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まん丸、メジャーへの道 6

あることないこと 話半分でお付き合いくださいませ







おあとがよろしいようで






※ 10/27の総選挙について下記に【追記】として、ちょっとだけ書かせていただきました。





どうも
三流亭まん丸でございます。



言いたいことを一気に吐き出しますね。




連日、政治家たちが国家の行方を語っていたが、国家とは何かの根本が全く分かっていないかのようだった。

国家とは、主権者である国民が幸福になるためのシステム、それ以外のなにものでもない。

ならばこの先の日本について語られるべきは、「国民が日々幸福になるために生きていく上で、立ちふさがっている障害の排除、直面している苦境・困難の解決のための施策について」でなければならないはずだ。

にもかかわらず。

彼らの繰り広げた主張は、そこにはほとんど触れられず、国家存立の為に、その維持のために何が必要かという政策論議ばかりで、むしろその実現のためにどこまで国民に犠牲を強いるのか、という内容ばかりであった。

空虚だ。

聞いていて呆れるしかなかった。

国民の代表者としてそこに存在している方々であるはずなのに、なんでこうも国民の意識との乖離が甚だしいのだろか。



第二次安倍政権から岸田政権に至るまで、外国の侵略から「国益を守る」ことをさかんに喧伝しそれに基づく施策がなされてきたが、今の日本を冷静に見るならば、最大の脅威は「外」ではなく、「内」ではないのか。

つまり「外に存在する敵」ではなく「国家の根幹システムの崩壊」こそが、眼前焦眉の脅威なのではないかということだ。

国家存立の目的は国民の幸福実現である。

国家の原則はそこにあり、様々なシステムはそのためにある。

しかし、政治家は、その大原則をほったらかしにし、本来国民のために使わねばならない自らに付与された強大な権力を私利私欲のために用い、国民の幸福よりも自らの欲求を満たすことに躍起になり汚職や不正を繰り返した。

献金という名目の賄賂を受け取り、その見返りとしてそれらへの優遇政策を積み重ねてきたことで、持つ者・持たざる者、富む者・富まざる者を生み出し、マタイ現象(持つ者はどんどん富み、持たざる者はいっそう貧しくなる)を加速させ、社会格差を無くすどころか拡大させ続け、それが深刻な経済格差を生んでいる。

何十年も前から予測されていたにもかかわらず、なんら策を講じてこなかったことにより人口減少が進み、あらゆる産業で労働人口不足は顕著になり、インフラ・物流・農業といった生活基盤産業の存続さえ脅かされるようになった。

少子高齢化の危機が叫ばれていたにもかかわらず小手先だけの制度手直しでその場しのぎに終始してきたことで年金制度は崩壊寸前、健康寿命をはるかに超える75歳まで働かなければ生きていけない状況に追いこんだ挙句、老後は2000万円の貯蓄が必要だと平然とほざいた。

そしてそのために株式投資という名のバクチを推奨し、老後の生活資金までも自助努力で賄うよう仕向け、そうできないことを自己責任化してしまった。

本来、国民の幸福追求のための政治システムが、為政者の勝手な都合によって捻じ曲げられ歪められ改悪されてきた結果、「国民が幸福になるために築かれたシステム」、言い換えるならば「国家の根幹をなしてきたシステム」が崩れ始めていること、これこそが今もっとも重大で直接的な脅威なのではないのか?!

だが、今回の総裁選・代表選を通じて、それを口にする政治家はいなかった。

これらのシステムが破綻寸前に至る要因を作ってきた、為政の無策さ・私物化を自ら猛省し、心を入れ替え真摯に謙虚に批判を受け止めて、この悪しき状況を正していくという決意を語る政治家は、誰一人いなかった。

だから、国民の心に何も響かない。

「こんなときばかり」「またか」「どうせ変わらない」「自分にとって都合のいい今の状況を変えようとするはずがない」、政治家に対しての不信が国民の間に蔓延し「諦め」すら通り越して無関心に、もはや新たな政治に対する期待などどこにもない。

