NO.557 「青い空は」
メディアシーンは、「スポーツと平和の祭典オリンピック」の報道に押されて、この8・6,8・9の核廃絶と平和の発信が薄められてはいないか?! 青い空は 青いままで 《こども代表・平和への誓い全文》 平成19年度「平和への誓い」
青い空は(クリックで音楽が流れます)
作曲 大西 進
作詞 小森 香子
1971(S46)年、原水爆禁止世界大会に向けての公募による、第1位入選曲です。
子どもらに伝えたい
燃える 八月の朝 影まで燃えつきた
父の~~ 母の~~ 兄弟たちの
(父の 母の)
命の重みを 肩にせおって 胸に抱いて
青い空は 青いままで
子どもらに伝えたい
あの夜(ヨ) 星はだまって 連れ去っていった
父の~~ 母の~~ 兄弟たちの
(父の 母の)
命の重みを 今流す灯篭(トウロウ)の 光にこめて
青い空は 青いままで
子どもらに伝えたい
すべての国から 戦(イクサ)の火を消して
平和~~と 愛と~~ 友情の
(平和と 愛と)
命の輝きを この固い握手と
うたごえにこめて うたごえにこめて
過去ログNO.554 「核兵器は廃絶される事だけに意義がある」。に、皆さんからコメントをいただきました。
「核廃絶」への思いを共有するものです。
特に、latter_autumn さんからは長文で、日本の戦争責任の問題にほうかむりでは、「実効ある核廃絶の努力」にはならないのではないかという趣旨の指摘がありました。あの侵略戦争における「一連の帰結」(かっこつき)でもあった事実ですから、仰ることは正しいと思います。
一方ヒロシさんからは、日本の戦争責任をめぐる指摘は認めつつも、あの原爆投下は正当化できないし、核廃絶は次元が違う議論ではないかという意見もいただきました。
あれから63年。日本政府はあの侵略戦争への正面からの反省と償いをしていません。
それとも関連する政治的姿勢から、唯一の被爆国でありながら、「核廃絶」へのイニシアチブも発揮できないことは残念です。
そうした中で、あれが先これが先という議論ではなく、「核廃絶」の一致点で手をつなぐことこそが「実効ある力」となっていくのではないでしょうか。その中でまた、より深く歴史に学びながら戦争そのものを問うこともできるのだと思います。後に引用する子どもたちの「平和への誓い」は、そのことを物語ってくれるでしょう。
日本政府の姿勢を乗り越え、国民の世論はその経験に根付き、粘り強く世界に発信します。
「ノーモアヒロシマ ノーモアナガサキ ノーモアヒバクシャ」
歴史を直視しその責任にたって、この声を代表できる政府を作ることが「核廃絶」にとって、最も有効な道でもあることは言うまでもありません。
きまぐれな日々さんと、カナダde日本語さんで紹介されていた、子どもたちと被爆者の「平和への誓い」をここにコピーしてみました。それぞれに心に響くものがあります。
これらの声にもう一度耳を傾けながら、「核廃絶」への決意を確かめ合えればと思います。
(4本、ちょっと長いですが、是非お読みください)
昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。一瞬(いっ・しゅん)にして広島の街は何もかも破壊(は・かい)されました。原子爆弾(げん・し・ばく・だん)は、高温と爆風で人々をおそい、さらに死の放射能で街を汚染(お・せん)していきました。そして、その年の終わりまでに約14万人もの命が失われました。14万の夢や希望、未来が奪(うば)われ、数え切れないほどの悲しみが生まれたのです。
平成17年(2005年)11月22日。私たちの身近なところで、とても悲しい、辛(つら)い事件が起きました。その事件によって、私たちが当たり前だと思っていた日常は壊(こわ)れてしまいました。好きな友だちとおしゃべりしながら登下校したり、一人で外へ出ることもできなくなりました。そして、私たちは事件を通して、一つの命の重みを知りました。
この時奪われた命も、原子爆弾や戦争で奪われた多くの命も同じ命です。一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです。
「平和」とは一体何でしょうか。
争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓(き・が)がないこと。
安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。
今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も「平和」なのです。
世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。
私たちはこれまで、祖父母や被爆者の方から体験を聞いたり、「平和」について学習したりする中で、原爆や戦争のことについて学んできました。しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。これからもヒロシマで起きた事実に学び、それを伝えていかなければなりません。
私たちは、命を大切にし、精いっぱい生きることを誓(ちか)います。
私たちヒロシマのこどもは世界中の国々や人々との間の架(か)け橋となり、「平和」の扉(とびら)を開くために一歩一歩、歩み続けていくことを誓います。
平成18年(2006年)8月6日
私たちは、62年前の8月6日、ヒロシマで起きたことを忘れません。
あの日、街は真っ赤な火の海となり、何もかもが焼かれてなくなりました。川は死者で埋まり、生き残った人たちは涙も出ないほど、心と体を傷つけられました。
目も鼻も口もわからないほどの大やけど。手足に突き刺さった無数のガラス。
あの日、ヒロシマは、怒りや悲しみのとても恐ろしい街でした。
これが原子爆弾です。これが戦争です。これが本当にあったことなのです。
しかし、原子爆弾によっても失われなかったものがあります。
それは生きる希望です。
祖父母たちは、廃墟の中、心と体がぼろぼろになっても、どんなに苦しくつらい時でも、生きる希望を持ち続けました。多くの犠牲の上によみがえった広島をもっと輝かせたいという思いで、原子爆弾によって焼け野原になった街をつくり直してきました。そして、今、広島は、自然も豊かでたくさんの人々が行き交う、笑顔あふれるとても平和な街となりました。
今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるか、一日一食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。
そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。
嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。
平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。
