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Author:人生まだまだ
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五月晴れ、薫風の吹く朝に

頬を撫でて行く、爽やかな薫風が、初夏の便りを運んで来た。赤、黄、白、ピンクと、色とりどりに並んで咲くチューリップたちは、季節を演出する舞台の俳優たちであった。そして、ゴールデンウィークは、各所からチューリップ祭りの便りが届くことだろう。田んぼに張られた水は、水面を鏡のように照らし出し、眼に爽やかに感じる、青葉若葉に覆われた丘陵の姿を映し出していた。柔らかい陽射しは、川岸に咲く草花に注がれ、その優しさに応えるように、花開き微笑みを返していた。今、川岸は菜の花が咲き、堤を黄色に染めていた。田んぼに注ぎ込まれている、農業用水が溢れて川に流れ込み、増水した川は、水が温み始め、産卵のため印旛沼から遡上して来る、野鯉の姿を見かけるようになった。時々、水面に顔を出し、岸辺に咲く花々の花見をする姿に見えていたが、実は、『水面呼吸』と言って、酸素不足に対処する魚の呼吸法なのだ。今朝は、のどかな川岸をそぞろ歩きのウォーキングでした。

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羽化した蝶たちが、蜜を求めて飛び交う。

春の訪れを告げられて、次々と目覚めた草花は、暖かい陽射しの射す季節を迎え、競い合うように、美しい花を咲かせていた。野山を飾る花々は、蝶や虫たちにとって、一年の内でも一番うれしい季節なのだ。それぞれの好みの花の間を、蜜を求めて飛び交う様子は、昆虫たちの交通ラッシュ、嬉々とした喜びの声が、聞こえて来そうだった。羽化したばかりの、蝶にスポットを当ててみた。オスの成虫の腹から、ジャコウ『麝香』のような匂いを発するという、ジャコウアゲハ『麝香揚羽』を総合公園で見つけた。この蝶は、幼虫時代、ウマノスズクサ『馬の鈴草』を専門に食べる。何故ならば、鈴草には毒があり、その毒を体内に蓄積させて、自分を食べたものに中毒を起こさせる。以後、相手に、この幼虫や蝶を食べてはだめと、習慣づける賢い蝶である。また、この蝶の雌雄は翅の色で判別する。オスは黒色で、メスは明るい褐色なので分かりやすい。次に見つけたのは、西洋タンポポの蜜を求めて飛び回っていたキアゲハ『黄揚羽』だ。キアゲハによく似ているのがナミアゲハで、飛んでいる時には、中々見分ける事が難しい。翅を広げている時がチャンスで、前翅の付け根の部分が、黒く塗りつぶされているのがキアゲハで、はっきりとした筋模様が見えるのがナミアゲハである。次に見かけたのは、ベニシジミ蝶『紅小灰蝶』だ。前翅の表は、黒褐色の縁取りに、赤橙色の地に黒い斑点があり、後翅の表は、黒褐色で、翅の縁に赤橙色の波模様がある。そてし、翅を閉じると、後翅の黒褐色の裏の部分が、灰色になっているのが特徴だ。これからは、もっと沢山の蝶に出会えることだろう。

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野生蘭のキング、キンランが咲く

キンラン『金蘭』が咲き始めた。林の中で一段と目立つ、気品ある黄色『黄金色』の花を付ける事から金襴と呼ばれている。山野草でも希少価値が高く、現在は、絶滅危惧種に指定されている。何故ならば、人工栽培が非常に難しいからだ。例えば、キンランを採集して、持ち帰っても、決して育つことは無いと言う事である。それは、菌類が植物の根に入って形成する供生体を栄養とする依存度が高く、落ち葉などを栄養源とする腐生菌とは違い、キンランが好むのは、植物の根と菌類の間で形成される外菌根に依存しているからである。こうした環境を作れない家庭では、キンランは育たないと言う事である。野生ランブームによって、減少続けている乱獲を、絶対に許してはならない。キンランの咲いている近くで、マムシグサ『蝮草』を見つけた。一見すると、浦島草によく似ているが、根元から花茎を出して咲く浦島草とは違い、花茎を伸ばし、草の先端に緑色の仏炎苞の中に肉穂花序を持った花を咲かせる。名前の由来は、茎の部分のまだら模様が、マムシ『蝮』の模様に似ている所からそう呼ばれた。秋には、赤色に熟したトウモロコシに似た果実をつける。先日、ある畑の一角で、オオバナ延齢草という植物をみた。北海道で良く見られる花のようだが、開花まで、10年もかかると言う珍しい花だった。

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今朝は、台風並みの強風が吹き荒れる中のウォーキングになった。雨に濡れたツツジが綺麗だ。