国民から信用を失った政治家は、もはや政治家ではなく、政治を執り行う資格など無いのだ。



もう一度書く。

国家は国民が幸福になるための単なるシステムだ。

国民が国家を作るのであって、国家あっての国民ではない。

国家を維持するために、国民に過度な困難を強いたり、国民の日々の生活を犠牲にすることを当然とするのは、まったくもって理にかなわない。

政治家が、自らの懐を肥やせるようシステムの改悪をし続け、「国民の幸福追求・実現の為のシステム」という本来の在り方から全く変容してしまった国家なら、なおさらだ。

そんな国家の体裁だけを装い、その本質が変容してしまったエセ国家を維持するために、国民負担が増大することなど許されるはずがない。

ゆえに本当に国家の行く末を語るのならば、まずは何より自分達政治家が利益を得るためにだけにある現行システムを破棄し、国民が幸福を享受できるシステムに変えていく(戻していく)ことを宣言し、これまでの行為に対しての真摯な反省と自らが痛む覚悟、それでもそれを遂行していく決意を国民の前で明確に示す必要があった。

だが、目を皿に耳をダンボのように総裁選・代表選の各候補の主張を、いろいろな場所で事細かに何回も視聴したが、それについてはまったく示されなかった。

そして代わりに語られた主張も、国民困窮社会の現実からあまりにもかけ離れた話、ノン・リアリティに終始し、事実上の一国の首相を選ぶ代物とは恥ずかしくてとてもいえない、はっきりいってサル山のボス争いでしかなかった。

これまで通りのサル山を存続させるためにはどうすればいいか、それしかそこにはなかった。

国家は国民が幸福になるためのシステムであり、幸せになりたい国民からその力を委託された政治家の役目は、国民を幸せにすることしかなく、それが唯一無二の責務である。

自分たち(政治家たち)の幸せのためだけに存在しているエセ国家を維持するために、その国民を犠牲にするのはやむを得ないという考えは、その根本をまったく間違えている。

そういう考えの政治家に、この内政難局山積の日本の舵取りなど任せるわけにはいかない。

だが、我々は総選挙が行われない限り、サル山内の論理のみで選ばれた新しいボスザルに、ひとまず委ねることしかできない。

来たるその時が訪れるまで、悔悟をかみしめるしかない。



「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有する」

「権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、そのような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義務である」

これは自由・平等の原則と民主主義の理念を掲げたアメリカ独立宣言の一部だが、これによれば、国家の存立のためには国民の犠牲もやむを得ない、国家存立のために国民があるという考えに基づく政治は、主権者である我々国民が打倒し、主権者国民に幸福をもたらす新たな政治を構築していかなければならないとある。

国家は国民が作るものであり、それがおかしくなったら作り替えていくものなのだ。

国家は、国民を幸せにするための道具(システム)に過ぎず、主権者は国民、その国民が国家を維持する目的は、国民が幸せになること以外にない。

ゆえに、そこをないがしろにしてまで国家を存立させることが最優先の目的であってはならないのだ。

これから為政者の座に就く者には、国民あっての国家であることを肝に銘じてもらわなければならない。

そしてそれが叶わぬ場合には、我々国民は、我々国民の権利が最大限尊重され、幸福の追求・福利の享受のために行われる政治を本気になって取り戻さねばならない。


すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(日本国憲法13条)

すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない(日本国憲法14条)

憲法は、「憲法により基本的人権を保障しそれらは我々国民に永久に与えられる」とする一方で、我々国民に対して釘を刺している。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない(日本国憲法12条)

権利と自由は、何もしなくても守られそこに当然に存続しつづけるものではなく、むしろ「権利や自由を主張し行使しなければ取り消される」ものであり、国民は自ら積極的に政治に対して働きかけを行い、時には政治に対して抗しなければならない、と。

ゆえに我々国民は、この尊い我々の自由及び権利を有し続けるために、どんな時でもでもいかなる状況でも、決して諦めることなく「おかしいことはおかしい」と、我々の権力を委託した政治家に対して問い続け注文をし続け、政治に対して声を上げ続けなければならないのだ。

