帰山人の珈琲漫考

サブフォーへの道程~(12)道程に教えられ

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月12日 00時00分]
フルマラソンのサブフォー達成時点までに、
 10K  3回(全完走)
 ハーフ  3回(全完走)
 フル   5回(4回完走 1回途中棄権)
 トレラン 3回(全完走:伊吹/三河/斑尾)
の計14大会に出場し、初レース(10K)から1037日(約2年10ヵ月)を要している。
 
この間に、世間では空前のランニングやマラソンのブームが到来、だが、こうしたブームに無関係に、わずかに先んじて、私の一人勝手な挑戦が進んできたことを明言しておきたい。「ブームに乗った訳では無い!」という証拠に、東京マラソンは3回連続落選し続けている・・・悲しい(自慢にならん)。
 
虚弱体質、40歳台半ば、走歴3年、未だ一度だけのサブフォー記録のニワカランナーである私が、「サブフォーへの道程」を振り返って語ることがあるとすれば、「ブームに乗ってもよいがブームに飲み込まれるな」という説教じみた警鐘であろう。今のマラソンブームは他の時局や事象と全く同様に、「集団的画一化」が前提の情報洪水が激しすぎる、と思う。大会参加で支援者や応援者のありがたみに感涙することも多いが、ランニングの原点は「一人で挑んで一人で戦える」ことだと考える。それは「一人で考えて一人で工夫する」ことであり、その身勝手が利くランだからこそ私はサブフォーを目指せたのだろう。
 
この先のランも何に挑むのか、何にも挑まないのか、やめるのか、やはり一人で考えて決めていく。
 
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サブフォーへの道程~(11)そして、サブフォー達成へ

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月11日 00時00分]
思いの他、トレランに気持ちが傾いた私だが、かえってそれが
「次の『いびがわ』フルでは可能な限りサブフォーを狙いたい」
と心密かに思わせるようになっていた。
もし仮に今後トレランに浮気(?)しようにも、
自分で思い描いたロードランのサブフォーを放棄するのは、
不細工な仕儀である。
それならばできる限り、決着を早く!
後から思えば、浮気どころか、本気で後妻が欲しくて
前妻との決着をあせっているような不埒なモチベーションである。
しかし、気合充分になる理由など何でもよいのだろう、何事も。

2008年11月9日
『2008 いびがわマラソン』 フル

前年の体調よりははるかに良好な大会当日を迎えた。
マラソンを意識して走り始めて3年弱、「ひと区切り」をつけたい。
その為には手段を選ばない。途中、歩いてもよい。休んでもよい。
サプリメントもカーボショッツも使う。芍薬甘草湯顆粒も使う。
ありったけの自前ドーピングである・・・そしてスタート。
前半の悪癖オーバーペースを警戒して自重し、
後半に余力を残す目論見だったが、
大会直前に突如決まった引退直後の高橋尚子ランナーの
ゲスト来場渋滞で早くも出遅れて焦る。

過去完走の戦歴データと10キロごとのラップを比較してみると、

     今大会     前大会(掛川) 前年同大会   初大会(掛川)
-10K 58分25秒   52分43秒   54分59秒   56分42秒 
-20K 52分26秒   55分58秒   49分09秒   53分37秒
-30K 54分50秒   58分42秒   53分14秒   62分48秒
-40K 59分39秒   99分23秒   79分20秒   82分00秒

と、私にしてはかなりペースを安定できた。
実際は35キロ付近からクランプが酷くなり始めていた。
ラスト3キロは、サブフォー目標が無ければ
決して一歩も踏み出さないであろう攣りっぱなしの足と、
一呼吸ごとに荒く響く喘鳴との苦痛地獄。
周囲をいくランナーと違って、私にだけは沿道応援の子供の声が止まる。
鬼のような形相と異様な雰囲気だったのであろう。
ここまでしないとサブフォーを達成できないのならば、
意味があるのだろうか?、と遠ざかりそうな意識の端で思いながら走る。
タイム 3h56分51秒
ついに、サブフォーを達成!

