2006.08.06 (Sun)
日本の平和のために
60年目の証言 戦争を知らない人々へ・・・・
↓アメリカによる残虐な東京大空襲についての画像や記事満載。画像は、かなり悲惨で、現在進行中の中東戦争と重なるところがある。
東京大空襲 史上最大の虐殺(音楽が流れるのでボリュームを下げてからクリックしてね。)
こうして、戦争が終わってから何年たっても当時の戦争体験記や記録を読めるのは、ありがたいことだ。戦争を知らない世代にも、2度と戦争をしてはいけないと真剣に思う人が増えて欲しい。
昨日、広島では第61回目の原爆の日を迎え、平和記念公園で平和記念式典が炎天下の元、行われた。広島出身の『ミクロネシアの小さな島・ヤップより』のsuさんの「太平洋戦争は避けることができた@ヒロシマ」という記事は広島原爆の悲惨さを伝えると同時にその裏側の事情も伝えていて、読みごたえがあった。その中で最近AbEndにもTBして下さるようになった『ねじれ川柳惑星』の「小学生よりお粗末、小泉の式辞」と言う記事が紹介されていたのだが、小泉のアフォーマンス(笑)にはつくづくあきれ果て、言葉を失ってしまった。
その中ですばらしかったという小学生のこども代表 広島市立南観音小学校6年 新谷(しん・たに) 望(のぞむ)君と広島市立楽々園小学校6年 スミス・アンジェリアちゃんが読んだ「平和への誓い」の全文を見つけたので、ここに紹介しよう。
61回目の「原爆の日」 (Asahi.com My Town広島 2006年08月07日)
《こども代表・平和への誓い全文》
昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分。一瞬(いっ・しゅん)にして広島の街は何もかも破壊(は・かい)されました。原子爆弾(げん・し・ばく・だん)は、高温と爆風で人々をおそい、さらに死の放射能で街を汚染(お・せん)していきました。そして、その年の終わりまでに約14万人もの命が失われました。14万の夢や希望、未来が奪(うば)われ、数え切れないほどの悲しみが生まれたのです。
平成17年(2005年)11月22日。私たちの身近なところで、とても悲しい、辛(つら)い事件が起きました。その事件によって、私たちが当たり前だと思っていた日常は壊(こわ)れてしまいました。好きな友だちとおしゃべりしながら登下校したり、一人で外へ出ることもできなくなりました。そして、私たちは事件を通して、一つの命の重みを知りました。
この時奪われた命も、原子爆弾や戦争で奪われた多くの命も同じ命です。一つの命について考えることは、多くの命について考えることにつながります。命は自分のものだけでなく、家族のものであり、その人を必要としている人のものでもあるのです。
「平和」とは一体何でしょうか。
争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓(き・が)がないこと。
安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。
今、私たちが当たり前のように過ごしているこうした日常も「平和」なのです。
世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。
私たちはこれまで、祖父母や被爆者の方から体験を聞いたり、「平和」について学習したりする中で、原爆や戦争のことについて学んできました。しかし、まだまだ知らないことがたくさんあります。これからもヒロシマで起きた事実に学び、それを伝えていかなければなりません。
私たちは、命を大切にし、精いっぱい生きることを誓(ちか)います。
私たちヒロシマのこどもは世界中の国々や人々との間の架(か)け橋となり、「平和」の扉(とびら)を開くために一歩一歩、歩み続けていくことを誓います。
平成18年(2006年)8月6日
「平和とはいったい何でしょうか。」という問いかけに対して、「争いや戦争がないこと。いじめや暴力、犯罪、貧困、飢餓(き・が)がないこと。安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べること。」と答えているところが特に印象に残った。今のところ日本には戦争はないが、その他のいじめ、暴力、犯罪は日常茶飯事に起きており、貧困、飢餓などもたまにニュースで伝えられるようになった。又、さまざまな幼児犯罪が多発しており、児童が安心して学校へ行くこと、勉強すること、遊ぶこと、食べることなども危うくなっている。つまり、今現在の日本は平和な状態と呼ぶにはほど遠い存在になってしまったということだ。
主な要因はいろいろと考えられる中で、一番大きく社会に影響しているのは自民党の小泉改悪が招いた格差社会の拡大だ。貧富の差が激しくなることによって、より多くの犯罪が起きるようになる。いくら一生懸命働いても報われない貧しい者のストレスや金持ちに対する妬みや恨みが犯罪を招くのだ。
世界中のどこの国も「平和」であるために、今必要なことは、自分の考えを伝えること、相手の考えを受け入れること、つまりお互いの心を開くことです。人間は言葉をもっています。心を開けば対話も生まれ、対話があれば争いも起きないはずです。
そして、自分だけでなく他の人のことを思いやること、みんなと仲良くすることも「平和」のためにできることです。
この言葉を聞いて、いつまでも靖国参拝を繰り返し、近隣諸国との関係だけでなく、国民との関係をも悪化させてしまった小泉はどう思ったのだろうか?わざわざ官邸のメルマガの「戦没者の慰霊」という記事で、戦争で亡くなった方々を追悼して何が悪いといなおっているが、戦争を正当化する目的でつくられた靖国神社への参拝は、広島の原爆に代表される戦争の被害者の方やそのご遺族、日本軍によって殺された近隣諸国の遺族達のことを思いやったら、とてもできることではない。
又、首相会談ができない状態で、韓国や中国、北朝鮮との対話など生まれるはずもなく、いつ争いの状態に入ってもおかしくないと国民が考えるのも当然だろう。それでもまだ、国の評判や国益を失う原因となった靖国参拝を今年も又繰り返そうと言うのか?