諦めることなく、「不断の努力」を積み重ねていかねばならない。

国民の不断の努力の果実は、来るべき総選挙においてあらわれる、そう信じたい。








…と、ここまで書いて。


はぁ~ スッキリ致しました。

とりあえず今の段階で、言い残しはありません。





え~

突然ですが、この記事をもちましてこのブログを「中締め」し、いったん「お開き」にしようと思います。

2009年3月にスタートして約14年半、39歳だった私はもうすぐ55歳(11月で)になり、老眼で細かな文字が読めなくなり、お腹はさらに出っ張り、頭髪は…  

随分歳を取りました。(涙)

でね、74歳で死んだオヤジのことを考えると私に残された時間はあと20年、ここらでここまでのことにいったん区切りをつけて、これからの20年間をどう生きていくかをちょっと真面目に考えてみようかな?って思ったわけですねぇ。

ま、そういうことですが、人生の4分の1という長~い間、時には真面目に、ほとんどふざけて書き続けた2100もの記事をパッと消してしまうのはなんとも忍び難く耐え難いので、このブログは閉鎖せずにこのまま、記事も読めるようにしておこうと思います。

皆様のところへのご訪問もこれまで通り。

で、これからの20年間をどうするかを考えて、「またブログを書こうかな?」と思ったら、しれ~ッと何事もなかったかのように戻ってくるかもしれません。

ゆえに「完全にやめる!」と宣言してしまうと戻ってきにくくなるので、とりあえず「中締め」でいったん「お開き」、もしかしたら二次会・三次会があるかもしれないよ~というくらいの、緩~い感じにしておこうかと存じます。



…てなわけで。

長年にわたるお付き合い、そして御愛顧、心から感謝申し上げます。

皆様、本当にどうも有難うございました。


次があるかもしれませんので最後はこの一言で。


おあとがよろしいようで。



「まん丸、メジャーへの道」 【完】






…かもしれない。(笑)

 
 



【2024年10月28日追記】
民主主義による意思決定の原則は、多様性な意見と個人・少数派権利の尊重、それらを集約するための議論による全会一致であって、多数決は意思決定手段の一つに過ぎません。
ゆえに本来は様々な意見を俎上に乗せ議論を重ね合意形成していくわけですが、意見の相違の溝を埋めるために根気よく粘り強く説明・説得し意思決定までに議論を尽くさねばならず大変な労力を要します。
ここが「民主主義は面倒で手間と時間がかかる」といわれる所以です。

ところが政権復帰してからの自公連立政権はこの民主主義的プロセスをまったく無視し、数の力により他の意見をまったく受け入れず「これしかない」「こうあるべきだ」という自己の意見・主張のみの実現を目指して政権運営してきたわけです。
これまでの戦後一貫してとられてきた国としての方針の大転換を伴うような重要事項でさえ、為政者の一存・意思のみによって、民意を十分にくみ取ったとはいえないおざなりの議論と数の力の濫用ともいえる多数決によって決められきました。
数の力による議論なき多数決による意思決定は民主主義への冒涜、権力によるはなはだしい専横としかいいようがありません。

安易な多数決が対話を閉ざす道具になっている
(東京外国語大学・大石高典准教授)


いえ、むしろ恣意的に対話(議論)せず、意思決定の一つの手段でしかない多数決を悪用・多用・濫用して、多様な異なる意見や主張を黙殺してきたわけです。対話(議論)の機会を設ければ、それらを俎上に乗せなければならず、決定に際し配慮や考慮をせざるを得ませんからね。

人の諸権利についての無知、忘却または蔑視が公共の不幸と政府の腐敗の諸原因である
(フランス人権宣言)


そして為政者は、数の力を背景にしたやりたい放題が長期常態化することで感覚がマヒし、何をやってもいい、何をしても大丈夫、という驕り・慢心・傲慢さにより、腐り始めた己を認識できなくなります。

