論文を一本通した。裏山に住む幻の蜉蝣、ケカゲロウを卵から成虫まで育て上げることに成功した。先日、オープンになった論文。
Komatsu T (2014) Larvae of the Japanese termitophilous predator Isoscelipteron okamotonis (Neuroptera, Berothidae) use their mandibles and silk web to prey on termites. Insectes Sociaux 61:203-205
脈翅目昆虫であるケカゲロウ
Isoscelipteron okamotonisはケカゲロウ科Berothidae唯一の邦産種で、これまで成虫が夏に灯火にたまに来る以外の生態が何一つ分かっていない謎の羽虫だった。ところが、一昨年の夜に偶然裏山でこの謎の羽虫が樹幹で産卵しているのを見た。それをきっかけに、これの幼虫期を解明してやろうと思い立ち、数々の失敗を繰り返しながらも昨年ようやく成功したのだった。
ケカゲロウ科は世界中に広く分布するが、世界中どこの種も夜行性でとにかく採集が容易でなく、生態的な研究は遅々として進んでいない。ことに幼虫期の生態は未知で、生態どころか幼虫そのものの発見例が世界的に稀である。これまで唯一、北米の
Lomamyia属の2,3種で卵から成虫まで飼育された例があるのみ。
それによると、幼虫はヤマトシロアリ属
Reticulitermesの巣で暮らし、シロアリに特殊な毒ガスを浴びせて眠らせ捕食するという、人知を越えた捕食戦略を持つという(Tauber and Tauber 1968など)。もしかしたら、その人知を越えたさまを観察できるかも知れないとの憶測を胸に、俺は日本のケカゲロウの幼虫飼育を試みたのである。海外の似た種がシロアリで育つなら、日本の奴だってシロアリで育つはずだ。
日本でこの虫の幼虫を野外で見つけて採ってくるのは、先例がないので事実上不可能である。だから、メスの成虫を採ってきて採卵し、幼虫を孵すのが確実なのだが、そのメス成虫を野外で採ってくるのがまた筆舌に尽くしがたい程に難しい(元々個体数が少ない上、夜行性なのに灯火にほとんど来ず、灯火採集が通用しない)。
だが、俺は独自に開発した特殊な方法で、闇夜の森からメスのケカゲロウを連れ出すことが出来た。そしてそいつから採卵し孵化させた一令幼虫を、あらかじめカゲロウの採集地である森から採集し室内飼育していたヤマトシロアリ
R. speratusの巣内に投入し、行動観察しながら飼育したのである。
孵化直後の一令幼虫。体長2mm前後しかない糸くずのような生物。
シロアリを倒し、吸汁する。
結論から申せば、日本のケカゲロウもやはりシロアリを食った。しかし残念なことに、日本のケカゲロウは毒ガスなどという高尚な技を持っていなかった。複数の幼虫個体で捕食シーンを観察しても、近寄ってきたシロアリにひたすら噛み付き、弱らせるだけの戦略しかもたないようだった。ただ、この噛み付きはシロアリに対して恐ろしく有効で、数回咬まれただけでシロアリは全身が麻痺してしまい、あとは幼虫の駿河まま。北米の種では毒ガスにくわえて、キバで神経毒をシロアリに注入するそうなので、これと同じことをしていると思われる。
こうして立て続けに数匹のシロアリを倒すと、幼虫は自身で分泌した絹糸でそれらを縛り、死体の山を築いた。その死体の山を隠れ家にしながら、時折死体に噛み付いて吸汁しつつ、通りかかる新たなシロアリを捕らえた。面白いことに、幼虫は自分の管理する死体の山の周囲にも荒く糸を引き回しており、シロアリが近づくと必ずこれに脚をとられた。そしてもがいているシロアリの所へ幼虫は素早く駆け寄り、あっという間に倒すのだ。幼虫にとって糸は、倒した獲物を固定すると共に、新たな獲物を捕らえる罠の役割も果たしているらしい。
一令幼虫はみるみる成長し、ほんの5日かそこらで二令になった。北米の種もそうだが、驚くことに二令は完全に絶食する。狭い隙間で脱皮すると、尾端で体を固定し、そのまま体をCの字にかがめてじっとしている。死んだようにピクリとも動かない。俺は昨年度からこの虫の幼虫飼育を試みていたのだが、恥ずかしいことに当時はこの休眠の習性を知らず、せっかく育っていた二令幼虫を死んだと勘違いして捨ててしまう醜態をさらした。
この休眠状態でまた5日くらい過ごすと、脱皮して最終令である三令になる。
三令はすさまじい。一令期同様にシロアリ捕食を再開するのだが、その食う勢いが半端ではない。一令期以上に多量のシロアリを殺して死体の山を築き、ひたすら吸い尽くす。そして、翌日になるととんでもないことが起きる。この日の朝、一番最初に見たとき何が起きたのか理解するのに、若干の時間を要した。なんとたった一晩で、胴体の長さと太さを倍にするのだ。辺りにはシロアリの残骸だらけ。
