1946年生まれ。デザイン評論。武蔵野美術大学教授。
(最終更新:2009年9月28日)
[論考]
日本の近代の「都市問題」は、集約してみればその中心にいつも「住宅問題」が位置していたといえる。日本では、たとえばアメリカなどとは異なって、宗教や民族あるいは言語の差異が都市の複雑な問題として顕在化することが少ない。したがって、日本の近代にかぎって言うなら、都市問題と住宅問題はほぼ重なりあっている。 都市化は人口過剰をと...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.146-153
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
情報端末としての建築 電飾、看板、ファーストフード、カラオケ、ゲームセンター、カフェ、居酒屋、ドラッグストア、電化製品の量販店、百貨店、金融ビル、JR線の高架、...ことなく、完全にゲーム的な世界に没頭できる。柏木博が指摘したように、ヴィーナスフォートでは、...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[論考]
かつて北野武が彼のフィルムで最初に暴力を演じた舞台は、実は子供部屋だった★一。「二階ですね」という刑事の確認が表象する、了解されたその部屋の配置、また訪問者を威...罪」(『児童心理』四三巻一二号、一九八九)、柏木博「家族の規範から解き放たれ子どもたちの部屋...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.162-165