権力は腐敗する
絶対的権力は絶対的に腐敗する
(ジョン・アクトン)


この格言は世の常、長い歴史において立証されている定理のようなもので、日本でも安倍政権以降の長き春を謳歌した自民党が案の定腐りました。
その専横は一層エスカレートし、民意を政策に反映させることがその使命であるのに、その民意を無視、いや民意そのものがもはやわからない、何が悪いのかすら理解できない・わからないほど、自民党は腐り果てます。
腐り始めたばかりの池の水は他の綺麗な水によりまだ再生可能ですが、腐りきった水しかない池は、もはや自らの力では再生できません。
自浄作用が全く働かなくなった腐った自民党に、それまで自民党を支持してきた人ですら愛想をつかし、今回NOを突きつけたのです。

権力の乱用と権利の侵害が、常に同じ目標に 向けて長期にわたって続き、人民を絶対的な専制の下に置こうとする意図が明らかであるときには、その ような政府を捨て去り、自らの将来の安全のために新たな保障の組織を作ることが、人民の権利であり義務である。
(アメリカ独立宣言)


これが具現化したのが今回の総選挙です。

驕れる人も久しからず
(平家物語)


民意は形となり、自公連立政権は過半数を割り込むこととなります。

だけど、これで安堵してはいけません。
権力は魔物、手にすると人を変えます。
新たに権力を握った者が、ふたたび腐った政治を繰り返さないように、我々有権者は政治を厳しい目で監視し続けなければならないのです。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない
(日本国憲法第12条)


そのためには、我々有権者も「政治屋」と「政治家」を見極める目を持たねばなりません。

政治屋は次の選挙のことを考える
政治家は次の世代のことを考える
(ジェームス・クラーク)


資質の欠片もないタレントや芸能人上がりや、ボンボン育ちで民意とかけ離れた世界で生きてきた世襲、そして裏金・脱税行為を息をするかの如く行う利己主義的金満政治屋を、2度と政治の舞台に登壇させてはなりません。

政治屋を排除し、心の底から信じ自らの未来を託せるような志ある政治家を選び出す目、もし今そういう政治家がいないのであれば育てていく環境を整え、我々主権者国民が幸せになるための政治を取り戻しそれを保持するために、常に政治を監視し、政策に対して声を上げ続けていかなければならないのです。

一方で我々国民から信託されて選ばれた新たな議員は、この選挙の結果を謙虚に真摯に受け止め、永田町の論理で動く政治屋であることを恥じ決別することを覚悟し、青雲の志をもって国民のための政治家になるよう、心を入れ替えて努めなければいけません。

民主主義の大原則である、多様な意見・少数意見を尊重しながら徹底した議論による合意形成と意思決定をはかるという、国会の本来のあるべき姿に、戻していかなければなりません。

野党勢力250が政策・理念の一致無くしてただ政権奪取のために集まればそれは単なる野合であり、そんないい加減な烏合の衆政権には直面する喫緊の課題山積の日本を委ねることはできません。

そして自公も獲得議席215という現実を直視する必要があります。

安易に野党を連立与党に引き込む工作を画策しこれまでのように数の力による独りよがりの政権運営を遂行しようとするのではなく、少数与党として自公あわせて衆院過半数233に足らない18を埋めるべく、野党からの多様・少数の意見等をも取り入れながら政策立案・政権運営を行い、可能な限り全会一致に近づけるような合意形成をはかるための丁寧かつ徹底した議論に努めなければなりません。

面倒で時間と手間がかかるかもしれません。

でも、それが民主主義です。

今回の選挙は「腐った政治からの決別」「金権・利権誘導政治から国民が幸せになるための政治への転換」「日本の民主主義の再生」、このスタートラインにようやく立てたということなのではないでしょうか。

腐りきった日本の民主主義が再生されるか否かは、新たな議員たちが、有権者が選挙を通じて示した声を真摯に受け止め反省をし心の底からの改心した上で、信頼・信用が完全に失墜した腐りきった今の政治を本来あるべき姿に復元していく困難に挑む覚悟を示し遂行していくこと、そして我々有権者も政治に対して常に「おかしいものはおかしい」と声を上げ続けられるよう真剣に厳しい目で政治をチェックし続けていくこと、これらができるかどうかにかかっています。