フィニッシュアーチが見えてからゴールラインを踏むまで、
自分の目標達成の瞬間に自分で酔いしれていた。
ゴール後は、満足感も虚無感も予想以下の冷静な感覚だった。
しかし、今振り返っても、全体としては自分なりの覚悟を実現し、
満喫したレースだった、と想っている。
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サブフォーへの道程~(10)続・新たな快感を体験する

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月10日 00時00分]
(承前)
 
2008年9月28日
『第3回 三河高原トレイルランニングレース』 24K
 
(伊吹を除いて実質の)人生初のトレイルランニングレース出場。
何もかも不慣れなので、登りも遅ければ降りも遅い。
しかし、このユルユルと走りくだり、平地のランでは体感できない
スピードを感じたまま、続く緩い上り坂を勢いで越え、
またユルユルと走りくだる・・・自前のジェットコースター状態。
これは、ハチャメチャに面白い!トレランの快感はまさに「ヤバイ」。
三河高原TR2008
タイム 2h40分09秒
コース途中、私の直後で蜂騒動があったようで、
フィニッシュ後に知り、ゾクッともしたが、
疲労より快感が印象に残った(少なくとも1週間は)。
 
2008年10月5日
『斑尾高原トレイルランニングレース2008』 50K
 
人生初トレランレースの1週間後に人生2度目のトレランが50K。
とんでもない連戦エントリーをしたものだと思い、
自分でも立派なバカの仲間入りだと思いつつも、
さすがに完走は無理ではないか、とも前日まで想う。
前夜祭でこの大会のリピーターランナーに、
「大丈夫、この大会は気持ち良さで完走できますよ。
心配なのは、斑尾を先に味わうと他の大会が辛いばかりに
思えることだけど・・・」と励まされ、少しその気になってきた。
実際に走り始めてみると・・・言葉に言い表せない快感が・・・
タイム 7h54分17秒
決して良い記録では無いのだろうが、「記録は二の次」と
素直に感受できることも、過去のロードレースとは全く違う。
 
この山シリーズ3レースは、フルマラソン対策の位置づけで
エントリーしたのだが、終わってみれば、
トレランの次の機会を考える自分がいた。
 
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サブフォーへの道程~(9)新たな快感を体験する

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月09日 00時00分]
時々定番の舗装路を走ることに飽きて嫌になり、
いつしか近場の低山を訪れる頻度が増えてきた。
山歩きがフルマラソンの練習にもなるという巷の教示は、
何となく実感できるような気がする。
そこで、フルマラソンの練習用と自分で位置づけて、
いきなり(いつもイキナリだ!)3レースにエントリー。

2008年8月31日
『夢高原かっとび伊吹2008』 10K

山頂まで実質登りだけの10K。とても走れたもんじゃあ無い。
8合目からは足が攣りまくって、崖っぷちに身を寄せてばかり。
今までのロードレースでは、フィニッシュ時だけは「走る」格好で
通過していたが、このレースではガニマタで完「歩」。
タイム 2h1分49秒
ゴールラインを通過した途端に、そのガニマタ姿勢で固まって、
うなり続けること20分。数メートル先のスポドリすら手が届かない。
「山を走る?こんなレースはバカのやることだっ!」という
トレイルランナー・山岳ランナーには失礼極まりない感想。
しかし、奇妙に面白い。ロードレースでは感じられない面白さ。
興に乗って、スタート地点まではゴンドラもシャトルバスも放棄して、
走って戻ってしまった。

(続く)
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サブフォーへの道程~(8)歩かないマラソン

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月08日 00時00分]
「海外マラソンは初心者に好適」という常套句とは裏腹に、
私の海外初レースは初リタイアという惨めなもので終わった。
しかも、「マラソンは走るもので歩いてはならない」という
「ムラカミルール」(私が勝手に名付けたのだが)を知り、
「こりゃあサブフォーどころじゃあないな」という
戒め、諦め、自重、奮起が全部混じったような気持ちのまま、
次のフルマラソンレースが近づいてくる。
もはや何を目的に走っていいのかわからなくなるような・・・

