森川嘉一郎は『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬社、二〇〇三)で、未来の都市の景観を予想しようとする時、一九七〇年代までならば、建築家がつくる建築作品の動向を見ていればよかったと述べている。建築家たちの間の流行を組織設計事務所が取り入れ、さらにそれを建設会社の設計部が取り入れるから、都市には一昔前の建築家の作品の「甘いコピー」が立ち並び、それが都市の風景を作りだしていったのだ、と。それに対して、一九九〇年代後半以降の秋葉原の「オタク化」は、特定の趣味嗜好をもつ人格が都市の風景を変えていったという点で「前代未聞の現象」であるというのが、『趣都の誕生』で森川が主張している主要な論点のひとつである(七〇年代までと九〇年代以降を媒介するものとして森川は渋谷パルコ的な都市戦略を取り上げているのだが、ここではその点は省略する)。
1──森川嘉一郎『趣都の誕生』
ちょっと注意すればわかることだが、この議論では「一九七〇年代まで」と「九〇年代以降の秋葉原」で、都市の〈景観〉を構成するものとして見定められているものが異なっている。前者においては都市の景観は、ミース・ファン・デル・ローエに範をとったスカイスクレーパーや、ル・コルビュジエの《ユニテ・ダビタシオン》を範型とする集合住宅といったハードな「建築(物)」として見出されているのに対して、後者においては建築物の表層や、その内部空間を埋めるソフトな意匠やキャラクターの氾濫が、都市景観をなすものとして見出されているのである。こうしたズレを、森川も引用しているロバート・ヴェンチューリ等がかつてLearning from Las Vegas, MIT Press, 1972.で主張した、彫刻のような「近代建築」から広告や看板のような「ポストモダン建築」へという図式で捉えることもできなくもない。が、ここで述べたいのはそのことではない。
すでに述べたように、九〇年代後半以降の秋葉原のオタク化を、森川は特定の趣味嗜好をもつ人格の偏在によって説明する。この時、〈景観〉は建築様式によってではなく、そこに集まる人びとのパーソナリティや振る舞いをも構成要素や規定因子とするものとして存在しているということになろう。建築様式から見れば、典型的な雑居ビルが立ち並ぶ秋葉原の景観は、きわめて「近代的」な「甘いコピー」の集まりにすぎない。だが、その表層を、内部を、そして周囲を覆う意匠や記号が、そしてまた、そうした意匠や記号の増殖を支える人びとが、現在の秋葉原の景観を形作っている。建築、意匠、記号、身体、趣味、振る舞いといった要素の重なりと組み合わせによって都市の景観が作られるという点では、森川が秋葉原と対照的なものとして取り上げている渋谷も同様である。都市の景観という視点から読むならば、『趣都の誕生』のなかに読み取るべきことは、「オタクという人格が都市空間を変容させる」ということ以前に、「都市の景観を構成するものは何か」、「都市の景観として見出されるものは何か」という、都市景観をめぐるより根本的な問題への示唆であろう。
景観に関する書物で最近刊行されたもののひとつに、私も参加した『〈景観〉を再考する』(青弓社、二〇〇四)がある。社会経済学の松原隆一郎、文化地理学の荒山正彦、歴史社会学の佐藤健二、倫理学の安彦一恵、そして社会学的都市論の私という五人の連続講座をもとに作られたこの書物が示すのは、一口で「景観」と呼ばれる対象が立ち現われ、見出され、生きられる時に、重なり合ってそれを構成する法、経済、社会、文化、歴史、感覚、意識の多層性である。景観とは、例えば建築物と同じようなモノとしての対象性をもつものではない(同じように〈建築〉もまた単なるモノではありえない)。それは、特定の歴史と文化の中にある人びとの存在と営みのなかで現われ、かつ、またそのなかで生きられる、ハードかつソフトな存在なのだ。かつて『悲しき熱帯』(一九五五)のなかでレヴィ=ストロースが都市について語ったように、それは客体であると同時に主体であり、個であると同時に集団であり、夢想されるものであると同時に生きられるものなのだ。「人格が都市を作る」という秋葉原における森川の発見は、都市と人間のそのような多層的な関係の、現在における現われの一端である。そのように考えるならば、七〇年代までなら建築家の作品を見れば未来の都市の風景が予想できたという森川の指摘が問題含みであることは明らかだろう。建築家は都市の中のある部分を作るかもしれないが、建築家の作品やその「甘いコピー」がそれらだけで都市やその風景を作るのではない。このことはすでに一九六〇年代の終わりに、「都市はなぜ都市であるのか」(雑誌『都市』創刊号、一九六九)で吉本隆明も指摘していたことである。
2──松原隆一郎ほか『〈景観〉を再考する』
現代における都市の景観の別様の現われは、例えば三浦展監修の『検証・地方がヘンだ!』(洋泉社、二〇〇五)に示された地方都市郊外の、大型ショッピングセンターやロードサイドショップの立ち並ぶ風景にも見ることができるだろう。三浦の『ファスト風土化する日本──郊外化とその病理』(洋泉社、二〇〇四)のムック版であるこの本における景観と社会(あるいはコミュニティ)の結び付け方には、社会学者として留保をつけたいところも多々あるのだが、そこに示された風景が私たちの現在の集合的な生のたたずまいを示していることは間違いない。そうした風景は、田中角栄の列島改造や大平正芳の田園都市構想の延長線上に現われてきたという意味では、行政が導いたものだとも言える。だが、そうした行政の導きのもと、都市や地方の社会を生きてきた私たちの身体や欲望なしには、やはりそのような風景は立ち現われてはこなかったはずである。だから私は、そうした地方都市や郊外の風景を個人的に好きではないにもかかわらず、それらを単純に批判することもまたできないと感じてしまう。そうした風景を私は自分の外側の対象物のように見出すが、それはまた同時に現在を生きる私の立ち姿でもあるからだ。
3──三浦展監修『検証・地方がヘンだ!』
最後に、そうした都市の景観とそれを作りだす営みや構造の多層性を考えるためのガイドとして、吉見俊哉と私が編者となって最近作った本を紹介しておこう。『東京スタディーズ』(紀伊國屋書店、二〇〇五)と題されたこの本では、「都市ガイドブック」の形をとって、東京内外の特定の場所を各章の入り口に、書き手の個人的な経験も盛り込みつつ、東京の現在を構成する多様な相=層を描き出すことを試みた。吉見や私のような社会学的都市論者だけでなく、西澤晃彦や田嶋淳子のようなより正統派の都市社会学者、セクシュアリティ論の赤川学や映像・映画論の中村秀之、建築論の森川や五十嵐太郎、国文学の石原千秋等々の書き手がそれぞれの視点と経験から、都市の中の具体的な場所の姿と、その姿を支える社会や人間の生を記述し分析した複数の論考は、必ずしも景観に主たる照準を合わせたものではない。だが、池袋の風景の目に見える変化のなかに国境を超えて広がるグローバルな社会空間の広がりを読み解いてゆく田嶋の「都市に埋め込まれるアジア」、深夜のストリートに集うスケートボーダーたちの姿から都市下位文化の担い手の日常を探る、都市社会学の新鋭・田中研之輔による「新宿ストリート・スケートボーディング」、自らが暮らすニュータウンの風景にかつての郊外の夢とその終焉を見る石原の「郊外を切り裂く文学」、映画の中の東京に土地空間上の場所に還元できない都市の存在の位相を探る中村の「映画のなかの東京」等、そこには私たちが都市の景観として見出してしまうものが、いかなる了解や行為、経験の位相に現われるのかを考えるための、多くのヒントと事例が示されているはずである。