どうも
三流亭まん丸でございます。
2年前なんですが、
長男がとある大学附属の高校を卒業しました。
で、そのまま推薦で大学へ進学し、
今は大学1年生。
おいおい、計算が合わないじゃないか、ですって?
ま、このご時世で
いろいろございましてねぇ。
大学卒業したら学費1年分
きっちり返してもらいますので
どうぞご心配なく。(苦笑)
ま、それはさておき、
コロナ禍で卒業式が軒並み中止となった昨年、
中3だった次男の卒業式もやはり中止となりました。
卒業生に学生時代の良き思い出を残すべく
今年は感染症対策をしっかり講じて
なんとか卒業式を実施してほしいですねぇ。
てなわけで、
今回は過去の記事からの再掲載です。
2020年2月の「アイドル論」を
改めてお読みいただければと存じます。
それではどうぞ。
↓ ↓ ↓ ↓
今思えば、1980年代、特に80~82年までにデビューしたアイドルは凄まじかった。ザ・ベストテン、ザ・トップテン、夜のヒットスタジオなど生歌番組が全盛だった時代に、一体どういうスケジュール調整をしていたのか、もしかしたらどこでもドアを使ってるんじゃないかと思わせるほど、あらゆる歌番組に、疲れた顔一つ見せず弾けんばかりの笑顔で出演していた。中には新幹線での移動中に、停車している間を利用して、駅から生中継で歌うなんてことをやってのけた強者もいたと記憶している。
Youtubeなどから当時の様子を伺い知ることができるが、みんながみんな強烈に可愛かった。みんながみんな「生で」その歌声を披露していた。ストーリー性のある詞、爽やかで心地よいメロディを併せ持つ楽曲を見事に歌いあげ、その世界観を余すところなく表現していた。そこら辺にいそうな女の子ばかりを寄せ集めてこしらえたグループ単位の「なんちゃってアイドル」ではなく、独自のキャラを生かしながらその歌唱力と表現力で、ひとりひとりで芸能界と堂々と渡り合っていた、スーパー可愛いながらも一勝負師であった「誇り高きアイドル」だったのである。
日本人は何かというと、三大○○と称して有名どころをひとくくりにする傾向がある。たとえば日本の名所は、松島・天橋立・三保の松原であり、日本のガッカリ名所は高知はりまや橋・札幌時計台・長崎オランダ坂であり、競馬界ではオグリキャップ・スーパークリーク・イナリワンであり、角界においては輪島・北の湖・若乃花(三重ノ海とも)であった。
そして女性アイドルといえば、松田聖子・中森明菜・小泉今日子であった。
私はこの3人に敬意をこめて3強と称している。この3強こそ女性アイドルの中のアイドル、スーパーアイドルなのだ。これについては一切の異論を私は受け付けるつもりはない。なぜなら、私の偏見に満ちた記憶が正しければ、汗臭い脂ギッシュのニキビ面の若い野郎共の2/3はこの支持層だったからだ。
さて、当時の芸能界における女性アイドルは、それはそれはソフトバンクホークスのごとく層が厚かった。3強以外にも魅力的で素晴らしい女性アイドルが目白押しだった。3強を語る前に、当時の角界に例えるなら北天佑・若島津・琴風・朝潮、逆鉾・・・ともいうべき、河合奈保子・早見優・堀ちえみ・松本伊代・石川秀美ら3強を追う第2グループについて、少しだけ語ってみたいと思う。
この大関・関脇クラスの中で、私の一押しは石川秀美だった。今現在おっぱい星人ゆえ皆さんは河合奈保子だったんでしょ?とお思いだろうが、まだおっぱい星人ではなかった当時の私は、河合奈保子の「ゆれる胸」ではなく、「ゆれて湘南」石川秀美の健康的な太ももとまぶしすぎる笑顔にノックアウトされてしまった。
だが当時の石川秀美には、河合奈保子のボイン、早見優の英語、どじでのろまな堀ちえみ、伊代の潰れた鼻声といった必殺の武器が無かった。歌唱力も「あれれ?」と誰もが感じる10段階評価で6(5.45を四捨五入して5.5、その5.5を四捨五入しての6)だった。健康的な可愛さは抜群であったのだが、あくまでもそれだけ。白鵬のような「横綱なのにカチ上げ」といったような、石川秀美には「アイドルなのに〇〇」がなかったのだ。中途半端感と物足りなさを感じていた。必殺技を身につけ、アイドルという殻をぶち破り、もう一皮むけてもらいたい、なんならひと脱ぎしてもらいたい。だが結局私の思いは秀美には届かず、引退まで私の期待値(よこしまな欲望)をこえることはなかった。
