狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区分と認識。近代の歴史観、歴史認識など大きな物語が終焉し、局所的な小さな物語が多種多様に生み出される時代-現在のこと。源流にはニーチェやフロイト、ハイデッガーの哲学・思想があるといわれる。この時代認識は、哲学のみならず、建築、哲学・思想・文学の分野に大きな影響を与え、とりわけ「ポスト・モダニズム」という言葉を一般化した、建築批評家チャールズ・ジェンクス」によって、1980年代のポストモダニズム建築にも多大な関心が払われた。
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...の提案でした。八〇年代になって、いわゆるポストモダンの時代になってからは、この種の視点に変化...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[インタヴュー]
都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダニズム一辺倒の状況のなかで考えておられたことについておうかがいしま...なことで、反芸術といえども芸術だ、というポストモダン的なロジックによるパラドクスです。ついで...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[対談]
...「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離感がこの... ...、その具体的な実相を再検証したい。 そこでポストモダンという時期について、八〇年代においても現...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[批評]
...的秩序を生成するのはどうしてだろうか? ポストモダン的な言説のテクストの世界が、物質的なリア... ...Control", October 59 (1992): pp.3-7. ★一三──Edward Soja, Postmodern Geographies: The Reassertion of Space in Critical Social Theory ...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108
[グローバリズム 3]
...連続性が強調された。典型的なプレモダンとポストモダンの通底の議論である。その意味でこれは確か... ...在における「建築的なるもの」、それだけがポストモダンの思想的なヴォイドを埋めるかのように振舞...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[批評]
...、われわれがリオタールにならってモダンとポストモダンとして記述しうるものを比較する、メタ歴史... ...d, The Postmodern Condition: A Report on Knowledge, Minneapolis: University of Minnesota Press, 1984.(邦訳=『ポストモダンの条...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.200-212
[コラム]
...動物化するポストモダン 「ポストモダン」について交わされた膨大な量の議論は、厚く沈殿している。... ...の状況をそれ以前と区別した。東によれば、ポストモダンの社会構造は七〇年以降進行し、世界では八...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153
[論考]
...えて言うならば、近代主義の乗り越えというポストモダンの課題は、八〇年代を経由して現在へと至る... ...なることを避けるため、前者を近代、後者をポストモダンと対応させることを避けている。しかし本論...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[批評]
...ですよ」 ──『チャイナタウン』一九七四 ポストモダン都市の状況を理論化するにあたり、数人の男... ... Edward W. Soja, Postmodern Geography, London and New York, Verso Press, 1989, and David Harvey, The Condition of Postmodernity , London, Ba...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.195-207
[千年王国論(三)]
...そう装うことによって千年王国が現出した。ポストモダン建築は多く復古的なという意味での歴史主義... ...社会である。その公的イデオロギーとしてのポストモダンの相対主義とは、あくまでこの均質化という...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.169-175
[論考]
...って来ているのを覚える」と述べている。「ポストモダンの時代の人々が最悪の事態の想像を段々しよ... ...ポストモダンの社会を性格づける特質のひとつが停滞感であるということは可能だろう。ポストモダン...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[現代建築思潮]
...吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本... ...紀においても適応されるとなっていますが、ポストモダンの喧騒と混乱の後、モダニズム再読やミニマ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]
...素を大胆にとり入れた典型的なアメリカン・ポストモダンになり、抽象的な形態操作を特徴としたホワ... ...─★一と同じ。 ★一〇──D. Harvey, The Condition of Postmodernity, Blackwell, 1992. ★一一──M・ブラックウッド監...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212
[批評]
...他者」とデリダの差延を同一視した★一二。ポストモダン特有の安易さで、批評家たちは秩序を崩壊す... ...ign Profile No.87, London: Academy Editions, 1994.; Edward Soja, Postmodern Geographies: The Reassertion of Space in Critical Social Theory,...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[映像のトポス 1]
...アン・フリードバーグのWindow Shopping: Cinema and the Postmodern(一九九三)で、特に、映画鑑賞という新しい... ...部がそうである。要約版とも言える「映画とポストモダンの状況」という論文が最近邦訳されたことで...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.33-44
[論考]
...そして刑務所化する世界都市で生じている、ポストモダン化と文化的論理ならびに想像のなかの都市の... ...ドワード・ソジャは、一九八九年に出版されたPostmodern Geographies, New York: Verso(邦訳は地人書房より近刊...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.151-168
[翻訳論文]
...人かの批評家たちが両義的ではあるが有効なポストモダンというカテゴリーで理解した一連の作品やプ... ...べき抽象的パワーの象徴となったのである。 ポストモダンとは異なるタイトルを選ぶことで、この展覧...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.93-104
[1990年代以降の建築・都市 1]
...豪華さをかもしだす。ハイテクと古典主義、ポストモダンの両極である。当時、二つの銀行のデザイン... ...されている。 一九九〇年代にとっての空港はポストモダンにとっての美術館のような存在であると、建...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[論考]
...まっている。さらに、そうしたロールズを「ポストモダン的」に解釈するローティにいたっては、公的... ...進めていきましょう。 ローティの政治哲学、ポストモダン・ブルジョア・リベラリズムの根幹をなして...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.150-162
[翻訳]
...みたい。 『荒人手記』は、中国語で書かれたポストモダン小説の古典として広くみなされている。この... ...ュアルという主体を位置づけるのだ。 Title: “Postmodern Cities and Viral Subjects: Notes of a Desolate Man,” Situating...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.130-143
[翻訳]
...ートラル性などへの感性の台頭は、先行するポストモダン時代の支配的性格への反動と見ることができ... ...無二の正当な関係を結ばねばならないとするポストモダンのドグマは、どこに何が建ってもよいという...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[1990年代以降の建築・都市 5]
...は、おそらく彼が八〇年代を席巻した建築のポストモダンに流されなかったことに起因するのだろう。... ...の組み合わせに変化している[図9]。当時はポストモダンの時期でもあり、マニエリスム的な傾向が強...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[座談会]
...張しはじめました。これはいまから考えるとポストモダン建築論や都市論のはじまりであったのです。... ...与えるようになるのは、とりわけ The Condition of Postmodernity (1989)を通じてのことである。ポストフォー...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.64-84
[批評]
...ージで表象することは不可能な、われわれのポストモダンなグラウンド・ゼロであるのだと言わねばな... ...381-382. ★六八──Roger Cohen, "In Sarajevo, Victims of a 'Postmodern' War", New York Times, 21 May 1995. ★六九──Gibson, Neuro...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.123-136
[キーワード]
...これをポストモダンの空間の性格を表わすタームとして敷衍し再定義した。同じくポストモダンの傾向... ...・リアリズムをそれらと峻別する。それは、ポストモダンの下で変質を遂げた全体性なるものの意味を...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[ゼロ年代の建築・都市 3]
...宅化にともない、両者は完全に断絶が生じ、ポストモダンの時代になると、建築家の側からアプローチ... ...な要素、表層的な外皮だと説明していた。 ポストモダンと家型 三角屋根が流布したことを確認するた...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[ポストモダニズムと建築 1]
...まとまりを見せつつある六八年再考の動き、ポストモダン的論調の後退とその隙間に進出してきた社会... ...な新しい傾向が同時多発的に登場してくる。ポストモダン建築と呼ばれる流れにそれらは接続していき...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.18-19
[論考]
...バは『文化のロケ─ション』★一のなかで、ポストモダンとポストコロニアル時代の文化と政治が否応... ...Russell Sage, 1991. ★一二──D. Harvey, The Condition of Postmodernity, Blackwell. 1989. ★一三──Ibid., p.186. ★一四─...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.33-51
[論考]
...「言語ゲーム」はさておき、建築における「ポストモダン」の本性はこれであろう——を言い続けても... ...価値を客観的に判定しながら建築における「ポストモダン」の意義なり本質を導き出すことを企図——...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[批評]
...、「空間の作り出す差異」(セイヤー)、「ポストモダンという時代に含意されている新しい空間性」... ...245-281. ─ (1990)"Postmodernism and gender relations in feminist theory", in L. J. Nicholson (ed.) Feminism/Postmodernism, London: Routled...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.121-137
[都市論の系譜学 2]
...七〇年代以降の世界において──お望みならポストモダンの時代というふうに言ってもいい──巧妙に... ..., Border Dialogue--journeys in postmodernity, Routledge, 1990, p.58. ★五── Fredric Jameson, POSTMODERNISM or The cultural logic of la...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285
[グローバリズム 2]
...1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で... ...ニスト知識人と比べてコールハースの批判のポストモ ダン性が際立つのは、彼がネクサスと同じ福岡に...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[グローバリズム 4]
...リエンタリズムを仕掛けたはずもない。このポストモダンのグローバリズムの時代には、ことはもはや... ...ンボルとされてきたのである。これは西欧のポストモダン建築が往々にして左翼的人民主義と結びつい...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[Urban Tribal Studies 12]
