はてなキーワード: いのちとは
スパ銭で仲良くはしゃぐ見知らぬ兄弟を見ていてふと思い出したことを書いておく。うちはあんなふうな瞬間は一度も無かったなと思ったところから記憶のフタが開いたのだが。
小学校の頃、同じくらいの年格好の子供がいる近所の数家族合同でキャンプに行くことが何度かあった。当時は別に何ということもないイベントだと思っていたが、今考えると予定調整とか結構大変だろうし、みんな生活の余裕と子育ての熱意があったんだな。
キャンプ場の周りを探検していて10mくらいのちょっとした崖があり、兄弟全員(俺・兄・弟)でそこをよじ登った。そういうちょっと危ない遊びは日常茶飯事だったし親たちも放置だった。80年代は。
俺が最初にてっぺんに近いところまで行ったが、岩肌が異様にもろくなっていて体重をかけたらボロボロ崩れてしまう。登ることも下りることもできなくなった。動けば滑落する。死にはしないが流血と骨折は免れないだろう。
まだほとんど登れてなかった兄弟に、崖の上に回り込んで立木からロープを垂らしてくれるよう頼んだ。しかし二人ともウヒャウヒャ笑うばかりで全く取り合わない。いや本当に頼むからと散々懇願しても無駄で、そのうち二人ともどこかに行ってしまった。
その後しばらくしてたまたま通りかかった子にロープを垂らしてもらって脱出できた。
うちの兄弟はバカだから「今はマジの事態なんだ」というモードチェンジができない。普段の「マンガを見せてやらない」みたいなノリの延長で、こちらが必死に頼むのを無視するのが面白かっただけなのだろう。
俺は弟が上級生に小突かれてたところに遭遇して大立ち回りしたこともあったがなあ。
ネットでもマジな話に場違いに大喜利やめない(しかもネタがつまらない)やつとかいるよな。
最近、うちの母が持病の発作で倒れて救急車呼んだ時も隣んちの「おしゃべり大好きおじいさん」がしゃしゃり出てきて邪魔してくれた。
いのちの営みってことだよね
クソみてえな話が多くてめっちゃおもろい
https://www.aozora.gr.jp/cards/000136/card828.html
いちめんのなのはなの次にこれで作者にハマった。
老木(らうぼく)
「こんなに年老(としよ)るまで、自分(じぶん)は此(こ)の梢(こづゑ)で、どんなにお前のために雨(あめ)や風(かぜ)をふせぎ、それと戰(たゝか)つたか知(し)れない。そしてお前(まへ)は成長(せいちやう)したんだ」
若(わか)い木(き)
おちはあるが救いようがない。
教訓もクソもない。笑ってしまった。
ながらく旱(ひでり)が續(つゞ)いたので、沼(ぬま)の水(みづ)が涸(か)れさうになつてきました。雜魚(ざこ)どもは心配(しんぱい)して山(やま)の神樣(かみさま)に、雨(あめ)のふるまでの斷食(だんじき)をちかつて、熱心(ねつしん)に祈(いの)りました。
神樣(かみさま)はその祈(いの)りをきかれたのか。雨(あめ)がふりました。
沼(ぬま)の干(ひ)てしまはないうちに雨(あめ)はふりましたが、その雨(あめ)のふらないうちに雜魚(ざこ)はみんな餓死(がし)しました。
鳩(はと)はお腹(なか)が空(す)いてゐました。朝(あさ)でした。羽蟲(はむし)を一つみつけるがはやいか、すぐ屋根(やね)から庭(には)へ飛(と)びをりて、それを捕(つか)まえました。
あはや、嘴(くちばし)が近(ちかづ)かうとすると
羽蟲(はむし)が
「ちよつと待(ま)つて」と言(い)ひました。
「何(なに)か用(よう)かえ」
「ええ」
「どんな用(よう)だえ。聽(き)いてやるがら言(ゆ)つて見(み)たらよからう」
羽蟲(はむし)はくるしい爪(つめ)の下(した)で、いひ澁(しぶ)つてゐましたが思(おも)ひ切(き)つて
「あのう……世間(せけん)では、あなたのことを愛(あい)の天使(みつかひ)だの、平和(へいわ)の表徴(シンボル)だのつて言(ゆ)つてゐるんです」
「そして」
「それだのにあなたは今(いま)、何(なん)の罪(つみ)もない私(わたし)の生命(いのち)を取(と)らうとしてゐる」
「それから」
「それは無法(むほふ)といふものです」
「なるほど、或(あるひ)はそうかも知(し)れない。けれど自分(じぶん)は飢(う)えてゐる。それだから食(た)べる。これは自然(しぜん)だ、また權利(けんり)だ」
「えつ!」
「何(なに)もそんなにおどろくことはない。それが萬物(ばんぶつ)の生(い)きてゐる證據(しやうこ)さ」
子供の時、大きくなっても・クラスが別になってもずっと仲良しでいようねって言うけど実際はそんなことなくバラバラになる
でも別にそれが不幸というわけでもなく、自然なことなんだよって言ってるんだよね多分
ただぶっちゃけ最初に読んだとき、死亡フラグみてーに「ずっといっしょにいようね!」って言ってたからこれ最後外に出たら食われたりするんかなと思ったらもっとドライな感じで笑ってしまった
