークコーヒー)」。これは、ジャコウネコという動物のふんからつくったコーヒーだ。(略) 世界三大珍コーヒーの二つめは、アフリカの「モンキーコーヒー」。こちらは、サルのふんから回収(かいしゅう)してつくっている。(略) 台湾(たいわん)にも「モンキーコーヒー」とよばれるものがある。こちらはふんを回収するのではなく、サルが口からはきだした種子を集めている。(略) 世界三大珍コーヒーの三つめは、ベトナムの「タヌキコーヒー」。タヌキのふんからコーヒー豆を採取したものだ。(略) ほかの動物のふんからつくられるコーヒーも紹介(しょうかい)しよう。ペルーでは「ウチュニャリコーヒー」というコーヒーがつくられている。これは、ハナグマのふんからとったコーヒーだ。(略) コーヒー生産大国のブラジルでは、「ジャクーコーヒー」というコーヒーがつくられている。ジャクーとは、キジ目(もく)の鳥で、この鳥のふんからコーヒー豆を採取(さいしゅ)しているのだ。(略) そして、タイでは、巨大な動物のふんからコーヒー豆を取りだしている。その動物とは、タイの人々(ひとびと)が敬意(けいい)を払(はら)ってやまないゾウだ。このコーヒー豆は「ブラック・アイボリー」とよばれている。》 (前掲 『衝撃!世界の食文化』 「世界の三大珍コーヒー 動物のふんからコーヒー豆!?」)
『衝撃!世界の食文化』には、「ウチュニャリコーヒー」(Café Uchuñari)まで登場する。版元が対象を《小学校高学年から》とする児童書なのに、その‘衝撃’には「アタカ通商の豆リストか!」と言いたくなる。この点では、コスタリカの「コウモリコーヒー」などを欠いているところが惜しい。但し、《世界三大珍コーヒー》とか《ベトナムの「タヌキコーヒー」》とか、Web上に氾濫する疎略で典拠すら怪しい情報を集めたような記述なので、本書のシリーズ名「5分後に世界のリアル」に反して真正でない。もっとも、「どこが精確や適正を欠いた記述か?」を問うたとしても、これに応えられる者は(コーヒーの業界人やマニアを含めて)ほとんどいないだろう。この事態こそが‘衝撃’?
コーヒーを喫む。本を喫む。『モカとまほうのコーヒー』(刀根里衣:著 NHK出版:刊 2024)を喫む。さあ、いってらっしゃい!
《主人公のモカが、日常に疲れた青年を思いやりたっぷりのコーヒーで励ます物語『モカと幸せのコーヒー』のクライマックスには、予想もしない展開が待っていました。それから数年後という設定で、モカがふたたび姿を現します。》 (NHK出版 『モカとまほうのコーヒー』商品紹介)
《前作の『モカと幸せのコーヒー』から8年、モカがまた青年のところにひょっこり現れて、朝起きてから夜眠りにつくまで、様々なシーンに合わせたコーヒーに優しい言葉を添えてくれます。》 (刀根里衣のThreads・Facebook・Instagram投稿 2024.09.06)
《イタリアに2年ほど住んでいましたが、ドリップコーヒーは見たことがありません。バールで飲むコーヒーといえばエスプレッソで、アイスコーヒーも存在しないはずです。カプチーノはありますが、どういうわけか朝に飲むものと決まっているようです。午後の時間帯にバールで注文したら、店員さんに注意されたことがあります。「好きなときに、好きなものを飲ませてくれないのか!」と驚きました(笑)。》 (ビアレッティ・ジャパン 宮地貴章:談/「コーヒーの「モカポット」は家族に大切に扱われ、時間とともに育てられていくもの──うさぎのモカのルーツを探る」 『NHK出版デジタルマガジン』 2024.10.03)
やあ、また会えたね。《朝起きて》エスプレッソ、それからコーヒーシェイク、アメリカンコーヒー、カプチーノ、カフェマキアート、コーヒー、カフェラテ、スパイスコーヒー、ホットチョコレートときて、ミルクで《夜眠りにつく》絵本。《好きなときに、好きなものを》飲む『モカとまほうのコーヒー』は、‘イタリア’がおやすみなさいだよ。前作『モカと幸せのコーヒー』は‘青年’が語る世界で、その《クライマックスには、予想もしない展開が待ってい》たから、ホンモノの好いコーヒー絵本だったね。今作『モカとまほうのコーヒー』は‘モカ’だけが語る世界で、そこに仕掛けが何もないから、すごくつまらないコーヒー絵本だよ。ほっとひと息つこうにも、はぁとため息をついちゃうね。
