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先日よりブログ「桜日和」さんの旗振りで展開しております「2008年竹島プロジェクト」ですが、このたびめでたく韓国マスコミが釣れた模様w 以下に記事を引用します。

聯合ニュース1月28日配信分 
該当記事が別ウインドウで開きます。

翻訳は以下(9割機械翻訳w)。
日ネチズン'竹島'積極的に広報
グーグルなど検索サイトで拡散

(ソウル=聯合ニュース)ワンキルファン記者=日本ネチズンらが'竹島'(韓国の名前独島(トクト))'広報に積極的に進んでいる。

28日サイバー外交使節団のバンクによれば日本のネチズンらは'2008竹島プロジェクト'という名前のサイト(sakurasakurasakura3.blog53.fc2.com/blog-entry-342.html)を通じて,連帯して,独島(トクト)を'竹島'と組織的に広報している。

このサイトはブロガーとサイト管理者に独島(トクト)を'竹島'と主張する文と写真,動画などを掲載することと英文サイトの独島(トクト)領有権を尋ねる質問に参加することを要求しており,これをまた島根県の竹島多国語広報ホームページ(dokdo-or-takeshima.blogspot.com)とリンクすることを提案している。

現在このサイトには100余ヶ以上のブロガーおよびサイト管理者が参加して,活動中だ。

パク・キテ バンク団長は"その上このサイトはブロガーらに韓国を嫌悪する内容で日本右翼らが使った'嫌韓流'図書を購入するように関連サイトにリンクを誘導していて問題が深刻だ"と話した。

パク団長は"海外検索サイトのグーグル(www.google.com)で'2008年竹島'を入力すればこの運動に参加すること本サイトらが急速に拡散していることを簡単に確認することができる"として"これに対抗して,バンクは国内外の親しいブロガーらをネットワーキングして,独島(トクト)と高句麗および親韓流を全世界に広めるブロガーハーブ サイトを構築,本格的に広報キャンペーンに着手する計画"と明らかにした。

聯合ニュースの記事内容についてはひとつだけ、大変遺憾な部分があり、強く抗議したいと思います。

我々を「ネチズン」と呼ぶな、と。

少なくとも、私は「ネチズン」と呼ばれることを強く拒否しております!(`・ω・´)

さて、日韓チャットでは今も相変らず「ドクトウリタン」や「ドクトヌグタン?」はたびたび聞かれますが、ほとんどが感極まった彼らの雄叫びか、嫌がらせの景気づけにあげる鬨の声か、あるいはぶん殴られて蹴り飛ばされる寸前の断末魔かで、およそ正しい意味を成しません。日本人側も飽きて、と言うか、相手をしてやってもどうせグダグダになるのがわかっているので、ほとんど誰も相手にしません。

もう一昨年になりますが、2006年4月に、竹島の海底調査に絡んで、日韓が一触即発の事態になったことがあります。

以前、ニコニコ動画で映画「漢半島」(誤字ではありません、わざとです)を見る機会がありました。この映画「漢半島」は、おそらく製作者の意図とは違う意味になるとは思いますが、大変面白い映画でした。特に個人的に面白かったのは、日韓が一触即発の緊張下に置かれた時、海上自衛隊が韓国に向け進発したシーンです。

その報を受けた韓国側のガクブルぶりは、「もうダメぽ」の台詞を当てたいぐらいの情けなさでした。日韓チャットで、時折韓国人が「ウリナラの軍隊はチョッパリの自衛隊より強いニダッ!!」と叫ぶ勢いなど、どこにもありません。

それだけでも余りあるほど情けなかったのですが、さらにその情けなさを上塗りしたのが、海上自衛隊が引き返し始めたシーンです。弾一発発射したわけでも、されたわけでもないのに、まるで苦戦の挙句の逆転大勝利のような大喜びのシーンが展開された時は、マジで「は?」と思いました。

もちろんあれは映画ですから、実際の韓国海軍がそのような行動を取るかどうかはわかりません。しかし、映画だからこそ彼らの意識を素直に出しても良いわけです。常日頃の彼らの威勢を考えれば、あのシーンは「何っ?海上自衛隊がウリナラに向かってるだと!そうかそうか、この日が来るのを待ちかねたぞ、心置きなくチョッパリの目にものを見せてやるニダ、ククククク」ぐらい言わせるべきではないか、さらに海上自衛隊が引き返したならば、李舜臣の故事に倣って、その背後を襲うぐらいのことは、やってみせるべきではないかと思います。少なくとも、あの大喜びのシーンはいただけません。

