こうしてライブ的に全国でネットで繋がった状況で見ると一番面白い映画であるような気がする。
テイストとしては1984や、1954ゴジラを現代にリメイクしつつ東日本大震災への復讐と言う隠し文句があるような気がしてならない、この映画。
「ゴジラ、まさに神の化身ね。」
って部分が、良い感じに「現実 対 虚構」って言葉をよく表していると思われ。
いや、本当にね。
後、絶対に庵野監督、劇場版パトレイバーの設定をオマージュしただろ。って言いたくなる部分があるから、今、シン・ゴジラ を見た人は、一度でも良いから、ちょっと、マジで劇場版パトレイバーの第一作目を見てほしい処ですよ。あわよくば会議のシーンはパトレイバーⅡを参考にしていると思われるので、そこも是非。
色々と似通った設定とかありますからね
さらに言えば庵野さん特有の現実にウルトラマンがいない世界で、ウルトラ怪獣が出てきてしまったらと言う「ULTRAMAN」とは違うスタイルで一番リアルな世界を描いたのが、この話だと思う。何気に庵野さんの話ってウルトラマンが絶対に存在しない状況で、ウルトラ怪獣が現場に出たら人類はどういう手段を取る?的な、そういうシチュエーションの話が多い気がする。
トップをねらえ!、ナディア、エヴァ何て代表的なところで、ただ、そういう作品は架空の兵器があるからこそ、成り立つ中で、このシン・ゴジラは、そういうの無いからね。今更だけど23世紀のメカキングギドラの技術を解析してメカキングギドラ以上の戦闘力を持ってさらにはゴジラを殺すことが出来る巨大ロボット(一応は艦艇)、メカゴジラやMOGERAを作った、VSシリーズの20世紀の科学者って普通に凄いよね。
Gフォーススゲーな感じでもあるけど。
そして、Gフォースに与えられた出鱈目な権限感を感じるよね。
庵野さんの趣味ってのはあるだろうけど。
どこかしらで帰ってきたウルトラマン要素を強く入れるよね。
ビームを打ってからの日本とアメリカの政治家同士のやり取りなんて帰ってきたウルトラマンのMATの隊員と軍の上層部のやり取りそのもの―って部分があるしね。
あの、詳しくは帰ってきたウルトラマンの5,6話参照。
東京を焼け野原って思えば帰ってきたウルトラマンで軍部がグドンとツインテールの話でスパイナーって兵器で街ごと怪獣を焼き払う。って話があるんだけど「ゴジラを凍結させる」ってのはグドンとツインテールの話を急ぐ上層部と、別の手段で解決しようとするMATの図を現代に日本とアメリカという構図で持ち込んだ感じが凄いある。
ついでに言えば、あの石原さとみが演じる人が竹野内豊の前では英語だったのは日本に主導権は渡さない。ってことだそうです。
「ゴジラより怖いのは私達、人間ね」
って台詞は、庵野さんの大好きな帰ってきたウルトラマン的な要素を感じるしね(つ・ω・)つ
その他
東京に原爆を落とす。って計画があったけど、ここら辺のくだりは、そういうifの歴史を組み込もうとしている感ある。
同時にアメリカと日本の、この手の作品の違いが良く見える。
たとえばアメリカはギャレゴジでも見せたように核ミサイルですぐに駆除しようとする。
日本はまず、これを災害としてどうにか抑えようとする。(ヤシオリ作戦)
そういう部分が見て取れる。
元より核の落とし子であるゴジラに核ミサイルを打ったところで、あれなんですけどね。まぁ、そこは、1984ゴジラで戦略核を試したいとか、どうのこうのと言う台詞があったけど、すぐに核ミサイルを撃ち込む設定は、そういう要素もありそうだわね。とはいえ、このモンスターに核ミサイルを撃つことは危険だけど。作中では、それを知らないしね。ギャレゴジでも、撃ったけど死ななかったという。
思えばゴジラ映画って、たいてい、アメリカかロシアがいらんことをして面倒なことになるけど、その伝統はシン・ゴジラにもちゃんと受け継がれてるんだよなーって今更思う。
ついでに、第三形態の時に迎撃してたら普通に勝利は出来てたそうだけど、あそこで国民の犠牲を払って撃ってたら結末、変わってたらしいけど、そうなると、そうなったで、あの総理はマスコミからとやかく言われそうな感じがしてならない。
シン・ゴジラは前の本来の感想でも言ったけど夜の熱戦シーン以降はご都合主義を隠そうとしないシナリオの展開が個人的にキライです。
帰ってきたウルトラマン要素を感じてもキライです。あそこで東京に鎮座するゴジラは、もう絶望をもたらした荒神から物語を動かすための舞台装置になっちゃったのがどうもね。
そりゃ、人の作る物語だから、そういう部分はあるけど、それを気にさせないほどの物語を作ってほしい訳で。
でもゴジラが熱線を撃った後にゴジラがよっこいせ。って感じで休んで、ついでに、その間に明確な対策ができる。って、おいおいおい!