途切れそうな命を必死でつないできた祖父母たちがいたから、今の私たちがいます。原子爆弾や戦争の恐ろしい事実や悲しい体験を、一人でも多くの人たちに「伝えること」は、私たちの使命です。
私たちは、あの日苦しんでいた人たちを助けることはできませんが、未来の人たちを助けることはできるのです。
私たちは、ヒロシマを「遠い昔の話」にはしません。
私たちは、「戦争をやめよう、核兵器を捨てよう」と訴え続けていきます。
そして、世界中の人々の心を「平和の灯火」でつなぐことを誓います。
平成19年(2007年)8月6日
こども代表 広島市立五日市観音西小学校6年 森 展哉
広島市立東浄小学校6年 山崎 菜緒
平成20年度「平和への誓い」
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昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。
突然のするどい閃光(せんこう)と爆風(ばくふう)で、数え切れない多くの尊(とうと)い命が失われました。
あの日、建物疎開(そかい)や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆(げんばく)は、こんな当たり前の毎日を一瞬(いっしゅん)で奪(うば)いました。
原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。
放(ほう)射線(しゃせん)の影響で突然病(やまい)に倒れる人。
あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。
大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。
でも、生き抜(ぬ)いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。
忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒(いか)りは、年々人々の心から薄(うす)れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。
失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。
また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈(いの)りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。
みなさん、見ていて下さい。
私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。
平成20年(2008年)8月6日
こども代表 広島市立幟町小学校6年 今井 穂花
広島市立吉島東小学校6年 本堂 壮太
平 和 へ の 誓 い
あの一発の原子爆弾が、この空でさく裂した日の一九四五(昭和二十)年八月九日午前十一時二分。このころ六歳の私は、爆心地より一・三キロほどの家野町の自宅からそう遠くない小高い丘で、友達とセミとりに夢中でした。そこには古びた山小屋があり、雑木林が茂っていて、緑の木立でセミが合唱していました。
私が、一緒に付いてきた三歳の妹に虫かごを手渡し、樹の幹のセミに、虫アミのさおを伸ばし始めた時でした。急に、飛行機の爆音がしました。驚き、怖くて、うろたえ、母の注意がよぎりました。友達は、慌てて駆け降りました。
私は、立ちすくむ妹を強引にひきずって、山小屋に逃げ込みました。その瞬間、まっ白い光と爆発、爆風、熱風を浴び、すさまじい破壊が始まりました。
私は、木片・がれきと化した木立や小屋の片隅から、吹き飛ばされて気絶していた妹をかき出しました。
自宅方面は、空も町も赤く染まって見え、その辺りから、衣服が燃えて狂ったようにもがく人、半身焼け焦げた人、肉がえぐれて血まみれになった人などが、次々、丘の峠に逃れてきては、町外れへと消え去りました。
私は、妹を背負ってさまよいました。力尽きて立ちすくんでいました。だれか助けてくれそうでしたが、私の体をみて、もうダメだろうと、置き去りにしました。
私は、左下腹部に竹が突き刺さって肉がえぐれ、血を流しながら妹を背負っていました。妹は衣服がこげて血を流し、震えながら「お母さん、お母さん…」と、か細く母を呼び続けます。はじめて「お父さん、助けて」と戦死して帰らぬ父が欲しくて泣き叫びました。
そのころ、爆心地・周辺・いたるところで、七万数千人が亡くなり、私を含め、七万数千人が傷つきました。
あの一発の原子爆弾は、空前の破壊力で放射線を浴びせ、一瞬にして、無差別大量殺りくをやってのける地球の人類の悪魔でした。
時を追うごとに増え続ける未曾有の悲惨さ。今も後障害に苦しむ多くの被爆者。あまりにも、不条理であります。
あの日の長崎市民は、みな、だれでも、人類の子であります。
あの日の広島と長崎は、人類の広島・長崎でもあります。
その両市への原爆投下は人類への投下であって、向かうべき人類の真理に背き続けて、それぞれの立場や都合でそれを正当化し、肯定し、擬制するものではありません。
人類の真理。それは「平和にいだかれた幸福と繁栄」。これこそ人類が命を懸けて子孫に贈り、未来を託す真理であります。
今、私たちはとりまく経済・社会の環境の中で、それぞれの立場や都合で「よろしく・おかげさまで・ありがとう」を言ったり言われたりしていることが多いと思います。しかし、人の得意とすることで滅びゆくことなく事を成すには、どのような立場の人でも「平和にいだかれた幸福と繁栄」に向けて進路を取り、その真理を尋ねて「よろしく・おかげさまで・ありがとう」を言ったり言われたりする―そうした勇気と信念をもって、誰もが心豊かな幸福を共有できるバランスのとれた環境をみんなの力でつくっていくことが必要なときでは。そう思えてなりません。
私はこれからも、核兵器のない世界の恒久平和を願って、足元から微力を尽くすことを申し上げ「平和への誓い」とさせていただきます。
平成19年8月9日 被爆者代表 正林克記
「キョウチクトウの歌」
夏に咲く花キョウチクトウ
戦争終えたその日から
母と子供の願いをこめて
広島の野に咲いている
空に太陽の輝くかぎり
告げよう世界に原爆反対を
「大脇道場」消費税増税反対キャンペーン中!http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-588.html
よろしければお帰りに、シャターはこころで切れ!でおくつろぎ下さい。
友さんの写真ブログです。下手の横好きですが、どうぞごゆるりと。
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2008.08.10 | | Comments(2) | Trackback(13) | ・9条・平和Ⅰ