2023.07.03 Mon
機動戦士ガンダム 水星の魔女 最終回
思えばスレッタがエアリアル改修型にあまり乗らなかったのと、プラモのキット自体の初心者に厳しい仕様を考えると主役機の交代は約束されたことだったんだろうなーと。
しかし、サンライズリアルロボットのお約束は殆ど取り入れてたよなー。
水星の魔女は。
ラストに超大型ビーム兵器が出てくるのもファーストガンダムから連なるイデオンやガリアンとか、その手のロボットアニメの系譜だもんなー。
何気に、4号の回収、こういう風にやってくるのか。
ガンダムでウテナやってストーリーラインはパトレイバー的で、ここまでいろんな要素をごちゃまぜにしておきながらよく綺麗に纏めたような-と、水星の魔女は割と真面目に思う。
水星の魔女は1クール目の12話で無自覚とはいえ罪を犯したスレッタに対して対等にするために、2クール目はミオリネが罪を犯す立場になることで対等になる話運びにするつもりだったんだろうなーと。
まぁ、長かったけどね。
あの長期間の二人の引き離しについてはミオリネを動かすためには仕方がなかったんだろうとは思う。
ただ、やるなら御三家の三人の描写を均等にやれば良いものをグエルだけグダグダと長めに描きすぎた感はあるけどさ。
これ、グエルが人気だからーって言われてるけど、たぶん、水星の企画自体、ビルドダイバーズリライズより前には出てただろうから、もとより、あれは人気関係なく予定調和だったとは思うけどね。
所謂、親殺しをした人間だから、あの三人の中ではグエルが一番、ミオリネやスレッタを理解しやすい存在ではあるからね。
エラン5号は親殺し以前の問題だし、シャディクは、なんか、ねぇ。あんな感じだし。
ガンダムでウテナやるんだから、冬芽、莢一、薫幹ポジションの連中も活躍させな。っていうのがライターの思惑なんだろうね。グエルとラウダの関係なんてもう冬芽と七実だしな。
ガンダムでウテナをやるということで、ウテナのラストが結局、ああいう感じだったからどうなるんだろう?って思ったけど、今の時代らしいよね。
結婚式とか、そういうの描かずに明確に二人の関係の終着点を指輪のシーンで魅せるっていうのはやってくれたな。
曖昧に描かず言葉にせず画で帰結させる。
あの時代、ウテナで出来なかったことをやってくれたこと、あの年代から20年以上経過して百合的な描写が、どう変化していったのか。
それが良く解るような感じでもあったね。
あの憑き物が落ちたようなラストも、やっぱり、ウテナでもあったから、最後までそういうオマージュだったんだろうと。なんやかんやで、∀ガンダム以降のガンダムを素直に楽しめなかったの自分としては、水星の魔女は純粋に素直に楽しめた。そこ行くと、これは「罪と罰、そして許し」なんだろうな。なんやかんやで、悪いことした奴らが全員、生きてるのが、そういうことなんだろうね。あの婆4人組とか、シャディクとか、ね。プロスペラのやったこととか、正直、死刑レベルの罪だけど、ある種、これから、彼女の未来は本来、閉ざされてエリーと一緒にられず、肉体が動かなくなっていくのが罰であり、スレッタとミオリネの言葉が許しなんだろうな。
スレッタとミオリネっていう二人が罪と罰を経験して、そこから許しを得て、前の話でも言ったけどそれで対等になった二人が結ばれて世界の未来と一緒に二人がともに進んでいく。っていうのは、これは大事なことよ。
ガンダムだと、それが当たり前だったから、っていうか、当たり前になりすぎていたからこそ、こういうスタイルで描くっていうのは大事なことだと改めて理解したよね。ミオリネとスレッタの二期における長い間の別離は必須だったのは解る。互いに罪を経験して罰を受けて許しを得て結ばれることに意味があったから。
それに対して長い期間の間を置くのは大事だし、二人で未来に向かうことに進んでF91のオマージュで二人一緒で絶対に離さない演出をするのは良いよなと。
ウテナでも神無月の巫女でもまどマギでも、なんかしら罪を犯して、罪を背負ったりして、それによって受けた罰やら代償が心から結ばれあった二人の少女の別離だったり犠牲だったりする中で二人が受けた罪を分け合い許し合い二人で未来に進むスレッタとミオリネは、やっぱり時代が進んだことへの証左よね。
だから、ぎりぎりまでスレッタが死ぬんじゃないか?