...インサイド・サブカルチャー──スタイルのポストモダン的な意味』★二を書いたデヴィッド・マグル... ...あった。 ★二──David Muggleton, Inside Subculture: The Postmodern Meaning of Style, Berg, 2000. ★三──こうしたイギリ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.205-214
[批評]
...に与えているのである。このような探求は、ポストモダンのレトリックによく見られる「他者」と「差... ...m Space to Place and Back Again: Reflections on the Condition of Postmodernity" in Mapping the Futurs: Local Cultures, Global Change (1993),...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.85-104
[批評]
...さしあたり我々の関知するところではない。ポストモダンの時代の建築家は等しくロウからの影響を受... ...で、それが一九世紀の自然主義文学と比べてポストモダンの特徴を備えていると述べている。 プロレタ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[ブック・レヴュー]
...ラルな立場からの紹介は、必然的に本書を「ポストモダン」や「カルチュラル・スタディーズ」(以下CS... ...彩られたロサンゼルスの都市景観は、何ともポストモダンと喩えるのにふさわしいカオティックなたた...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.30-31
[論考]
...ある二一階の高層ビルが建っている。これはポストモダン風ではなく、モダンな建物であり、どこかサ... ...んどここしか見えない)にはヨーロッパ的なポストモダンのライブ長池が、丘を上がりきったその背後...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.34-51
[論考]
...ずしもその境界が明確でない、美術と建築のポストモダン状況を探ろうとする試みは、そこに至る以前... ...ったく異なっていたに違いない。図らずも「ポストモダン」という比喩を持ち出してしまったが、六八...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
...ニズムを洗練させた良質なデザインである。ポストモダンの建築家が設計した奇抜な外観をまとう八〇... ...ィとは逆に古典主義風のデザインを採用したポストモダンになっている。そして空間のハイライトとな...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[政治の空間学 1]
...う意味がある。空間論的転回を高らかに謳うポストモダン地理学者が、「マルクス主義をはじめとする... ...二)。 ・E. Soja, Postmodern Geographies, Verso, 1989. 邦訳=エドワード・ソジャ『ポストモダン地理学──批判...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.205-213
[Urban Tribal Studies 4]
...は面白半分に作ってきた一連の造語表現は、ポストモダンの熱にいまだ浮かされた知識人がやっている... ...ったのに対して、八〇年代以後、いわゆる「ポストモダン」期においてそれは単に時代の徴候、主流の...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.237-246
[現代住宅論 7]
...技術」と呼ぶことができる。これに対して、ポストモダンな技術は、ベンヤミンに倣って「第二の技術... ...ひたすらそれをやり遂げることにしかない。ポストモダン思想にしたがって、目的的技術が「生産的実...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
...ば、普遍的な文明が地方的な文化に勝利し、ポストモダン・アヴァンギャルドがメディア社会を太らせ... ...pe since 1968” (1992)12──《バッテリーパーク》 “Postmodern Urbanism” (Blackwell, 1996)13──クルスとオルティス...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[1990年代以降の建築・都市 3]
...品は、ポストモダン建築のように、見た目ですぐにわかる個性的な形態ではない。ポストモダン建築は... ...葉もない。一方、八〇年代にもてはやされたポストモダンは、四角と丸をどうしたら刺激的な組み合わ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[批評]
...的な病状にある。そうした訳で、われわれのポストモダンのイデオロギーは、終了不能性であるのだ。... ...る。彼は、末期的な終了不能性という症状でポストモダンのホスピスに入ったのだが、これは、「責任...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.109-124
[対談]
...ごくしっかりしていて、普通に歩いているとポストモダン・デザインの素敵な住宅地に見えるけれど、... ...入れると、満艦飾に洗濯物が干してあって、ポストモダンな団地のイメージとは違う、普通の団地の生...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[論考]
...ていたのである。 チャールズ・ジェンクスがポストモダンに転向するちょうど四年前、ジェンクスとナ... ...行し、見る見るうちに消費されるや、今度はポストモダン・カルトが現われ塗り替えられた。産業経済...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.217-223
[論考]
...説得力は、この会議に参加している方々が、ポストモダンの空間において特有かつ根源的なのは何かと... ...めである。なお、このテクストは手直しを経てPostmodernism: or the Cultural Logic of Late Dapitalism (Durham: Duke U. P., ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.74-84
[批評]
...はいないのだ。 脱=個、脱中心主義というポストモダンの一連の運動が、アーバニズムにおいてとまで... ...門家の思惑とは異なって、問題になったのはポストモダンの修正でもなく、まして様式としてのモダン...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.105-114
[都市/テクスト]
...人物・キーワード」。2 Nan Ellin,postmodern Urbanism,Blackwell, 1996. ポストモダンの時代における西欧・アメリカ... ...住む側から考察した都市論。D・ハーヴェイがポストモダン的な態度として評価した。10 樋口正一郎『都...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[Urban Tribal Studies 17]
...することができる。これは見ようによってはポストモダンな主体の現状(認識)にすぎないのではない... ...るミシェル・マフェゾリの議論は、しばしばポストモダンな美学=感覚変容に着目した社会学という位...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.202-210
[ゼロ年代の建築・都市 1]
...《新八代駅前モニュメント》(二〇〇四)。ポストモダンの後、記号性を排除したミニマリズムが流布... ...れゆえ、モダニズムへの批判として登場したポストモダンの建築は、記号としての家型を再導入した。...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.45-46
[建築の言説、都市の言説 6]
...ン★一) 出版と同時に高い声望を獲得し、ポストモダンと呼ばれた包括的な潮流(短命に終わったが)... ...的に不十分だろう。例えばこの本と並んで、ポストモダンの主柱であったチャールズ・ジェンクスの『Th...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.30-32
[1990年代以降の建築・都市 21]
...、西欧からの距離が反映しているからだ。 ポストモダン都市としてのメルボルン メルボルンも風景が... ...のが仕事だった。その際、一九九五年以降はポストモダンやデコンストラクティヴィズムがメディア的...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.39-41
[現代建築思潮]
...村──日本の場合、世界のなかでも例外的にポストモダンとバブルの時期が一致しています。イギリス... ...。日本の場合、ポストモダンの時期がバブルの時期に重なっていたため、ポストモダンを語る際、バブ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[日本]
...え、総合芸術を目指すことを志向した★二。ポストモダン・ムーヴメントにおいては、構造主義的な人... ...ざまな分野と議論を共有するようになった。ポストモダン・ムーヴメントは、近代建築に対するアンチ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[批評]
...いるのだ。 新しい歩道システムは、たんにポストモダンのアーバニズムの主要な様式──擬似都市──... ...を結びつける、ポストモダンの文化理論の基本的な見解のひとつである。ポストモダンの擬似都市は、...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169
[批評]
...注目を集めているとすれば、それはモダン/ポストモダン、あるいは歴史/歴史の終焉という議論のな... ... Its Futures, London: Polity, 1992. Harvey, D., The Condition of Postmodernity, Oxford: Blackwell, 1990. Harvey, D., "Class Relations, Socia...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.141-153
[批評]
...の穴埋めを自分であらかじめするわけだ。 ポストモダン 塚本──そういう穴埋めの材料のひとつとし... ...? 上原──そうだな、はっきり言ってそこにポストモダンな作家精神を指摘すべきだと思う。コールハ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.80-89
[千年王国論(五)]
...モダニズムの(つまりは非歴史様式による)ポストモダン化された遊戯性の強いこの建物は、真ん中に... ...時代の文学的傾向からとられたものだが、「ポストモダンを隠れ蓑にして現実を直視しようとしない逃...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.224-231
[千年王国論(四)]
...パにおける千年王国の表層的な美学であったポストモダンの復古趣味に抗する唯一のオルタナティヴと... ...しかし、アメリカや日本ではメトロポリスとポストモダンなジェントリフィケーションの美学はむしろ...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.168-175
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
...る過去への回帰を志向した当時のアメリカのポストモダン建築に怒りさえ覚えたのは本当だろう。つま... ...8 14──《ボナヴェンチャー・ホテル》 F. Jameson, Postmodernism, 1991 第三期──一九八〇年代/飛び散るオブ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[千年王国論(六)]
...に重要である。つまり、それは千年王国こそポストモダン・シティの実体であるという論拠を提供する... ...れたと告白している磯崎新はその後、日本のポストモダンを代表するといわれる「つくばタウンセンタ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[都市環境の文化政治学 5]
...と、機能的なモダンと、脱機能的で装飾的なポストモダンなどというような図式的闘争が、どこかかす... ...現なのである。そのとき、あえてことさらにポストモダンなどという表現を使う必要性はまるでなくな...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.22-23
[Urban Tribal Studies 8]
...手たちだけではない。(ポスト)構造主義やポストモダン思想の震源地でありながら、フーコーやドゥ... ...ミックスや混清の地平を指摘すること自体はポストモダンな混淆を尊ぶ視点とさして変わりない。ハイ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.213-222
[ポストモダニズムと建築 2]
... ポストモダンとは、近代後期を意味するのか、近代と区別されるひとつの時代としてのポストモダンを... ...o.32)の特集「八〇年代建築/可能性としてのポストモダン」に寄せた拙論『八〇年代リヴィジョニズム...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.40-42
[グローバリズム 1]
...だったし、私自身の「千年王国論」と題したポストモダン・シティ論の連載もそれに関わるものだった... ...していると指摘されている(概ねアメリカのポストモダン・シーンを想定されていたようだが、そこで...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[現代建築思潮]
...ート・キッチュ・ジャパネスク──大東亜のポストモダン』青土社、一九八七)。また藤森さんも軍国... ...ば、八〇年代から九〇年代におけるバブルやポストモダンに外国人建築家が残していった実作と現在の...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[インタヴュー]
...ードがあったし生活上の実感があった。まだポストモダンも成長途中で、大学の設計の先生からは割合... ...つまりルネサンス以降、モダンどころかもうポストモダンがはじまっている……。 藤森──ルネサンス...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
...テジアンな体制)の危険性とは対極にある、ポストモダンな相対主義のニヒリズムにつながりうる問題... ...ーク』(山田登世子訳、国文社、一九八七)。 ★六──David Harvey, The Condition of Postmodernity, Blackwell, 1989... .......
