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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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長崎原爆で全壊の捕虜収容所 遺構を発見も、保存されず

福岡俘虜収容所第14分所の跡地から見つかったコンクリート製路盤やれんが積みの基礎=長崎市が2022年4月8日に撮影(「養生所を考える会」提供)
福岡俘虜収容所第14分所の跡地から見つかったコンクリート製路盤やれんが積みの基礎=長崎市が2022年4月8日に撮影(「養生所を考える会」提供)

 長崎市幸町の複合施設建設地で、長崎原爆投下時に爆心地の南約1・7キロにあって全壊した捕虜収容所の基礎の遺構が2022年に見つかっていたことが市などへの取材で判明した。市は「原爆被害を伝える遺跡とは認められず、保存対象ではない」と判断し、遺構は保存されなかった。病死や被爆死した捕虜も多く、市民による慰霊行事などが催されているが、市は遺構発見を公表しなかった。捕虜の遺族らと交流する市民団体は「市民や遺族を巻き込んで保存・活用を議論すべきだった」と市の判断に疑問を投げかけている。

 収容所は、福岡俘虜(ふりょ)収容所第14分所。長崎市が発行した「長崎原爆被爆50年史」などによると、第二次世界大戦中の1943年に開設され、南方の戦線から移送された旧連合国のオランダ人やオーストラリア人らの捕虜約540人が収容された。原爆投下前に病気などで約100人が死亡し、原爆でオランダ人8人が犠牲になったとされる。7棟あった建物はほぼ全壊、全焼した。

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