ってなるのよ(・ω・)
ついでに毎度毎度、気がかりなのは、あの凍結したゴジラは最終的にどうするつもりなのかね?とか、そんなことを見終わるたびに思う。
いや、ほら、なんか、色々とあったじゃない。
ようは、その先なわけですよ。
あの凍結したゴジラの行きつく先にあるものが気になる訳ですよ。
さて、まぁ、やっぱ気になったのはですね。
シン・ゴジラはさっきも言ったけど夜の熱戦シーン以降はご都合主義を隠そうとしないシナリオの展開が個人的にキライです。
帰ってきたウルトラマン要素を感じてもキライです。あそこで東京に鎮座するゴジラは、もう絶望をもたらした荒神から物語を動かすための舞台装置になっちゃったのがどうもね。
そりゃ、人の作る物語だから、そういう部分はあるけど、それを気にさせないほどの物語を作ってほしい訳で。
でもゴジラが熱線を撃った後にゴジラがよっこいせ。って感じで休んで、ついでに、その間に明確な対策ができる。って、おいおいおい!
ってなるのよ(・ω・)
あれ自体がゴジラが己の体温を冷却するため―って言われてるけどね。
元より、百度以上あるから、それは冷却しないとやばいだろうけどさ。
個人的に、あそこで鎮座せずにゴジラが日本を蹂躙しながらも、ついでに私が住んでる街をもぶっ壊しながら裏で主役勢が頑張って日本が瀕死状態になるギリギリの中で対策が出来て人をかき集めるような、そういう展開が個人的に欲しかったわけで。
自分の中では前半の絶望に比べると後半がお粗末に感じる
結局、自分の中ではVSシリーズのゴジラが根幹にあるからこそ、荒神ではなくなって物語の為の舞台装置になってしまった、あのゴジラが許せないという結論に落ち着く。
シン・ゴジラと違ってマガオロチに関しては舞台装置的な物を感じなかった理由はウルトラマンオーブを倒してしまった。と、言う部分が生み出した恐怖から来るものだと思う。
未知を倒すのであれば未知の力しかない。
しかし、本来、正しき行いをするはずの未知の力が倒されてしまったという実績はデカい。
もしゴジラがオーブを倒して東京の街に鎮座してたら、その絶望感は自分の中では物凄い状態になってた。
あの映画におけるゴジラの役割は「2011に起きた大震災への架空の復讐」と言う部分から生まれたただの災害だからこそVSシリーズで見せた荒神としての部分がすべて消えてしまったのが個人的にはダメだったんだろうな。って思う。
自分の中で、ゴジラって、そういう部分をも超越した怪獣の神だから。
怪獣の神と言う存在である完成された形だからこそマイナーチェンジを繰り返しながらも明確に形を変えることなく完成された一つの姿で戦うからこそスペースゴジラやメカゴジラ、モスラとバトラ、ビオランテにキングギドラなんて強豪と勝利することでカタルシスがゴジラには恐ろしさと共にあったわけで。
生命の神秘の力の前において人類の叡智の結晶であるVS版メカゴジラは敗れ去ったわけで。
怪獣の神でありながら未知の災害のままで終わらせてしまったのゴジラと言う存在は自分の中で色々とね。
とはいえ解らないからこそ、何故、東京に?って謎が明確でないからこそ、そこに不気味さがあるのは解る。
とはいえ、シン・ゴジラのスペックそのものはまさに庵野監督が口にした「完全生物」、「神」そのものに近い存在と言っても良いんだけどね。
だからこそ、もっと掘り下げてほしかった部分はあるんだよね。
シン・ゴジラの進化の過程は登竜門のようなものでもあるしね。
でも下手に続編を作ると崩れる。