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[批評]
...せる反射の特性」からも「同時性と誘惑の〈ポストモダン〉な表面の戯れ」からも区別された建築の真... ...内部空間の貫通性と同時性、そしてモダン、ポストモダン、ツヴァイテ・モデルネにおける建築の透明...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[万博という問題系2]
...ズムや太郎のプレモダンに対比してそれを「ポストモダン」と呼べば、日本におけるポストモダニズム... ...いたということです。だからそれは、のちのポストモダンが標榜した「越境」とか「横断」の先例でも...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[論考]
...視点は、八○年代以降の吉本、つまりはそのポストモダン路線(?)が云々される吉本において突然に... ...jet, Seuil, 1982. ★六──Jean-François Lyotard, Moralités postmodernes, Galilée, 1993. ★七──Ibid. ★八──Ian Chambers, P...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.124-136
[鼎談]
...いと思うんだけど。 ポストモダンのころだと、ポストモダン建築とポストモダン思想って、本当はそん...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[批評]
...イルによる装飾が示すように、典型的な商業ポストモダンである。開発のまなざしが向けられるウォー... ...(学習研究社)。 ★一四──D. Harvey, Condition of Postmodernity, Blackwell, 1990. ★一五──拙稿「建築家という...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[論考]
...半世紀以上もの歴史をもち、モダニズムからポストモダンまでの変遷に立ちあった。カメラの発達とと... ...ダニズム嫌いから彼を起用しなかった。またポストモダンが流行すると、シュルマンはそれらが不快な...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[批評]
...・ブルーノがフレドリック・ジェイムソンのポストモダン論を使って『ブレードランナー』を論じたも... ...no, "Ramble City: Postmodernism and Blade Runner", October, 41, 1987., p. 61-74. David Harvey, The Condition of Postmodernity, Blackwell, 19...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.138-150
[批評]
...をすることを受けもっていた。比較すると、ポストモダンの時代は、西ヨーロッパ、北アメリカと日本... ...の侵入が快適さの原因と見なされなければ、ポストモダン社会における建築表現は、ステレオタイプな...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[知の空間=空間の知 7]
...ことを禁じられた領域としての「猥褻」に、ポストモダン的な「崇高」概念を接ぎ木するという理論的... ...一二─一四頁。 ★二──「崇高」の概念は「ポストモダン」言説が好んで玩弄してきたジャーゴンであ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.2-15
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 5]
...。例えば、ダウンタウンのある監獄ビルは、ポストモダン風の外観と心理的なコントロールを考慮した... ...いる★一四。テロリズムという悪しき他者がポストモダンや建築の様式を殺すのだ、と[図11]。何故か...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.196-207
[1990年代以降の建築・都市 2]
...ツインタワーが互いのコピーになっており、ポストモダンのシミュレーションの世界への幕開けになる... ...建築の限界を示すエピソードとして紹介し、ポストモダンへの移行をうながした★九。だとすれば、今...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194
[論考]
...な「ポスト・ヒストリー」、すなわち一部のポストモダン論でいうような「歴史の終わり」のことでは... ...)──ユートピアのシミュラークルとしてのポストモダン都市」『10+1』No.6 INAX出版、一九九六、一六...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.211-222
[都市論の系譜学 3]
...する本書は、題名からも予想できるように、ポストモダン理論の一種としてもみなされている。ミラノ... ...l Movements, Culture and Democracy," in Emancipation, Modern and Postmodern, edited by Jan Nederveen Pieterse, SAGE, 1992 ★八──Ibid, ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.263-274
[デジタル・イメージ論 3]
...性を、ポストモダンの世界観を表わす象徴的事例として捕らえている。『動物化するポストモダン──...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.23-25
[インタヴュー]
...とアトリウムです(笑)。 文化大革命からポストモダンへ 日埜──万博よりは少し前になりますが、... ...けどこの身動きならぬロジックこそが、次のポストモダンの時代の基底になったことが後になってより...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.193-205
[情報空間の地理学 2]
...の発達による情報革命は近代都市をいわゆるポストモダン都市へと質的に変容させるだろう。大量生産... ...も触れられない。都市はあたかもモダンからポストモダンへと直線的に均質に発展するかのように描か...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.38-40
[1990年代以降の建築・都市 6]
...9]。増沢の自邸の三年前だ。一九八〇年代のポストモダン全盛期にはほとんど忘却されていたが、一九... ...住宅ではそれが使えないからである。やがてポストモダンの時代を迎え、一九七〇年代には強烈な個性...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[技術と歴史 7]
...世界でジャック・ウィリアムソンは中世からポストモダンまでのグリッドの変化について書いています... ...れるようになります。またウィリアムソンはポストモダンのグリッドはもはや構成の背後に隠れる補助...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[リード]
...たちが生きている時代とは、このモダンともポストモダンとも異なる時代である。モダニズムが否定さ... ...でアルゴリズム的思考は、モダンの規範性とポストモダンの求めた多様性をともに可能とする、まった...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.70-71
[ポストモダニズムと建築 6]
...築は、八〇年代の「ポストモダン建築」よりもよほど正当な意味で、ポストモダンな世界へと足を踏み...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.44-45
[新たなコミュニケーションの座標軸 4]
...画的な引き受けの例として、木原善彦『UFOとポストモダン』(平凡社、二〇〇六)を参照することがで... ...ここでは措くことにする。 木原善彦 『UFOとポストモダン』『宇宙人解剖フィルム』の一場面。 虚構的...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.57-58
[現代建築思潮]
...盛期ではないけれどもニュー・アカブームやポストモダン議論の尻尾の時期で、建築界の人間にあって... ...取り組んでいた理論的追究というのは当時のポストモダンの思想の独特の困難さと同質のもので、いわ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[都市表象分析 12]
...してしまう。ツインタワーはこうしていわばポストモダンな「歴史の終わり」を象徴する建築物となっ... ...化させている。それはモダンの現実原則からポストモダンのシミュレーション原則への転換といった歴...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12
[Urban Tribal Studies 16]
...ついてはドゥルーズ&ガタリの影響からも、ポストモダン状況と管理社会への移行という点からも理解... ...であるかもしれない。この部分のいささか「ポストモダン」な参照系やベンヤミンの引用の仕方などか...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.225-234
[論考]
アルビンに初めて会ったときのことをお話ししたいと思います。その時彼はシカゴについてのレクチャーをしていました。彼は、詩人のように理想的にシカゴのスカイラインにつ...ような人達でした。彼らの仕事のしかたは、ポストモダン建築の人気について極めてもっともらしい説...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.224-230
[制度─都市]
...案が議論を呼んだ。このときグレイヴスは、ポストモダンのデザイン手法に則って、いくつかのデザイ... ...な建物全体の統一感を保とうとする計画で、ポストモダン時代の流れにのった非常にインパクトのある...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[批評]
...マスによれば、ポストモダンのトポグラフィは、見通しがきかない★三。 ポストモダンはいつでも通用...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.90-102
[批評]
...の、等々)によって形成されている、というポストモダンな認識が根底にあるためである。メタファー... ...性を伸ばすための仕事の機会を得に来る(=ポストモダンな「自由の函数」)。だからここでの活動は...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.82-102
[日本]
...る時期、先行したモダニズムは背景へ後退しポストモダンが主導権を握るが、その操作主義的レトリッ... ...しかしモダニズムの言語を器用に操った者、ポストモダンを無難に翻案した者、「都市住宅」風のコン...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.148-149
[シンガポール]