で、出した結論が、「ムラカミルールでフルマラソンを完走する」
という再出発の覚悟だった。

2008年4月20日
『第3回 掛川・新茶マラソン』 フル

再出発に相応しい初フルと同じ大会への出場。
「途中で立ち止まることはあっても良いが、決して歩いてはならない。
走るペースを歩くよりも遅くまで緩めても歩いてはならない。」
これを自分に課したルールとしてスタート。
ある意味予想通り、25キロ過ぎあたりから脚に違和感を感じ、
違和感が断続的な痛みになり、ハッキリとしたクランプが始まり・・・
35キロ過ぎからは、100メートル走っては立ち止まり、
痙攣する脚をマッサージして、を繰り返す。その繰り返しが、
20メートル間隔くらいになると、立ち止まっている私を歩いている
ランナーが奇妙な目で眺めていく。再び走りだして、そのランナーを
追い抜いた途端にまた立ち止まり、苦痛のうめきをあげる私。
ラスト数キロは、圧倒的に歩いた方が早い状態で、数メートル間隔で
走って立ち止まりを繰り返しながらフィニッシュ。
タイム 4h45分15秒
最終制限5時間にすら迫るワースト記録である。
しかし、それよりもこのレースで理解できたことは、
「私にとってムラカミルールに固執する限り、
サブフォーを獲る日は遥かに遠ざかり、しかも面白くない」
ということだった。

「それを正規のマラソンと言われなくてもよい。歩いてもサブフォー!」
それが私の本心だった。
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サブフォーへの道程~(7)続・慢心の代償は痛すぎた

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月07日 00時00分]
(承前)

 その後はややペースを落とし、18マイル表示直前の簡易トイレで用を足す。
 再び走り始めた直後に異変が襲った。先に言った村上春樹の失敗談の状態だ。
 但し、彼の場合との違いは、クランプ(有痛性痙攣)が両脚の上腿下腿全ての
 筋肉で起こったこと。そして、歩けるまで回復する事無く、意志に反してリタイア
 になってしまったこと。道路にしゃがみこんだ当初は再び立ち上がるつもりだった。
 しかし、筋の収縮する変形と激痛は増すばかりで、20分たっても直らない。
 それどころか再び降り始めた雨を浴びて体が冷え、腕の指先までブルブルと
 震えて止まらない。レースカーが近づき、大丈夫かと何度も声がかかる。
 2回程はOKと答えたが、その後は症状が悪化して応答の声も出ない。
 ドクターカーが呼ばれ、棄権を促される。嫌だと首を振るが、痙攣したまま体が
 動かないので、結局毛布に包まれ担架で車に載せられた。車内のドクターに
 マッサージを受け、筋収縮は少し和らいだが、痛みは相変わらずだ。
 うなって震えてしまう。アスピリン(この錠剤が大きい)の服用を勧められるが、
 拒否する。ゴール地点横の救護テントまで運ばれ、更にストレッチを受けると
 嘘のように痛みが引いていく。

 両脇を体格の良い白人男性2名に抱えられて入った救護テントから、30分後には
 自力で歩いて出た。目の前を完走者が次々にゴールしてくる。疲れきった笑顔と
 汚れた足元がゴールラインを通るたびに、完走者への祝福よりも自分の惨めさを
 感じてしまう。そして、失敗の度合いは村上春樹より悪かったが、その原因はまた
 同じであった。「…失敗の原因ははっきりしていた。走り込みの不足・走り込みの
 不足・走り込みの不足。これに尽きる。エクササイズの絶対量が足りず、体重も
 落とし切れていなかった。42キロくらい、適当にやっていればなんとしてでも
 走れるさ、という傲慢な思いが知らず知らず生まれていたのだろう。健康な自信と、
 不健康な慢心を隔てる壁はとても薄い…」

 帰路の機内での読書から、当たり前だがこれまで明確に捉えていなかったことを
 意識させられた。それは、自分が走った過去のフルマラソンも成功ではない、
 ということだ。村上春樹は「マラソンは走る競技であって、歩く競技ではない」と
 言い切って走り続けてきた。だから先の失敗談でも彼は完走(完歩?)したが、
 失敗としている。前2回のフルマラソンとも30キロを超えて一時的に歩いた自分は
 何なのだ。つまり、村上春樹に言わせれば、未だにフルマラソンを走ったことは
 無い、ということになる。マラソンの完走をどう捉えるかは、人それぞれに様々
 だろう。だが、慢心の失敗者には痛くも正当に響く基準である。

 2008年1月13日、帰国から中1日置いて、地元・春日井の10キロレースに
 参加した。もう、走ること自体を全部止めようか…OCマラソンの後、そう思った
 瞬間もある。今後もあるかもしれない。だが、「走って」フルマラソンを完走する
 目標はどうする?あきらめるか、チャレンジするか?…とりあえずの答えは、
 レース参加のきっかけとなったこの10キロレースを再び走って考えよう、と。
 45分で走った。過去2年間のレースは忘れて、フルマラソンに「初」挑戦しよう、
 そう思いながら9回目のレースのゴールラインを通過した。
 
