私の闇の奥

藤永茂訳コンラッド著『闇の奥』の解説から始まりました

Another Bloody (or Thoroughgoing ) Racist?

2007-01-24 11:10:32 | æ—¥è¨˜ãƒ»ã‚¨ãƒƒã‚»ã‚¤ãƒ»ã‚³ãƒ©ãƒ 
 昨年は政治思想家ハンナ・アーレント(1906-1975)生誕百年に当り、昨今、アーレント関係の出版物や学会が賑わいを見せているようです。その主著「The Origins of Totalitarianism 」(初版1953年)は彼女の名を不朽にした20世紀の名著の一冊とされています。
 人種差別の思想( racism )はこの著作の中で中心的な役割を担っています。アーレントはレイシズムを「帝国主義のための思想的武器」と位置づけ、その具体的発祥を、南アフリカに移住してその地で生活を続けたボーア人たちの現地体験に求めます。 このことの理論的是非を本格的に論ずることは私の手に余ることですが、アーレントの思考がコンラッドの小説から受けた明白で深甚な影響に就いて、何故、これまでコンラッド専門家たちが,私の知る限り、殆ど論じて来なかったのか、私には全く不思議に思われてなりません。その理由をあれこれ考えるのですが、思い及ぶ事の一つに、アチェベのコンラッド批評(非難?)に英米の多くの英文学者や英文学教師たちがすっかり意表をつかれたという事実があります。アチェベは英米の学者先生たちが特別何の問題も見なかったコンラッドの文章や表現に烈しく反応したので驚いたのでした。アーレントのレイシスト的な文章についても、同じような無感覚があるのかもしれません。アチェベの烈しい反応をアフリカ黒人にありがちな感覚過敏、被害妄想によるミスリーディングとして退けてしまいたい人々も少なからず居るようですが、その一方では、アチェベの黒人らしい鋭い感受性に共感を覚えた人間の数も少なくなかったと、私は思います。
 この問題は、以前、拙訳『闇の奥』の「訳者あとがき」(藤永272)で取り上げたことがありますので、以下に転載します:
 アーレントによれば、南アフリカの地に定着したブーア人たちは「クルツ」現象が集団発生した場合にあたり、この「ブーア人論」は彼女の人種論の要をなしている。コンラッドの『闇の奥』からの投影が見え見えの個所を以下に引用しよう(上掲訳書121頁):
彼ら[ブーア人]の中には今日もなお、彼らの父祖たちを野蛮状態に逆もどりさせる原因となった最初の身の毛のよだつ恐怖が生きているのであろう-ほとんど動物的な存在、つまり真に人種的存在にまで退化した民族に対する底知れぬ不安、その完全な異質さにもかかわらず疑いもなくホモ・サピエンスであるアフリカの人間に対する恐怖が。なぜなら人類は、未開の野蛮部族を目のあたりにしたときの驚愕をたとえ知ってはいたにせよ、個々の輸入品としてではなく大陸全体に犇く住民としての黒人を見たときのヨーロッパ人を襲った根源的な恐怖は、他に比すべきものを持たなかったからである。それはこの黒人もやはり人間であるという事実を前にしての戦慄であり、この戦慄から直ちに生まれたのが,このような「人間」は断じて自分たちとは同類であってはならないという決意だった。この不安とこの決意との根底には、人間であることの事実そのものに対する疑惑とおそらくは絶望とが潜んでいた。(引用終り)
もし白人というものがこのような存在であるならば、それこそ絶望だ。この文章に対する黒人作家アチェベの反応を聞きたいものである。このような語り口の出来る精神を、私は、EUROPEAN MIND と呼びたい。ブーア人について上に書かれていることが当っているか否かとは別の問題である。
今日は上とは別の文章を同じ大島訳の『全体主義の起源 2 帝国主義』(みすず書房)のp122から引用します。私は、そして恐らくアチェベも、以下の文章の人種差別的語り口に驚かされるのですが、白人の学者や教師たちはついそれを見過ごしてしまうのかも知れません。
「彼らを他の民族から区別していたものは肌の色ではなかった。彼らが肉体的にも厭わしく怖ろしく感じられたのは、彼らが自然に救いようもなく隷属もしくは帰属していたためであり、自然に対して如何なる人間的世界をも対置しえなかったためである。彼らの非実在性、彼らの亡霊のように見える行動は、彼らが世界を築かなかったことに由来している。彼らは世界を持たない故に自然が彼らの存在の唯一のリアリティーと見える。そして自然は観察者に対してすら圧倒的なリアリティーとして迫ってくる-世界を持たない人間を相手にするとき自然は思いのままに跳梁し得る--から、自然に較べれば人間は幻か影のようなもの、完全に非現実的なものと見えてくる.この非現実性は、彼らが人間でありながら人間独自のリアリティーを全く欠いていることからくる。世界を持たないことから生ずる原住民部族のこの非現実性こそ、アフリカにおそるべく血腥い破壊と完全な無法状態とを招き寄せたものだった。」(大島122)