...ム・リムやタン・グアンビーらは七〇年代にポストモダンのポップスター的存在であったらしいが、残... ...いうと第二世代の兄貴分あたる)のモクは、ポストモダンの影響下にあったリムとは対照的な彼自身の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.122-123
[論考]
...の考察」(ハル・フォスター編『反美学──ポストモダンの諸相』室井尚+吉岡洋訳、勁草書房、一九... ...レドリック・ジェイムソン『時間の種子──ポストモダンと冷戦以後のユートピア』(松浦俊輔+小野...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.98-99
[論考]
...見た場合、最も重要なのが、一九八〇年代のポストモダン期の地域主義がほぼ完全に消滅したというこ... ...ンド・プロジェクトのどれをとっても、昔のポストモダンのドグマであるコンテクスト主義やゲニウス...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.74-77
[インタヴュー]
...》と全く同じ壁画があるんです。ところが、ポストモダン風にしてるんで両サイドのデザインが、ヴァ... ...は思えません。そのうちこれをひっくるめてポストモダンと呼ぶようになったと思われます。ここに抜...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67
[論考]
...デ秋葉台といった折衷的な名を与えられた「ポストモダン」な団地群の特異な相貌は、京王堀之内駅を... ...らして眼前に広がる丘一面に、ライブ長池のポストモダンな景観がパノラマのように広がっている。さ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.116-123
[図版構成]
...呼んでいる。この逆転は、その効果として、ポストモダンな家族の形成をもたらす。家族は結婚によっ... ...となった。この最低限の定義にしたがえば、ポストモダンな家族は人間が集まるところならどこにでも...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.89-91
[論考]
...)九一頁。 参考文献 ・東浩紀『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』(講談社現代... ..., Palgrave Macmillan, 2003. ・Sweetman, Paul, ”Anchoring the (Postmodern) Self?: Body Modification, Fashion and Identity,” Mike Feather...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.144-155
[批評]
...的思考の行使を衛生的に抑圧しないかぎり、ポストモダン共同体のなかでの「ホームレス」というこの... ...打ちもない「所持品」で埋まっていて、別のポストモダン的人物像、ヤッピーのパロディとなっている...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.180-194
[図版構成+論考]
...ジャングル・フィーバー』(一九九一)は、ポストモダンな悩める黒人建築家像を代表する映画となろ... ...抑制のきいたモダニズム風や、おとなしめのポストモダン的なデザインだったりするのだ。安易に想像...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[批評]
...エリスム的」ではないにせよ機知に富んだ、ポストモダン的アッサンブラージュへの古典的原形の変換... ...古典的形態の「誤用」の記憶は、直接的で「ポストモダン的」なシンケルの引用、あるいは他のいかな...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[インタヴュー]
...す。 八〇年代、シーザー・ペリに代表されるポストモダン的な「表層は自由になった」というロジック... ...言葉通りではなかったわけです。八〇年代のポストモダンの時代に、本当の意味での自由な表層は可能...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[論考]
...ノクロームと直結していたモダニズムから、ポストモダンのカラフルさへと建築イデオロギーも移行を... ...なった。ヴィジュアルのスケール拡張主義はポストモダンが消費されてこの方、下り坂にさしかかって...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[対談]
...職員はシニカルであり、そうであるがゆえにポストモダン的戯れに耽溺することができた。取り調べに... ...くなっているとは思いますね。そして本当にポストモダンになる。 田中──これはジジェクの文脈にな...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[政治の空間学 4]
1 下北沢で起こっていること すでにご存じの方も多いと思うが、現在東京の世田谷区にある下北沢という街が「存亡の危機」に直面している。 下北沢といえば、新宿へと通...なかったとも言えるわけです。だからこそ、ポストモダンな立場からの仮想敵にも似た建築イデオロギ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.284-290
[都市表象分析 5]
1 ゲルハルト・リヒター《アトラス》 ゲルハルト・リヒターの《アトラス》は、現在五千枚を越す写真や図版を収めた六〇〇を越えるパネルからなる作品である。その制作は...支配(シミュレーションの一元論)を語る、ポストモダンなメディア論の紋切り型であるボードリヤー...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.2-9
[現代建築思潮]
フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Archit...そうですね)が学生の時は、寝ても醒めてもポストモダン一色だった。喩えれば戦時中の天皇制のごと...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[Urban Tribal Studies 7]
どんな都市や街路にも特定のリズムがある。同じように巨大都市であり、せわしなさにおいても似ている東京とロンドンだが、それでも街のもっているリズムは異なっている。 ...反本質性だけを強調することは、それこそ「ポストモダン」な整理でしかない。むしろ、黒人の文化や...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.232-241
[新しい書き言葉をもとめて 3]
小説を読むことの面白さが、物語の筋を追うことではなく、小説を構成するテキスト、つまり言葉の連なり自体を追うことの快楽にあるということは、少しでも小説を意識的に読...く、それゆえにいまだ不定型なのだ。これはポストモダンかどうかという問題ではなくて、むしろ小説...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.15-16
[レヴュー]
磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊...斬新な構想[図4]。磯崎新が都市から撤退しポストモダン建築の旗手とされた七〇年代半ば以降は後景...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた...況を比較しよう。一九八〇年代のバブル期にポストモダン建築が流行し、過去の様式の引用が氾濫した...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[Urban Tribal Studies 5]
具体的な事例の記述と分析からはじめたい。はじめて海外でトランスのレイヴ・パーティに参加したある女性(日本人、研究者)は次のように語った。 「みんなが同じ音楽で、...無視できない。すでに前回もふれたように、ポストモダンの文化と理論のインパクトをうけとめて以降...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.208-218
[写真のシアトリカリティ 1]
1 スペクタクルは、視線の権力を行使することをわれわれに教育する、政治的かつ時間制約的なイヴェントの謂いにほかならない。しかしスペクタクルには、見る者と見られる...、いまや「プラトニック」に過ぎるだろう。ポストモダンにおける写真美学のスタンダードは、かかる...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.33-35
[音楽批評の解体文法 3]
ポップ・ミュージックの領域で「ジャンルを越える」という宣言はすでにクリシェとしてしか機能しない。「オレたちの音楽にジャンルは関係ないぜ」と主張することは、その実...るに彼らは、資本主義の揺籃の中で無自覚なポストモダンを生きているわけだ)。 音楽ジャンルはかよ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.27-30
[インタヴュー]
「アーキラボ」について 今村創平──マリ=アンジュさんは「アーキラボ」展に関連して多くのインタヴューを受けられ、すでに質問されることにはうんざりされていることと...物でした。インターナショナル・スタイル、ポストモダン・スタイル、ディコンストラクション・スタ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[グローバリズム 5]
1 中国(珠江デルタ):スーパーバブル=一九七八以降 PART 2 前回に引き続いてハーヴァードの「珠江デルタ」のリサーチ・レポート。彼らのパラフレーズ...ルアートの時代に生きるアーティストたちやポストモダンやデコンストラクティヴィズムに応じようと...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206
[都市表象分析 10]
1 類推の魔とノスタルジア 第二次世界大戦後間もないころ、東欧の若い建築家ボクダン・ボクダノヴィッチ(のちのベオグラード市長)は、気晴らしに夢の都市の平面図や鳥...論化」としての都市デザインなどと、何やらポストモダンな歴史主義的引用と見なすべきではないだろ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.2-10
[ポストモダニズムと建築 7]
ローマ帝国の崩壊とともに失われた古典建築の伝統、その廃墟を横目に見ながら建築をゼロから始めたロマネスク期の建築、そんなコントラストが近代建築と現代建築の間にもあ...、歴史的意匠から近代建築に参照先を移したポストモダン、とでも表現すべき一傾向についてである。...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放すること...も、かつてペレス=ゴメスが批判した空虚なポストモダンのシミュレーションと化したゲニウス・ロキ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[論考]
1 ミース・ファン・デル・ローエの作品を美術のミニマリズムと関連づけて論じることはしばしば行なわれてきた。ロザリンド・クラウスによると、古典的なミニマリズム理解...のような見方は、結局ニュートラリティとはポストモダンな多元性を支えるリフェラントなのか、それ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[非都市の存在論 10]
