バイデン米大統領(民主党)が4年の任期を終え、20日に退任する。「脱トランプ」を掲げて2020年の大統領選を制したものの、24年の再選レースでは民主党内外からの高齢不安にあらがえず、出馬取りやめに追い込まれた。バイデン氏のレガシー(政治的遺産)は何なのか。慶応大の渡辺靖教授(現代米国論)に聞いた。【聞き手・平野光芳】
コロナ後、早期に経済回復
――バイデン氏は何を目指し、どんな実績を残したか。
◆理想としていたのは、積極財政や大規模政策で、1920年代に始まる世界的大恐慌から米国を救ったフランクリン・ルーズベルト大統領(在任1933~45年)だった。バイデン氏も就任時は新型コロナウイルス禍という国家的危機にあり、また米中対立で米国の覇権が挑戦を受けていた。
バイデン氏は景気刺激策として、「米国レスキュープラン」と称する総額1・9兆ドル(約300兆円)規模の経済対策法をはじめ、インフラ投資や気候変動対策、半導体産業支援などで大型法を次々と成立させた。米議会は与野党の議席差が僅差で、わずかなミスや造反も許されなかった。半世紀近く中央政界にいて、政治を知り尽くしているバイデン氏だからこそできた。
米国の失業率はコロナ禍で一時急上昇したが、最近は60年代以来最も低い水準まで下がった。米経済はコロナ禍から最も早く回復して、株価などを見ても実質的には世界で独り勝ちだ。
外交では「米国は戻ってきた」と掲げ、前任のトランプ政権とは違って再び国際的なリーダーシップと同盟強化の役割を担っていく姿勢を鮮明にした。ロシアの侵攻を受けるウクライナの支援や、北大西洋条約機構(NATO)諸国との関係強化を重視し、日本に関しては日米韓の関係を強固にした。温室効果ガスの排出を削減する国際ルール「パリ協定」にも再加入した。
外交の駆け引き苦手
――負の遺産は何か。
◆積極的な財政支出はコロナ禍でやむを得なかった面もあるが、急激な物価高を招いてしまった。また人権を尊重した半面、メキシコ国境などから大量の非正規移民が押し寄せ、社会が混乱した。
外交では米軍を20年近く駐留させたアフガニスタンから撤退させる際、大きな混乱を招いた。2021年8月30日に撤退すると期限を無条件で設定し、撤退後の対策を十分講じなかった。
バイデン氏はロシアのウクライナ侵攻でも「米軍は直接介入しない」と早々に明言してしまった。アフガン撤退は米国の民意でもあり…
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