日本のサードウェイブ
《ピーツジャパン(株)は今年5月31日をもってPeet's Coffee&Teaショップ4店舗をすべて閉じた。米Peet's社としては昨年4月の東京・南青山店が北米以外で初めての出店だった。(略)期待は大きかったが、はやくも一年一ヶ月で終止符は打たれた。詳しい情報筋によると、米Peet's社がピーツジャパン(株)の経営母体である聘珍樓と契約を交わした理由の一つに、台湾・中国への進出が視野にあったという。が、出店立地の失敗と販売計画の甘さが亀裂を大きくした。すべては聘珍樓の「ひとり相撲」という手厳しい声も聞く。(略) しかし、これでよかったのだ。タリーズもスタバもピーツも日本にいながらにして飲めてしまったら、おもしろないやないか。旨いコーヒーのピーツは、あこがれ=シンボルとして米国にとどまっていて欲しい。》 (岡本誠二郎 「『あこがれ』として米国にとどまっていて欲しい。」/『カフェ』 2003 SUMMER Vol.2 No.1/カフェマガジン:刊)
そもそも、セカンドウェイブに類するコーヒー店ですらも、日本においては経営や運営が当初の計画通りに続いた験しが無い。上記「ピーツ」の上陸と撤退より約10年前、1992年12月に新東京国際空港(現:成田国際空港)へ来襲した「スターバックスコーヒー」も、僅か9ヶ月間弱で一旦は撤退した。例えばアメリカ合衆国のコーヒー史において、何がセカンドウェイブでどこからがサードウェイブなのかも判然としない中で、サードウェイブコーヒーに日本の店舗を挙げてどうのこうのと語るのは、浅略で笑止の至り、寝言を吐いているだけ。
《…かつて関東大震災後に小喫茶が続出した事情と、いくらかは似たところがあるようにみえても、戦後の喫茶店はむしろ、コーヒー店とはっきりいった方がよいほど重点をコーヒーにおいたもので、空気はむしろ明るかった。(略) その著しい特徴は、ドリップの濾し袋を大きくし、小は二百グラムから大は五百グラムぐらいの粉を入れ、熱湯を注いで浸出濾過する透過法であった。すでにドリップの方式を心得ていた日本人にとって、店主も比較的たやすく、調理場の担当者を指導することができたので、日本の街のコーヒーが初めて世界から注目されるようになった。むろんそのような大量採りではなく、家庭同様の数杯分のドリップ・ポットを幾つも並べて、念入りにたてるところや、または見識も高まったのでサイフォンを上手に使いこなすところもできた。だが、それは店が提供したというよりも、世の中の趨勢からみれば、もはや日本的といえる内容のコーヒーを、そこに集まる多くの個人の総体が要求し、決定したといった方が正しいようである。最近、世界的にコーヒーの需要がいっそう増加し、喫茶店その他の飲食店で出される量も多くなるにつれて、欧米の諸国でも人手不足の折りから、ある程度手数を省くコーヒー浸出用の機械が、幾種類も出され始めている。それらのものの中に、布袋を布紙にしただけで、浸出濾過の順序は袋だての透過法を一見、能率的にしたのを見受けることが多いのは、しいていえば戦後の日本で成功した方法を、欧米が逆に利用したかも知れないといってよいように思えるのである。むろん、かつてのコーヒー・アーンも、その一つの先駆であったといえなくはないが、ともかくも、ドリップの方法がフランスで確立されてから、一世紀半以上もたって改めてその合理性を見いだし、いっそう活用する機運が起こったといってもよい。ドリップから出てドリップへ。それは回帰ではなく底流をなし、いつも家庭の中に保たれ、ひろがり、そしてまた世間一般のコーヒーを、その真の姿に戻す役割を果たしていると思えるのである。》 (井上誠「味噌汁とコーヒー」/『コーヒーの本』 読売新書/読売新聞社:刊/1970年)
