この4月からご子息・ご息女が新入生として中学や高校に通うようになって
お弁当作りを始めた方も多いのではないか。
最初のうちは、愛する子供たちの為にと、朝早く起きて
リンゴの皮をウサギさんに、ウィンナーをタコさんにというように、
見栄えを良くしようとあれこれ趣向を凝らしたり、
栄養のバランスを考えてメニューをあれこれ思案していたことだろう。
だが、そろそろ1ヶ月。ネタがつき、メニューもマンネリ化しはじめ
「ああ、超面倒臭いわ!!」って思い始めているお母様方も
かなりいるのではないだろうか。
そんな弁当作りが面倒臭くなってきた貴女!
貴女の弁当作りの一助となればと思い、今回の記事を書こうと思う。
私は私立の中高一貫校に通っていた。
給食が無く弁当持参だった。
世間とはかけ離れていたお家のボンボンも多く通う名門と呼ばれる男子校だったが、
自由放任で何でもアリの校風だったこともあり、それはそれは凄い弁当ばかりだった。
もし彦麻呂がその場にいたら「高級料理の大博覧会やぁ~」と絶叫したに違いない。
毎日、三段お重にビッシリ高級食材を詰め込んできた超有名企業社長のバカ息子N。
実家がちょいとばかし有名な中華料理屋だったSは、
フカヒレの姿煮をオカズをもってきたことがある。
Rなどは、ご飯マツタケといってもいいようなマツタケご飯と
自分のモノよりもデカいかもしれない焼きマツタケを
1本まるまるの形で持ってきてガブリとかぶりついていた。
…Rが麗しき可愛い女子高生でなかったことが残念だ。
ただ当のボンボンたちは、超豪華弁当であることを自慢するようなことは一切なく
3日間エサを与えられなかった犬のように弁当箱に顔を突っ込んで
一心不乱にガツガツと一気に高級食材を胃の中に放り込んでいた。
一方、ボンボンでない奴らの弁当は違った意味で凄かった。
デッカイ割には物凄い軽い弁当箱を持参してきたYは、
弁当を食べる時になると購買部へダッシュで牛乳を買いにいった。
牛乳を傍らに満を持してYが弁当箱のふたを開けると、
そこにはコーンフレークがギッシリ詰まっていた。
栄養バランスはバッチリだった。
Kはほぼ毎日、アルミの銀色のドカベンに白米だけを詰め込んで持ってきた。
弁当の淵から1cm下がりのところまでビッチリと。
そして飯時になるとおもむろに学生かばんの中からレトルトのボンカレーを取出し、
温めもせずにそのまま白米の上にかけて、がっついていた。
おわかりだろうか? なぜ淵から1cm下がりまでなのか?の理由が。
この1cmのスペースがちょうどレトルトカレー1袋分なのだ。
計算されつくされている。見事としか言いようがない。
余談だがKは月に1.2回ほど、「今日はハヤシライスなんだぜ~。いいだろう。」
という日があった。
私は断言する。当時も今でも全くいいとは思わない。
夏には、麺つゆを入れた水筒と素麺をビッシリつめたタッパーを持ってきた奴もいた。
いかなる時も冷静沈着で用意周到、段取り野郎でクラスの仕切屋のAだ。
Aはここでも全くぬかりはなかった。
薬味の刻みネギと携帯用のワサビが入った小さなタッパーも持参していたのだ。
Aは水筒の蓋に麺つゆと薬味を入れ、ワサビを溶き、ツルツルとその素麺を食っていた。
私は断言する。当時も今でもとてもうらやましいと思う。
その他にも、弁当箱開けたら中にカロリーメートが2箱入っていたT、
唐揚げや焼肉など3~4品目が具に入っている超巨大おにぎりのH、
小型炊飯器を持参し、ハンドボール部部室でひそかに炊いていたW等々、
6年間の学校生活での弁当にまつわるエピソードはつきないのだが、
長くなりそうなのでこの辺でやめておこう。
さて、私はどうだったかというと、ごくありきたりの弁当だった。
そのありきたり弁当を2限と3限の間の休み時間に食べ
昼ごはん時は購買部で売っているパンに食らいついていた。
そしてNもSもRもYもKもAもTもHもWも、
そしてほぼすべての奴らも2限終了時に早弁し、
昼休みは購買部のパンに食らいつき、
放課後の部活前にもパンで腹ごしらえしていたのだ。
おわかりであろう。
食欲旺盛な育ちざかりの若きオスどもは、
自分の空腹さえを満たせれば何食ってたっていいのである。
ウサギのリンゴでなくたって、高級中華じゃなくたって
コーンフレークギッシリだけだって、白米ビッチリだけだって、
朝、家を出るときに「はい、これ!」ってお母さんが弁当を渡してくれさえすれば
どんな中身だって全く構わないのだ。
そして、何も言わずその弁当をムシャムシャと豪快に食べながら
私同様、彼らもきっと絶対にこう思っていたに違いない。
母ちゃん、今日も弁当をありがとう。…いかがかな?
少しは参考になっただろうか?
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