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まん丸、メジャーへの道 6

あることないこと 話半分でお付き合いくださいませ

2024.08.01

8月に考える




8月に考える




八月や






戦争を決めた少数の犯人は万死に値するが、戦った幾百万人の犠牲心は、時代がどう変わろうとも、不滅の尊い記録として永久に民族史の上に染められるべきである。連合艦隊とその人々。連合艦隊は再び還らないが、日本と日本人とは残った。問題は、その日本人が「還らぬ人々」の愛国心と犠牲心とを記憶して、よく己れの戒めとするかどうかにかかる

(伊藤正徳著「連合艦隊の最後」の「序」の「第三節」より)



最近、本ばかり読んでまして。

日露戦争終結のためにロシアとの過酷な講和交渉に挑んだ小村寿太郎外相の「ポーツマスの旗」(吉村昭)、海軍三羽烏と称され対米戦争開戦に最後まで抵抗したものの軍人として戦争における日本海軍の舵取りを担った「山本五十六」(阿川弘之)「米内光政」(阿川弘之)「井上成美」(阿川弘之)、首相・外相を務め文官で唯一A級戦犯として処刑された広田弘毅の「落日燃ゆ」(城山三郎)なんかを読みあさってたんですけどね、驚くほどよく似てるんですよ、この物語で描かれてる日本と、今の日本が。

私が読んでいて痛感したことは、「日頃から知見を深め、常に冷静に状況判断し、己の力を正しく把握すること」がすべての始まりであり、「根拠に基づかない過信はすべての判断を見誤らせる」ということ。そして「無思慮な奴ほど威勢がよく無責任だ」ということ。

小村寿太郎にしても米内光政にしても、当時の列強と呼ばれた世界の国々に対して、ちっぽけな日本という国の乏しい資源、工業力や経済力といった総合的な国力を冷静に分析しており、その根底には「日本は全く強くない」という認識があったわけですよ(でも彼らは決して必要以上には卑下してはいない)。その強くない日本が国際社会において生き残る為には?と考えたら、おのずとすべきこと、しちゃいけないことが見えてくるわけですね。小村・米内、山本や井上の言動の根拠は、常にそこにあったわけです。

で、今。世界第3位(4位でしたっけ?)の経済力を有し、防衛装備も世界で有数、たしかに世界の中において凋落傾向にあるとはいえ未だ日本の国力は相対的には強い方の部類に含まれるでしょう。ただ、向かい合わなければならない国々と直接比べてみたら? 

世界第2位の経済力を持ち、日本の5倍の軍事費で拡大し続ける中国に対しての日本は? 

単純に考えても、14億人と1.2億人が戦えば、向こうは14人がかりで1人やっつけりゃいいわけですよ。黒沢明の100人斬りじゃあるまいし、14対1じゃどうやったって勝ち目はないわけですよ。

で、核ミサイルぶっぱなしかねない北朝鮮、その背後にはその中国、そしてプーチン専制国家であるロシアがいるわけですよ。その国々との絶対的な力を比較したときに、果たして日本は「強いといえるのか」ってことです。

私はね、莫大な経済力をバックに底無しの生産力で拡大し続ける中国の軍拡に呼応して、日本が安全保障という名の下で軍拡を進めたとしても、そのスピード・圧倒的物量に勝てるわけがないと思ってますよ。だって国力に圧倒的な差があるんですから。

日本は弱くないけど決して強くもない、その強くもない日本がどう中国と向き合うのか。

少なくとも軍拡じゃないと思うんですよね。個の国力で対抗するのではなく、日米の信頼協力関係をさらに進化させる一方で、元々の友好国とはその関係をさらに深め、日本の味方になってくれる新たな国々との友好関係を構築し、それらと協力して中国に抗する。

だからね、そういう点においてだけは、安倍さん以降の日本がしてきた外交は評価できるわけですよ。

ただし、満点かといえばそうではない。不十分どころか赤点。

だってその向き合わなければならない中国との直接的な外交努力を全くしていないわけですね。安倍さん、そしてそれ以後の政府首脳らは、習近平さんと何回首脳会談しましたか? 

