NO.801 知的障害者の犯罪と孤独・・・千葉・東金の女児遺棄事件を考える。
昨日のテレビで容疑者の顔が最初に映った時に、すぐに「これは明らかに知的障害者」と思ったが、続報で、やはり・・・であった。
21歳無職男を逮捕 千葉・東金の女児遺棄、容疑認める
千葉県東金市東上宿の路上で9月、同市田間の看護師成田多恵子さん(38)の次女で保育園児の幸満(ゆきまろ)ちゃん(当時5)が遺体で見つかった事件で、東金署捜査本部は、死体遺棄容疑で事情を聴いていた遺体発見現場近くに住む無職A容疑者(21)を6日午後、同容疑で逮捕した。A容疑者は「女の子を抱きかかえて自室から外に出て、遺体を捨てた」と容疑を認める供述をしているという。
・・・捜査本部によると、A容疑者は01年に軽度の知的発達遅滞の診断を受けていたが、通常の社会生活を送っており、捜査本部は刑事責任能力はあるとみている。(容疑者名は引用者が匿名にした)
なんとも痛ましい事件だ。女の子や、ご遺族の無念は計り知れない。
もとより誰であれどういう事情であれ、このような犯罪が許されるのものではない。その上で、幾つかの問題を考えてみたい。
これから容疑者についてのいろいろな情報とともに、何があったかは次第に明らかにされるだろう。
予断は禁物だが、どうしても考えなければならないことがある。
容疑者は、女性に異常な興味があったとか、異常性癖のような報道もある。もし、そういう傾向があったとしても、そういう性癖に事件の本質的な原因を求めるべきではないと思う。
そしてまた、容疑者は軽度ではあるが知的障害者だ。知的障害者一般への偏見が、助長されることを危惧する。
秋葉原の事件でも、そうであったと思うが、事件の奥には「孤独」の問題が深く横たわっていると思う。容疑者は、養護学校を出て3年ほど会社勤めをしていたと言うが、ある日突然出勤しなくなったそうだ。なにが直接的な原因かはわからないが、自分で解決できない問題を背負い込んでしまったのではないだろうか。
現代の若者の「生きづらさ」について研究をしている社会哲学者・中西新太郎さんは、生きる困難が一人ひとりの内面に封じ込められていると言う。
90年代中ごろから(氏は、1995年が時代の大きな転換点だと言うが)増大した困難は、「困難の徹底した私秘化」「内面への封じ込め」によって、社会に気づかれなかったと分析する。
それは即ち、困難に置かれた人たちが、ギリギリまで「自分の問題」として解決しようとしたためだと。その背後には構造改革と結びついた「自己責任」というイデオロギーもあるが、それだけではなく、現代の日本の文化の中で、困難を自分以外の他者と共に解決するかたちが崩されていることが大きいと。
中西氏は、そこに至る変化を消費文化にひそむ「抑圧的関係」に見ようとするのだが・・・。
つまり、子どもの消費文化は「固体化」にすすむ。一人ひとりが楽しむものを別々に手に入れ、ばらばらに楽しむ現象が90年代から急速に広がる。象徴的なケータイは何人かで楽しむのではなく個々別々に楽しみを消費する・・・そのなかで文化の中にあった「共同」の要素がなくなると言うのである。
つまり、青少年は、あらかじめ個々別々の世界の中で生きており、他者と共同の世界を持たず、それをどう作るかを知らない、というのである。
話が広がりすぎたが、「孤独」の問題を考える時に示唆に富んだ問題提起だ。
参考:『若者たちに何が起こっているのか』 花伝社
中西新太郎 著(横浜市立大学国際文化学部教授)
さて、事件の容疑者は軽度の知的障害者である。
「孤独」への条件は普通の若者よりもはるかに揃っている。たとえばこの記事(陶友通信NO.114)で、障害のある仲間たちにとっては、余暇と呼ばれる自由時間さえにいかに不自由で孤独なものかについて書きましたが、この罪を犯した青年も例外ではなかったろうと思う。
例えば、性の問題についても、昔は「若者宿」など(そこまでは無いにしても。思春期の少年達の縦の集団関係があった)で、あるいはからかわれたりしながらも、性の悩みや話題が共有され、それぞれに受け容れられ学習して解決されていた。しかし、性は久しく商品化され、独りで抱え込み、あるいは暗い扉の中で独りで向き合わざるをえないものとなってきている。学べるのは歪められた「消費される性」の世界しかない。そうしたなかで自己の責任で処理・解決しなければならないものとなっているとすれば、・・・この事件に限らず、昨今の「性癖」による事件は、個人の問題だけで事の本質を見るべきでは無いことを教えているだろう。
事件が冷静に、深く掘り下げられることを期待したい。
この事件が、知的障害者への言われなき差別を助長するように扱われるべきでないことを、特に求めて注視したい。
また取調べに当たっては、一つの事実の聞き出し方一つとっても、知的障害に配慮した取調べが求められる。
追記(09・9・15):弁護団が無罪を主張する方針です。関連する記事をリンクしておきます。
■NO.838 知的障害者と冤罪。(加筆再掲)
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-842.html
■NO.801 知的障害者の犯罪と孤独・・・千葉・東金の女児遺棄事件を考える。
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-805.html
■NO.804 適正な取調べと報道を!・・・千葉・東金の女児遺棄事件を考える。 ・・・その(2)
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-809.html
■NO.810 適正な取調べと報道を!・・・千葉・東金の女児遺棄事件を考える。 ・・・その(3)
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-814.html
■NO.811 重ねて、適正な取調べと報道を。
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-818.html
■NO.837 取調べの可視化を!
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-841.html
■NO.1365 知的障害者と冤罪 (その2)・・・ 東金女児殺害事件 弁護団が無罪主張へ
http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-1400.html
お付き合いついでにシャッターはこころで切れ!で、紅葉狩りでもどうぞ。
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http://toyugenki2.blog107.fc2.com/blog-entry-588.html
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2008.12.08 | | Comments(7) | Trackback(5) | ・障害者と「犯罪」