そう思わせる不安の中で、これまでの神無月の巫女やウテナ的なラストに繋がるんじゃないか?とハラハラさせておきながら二人が結婚したうえでの未来に進むラストっていうのは、それだけで有意義なことだよなーと。スレッタは死が罰であり、スレッタの死がミオリネの罰って展開にならずに、罪と罰を受けたスレッタとミオリネの二人が未来のために、ある意味ではもしかすれば贖罪に近い形で二人が手に取り、世界の未来と一緒に歩むというラスト、それは希望に溢れているというのは最高のハッピーエンドじゃなかろうか。
それが罪と罰を互いに共有し得た二人だけに許された誰も心の奥底まで介入できない二人だけの関係なんだよな。スレッタが死んでたらミオリネも死んでたな。って思わせるような二人の繋がりを感じた訳でさ。
互いの罪と罰を誰よりも理解して赦し合ったからこそスレッタとミオリネは二人で未来に進む互いに誰よりも同じ感情を理解し合うからこそ共有し合うからこそスレッタはミオリネを、ミオリネはスレッタを理解しているし、今までのカップルだと許しをもってしても別離を迎えてしまう中で、二人で一緒に世界の未来に進む手段を得ることができたのはキャリバーンを使った呪縛からの解放だよねーと。
「進めば二つ」の呪縛から「欲張りだから全部欲しい。」呪縛を断ち切る、そのスレッタの思いからキャリバーンが反応してエリーを動かし奇跡を起こして全てを掴み取った。それが今まで別離が多かった、この手の百合アニメの中で最高位の奇跡を起こしたのだから時代の変化と同時に、この我儘は許されるという感動を得た。
そんな感じで、最終回、ある種の、これはガンダム00と逆襲のシャアのアクシズショックの再現でもあり、ガンダムUCでもあると、歴代のガンダムのいいとこどりをやってうまく全部、オマージュして調理したなーっていう、そういう印象が物凄く強いわけでござーますけどね。
そして、スレッタを迎えに行くのはなんやかんやで、ミオリネっていう構図はありがたい。所謂、キスとかにもっていったほうが良いんだろうけど、あえて、あれをチョイスしたのは強い。深夜じゃないから、本当ならセックスを描いた方が手っ取り早くはあるんだろうけどwキスとかもやらないし、宇宙でキスするわけにはいかないしな。ある種、ガンダムにおいて、あの宇宙でハグし合うっていうのは、そういうことでもあるんですよね。一種の、あれは個人的にセックスやキスのメタファー的な部分として見ているわけですからね。
まぁ、ガンダムで宇宙で愛を感じさせるなら、これが一番美しい構図ではあるよね。
宇宙のシーンを、あそこで締めたのは、F91っていう作品自体が「目覚めよ宇宙。" ガンダム "新時代-第一章」っていうキャッチコピーがあって、スレッタとミオリネの戦闘の後の邂逅の令和の一発目のガンダムの最後の宇宙のシーンでF91の、このシーンを持ってきたのは狙ったなーって思ったよ。実質、水星の魔女はガンダムの新時代第一章と言う言葉に相応しいし。ついでに、F91におけるセシリーの花って、あれ「百合の花」ですから。つまり、そういうことですよね。
まぁ、そういことを思いつつも結局、ガンドの未来とか、そういうのは描かないんだろうなと。やっぱり、そこはガンダム0083方式で行ったかと。
ただ、宇宙世紀のああいうのよりも良いのは、0083みたいに戦いが終わっても世界はどうのこうの……っていうラストになるとは思ったし、そういう感じだったけど違うのは水星の世界は良い方向に向かっているのが良いかもしれないわね。
ガンドの未来とか、所謂、戦いの後のごたごたとか、結局、そういうのはどうなったんやろうな?とか思ったりもしたけど、まぁ、ああなるのは仕方ないのかね。
あれで、またガンドの未来とか、株式会社ガンダムとか、ミオリネは結局、あれは何をしているのかとか、そういうのは妄想に任せた方が良いんだろうな。言葉にして描いたら蛇足になりそうだし、スレッタとミオリネの物語として見るなら、あれほど綺麗なラストはないしな。
結婚指輪ね!!!!!!!!!
