2023.05.31 Wed
ULTRAMAN FINAL SEASON
完!!
だが闘いは
つづく!!!
って感じで良いんですかね。進次郎のドラマとしては一区切りついたんだろうとは思う。んで、原作でもそうだけど自分に与えられた力の意味、ウルトラマンの力とはと、そういう部分で、神山荒牧監督が、どういう風に決着をつけたのか。それは、えらく単純なものであるけど、あれはあれで納得と言うか、実にウルトラマンらしいものなんだよな。まもりたいものがいるからこそ、ウルトラマンはそれを力に変えることができる。「誰かを守りたいと思う心。俺に限界を超えた力を与えてくれる!お前が捨てた力だー!!」って、ウルトラマンオーブで語られたように、「あきらめるな! その勇気で! 限界を超えろ!」そういうことなんです。
それが良い感じに進次郎とレナのボーイミーツガールに繋がっているような感じもします。
この物語の根幹にあるのは当然、ウルトラマンの力、そこから広がる地球人の中にある英雄としてのウルトラマン、いわば、ウルトラマン信仰、英雄の力が持つことによって生まれる信仰。
ウルトラマンが人を好きになってしまったからこそ生まれてしまったウルトラマン信仰、それを打ち砕くために新しいウルトラマンを作り、それによって未成熟な人間がウルトラマンになることで人がウルトラマンの力を手にすることで起こりうる最悪の事態を引き起こすことで人から信仰を破壊しようとする星団評議会。ウルトラマンと言う存在が絶対正義ではないという部分、ある種、怪獣や異星人を殺す殺人者として絶大な力を振り回すウルトラマンっていうのは星団評議会からすれば自分の正義に酔ったやばい連中であるっていう部分があるからこそ、地球人を真に仲間として迎え入れるために、このような言ってしまえば進次郎を犠牲にした茶番を引き起こす。
実は、進次郎と言う存在は人身御供と言うことでもある。
それによってウルトラマン信仰が抜けきった地球人は真の意味で星団評議会に迎え入れられるという話のはずだった。しかし、一人の少年が人身御供になるということに対しては正義ではないはず。何気に今回のアニメ版ULTRAMAN の黒幕はエドだったりするしなー。そうすることで、ある意味、小さな犠牲をもって地球を大きな正義で守ろうとするということ、それは正しいことなのかどうなのかっていうことにもなっている。
そして力を持ちすぎた英雄と言うのは常に政治に殺される。何気にファイブスターで語られた言葉ではあるけど、まさに、言うなれば、そういう事態なんだよな。
地球人に英雄視されるウルトラマンと宇宙の平和を司る星団評議会。しかし、その正義のために地球の都市をゼットンで焼き払おうとするエドたちと、それに対して必死で抗おうとする進次郎たち、自然と応援したくなるのはウルトラマンであったという話。ましてや本当のウルトラマンではなく明らかに人が作ったウルトラマンであって、それでも、人のために戦えば、その姿は明らかに機械的であろうとも人の中では、ウルトラマンなんだよな。空を飛んで、スペシウム光線を撃って宇宙人を討伐すれば。
そして、初代ウルトラマンことベムラー、地球人を愛しすぎて肩入れしすぎたウルトラマンということ、「そんなに人が好きになったのかウルトラマン」と言う言葉の通り、地球人を愛しすぎてしまったがゆえに生まれてしまった事件であるということ、それを思うと、初代ウルトラマンの、これまでの行いは自分一人に責任を感じてしまった贖罪でもあるという、そういう物語として、これは描かれていて、彼なりに早田を愛し、そして、その早田の子供まで苦しませてしまったからこその、彼の贖罪っていうのは見ていてつらいものがあったな。
ある意味では、ベムラーは、初代ウルトラマンは地球人を愛する心すらも星団評議会の正義のために利用までされてしまったんだからなー。それでも、彼は最後まで地球人を愛する地球人のために命をかけて早田を助けるシーンは正直、泣きそうになってしまった。
そして、これは、正義と悪の戦いの物語ではなく正義と正義の戦い。
確かにやってることはあくどいけど、それでも、彼らからすれば宇宙の絶対的な平和のためでもあるし、人は正義のためなら、どこまでも残酷になれるというのが、良く解るようなスタイルにもなっている。
王道を貫き悩むウルトラマン達と、覇道を貫き正義と平和を作ろうとする星団評議会の差と言うのは見ていて考えさせられるところでもある。何が正しいのか、終盤で進次郎の暴走やザラブ星人モチーフの宇宙人を使って見事にウルトラマンへの侵攻を失墜させる中で、進次郎は、何故、ウルトラマンが愛されたのか、そして父のルーツは何なのかと言うのを探すことで自分がウルトラマンであるという理由、そして、何故、ウルトラマンが愛されているのかと言う理由を探ると同時に、見つけた答えは非常に単純だけど大事なことなんだわ。
そして、この答えの源って思えば、大いなる力に振り回された巨神を操る少年少女のドラマである伝説巨人イデオンで語られた言葉を思い出すようなラストだった。
「この世のことは単純であり、単純でなければならぬ。」
ズオウ大帝が語った言葉です。
シンプルイズベストなんですよね。さんざん悩んでそれかよってなるけど、でも、人って、そんなもんだよなーという処でもある。ユウキ・コスモの「こだわりがありすぎた」