1 夢のなかのシナ インターネットを通じた情報交換の増大を背景として、文字コードの国際的な統一化が進行している。この標準化は国際電気標準会議(IEC)、国際標準...を譲ることになったという★二八。それは〈ポストモダンのバベルの塔〉である。これによって書くと...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21
[ビルディング・タイプの解剖学 7]
私は建物はバラックでも良いから幾何ら金が掛っても良い完全な製作の出来る一通りの機械を買入れる事に努力しました トヨタ自工の祖とも言うべき豊田喜一郎の言葉である...て悲しい。これに関してレイ・チョウの論「ポストモダン自動人形(オートマトン)」は、他者の自動...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.33-36
[建築の言説、都市の言説 7]
私は常に建築に関心を抱いていた。 D・ジャッド『Art and Architecture』一九八七 建築はそこで人間が様々な活動を展開するフィールドである。人...〇年代ラジカリズムに生起した位相変換──ポストモダンからの逃避行──をつうじた塹壕戦のプレゼ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.28-30
[情報空間の地理学 5]
...eton Architectural Press. David Harvey (1990), Time and Space in Postmodern Cinema, in The Condition of Posymodernity, Oxford: Blackwell. ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.35-38
[情報空間の地理学 6]
...…。 ポスト構造主義理論の成果をその著作『ポストモダン地理学』においていち早く地理学に応用した... ... p.196の註を参照のこと。 ★四──Jameson, F. (1990) Postmodernism, or, the Cultural Logic of Late Capitalism, London: Verso. ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.41-42
[映像/写真 1]
この五月に三原港からフェリーで三〇分弱の瀬戸内海上に浮かぶ佐木島で「鷺ポイエーシスI──映画と建築の接線」なる野心的なセミナーが開催された。舞台となったのは鈴木...はしばしば湿っぽいノスタルジーに彩られ、ポストモダンどころか、映画が含意するモダニズム的性格...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.30-31
[大島哲蔵追悼]
記憶に棲むオブジェ 今日はタイポロジーをめぐって、アルド・ロッシからドナルド・ジャッドまでお話する予定です。まずはオーソドックスな話から始めましょう。 私はか...いくのではないかなと思います。七〇年代のポストモダンの時代にモダニズム批判の方法としてタイポ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.181-191
[都市の傷痕とRe=publik 2]
小生は仕事の都合で、京都と名古屋の間を、毎週車で往復している。名古屋の街は車無しでは不便きわまりないので、新幹線を使うことはまずない。そのため、新しい京都駅が出...派が守ろうとしていたコンテクストこそが、ポストモダン状況にあり、実際に建てられた建物がモダニ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.42-43
[Urban Tribal Studies 3]
アーバン・トライバル・スタディーズ(UTS)にとって「調査」や事実や現象の記述とは、どのようなものであるのか? また、それはこれまでの社会学や文化研究における様...のエッジの部分から発せられた文化研究や「ポストモダン人類学」の営みが、もう一度脱政治化され、...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.254-262
[映像のトポス 3]
〈都市の言説〉としてのコニーアイランド(承前) こうして、『あれ』と『スピーディ』におけるコニーアイランド(ルナ・パーク)は、「俗」のマンハッタンに対する「遊」...ヤーは、前者を近代の「機械都市」に後者をポストモダンの「サイバーシティ」に対応させて論じてい...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.27-39
[Urban Tribal Studies 1]
... Nations, Europe of Tribes" in, Life in Fragments -- Essays in Postmodern Morality , Blackwell, 1995, また「ポストモダニティと... ...不満」でも何カ所かでこの概念を使っている。"Postmodernity and Its Discontents", Blackwell, 1997. ★一〇──Ibid., p...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.225-234
[論考]
私は年齢的には一九六〇年世代だけど、建築家としての思考の仕方は一九六八年に属している、とこれまでに折りにふれて語ってきた。そして、一九六八年から一九八九年の二〇...号へ、実像より虚像へと、つまりモダンよりポストモダンへとこの世界を変質させた。そのまだ線的な...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が...一九六八年という年は、近代運動の終わりとポストモダン文化の爆発を象徴的に指し示している」と言...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[建築の還元 2]
1 社会的歪像としての建築 建築が、例えば社会といった言葉で代称されるようなシステム(あるいはシステム化された活動の集合形態)をその背後で認識するとき、ほぼ例外...ゆるアレゴリーは、このようなモダンないしポストモダンな意味で、必然的に表象の失敗のアレゴリー...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[現代建築思潮]
オリンピックによる都市改造──インフラ再整備・リノベーション | 今井公太郎 なぜわれわれはオリンピックをテーマにするのか 東京都は二〇一六年のオリンピックを...で例えば森川嘉一郎『趣都の誕生』のようなポストモダン以降の都市生態学的な視線を育てた。さまざ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『...一方、黒川は、仏教的なものに興味をもち、ポストモダンへの道を開いた。ともあれ、彼の作品におい...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[現代住宅論 3]
「アルミエコハウス」の開発・実験プロセス 伊東豊雄を座長として「住まいとアルミ研究会」が発足したのは一九九八年二月である。佐々木睦朗と筆者が参加を要請され、アル...る方法である。前者はモダンな方法、後者はポストモダンな方法といってもよい。それぞれに一長一短...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.209-221
[現代住宅研究 6-2]
だれもがそれに制限されざるをえない習慣に心をひかれます。それは、私たちが抗いながら仕事をせざるをえない身体性というものを示している。イメージの記憶を活性化するう...。C・アレグサンダーやC・ムーアなど一部のポストモダンの建築家たちが試みたのは、そういう過去の記...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.23-28
[1990年代以降の建築・都市 19]
キリスト教と日本の結婚式 以前、この連載において結婚式教会を通じて、神社の問題を考察したように、今回は本物の教会と比較しつつ、その関係を論じよう★一。 最初にキ...屋教会は、教会風のフレームを前面に置く、ポストモダン的なデザインである。そして日本福音ルーテ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.59-60
[ピクトリアリズムの現在 2]
一九一七年のポール・ストランドの言葉を見よう。「写真家の問題とは、己のメディアの限界と同時に潜在的クオリティを、明確に見極めることである。というのも、生き生きと...はない。ロビンソンのピクトリアリズムを、ポストモダン写真と再接続することなど重要ではないし、...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.13-15
[連載 4]
11 建築か革命か 「建築か革命か」、いうまでもなく、『建築をめざして』の最後の文章である。この真ん中の「か」は、フランス語の「ou」つまり英語の「or」であり...的な息吹が欠けているという感想──それがポストモダンにおけるル・コルビュジエの「ユルバニスム...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[1990年代以降の建築・都市 23]
教会のイメージ 日本人にとって教会とはなにか。これまでにも幾度か結婚式教会について考察してきたが、あえてフェイクに見慣れた目から、もう一度、本物の教会を考えてみ...味は減っているように思われる。少なくともポストモダンの時代までは、シーンをリードする磯崎新が...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.39-41
[現代住宅論 4]
最近、若い建築家や建築研究者がクリストファー・アレグザンダーのデザイン理論に注目している。大きな潮流になっているわけではないが、彼らの紹介を通じて、アレグザンダ...は誰もが首を傾げざるをえなかった。当時はポストモダン歴史主義の最盛期だったが、キャンパスの建...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.213-222
[図版構成]
...めのプロジェクトである。 註 ★──『Language of Postmodern Architecture』(Academy Edns.,1977)においてチャール...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.193-204
[建築の言説、都市の言説 4]
建築を主導した言説に光をあてて、その含意を明らかにするシリーズも四回目を数える。今回は少し違った角度から、つまり「テクスト」を拡大解釈して、建築写真家(二川幸夫...せよ、二川氏が確立したもので、モダンからポストモダンへと場面が転換する──つまり視認性と流通...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.28-31
[神戸]
プログラム・デザイン・プロジェクト(pdp)は、神戸芸術工科大学大学院のプログラム★一。学科間を横断してインターディシプリナリーなテーマに対して、モノやプログラ...大人用椅子を変型させることである。多くのポストモダン・デザインが逆に子供用のプロダクトを拡大...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.172-183
[筑波]
ツクバヒストリー 01 MONEY STREAM 筑波研究学園都市は国主導で建設された人工的な都市である。高度経済成長期を背景とし、その建設過程には、様々な人々...崎新設計によるつくばセンタービルである。ポストモダンの集大成ともいわれ世界的にも注目された作...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.112-127
