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Author:人生まだまだ
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大晦日『おおつごもり』に辺りが真っ白になるほどアラレが降った。

今年を振り返れば、コロナ病魔で始まり、オミクロン株の進行中のまま、人生で二度と過ごす事の出来ない、2021年が終わろうとしていた。そして、人類は、至便快適、私欲わがままを追求するあまり、自己が招いた地球温暖化を起こした結果、『パンドラの箱』を開けてしまった。人類発生のアフリカ大陸において、静かに自然の中で暮らす人種を、文明の手品でまやかし、資源開発のテーマを掲げて国を奪い取って行った。その犠牲は、人類はおろかそこに生息していた動植物まで殺してしまった。そして、いままで静かに眠っていた、日の目を見なかった、有象無象のものたちが出現し、その勢力を広げて行った。人類はじめ動植物にとって、全く未知との遭遇であった。自分たちの身にどんな影響を及ぼすのかもしれない、有益なものなのか、害を与えるものなのか未知なるものだった。しかし、現実として、エボラ出血熱、エイズなど起こっている。さらに他の国では、動物からの感染とみられるサーズや、今回中国から発生したと言われているコロナなど、アフリカばかりでなく、南アメリカを始め、未開発国、後進国が、先進国の犠牲になり、何処の国でも起こりうる現実問題のことだと思う。ある学者に言わせると、人類は、様々なウイルスによって滅亡するとまで言われている。なぜならば、ウイルスは、生物である細菌とは構造が異なり、生物とは言えないからであり、細菌は、抗菌薬が有効であるが、ウイルスには効果は無く、現在の予防としては、ワクチンの接種や、感染経路の遮断しか対策はないのだ。最近、各国で宇宙開発が盛んに提唱され、実行されている。まさか将来、汚染させてしまった地球を捨て、他の星へ移住しようとする始まりではないかと疑ってしまう。自然から警鐘を鳴らされた人類は、どのような対策立てて、実行し、人類の住む地球を守って行くのだろうかと、2021年の大晦日に考える事だった。

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暖かい陽射しの当たるベンチ

総合公園の高台に設置されたベンチに、暖かい陽射しが当っているのを見ると、ちょっと座って一休みしたい気持ちに、誘惑されそうになるのだが、野外に置かれたベンチは、冷え切っていて、座った瞬間は良いのだが、暫く座っていると、尻からベンチの冷たさがジワジワと伝わって来て、体が冷えてしまうのだった。道端で『ノボロギク』を見つけた。真冬でもみずみずしい葉をして、花を咲かせる寒さに強い草です。そして、同じ茎に種が熟して丸い綿帽子が開いたものもあった。名前は、野に咲くボロギクから、ノボロギクと命名されたと言う。そして、ヨーロッパ原産のノボロギクは、明治初めにやってきた帰化植物である。総合公園から、高崎川に架かる橋を渡り、ダラダラとした坂を上って来た、総合公園の向かいに伸びる、丘陵の高台から眺めた景色は、澄み切った青空の下、枯野の広がる寒々とした殺風景の荒涼感がした。その上、下から吹き上げて来る、頬が突っ張ってしまう程の冷たい北風に、いつまでも景色を眺めていられなかった。

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鳥博士のKさんのお陰で、野鳥について知識が増えた。

野鳥に興味がないなどと言えば、叱られてしまうだろう。正直に言えば、そんな環境に居なかった事と、野鳥に対して無知であった結果です。国内にいる鳥と言えば、スズメ、カラス、ニワトリ、ツル、キジ、トビ、カモメなど、身近で見ている鳥や、絵本に出て来る鳥の記憶だけが、自分の鳥の世界であった。しかし、鳥博士のKさんからの師事によって、大分野鳥の知識が増えた。現在住んでいる町でも沢山の野鳥が生息していることが分かった事と、その生態を観察することも出来た。今では、枝に止まっている鳥や、飛び回る鳥を、カメラで撮影出来るまでになった。止まっている鳥だから撮れるだろうと言いたいのだろうが、鳥は警戒心が強いので、ちょっとした物音や、人影を察知すると、すぐに飛び去ってしまうから、細心の注意と集中力が必要なのだ。今年見つけたニューフェイスの鳥は、オオバン『大鷭』だった。そして、植物博士のTさんから、エナガは、本来北海道に生息するシマエナガが有名だが、千葉県北西部付近を中心に、シマエナガに似た、『チバエナガ』と呼ばれている鳥がいると教えて頂いた。と言う事で、私がいつも出会っているエナガの正体が判明した。

