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Author:人生まだまだ
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自然の息吹は、

自然の息吹は、ものすごい力を持っている。春は、万物に新たな命を与え、夏は、生き生きと育て、秋は、実りを約束させ、冬は、静かな休息を与える。万物は、自然に答え、春は、花を咲かせ、夏は、豊かな元気を見せ、秋は、目に鮮やかな色彩で飾り、実りをもって返し、冬は、沈黙をして、新たな息吹を待つ。何と自然は、偉大なのだろう。春の若葉から、夏の青葉に変わった楓が、なんで、秋に、赤、橙、黄色と突然変化して見せるのか、しかも、同じ青い葉が、イチョウのように黄色になるのだろう。科学的に証明は出来るだろうが、ロマンがなく、つまらなくなってしまう。近くにある城址公園に出かけ、晩秋を飾る自然に溶け込んで、一歩ずつ歩む、足取りの中に、錦織りなす場面を、ひとつずつ、取り込んできた。

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太陽の土俵入り

久しぶり、丘陵に造られた焼却場の上空に、日の出を拝んだ。太陽の太刀持ちと、露払いは、霞の中に浮き出た丘陵がどっしりと構えていた。そして、土俵は、太陽の大きさに合わせ、広々とした大地を。天空の横綱、太陽の、土俵入りだ。日の出のあまりの神々しさに、思わず、柏手を打った。
天地静まり、日の出を待つ。うばたまの闇に包まれる黒き峰々、いまだ姿思しき。霞みたなびく、朝ぼらけ、空に残れる月、西に傾き、その姿薄れゆく。曙光走り、天地開闢の時、歓喜の中に陽は昇る。粛々と朝の儀式、いにしえより変わらぬ進行の内、万物に目覚めを誘い、早起き鳥の一声、時を告げる。人は目覚め、日々の生業に就き、一日が始まる。こうして繰り返される生活が、いつまでも平和な中で、行われることを願う。



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雨上がりの谷津田を行く

丘陵は霧に包まれ、その影だけを映していた。時が経つにつれて、薄皮を剥ぐように、霧が谷津田の奥へ吸い込まれて行くと、その姿を現し始めた。丘陵の頂が、ほんのり明るみを帯びると間もなく、陽射しが谷に注がれ、広がって行った。私の歩いて行く、落ち葉が敷かれたぬかる道は、明るくなった谷津田の奥へと続いていた。冷たい日陰の場所から眺めると、暖かい世界が待っているようで、普段より気がはやり、歩調が早まった。奥に進むにつれて、丘陵の上に青空も見え始めていた。そして、峰を飾っている、ブナ、カエデ、ケヤキ、クヌギ、ウルシ、ハゼなどの紅葉が、目に鮮やかに写ってきた。日向に入ると、ほんのりとした温かさに包まれて、幸せ感を味わった。人気の無い谷は、メジロ、ヒヨドリ、モズ、シジュウカラ、ムクドリなど、冬支度なのか、忙しなく鳴き、飛び回っていた。今日は、上天気になりそうだ。


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まだ明けやらぬ、寒空を望む

まだ、明けやらぬ、寒空を望む。暗雲、空を覆い、氷雨落つる。煙り立つ広野、黒く濃淡に、重なり合い起伏する、丘陵を背景に、波打ち、浮き上がる田の姿、一幅の墨絵を、眺める如くなり。朝告げ鳥、鳴けど、応えぬ里人は、浅き眠りの夢の中、温い布団に包まりて、起きだす思いの、失せるを察する。
赤や黄色の落ち葉を踏み、野や山の枯れ草が覆う、細い道をたどりながら、深まりゆく、秋から冬へ移り変わる軌跡を追って、足の向くまま、無心な気持ちで、目に留まる、様々な事象を見逃すことなく、カメラに収め、歩いて行く。時々、シャッターを切るのに夢中になっていて、草むらや、木の枝で、落ちずに残った実を、ついばんでいた鳥が、静寂を破る足音に驚いて、飛び立ったりすると、ハッとして、我に返り、心臓がドキドキした。そして、欲張りの記録は、カメラをパンクさせた。



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光が目に染みる

今朝は、冷え込んでいたが、すっきりと晴れた朝を迎えられた。朝陽一杯に浴びながら、田んぼ道を歩いていると、太陽の陽射しは、こんなにも暖かく、有難いものなのだと、しみじみ感じる。やはり、雉も暖かい陽射しにつられて出て来たのか、田の中で鳴いた。今、林の木々の間から、漏れ来る明るさを頼りに歩いている。突然、何かが爆発した時のような、光が襲って来た。くらくらと目が眩み、網膜を刺激する、痛いほどの光で、目を開ける事も出来なかった。太陽が、予告なしに、目の中に飛び込んで来たのだった。しばらく、目の中に虹のようなものが、チラチラと見えていたが、しばらくすると、治まった。予期しないことが、避けられないとなれば、起きてしまったら、どう対処するかということが、大切になる。対処の仕方が分かっていれば、苦労しても、悩む時間も短くなる。これが生きる知恵だと思う。 生きる知恵とは、問題を起こらなくすることではなく、問題が起きたらどうするかということだと思う。さんざんな目にあっている東北地方に住む人たちの事を思う時、経済大国の媚びを売る外交より、まず、原発処理問題を、第一に掲げ、専念すべきだと思う。などと、そんなことを思いながら歩いていた。