嫌な相手かもしれませんが、それでも顔を何度も突っつき合わせて、相手の出方や腹の内を、直接会って探り合う機会を設け、ニコニコ握手をしながら机の下で足を蹴飛ばしあう。だけど決裂し喧嘩別れするのではなく、「とても有意義だった。互いに理解できないことを、理解できた」という大人の対応で会談を積み重ねることが、実は安全保障において、もっとも重要なことだと思うんですけど、それを全くやってこなかったんですよね。

あとね、私がなんとなく嫌だなと感じているのは、今の国会議員の皆さんたちは「日本は強い」って考えている方が多いんじゃないか?っていうことなんですよ。最近、非常に短絡的で、威勢のいいことばかり、よく耳にしますから。

でも、ほんとうに日本って強い国なんですかね。

そこを見誤ると、とんでもないことになっていきますよ。

本当に強い国は「強力な軍備を備え、戦う」という方法を選択しなくても、他の手段で国を守る術を複数有している国なんじゃないでしょうか。

過去、このブログの記事やコメントに、私はこんなこと書いてました。

私は、戦争はいやです。そういう状況に追い込まれて、周りの全員がそれをやむなしと受け入れたとしても、私は戦争には反対します。戦争は、罪無き国民を、国家の命により無差別大量殺人に動員するということ。そして命を落とし害を被るのは戦争を決めた者ではなく国民。そんな戦争を正当化するために掲げられた正義など、そういう状況にまで状況を悪化させた無能な為政者の言い訳・屁理屈に過ぎず、そんな正義を語る為政者ほど稚拙で喧嘩好きだということは、図書館に所蔵されている歴史書をみれば一目瞭然です。そんなもんに加担するなど、まっぴらご免です。たとえ戦争が起こっても、周りの人々から何を言われたとしても、戦争には反対し続けますよ。たとえその言動で命を失ったとしても、銃口をひと様に向け、引き金を引くよりはるかにいい。それが私の、争いの無い未来の実現に対する「自己犠牲」だと思っています。(2018.8.27)





阿川弘之著「米内光政」の序章「六」で、井上成美がこう言ってます。

「国の存亡のためには立つ。国滅びるというのなら、国の独立が脅かされるときには、とにかく立つ。そのためには軍備というものが必要だ。国の生存が脅かされ、独立が脅かされた場合には立つ。そのかわりに、味方を作っておかなけりゃいけない。自分だけじゃ勝てない。正々堂々の主張をするならば味方ができる、と私は考えています。弱い国家を侵略してそれを征服して自分のモノにしようということをする者は、必ずほかの国の批判にあって、みそかの晩の金勘定の清算をさせられる時期が来る、と思う。軍備というものはいらないじゃないか、戦しないのなら…そういう意味じゃないですね。」

私もこのブログの記事のコメントにこんなことを書いています。

私は自衛隊の存在を否定しません。他国からの侵略行為に対抗する防衛手段としての実力部隊を保持することは国として当然だからです。「個別的自衛権を行使する実力部隊」である自衛隊の存在、そしてその法的根拠については、集団的自衛権行使可能となった法改正前の、戦後政府が答弁してきた自衛隊合憲の解釈通りで、なんの不備もないと思っています。ただし前述の法改正後の自衛隊を、憲法に明文化することに対しては、個人的には反対です。国民の間で熟考し、議論を重ね、意見を集約していく必要があると考えます。安倍首相の一存で、安倍首相の個人的考えを、国民の持つ憲法に明文化するのは、やはりおかしい、そう思いますねぇ。(2018.8.27)

我が国への侵略行為に対しては断固抗する。その覚悟を示すために侵略から国を守る為の力は持つべきです。

ただし、あくまでもその力は平和を維持するための根拠、国の独立を守るための外交的交渉を裏支えする一つの要因として存在する力にとどめるべきで、この力を必要以上に誇示したり恫喝・威嚇に利用しては絶対にならないんですよ。

日々、真摯な話し合いによる交渉での外交努力を積み重ね、各国と信頼・友好関係を築くことこそが真の侵略行為に対する抑止力であることを肝に銘じ、それを絶対に忘れてはならない。

