「やがて君になる」の最終巻、読み終わった。
スゲー満足のいくラストだし、スゲー、こう、やっぱり「やが君」の中にある凄さって言うのは、この年代の等身大の少年少女の中にある恋愛価値観って、まさに、この二人と同じで、その恋愛アルアルの共感性をドラマチックに百合として描いて昇華する凄さ。
「やがて君になる」って作品は、設定が複雑とか言われているけど、でも作品の芯を辿ると非常に王道で単純の恋愛漫画だからこそ、その奥にある文学的な心理描写が面白いものとして、そこに突き詰める、それが百合の一番の互いが女同士でありつつも好きになっていく過程の面白みに非常につながっているんですよね。
複雑に見えて結構、単純な一本道だからこそ、その描写が作者の手によって、凄い秀逸なものに磨き上げられたからこそ名作として世に出ているんですよね。
そんな彼女たちが結ばれるというのは、また人として、それが成長の一歩であるものだから、彼女たちが拗らせていた、所謂、中二病に近い恋愛観って殻を壊して「この人が好き」であるということになると、なりふり構っていられなく瞬間、これは、また思春期からの成長でもあるんですよね。
そうした二人が結ばれていく、言ってしまえば、恋愛漫画と言うジャンルで言えば、これは古典的な恋愛漫画でもあるんですよ。
でも、そこには、確実に神無月の巫女や、ストパニや、そういう名作と呼ばれる血筋を確かに感じる部分があるんですよね。
「やがて君になる」
って作品はね。
それを百合漫画に昇華させたことによって、さらに、その繊細な登場人物の描写によって実に美しい百合作品になったというのは、もう言うまでもないわけですよ。
結局、citrusとか所謂、百合姫で長く続いてる作品の、そこらに比べて変に脚色をすることのない等身大の登場人物がまた共感性を呼ぶ訳で。
この作品の何が凄いって奇をてらった部分が何一つないのに純粋な人のリアルな感情のやり取りで、ここまで名作を仕上げることが出来ることに対する凄さですよ。
改めて古典的でありつつも新しさのある百合と言うかね、そういう部分を現代にブラッシュアップさせて、それで勝負して勝った凄さよね。
なんかねー。
読み終わった後にさ。
「あ、歴史が一つ終わってしまったな―」って気分になったね。
そうさせるほどの、そう思わせるほどの力って言うのはあったよね。変に主役カップルの障害になる男を出さずに、それでも異性を出しつつお邪魔虫にならないスタイルを貫いて、こう言う作品を完成させる。だから、不快だったり嫌いなキャラクターは一人もいなかったりする。
そのすごさってあるよね。
王道の恋愛漫画を突き詰めて百合に昇華させたからこそ、少女達の心理描写は凄い大切なものになる中で大胆になりつつも繊細で美しい百合漫画として、この世界に生を受けて、改めて、それが終わってしまったという現実が嬉しいと思いつつ、あぁ、最高だった。って感じでね。
あぁ、終わってしまったんだな―。
「やがて君になる」
って言う、その実感ね。
ある種、このタイトルの意味を考えると、やっぱり、恋をする人、そういう道を通ってきた自分たちになるって言う、そういう意味でもあると思うんですよね。そして、同時に侑と澄子の未来の姿の意味だと思うの。
改めて「不快な男を出さない」で、ここまでのものを作る凄さ。
そんな露骨なものを出さなくても少女達の恋愛って言うのは、こんなにも盛り上がることが出来る。
こんなに凄いものが出来るんだ。って言う、証明でもあるよね。
それこそが「やがて君になる」って作品が百合作品の歴史として、ここまで話題になった作品の強さだと思うのよ。
そういうのを出していたら「やがて君になる」って作品は壊れていたと思うし、あれがちょうどいいバランスでもあるんですよね。
真面目な百合作品になるほど、そういうのを出せって声をSNSとかでよく聞くけど、そんなことはないと作品で証明してくれた作者の力量には感謝しかない。
そういうことをしなくても、こう言う作品は出来るんだという、その証明になったというのは凄いよね。
やっぱり、「やがて君になる」の凄さって、そこなんですよね。