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ぐっと冷え込んだ朝になった。何処も此処も霜で真っ白の世界。

ぐっと冷え込んだ朝になった。霜が降りて、どこもここも真っ白な世界だった。道路のカーブミラーに霜が付き結晶していた。天気予報などを聞いていると、霜は、ふる『降る』とは言わず、降『お』りる、と言う。何故と思うと、さらに興味が湧く。雨は、大気中の水蒸気が液体となって降って来るもので、また雪は、大気中の水蒸気が氷となって『昇華と言うようだ』、その重さによって地上に降って来るものだが、しかし、霜は、空気中の水蒸気が氷になって、0度以下に冷やされ物体にくっ付いて昇華したものを言うそうだ。と言う事は、大気中『上空』ではなくて、空気中『地上側』で氷になる事で、冷えた物体『窓ガラスや屋根、カーブミラーなど』にくっつくことで霜になる。そうした意味から、霜は、降って来るものでないためにおりる『降りる』と言うそうだ。そして、霜が降りる条件としては、もちろん氷になるのだから、0度以下で、風と雲がない事も条件の一つとなることだ。こうした条件は、気象の上で、『放射冷却』と呼んでいる。何かこうして霜について書いていると、寒くなって来た。寒く、薄暗い林の中を歩いている時に、木立の間から射し込んでくる日射しに会うと、ホッとして暖かい気持ちになる。

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冬の早朝、何と言っても一番の魅力は、日の出である。

冬の早朝は、何言っても一番の魅力は、日の出である。何回見ても、同じようであるが、決して同じ日の出はない。夏の頃は、日の出は早くて、こちらの起床が、日の出の時間に間に合わないため、滅多にお目にかかれることは無い。と言う事で、AM5時に起床してウォーキングに出かけても、夏の太陽に出会うと『遅いぞ』と言われそうだった。それに比べて、今の季節の日の出は、AM6時に起床して、軽く朝食を済まして出かけても十分に間に合う。夜明け前の空を染める黄色がかった火照り色から、曙光が走り、白い光の太陽が、徐々に昇り始めると、空はオレンジ色に染まり、極限に達すると、金色色に染まる。大気より川の水温の方が高い時には、川筋に沿って川霧が立ち上り、陽射しを受けると、白く浮き上がり、次から次へと湧き上がって行く先から消えて行く。やがて、太陽が上空に達する頃には、空は冷たく澄んだ真青な顔を見せるのだ。世間は、そんな暇人を相手にすること無く、目的に向かって奔走していく、喧噪の世界であった。

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今朝の風の冷たさに、身の引き締まる思い

長年の習慣になった目覚めは、目覚まし時計が鳴るまえに静止ボタンを押していた。暖房の無い部屋に寝ていると、布団から抜け出すには、勇気がいった。テレビから流れて来る天気予報では、大陸からの猛烈な寒波が南下して、日本海側は大雪に見舞われ、さらに、日頃雪が降らない地方でも、積雪の様子が報じられていた。一歩外に出ると、身震いがするほど、さすが身の引き締まる思いがした。マスクをしていても、吐く息でマスクの中は、水滴が溜まってしまい、何度も拭う有様だった。丘陵の上から顔を出した太陽の陽射しも、あまり暖かくは感じられなかったが、歩く程に体が温まって来た。すると、多少気持にも余裕が出来てくると、目の前に広がるキーンと引き締まった冬景色が、遠方まではっきりと視界に入って来た。高崎川の堤を、霜の降りた枯草を掻き分けながら下流向かって歩いて行くと、川岸の草むらで微睡んでいたのだろうか、カルガモのツガイが、足音に驚いて、慌てて飛び去って行った。羽毛布団は、水鳥の羽を使用していると言うが、水鳥自身は、寒さを感じないのだろうか。

