はてなキーワード: するめいかとは
私も性にまつわるエッセイを書いてみたいと思った。
私は、性の目覚めが人より早かったように思う。
自分で自分を気持ちよくすることを覚えた1番古い記憶は幼稚園のとき。
みんなで机を寄せ合って座っていて、私は机の下で足をぴんと延ばしながら足の付け根の真ん中のほうを触っていた。それがいわゆる自慰行為だという意識はなかったけれど、バレてはいけないものだとどこかで思っていた。だから家でするときは、お母さんの足音がするとずぐにズボンの中に入れていた手をすっと出して、平然とした顔に戻る。そんなことを繰り返していた記憶がある。
小学2年生のとき。私は自分が通っていた幼稚園の先生の家にひとりでお泊まりに行く事になった。経緯はあまり覚えていない。その先生は当時27歳と若くて、その先生の家と私の実家が近かったことから卒園したあとも交流が続いていた。そんな中、なぜか私はひとりで先生の家に行く事になった。親から離れるという経験をさせたかったのかもしれない。その日、先生の家で起きたことは今でも忘れない。
先生の家ではソファに座りながら、テレビを見ていた。先生はお酒を飲んでいた。時々するめいかを食べながら。あと、長めのカルパスも。そしてなぜか、私達はキスをしていた。先生がカルパスを半分咥えて「ん。」と私の方に顔を近づける。私はそのまま反対側を軽く咥える。すると先生の顔がどんどん近づいて来て、カルパスと一緒に先生の舌が口の中に入ってくる。そうやって何度もキスをした。お風呂にも一緒にはいった。私は浴槽の中で先生の上にまたがっていた。どことなく”あそこ”が熱を帯びているような、初めての感覚があった。寝るとき、先生は私の身体を全身触った。下から上まで。そしてまた、何度もキスをした。私はそのまま眠りに落ちたが、夜中にふと目が覚めた。私は先生にキスをされていた。舌をいれられていた。起きたらだめだと感覚的に思って、目を必死につむり、寝たふりをしながら先生と長いキスをした。
その日の何とも言えない高揚感、人間の温かさ、はじめてのあの感覚を夜寝る前にもう一度味わいたくて、布団をぎゅっと抱きしめたり、足の間にいれてこすりつけたり、枕とキスをしたり。何度も何度も繰り返して眠りについた夜は数えきれないほどある。私は先生のことが好きになっていた。私の初恋のひとだった。先生とのキスはピュレグミを食べる度に思い出すことが出来た。ピュレグミを噛まずにおいておくと、唾液でまわりの砂糖がとけていく。残ったグミを舌の上で転がす感覚は、先生の舌が私の口の中で動き回っていたあの感覚に似ていた。だから私はピュレグミが好きだった。
先生とそんなことがあったなんて、お母さんには口が裂けても言う事ができなかった。自慰行為と同じ。これは隠さなきゃいけないことだと、そう本能的に感じていた。隠しながら家族と先生で旅行にいったり、交流を続けていた。家族と出かけているときも先生は隙を見つけては私にキスをしてきた。トイレにたったタイミングや、私を寝かしつけてくると両親に言い渡し、布団の中で身体中を触られた。
そんな日々は長くは続かなかった。先生は当時付き合っていた彼女と結婚することになり、お出かけにいくことがなくなった。そして月日が流れていった。気づけば私の先生に対して抱く恋愛感情もどこかへと消えていった。
そんななかでも私の中に「性」への興味はどんどん強くなっていった。親の携帯で「キス」や「エロ」などと検索して何度も動画を見ては、”あれ”を触って気持ちよくなった。初めて絶頂の感覚を味わったのはいつだったか覚えていないけれど、びっくりした。絶頂を迎えた瞬間に”あそこ”がびくびくして、動けなくて、トイレに行きたくなってもおしっこが全然でてこなくて、もどかしくて苦しい。今まで興奮していたものたちが一気に魅力を失って、「あれ、何してたんだろ」という冷めた気持ちになる。その感覚が嫌いだった。だけどいざ始めてみると、どうしても絶頂を迎えたいという気持ちが出てきて、気持ちよくなっては苦しくなって、ということを繰り返した。
中学生にあがると、同級生が「性」に目覚めはじめた。それぞれの性器を掴み合う遊びをしたり、下ネタで盛り上がったりするようになった。その頃、女の子の友達が「オナニー」というものがあると私に教えてくれた。実家に帰り私は「オナニー」を調べた。その時は自分がしていることと「オナニー」は別のものだと思っていた。だって友達もネットも、”あそこ”に指をいれてかき回すを言っていた。私は指をいれていない。表面をなでているだけ。全然違うと思っていた。まあでも、その1年後には自分がしているものが「オナニー」だと何かしらで見て気づいた。自分だけじゃないんだと思えてどこか嬉しくなったのを覚えている。