いたずらに、必要以上に戦力の拡充を図ることは、各国との緊張関係を高め、軍拡競争を煽るだけであって、「安全保障のジレンマ」(※)という逆効果を招くだけ。

※「安全保障のジレンマ」…A国との緊張が高まった際、もしもの事態に備えてB国は軍備の拡充を図る。その動きに呼応し、A国は更なる軍備の拡充を図る。それに対しB国は・・・。「もしも」「万が一」に備えれば備えるほど、軍備拡充競争は激しくなる。これを「安全保障のジレンマ」という。

重ねて書きますが、軍備拡張は絶対に安全保障の核にはなりえないわけで、相互の意思確認のための外交努力こそ、それを徹頭徹尾・外交努力を積み重ねることこそ、安全保障政策の核だと考えます。

「外交とは武器を持たない戦争である」といわれます。笑顔で握手を交わし、机の下では互いのスネを蹴り合っている、それが外交です。嫌だろうが、憎かろうが、話にならない相手だろうが、ゴロツキだろうが、チンピラ集団だろうが、まずは直接顔を突っつき合わせ話し、「お互いを理解し合えないことを、お互いに理解した」を積み重ねることが安全保障には最も大事なことです。その外交努力をせずして戦力増強だけに走れば、安全を守るためという名目の元、「万が一のために」と備えれば備えるほど軍拡競争化し、緊張状態が高まり、安全が脅かされるのです。分かり合えなくたっていい、文句言い合うだけでもいい、まずはどんな相手だろうと直接話し合う機会を積極的に設ける。そういう外交努力もしないうちから、ただやみくもの防衛力の増強、敵国内の敵基地攻撃能力容認、弾道ミサイル配備、先制攻撃論、核レンタル論・核保有議論など俎上にのせられないと考えます。(2018.8.27のコメント)

「戦争が起きたら」の仮定には「戦争が起きないように普段から外交努力を積み重ねる」、「よその国が攻めてきたら」の仮定には「よその国が攻めてこないように普段から外交努力を積み重ねる」、これが「領土・領空・領海を守り、国民の生命財産を守る」という真の安全保障であり、政治が全精力をつぎ込んでやるべき役割だと考えますが、安倍政権以降の安全保障政策は、これらの仮定の事象が「発生したときに備えて戦争ができるようにする」という視点しかなく、「起きないように努める」という考えが決定的に欠落しています。

最近、特にその傾向が強くなってきたように感じますねぇ。




長くなりましたのでそろそろ締めたいと思います。

私も大学で政治を学び、戦前日本のことは、経験はしていないまでもある程度理解はしているつもりです。日本人、日本社会全体が戦争肯定に洗脳され一色に染まってからでは、国民個々の力では何もできないということも知っています。だからこそ、モノ言える今、モノを言い続けるしかない。私は右翼でもなければ左翼でもない。ただ「戦争はしない。戦争が起きないためには何をするべきなのか」のみが思考・行動の判断基準であり、その一点において、政府に対して声を上げ続けていきます。(2018.8.27のコメント)



戦争を起こすことはそれほど難しくない。国民に対し、我々は攻撃されかけているのだと危機感をあおり、平和主義者には愛国心が欠けていると非難すればいい。

(ナチス最高幹部 ヘルマン・ゲーリングの言葉)



あらゆる戦争は、時の権力者・為政者が掲げる「自衛」を大義名分に始まってるということを忘れてはなりません。









コメント

戦争から得るものは何もありません!

2024.08.11  卑弥呼です  編集

卑弥呼さん、コメントありがとうございます。

国、為政者の無知無能が戦争を引き起こします。

我々国民も無知無能であると、無知無能の為政者の愚行を止めることはできません。

我々国民一人一人が見識を広め知見を有すること。

そして一時の感情に流されることなく大局的視点で冷静に物事を判断すること。

無知無能なやつほど無責任で喧嘩っ早いことを肝に命じ、我々国民は為政者にふさわしいか否かを選別(選択ではない)していかねばなりませんね。



2024.08.18  三流亭まん丸  編集

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Author:三流亭まん丸
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皆様に何か不都合が生じた場合、
その責任は痛感いたしますが、
責任はとりません。(笑)

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