2014/01/30|Category:鱗
一本、論文を通した。日本の里山に分布するただの蛾の一種フタホシキコケガNudina artaxidiaが、実は好蟻性であることを突き止めた。オープンアクセスジャーナルなので、誰でも見られる。
Komatsu T, Itino T (2014)Moth caterpillar solicits for homopteran honeydew. Scientific Reports 4: Article number: 3922 doi:10.1038/srep03922
フタホシキコケガは日本全国に広く分布する小型ヒトリガの一種だが、どこでもあまり多く得られず、生態がよく分かっていなかった。ところが、俺は10年ちょっと前から近所の裏山で、沢山生息しているクサアリ亜属の巣周辺に奇妙な毛虫が常にいるのがずっと気になっていて、それがこの蛾の幼虫であることが昨年ようやく分かったのだ。
毛虫は黄色と黒と青の毒々しい顕著な色彩で、他と見間違えるべくもない。俺は、クサアリの息がかかった場所以外のいかなる環境下においても、これに似た毛虫を見たことがなかった。しかも、毛虫はただアリの巣の周辺にいるだけではなく、地面や樹幹に伸びるクサアリの行列のど真ん中を歩く。アリの道しるべを明確に辿る能力があるのだ。なのに、周りのアリからは一切攻撃されない。
行列に立ち入り、なぶり殺される普通のヤガ類幼虫。
普通クサアリは、鱗翅目の幼虫が行列を横切ろうものなら、すぐさま集団で襲いかかって食い殺してしまう。それが、この毛虫に対しては攻撃どころか、存在自体が認識できていないらしい。この毛虫は、能動的にクサアリの攻撃をかわし、クサアリに寄り添おうとする。何らかの方法で、アリの巣仲間認識システムをかいくぐっているらしい。
なお、クサアリ亜属のアリは通常のアリ類が持たない特殊な揮発性の化学物質を持つ。これは大概の小動物にとって猛毒で、普通の昆虫を沢山のクサアリと一緒に狭い容器に閉じこめておくと、アリに直接攻撃されなくても弱ってしまう。他のアリなら食うカエルなども、クサアリだけは食いたがらないことが実験的にも確かめられている(Taniguchi et al. 2005)。だから、クサアリと関係を持つ好蟻性昆虫は、この毒にやられないよう多少とも耐性を持っていると考えられる。
件の毛虫も、この毒アリの群れのなかにいて全く弱ったり逃げ出すそぶりはなく、むしろ自発的に行列をピッタリ辿って歩く。生理的に、クサアリとの同居に適応しているとしか考えられない。
さらに驚くべきは、この毛虫がクサアリと同居している理由だ。昼間観察している限り、この毛虫はあてどなくアリの行列を辿るばかりで、一体何が目的でそんな場所にいるのか皆目検討が付かなかった。そこで、昼間何もしていないなら夜に絶対何かするに違いないと思い、ここ数年間ばかりアフター5は毎晩裏山に通って、ひそかにこの毛虫の行動を観察し続けていた。その結果、とんでもない事実が分かった。
クサアリは、樹幹に取り付いたアブラムシやカイガラムシのいる場所へと行列を伸ばして通い、それらから甘露を貰っている。彼らにとって甘露は主食に近い重要な餌資源なのだが、実はあの毛虫は夜間、クサアリの行列を辿って樹幹のカイガラムシがいる場所まで行く。そして群がるアリを押しのけ、アリが見ている目の前でカイガラムシから甘露を盗み取っていたのだ。
毛虫はカイガラムシのいる場所まで行くと、奇妙なことを始める。ヘビが鎌首をもたげるように頭を振り上げ、口先でカイガラムシの肛門を叩いて刺激する。そして甘露を催促し、出されるやすぐにそれを吸い取ってしまう。その間、周りにはカイガラムシを守るアリが群がっているのだが、毛虫をなぜか追い払えずただ毛虫のやることを見つめているだけ。