だからこそ凄い魅力的な設定を与え無かった災害以外の意味を為さなかったシン・ゴジラのゴジラって凄い自分の中では「……」な存在になったりしたのよね。
とはいえ、ギャレゴジに比べたら個人的には遥かに好きだけど。
もし次があるのなら人類の愚かさを嘲笑する荒神としてのゴジラがクローズアップされるんだろうけど、あのゴジラの物語はとても繊細な要素で成り立っているからこそ下手に続編を作ると壊れてしまいそうな感じがあるね。
やっぱり人間の千枝すらも嘲笑いながら街を闊歩するのが怪獣だからこそ、いくら未完成とはいえ、ラストに人間の手玉に取られて凍結されるのは見たくなかったのはあるんだよね。
さらに言えば、あの後、あのゴジラは怪獣の衣を捨てて巨神兵のようになるらしいけど、それって、それこそ今の仮面ライダーで言われているように「ゴジラの名前を冠する必要はあるの?」って個人的にはなるし、あの姿だからこそ。っていう部分がね。
まぁ、色々とある訳ですよ。
怪獣や超獣とか、そういう衣を脱いで怪獣の神ではなく、それこそ生物の神そのものになるのは、僕としては、そんなゴジラは個人的に見たくない。
抗核バクテリアすらも克服して、怪獣のまま、人類を見つめては怒りを交えた嘲笑の表情を浮かべる。
あくまでも人の目線に立つ。って言うのはおかしいけど、人間の我欲を洗い流す、人に戒めを与える怪獣の神、破壊神、荒神であってほしい。まぁ、荒神っていうのはシン・ゴジラでも言われていたけど。ただ、そういう魅力的な設定は災害としてしか見ていなかったのは辛かったですけどね。急がないとヤバイ状況だったとは言え。
あぁ、そうそう、野村萬斎がゴジラの手のひらを上に向けた理由って完全生物であるからこそ仏、所謂、神をイメージしたそうですね。
実際に神の化身と言われているのにね。
でも作品の中では、それは単なる言葉遊びで神でも何でもなく厄介な災害であるとしか描かれていないのがね。その神を通して何を思うのか。そういう部分が無いのがね。
ただ、やっぱり、そこまでの設定を作って人間に、ある意味、屈する……ってのは、ちょっと、惜しいところあるね。
常に人を嘲笑して、そして海に帰っていく展開がね。
やっぱ、自分の好きなゴジラだな。って改めて思ったりした。
もし、これ、次回作があるなら米露がゴジラの細胞を盗んでキングギドラとか、モスラを作る。って展開が来そうだなー。
まぁ、それはそれで凄いみたい。
とはいえ、現状の日本人受けする日本人の心をくみ取ったゴジラであることは間違いないんだわね。
だからこそ海外では失敗したんだろうけど。海外からすれば、こっちの事情を知らない状態だしね。
まぁ、でも、後半、思うところはあれ、それでも楽しい部分はちゃんと楽しい映画ではあるよね。
ゴジラは未来に栄光をもたらす福音みたいなことを言ってたけど、あの凍結されたゴジラは、これから長い年月をかけて解析されるんだろうなーって思うけど、ヒートアイランド、コンクリートジャングルの象徴である日本で、あの凍結は大丈夫なんじゃろか?とか思うけど、そうなれば再度、血液凝固剤かな。
恐らくゴジラの中にある福音という名のシステム=日本神話で言う草薙の剣ということになるんだろうね。
ゴジラの細胞を人間に植え付けてビオランテのような怪獣の制作なんてのも、あの世界ではふつうにやりそうだ。
思えば終盤、一気に攻撃を畳みかける。ってのは、これ空の大怪獣ラドンのオマージュだよね。
あれは最終的にラドンの住処にミサイルをバカスカ撃ちまくって火山を噴火させるとか、なんか確か、そういう終わり方だった気がする。それまでのシン・ゴジラにおける葛藤とラドンの人間描写がよく似てる。