それなのに、何故そうしなかったでしょうか。それは多分、あの映画がリアリティを追求したからではないかと思います。もちろん、リアリティと言っても「韓国人にとっての」という但し書きは付くのですが、それだからこそ、あのシーンは彼らの本音と思わざるを得ません。

つまりあれは、もし日本が本気で韓国に軍事力を行使するようなことが起きれば、韓国は絶対に勝てない、というのが、韓国人の国民的コンセンサスであるということを、非常にわかりやすく表現していたシーンでした。

それを考えれば、あの竹島海底調査がらみの騒動は、竹島を奪還する千載一遇のチャンスだったのかもしれないと思います。あの時、日本は韓国との交渉で、必要以上に下手に出て穏便に解決を図りました。その時はそれもやむをえない判断なのかなと思いましたが、今になって思うと、悪しき前例を作ったという気もします。

韓国は、日本との交渉においては、いつもかなり高飛車で強気です。また、韓国側から日本に共闘を持ちかけておいて土壇場で裏切ったり、韓国側が言い出した紳士協定を韓国が破ったりすることは、まったく珍しくありません。むしろそれが常套手段と言っても良いほどです。

これを「そういうことをする韓国が悪い」と言うのは当然として、私はそういうことを何度もさせる日本も責めを免れないと思っています。

韓国人は、卑劣な手段や反則で勝てるということを覚えると、何度でも同じことを繰り返します。しかもどんどんエスカレートします。これは日韓チャットの韓国人にも普通に見られる現象です。

日韓チャットで、私は韓国人の卑劣な手段や反則を一切認めません。そこまでするのは厳し過ぎるのではないかと日本人側から言われることもあるほど、苛烈に過敏に彼らを戒めます。

彼らは、日本人に対して非常に複雑な複合意識を持っています。その複雑な複合意識の中には、「日本人は怖い」という意識も、実はあります。それが前述の、映画「漢半島」内における日本自衛隊に対する韓国軍の反応に如実に現れています。同時に、彼らは「日本人は侮りやすい」とも思っています。それは一連の日本に対する高圧的な外交態度に象徴されていると思います。

現在の日本は、韓国に対して「侮りやすい」と思われている部分は全面的に肯定する態度を取っておりますが、「怖い」と思われている部分に関しては、まるで自ら否定するような態度を取り続けております。

これはとりもなおさず、日本から韓国に対して「侮ってください」と自ら願っているに等しい態度だと思います。その結果、韓国はどんどん付け上がり、卑劣な手段も反則も、天井知らずでエスカレートします。

この矛先が、日本にだけ向いているならば日本の自業自得と言えるかもしれませんが、もし韓国が、他の国にも日本で使った手が通じると思ったら、被害は日本に留まりません。それが元で国際的な騒動が起きた場合、悪いのは当然韓国ですが、そこまで付け上がらせた日本に何の責めも無いと言い切ることは、一日本人として幾許かの躊躇があります。

別に相手が韓国に限ったことではありませんが、怒るべきときはがっつり怒ること。これが日本のこれからの外交の大きな課題ではないかなと、釣れた韓国メディアのニュースを見ながら思いました。



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事実より理想を優先する韓国人

昨日は大阪府知事と大阪府議会議員補欠選挙でした。

大阪府知事の方は、昨年末から言われてたことなので、私は公示の翌日1月11日に期日前投票を済ませておりました。しかし大阪府議会議員補欠選挙の方は、例の枚方談合がらみで議員辞職が出て、突然1月18日に公示されたせいで、二度手間を食らう羽目になりました。

で、1月22日に渋々市役所に2度目の期日前投票のため赴きました。何故か府議会議員の方の整理票は届いておらず、住所氏名生年月日を用紙に記入して提示し、それを照合して投票用紙を貰うといういつもの流れだったのですが、ここでちょっと驚いたことがありました。

