名前を隠して楽しく日記。
ずいぶん優しい返信をつける人が居たもんだ
親の前科が子どもの就職に影響することなんてないってブコメも付いてるけど職種によってはありえる。
わかりやすいところで特定秘密に関連する業務につく場合、現状でも内閣府からの身辺調査をうける必要があるよ。
何を調査しているのかは当然教えてもらえないけど、基本的には親戚に特定の国籍の人がいるかとか借金の有無をみているらしい。普通に考えると犯罪歴も見てるんじゃないかな。
この身辺調査は形式だけのものとかではなく普通に落ちる人もいるらしくて、その場合は(組織としてはその人をアサインしたくて身辺調査を受けさせているわけだから)職場の人にもそれを知られることになると思うよ。
ちなみに現状は特定秘密が主な対象だけど、セキュリティ・クリアランス周りの議論で対象の拡張が検討されているので公務員は当然として防衛や外交周りを支援する民間企業に入社する際に引っかかって不合格になったり、希望するポジションにつけなかったりといったことは今後当然出てくるだろうね。
女性は若いうちから周囲から容姿についてさんざん批評され、腐され、そんな中で周辺の目を意識して生きていくことを学ぶ
ところが男にはそれが無い
若い男性はそのあたりしっかりできているが、オッサンには特にそれが人生経験として欠けている
だから自分は見る側・評価する側・批判する側だと勘違いして、一方的に女性(の主に容姿)を揶揄して悦に入ってる
そういうオッサンに、おまえらも見られる側、評価される側、批判される側なんやで、と啓蒙することには大きな意味がある
いままでさんざん女性の容姿を揶揄してきたように、男の面白行動が揶揄される
根拠のない勝手な感想で女性を侮辱してきたように、根拠のない勝手な感想で自分たちが侮辱される
それがおまえらが今まで女性にやってきたことなんやで、と声を大にして言いたい
女性が揶揄や侮辱を受けながら、自意識をへし折られ、悔しさに震えながら必死に強く生きてきたように、
おっさんもこれから侮辱に負けずに強く生きていくことを学んでいってほしい
その先にある、真の優しさに目覚めるために
クレジットカード(クレカ)の利用において、最近の「オタク」文化がどのような影響を及ぼしているのか考えてみたいと思います。例えば、「とある」限定グッズやイベントチケットを手に入れるためにクレカを活用する人も増えています。しかし、「そもそもそんなにお金を使う必要があるのか?」という疑問も湧いてくるのではないでしょうか。
「規約違反」にならない範囲で利用することは大前提ですが、「いくら使えば満足できるのか」は人それぞれです。特に、「文化的」な背景や「心理的」な満足感が絡む場合、クレカの利用には慎重になる必要があります。
また、「母親」からの教育や家庭環境が、クレカ利用の価値観を大きく左右することがあります。例えば、「浪費は悪」という考えが強い家庭では、クレカの使用が「他責思考」や罪悪感を引き起こすこともあります。一方で、「杞憂」と思われるような慎重な態度が役立つ場面もあります。
クレカ利用は単なる経済的な手段ではなく、「哲学的」にも考えるべき課題です。それは、自分の趣味や創作活動をサポートするツールであると同時に、規約や契約をしっかり守る必要があるからです。適切な使い方を心がけることで、自分らしい生活を築く手助けとなるでしょう。
創作活動において、「母親」や家庭環境がどれほど影響を与えるかについて考えたことがありますか?最近では、創作に対する意欲が「毒親」の影響で抑えられてしまう例が話題になっています。「そもそも、自分のアイデアや想いを表現するのが創作の大前提なのに、親の影響でそれが歪むのは避けたい」と考える人も多いです。
文化的な背景や心理的な要因が絡むため、「いくら努力しても親の期待に届かない」という苦悩を抱えることもあります。その結果、「完璧」を目指すことが目的となり、本来の創作の楽しさが失われてしまうこともあります。
さらに、「中年」になってからも「母親」の厳しい言葉が頭に残り、「他責思考」に陥ることがあります。「会社が悪い」「世の中が悪い」と感じるのは、家庭環境によって形成された思考の一端かもしれません。
創作活動は自由な表現の場であるべきです。自分の「言葉」や「文字」によって表現することで、家庭環境を超えて新しい価値観を生み出せるのではないでしょうか。重要なのは、自分自身の哲学的な視点を持ち続け、他人の評価に左右されないことです。
小学生の頃、自転車に行ける距離のところに児童養護施設があった。自分はそのすぐ隣、というかその敷地内にある建物で、こども工作だかなんだか忘れたけど、紙とか粘土とか木の板とかを使って色々作る夏休み限定の教室に通っていた。
ある時、親戚が来るとかなんかで親が車で送迎してくれた。粘土で鳥を作ったあと、後片付けをして、親が来るのを待っていた。車の音がして、向こうから母親が歩いてくるのが見えて、来た来た、と駆け寄ろうとしたら、間に知らない子供が割り入ってきた。
お母さん、お母さんでしょう、お母さんだよね、俺のお母さんだよね。みたいなことをずっと話しながら、まとわりつく男の子。年は自分より下だったと思う。小さくて、痩せてた。
お察しの通り、隣の施設から脱走した子供だった。あっという間におじさんの職員に抱え上げられて、回収されていた。その間もあの子は聞き取れない声でわぁわぁ騒いでいた。おじさんは母親に何か言って、ぺこぺこ頭を下げたあと、施設の入り口があるフェンスの向こうに行ってしまった。
自分はその間、何も動けなかった。ここは親のいない子供が行くところだと小学生の間でも有名だったけど、本当だったのか。という驚きもあった。それ以上に、自分の母親が「お母さん」と呼ばれて満更でもなさそうだったのが驚いた。
自分は、両親のことを「お父様」「お母様」と呼ばなければいけなかった。そう呼ばなければ(特に母は)不機嫌になった。
お母さんとかママとか、どこのお母さんかママなのかわかんないでしょ。お母様って呼んだら、すぐにわかるんだから。と、言い聞かされていた。お母さん、と呼んでみても、ん〜?それって誰のことかな〜?わかんないな〜??と惚けられて無視された。言っておくと、別にごく普通の一般家庭だ。
そんな人が、知らないよその子から「お母さん」と呼ばれて、「お母様」でしょうが!と怒鳴ることも無視することもなく、満更でもなさそうにニヤニヤしていたのが、ものすごく気分が悪くなった。
車の中で、可哀想にねぇあの子、私はお母様なんだから。それにしても、あなたもあの施設に行くことにならないと良いね?と、笑う母が怖かった。
なんか毎月とか隔週で広告入りトレーナーとか格安で送るサービスとかよくない?
服買うのもおっくうなクソダサおじさんはまともになるし
広告にもなる
ようやくわかった
お喋りしたいの?