私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

映画『ダーウィンの悪夢』

2007-01-31 16:46:35 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 この長編ドキュメンタリー映画が2004年ベニス国際映画祭で受賞した直後に、カナダのアルバータ大学の学生新聞でこの映画を絶賛する記事を読みました。大いに興味をそそられたのですが、機会を得ず、先週やっと福岡で観ることができました。チラシには「世界中に衝撃を与えた傑作ドキュメンタリー」とか「一匹の魚から始まる悪夢のグローバリゼーション」といった文章が並んでいましたが、私は何もショックを受けませんでした。ただ無性に悲しい気持になっただけでした。学生新聞の記事から得た予備知識と、それが準備した予想が私の中で待ち構えていたからかも知れませんが、とにかく、<デジャ・ビュ>という感じしか持たなかったのです。これは、アフリカの地で、遠い昔から執拗に繰り返されてきた old story の一つじゃないか-これが私の偽らざる感想でした。植民地主義がアフリカにもたらし続けてきた惨状の反復性、その歴史的一貫性を確認しただけのことであったのです。皮相的には目新しい話題はあるにしても(例えばAIDSとかドラッグとか)、本質的にはこれは a new story ではなく、an old story なのです。この映画の制作を助けた Nick Flynn という人も「It’s an old story」と言っています。フリートレード、グローバリゼーション、ネオリベラリズム、WTO,などなどと現代のキャッチフレーズを振り回す必要はありません。新しいことと言えば、今や人間をめぐる危機情況がグローバルであり、解決の方途を模索する時間的余裕は急速に無くなりつつあるという一点にあります。
 映画を観ていない人々のために内容の一部を紹介します。タンザニアはコンゴの東にあり、インド洋に面し、内陸ではビクトリア湖の南部を囲んでいます。大英帝国最盛期の女王の名を冠したこの湖はアフリカ最大の淡水湖(世界ではバイカル湖に次いで第二位)で琵琶湖の100倍の大きさがあります。タンザニアがまだ英国の植民地だった1954年、商業目的でナイルパーチという外来魚が放流されました。このスズキ目に属する白身の魚は体長2メートル重さ200キロにも成長する巨大な肉食魚で、400キロのものが捕れたこともあるそうです。ビクトリア湖の在来魚は殆どが草食魚で、ビクトリア湖の周辺の住民は、昔から地産地消の漁業を営み、男たちは小舟で沖に出て、水揚げした魚は女たちが近郷に売りさばいていました。生きる糧はビクトリア湖が与えてくれていたのです。ところが、導入されたナイルパーチは在来魚を大量に食べて数を増し、1980年代に入ると急増に転じ、ビクトリア湖の漁業の性格が一変してしまいます。漁船も漁法も大規模化し、良質のタンパク源食品としてヨーロッパや日本などアフリカ外の世界市場へ輸出するための加工工場が湖の周辺で続々と操業を始め、映画の舞台になったムワンザ市だけでも10以上を数えるようになりました。そこでは大きなナイルパーチが流れ作業で三枚におろされ、骨のない切れ身部分( fillet)が発泡スチロールの箱に詰められ、大型の輸送機で国外に空輸されます。ビクトリア湖を囲むタンザニア、ケニヤ、ウガンダの三国から運び出される量は1日500トン、1年20万トンにのぼるとされていますが、正確には分かりません。ムワンザ郊外の形ばかりの空港からだけでも積荷50トンのロシヤ製の大型輸送機が1日2便運航され、1日100トンが運び去られています。
 インターネットの「livedoor デパート」でナイルパーチ(スズキ)の切り身が1キロ1680円で売り出されています。末端卸し価格1キロ千円として、ムワンザの草空港から毎日1億円のナイルパーチが飛び立つ勘定です。これは荒い見積もりであり、タンザニア全体としてのナイルパーチ加工輸出産業のあげている利潤の総額を知りたいものですが、一般の住民の収入水準から見て巨大な額であることは明白です。問題はその何パーセントが現地に残るかということです。この映画で取材されているムワンザのナイルパーチ加工工場の持ち主の言う所では、彼がナイルパーチから得た儲けを現地で投資する気は全然なく、もっと安全な投資先、例えばカナダのホテル経営などへの投資をしているようです。ビクトリア湖周辺にナイルパーチ漁業、加工輸出産業が出現したことで、あたりの住民が数千人雇用されたのは事実ですが、それはごく限られたプラス効果であって、地産地消の漁業形態は無残にも破壊されて土地の人々の生活は急激に悪化し、その一割が飢餓線上をさまようことになったという事実に否定の余地は無いようです。その惨状は映画で容赦なく描かれています。