中学2年生になるとまわりの子が「初めて彼氏とキスをした」とキャッキャ言っていた。そして私にも彼氏がいた。そのときはじめて自分がキスを何度もしたという過去に、嫌悪感を覚えた。みんな「初めて」を凄く大事にしていた。「初めて同士」というのが”普通”だった。私はそんなことすべて済ませていた。また、嘘をつかなきゃいけなかった。
「初めてじゃない」ということが嫌で嫌で、自分の身体が汚れているような気がして、そんあ自分で彼氏とキスをしたくなかった。だから清純ぶった。そしてキスを拒んだ。そこで自分のなかにふたつの世界が生まれた。「えっちなことが大好きな自分」「清純でえっちな事に抵抗する自分」。両方本当の自分だった。家でひとりですることと、彼氏とすることが同じとは思えなかった。「性」と言う世界に他者が入り込んだ瞬間に、私は清純な人間になる。エロから興味がなくなる。これは今でもそう。私は、ひとりの時が1番エロいと思う。
そんなこんなで、大学生、社会人となり、色々と経験した。好きじゃない人とえっちもした。経験人数は20人いかないくらいかな。たぶん。正直数えてないから分からない。でもこれは、自分が求めてしたわけではない。ただご飯に行って、楽しくてそのドキドキを味わっていたくて、家にいく。えっちがしたいわけじゃない。ドキドキしていたいだけ。でも男性にはそんなこと通用しない。そこまでいけばもう、そういうことになる。そして私も流される。「まあいっか。」と。でもそれは自分の内側にある性欲とは別物。
「性欲強い?」と聞かれることがある。困る。強いのか弱いのか分からない。ひとりの時はめちゃくちゃ強い。色んな動画をあさるし、毎日のように自分を慰めるし、変わった性癖に興奮することもある。だけど、他者がいるとどうもその自分が出てこない。えっちをしたいとあまり思えない。不思議。ここをもっと自分でも言語化したい。
■息子と、飲む。
いつかプリキュアのキュアレモネードが変身した日にパニエを履いていた話を思い出す。
栄町のコンビニは華やかはあれど、明治の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、よっちゃんいかのような。甘酢の強さが強調された力強い雰囲気がある。私が過ごした40年前と大して変わらない空気。
するめいかが持つ甘さは、そこに一切存在しない。うまい棒コンポタの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。お菓子売り場に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
カップ麺売り場の棚が、かつて持っていた世界初の乾麺の威厳が薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは袋麺なのだろうか。
私と息子は行きつけの総菜コーナーに向かう最中に味は変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
どの味も変わらないと。
目印的存在であった切り身魚の真空パックが売り切れてしまっても、私らは何喰っても変わらないと口にする。
おにぎりコーナーを抜けて、すぐの総菜パンとデザートの棚は永遠と広がる夢のファンタジーである。
今では5段重ねの立派なミルフィーユに生まれ変わっていたチーズケーキ。されど、心の中は小学校当時のままだという。
あぁ、中学一年生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す私は立派な犯罪者だった。
それでも紅潮する息子の顔はとても粋だ。私は新装の日にホットスナックを頼んで、仲良くなった店員が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す私は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の私も、今日ばかりはトップガン・マーヴェリックのトム・クルーズよりもはるかにカッコよく見えることだろう。