昨夜来から吹き荒れていた、台風並みの強風は、今朝になっても吹き止まず、向かい風を受けると、歩いていても、押し戻されそうだった。強風で傘は、まったく役立たず、かえって持ち歩くのが邪魔になった。歩いているうちに、雨は小降りになったので助かった。現在、道路沿いや公園などで、赤、白、オレンジ、ピンク、紫色と、色とりどりのツツジ『躑躅』が見事な花を咲かせていた。また、ツツジの仲間である、サツキ『皐月』も咲き始めていた。仲間同士だけに、いつもツツジとサツキの違いを、どのように判断したらいいのかと、訊ねられる事が多い。まずは、花の咲く時期で比べると、先に咲くのはツツジで、一ケ月ほど早く4月頃に、サツキは、5月頃から咲き始める。そして、ツツジは、新しい葉が出てから、サツキは、花が先で新しい葉は、後に出ると言う違いがある。また、花を見ただけでは、中々見分けが付かないが、大きさを比べて見ると、サツキに比べて、ツツジの方が大きい。そして、花の中を見て見ると、もっとはっきりと違いが見分けられる方法がある。オシベの数の違いだ。サツキは5本、ツツジは5本以上ある。また、葉からもその違いを見つけることが出来る。ツツジの葉は、触ると柔らかいく、葉の裏にふわふわした毛が生えている。サツキの葉は硬く、光沢がある。そして、葉の大きさの違いは、サツキの葉は、ツツジの半分くらいの小さな葉である。子供の頃に、ツツジの花を摘んで、お尻から甘い蜜を吸って遊んだものだった。違いを比べながら、試して見ると面白いよ。

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溝と書いて、ミゾではなく、ミズと読ませるには、深い訳があった。

白いブラシのような花を咲かせているのは、ウワミズザクラ『上溝桜』だ。漢字を見ると、溝と書いて、何で『ミズ』と呼ぶのだろうか、それには、こんな由来があった。昔、裏に溝を彫った鹿の肩甲骨を、この木で燃やして焼いた時の割れ目で占いをしたと言う故事から命名されたと言う。古代日本では、まつりごとで、物事を決める時に、占いは重要な儀式だったようだ。ある家の庭で、常緑の木に、濃いピンク色の花が咲いているのに興味が湧き、ついつい垣根に近づいて行くと、家の中から人が出て来て、ドキッとした。別に、盗もうと言うわけでもないのだが、早朝だと怪しまれるようだ。訳を話すと、『ああ、この花は、シャクナゲモドキ』と言う花だと教えてくれた。首からカメラをぶら下げて居たのが、信用を得るのに功を奏したようだ。中国南部からマレーシアに分布する植物で、葉の感じがシャクナゲに似ているので、『シャクナゲモドキ』と名前が付いたと言われている。そして、日本のマンサクの仲間だった。ある家の垣根に、蔓を絡ませてムベ『郁子』の花が咲いていた。赤紫に熟した果実は、アケビに良く似ているが、アケビの様に心皮が裂ける事はない。果肉は甘いが、種がしっかり付いていて、とても食べにくい。余談だが、『むべなるかな』と言う言葉がある。これは、大和言葉の一つで、言葉の意味は、『なるほど』と言う意味がある。現在の意味では、『当然とか納得』とかで使用される言葉だ。

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山紫水明にふさわしい景色を眺めた、天候不順の中の貴重な晴れた朝に

昨日、昼から降り始めた雨も上がり、スッキリと晴れ渡った、気持ちの良い朝を迎えた。山紫水明と言う言葉があるが、紫色に霞む山は無いが、まさに水明は、言葉に当てはまる風景であった。水面に丘陵の姿を映し、静寂の世界が目の前に広がっていた。時々、聞えて来る列車の走行音だが、通過した後は、再び静寂は戻って来た。鳥たちの鳴声は、この静寂と相俟って、自然の中に溶けあって、静寂を壊すものではなかった。菜種梅雨に似た天候の繰り返す中、花冷えの様な日があったかと思えば、突然夏が到来したような天気になったりして、天候不順が続く日々には、貴重な晴れの天気になった。本佐倉城跡の東山の高台に上り、心行くまで青葉、若葉に染まった初夏の景色を楽しんでいたのだが、いつのまにか、すっかり体が冷えてしまったので、丘を下って帰路に就いた。晴れた日の気温の上昇は早く、マスクをしていると、息苦しくなり、額から汗が流れてきた。この分だと、今日は夏日になりそうだ。