コーヒーを喫む。本を喫む。『風俗のパトロジー 新版』(バルザック:著 山田登世子:訳 藤原書店:刊 2024)を喫む。コーヒー好きが歩む道は、他のあらゆる情熱の辿る道と同じ。
《いまのわれわれが軽く「嗜好品」と呼んでしまうものも、バルザックにとっては「近代興奮剤」にほかならなかった。彼の「学問」の面目躍如たる表現である。酒も、砂糖も、カフェインも、「近代」という歴史的プロセスを「興奮=昂奮」させたという意味で「近代興奮剤」なのだ。この、生命を磨り減らす快楽なるものの奥底を知る厳格な歴史学は、いまの心理学も精神分析学も植民地主義論もたどり着けない孤高の領野である。》 (今福龍太 「バルザックとともに呼吸する文体」/前掲 『風俗のパトロジー 新版』 新版序〈本書を推す〉)
《『近代興奮剤考』で無水コーヒーをすきっ腹に飲んだとき生体に起きる現象を舌なめずりしながら描写するくだりも、ポーそっくりだなあと思ってしまう。もちろんこれは順序が逆で、出版年からすれば、ポーの方がバルザックに似ているのだ。》 (青柳いづみこ 「バルザックとの新たな冒険」/前掲 『風俗のパトロジー 新版』 新版序〈本書を推す〉)
《『近代興奮剤考』 Traité des excitants modernes は、一八三九年ブリア=サヴァランの『味覚の生理学』が再版された折、その附録としておさめられた小品である。(略) けれども現代の私たちには、この二つの作品の対照が興味深い。ブリア=サヴァランは永遠の美味を楽しく語り聞かせてくれる。ところがバルザックは近代の快楽を論じて警鐘を打ち鳴らすのである。(略) そうして、バルザックのその頭脳の放蕩をいやがうえにも凄じいものにしたのが、他ならぬ「近代興奮剤」の一つ、コーヒーだったのである。読者は『興奮剤考』のコーヒーの叙述が異様なまでに精密なのにお気づきかと思う。コーヒーこそバルザックが夜の創造の時に求めた「毒」であり、天才の秘薬であった。》 (山田登世子 解説「近代の毒と富」/『風俗のパトロジー』 新評論:刊 1982 初出/前掲 『風俗のパトロジー 新版』 再録)
オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac 1799-1850)の「近代興奮剤考」(1839)は、ルイ・クレール(Louis Clerc)の“Manuel de l'amateur de café”(コーヒー愛好家マニュアル 1828)やジェルマン・エティエンヌ・クーバール・ドルネー(Germain Etienne Coubard d'Aulnay)の“Monographie du café”(コーヒーモノグラフ 1832)などに並んで、19世紀前半期のコーヒーを探るに必読の著述である。この「近代興奮剤考」を収めた日本語版『風俗のパトロジー』は山田登世子(1946-2016)の翻訳によるもので、1982年の初刊(新評論)と1992年の再刊(藤原書店 改題『風俗研究』)の後、2024年に3回目の刊行(藤原書店)がなされた。今福龍太・町田康・青柳いづみこによる「序」(推薦文)が付されたこの〈新版〉、待ってました! コーヒーを探究する者は、「近代興奮剤考」における《無水コーヒーをすきっ腹に飲んだとき生体に起きる現象を舌なめずりしながら描写するくだり》など《異様なまでに精密》な《コーヒーの叙述》の是非を問うもよし、バルザックが《夜の創造の時に求めた「毒」》コーヒーを《生命を磨り減らす快楽なるもの》として《奥底を知る》に挑むもよし。
すべて不節制は命を縮める。コーヒーはそれに相応しい。生きるとは遅かれ早かれ自分をすり減らすことである。コーヒーを飲んで死ねば好い。本を喫(の)む。コーヒーを喫(の)む。