上が三令の一日目。下がその翌日。周囲のシロアリの大きさから、巨大化の程度が如何ほどのものかわかる。この変化がほんの一日の間に起きる。
三令期はとても短く、ほんの3日そこらでもう繭を紡いで蛹になった。そして20日ほどの蛹期間を経たのち、とうとう成虫が羽化したのである。これにより日本産ケカゲロウは、旧世界(アジア、アフリカ)地域で初めて、卵から成虫まで人工飼育下で育ったケカゲロウ科の種となった。
ただの小汚い虫が皮を脱ぐ姿と言ってしまえばそれまで。しかし、この国始まって以来この状況に立ち会った日本人は存在しない。その記念すべき一人目に、俺はなったのだ。世界的に見ても、ケカゲロウの羽化を目撃した人間は史上十数人もいない。
日本のケカゲロウの幼虫は、ヤマトシロアリを餌に成虫まで育つ能力があることが判明した。彼らが野外でもシロアリ以外のものを食べないのかどうかは、いまだ不明である。しかし、シロアリに対して非常に効果的な攻撃・捕食戦略をもつことや、海外にいる同じ亜科の近縁属がシロアリ捕食にきわめて特化しているのを考えると、恐らく日本産種も好白蟻性のスペシャリスト捕食者と考えて差し支えないのではないかと思う。
驚くべきことに、ケカゲロウ科が地球に出現した歴史はとても古い(ジュラ紀中期; Makarkin et al. 2011)。海外では、成虫が頻繁にコハクに閉じこめられた化石として出土している。最近、ケカゲロウ科の幼虫の化石がまとまって出土した(Wedmann et al. 2009; そんなマイナーな虫の幼虫がコハクに閉じこめられて、今更掘り出されるということ自体が驚きだが)。
Wedmann et al. (2013)によると、現生するケカゲロウ科内の5亜科のうち4亜科は、シロアリが地球上に出現した年代以前には既に存在していたらしい(シロアリの起源はジュラ紀後期から白亜紀前期とされる; Engel et al. 2009)。つまり、これらのケカゲロウ類に関しては好白蟻性ではない可能性が高いという。シロアリを食う日本産種と北米産種が含まれる残りの1亜科は、シロアリが出現した後に出現したらしい。Wedmann et al. (2013)は、おそらくケカゲロウ科で好白蟻性を獲得したのはこの1亜科に含まれるメンバーのみであろうと推測しているが、今回の当方の発見は測らずともその仮説を支持するものになった。
裏山で採ったただの羽虫の観察日記が、よもや昆虫の起源と進化などという話にまで首を突っ込むことになろうとは。
その数の少なさと採集の至難さから、日本産脈翅の中でも生態解明が最も困難と思われ、今までどんな大層な昆虫図鑑にも「成虫は夏に灯火に来るが稀」以外何も書くことがなかったケカゲロウ。
日本歴代の脈翅専門家すら誰も手を出さなかった、難攻不落なこの虫の幼虫期を平らげることができて、とても気分がスカッとした。こいつを倒せたなら、ほかの日本産脈翅なぞ全部刺身のつまだ。次はクシヒゲカゲロウとオオ(イクビ)カマキリモドキの幼虫期の解明だろうか。
引用文献:
Engel, M.S., Grimaldi, D.A. & Krishna, K. (2009) Termites (Isoptera): their phylogeny, classification, and rise to ecological dominance. American Museum novitates, 3650, 1–27.
Makarkin, V.N., Ren D. & Yang Q. (2011) Two new species of Sinosmylites Hong (Neuroptera: Berothidae) from the Middle Jurassic of China, with notes on Mesoberothidae. ZooKeys, 130, 199–215.
Tauber C.A. and Tauber M.J. 1968. Lomamyia latipennis (Neuroptera:Berothidae) life history and larval descriptions. Can. Entomol.100: 623–629
Wedmann S., Makarkin V.N., Weiterschan T. and Ho¨rnschemeyer T.2013. First fossil larvae of Berothidae (Neuroptera) from Baltic amber, with notes on the biology and termitophily of the family. Zootaxa 3716: 236–258