佐伯先輩も、あの、新しい女が出来たようなので、幸せになることを願っております。
本当に綺麗なまま、間延びせずに終わった。
それで、不思議なものなんですけどね。
「やがて君になる」の単行本を読んでいると、「あ、このシーンは「サカナクション」の「School food punishment」の[ALEXANDOROS]の「UVERworld」の……あの曲だな―」って思うと自然、音楽プレーヤーから、それが流れてくるんですよね。
あ、もう、これだわ。
ってなるね。
やっぱり、去年の「スタァライト」もそうなんだけどさ。
「やがて君になる」とかさ。今期の「神田川ジェットガールズ」を見ていると、「あ、今、百合の歴史を見ている。」って、そう言う気分になるよね。
漫画で、そこまで思った作品て正直、やが君が初めてかもしれないと思うのよ。
いや、本当にねぇ。
良い作品だったなぁ。と[ALEXANDOROS]の「FEEL LIKE」が流れる中で「やがて君になる」を電車の中で読み終えて「あぁ、良かった。」そう、こう言うハッピーエンドが良いよね。
って気分のまま終わって、家に帰って、感想を書いていたら、もうこんな時間よ(・ω・)
やっぱり、このラストはさ。
読み終わって「あ、二人、幸せに暮らしてね。」って気分と、二人の幸せオーラを本から視界に映すことで幸福を感じる、幸福のお裾分けと言うか、そういう感じがるよね。「やがて君になる」のラストって言うのはね。
「あ、今、幸せだな。」って言う気分にもなるね。
今だから言うけどさ。
「やがて君になる」の一巻を読み終わった時、「あ、どうせ、いらん奴とか出てくるんだろうなー」とか思ってたんだけど、ぜんぜん、そんなこと無いし、むしろ、そういういらん奴無しで盛り上がる等身大の少年少女達の恋模様に惹かれていく描写は見事だな。って改めて思うね。
だから、こう言うのを見ちゃうと百合姫の名作と言われる、あれとか、あれって個人的にスゲー俗っぽい作品よな。
と、そんな気分にはなっちゃう。
ただ、それだけ凄いってことの証明なんだけどね。
「やがて君になる」
って作品の凄さはね。
どこでもありそうな恋模様を名作にする力の凄さですよ。
どことなく周りの人間関係はドライに見えるんだけど、それでも、ちょっと話の肴になるような、そういうふわっとした、変に絡んでくることのない友人関係とかね。
リアルって、こういうものだよな。
って気分になるし、そんな側面の面白さって言うのはあるよね。
案外、人って、そういうものなのかも。
周りも、そういう「あー、いそうだな。こういうの。」ってキャラを出すスタイルね。
だから、奇をてらったキャラを出さずに、ここまでの作品を生み出す力量を改めて感じ取るね。
良い感じに凄い美味しい麦茶を飲んだ後の「あ、終わった。」って素敵な気分になる作品だったね。
人が狂おしくなるほどに、その人しか考えることが出来ない恋愛感情を百合として通す微笑ましさと、それが、また彼女たちの心境の変化から来る人としての成長に繋がる面白さって言うのが、この作品の中にはありますよね。
人を好きになる凄さ、その思いの強さ、その一つ一つを自覚する全てが丁寧さね。
あ、この始まりからの、この最終回だからこそ、「あぁ、私は「やがて君になる」を追っかけてきてよかった。」そう思えるんですよね。
1から7巻までの不器用な思春期の強がりにも近い恋模様を応援したくなる描写の描き方、それが報われた8巻の最初の話からの、最終回の流れが本当に心満たされたね。
読んでると、やっぱり、こう良い感じに邦ロックが脳裏に流れるような、そういう幸せを感じられる作品って言うのは良いよね。
昔、あさぎ龍先生の少女聖域って百合漫画で「本から得られる知識は半分しかなくて、あとは実践するしかない」って言葉があって、あ、「やがて君になる」って、そういう部分もあるよな。って、改めて読んでいて思ったね。
今までの二人の流れが全て意味を成す大団円という言葉が相応しく、二人の物語の終わりと、これからの二人の始まりを描くラストが凄い好き。
百合の大きな歴史の一つが終わった。って感無量の気分になった。
お疲れさんでした。