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Author:人生まだまだ
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田植え間近な朝

千切れた雲は、東の空に吸い込まれていき、低く垂れこめた雲は、今にも雨を降らせるのではないかと、不安を抱かせるような雲だった。丘の上から見下ろすと、水田鏡にその様子が映し出されていた。一面水を張られた田圃は、空の明るさに負けず、光り輝いている。トラクターがせわしなく走り回り、いよいよ田植えが、始まりそうだ。

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山紫水明に心打たれる

風、春の宵に浮かれすぎ、いまだ暁を覚えず、眠りの中にあり。水、澄みて、鏡のごとく静まりて、山水草木、天地の姿、隈なく映す。青葉、若葉繁れる森の豊かさに、眼、安らかに落ち着きて、しばし眺めて、時の過ぎゆくのを、忘れたり。心の鼓動が、聞こえて来そうな静けさに、気持ち落ち着きて、自然と同化してゆく。山紫水明に、心打たれる朝でした。
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オゾンがいっぱい森林浴

昨日は、真夏を思わせるような暑い日になったが、今朝は、爽やかな天気となった。AM5:30、まだ人影はなく、早起き鳥のさえずりだけが、耳元へ聞こえてくる。木漏れ日の差し込む林道を辿ってゆく。木々が深呼吸をする、そのたび吐き出される酸素は、オゾンがいっぱい。炭酸同化作用と呼ぶらしいが、人間を含め動物たちにとって、大変有難い自然界からの恵みなのだ。薄く霧がかかる林の中は、いつも神秘的だ。まだ見ぬ鳥や動植物の宝庫だからだ。幼い頃、“森は生きている”と言う映画を、小学校の頃かと思うが、観た記憶がある。初めて見る動植物の出現に、胸をドキドキさせた記憶が蘇ってくる。早朝、まだ人々が目覚めない時、森や林に出かけて行きたくなるのは、きっと、そんな期待を抱いているのかもしれない。



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ベンチに座ってぼぉーと存在をなくす

丘の上まで続く、細い林道を登って行く。襟元が汗ばみ、額から、汗が垂れた。丘の上にたどり着くと、ベンチに腰を下ろし、胸のボタンをはずすと、“ほっ”とため息が出た。大きく腕を伸ばし、深呼吸をしながら、遠方を望むと、木々の緑が、目を休めてくれた。これで、そよ風が吹いたなら申し分ない所だが、無風であった。ベンチが置かれている、直ぐ脇に植えられた、ハナミズキは、白い花を付け、そして、古墳を囲んでいる生け垣の、紅白のつつじは、賑やかに咲き始めた。ゆったりとした気持ちが、満ちて来ると、体全体が、透き通り、感覚が体から遠のいてゆく感じがする。つまり、眠気を誘う。おぼろげな感覚の中に、一羽の鳥が近づいてきた。白セキレイだった。透き通った感覚の、存在感の無い私に、警戒心を、感じなかったのだろうか。



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田に水が入り、いよいよ田植えが始まる

ここ二、三日、初夏を思わせる、爽やかな朝を迎えている。賑やかな、カエルの鳴き声を、聴きながら農道を歩いてくると、農業用水を引く、水路の水があふれるくらい、勢いよく流れていた。水路に沿って下ってゆくと、田圃は、鏡を張ったように輝き、まわりの景色を、逆さまに映していた。水面は波立つことなく、天上の太陽まで、景色の中に取り込んでいた。見る限り水の王国であった。平均台を渡った、子供の頃を思い出して、あぜ道を歩いてみた。しかし、その頃とは、まったく感覚が違っていた。左右の田んぼに、満々と水が張られている真ん中を、バランスを取りながら、あぜ道を歩いていると、平衡感覚がマヒしてくるのか、どちらかの田んぼに、落ちそうな気持ちになり、少し不安な気持ちが湧いてきた。と言っても、真ん中まで来てしまった以上、行くも戻るも同じ距離なので、一歩一歩、慎重な足取りで、元の場所まで戻ってきた。ホッとした気持ちになった瞬間、足元の、田のクロが、崩れて、田圃に片足を取られてしまい、泥だらけになってしまった。年寄りの冷や水とは、こういうことを言うのだろうか、情けなや。