まぁ、そんな感じで、あれなんだろうな。
2クール目、最終回が「祝福」の歌詞だったんだけど、思えば、そこは牙狼と同じで実は歌詞がネタバレだったという、そういうスタイル、良いよね。所謂、2番の歌詞に「逃げる様に 隠れる様に乗り込んで来たコクピットには泣き虫な君はもう居ないいつの間にかこんなに強く これは君の人生 (誰のものでもない)」っていう歌詞があるんだけど、あぁ、二期の物語って、これだったな。っていうのを感じるわけですよ。
あぁ、そういうことか。っていうw
謎の納得感w
ガンダムでウテナをやるということで、ウテナのラストが結局、ああいう感じだったからどうなるんだろう?って思ったけど、今の時代らしいよね。所謂、それが美しいとすらされていた時代の中で、別離で終わらせず、ちゃんと二人で歩いていくラストが見れたのは良かったね。
結婚式とか、そういうの描かずに明確に二人の関係の終着点を指輪のシーンで魅せるっていうのはやってくれたな。
曖昧に描かず言葉にせず画で帰結させる。
あの時代、ウテナで出来なかったことをやってくれたこと、あの年代から20年以上経過して百合的な描写が、ガンダムで、それをやると、どこまでできるのかっていう、あの時間にウテナ悌なことをやると、どうなるのか、どこまでできるのか、どう変化していったのか。
それが良く解るような感じでもあったね。
あの憑き物が落ちたようなラストも、やっぱり、ウテナでもあったから、最後までそういうオマージュだったんだろうと。なんやかんやで、∀ガンダム以降のガンダムを素直に楽しめなかったの自分としては、水星の魔女は純粋に素直に楽しめた。
戦闘後の二人の邂逅をF91のオマージュにもっていったのは、直接的にキスなどの直接的な表現で見せないスタッフなりの、スレミオの愛の伝え方なんだろうとは思う。あのシーンは一種のセシリーとシーブックのキスやセックスのメタファー的な部分はあると思うんで、やっぱり、それをスレミオでやる。っていうのは、そういうことなんだろうなーと。直接的に描かず、観る側がそれを感じ取れる絶妙な演出加減が良いですよね。個人的には精神的な繋がりが強く感じられるのですごく好きです。
スレッタがミオリネを部屋から連れ出す時の手繋ぎも、これは…!って感じで大変良かったです。あの部屋からの演出から、セックスを描かなくても二人の精神的なつながりはあまりにも、キスをせずとも、その描写だけで分かる。っていう演出を、まさかF91のオマージュでやる。
F91を見てると、このシーンでどれだけ心をぐっと捕まれるか。っていうのがあるから、狙ってたとしてもいいチョイスだよなwっていうか、もう令和だからこそ、「ウテナからの卒業」または「ウテナからのブラッシュアップ、昇華」っていう部分もあって、ある種、これはウテナと言う呪縛からの解放でもある気がする。レガリアや神無月の巫女、まどマギとかで描かれてきたものが、プリキュアとか、そういうのを描かれてきた中で、今、水星の魔女でここまで昇華できた。っていうのは、時代の進化、百合と言うものがここまで出来た。っていうのを感じる。
今、それで、こういう見ていて気持ちの良いラストにしたんじゃなかろうか?っていうのも割と感じる。罪を犯した者は、皆、報いを受けたからこそ、ああいう感じになったんじゃなかろうかと。