普段は、近くにいたくもないと思える私も、なんだかきっと息子の憧れだろう。
息子が私に連れられたレジは、ホットスナックの棚に何が残っているのかもよくわからない場所だった。
入店から歩いて8分程度。大型冷凍庫の横にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
私と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が中学進学してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、私は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親に自分がマザコンであることを突き付けられたと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、私は母さんを俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ決して母さんの悪口を私は一切言ったことがない」
その言葉を受け止める息子の瞳は、普段とは違った熱がこもっていて、80年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない息子の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないよね。カッコつけられて、かっこいいと思わされちゃったかな。
そんな私が、私はなぜだか愛おしかった。
■ アトピー症状
アトピーが比較的、軽減したので経緯をまとめてみました。同じ体質の方の参考になれば幸いです。
・アトピー症状
特にアトピーが悪化する食品:ジャンクフード(砂糖の入ったもの)、ホエイプロテイン、するめいか
※消化器官が弱いせいか基本的にどんな食事でも腹8分目以上食べるとかゆみが発生します。
症状(悪化時):全身の発疹・掻き傷、かゆみによる不眠症、顔全体の乾燥、浸出液の発生、カポジ水痘様発疹症、慢性的なニキビ等
症状(現在):首、顔、頭部のかゆみ、赤み、手首足首の関節部のかゆみ、赤み(赤みは人前で目立たないレベルに落ち着いています。)
※ここからは個人的なまとめなので、■アトピー対策 まで読み飛ばしても結構です。
内服:抗ヒスタミン薬(錠剤)
外服:ステロイド軟膏
プロトピック軟膏(首より上部&かゆみを伴わない全身の炎症部に使用)
メインべート軟膏(主に手首足首の関節部に使用&強いかゆみを伴う首以下の全身に使用)
ロコイドと保湿剤混合(14年くらい使いましたが後述のFTUを守っていなかったため効果はありませんでした)
リドメックス(当時はあまり使わなかった)
ご飯よりもお菓子を大量に食べる食生活を送っていたので、全身の乾燥とニキビの発生が一番ひどかった時期です。
社会人時代:1,2年目は仕事のストレスで悪化、最終的に2か月ほど不眠症になってしまい精神的にきつかったです。
医者を4者ほど転々として今までの薬の使い方では治らないといわれステロイドの分類で2番目に強い
スチプロン軟膏を処方されました。徐々にグレードを下げていき今はロコイド、メインベートを使用することで
1.風呂を上がってすぐの濡れた状態でソンバーユを身体全身にべたつく程度に塗る(3週間で1瓶使い切る程度が目安)
→アトピー患部から浸出液などが出ている箇所は避けてください。炎症や発疹程度であれば問題ないと思います。
2.全身に塗った後は身体全体の水分をバスタオルでふき取る (こすらず、触れる感覚で)
3. (重要)1FTU基準の適量のステロイドを塗る(※必ず1FTU=人差し指の一番先から第1関節に乗る量を使用して手のひら2枚分の面積の皮膚に塗ること!!!)
https://www.maruho.co.jp/kanja/atopic/external/#e2
必ずかかりつけの医者に今使用しているステロイドが適正なのか、塗り方、使用量が適正か確認して使用することが一番重要です。
場合によっては、かかりつけの医者を変えることで適性の治療を受けられる可能性もあります。
自分がアトピーが改善しなかった原因は"弱い"ステロイド外用薬を"薄く"塗っていたせいでした。
(10数年ほど適正でない1か月で使い切る量の軟膏を3か月かけて使用を繰りかえしていました…。)
■参考URL
ステロイド分類表