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燃えるような色に魅せられて

柔らかな緑あふれる林の中で、燃えるように明るい、赤いツツジの色に魅せられて、足を止めた。朝の自然劇場の主役を、充分に果たしていた。脇役は、蜜を求めてやって来た、マルハナバチ、コガネムシ、カナブン、アリなど、まだ、蝶は寝ているのか、姿を見せなかった。



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花咲き、風薫る季節の到来

花咲き、風薫る季節の到来。不順だった天候も、やっと落ち着きを取り戻し、ここ一週間は、晴天が望めそうだ。ウワズミ桜の白い花が、まるで木の枝に、キャンドルを規則正しく、立てたように咲く、木々の間を縫って、山道を下ってゆくと、陽ざしの当たった明るい庭先に植えられている、何十房も抱えた山藤の、格調高い紫色の花房が、目に止まった。それは見事なものであった。その先には、満開になった赤いツツジと、白いやぶ椿の花があり、ムラサキ、赤、白とコントラストが素敵だった。家の中から、弾んだ子供の声が、聞こえてきた。一家で食卓を囲んで、朝食の最中なんだろう。


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深い霧の中から、現れた太陽とトラック

早朝,am5:40、視界20メートル位の、濃い霧が発生し、辺りの景色を包み隠してしまった。歩道の無い道路を敬遠して、国道に沿って歩いて行った。霧の中から、陸送のトラックの巨体が、突然現れると、ドキッとする。道路の空いている早朝、陸送のトラック群が、次から次へと通り過ぎてゆく。そして、すれ違うたび、霧が渦巻き、体まで引き込まれそうな錯覚に陥る。しばらくして、霧のカーテンの向こうから、真ん中が白く輝き、まわりに黄色の縁取りを付けた太陽が、ボワッとした姿で現れた。霧がフィルターの役目をしているので、肉眼で見ていても、あまり眩しくはなかった。霧は、時間が経過するとともに、薄れて行った。そして、am6:25頃になると、大分見通しも良くなり、ライトを点けているトラックも少なくなった。この霧の様子では、今日は、晴れて、暖かい陽気になるだろう。



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春かすみ

ようやく春らしい日和になった。明るい陽射しが、燦々と降り注ぐなかで、遠くの丘陵の山肌が、春霞に煙る。綺麗に耕された田圃は、水の入るのを待ちわび、田植えは、もう目の前まで迫っていた。印旛沼からくみ上げられた農業用水が、勢いよく水路を走ってくるのも、間もなくの事だろう。子供の頃は、五月の連休を利用して、家族総出で田植えをしたものだったが、現代は、機械化により、連休までには田植えが終わり、一家総出で、家族旅行へ出かけると言う、農家の暮らしぶりも、すっかり変わってしまった。しかし、一概に機械化のせいばかりでなく、近年の気候環境も、温暖化に向けて進んでいる原因で、異常気象の発生も多くなってきている。昔も今も、時間の経過は、まったく同じであるにもかかわらず、子供の頃を思い出してみると、時の流れは、現在よりも、ゆるやかに進んでいたという思いがする。めまぐるしき変わる現代の時間は、空回りをしているように感じるのは、私だけでしょうか。


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雨上がり

嵐のような雨風が過ぎ去り、ちらっと、青空がのぞいた早朝、人っ子一人見えない、見通しのきいた田圃道を歩いて行く。うっかりすると、ウォーキングシューズが、ぬかるみにはまってしまい、抜けなくなりそうな場所もあった。ウグイスの鳴き声は、すっかり耳に慣れてしまったせいか、あまり新鮮味はなかったが、今は、耳元に届く、あちこちで鳴く、カエルの声が、むしろ新鮮に聞こえた。ことわざに、“早起きは、三文の徳”とは、よく言ったもので、写真の右手に見える、崖っぷちに、なんと、ワラビがたくさん生えていた。思わぬ、収獲があった。先ほどまで、青空が見え始めていたのだが、黒雲が低く垂れこめてきて、いまは、すっかり曇ってしまって、雨が落ちて来そうな天気になってしまった。

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