マスクしている若い女子を見ると頭が悪いのだなと思う。それで対人関係を悪くしていることに気づかないのだから。「すっぴんだから」という理由を聞くことが多いが、マスクした方が醜く印象が悪い。
キャバクラとかで遊べる人というのはどれくらいの収入があるんかな。そこそこの女の子を集めているところで2時間飲んだら少なくとも1万ちょっとにはなるし、同伴とかさせられたらへたすると1日で3、4万飛ぶことになる。こういうのを週1とかでくりかえすことができる奴がそんないるとは思えない。
風俗は嫌いだけど、そういうところに行った方がましなんじゃないかと思う。
7×8は「7の段」ですよね。
「7の段」って、7ずつ増えていきますよね。
だから、7×8は7+7+7+7+7+7+7+7なんですよ。
8×7は「8の段」ですよね。
「8の段」って、8ずつ増えていきますよね。
だから、8×7は8+8+8+8+8+8+8なんですよ。
掛け算を最初に習った時のことを思い出してもらえれば分かると思いますが、普通、こういう時、飴玉の乗ったお皿がいくつあるか・・・とか習いましたよね。
7個の飴玉の乗ったお皿が8つあるとすれば、7+7+7+7+7+7+7+7の方が自然じゃないですかね。
8+8+8+8+8+8+8では、8個の飴玉の乗ったお皿が7つある・・・という状態を示していると想像する方が自然であると思われます。
ってことは、訳も分からず問題文に書かれた数字を式にして、九九で暗記した答えを書いているだけ・・・って考えるのが妥当なんですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20141001193557
ライトノベルと言うと、表紙と挿絵にアニメ風の美少女イラストが入った内容の軽い低俗な本、がすぐ思い浮かぶだろう。
雰囲気としては合っている気がする。僕の読んできたライトノベルもだいたいそんな感じだった。
でもとりあえずは、無用な誤解をさけるために定義付けをしっかりしよう。
だけど、すぐに反証が見つかる。
例えばここに、さっき本棚を一分漁って見つけた佐々木マキのイラストが入った村上春樹の『カンガルー日和』がある。
この本が刊行された時、日本文壇は春樹は文学ではないと言っていたかもしれないけど、少なくともラノベとは言えない。
それに、児童文学はイラストが入っているのが一般的だから、イラスト=ラノベとはいえないんじゃないだろうか。
じゃあ内容が低俗だとか軽いのがラノベだ、ということだろうか?
いやそれはおかしい。シドニィ・シェルダンの『空が落ちる』は一般小説の棚に置いてある。
紅玉いづきの『ミミズクと夜の王』のイラストはどう見てもアニメ絵じゃないが、ライトノベルを名乗っている。
(表紙がアニメ絵の一般小説もちょっと名前は挙がらないけど、本屋でたまに見かける)
こんな感じで、ラノベがラノベである理由はおよそはっきりしない。
はっきりしているのは、ラノベであると名乗っている出版レーベルが幾つかあり、それについて一般的にラノベであると認められているという状況のみである。
こんなわけなので、定義はラノベのレーベルから出ている本がラノベだ、ということにしておくのが妥当だろう。
だから筒井康隆がラノベのレーベルから小説を出したらラノベになるし、『百瀬、こっちを向いて。』の中田永一がラノベを書いたらラノベになるし、中島梓がラノベのレーベルから本を出したらラノベになる。
大江健三郎が児童文学だと言いはって『二百年の子供』を書いたら児童文学になったように、大江健三郎がラノベのレーベルから小説を出したらラノベになるだろう。
その通りだ。
しかしそういう人は、日本文学が垂れ流した私小説という肥やしにもならない糞の山のことはどう考えているのか。
僕が言いたいのはつまり、未来のノーベル文学賞作家がラノベから出ないと誰が言い切れるのか、ということだ。
いや言い切れるはずがない。
さっき書いたように、ラノベがラノベであるのはレーベルの問題であって、その内容だったり作者には関係が無いからだ。
そんなものはない。
ラノベを馬鹿にしている人は、ハリーポッターが児童書版で出たら恥ずかしくて買えないのに一般書版で出たら買う人たちだ。
そういう人は自分の力で、自分だけの「ハリーポッター」を発見することは絶対にできない。
そういう人は本当に面白いものを見つけることも、それを評価することもできない。
げんきな きみがすき いまはとおくで みてるよ
ほらッ えがおが ううんきみには やっぱりにあってる