つまり石川秀美は大関、その中でも優勝争いに絡むわけではないクンロク大関だったのだ。ま、それでも、大関は大関。横綱が傑出しすぎていては角界が盛り上がらないのと同じ、大関陣の輝きが芸能界をより華やかに彩ったことは言うまでもない。
石川秀美の、トップアイドルにまで突き抜けていけない中途半端感は、実生活にも反映されていた。薬丸裕英という芸能界において微妙な存在のシブガキを旦那に選んだことでも、お分かりになるであろう。それでもクンロク大関・秀美をモノにした薬丸が心底うらやましかった。それと同時に、まさか薬丸なんかとと、苦虫を噛みつぶしてさらにもう5匹噛みつぶすほど悔しかった。だが、石川秀美が幸せだというのならそれを祝福してやるのが真の秀美ファン、「ジタバタするなよ」と自らの心を押さえつけ、夜空に浮かぶペーパームーンを見上げ涙をこぼしたのだった。
(石川秀美に関する記述に、セクハラ・パワハラまがいのハラハラするような多くの記述がございますが、決して「へ、ヘイ! ミスターポリスマン!」を呼ばないでいただければ幸甚に存じます。)
おっと、長くなってしまった。石川秀美についてはこれくらいにして、そろそろ本題、アイドル3強、松田聖子・中森明菜・小泉今日子について語ってみたいと思う。
3強の彼女らの魅力はとても一言で語ることはできないが、しいて一言で語るとすれば総合力の松田聖子、歌唱力の中森明菜、可愛さぶっ飛びの小泉今日子、といった感じだろうか。もうちょっとわかりやすいように大相撲の関取衆に例えてみると・・・
え? そんな例えはいらないって?
私がアイドル3強の中で、最も好きだったのは松田聖子である。松田聖子の最大の魅力は「キャンディボイス」といわれる、透きとおるような伸びる高音である。その歌声で楽曲の世界観を感性豊かに歌い上げ見事に表現し1つの作品として仕上げる。しかもその完成された作品には、青春の甘酸っぱさと心地よい余韻しか残らない。もはやその作品の世界観は芸術の域に達していたといっても過言ではなく、そういう意味では彼女こそアイドルの枠を超えた「スーパーアイドル」だったのだ。
・・・ちなみに私は「スーパーオヤジ」である。別に近所のイトーヨーカドーに入り浸っているからではない。自慢ではないが、私は2日前の夕食で何を食べたか忘れてたとしても、デビュー曲の「裸足の季節」から聖輝の結婚で休業する直前に発表された「ボーイの季節」まで、今でもほぼ完璧にソラで歌える。「ほら、あの曲なんだっけ?」と思い出せずに悶えている方にとってみれば、間髪入れずに「それは『白いパラソル』だよ」と答えてくれる私は、とても便利な存在に違いない・・・、ということはスーパーではなくコンビニオヤジではないか?!
さて、その松田聖子の作品の中で、私が日本歌謡史上に残る最高傑作だと思っているのが、彼女の8枚目のシングルとなった「赤いスイートピー」である。
一時期、人のふんどしで相撲をとってばかりいた徳永英明がこの作品をカバーした時、「聖子さんはね、『あなたが時計をちらぁっと見るたび』って歌うんですよ。歌詞カードにある『ちらっと』じゃなくて、『ちらぁっと』なんです。この何てことなさそうに思える『ぁ』こそ、この曲で描かれている女性の男性に対するせつない想いを、聖子さんが見事に表現している凄いところなんですよね。」と某テレビ番組で興奮気味に話していたのを見たことがある。
あ~、そうですか。
その程度ですか。
どうせ語るなら、これから私が語るくらい熱く語ってくださいな。
この楽曲は、詞は松本隆、作曲は松任谷由実(呉田軽穂名義)が手掛けている。この稀代のスーパーコンビが手掛けているだけにそのクオリティは最高レベルであるが、力が伴わない「なんちゃって歌手」が歌えば、その楽曲に歌手が負けてしまう。つまり、楽曲と歌手のバランスが悪い駄作になってしまい、世に広まることもなく他の多数の楽曲の中に埋もれてしまうのだ。長嶋茂雄という同姓同名の運動音痴が巨人のサードを守ったとしたら?と思っていただければ、何となくイメージがつかんでいただけるだろう。
・・・つかめない?