そんな感じで、何度も言いますが正直、∀ガンダム以降のガンダムって正直、心の底から素直に楽しめた作品ってないんですよ。自分の中で。SEEDも種死も、なんか、あのキラツエー感が嫌いで、なんか、もう宗教で嫌いだし、00も、やっぱりお話に穴があって、今、あれば、まぁ、こんなもんだろうっていうのは思うけど、やっぱり、なんか、なーって思うところがあって。AGEは問題外。UCもUCで好きではあるんだけど、やっぱり、何処か思うところは出ちゃうし、鉄血もそうだし、ビルドシリーズも正直、面白くないと感じていたところもある中で、水星の魔女は百合っていうのもあったんだろうけど、でも、それ以上に楽しかったね。うん。
なんか、年を食ったっていうのもあるんだろうけど、まっさらな気持ちで純粋に楽しめた。
まぁ、やっぱり、他のガンダムと同じように丸投げした部分はあったとはいえ、なんか、もうそこは好みなんだろうなwっていうの改めて感じましたよ。
まぁ、楽しかったです。
本当に。はい。
ある種、水星の魔女は、この手の少女同士の物語において出てくる「ウテナっぽさ」って呪縛に対する解放なんじゃなかろうかと。
この手のアニメになるとハッピーとは言い難いラストを迎える作品が多かった中でスレッタとミオリネが幸せに暮らすラストはウテナからの解放なんだろうな。
今まで、そういう作品があったとはいえやっぱり話題にならなかったから、改めて、そういう時代の百合作品の要所要所を取り合わせて、それをガンダムっていうデカい媒体で、そういう「ウテナっぽさ」からの解放をした。っていうのは非常に有意義なことではあると思うんだ。
それが、スレッタとミオリネの二人が意識革命を起こした二期の中盤でもあるし、母親に捨てられたことで、色んなものに触れたことで導き出したスレッタの答えである母からの言葉である「進めば二つ」の呪縛から解放されて「欲張りだから」って自分の意識を表に出すこと、それを実現させてミオリネと一緒に未来を進むラスト、これは、ある種、ウテナや神無月の巫女を通して、そういった作品から時代は進んだ、ある種、そこから続くルーツの最新作であると同時に正当な現代の時代では、これが正しいという形で実証した、正当な進化を辿った作品いうことは間違いないんだろうな。
スタァライトからの、こうして実際に殺し合う作品で、これをやる。っていうのは、やっぱり、凄いことではあるんだよなーと。
っていうのを改めておもったよ。
あの時代、ウテナが、少女向け作品に対して革命を起こしたように、水星の魔女は、さらに、ウテナ的な作品に対して革命を起こした。
そう言う作品でもあるんだよな。
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※いつにない長文ご容赦下さい
人類は戦争を止める事が出来る。但しそれは、身内を殺した相手を許せるか否かにかかっている…とは最近放送された戦争ドキュメンタリー番組の一節ですが、そんな理想論を体現した様な最終回でした。
カンフー映画の巨匠、ラウ・カーリョン監督は「悪役を殺すと反省させられなくなる」という理由で敵を倒しても殺す描写はなくしたとか。水星の魔女のスレッタは最終戦で誰も殺さずに解決!の離れ業を見せました。
(敵を殺しまくって自らも壮絶に散る『鉄血』はもう一人の巨匠、チャン・チェ監督のテイストに近いかも)
百合的にはやはり宇宙での抱擁と、指輪の件ですかね。2人笑顔で手を取り合う所とか良かったですね。
制作陣にとっても、ガンダムというビッグネーム故のある種の呪縛との戦いだったと見受けられます。
しかしそれは、視聴後の反応やプラモの売り上げを見るに、十分報われたのではないでしょうか。
ガンダムで百合だよ、観ようよ(意訳)という月さんからのお声掛けがあった事に深く感謝申し上げます。
| kwai | 2023/07/06 00:41 | URL |