どんな ばしょにいても きみだと わかる
あかるいこえが あぁ きこえる
はなしかけてみよう ゆうきをだして
きみの となりに すわってさ
ゆうひのこうてい ふりむくよこがお
げんきな きみがすき
あぁ きせきをおこしそうな
ふしぎなチカラだね
げんきな きみがすき
いまはとおくで みてるよ
ほらッ えがおが ううんきみには
やっぱりにあってる
きみは きづいているの?まわりの ひとを
しあわせにする あぁ じぶんに…
とたんにかぜは さむくなる
ぼくはむねのおくで リピートをくりかえすのさ
げんきな きみがすき まるで ゆめをみるような
げんきな きみがすき なみだなんかに まけるな
そのえがおを そういつでも おうえんしているよ
あたらしいきみに まいにちであう どんどんふくらんで
きになるよ きになるよ ああとても
げんきな きみがすき
あぁ きせきを おこしそうな
ふしぎなチカラだね
げんきな きみがすき
いまはとおくで みてるよ
ほらッ えがおが ううんきみには
やっぱりにあってる
自分はメールアドレスが短いので、よく間違いメールが来るんだけど、立て続けに二件問題のあるメールが来たので、ここに問題点を書いておく。ここに書いて意味があるかどうか知らないけど。
二件ともファッション関係だったのだけど、通販サイトに登録した際に誤って、俺のメールアドレスを登録してしまったようで、「登録しました」みたいなメールが来た。どちらにも、氏名、住所、電話番号、さらにはパスワードがきちんと書かれていた。こんなことされたら、俺が情報いじり放題。クレジットカードまでサイトに登録していたら、俺が買い物し放題になっちゃう。
対策は、
でないと、マジで問題大きい。これによる被害って、表に出てないだけで、結構あるんじゃないか。
あと、登録完了のメールを送る際は、誤ったメールを送った場合の対応をきちんと書いてほしい。一件は修正してもらったけど、もう一件はメールアドレスがないので、まだ修正てないまま。おかげで、すでに買い物を確認するメールが来ていて、その人、買い物を完了できてない。忙しいので、電話するとか勘弁。間違ったことが発覚した後だって、「破棄してください」なんて、俺はともかく、悪人には通用しないかんね。
池田センセイ、永井和はウェブサイトに「そんなこと」を書いていますよ! - 永井和の日記 - 従軍慰安婦問題を論じる
http://ianhu.g.hatena.ne.jp/nagaikazu/20140922/1411399963
hima-ari
だから、そこで強制連行に話を繋げるから左右で議論がこんがらがってグッチャグチャになるんでしょうに。強制連行を取っ払った上での批判は再構築が完了してるのに、なぜそうしないのか。未だに理解に苦しんでます。
http://b.hatena.ne.jp/entry/227908681/comment/hima-ari
MermaidSong
「強制連行の有無を重要視する言説への批判」なのに「強制連行に話を繋げるから左右でこんがらがって」とかどこ読んでんの?その文句は「話を繋げる」側、つまり重要視する側だけに言うべき事だろ。id:hima-ari
http://b.hatena.ne.jp/entry/227908681/comment/MermaidSong
hima-ari
ネトウヨがグチグチとウルセえ部分を取っ払って批判出来る理路が既に出来てるのに、そっから離れられない辺りが勿体ねぇと思うのですよ、毎度毎度。「強制連行」は挙げ足を取り易い曖昧さを持つ気がするの。
http://b.hatena.ne.jp/entry/229997401/comment/hima-ari
MermaidSong
話を持ち出す側じゃなく、それを批判する側を「話を繋げる」と言うのは詐術。与太批判が必要なのはid:hima-ariみたいなのがいくらでも湧くから。与太の側じゃなく批判側を批判とか右の自浄作用はご立派なこって。
http://b.hatena.ne.jp/entry/229997401/comment/MermaidSong
hima-ari
話の大筋についちゃ文句は無い所かむしろ同意するぐらいなんだけどねぇ… あと、いくらも沸く割には、わたしみたいなのはあんま見掛ける印象無いな… 氏がわたしにどんなレッテル貼ってるのかは少々気になるかも。
http://b.hatena.ne.jp/entry/230012013/comment/hima-ari