[ゼロ年代の建築・都市 2]
篠原一男の家型 この連載は、現代の日本建築における家型の流行というべき現象を位置づけるために、モダニズム以降の歴史をたどりながら、ゼロ年代の意味を考察することが...いう。機能から切り離された形態を操作するポストモダン的な認識がよくうかがえる。相田武文の《積...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.57-58
[年表]
日本の建築の近代について、これまでにどんな歴史的視点が生まれ、拡がり、変わっていったのだろうか。建築をきちんと考えよう、つまり歴史的に考えようとしたとき、否応な...化』1988年1月創立500号記念特集号「廃墟からポストモダンまでの40余年」(彰国社) 『建築文化』1996年2...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.164-165
[政治の空間学 3]
...身は「伝達の事実性」を強調するタイプの「ポストモダン政治学」的なプロジェクト──「強い責任理... ...〇〇四、岩波書店)。 ・Harvey, D, The Condition of Postmodernity, Basil Blackwell, 1990. 邦訳=『ポストモダニティ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.185-193
[Urban Tribal Studies 14]
ここにはドイツ青年運動の奇妙な、独特の体質がある。青春を、やがて成熟へと吸収される人生の一段階と見ることを断固として拒否し、青春に固有の文化的、認識論的権利を、...。 すでに多くの論者が指摘しているように、ポストモダン(脱近代)とはこの近代のロマン主義のかか...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.176-186
[1990年代以降の建築・都市 9]
二重の網目をはりめぐらす、セキュリティ・ネットワーク 全国の子持ちの皆さん! 自分の息子や娘が犯罪に巻き込まれたり、逆に犯罪を起こしたりするんじゃないか不安じゃ...値観の共有を基礎原理にしているのに対し、ポストモダン社会の環境管理型権力は多様な価値観の共存...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.217-224
[一九九〇年代以降の建築・都市12]
八月四日の夜、台風の影響により、大阪を暴風雨が襲った。 キリンプラザ大阪の「ハイ・エナジーフィールド」展に参加するアーティストの高橋匡太は、館の判断により、準備...高松伸の代表作であり、一九八〇年代の日本ポストモダン建築のメルクマールとなったキリンプラザ大...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.37-39
[循環する都市 1]
寒いので身ぶるいしながら、安全地帯の上に足踏みをして、ぐるりと一廻りした時、町裏になった広瀬中佐の銅像のある辺りから、一群の狼が出て来て、向こう側の歩道と車道の...ソンの「資本」による記憶の植民地化というポストモダン論に触発されながら、秀逸なる『ブレード・...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.201-209
[都市表象分析 15]
1 聖別と抹消 ロバート・ケーガンの『ネオコンの論理』をはじめとするアメリカ新保守主義では、アメリカ合衆国は「万人の万人に対する闘争」の状態にある世界というホッ...ていることは否めない。 八〇年代の古き良きポストモダンな多元主義でも、九〇年代のトラウマの一般...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.2-11
[東アジア建築世界の二〇〇年 1]
〈一 アジア近代建築をネットワークする〉 一─一 二〇世紀末、アジアを巡る 二〇世紀最後の年の二〇〇〇年、ぼくはあいかわらず、アジアを中心にあちこちをとびまわっ...西洋建築探しもこの文脈のなかで捉えると、ポストモダンのデザインソースを探していたとも言える。...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.189-200
[1990年代以降の建築・都市 8]
奇跡──怪物の出現 おそるべき怪物と遭遇した。 キリンアートアワード二〇〇三の審査において、衝撃的な映像が出現した。今年、一四回目を迎えるアワードは、写真だけで...に開始した★三。日本がもっとも平和だったポストモダンの時代。アドリブに弱いタモリゆえに、一時...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.219-229
[Urban Tribal Studies 2]
Ⅰ アムステルダムの熱帯美術館で九七年の終わりから九八年の九月まで開かれている展覧会「シベリアからサイベリアへ」は、様々な地域、民族にわたるシャーマンの文化を網...に見られる様々な文化的要素の交錯を、単にポストモダンなパスティッシュや混淆趣味としてではなく...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.261-270
[映像のトポス 4]
1〈機械の言説〉──英雄的個人主義 機械は、諸言説の外部にあってそれを産出する〈現実的な〉力の源泉ないし集合であると同時に、それ自体が言説の主要な構成契機として...の魅力があると言っている。レイ・チョウ「ポストモダン自動人形(オートマトン)」(『現代思想』...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.20-29
[音楽批評の解体文法 2]
例えば、日名子暁『パクリの戦後史』(ワニのNEW新書、一九九九)という書名に惹かれ読んでみるならば、こんにちのわれわれは肩すかしをくらった感を拭いきれないだろう...れば、サンプリングやリミックスといった「ポストモダン」な手法でこのデカルトの怒りを回避しよう...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.24-26
[音響場試論 1]
序に代えて 〈音響場〉あるいはアクースティック・フィールドという言葉は本来、録音スタジオやコンサート会場、あるいは個人のリスニングシステムにおける音の定位に関す...e, Editions du Seuil, 1993. •渡辺裕『聴衆の誕生──ポストモダン時代の音楽文化』(春秋社、一九八九)。...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.25-26
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 2]
ポスト構造主義の建築とは、建築言語における時間の空間化に向かうレトリカルな実践である……前回このように記したが、賢明なる読者は気づいている(何人かは、何をバカ言...は「時間とは歴史である」を素直に実践したポストモダンの建築を標的にした言説であるとも言えるか...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.21-23
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築言語』(一九七七)は、このように第一部の冒頭でミノル・ヤマサキが設計したプルーイット・アイゴー団地が爆破された事件を劇的に紹介する★一[図1]。この団地は犯罪率...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[音 3]
ポピュラー・ミュージックのハイブリディティ ポピュラー音楽におけるハイブリディティについて語られている音楽ジャーナリズムの言説は、ハイブリディティという音のかた...ドリック・ジェイムソンが『時間の種子──ポストモダンと冷戦以後のユートピア」(松浦俊輔+小野...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.36-38
[ブック・レヴュー 1]
宮内康(一九三七─九二)は批評家、建築家、教育者として精力的に活動し、六〇年代末から七〇年代の言説活動を中心に根強い支持を得ている。六二年に東大建築学科を卒業し...建築議論の焦点は「モダニズム批判」から「ポストモダンの登場」という決定的な岐路にさしかかって...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.44-45
[日本]
1961年兵庫県生まれ。1987年東京大学大学院修士過程修了。1988年アトリエ第5建築界設立。現在、大阪芸術大学助教授。作品=《Open-Air Kinder...空間のトロツキストこと宮本佳明はアジア型ポストモダンの異種媒介的コミュニケーションをいずれ炸...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.172-173
[批評]
1語り得ぬ都市へのまなざし 〈すでに明らかな前提として深く了解されているのにもかかわらず、その全体性を不確かな手触りにおいてしか問えないでいる〉──都市の現在性...店、一九六頁)。 ★八──柄谷行人『批評とポストモダン』(一九八九年、福武書店、七七頁)。 ★九...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.74-85
[論考]
日本の近代の「都市問題」は、集約してみればその中心にいつも「住宅問題」が位置していたといえる。日本では、たとえばアメリカなどとは異なって、宗教や民族あるいは言語...指摘は、この間に繰り返し行なわれてきた。ポストモダンの議論は、近代という幻想、あるいは近代の...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.146-153
[批評]
建築は社会的な芸術の最たるものであり、社会の変化に対応しなければならない。ある社会の文化と洗練の度合いは、しばしばその社会の器である建物によって判断される。情報...見出されるところに存在する。そして今日のポストモダンの世界において、人間は「シリコン中心主義...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.70-75
[論考]
一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろ...とで、いみじくも井上章一が指摘したようにポストモダンに一歩足を踏み出しかねない状態にもあり★...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[対談]
1 八束──今回の特集では、作家や作品というよりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史」という言説タイプを取り...うに思います。井上章一を含めて、建築史のポストモダンでもありますね。例えば、戦後の近代建築史...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[論考]
焦土の幾何学 「あーきれいだ、絵画的だなー」★一。 疎開先の山梨から東京に戻り、強い夕日を受けた褐色の焼跡を見て、甚だけしからないことだと思いつつ、東京帝国大学...木造に決定させたことがある★九。しかし、ポストモダン以後、伊東忠太の作品はシンプルな神社より...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[翻訳]
...に代わって、上海最大のビル街は六〇階建のポストモダン・オフィスビルの森であり、それは四〇〇メ... ...く降るのである。 ここもまた、すらっとしたポストモダンのタワ──ー四〇階や五〇階の高さで、ニュ...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.150-159