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鳥の中の知恵者

そぼふる雨に、あたりの景色は、胡粉を撒いたように煙って、霞んでいた。空は、厚い雲に覆われて、放射冷却も無く、比較的暖かな朝を迎えた。野山の食べ物の少なくなった今、鳥たちにとって、厳しい冬を迎えていた。柿の木の枝に残った、熟した果実を、メジロが見つけ、我先と、数羽で争いながら啄んでいた。そこへヒヨドリが現れ、メジロは、蜘蛛の子を散らしたように、テンデンの方向に飛び去った。ヒヨドリは、メジロから奪った柿の実を、我が物顔で貪り始めた。おや、一羽のメジロが戻って来て、大胆にもヒヨドリの止まっている同じ枝に止まった。二羽の重さにヒヨドリは、枝に留まることが出来ず、落ちるようにして、飛び去った。勇敢なメジロは、ヒヨドリの食べ残した柿の実の品定め、どっちの実が美味しいかと、首を傾げていた。同じ鳥の中でも、頭の良い奴がいるものだと感心した。散り積もった落ち葉の上を走った、車の轍がくっきりと残った、丘陵に沿った農道を、茂みから落ちてくる雨粒が、傘に当たりリズムを作る中、鼻歌交じりに、谷津田の奥に向かって歩いて行く。

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西の空に浮かぶ有明の月

墨の交差点から、高崎川に架かる大川戸橋まで下る坂道を、吹き上げて来る寒風に身を縮めながら歩いて行くと、西の空に、月がくっきりと姿を見せていた。『朝ぼらけ、有明の月と、みるまでに、吉野の里に、ふれる白雪』。百人一首をする人は、はいと、札を取る事でしょう。坂上是則が詠んだ和歌で、『明け方、空がほのかに明るくなって来た頃、有明の月かと思うほど明るく、吉野の里に白々と雪が降っている』と言う意味です。雪は降っていないが、そんな和歌を思い出した。坂道の途中にある畑で、すぐに食べられそうな、新鮮なブロッコリーが育っていた。菜の花とよく似た花を付け、花が終わると、あの粒々した塊の姿になる。そして、ブロッコリーのその先には、ひと畝『菜の花』が植えられていて、黄色い花を満開に付けていた。しかし、今、菜の花を見ても、春うらら、『菜の花畠に入日薄れ・・・』と童謡のおぼろ月夜を歌う気持ちにはなれなかった。寒いー。

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葦原の中を、覗いて見ると

河川や沼などの水辺に大群落をつくる葦『ヨシ・アシ』は、小さな鳥たちの格好のえさ場だった。葦『ヨシ』は、本来の呼び名は、『アシ』であったが、『悪し』に通じるため、『ヨシ』と言い換えられた呼び名であった。一見すると、葦原の中で動き回る鳥の姿はなかなか見つけられず、鳴声だけが聞こえていた。目を凝らして、あっいたと、見つけても、ヨシが邪魔をして、なかなかその姿を写す事は難しかった。そんなことで、持久戦を覚悟して、動き回らず、同じ場所に立ち、鳥の来るのを待った。その考えが功を奏して、上手く撮影が出来た。驚いたことは、カワセミを始め、ホオジロ、エナガ、メジロ、シジュウカラと、これほどたくさんの鳥がいたことであった。

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今では珍しくなったスズメ『雀』

左右に伸びる丘陵に囲まれ、視界に遮るもの一つなく、びょうびょうとした田園風景を望みながら、容赦なく体に吹き付ける寒風に身を縮め、黙々と歩いて行く。今朝は、鳥一羽の姿無く、生命の存在さえ感じられない、まるで他の惑星にでも下り立ったように感じた。ただ、東に見える焼却場の煙突だけが、唯一地球にいる証明をしていてくれた。今朝、珍しく農家の生垣の上に止まっているスズメを見た。最近、町場でスズメ『雀』の姿がめっきり見なくなった。まして、都会においては皆無と言っても良いほどだ。5,60年前になるが、子供の頃は、家の庭や屋根、電線や道路など、鳥と言えば、スズメばかりだった。原因として考えられる事は、営巣場所としての木造建築の減少、虫や草の種など採餌場となる水田や空き地、草原などの減少、稲作を止めてしまった農家の増加で稲穂やモミの不足など、巣をつくる場所が無くなり、餌が足りず子育てが出来なくなった理由から、減少したのではないかと考えられる。今では懐かしい、『チュンチュン焼き』と言って、雀の焼き鳥を食べたくなった。

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