こうして長く続く自民党政権によって治安の悪化が進んでいた日本社会を小泉改悪によってより一層危険な状態に陥れ、さらに今度は安倍が平和憲法を改悪し、日本を核武装させるだけではなく、日本を戦争に引きずり込もうとしている。このままでは日本は平和からだんだんと遠ざかる道を行くことになる。日本をますます平和から遠ざけようとするブッシュの奴隷のタカ派による自民党政権をいつまでも支持し続けてはいけない。
最後に今日も森田氏の言葉で締めくくりたい。
『森田実の時代を斬る』から
2006.8.5(その2)
森田実の言わねばならぬ[260]
平和を祈願し、戦争をしないことを誓おう
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和を以て貴しと為す
聖徳太子が作った十七条憲法の第一条である。
これは人間関係における調和の大切さを説いた言葉だが、国際関係においても「和」は最も大切なものである。
日本国憲法は前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、〈中略〉日本国民は、恒久の平和を祈願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」と宣言している。
また国連憲章は「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い〈中略〉寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ…」と宣言した。
平和の維持は、国際政治においても、国内政治においても、政治の最重要課題なのだ。しかるに今、戦後61年を経て、平和が何よりも大切と思う精神が衰え風化しつつある。憂慮すべきことだ。8月は平和を祈る月である。われわれは平和の大切さを再認識しなければならない。
森田氏も強調している通り、戦後60年たった今、日本人が忘れかけている戦争の恐ろしさをもう一度真剣に考えなおす必要があるのではないだろうか。戦争なんて自分とは関係ない、戦争なんて日本で起こるわけないじゃないかと思っている若者達も戦争がすぐそこまで来ており、決して他人事ではないということに気づいて欲しい。
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海外から日本を見つめ、日本の未来の為に一生懸命書いてくださることに感謝いたします。
”平和への誓い”の後のコメントで気になる表現がありましたので書かせていただきます。
”いくら一生懸命働いても報われない貧しい者のストレスや金持ちに対する妬みや恨みが犯罪を招くのだ。”と、言うのは少し違うと思います。格差社会が犯罪を引き起こすのだと思います。格差が広がれば広がるほど、勝組みや金持ち達の、自分たちは何をしても許されるのだというおもい上がりがによる虐めや、レイプまがいの犯罪も増加しているのではないでしょうか。また、奈良の放火事件のように、恵まれた家庭における事件も増加しています。世界中の飢餓や貧困の存在、増加を放置していることも、金持ちや政治家の責任、犯罪だと思います。極端なことを言えば、戦争も国のトップたちによる犯罪ではないのですか。格差社会が広がることによって、それぞれが他者を思いやるという心ををなくしてしまっているように思われます。ホンの少し他人の痛みに対する想像力があれば、こんなに犯罪は増加しないのではないのでしょうか。
またきっこさんが取り上げてましたね。
AbEndキャンペーン売り込みのチャンスだったりして・・・。
このたびは長崎原爆の日に因んで私どものサイトに関心を寄せて紹介して頂き有難く感謝しています。
遠くカナダから見れば、鳥瞰図のように日本の虚像と実像を見分けることができるでしょう。
ここにも類い希な日本女性が健在していることを知って心強い限りです。
これからもおつき合いのほど、よろしくお願いします。
感謝と期待の意をこめて。
下の息子が「小学生の○割(忘れちゃった^ ^;))は、終戦記念日って知らないんだって」とビックリして言ってましたが、学校や家庭で話題にしないと忘れられていくものだと痛切に感じました。
お早うございます。
原爆、東京大空襲の記事をお書きですが、この時期のことを体験している一人として、感慨あらたなるものがあります。
東京大空襲の3日後かに、名古屋が大空襲されました。
この空襲に私は、たまたま名古屋に居て、これに遭遇したのです。命からがら名古屋城に逃げました。そして当夜、泊っていた叔母の家は全部焼けました。
その3日後かに大阪が大空襲されたのです。山を隔てて西の向こうが真っ赤に燃えていました。そして翌日、登校した私は、名古屋での体験を級友に語ったものです。
これらの体験は語り伝えられなければ、と思います。
アメリカと日本が戦争していた、ということに「ウソッ」という人も居る時代になってしまいました。
では、また。
先日起きた、731部隊の企画に何の関係もない安倍官
長官の写真を入れ込んだ「安倍長官サブリミナルまがい事件」は、
テレビのニュース企画の現場にいた人なら一目瞭然なの
ですが、100パーセント意図的です。
テレビ報道の現場では「1に映像、2に映像、3、4がなくて5に映像、6にコメント、7にテロップ、8にBGM」なのだと言えばその感覚はわかってもらえるでしょうか?テロップの改ざんくらいなら、一人のディレクターの裁量でどうとでもできる
場合もありますが、映像に関しては無理です。直接、間接に何人もの人間の判断を経なければ表に出ません。
ですから、TBSではああいう行為を認める感覚が当たり前になっていたと言えます。
http://meinesache.seesaa.net/
いつもTBありがとうございます。今回は記事まで紹介して
頂いちゃって恐縮です。
AbEnd、成功させましょう!
これからも、よろしくです。
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「鬼畜米英」 改め 「鬼畜中韓」? もうやめたら、そゆうの @得意気に自らの職責放棄を宣伝する日本政府とマスメディア
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「違う。何で私が犯人なの」 畠山鈴香被疑者 彩香さん殺害を否認
http://arena.nikkeibp.co.jp/col/20060817/118153/
GyaOが8月いっぱい戦争特集を組んでドキュメンタリ映像を流していることの紹介。
*見られるのはGyaOの会員の方だけです。
http://www.gyao.jp/documentary/summer2006/