[翻訳]
1 戦争というものは今後リアル・タイムのヴィデオ・ゲ─ムになるだろう、というCNNによる喜ばしき通告は、虚偽であることが判明した。カウントダウンもない高精度爆...ラヴィアにおいては戦争のかたに取られた。ポストモダンの首都たるサラエヴォは、忍耐という標的な...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.190-201
[論考]
「……実のところ私は、時間というものを信じていない」──ウラジーミル・ナボコフ『記憶よ語れ』 i サバービアという言葉を耳にするたび、ホセ・アルカディオ・ブ...ス・デジョン、リン・ティルマンらいわゆるポストモダン小説家(お好みなら「アヴァンポップ」作家...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.137-147
[論考]
...たとえばロサンジェルスの新都心において、ポストモダンを集約するクロノトポスとしてのホテルの出... ...ersity of Pennsylvania Press, 1989. ★三──Fredric Jameson. Postmodernism, or, The Cultural Logic of Late Capitalism. Durham: Duke Univ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.148-156
[対談]
旅 — 観光と人類学のパラダイム・チェンジ 多木…今日は今福さんと吉見さんとの対談であって、私はオブザーバーなんですが、最初に今日話していただきたいことを、問題...えます。もちろん吉見さんが言われるようにポストモダン的なメディア戦略をうまく接合させています...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.170-186
[東京ディズニーランドの神話学 1]
はじめに これからわれわれは東京ディズニーランドという謎の空間を読み解く作業に着手する。二〇世紀が終わろうとしている今、文明批判や近代批判は、百花繚乱の様相を呈...ある」と述べている★九。日本がそもそも「ポストモダン」をはらんでいたことを議論してもまるで意...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.207-218
[対談]
グリッドと風景 松畑──風景あるいはランドスケープという概念について今回の特集で僕が言おうとしたものの一つは、ランドスケープを政治的、経済的に捉えて、ランドスケ...─しかしヴェンチューリの『ラスべガス』がポストモダン的と言われるものだとするならば、むしろそ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.58-67
[批評]
風景画についてのテーゼ 1 風景画とは、芸術ジャンルではなく媒体である。 2 風景画とは、人間と自然との、自己と他者との交換のための媒体である。したがってそれは...ものと同様に、風景は、ポストコロニアルでポストモダンの時代においてはノスタルジアの対象なので...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.149-169
[批評]
建築にとって装飾とは何か? 現在の装飾論ということであれば、まず鶴岡真弓の仕事に触れなければなるまい。ケルト美術研究に始まり、さまざまな装飾・文様の再評価によっ...えよう。装飾の付加がプレモダンではなく、ポストモダンとして公認されるのは、事実上その制作態度...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[批評]
六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標的とされてきた。「より少ないのは退屈である(レス・イズ・ボア)」とい...六〇年代以降、ミースはポストモダン建築の保守的なセクトと急進的なセクトのどちらからも批判の標...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[日本]
1962年兵庫県生まれ。1994年、建築都市計画研究所ateliera+a設立。現在、岡田哲史建築都市計画研究所代表。主な作品=《上麻生の家》《冨士山麓の家》《...一九七〇年代後半からの建築的変遷すなわちポストモダン的折衷主義─脱構築的理性解体主義─モダン...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.158-159
[日本]
1962年生まれ。写真家。84年、日本大学芸術学部写真学科を中退しライトパブリシティ入社。91年の退社後、ロンドンに滞在。帰国後、広告写真や雑誌などで活躍する。...で「モダン」な桂を、次に磯崎新とともに「ポストモダン」なそれを書物にまとめた。石元は、ひとつ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.168-169
[翻訳]
...t, The Most Radical Gesture: The Situationist International in a Postmodern Age, Routledge, London, 1992. Simon Sadler, The Situationist Cit...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.192-203
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...・レルフ『都市景観の二〇世紀──モダンとポストモダン都市のトータルウォッチング』(高野岳彦+...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[論考]
ストリートをめぐって 小倉 「ストリート」という言葉から思い浮かぶのは、寺山修司の「書を捨てよ街へ出よう」というメッセージですね。60年代後半の街頭闘争の流れの...非常に重要ではないでしょうか。ときどき、ポストモダン的理論潮流にある人が、理論・実践について...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.88-96
[都市/メディア]
ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたの... 2冊出版され、それぞれの特集は「ポスト・ポストモダン都市」と「性的都市」。ニューアカ以降の論...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[論考]
二〇世紀の前提 住宅が演じた役割以上のものを、二〇世紀の他のビルディング・タイプはなにひとつ演じていないと、ビアトリス・コロミーナは語っている★一。確かに、二〇...手によって解体されていくのだが、こうしたポストモダン的な状況と現代の状況が決定的に異なるのは...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[制度─都市]
オーギュスト・ペレはその著書『建築理論への寄与』のなかで、建物を美へと結びつける道標として「特質、スタイル、調和」を挙げている。それは構築的なるものの美に関する...流れが生まれた。コンテクストを再構成するポストモダンや解体的なデコンストラクション。そして現...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.136-139
[建築を拓くメディア]
カタログと建築|田中陽輔建築展覧会という形式 建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、あ... and Contradiction in Architecture」がある。モダンとポストモダンの代弁者とも言える双方のテキストが建築界...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.146-149
[インタビュー]
〈もの〉ではなく、その効果 槻橋修──今回のインタビューにあたり、伊東さんの作品を言説を含め改めて見直したのですが、一九八四年の《シルバーハット》[図1]の頃か...案している。重厚な壁によって作られていたポストモダン期と比べてみると、非常にストイックなデザ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[建築を拓くメディア]
建築系の映像といえば、デルファイ研究所からリリースされた「現代建築家シリーズ」が基本的なビデオといえるだろう。ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウ...風景やシンポジウムの様子が見られるなど、ポストモダンの同時代的なドキュメントとしても価値があ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.134-135
[建築を拓くメディア]
森川嘉一郎は『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬社、二〇〇三)で、未来の都市の景観を予想しようとする時、一九七〇年代までならば、建築家がつくる建築作品の...うな「近代建築」から広告や看板のような「ポストモダン建築」へという図式で捉えることもできなく...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.132-133
[建築を拓くメディア]
「磯崎新を軸に日本建築史を読みなおす」。これがこの小論に課せられたテーマである。磯崎新の近年の日本を主題とした著作、『空間の行間』(福田和也との共著、筑摩書房、...一種のメタテクストとして書かれている点でポストモダン的だが、「伝統との距離を計測しながら現在...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121
[論考]
二つの力 都市は異質な二つの力が交差するところに成立している。 一つは、無限に広がり、密度を変えていく流動的な「外部性」をひらく力である。そこには、貨幣のたわむ...ギリシアを、アミューズメント・センターはポストモダン風の観念を、テーマ・パークはアメリカ的な...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.186-194
[都市論の系譜学 1]
...ように。渡辺裕之『汽車住宅物語』)。後のポストモダンな「引用」やシミュレイテッドな「流用」な... ...一九九三年) ★一四──David Harvey, The Condition of Postmodernity, Blackwell, 1989. ★一五──Henri Lefebvre Groupe de Nav...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.317-329
[論考]
1 景観の現在 「景観」という言葉が、そしてその言葉によって名指される何かが、今日、私たちの日常生活のなかに、共通の問題の場(トポス)のようなものとして浸透し... (邦訳=『都市景観の二〇世紀──モダンとポストモダンのトータルウォッチング』高野岳彦+神谷浩...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.126-135
[翻訳]
工場も仕事場も仕事もなく、さらに上司もいないプロレタリアートは、雑多な職のごたまぜの只中にいる。彼らは生き残るのに必死で、余燼を通る小道のような生活をいとなんで...のではない。むしろ、搾取の原始的な形態がポストモダンのグローバリゼーションにより新たなる生を...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.121-137