鱗翅目昆虫において、これまでアリが保護する半翅目昆虫のところへ割り込み、このような催促行動をして甘露を盗む行動は、シジミチョウ科の一部でしか知られていない。それと全く同じ行動がシジミチョウ科とは系統的に無縁な蛾、しかも世界的に好蟻性の種がほぼ存在しないヒトリガ科内で、独立に進化していたというのは興味深い。なお、本種は甘露だけでなく、アリの行列脇の苔むした樹皮も囓る。
そもそも、好蟻性の蛾というもの自体、世界的にもそんなに多く確認されているわけではない。これまで知られているアリと関わる蛾の大半は、アリの巣周辺や巣部屋の隅でゴミやアリ幼虫をこそこそ食うような小型種であった。ヒロズコガ類のように、自作のミノに胴体部を隠してアリとの直接接触を避けるものも多い。そんな中、毛で覆われているとはいえ胴体を直にさらし、アリの群れの中を練り歩くタイプの蛾は、好蟻性蛾類としては顕著な部類に入る。
なぜ、本種がカイガラムシの甘露を摂取するのかは、現時点でははっきりしない。ただ、ほんの数匹だが、一度この毛虫の若齢個体を採ってきて室内で苔むした樹皮だけ与えて育てたことがある。その結果、全部の個体が途中で死んだ。樹皮を与えると喜んでモリモリ食うのに、食ったそばから日に日にやせこけていったのだ。半翅目昆虫の甘露にはアミノ酸などが含まれるので、苔むした樹皮では足りない窒素分を補う意味があるのかも知れない。
この毛虫は、アリそのものとは特に親密なやりとりをしない。餌を口移しで施して貰ったりはしない。この毛虫がアリから受ける恩恵は、捕食寄生者の攻撃から守られることと、カイガラムシのいる場所まで導いて貰うことだろう。何しろ樹幹のアリの行列は、必ずカイガラムシの所へつながっているのだから、自力で樹幹をさまよってカイガラムシを探すよりずっと効率が良い。
ネット上でフタホシキコケガのことを調べると、あちこちのサイトで「幼虫は地衣類を食う」と書いてある。だから、論文にそれを引用したくてソースを辿ろうとしたのだが、いかなる信頼の置ける文献にも本種が地衣類を食うなどという記述を発見できなかった。それどころか、一番最近出た日本産蛾類の大図鑑には、本種の食餌は「不明」とはっきり書いてある(Kishida 2011)。
本種を含むヒトリガ科コケガ亜科は、全体的に地衣類食のグループとして知られている。なので、「恐らく本種も同じだろう」と思いこんだ誰かが最初に地衣食だとネット上に書いたのを、他の人間がこぞって孫引きした結果だと思う。ネットの情報を考えなしに鵜呑みにはできないと、改めて思った。
実際の所、フタホシキコケガは苔むした樹皮を囓るので、間違いなく地衣類も食いはしている。しかし、それに加えてカイガラムシの出す甘露(しかも毒アリの護衛付き)までたしなむとは、お釈迦様でも気が付くまい。
正直な話、内容としてはただ「裏山で毛虫が油虫のケツを舐めてるのを見た」の一言に過ぎないが、その見たことを筋道立てて文章に起こせれば、天下のネイチャー傘下の学術誌にも立派に載る論文となることを、あの取るに足らない小さな蛾は教えてくれた。
ここでは落書きした写真しか出さなかったが、遠い未来に「アリの巣・・」図鑑の改訂版が出せることになったら、そっちには綺麗な写真を載せたい。
引用文献:
Taniguchi K, Maruyama M, Ichikawa T, Ito T (2005) A case of Batesian mimicry between a myrmecophilous staphylinid beetle, Pella comes, and its host ant, Lasius (Dendrolasius) spathepus: an experiment using the Japanese treefrog, Hyla japonica as a real predator. Insectes Sociaux 52: 320-322.