今のままの政治が続くようでは日本に未来はありません。

これからが本当の勝負なのではないでしょうか。


以上、今回の総選挙の総括でした。






コメント

まんまるさんのブログ 私が心の中で思い 怒り 感じていたことを明確に 理路整然と記事にしていただき 共感させていただきました。貴兄の様な方が国会議員に一人でもいたらとつくずく思います。与党野党総裁選でともにマスコミで面白可笑しく報道されていますが 国民の幸せ は蚊帳の外。麻生に小泉が頭下げに行ったなんて やくざの襲名争いの様、所詮国民不在の茶番劇。
このままだと日本はアジアの3等国に成り下がります。
私は来年正月に80歳迎えます。
生きている間に 日本凋落 は見たくありません。
まんまるさんのブログが消えるのは本当に寂しいです。
不定期更新でぜひお願いします。
まんまる応援団 代表、Kitchenplaza

2024.09.27  kitchenplaza  編集

こんにちは~

きっとすぐ戻って来られることを信じて待っていますよ
ブログもこのままでお願いします

人生100年とか
なので後、倍生きてください
長いですよ50年って

日本に四季がある様に
最低でも、年4回は書けると思いますよ~
待っていますね~

2024.09.27  桜子  編集

え?中締め??いったんお開きぃ???
てことは、二次会・三次会が無いわけがない
ですよね?待ってますよー。
まん丸幹事、早めに集合かけてくださいねー!
ああ〜今から早くも待ち遠しいです。
(考えさせられていっぱい笑わせてくれて
 ありがとうございました)

2024.09.27  さとちん  編集

ありがとうございました!

皆様、コメントありがとうございます。

自民党新総裁誕生・阿部巨人復活V目前・袴田裁判無罪判決・兵庫県知事の居座り→不信任決議→出直し知事選… とまぁ、これでもかっていうくらいに縁もたけなわではございますが、ひとまず「中締め」させていただこうかと存じます。

とはいえあくまで「中締め」ですからこの後に2次会・3次会、はたまた朝までフルコース、第2回・第3回なんていうまたの機会がある可能性も、もしかしたらあるかもしれませんねぇ…(笑) 

ということで、14年という長きにわたりご愛顧ご贔屓いただきまして誠に有難うございました。心から感謝申し上げるとともに、しれ~っと復活した暁にはまたお付き合いいただけますようお願い申し上げます。

それでは皆様

「さよ~なら! またいつか!」





2024.09.28  三流亭まん丸  編集

お疲れさま

三流亭まん丸さん毎回溜飲の下がる内容で興味津々拝見しておりました。
これからますます混迷の様相が見え見えで、書かずにはおられないことが続出すると思いますよ。
二次会、三次会、と続いて欲しいですが頭に来て脳血管が破裂しないように
くれぐれもお体をお大切に。

2024.09.28  タコノアシ  編集

タコノアシさん、ありがとうございます。

またいつか、しれ~っと何事もなかったかのように更新するかもしれませんので、その際はよろしくお願いいたします。

ひとまず、これにて。(笑)

2024.09.29  三流亭まん丸  編集

またぜひ再開をお待ちしています。

少し休みたい気持ちはよくわかります。
でもたまには世間に喝を入れていただくのも
いいかと思います。

またそれまでゆっくりされてくださいね。
再見。

2024.10.01  メロンボール  編集

メロンボールさん、ありがとうございます。

ブログ終了は今度の衆院選に出るために…

というのは「真っ赤っかなウソ」でございます。

ま、外野から言いたいこと言ってる方がラクですからね。

またしれ~っと書き始めるかもしれませんが、その時はまたどうぞよろしく。

これまでお付き合いいただけたこと、心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

謝謝。


2024.10.02  三流亭まん丸  編集

私のブログの更新が滞っていた間に・・驚きました。
まん丸さんの書かれる政治的社会的内容にも共感することも多く、読ませていただく度にホッとしておりました。
私はツイッター(今はXですね^^;)のあの渦巻く「狂気」が苦手で、アカウントは持っていても、ほとんど使わなく見なくなりましたが、まん丸さんのような方のブログを読んでいればそれだけで満足というか、事足りるといいますか・・なので楽しみに読ませていただいておりました。