[論考]
「物はなぜゴチャマゼになるのか」というグレゴリー・ベイトソンと娘メアリーの会話がある★一。自分の部屋が直ぐ「ゴチャマゼ」になるのはどうしてか? と問うメアリー...クは前掲書の中で絵画における視点の変更をポストモダンの先取りと捉え、当時やっと出現するモダン...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.112-119
[インタヴュー]
一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺いたいと思っています。 すでに『建物が残った』で当時のことについて多...い建築的言説の歴史があります。八〇年代のポストモダンの時代になって、「大きい物語」の消滅とい...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[翻訳]
屈折は、変異する曲率を持つ表面を記述する記号である。だが、非存立[inconsistance]と移行存立[transistance]の間にあるこれらの表面を、ほ...ーは同様に、その多文化主義によって自身がポストモダンであることを示している、たとえ彼が自民族...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.192-207
[論考]
建築の保存には理論など不要である。ただ実践あるのみ。折に触れて、藤森照信はこう語っている。確かに、藤森が正面から保存について語った論考を目にすることはほとんどな...し流していった。都市建築保存への運動は、ポストモダンの流行にも絡め取られて、理論的深化を見る...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.120-125
[論考]
0 前口上 既存の環境に学ぶことは革命的である ロバート・ヴェンチューリ 『10+1』のように「シリアス」な雑誌の読者からすれば下らない設問に見えるかもし...あることはいうまでもない。 これらの論争をポストモダン期における実証主義と社会理論、科学と哲学...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[論考]
《都城市民会館》(一九六六)[図1]は、ぎりぎりのタイミングで残されることになった。菊竹清訓の構想力の大きさを印象づけたこの建築も、新たな市の総合文化ホールの建...景観、使い手が創出する価値、モダニズムとポストモダンの関係、「保存」の概念や価値といった事柄...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.114-115
[対談]
ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(ア...念を一度は経験しています。そして、それをポストモダンの時期に一度は乗り越えた、もしくは検証済...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[建築の言説、都市の言説 1]
建築家が書いた一冊の本が、膠着状況からいちはやく抜け出し、やがて大家となる著者の思想的基盤をも形成したとすれば、それは歴史的なランドマークとして繰り返しひもとか...─「均質空間」の批判を見よ──が、後に「ポストモダン」との距離感の測定にも甘やかな影をおとし...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.28-29
[論考]
アジアとヨーロッパの出会う場所イスタンブール イスタンブールは、ボスポラス海峡の南端に位置する人口一〇〇〇万人の都市だ。はじめてこのまちを歩いたとき、人々の顔立...ネス、移住者としてのアーティストといったポストモダン的問題を試し、地球規模で構想できるキュレ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.126-127
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄...ケープ・アーキテクト、イヴ・ブリュニエ。ポストモダン以降、乖離していた建築と都市との関係を〈...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135
[論考]
都市を突き動かす原動力 都市が建築家の手から離れて久しい。かつて建築家は、都市の理想を謳い、都市の輪郭を描き、都市の構造を描き、都市の立面を立ち上げ、そして都市...に短命になってしまったりした。あるいは、ポストモダン建築が商業的な流行や廃りに価値を偏重しす...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.118-119
[鼎談]
リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド 柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京...うのは、二〇〇一年に東浩紀が『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』(講談社)で...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[対談]
小林──荒川さんのお仕事のひとつの転回点とでも言うべき《三鷹天命反転住宅》が三鷹ででき上がりつつあります。養老のオープンスペースの実験に続いて、とうとう集合住居...間の終末」とか、デコンストラクションとかポストモダンなどという動きを始めましたが、彼らも、そ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.169-183
[論考]
1 万博──政治経済学の系譜 一八五一年のロンドン以来、万博──万国博(exposition universelle)、国際博(international ex...九七〇年の大阪万博などが含まれる。やがてポストモダンの時代に入ると、万博という巨大な宴はもは...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...すが、それはモダニズムの時期に抑圧され、ポストモダンになって回帰してきたということでしょう。...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[批評]
現在の建築批評のモード、なかでもアメリカから発信されて趨勢を得ているものは、八〇年代のアメリカ美術界において「ニュー・アース・ヒストリー」が遭遇する「ポスト構造...半に向けて、同一性ではなく差異を強調するポストモダン・フェミニズムに移行し、さらに性差を文化...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[批評]
Telepolis Journal(以下TPJ)──理論と文化の進歩にとって、インターネットにはなんらかの特別な意義を認めることができるでしょうか? キットラー...すが、四カ月前にある非常に有名なドイツのポストモダンの哲学者が──この人の名前はハーバーマス...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.88-93
[対談]
都市の政治学=社会学と均質空間 田中── 今回の特集は「メディア都市の地政学」と題しています。空間的な距離を無化するテレコミュニケーションが普及することによって...なかったとも言えるわけです。だからこそ、ポストモダンな立場からの仮想敵にも似た建築イデオロギ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.62-77
[論考]
1 一九世紀の建築写真 建築は、写真にとって発端からすでに主要なモティーフのひとつであった。二人のジェントルマン・サイエンティスト、ニエプスとタルボットの最初...えで展示空間へ送り届けることで、それは、ポストモダンにおける例外的な「シューレ」と呼ばれる存...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえ...る代理という問題系をなしているのだ。真にポストモダンな様式において、ルフとヘルツォーク&ド・...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[批評]
1 七〇年代から八〇年代にかけて「東京論」と呼ばれるものが数多く発表された。その中には前田愛の『都市空間のなかの文学』や陣内秀信の『東京の空間人類学』、あるいは...殖する資本、そして国際的分業の進展によるポストモダン的な都市経験の分裂と断片化であり、もうひ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.144-155
[論考]
都市計画者からすれば都市の景観を損なうものでしかないスケートボーダーたち。だがイアン・ボーデンは都市と真っ向から対立する虐げられた者たちによる闘争のシンボルだと...て生じる効果はハイブリッドなものである。ポストモダン、さまざまな時代・場所・文化そしてスタイ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.115-121
[万博という問題系 3]
丹下研究室の浅田孝 五十嵐──磯崎さんと万博の関わりを整理しておくと、まず大阪万博の現場でテクノロジーの最前線におられたと同時に、反博のアーティストらとも交流を...そのものには参加されていませんが、直前にポストモダンを象徴するつくばセンタービル(一九八三)...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[論考]
戦争と万博の類似に気づいたのは、愛知万博の仕事を引き受けたときだった。 通産省(当時)が日本政府館の基本理念を作成するにあたり、河合隼雄や川勝平太など、二〇人の...、整然とした未来都市ではなく、いみじくもポストモダン的な騒乱の予言になった。 大阪万博の無秩序...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.155-163
[対談]
...な物語」と呼ぶ人たちもいます。世界的な「ポストモダン」の状況と日本を結びつけようとする議論で... ...西洋の伝統的な様式を使ったヒストリカル・ポストモダンが、なぜか日本に輸入されるという奇妙なこ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[コラム]
今、時代は確実に変わりつつある。だが、変わりつつある時代に対し、建築はいまだ足並みをそろえられてはいないようだ。いくつかの建築が新たな時代の建築の誕生を告げては...ェクト」(ハル・フォスター編『反美学——ポストモダンの諸相』[室井尚+吉岡洋訳、勁草書房、一...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.145-149
[論考]
一、 複数文化主義の帰結 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。「リゾームには始まりも終わりもない。リゾームは常に中間に、ものの間に、存在の間にある、つ...。「郊外映画が撮影された『現実の都市』はポストモダンの/ポストコロニアルのメトロポリスによっ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.132-141
[知の空間=空間の知 4]
炎に包まれるオルセー パリを燃やしてしまえ。日に日に「現代化」しつつある一八八〇年代末のフランスの首都に、「現在」への屈折した憎悪を抱えこみつつ暮らしていた奇矯...の廃墟に」(ハル・フォスター編『反美学/ポストモダンの諸相』室井尚・吉岡洋訳、勁草書房、一九...