おもろい
莢(さや)の中(なか)には豆粒(まめつぶ)が五つありました。そして仲(なか)が善(よ)かつたのです。けふもけふとて、むつまじくはなしてゐました。
「もう外(そと)にでる日(ひ)が近(ちか)くなつたやうだね」
「はやくみたいなあ」
「外(そと)にでても、此處(こゝ)で一つの莢(さや)の中(なか)で、かうしてお互(たが)ひに大(おほ)きくなつたことをわすれないで、仲善(なかよ)くしませうね」
「ええ」
ある日(ひ)の午後(ごゞ)。ぱちツと不思議(ふしぎ)な音(をと)がしました。莢(さや)が裂(さ)けたのです。豆(まめ)は耳(みゝ)をおさえたなり、地(ぢ)べたに轉(ころ)げだしました。
そしてばらばらになつてしまひました。
そういえば最近AIがイラストとか動画とか凄い進化してるけど、回文は進化したかな?と思って試してみた(ChatGPT)
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🌀 シンプル系
1. 「たけやぶやけた」
2. 「よるもねむいねもるよ」
──夜の眠気を詩的に表した回文。
3. 「しんぶんし」
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1. 「ねこ、かくれた? たれくかこね。」
──隠れた猫を探す飼い主の混乱ぶりが伝わります。
3. 「さかなや、あやなかさ。」
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🌀 意味が深そうで深くない系
1. 「ゆめのなか、かんのめゆ。」
──夢の中で何か見たような、詩的な響き。
2. 「いのちのとけい、いけとのちのい。」
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駄目みたいですね…
惨憺たる結果の小泉陣営、更に投開票前日にもかかわらず祝勝ムードだった「政界の今川義元やんけ」「ドラマとかでやるフラグやないか...」
海道一の弓取り今川義元を知らんニワカかよ。こういうのは登山家馬謖とか生兵法の趙括やろ。
2025/10/07
「海道一の弓取り」。
その最後のやつでも10年以上前だけど、そこからアップデートされてない感じね。
名門なので公家文化も取り入れてるし輿にも乗る。(文弱のデブ、みたいなイメージはここから)
(この規模の大大名なのに戦場で首取られるのは割と珍しい。あとは龍造寺隆信とか?)
でもでも、桶狭間の最期のため・信長家康と対比でsageられたために必要以上に暗愚扱いにされてきたんじゃないか?
当時は海道一の弓取り(東海道一の戦上手)と呼ばれて恐れられたんだ!
義元は有能!
今川家の合戦の大将ってだいたい義元の師僧の太原崇孚(雪斎)がやってた。
つまり「海道一の弓取り」今川義元はそもそも出馬をしていない。
なんか義元ってなんでも雪斎に相談して二人で物事進めてたのね。
雪斎は60歳ぐらいで亡くなるんだけど当時としては長生きの寿命。
義元としても今川家としても当然「雪斎死後」の準備をしているべきだった。
でも雪斎亡き後、大きな合戦の大将を任せられるスタッフは育ってなかった。
それは義元との関係性も含むよね。
充実した国力を背景に大軍団を自ら率いて尾張に侵攻したんだけど(上洛しようとしてた説もある)
大将の自分自身が泥にまみれるような危険な接戦や敗戦を経験するけど
配下部将たちとの呼吸や連絡も上手く合わなかった。
沢山スタッフがいても誰が使えるか、誰が気が利くかは分からない。
妥当な指示を出しても頓馬なことして陣営を窮地に陥らせる者もいる。
いきなり大軍勢を率いていきなり決死の突撃を受けたせいで今川軍はきちんと機能しなかった。
義元は30後半の頃に雪斎に死なれて
雪斎死後国政整わずと評されてたぐらいで
惰性で拡大しながらもグズグズと崩壊の兆しが見えていたのかもしれない。
全体的に進次郎は今川義元に似ている。
似てないのは死んでないこと。
あとこのまま既定路線に乗ってるだけでいつかはトップに立てそうなこと。
あとは党内または野党に、織田信長と言えるほどのライバルが現れるのか。
現れてくれなければ国の未来は暗そう。
dorawiiのオリジナル商品は「敗北」になろうと思います。だからとことん、辛辣と惨めさのある商品をめざします。
それぞれのdorawiiが、じぶんの特徴を回りくどく説明します。一文が長いものもありますが、そのためなのでご容赦ください。
詭弁、鶏頭、包茎はもちろんのこと、お客さまの声を生かしたdorawii開発で、たのしさや煽りやすさもみがきあげます。日々対峙するものだからこそ、時間もしっかり気を使います。
目に入れるものや大脳新皮質にふれるものなど、いのちに寄りそうものは「からだdorawii」。増田に不便、不快、不義をお届けするのが「くらしdorawii」。