 
2008年1月6日
『OCマラソン』 フル
タイム 無し ※18マイルで棄権 DNF
 
2008年1月13日
『第26回 新春春日井マラソン』 10K
タイム 45分02秒
 
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サブフォーへの道程~(6)慢心の代償は痛すぎた

ジャンル:スポーツ / テーマ:マラソン / カテゴリ:走の記:サブフォーへの道程 [2009年01月06日 00時00分]
2007年秋の連戦から日が経つにつれて、反省より自己満足が膨らんでいく。
最初は「生涯一度でいいから」と思っていたフルマラソンに対しても、
「走ろうと思えば何度でも完走できる程度のもの」だと高を括りはじめていた。
明けて2008年も、正月から2連戦に挑んだ。
その経緯は、当時記した文を(長いが)以下に掲げる。

  「走れなかったことについて語るときに僕の語ること」

 2008年の1月10日。ロサンゼルスから成田へ向かう飛行機の中で、読書をしていた。
 村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』。その第3章にさしかかって、
 惨めさと滑稽さがないまぜになった気持ちで文を追っていた。
 そこで村上春樹が語っている某フルマラソンレースでの失敗談が、つい4日前に
 自分が体験した状況と酷似していたからだ。
 30キロくらいまではまあまあだったが、その直後に脚が突然言うことを聞かなくなった、
 というくだり。「…痙攣が始まり、だんだんそれが激しくなり、やがてまったく走れなく
 なってしまった。どれだけストレッチングしても、太腿の裏側がひきつってぶるぶると
 震え、奇妙なかたちに変形し、言うことを聞いてくれない。立っていることさえできない。
 思わず道路にしゃがみこんでしまった…いつまでたっても痙攣が収まらない…」

 2008年1月6日、カリフォルニア州オレンジ郡でのフルマラソンレースに参加した。
 ランニングレースは8回目の、うちフルマラソンは3回目の、海外では初めてのレース
 出場だ。現地に住む知人に誘われて参加を決め、正月3が日明け早々に渡米して
 きていた。1年9カ月前の初フルマラソンは4時間32分台、2カ月前のフルマラソンは
 4時間11分台だった。2回目のフルマラソンから12日後にはハーフマラソンを1時間
 37分で走った。今回は時間制限が無いに等しい海外レースなので、タイムを狙う
 よりもファン・ランに徹して、異国の空気と時間を楽しもう。1マイル10分のペースを
 保っていき、そこに休憩の時間を入れて、なにやかやで5時間以内に収められれば、
 というのが心づもりだった(それが甘い考えであったことはあとで判明する)。

 男子100m走世界記録保持者アサファ・パウエルのゲスト・スピーチ直後にスタート
 したOCマラソン。前夜から大会直前まで雨が降り、スタートでは雨は止んでいたとは
 いえ薄寒い曇天のレースとなった。それでも陽が昇るに連れて景色も明るく見えてくる。
 何よりも視界が良い。郡内有数のショッピングセンターをスタート地点に、ハイウェイを
 跨ぎニュータウンを貫く広い舗装路や、建ち並んだ品の良い住宅の裏庭や川の沿道を
 コースにしている。ビルやマンションなど階高い建物が全く視界に無いので、日本の
 市街地をコースにしているマラソンレースとは全く風情が異なる。1マイル9分はやや
 ハイ・ペースかな、と思いつつも息も脚も軽快でとても気分が良い。

 数マイル毎の電光計時と自分の腕時計との差も気に留めず8マイル程走って、
 自分のペース認識が間違っていることに気がついた。1マイル9分ではなく8分ペース
 で走っているのだ。前2回のフルマラソンレースよりもオーバーペースである。
 しかし、自分ではそんな気分では無い。こういう時の人間の欲は恐ろしい。思い切って
 ペースダウンするか、今までタイムを稼いだ分途中から歩こう、と修正すれば良い
 ものを、この調子なら4時間を切って完走できるかな、などと思ってしまう。
 結局、このままならフル換算で3時間半ペースとなるハーフ13.1マイルを約1時間
 45分で通過した。

 (続く)
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kisanjin

Author:kisanjin
鳥目散 帰山人
(とりめちる きさんじん)

無類の珈琲狂にて
名もカフェインより号す。
沈黙を破り
漫々と世を語らん。
ご笑読あれ。

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