Kishida, Y. [Arctiidae] The Standard of Moths in Japan II [Kishida, Y. et al. (eds.)] [148–167] (Gakken, 2011).
Komatsu T, Itino T (2014)Moth caterpillar solicits for homopteran honeydew. Scientific Reports 4: Article number: 3922 doi:10.1038/srep03922
フタホシキコケガは日本全国に広く分布する小型ヒトリガの一種だが、どこでもあまり多く得られず、生態がよく分かっていなかった。ところが、俺は10年ちょっと前から近所の裏山で、沢山生息しているクサアリ亜属の巣周辺に奇妙な毛虫が常にいるのがずっと気になっていて、それがこの蛾の幼虫であることが昨年ようやく分かったのだ。
毛虫は黄色と黒と青の毒々しい顕著な色彩で、他と見間違えるべくもない。俺は、クサアリの息がかかった場所以外のいかなる環境下においても、これに似た毛虫を見たことがなかった。しかも、毛虫はただアリの巣の周辺にいるだけではなく、地面や樹幹に伸びるクサアリの行列のど真ん中を歩く。アリの道しるべを明確に辿る能力があるのだ。なのに、周りのアリからは一切攻撃されない。
行列に立ち入り、なぶり殺される普通のヤガ類幼虫。
普通クサアリは、鱗翅目の幼虫が行列を横切ろうものなら、すぐさま集団で襲いかかって食い殺してしまう。それが、この毛虫に対しては攻撃どころか、存在自体が認識できていないらしい。この毛虫は、能動的にクサアリの攻撃をかわし、クサアリに寄り添おうとする。何らかの方法で、アリの巣仲間認識システムをかいくぐっているらしい。
なお、クサアリ亜属のアリは通常のアリ類が持たない特殊な揮発性の化学物質を持つ。これは大概の小動物にとって猛毒で、普通の昆虫を沢山のクサアリと一緒に狭い容器に閉じこめておくと、アリに直接攻撃されなくても弱ってしまう。他のアリなら食うカエルなども、クサアリだけは食いたがらないことが実験的にも確かめられている(Taniguchi et al. 2005)。だから、クサアリと関係を持つ好蟻性昆虫は、この毒にやられないよう多少とも耐性を持っていると考えられる。
件の毛虫も、この毒アリの群れのなかにいて全く弱ったり逃げ出すそぶりはなく、むしろ自発的に行列をピッタリ辿って歩く。生理的に、クサアリとの同居に適応しているとしか考えられない。
さらに驚くべきは、この毛虫がクサアリと同居している理由だ。昼間観察している限り、この毛虫はあてどなくアリの行列を辿るばかりで、一体何が目的でそんな場所にいるのか皆目検討が付かなかった。そこで、昼間何もしていないなら夜に絶対何かするに違いないと思い、ここ数年間ばかりアフター5は毎晩裏山に通って、ひそかにこの毛虫の行動を観察し続けていた。その結果、とんでもない事実が分かった。
クサアリは、樹幹に取り付いたアブラムシやカイガラムシのいる場所へと行列を伸ばして通い、それらから甘露を貰っている。彼らにとって甘露は主食に近い重要な餌資源なのだが、実はあの毛虫は夜間、クサアリの行列を辿って樹幹のカイガラムシがいる場所まで行く。そして群がるアリを押しのけ、アリが見ている目の前でカイガラムシから甘露を盗み取っていたのだ。
毛虫はカイガラムシのいる場所まで行くと、奇妙なことを始める。ヘビが鎌首をもたげるように頭を振り上げ、口先でカイガラムシの肛門を叩いて刺激する。そして甘露を催促し、出されるやすぐにそれを吸い取ってしまう。その間、周りにはカイガラムシを守るアリが群がっているのだが、毛虫をなぜか追い払えずただ毛虫のやることを見つめているだけ。