《では、「世界三大珍(ちん)コーヒー」とよばれるコーヒーを知っているだろうか。(略) 一つめは、インドネシアの「コピ・ルアク(ルアークコーヒー)」。これは、ジャコウネコという動物のふんからつくったコーヒーだ。(略) 世界三大珍コーヒーの二つめは、アフリカの「モンキーコーヒー」。こちらは、サルのふんから回収(かいしゅう)してつくっている。(略) 台湾(たいわん)にも「モンキーコーヒー」とよばれるものがある。こちらはふんを回収するのではなく、サルが口からはきだした種子を集めている。(略) 世界三大珍コーヒーの三つめは、ベトナムの「タヌキコーヒー」。タヌキのふんからコーヒー豆を採取したものだ。(略) ほかの動物のふんからつくられるコーヒーも紹介(しょうかい)しよう。ペルーでは「ウチュニャリコーヒー」というコーヒーがつくられている。これは、ハナグマのふんからとったコーヒーだ。(略) コーヒー生産大国のブラジルでは、「ジャクーコーヒー」というコーヒーがつくられている。ジャクーとは、キジ目(もく)の鳥で、この鳥のふんからコーヒー豆を採取(さいしゅ)しているのだ。(略) そして、タイでは、巨大な動物のふんからコーヒー豆を取りだしている。その動物とは、タイの人々(ひとびと)が敬意(けいい)を払(はら)ってやまないゾウだ。このコーヒー豆は「ブラック・アイボリー」とよばれている。》 (前掲 『衝撃!世界の食文化』 「世界の三大珍コーヒー 動物のふんからコーヒー豆!?」)
『衝撃!世界の食文化』には、「ウチュニャリコーヒー」(Café Uchuñari)まで登場する。版元が対象を《小学校高学年から》とする児童書なのに、その‘衝撃’には「アタカ通商の豆リストか!」と言いたくなる。この点では、コスタリカの「コウモリコーヒー」などを欠いているところが惜しい。但し、《世界三大珍コーヒー》とか《ベトナムの「タヌキコーヒー」》とか、Web上に氾濫する疎略で典拠すら怪しい情報を集めたような記述なので、本書のシリーズ名「5分後に世界のリアル」に反して真正でない。もっとも、「どこが精確や適正を欠いた記述か?」を問うたとしても、これに応えられる者は(コーヒーの業界人やマニアを含めて)ほとんどいないだろう。この事態こそが‘衝撃’?
コーヒーを喫む。本を喫む。『モカとまほうのコーヒー』(刀根里衣:著 NHK出版:刊 2024)を喫む。さあ、いってらっしゃい!
《主人公のモカが、日常に疲れた青年を思いやりたっぷりのコーヒーで励ます物語『モカと幸せのコーヒー』のクライマックスには、予想もしない展開が待っていました。それから数年後という設定で、モカがふたたび姿を現します。》 (NHK出版 『モカとまほうのコーヒー』商品紹介)
《前作の『モカと幸せのコーヒー』から8年、モカがまた青年のところにひょっこり現れて、朝起きてから夜眠りにつくまで、様々なシーンに合わせたコーヒーに優しい言葉を添えてくれます。》 (刀根里衣のThreads・Facebook・Instagram投稿 2024.09.06)
《イタリアに2年ほど住んでいましたが、ドリップコーヒーは見たことがありません。バールで飲むコーヒーといえばエスプレッソで、アイスコーヒーも存在しないはずです。カプチーノはありますが、どういうわけか朝に飲むものと決まっているようです。午後の時間帯にバールで注文したら、店員さんに注意されたことがあります。「好きなときに、好きなものを飲ませてくれないのか!」と驚きました(笑)。》 (ビアレッティ・ジャパン 宮地貴章:談/「コーヒーの「モカポット」は家族に大切に扱われ、時間とともに育てられていくもの──うさぎのモカのルーツを探る」 『NHK出版デジタルマガジン』 2024.10.03)
やあ、また会えたね。《朝起きて》エスプレッソ、それからコーヒーシェイク、アメリカンコーヒー、カプチーノ、カフェマキアート、コーヒー、カフェラテ、スパイスコーヒー、ホットチョコレートときて、ミルクで《夜眠りにつく》絵本。《好きなときに、好きなものを》飲む『モカとまほうのコーヒー』は、‘イタリア’がおやすみなさいだよ。前作『モカと幸せのコーヒー』は‘青年’が語る世界で、その《クライマックスには、予想もしない展開が待ってい》たから、ホンモノの好いコーヒー絵本だったね。今作『モカとまほうのコーヒー』は‘モカ’だけが語る世界で、そこに仕掛けが何もないから、すごくつまらないコーヒー絵本だよ。ほっとひと息つこうにも、はぁとため息をついちゃうね。