日本のコーヒー史において「ドリップ至上主義」形成の一翼を担ったともいえる井上誠氏の論説全てに首肯するわけではないが、《戦後の日本で成功した方法を、欧米が逆に利用したかも知れない》と1970年の時点で語っていることはとても興味深い。もしも、日本独自のドリップコーヒーが欧米のコーヒーにまで、《真の姿に戻す役割を果たしている》(?)のだとすれば、その影響はどの‘波’に反映されたのであろうか? それは底流ではなく流行をなし、いつも演出が先に走って、ひろがり、そしてまた世間一般のコーヒーを、その虚妄の姿に誘う役割を果たしていると思えるのである。サードウェイブのドリップコーヒーは、《あこがれ=シンボルとして米国にとどまっていて欲しい》、そう私には思えるのである。日本のコーヒー界で持て囃される「サードウェイブ」とは、いったい何であろうか? 庸俗の人類にとって輪郭さえ茫とした風潮を読み解くだけでも極めて難しい。‘波’に本質は無い、空疎である。
コメント
‘cafa Gentle Belief’とは、これまた‘Rude Bigotry’である私には恐縮な名ですネ(笑)…機会を捉えて伺います…ショコラショー目当てで?(笑)
お待ちしていますよ
いっしょに焙煎してあそびましょ
楽しみにしています
了解です。きっと話題も尽きないだろうし…^^/
帰山人さんコンニチワ。ごく少数の人たちの憐憫と批判を浴びながら、数ヶ月前にアメリカのサードウェーブ巡りをしてき地方都市の者です。アメリカでは、pour overと注文しても、多くの店では1ドル~2ドル払うとマグカップを渡されるだけでした。「?」という顔をしていると、コーヒーポットを指さされました。あそこに大量にbrewしてあるから、自分で淹れろと言うのです。笑
もちろん、頼めばハリオ等で淹れてくれるところもありましたが、値段は5ドル前後が多く、日本でブルーボトルがいくらで提供するかはわかりませんが、100円コーヒーでのドリップに慣れた日本人が必要としているコーヒーかどうかはよくわかりません。。日本のスターバックスに5ドル感覚で足を向ける日本人は、コーヒーではなくミルクや生クリームにお金を出している感覚だと思われますし。
追伸
CLCJで、狂グレーダーという資格は取れないでしょうか。。
貴方の体験は貴重ではありますが、私には何らの不思議もありません。USAのファーストウェイブは、粗悪で低廉だけがウリの状況から脱せず、消費者のコーヒー離れを招きました。これを嫌ってコーヒー本来の質を高めようとしたアルフレッド・ピートらの動向もセカンドウェイブではありますが、高付加価値(≒高額)商品としてUSAのコーヒー業界が推進した‘グルメコーヒー’、その‘波’の正体は多様なフレーバー(着香)コーヒーだったのです。1990年代半ばまでは、SCAAですら‘スペシャルティコーヒー’の一環にフレーバーコーヒーを推していました。とにかくも《値段は5ドル前後》出してもらうことが、脱ファーストウェイブの主眼であって、《コーヒーではなくミルクや生クリームにお金を出して》もらうことも有力な手法だったのです。着香もエスプレッソも撹拌抽出も、そして豆の物語性も、USAのコーヒー界では‘付加価値’(高額化)商売の道具立てとして‘波’が多数生じているのです。まあ、次次にあらわれる健康法やダイエット法の‘波’と同じですな。つまり、そのこと自体が、USAらしいコーヒーカルチャーなのですよ。だから体験に何らの不思議もない…
そこいらのサモシイ団体と異なり、CLCJは資格商売に加担するつもりがありません。しかし、各自の任意で‘狂グレーダー’を名乗ることは認めます。
よくわかりました。笑
ご丁寧にありがとうございました。
では、Qグレーダー兼狂グレーダーのW取得者と認めます。
アメリカのコーヒーなんて、‘Let It Go’です。
♪ありのままの姿見せるのよ ありのままの自分になるの 何も怖くない 波砕け 少しも旨くないわ…♪
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お久しぶりです
厚木のカフェリコの姉妹店がオープンしました
外苑前のフォンテ青山というビルの奥の奥
ジェントルビリーフという店名で
フジのディスカバリーを使ってのオンデマンドなんちゃって自家焙煎店です
もしお近くにお寄りの際時間がありましたら覗いてみてくださいませ
よろしくお願いいたします