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イカリソウ『碇草』の花が見ごろになった

先日、植物博士のTさんから、今、イカリソウ『碇草』が見頃だから、出かけてみればと、情報を頂き、早速出かけて行った。ある里山の、雑木林の繁った、谷津田の中に造られた、田んぼに沿った傾斜のある土手に、点々として咲いているのを見つけた。イカリソウと言っても『怒り』ではなく、花の形が和船の錨に似ている所から『碇・錨草』と呼ばれている。確かによく見ると、錨の形に似ていた。そして、イカリソウの全景を載せたが、茎の先が三本の葉柄に分かれ、それぞれに三枚の葉が付くので、別名、サンシクヨウソウ『三枝九葉草』とも呼ばれる。希少価値のある植物なので咲いている場所は、教えられない。農道のここかしこに、ナガミヒナゲシが咲いている。地中海沿岸が原産で、オレンジ色の花を咲かせる。ケシと言っても、麻薬の阿片の原料になるアルカロイドを含んではいない。帰化植物として自生しているが、繁殖力が強く、駆除に苦慮している。花を大きなテマリ『手鞠』に見立ててオオデマリ『大手鞠』と呼んでいる花が咲いていた。アジサイに似た白い花を沢山付けていた。

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初夏の陽気の中で、水辺のウォーキングは、気持ちの良いものだ。

春の飛び石を、まさか初夏が飛び込んでくるとは思わなかった。長袖のシャツを、いきなり半袖のシャツに着替える程の暑い日になった。こんな日は、水辺がとても気持ちが良い。水を満杯に張った、田んぼの真ん中に伸びた畦道を、歩きながら、小学校の頃、平均台と言うものがあって、体操の時間にその上を歩いた記憶を思い出しながら、今は衰えてしまった平衡感覚を奮い立たせながら進んだ。まるで、忍者が水蜘蛛の術を使って、水上を渡って行く心持であった。進んで行く先から、グァグァと鳥の鳴き声がした。まだ姿は見えなかったが、カルガモの鳴き声だった。姿を捉えた時は、つがいのカルガモが、首を突き合わせ、何やら話し合いをしている様子だった。菜の花の咲く岸辺から、オシドリが姿を現したかと思ったら、私を見つけると、驚いた様子を見せて泳ぎ去った。突然、後ろの葦の茂みからキジ『オス雉』が飛び出した。畦道を歩いて、こちらに向かってくると、羽をバタつかせ、『ケッケーン、ケッケーン』と二度鳴いて、牽制する様子を見せた。初夏の陽気の中で、水辺のウォーキングは気持ちが良かった。

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紫色に枝垂れ、藤の花が咲き始めた。

藤の花が咲き始めた。藤と言うと、日本固有種のノダフジ『野田藤』を言う。ただ藤だけで良いと思うのだが、何か謂れがあるだろうと調べたところ、昔、摂津国野田村『現在の大阪市』の地名に由来していた。『吉野の桜、高雄のもみじ、野田の藤』と言われるほど、藤の名所のようだった。それでは、和名のフジの由来はといえば、風が吹くたびに、花が散るので、『吹き散る』からフジと言ったようだ。国内には、ノダフジの他にヤマフジ『山藤』と呼ばれるものがある。ノダフジに比べ、花序は短く、花は、色は濃く、大きい。そして、大きな違いは、蔓の巻き方で、ノダフジは右巻き、ヤマフジは左巻きである。田圃へ出て行くと、軽快なエンジン音が響いていた。水が張られた田んぼの中をトラクターが走っていた。いよいよ田植えが始まるのだ。ビニールハウスの中の苗代で、田植えは、まだかと、早苗がすくすくと育っていた。

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華やかな桜の饗宴が終わりを告げた後を、八重桜が最後の色どりを見せていた。

総合公園では、ソメイヨシノ『染井吉野』が葉桜になり、その間を染めるようにヤエザクラ『八重桜』が満開になっていた。別名、野生の山桜に対して、人里の桜、サトザクラ『里桜』と呼ばれている。また、花の形からボタンザクラ『牡丹桜』とも呼ばれている。そして、この花びらを塩漬けにしたものに、湯を注ぐと『桜湯』となり、婚礼などのお目出度い席で振舞われている。木陰で咲いているホウチャクソウ『宝鐸草』を見つけた。先端の葉の付け根から、二個ずつの花をぶら下げて居た。その中で、花びらの先端が反り返って咲いている花があり、初めて見る姿だった。いつもスズランの様に、花の先端がわずかに開いた形のものしか見たことが無かったので興味がわいた。コンクリート道路の隙間から生えている、紫の色濃い、ホンスミレ『本菫』を見つけた。このすみれの名前は、植物博士のTさんから教えて頂いた。スミレは、種類が多く、まとめてスミレ『菫』と呼んでいて、距『花びらの後ろの膨らんだ部分』の色と花弁が同じ色の特徴を持つ、このスミレは、全国で見られるスミレの本家とも言われ、あえてホンスミレ『本菫』と呼ばれているようだった。

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