コーヒーを喫む。本を喫む。『風俗のパトロジー 新版』(バルザック:著 山田登世子:訳 藤原書店:刊 2024)を喫む。コーヒー好きが歩む道は、他のあらゆる情熱の辿る道と同じ。
《いまのわれわれが軽く「嗜好品」と呼んでしまうものも、バルザックにとっては「近代興奮剤」にほかならなかった。彼の「学問」の面目躍如たる表現である。酒も、砂糖も、カフェインも、「近代」という歴史的プロセスを「興奮=昂奮」させたという意味で「近代興奮剤」なのだ。この、生命を磨り減らす快楽なるものの奥底を知る厳格な歴史学は、いまの心理学も精神分析学も植民地主義論もたどり着けない孤高の領野である。》 (今福龍太 「バルザックとともに呼吸する文体」/前掲 『風俗のパトロジー 新版』 新版序〈本書を推す〉)
《『近代興奮剤考』で無水コーヒーをすきっ腹に飲んだとき生体に起きる現象を舌なめずりしながら描写するくだりも、ポーそっくりだなあと思ってしまう。もちろんこれは順序が逆で、出版年からすれば、ポーの方がバルザックに似ているのだ。》 (青柳いづみこ 「バルザックとの新たな冒険」/前掲 『風俗のパトロジー 新版』 新版序〈本書を推す〉)
《『近代興奮剤考』 Traité des excitants modernes は、一八三九年ブリア=サヴァランの『味覚の生理学』が再版された折、その附録としておさめられた小品である。(略) けれども現代の私たちには、この二つの作品の対照が興味深い。ブリア=サヴァランは永遠の美味を楽しく語り聞かせてくれる。ところがバルザックは近代の快楽を論じて警鐘を打ち鳴らすのである。(略) そうして、バルザックのその頭脳の放蕩をいやがうえにも凄じいものにしたのが、他ならぬ「近代興奮剤」の一つ、コーヒーだったのである。読者は『興奮剤考』のコーヒーの叙述が異様なまでに精密なのにお気づきかと思う。コーヒーこそバルザックが夜の創造の時に求めた「毒」であり、天才の秘薬であった。》 (山田登世子 解説「近代の毒と富」/『風俗のパトロジー』 新評論:刊 1982 初出/前掲 『風俗のパトロジー 新版』 再録)
オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac 1799-1850)の「近代興奮剤考」(1839)は、ルイ・クレール(Louis Clerc)の“Manuel de l'amateur de café”(コーヒー愛好家マニュアル 1828)やジェルマン・エティエンヌ・クーバール・ドルネー(Germain Etienne Coubard d'Aulnay)の“Monographie du café”(コーヒーモノグラフ 1832)などに並んで、19世紀前半期のコーヒーを探るに必読の著述である。この「近代興奮剤考」を収めた日本語版『風俗のパトロジー』は山田登世子(1946-2016)の翻訳によるもので、1982年の初刊(新評論)と1992年の再刊(藤原書店 改題『風俗研究』)の後、2024年に3回目の刊行(藤原書店)がなされた。今福龍太・町田康・青柳いづみこによる「序」(推薦文)が付されたこの〈新版〉、待ってました! コーヒーを探究する者は、「近代興奮剤考」における《無水コーヒーをすきっ腹に飲んだとき生体に起きる現象を舌なめずりしながら描写するくだり》など《異様なまでに精密》な《コーヒーの叙述》の是非を問うもよし、バルザックが《夜の創造の時に求めた「毒」》コーヒーを《生命を磨り減らす快楽なるもの》として《奥底を知る》に挑むもよし。
すべて不節制は命を縮める。コーヒーはそれに相応しい。生きるとは遅かれ早かれ自分をすり減らすことである。コーヒーを飲んで死ねば好い。本を喫(の)む。コーヒーを喫(の)む。
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