パーマリンク貼れるようになってやり取りが捗るかなと思ったら却って分かりにくくなってて、かなり困る…
Twitterもそうだけど、話し合いに向かないよねぇ…
人権ももはや、庶民にとってはあるようで無いものになりつつあるように見えるけどね。
それでも、初めから何も無かったことに比べればほんの少しは何かが残るとは思うけど、
逆に言えばその「ほんの少しの何か」くらいまでは状況は悪くなり得るし、人類がギリで
持続可能な生活水準は現状その程度なんじゃないの実際は、と思う。
独歩漱石鴎外露伴あたりを、ぺらっぺらのラノベや、売らんがなのエロマンガと一緒にするにはあまりにも無理ありすぎだろうねぇ…
ニップレスめちゃくちゃいい。いまのところ今年買ってよかったモノのダントツ一位だ。
服装にかかわらず常に着用するようになった。もうブラはしてない。
ニップレスの何がいいって、肩こりや肩甲骨周りのコリから開放されるってところ。体がすごく軽い。
いまは乳首より一回り大きいシリコン型のが主流だ。かつて流行ったヌーブラの乳首だけ守る版みたいな感じ。
Amazonで3組セット1,000円位で買える。
女性の方はぜひ試してください。
支配する側が常に強い中で、よく人権を手に入れたよね。
映像ソフトは1万枚以上売れ、原作コミックもかなりの人気であるという。
この「月刊少女野崎くん」の原作コミックだが、発刊している企業は今年8月著作権侵害の疑いでSNKプレイモア(大阪・吹田市)から
刑事告訴されたスクウェア・エニックス(東京・新宿区)である。
また、この事件に関する報道を踏まえると、同社は恒常的に著作権侵害を行っていたと推測される。
加えて、同社はSNKプレイモアからの再三の申し立てにも拘らず、著作権侵害を行っていた漫画を連載・発行し続けていたという。
これらの点を踏まえると、スクウェア・エニックスは順法精神に欠けるある種悪質な企業としか言いようがない。
順法精神に欠ける悪質な企業に対しては不買運動とまではいかないまでも、その企業の製品に対する買い控えが起こることは多い。
また、不買運動を起こすことで悪質な企業を駆逐するとともに、順法精神を持つ優良企業をより成長させることができ、
結果として消費者や労働者の権利が守られるとともに、より公正で互いの権利が尊重される社会に近づくことになるだろう。
一方悪質な企業の商品を買い続けるということは、優良企業を駆逐させ悪質な企業を跋扈させることにつながりかねない。
その結果、消費者や労働者の権利も蹂躙されることとなり、公正で互いの権利が尊重される社会からは遠くかけ離れたものになるだろう。
さて、スクウェア・エニックスの発刊する漫画、あるいはゲームソフトなどに対し不買運動が起こったという話は聞かない。
それどころか同社が刊行する「月刊少女野崎くん」といった漫画の単行本や同社が制作に関与した映像ソフトが非常に売れているという。
このことから、今年8月の事件発覚後から今まで「月刊少女野崎くん」に代表されるスクウェア・エニックスの商品を買った人は、
自らの快楽追求の帰結がどうなるか、そして自らの購買行為が社会にどのような影響を与えるのかという2つのことに関する想像力を欠如した、
幼稚な人間と言わざるを得ない。
そして「月刊少女野崎くん」が未だに売れていることは、それだけ幼稚な人間が増えたということの証左である。
勿論年端もいかない乳幼児なら自らの快楽追求の帰結がどうなるか、あるいは自らの行為が社会にどのような影響を与えるかについて
しかし「月刊少女野崎くん」に代表されるスクウェア・エニックス社の刊行する漫画などは「おかあさんといっしょ」や「みいつけた!」といった
乳幼児向けのものではなく、中高生以上の年齢層を対象にしていると推測される。
したがって、この「月刊少女野崎くん」ブームは、中高生以上の日本人の幼稚化をシンボリックに表しているといえよう。
この日本人の幼稚化に対し、例えば「月刊少女野崎くん」といったスクウェア・エニックスの刊行する漫画やゲームを発禁にしたところで
残念ながら対症療法にすらならないであろうし、そういう意味で今の日本の状況は絶望的である。
しかし日本人の幼稚化に対し絶望することこそ、次なる突破口を探すうえで必要かもしれない。
「絆」や「希望」といったスローガンに惑わされることなく、正しく絶望したうえで次の手をひねり出さなければならないだろう。
この文章では「月刊少女野崎くん」を購入する人に対し幼稚な人間と批判したが、事件発覚以後同社の商品を購入した人間もまた、
それは、みんなの意見を持っていく人。