松本隆は「色」というキーワードを効果的に使う。
この赤いスイートピーの冒頭を思い出していただきたい。「春色の汽車に乗って・・・」、ご承知のように春色という色はないが、この春色というたったひとつのワードにより、この曲で表現したい柔らかで優しい世界観を印象付ける。聴く者の脳裏に、若草もえる草原がパアッと広がるのだ。
だが松田聖子はその草原を草原のままにしなかった。若草色だけでも十分に美しいその草原を、その歌声と表現力で、一瞬にしてパステルカラーの花たちで彩ってしまう。松田聖子が歌いだした瞬間に、
色彩豊かな草原の向こうに
ポツンとたたずむホーム一つだけの駅。
そのホームでやがてくるであろう汽車を待つ、
黙ったままの2つの影。
憧れに似た思いを寄せる年上の男性のやや後ろに、
つかずはなれずそっと寄り添う、
少女から大人へなりつつある女性。
ああ、汽車が着いたらあなたは行ってしまう。
でも、でも・・・
あいうぃるふぉろぅゆう~
そこまでの情景を、一瞬にして聴く者に描かせてしまうのだ。
先ほどもちらっと書いたが、当時、人気絶頂の松任谷由実がこの赤いスイートピーを作曲している。作詞の松本隆が「松田聖子に曲を書いてくれないか」と松任谷由実に打診したわけだが、売り上げを競う、ある意味ライバル関係にある松田聖子に塩をおくることに難色を示した松任谷由実は、「呉田軽穂名義なら書いてもいいわよ」という条件でこの「赤いスイートピー」を手掛けることを承諾。
そして松任谷由実は、松田聖子に真剣勝負を挑んだのだ。
お聞きになればわかるだろう。あの甘酸っぱくて切なくて優しくて、それでいて固く強い意志を秘めた凛とした力強いメロディを。「最高の楽曲を作ったわよ、歌えるものなら歌ってみなさい」という松任谷由実のプライドをかけた、松田聖子への挑戦状、それが「赤いスイートピー」だったのだ。
松田聖子はその挑戦状を正面から受け止めた。そしてこの最高難度レベルの楽曲の世界観をいともたやすく自分のモノにしただけでなく、さらに魅力あふれる色彩豊かな独自の世界観にまで昇華させたのだ。
この松田聖子からの満額回答以上の回答に感銘を受けた松任谷由実は、聖子を単なるアイドルとしてではなく、表現者としてリスペクトするようになり、その後も「瞳はダイヤモンド」など様々な曲を提供するようになる。
松本隆、松任谷由実の描いた世界観を見事に表現するだけでなく、そこに独自の世界観を加味し、更に魅力あふれる日本歌謡史に名を遺す名曲、傑出した稀代の作品に昇華させた松田聖子。スーパーアイドルでありながら、表現者としてもスーパーな実力を持ち合わせていた彼女の凄さ、わかっていただけただろうか。
・・・と、勝手に思っているんだが。
ここで閑話。
この曲の発売された1982年当時は「赤いスイートピー」はこの世に存在していなかった。濃いピンクのスイートピーしかなかったのだが、この作品にある赤いスイートピーをどうしても咲かせたいと三重県の生産者が品種改良を重ね、2002年についに赤いスイートピーが誕生したのである。
こうなったら是非とも、JR東日本に「春色の汽車」を走らせてほしいし、Dr.Martens に「翼のはえたブーツ」をこの世に送り出してもらいたいと思う。
さて、時を戻そう。
このシングル「赤いスイートピー」のカップリング曲である「制服」をご存知だろうか?
「赤いスイートピー」と同じく松本隆&呉田軽穂のスーパーコンビの楽曲である。斎藤由貴や菊池桃子らも後に卒業をテーマにした作品を歌っているが、この「制服」こそ、アイドルが歌う卒業ソングの先駆的存在となった名曲中の名曲なのだ。
「百聞は一見にしかず」ではないが、グダグダした説明など一聴にはかなわない。
オリジナルアレンジではなくしっとりとした別バージョンではあるが、表現者として更に磨きがかかった、熟しながらも甘酸っぱい松田聖子の「制服」、是非お聴きいただきたい。
いかがだったろうか?
四月からは都会に
行ってしまうあなたに
打ち明けたい気持ちが…
でも、このままでいいの
ただのクラスメイトだから… ♪
私など、50歳を越えた今でも、この作品を聴くたびに胸がキュンキュンしてしまう。
甘酸っぱい、胸を締め付けるようなキュンキュンさがたまらない。
ああ、切なくて、愛しくて、キュンキュンする。
・・・だが。
だが、である。
今現在は松田聖子より
キョンキョンにキュンキュン
している私なのだ。
このネタ、2014年3月に初掲載、
2018年10月に加筆・修正の上再掲載、
2020年2月に加筆・修正の上再々掲載、
そして2021年春に加筆修正の上再々々掲載、
2年連続4度目の出場でございます。
甲子園出場みたいですねぇ。
で、
2014年にキョンキョンにキュンキュンだった私は
2021年の今、どうなったかといえば・・・
会社の資金繰りに窮々してます。