鱗翅目昆虫において、これまでアリが保護する半翅目昆虫のところへ割り込み、このような催促行動をして甘露を盗む行動は、シジミチョウ科の一部でしか知られていない。それと全く同じ行動がシジミチョウ科とは系統的に無縁な蛾、しかも世界的に好蟻性の種がほぼ存在しないヒトリガ科内で、独立に進化していたというのは興味深い。なお、本種は甘露だけでなく、アリの行列脇の苔むした樹皮も囓る。
そもそも、好蟻性の蛾というもの自体、世界的にもそんなに多く確認されているわけではない。これまで知られているアリと関わる蛾の大半は、アリの巣周辺や巣部屋の隅でゴミやアリ幼虫をこそこそ食うような小型種であった。ヒロズコガ類のように、自作のミノに胴体部を隠してアリとの直接接触を避けるものも多い。そんな中、毛で覆われているとはいえ胴体を直にさらし、アリの群れの中を練り歩くタイプの蛾は、好蟻性蛾類としては顕著な部類に入る。
なぜ、本種がカイガラムシの甘露を摂取するのかは、現時点でははっきりしない。ただ、ほんの数匹だが、一度この毛虫の若齢個体を採ってきて室内で苔むした樹皮だけ与えて育てたことがある。その結果、全部の個体が途中で死んだ。樹皮を与えると喜んでモリモリ食うのに、食ったそばから日に日にやせこけていったのだ。半翅目昆虫の甘露にはアミノ酸などが含まれるので、苔むした樹皮では足りない窒素分を補う意味があるのかも知れない。
この毛虫は、アリそのものとは特に親密なやりとりをしない。餌を口移しで施して貰ったりはしない。この毛虫がアリから受ける恩恵は、捕食寄生者の攻撃から守られることと、カイガラムシのいる場所まで導いて貰うことだろう。何しろ樹幹のアリの行列は、必ずカイガラムシの所へつながっているのだから、自力で樹幹をさまよってカイガラムシを探すよりずっと効率が良い。
ネット上でフタホシキコケガのことを調べると、あちこちのサイトで「幼虫は地衣類を食う」と書いてある。だから、論文にそれを引用したくてソースを辿ろうとしたのだが、いかなる信頼の置ける文献にも本種が地衣類を食うなどという記述を発見できなかった。それどころか、一番最近出た日本産蛾類の大図鑑には、本種の食餌は「不明」とはっきり書いてある(Kishida 2011)。
本種を含むヒトリガ科コケガ亜科は、全体的に地衣類食のグループとして知られている。なので、「恐らく本種も同じだろう」と思いこんだ誰かが最初に地衣食だとネット上に書いたのを、他の人間がこぞって孫引きした結果だと思う。ネットの情報を考えなしに鵜呑みにはできないと、改めて思った。
実際の所、フタホシキコケガは苔むした樹皮を囓るので、間違いなく地衣類も食いはしている。しかし、それに加えてカイガラムシの出す甘露(しかも毒アリの護衛付き)までたしなむとは、お釈迦様でも気が付くまい。
正直な話、内容としてはただ「裏山で毛虫が油虫のケツを舐めてるのを見た」の一言に過ぎないが、その見たことを筋道立てて文章に起こせれば、天下のネイチャー傘下の学術誌にも立派に載る論文となることを、あの取るに足らない小さな蛾は教えてくれた。
ここでは落書きした写真しか出さなかったが、遠い未来に「アリの巣・・」図鑑の改訂版が出せることになったら、そっちには綺麗な写真を載せたい。
引用文献:
Taniguchi K, Maruyama M, Ichikawa T, Ito T (2005) A case of Batesian mimicry between a myrmecophilous staphylinid beetle, Pella comes, and its host ant, Lasius (Dendrolasius) spathepus: an experiment using the Japanese treefrog, Hyla japonica as a real predator. Insectes Sociaux 52: 320-322.
Kishida, Y. [Arctiidae] The Standard of Moths in Japan II [Kishida, Y. et al. (eds.)] [148–167] (Gakken, 2011).