これもまた、さきの(大島121)に劣らない驚くべき主張です。アフリカがこうむった「おそるべく血腥い破壊」はアフリカが自ら招いた事だというのですから。大島訳の底本は1962年出版のドイツ語版のようで、これは私の手許にある HBJ Book 版(1973年)のp192にある英文とかなり違います。この差異自体も興味深いものですので、以下に原文を引用し、訳を付けてみます:
 What made them different from other human beings was not at all the color of their skin but the fact that they behaved like a part of nature, that they treated nature as their undisputed master, that they had not created a human world, a human reality, and that therefore nature had remained, in all its majesty, the only overwhelming reality ? compared which they appeared to be phantoms, unreal and ghostlike. They were, as it were, “natural” human beings who lacked the specifically human character, the specifically human reality, so that when European men massacred them they somehow were not aware that they had committed murder.
「彼らを他の人間たちから区別していたのは彼らの皮膚の色では全然なく、彼らが自然の一部のように振る舞っていたこと,彼らが自然というものを彼らの文句なしのご主人様として扱っていたこと、彼らは人間の世界を、人間的リアリティーを未だ形成していなかったこと、したがって、自然はその威厳を完全に備えたまま、唯一の圧倒的リアリティーを保持し続け,それに較べれば、彼らは現実性を欠いた幽霊のような幻影とも見える存在だったという事実であったのだ。彼らは、はっきりとした人間らしい特性も、はっきりとした人間特有のリアリティーも備えていない、言うなれば、“自然のままの”人間なのであった。だから、ヨーロッパ人たちが彼らを大虐殺したとき、ヨーロッパ人たちは自分たちが殺人の罪を犯したのだとは思ってもみなかったのだ。」
 いやはや、これはひどい話です。ドイツ語版から英語版に移るとき、アーレントは意識的に書き換えたのだと思われますが、「ヨーロッパ人たちは黒人たちを人間じゃないと思って気楽に殺した」と前よりはっきり書いたのはどういう神経なのでしょう。もしアチェベがアーレントのこうした文章を読めば、アーレントを another bloody racist と呼ぶに違いありません。しかも、アーレント自身がはっきりと「ジョゼフ・コンラッドの物語『闇の奥』Heart of Darknessのほうが、歴史、政治、比較民俗学のこの問題に関する書物よりもこの経験の背景を明らかにするのに適しているだろう。」(大島訳p106)と書いているのです。「この問題」とは人種差別思想のことであり、「この経験」とはボーア人のアフリカ体験に代表されるヨーロッパ白人のアフリカ体験を意味します。幸いなことに、アーレントが『闇の奥』を通して見たアフリカに就いては、高橋哲哉さんの卓越した論考があります。高橋哲哉著『記憶のエチカ』(岩波書店、1995年)の第二章「《闇の奥》の記憶」です。この論考はアーレントに関心を持つ人々、コンラッドに関心を持つ人々にとって必読の文章です。とりわけ、私としては、コンラッド研究家の方々の関心を喚起したいと考えます。読者のレスポンスの重視は現代の文学理論の一つの重要なトレンドの筈です。読者としてアーレントが formidable な存在であることに異論を唱える人は居ますまい。

藤永 茂 (2007年1月24日)