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雪道を行く

大地がすっかり冷え切ってしまった。どこを探しても、暖かさを感じるものがない。しいて言うのであれば、真赤に紅葉したカエデの色くらいだろうか。昨日降った雪は、田や畑、土手や川岸、農道などに、まだ、解けずに、しっかり残っていた。今朝、誰もこの道を歩いていない。シャリ、シャリと踏み音が立つ、くっきりと足跡が残って行く。幼い頃、雪遊びに興じた郷愁が蘇って来ては、現実の世界に溶けて行き、現在に至るまでの、喜怒哀楽の感覚が、心に響いてくる。何時も通っている、人の歩む道、ただ通るだけで、辺りを見ていない。しかし、白くなった道、いつもの道なのに、始めて通る気がする。今の生活、視点を変えて見てみると、何かを見つけられるかも。この静寂の世界にあると、今の世の中何と、複雑で、騒がしい事か。

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11月に降る雪は、54年ぶり

今朝、ウォーキングへ出た時は、チラホラと雪交じりの雨だった。軍手をしていても、指先がかじかむ。カメラのシャッターを押した後、手袋を外して、暖かい息を吹きかけても、いっこうに暖まらない。吐く息の白い湯気だけが、空しく消えていくばかりたった。歩いて行く道すら、何だか、凍り付いている様子で、足の感覚が、いつもより、固い気がした。人気の無い、上りの山道は、風で飛ばされたのだろうか、落ち葉が、道の両側に、吹き寄せられ、うず高く堆積していて、私が通るために、道を掃き清めてくれたようだった。そんな自己満足に、気分を良くして、一気に頂上まで、登り切った。その分、体がホカホカと暖まり、ひと息ついた。しかし、帰り道、本格的な雪になって来て、辺りは白い世界になり始めた。団地へ入って来ると、庭木に白く雪が積もっていた。11月に降る雪は、昭和37年以来、54年ぶりだそうだ。


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しばれる朝に

家を出た時、うあー、しばれると言った方が、寒いと言うより、ぴったりの朝の冷え込みだった。田に生えた、後苗の緑色を除いて、灰色に染まった、モノトーンの世界が目の前に広がっていた。この景色を見ていると、さらに寒さを感じた。毎年、真っ赤に染まった、ある農家の庭先にある、もみじの木は、今年は、赤の色の上りが悪く、くすんでしまっていた。帰化植物である、アメリカセンダングサの繁茂する、川原までやって来ると、辺りの丘陵が、靄の中に溶けて、ぼんやりとした影を、止めているだけだった。草は、精力的で、一本の枝に、蕾から、花,種子まで、一緒に付けていた。

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また、東北に地震があった朝に

夜が明けると、昨夜からの雨は、小降りになっていた。長く延びた丘陵の景色は、靄に包まれ、煙っていた。まだ、あちこちに、水溜りを残している農道を歩いて行くと、この時刻にいつも、自転車に乗って、飛び出して行く、中学生のいる農家の庭で、主が、落ち葉焚きをしていた。風に乗った煙は、真っ直ぐ裏山の杉林に、吸い込まれていった。そして、ぼやけた景色の中で、唯一目を引いていたのは、垣根を彩っている桃色の山茶花の花だった。突然、体に揺れを感じた。地震が起きたのだった。農家のわき道を折れ、杉林の中に続く、細い登り道を行く。雨に濡れた、杉の葉の堆積した上を歩く、フワフワした感覚は、何とも言えぬ、心地良さを感じる。林の中では、歩く先で、チョッ、、チョッと鳴く、小さな鳥が、まるで道案内をするかのように、進む先々で、鳴き声を発していた。姿が見えないので、何という鳥なのか、分らなかったが、薄暗い林の中では、心強い連れであった。登るにつれて、辺りは、だんだん明るくなった。自宅に帰って、驚いた。また、東北で震度5の地震が起き、津波も起きていると言う。被害が無いと良いのだが。


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キリウジガガンボ、通称カトンボ

厚く垂れこめ、どんよりと曇った空模様は、午後から雨になると言う、天気予報を裏付けていた。初夏の頃から、川岸を埋め尽くし、勢いよく蔓延っていた、セイタカアワダチソウは、先端から茶色く縮れ始め、その勢いも、終わりを告げていた。林の入り口で、葉が茂っている時には、気づかずにいたイシミカワが、葉を落とした今、裸になった木の枝に絡んで、蔓のあちこちに、水色の実を残しているのを見つけた。そこに、フワフワと言うより、風に流されてきたと言う方がふさわしい、キリウジガガンボ(カトンボと呼んでいる)が、飛んで来て、枯葉にしがみ付く様に止まった。幼虫期に、稲の根など食べる害虫として扱われている、そして、一見、蚊のように見えるが、分類は、ハエ目で、蚊ではない。


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