だからこそ、進次郎はレナと言う大事な存在がいるからこそ、一般人が自分を信じてくれなくても、レナのように自分を信じてくれる人がいれば、諸星たちの様に自分を信用してくれる人がいれば、その人たちのために戦える。っていう、その思いが多くの人を動かすという。
何気に、誰かのために頑張るウルトラマン、ヒーロー、それが多くの人を動かして、進次郎のウルトラマンスーツが進化する。っていう演出は、良かった。
あそこまで、1クールほとんど使って進次郎が暴走して悩んだりした甲斐はあって、ちゃんと、その間に面白いシーンも挟んでいるし、ハートフルなドラマも入れるから良いんだけど、それが、鬱陶しいと思う人もいるかもしれない。やっぱり、人って一度、振り切った悩みに対して、再度悩むっていうのは、嫌う人がい多いと思うんですよ。現に、それで仮面ライダー鎧武は正直、好きではなかった。
ULTRAMAN も、やっぱり、それはあったんだけど、でも等身大の普通の高校生が突然、人身御供となってウルトラマンの力を与えられるってなると、こうなるのも仕方がないことなんだろうとは思う。
そして、人から迫害されるんだから、思えば、鎧武よりも結構、個人的には精神的に来る環境ではあるんだよな。ついでに言えば、科学特捜隊からも色々と言われている状況な訳だから。
そこ行くと、進次郎の気持ちっていうのは結構、辛いよなー
だからこそ、まもりたい人、自分を常に信じてくれていたレナのために暴走する進次郎、そして父から真相を知って自分も進次郎を守るために頑張ろうとするレナ、良き男女の関係ですよ。若いから、まだ10代後半に入ったばかりの小僧ですよ。それが感情的な部分をセーブするのは、やっぱり自分を信じてくれた人が危ない目に合うと暴走してしまうということ、その心理を上手く使って最悪の事態を引き起こすというのは、それだけ子供と言う存在の操りやすさ、水星の魔女のプロスペラの口車に乗ってしまう子供たちと同じ構図なんですよね。
そういう事態になって多くの人から今まで守ってきた人たちに迫害された部分が、10代の少年に乗っかるっていうのは結構、きつかったろうなーと。ウルトラマンでたびたび描かれてきたウルトラマンの暴力によって苦しんできた人たちや、そういうものを、ある意味ではここまで真摯に描くかと。
そういうドラマ構成なんだよな。
そんな中で、何故、じゃぁ、人はウルトラマンを応援するのか。
それは、やっぱり、ウルトラマンがいないと、あの世界って宇宙人や怪獣に好き勝手に破壊されるんですよね。しかも怪獣は下手すれば、人間の業で生まれてしまうものでもある。その人の業や罪を背負ってウルトラマンっていうのは他の星から来て戦ってくれている。
身勝手ですよ。
人間っていうのは。
今まで守ってきたのに、いざ、危険ってわかれば手のひらを返してウルトラマンは悪魔だ。って叩く。
それでも人間に失望しないでウルトラマンは人のために、人の業や罪を背負って戦う存在なのだと思えばね。
レナと言う自分を信じてくれた人のために、それに続いて多くの人が信じてくれる人が傷つくのが死ぬのが嫌だから、進次郎は立ち上がり、ウルトラマンとして戦うことができた。
そういったシンプルな理由なんですよね。そうしてシンプルに強く、戦うことができた訳ですよ。
ゼットンが出てもウルトラマンがいるから、ゼットンを応援しちゃう民衆、例え、それで街が火の海になろうとも、ウルトラマン信仰が崩れてしまえば……
それでもウルトラマンは愛する人のために戦う。それが、人の気持ちを動かすっていうのは実に王道で良いよな。
この作品ってある意味では帰ってきたウルトラマンから始まったきわめて人間の負の部分、力に対する代償という処に踏み込んだ人間ウルトラマンなのだろうというのが改めてわかる。
当然、「ウルトラマンの力」がseasonⅠからの全体的なテーマである分、覚醒の兆しと同時に進次郎が終盤まで悩むから現代的なカタルシスを望む人からすると、そういうドラマ運びに鬱陶しさを感じる人が出るかも原作でも、進次郎はしょっちゅう、悩んでたしなーそういう意味でも、あの作品はどうのこうのっていう人もいるし、そこが合わない人は正直、ファイナルシーズン、合わないだろうなーとは思うけど、個人的には、やっぱり、そういうテーマにちゃんと向き合っているからこそ好きだし見てほしいな。とは思うんですよね。
やっぱり、好きだな。
都市を破壊できるほどのウルトラマンの力を手にしてしまった少年が持ってしまった苦悩、それを少年の成長物語としてウルトラマンと掛け合わせるのは良かったですよ。
思えば、陸とかは、簡単に受け入れすぎてる部分もあるからなw
そんな感じで、このファイナルシーズンだけど、星団評議会自体は消滅してないし、一個の危機が過ぎ去っただけにすぎない側面もあるので、まだあるならやってほしいですね。
ここから、アナザーユニバースのウルトラマンと繋げることもできると思うので、そういう意味でオリジナルの話をやっても良いとは思うし、まぁ、楽しみですよ。
| アニメ・漫画・小説感想 | 00:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