 この映画とそれが私たちに問いかけてくる問題については、日本でも、単行本を含めて盛んに議論されているようですが、私としては、これは新しい話ではなく、百年、いや、二百年をもさかのぼれるold story であり、またナイルパーチという怪物的な巨大淡水魚という天然資源に限られる話でもないことを強調したいのです。この映画の監督フーベルト・ザウパーは「同じ内容の映画をシエラレオネでも作ることが出来る。魚をダイヤに変えるだけだ。ホンジュラスならバナナに、リビア、ナイジェリア、アンゴラだったら原油にすればよい」と言ったそうですが、まさにその通りで、このザウパーの言葉を正確に、そして歴史的、経時的に理解することが私たちに求められているのです。
 遠いビクトリア湖のナイルパーチが日本の弁当産業や給食産業をうるおしたから、これはグローバリゼーション現象だなどと騒ぐこともありません。コンラッドの『闇の奥』の始めの所にドミノゲームのこと、終りの所にはグランドピアノが出てきますが、これはドミノ牌やピアノの鍵盤の需要で象牙の値段があがったことを暗示するためです。これに加えて日本では印章用にも象牙が求められて来ました。またレオポルド二世の悪業の中核を成すコンゴの密林からのゴム原料の収奪にしても、1909年には早くも住友ゴム工業の前身のタイヤ製造会社が日本で操業を開始しています。ナイルパーチが白身の魚のフライとして日本のお弁当の中に現われたのが「グローバリゼーション」だと騒ぐのなら、同じことが百年前に起っていたことに思いを馳せて下さい。このブログの読者の中にはUnited Fruit Company というアメリカの会社の名を御存知でない方もおありでしょう。1899年の昔に設立されたこの恐るべき会社のことをWikipedia などのサイトで是非読んでほしいと思います。
 「フリートレード」についても同じことです。拙著『闇の奥の奥』にも書きましたように、これも百年前のコンラッドの時代に既に国際的なキャッチフレーズであったのです。拙著から2カ所引用します:
「 ベルギー語(フランス語)の原名は「コンゴ独立国」だが、英語圏ではもっぱら「コンゴ自由国」と呼ばれる。国名としてこれほど人を馬鹿にしたものは他にないだろう。この國の富(それは住民を含む!)は自由にむしり取ってよろしいというのが、その本当の意味であったのだから。14カ国が参加したベルリン会議の約定によれば、コンゴ自由国ではすべての國に完全な自由貿易が保証され、一つの国による独占交易は許されないことになっていた。これが「自由」の意味であり、そこに住む原住民の人間的自由とは何の関係もなかった。始めからそのようなものの存在すら考慮に入れられてなかったのだ。以前にはコンゴ河の河口に張り付いて内陸から奴隷を吸い出していた吸血鬼が、今や河をつたって内陸部に侵入し、原住民を現地で奴隷化して労働を強制し、象牙、ゴム、椰子油、鉱産物を持ち出す“自由”貿易を始めたのである。」(p69)
「彼女の考え方の第一の重要点は、アフリカの黒人を積極的に人間として認める立場にあり、第二の点は、キリスト教の押しつけではなく、自由貿易(フリー・トレード)に黒人たちを主体的に参加させることが彼らの生活情況の真の改善をもたらすであろうという主張だった。この主張の革命性はいくら強調しても過ぎることはない。自由貿易とは、何よりも先ず、物資の生産者がその物資の価格のコントロールを持ち、最も望ましい買い手を選ぶ自由が保証されることであるとメアリー・キングスリーは考えたのである。いま米国大資本主導の“貿易自由化”の波が全世界を被っているが、この200年間、アフリカの黒人には一度たりともメアリー・キングスリーが主張した意味での貿易の自由が与えられたことはなく、現在も与えられてはいない。」(p101)
上で「彼女」とはコンラッドその人もその著作に魅せられた素晴らしい女傑メアリー・キングスリー(1862-1900)を意味します。
 ナイルパーチ加工輸出産業の場合にも、タンザニアのキクウェテ大統領が如何に映画『ダーウィンの悪夢』の事実歪曲に対して抗弁しても、キングスリーの意味での自由貿易が成立していないことを否定することは出来ますまい。それは世界銀行や世界貿易機関(WTO)を動かしている人々が誰よりもよくわきまえているに違いありません。
 この映画の重要な問題提起の一つにアフリカへの武器搬入の問題がありますが、これも、私には、old storyに思えます。これについては又次回に。

藤永 茂 (2007年1月31日)