あと、個人的には奥様とのご結婚のエピソードも心に残っています。良い意味で慶応卒らしからぬ、人間味を感じられる素晴らしい方だなあと尊敬しております。(決して慶応の方をディスってる訳ではありません^^;)奥様、お目が高い!!と思いました。

もし気が向かれましたら、また復活してください!!
お待ちしております^^

2024.10.19  マナサビイ  編集

マナサビイさん、コメントありがとうございます。

そして長い間のご愛顧、心より感謝申し上げます。

14年も続けたブログですので、ネタに困ったときにはいろいろと私生活をさらけ出したりしてね…(苦笑)

ま、完全終了ということではなく、「ひとまずお開き」というなんとな~くゆる~い感じにしておいていただけると助かります。

また、何か書きたくてウズウズし始めたら、しれ~っと再開するかもしれませんのでね。

そのときはまたしれ~っとご愛顧いただければ嬉しいです。

それでは、そのときがくるまで、ごきげんよう。

2024.10.23  三流亭まん丸  編集

正統派のブログ終わり?残念です。まず都知事に立候補しましょう。気合いのある利害関係を画が得ない人私東京に引っ越しして、1票投じますよ。

2024.10.30  卑弥呼です  編集

卑弥呼さん、コメントありがとうございます。

またこれまで長きに渡りこんなしょーもないブログにお付き合いくださいまして誠に有難うございました。

正統派ブログ??

ただのお笑いブログでございます。(笑)

「終了」にしてしまうと戻ってくる場所が無くなっちゃいますし、また書きたくてウズウズしてきたら、しれ~っと再開するかもしれませんので、終了という事ではなく「中締め」ということにしておいてください。

ということで、外野から言いたい放題言ってる方が気が楽ですので、都知事選にも参院選にも出る予定はございません。

またいつの日かこのブログでお会いいたしましょう。

それまでお互い健康に留意して頑張っていきましょうね。

それでは。

2024.10.31  三流亭まん丸  編集

まん丸様、一旦、お疲れさまでした。そして、いつも、ストン・・・と、腑に落ちる言葉、記事をありがとうございます。
笑いありも、楽しませて頂いておりますが、
やはり、今日のような、読んで「そうそう!!あ~、それよそれ!うん、納得!!」って、自分の中で、もやもやしてる気持ちが、
理路整然と語られると、スッキリいたしております。
どうか、まん丸様には、この先も、機会があれば、気が向けば、度の合う老眼鏡が出来れば、大いに語って欲しいと願っています。
出来れば、まん丸様が後の20年、政界で政治家として弁を振るってほしいなぁ・・・と、勝手に思っております。

2024.10.31  ほんなあほな。  編集

ほんなあほな。さん、コメントありがとうございます。

そして長い間拙ブログをご愛顧いただきましたこと、心より感謝申し上げます。

度の合う老眼鏡と矯正下着とアデランス増毛して、見た目が20歳若返ったら、ブログ復帰しますね(笑)

あと、外野から言いたい放題している方が楽なので、「ゆうひが丘の総理大臣」くらいで勘弁してください。

毛玉の皆さんにもよろしくお伝え下さいね。

それでは、また。


2024.11.01  三流亭まん丸  編集

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Author:三流亭まん丸
オヤジギャグ好きの
ただのそこらへんにいる
ちょいエロオヤジでございます。
あること・ないこと、
真偽のほどはいい加減。
そんな記事により
皆様に何か不都合が生じた場合、
その責任は痛感いたしますが、
責任はとりません。(笑)

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