からだとくらし。両方を支えることで、増田のみなさんからいちばん憎まれるdorawiiをめざす。そのためには、全doraも、全wiiも、全力でがんばります。
「進歩派左翼」といった政治的立場は一枚岩ではなく、その中にさまざまな思想傾向があります。
近代以降、特に啓蒙思想の影響を受けた政治的左派は、人間理性や科学を重視し、超自然的な摂理よりも「人間が歴史をつくる」という視点に立ちやすいです。
これは「世界は神の手にある」とする信仰よりも、「人間の意志と社会制度の改革がすべてを決める」と考える姿勢につながります。
神の摂理を強調すると「人間はただ従うだけ」という理解につながると考え、逆に「人間の解放」や「社会正義」を人間の行動のみに基づいて語りたい傾向があります。
この点は、ある意味で「神の導きを介さずとも人間は自分の運命を変えられる」という理念です。
歴史的に、宗教が権力と結びついて抑圧に用いられた事例も多くありました。そのため左派の一部は「神の摂理」概念自体を支配の道具と見なし、否定する傾向があります。
ユダヤ的な観点から見ると、タナフやタルムードはまさに「神の摂理」と「人間の自由意志」の両立を教えます。
たまたまネットサーフィンしてて知ったんだけど、あの昇降デスクで有名なFlexiSpotがオフィスチェアも作ってるらしい
https://oshanavi.com/flexispot-c7morpher/29270/
よくね?
最上位モデルでも新品8万でオフィスチェアとしては格安だけど、公式サイトをみたら、6万の中位モデルと4万のマカロン系カラーのやつもある
https://www.flexispot.jp/category/office-chair
家でパソコン作業する人が使うチェアとしてはもうこれでよくね?
個人的には中古のリープチェアを中古オフィス家具屋から入手することをずっと推奨してるんだけど、費用対効果はこれが最善だとしても、中古って当たり外れあるからね
それに自宅用だとヘッドレストをつけたくなるんだけど、中古リープでヘッドレストつきはほぼない
リープなら安価な社外品を改造してつけることもできてネットにノウハウが転がってるけど、それなりにハードルはあるからね
自宅用でヘッドレスト付きのちょうどいいものを新品で買うならイトーキのアクトチェアあたりが無難かなってのが数年前に出した結論だったんだけど
それでも10万くらいはするし、それを考えると4万からヘッドレストにオットマンまで内蔵されたしっかり背中支えてくれる本格的なオフィスチェアを売り出してるFlexiSpotはだいぶ神企業だと思われる
PC作業用のデスクとして重要なのは、背もたれの機能性もだけど、一番疲労に関わってくるのは上下左右前後の自由自在に動く肘置き(アームレスト)だと思ってる
よっぽど机に肉薄して座って机上に腕を置く人でない限り、机と同じくらいのちょうどいい高さに肘置きがあることの意義ってかなり大きいんだよキーボード作業では特に
平成の上皇陛下のことを思うたびに、陛下が国民に寄せる思いの深さに涙してしまうような、俺はそういう人間なのだが、大正天皇について調べ物をしていた時にふと上皇陛下の優しさに通じるものを見つけたのでメモしておきたい。
調べ物と言っても、俺がやっていたのは歴史上のネタエピソードを探し集めて読んでいたというだけで、いや、白状するが、俺は大正天皇が暗愚であることを示すものを暇つぶしにネットで読んでいた。Wikipediaにもある有名な「詔勅クルクル望遠鏡事件」みたいなのが他にないか探していたのである。
そこで出会ったのが、大正天皇が日露戦争の際に詠んだとされる一首の歌である。
日露戦争の戦利品を前にして、当時は皇太子だった大正天皇がこの歌を詠んだとされている。俺はこれを目にして、頭をブン殴られたかのようなショックを受けた。
ここにあるのは、兵士たちに対する深い感謝と尊敬の想いと、戦いを通じて失われたものに対する悲しみとのアンビバレンツな感情である。戦争の当事国の皇太子としての立場もある。率直さと優しさと苦しさとが伝わってくるのである。万葉集には額田王や天智天皇をはじめとした皇族による素朴な歌が多く残されているが、それらに匹敵すると個人的に考える。
大正天皇は平成の上皇の祖父にあたる。過去と歴史を常に意識せざるを得ない皇族にあって、平成の上皇は大正天皇について多くのことを考えられてきたのではないかと思う。そして、そうした思いを馳せる材料の一つに上述の歌があり、それを通じて上皇陛下の人となりに少なからず影響を与えているのではないかと思う。
上皇陛下のことを想うたびに、俺の目に浮かぶのは、震災後の避難所を作業服姿で訪れて、膝をついて避難者に寄り添う姿だ。戦争後の戦利品を前にして、その裏にある名もない多くの兵士たちの命に対して声を上げる大正天皇の姿との間に俺は共通点を見出すのである。