それは、1月11日に既に済ませていたはずの府知事選挙の投票用紙まで交付されそうになったことです。

私が驚いて「府知事はもう投票しています」と言うと、職員は大慌てに慌てて、もう一度照合用のコンピュータの元に私を引き戻し、再度照合して事なきを得たのですが、もしあの時、私が黙って投票用紙を受け取っていたら、2回投票出来たのかなあなどと思ってしまいました。

って言うか、今回の府知事選挙は、棄権しようかと思ったくらい投票する相手がいなかったので、2回も投票するなんて、頼まれても真っ平御免ですが。

それにしても、選挙管理って、案外いい加減なんだなあと思わされた出来事でした。

さて、毎度毎度の韓国人考です。ぶっちゃけかなり食傷しておりますがw

日韓チャットの韓国人に限らず、韓国人全般の傾向として、事実より理想を優先することが非常にしばしばあると思います。

例えば、歴史的建造物を修復したり再現したりする場合、普通は出来るだけ原形に近いものを作ろうとします。しかし韓国人の場合は、たとえ原形からかけ離れたものになろうとも、彼らの理想に沿ったものを作ってしまいます。確か世界遺産に指定されている仏国寺も、現在の姿はかなり韓国人の理想に沿うべくデコレートされているものと仄聞しております。

もしそれが彼らの理想や願望からかけ離れていた場合、それを理想に近いものに作り変えるだけならまだましと言えます。それが気に入らなければ、彼らは破壊してしまうことも厭いません。これは、朝鮮総督府が実例として挙げられるでしょう。

そうやって自分たちで一所懸命ぶっ壊して回っているくせに、彼らは、二言目には韓国の文物を秀吉が焼いたの日帝が奪ったのと言います。が、歴史にせよ文化にせよ思想にせよ、焼きも奪いも出来るものではありません。何故なら、歴史も文化も思想も、その根源はその民族が内包しているものだからです。秀吉なり日帝なりが、朝鮮民族ごと消滅させてしまったとでも言うのならば話は別ですが、今日ただいまも、彼ら朝鮮民族はしぶとく生き続けているではありませんか。

彼らは、自分たちにとって都合の悪いことは無かったことにしようとします。しかし歴史であれ文化であれ思想であれ、突然空中からぽっと湧いて出てくるものではありません。一見、彼らにとって都合の悪い事象であっても、それを抜きにしては成り立たない場合は多いのです。

失敗や敗北を味わうことなく、成功や勝利を得ることは出来ません。畑を耕し種を蒔くという労働無くして実りは得られないのと同じです。しかし韓国人は、失敗や敗北を受け入れず、成功や勝利のみを欲します。その結果、彼らの歴史も文化も思想も、必然的に上っ面だけの薄っぺらいものになるか、自家撞着に陥らざるを得なくなります。

私などから見れば、失敗や敗北に学ぶことをしない彼らは、自ら望んで同じ過ちを繰り返すだけにしか見えません。過去、彼らが春が来るたびに、年中行事のように餓死者を出していたように。

彼らがそういう生き方を自ら選ぶのは彼らの自由です。しかし彼らは上っ面だけ装って空っぽになっている中身を埋めるために、日本の歴史や文化や思想や、下手すれば品物までも盗もうとします。彼らにそれをやめろと言っても、聞かれる望みはありません。これは日本人の方で強く警戒し、盗難や剽窃が発覚すればきっちりと応分の制裁を加えてやるしかないと思います。

彼らの望むままに日本の文物を盗ませることは、日本にとっても迷惑至極なことではありますが、韓国にとっても、結局良いことにはなりません。他人の背丈を削って、自分の背丈に足すことなど出来ないのです。親韓な日本人ほど、韓国のそういう行為にはナーバスであるべきだと、私は思っています。



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ウリとナム

韓国の基礎知識として、割と早い段階から出てくるものに「ウリ」と「ナム」があります。

「ウリ」は、日本語では「我々」と翻訳されており、少しでも韓国のことを知っている人には耳慣れた言葉です。対する「ナム」の方はあまり見聞きすることはありませんが、「ウリ」の対義語と理解していれば良いかと思います。

私も、韓国について一通りの知識を仕入れておりますので、この「ウリ」と「ナム」についての概略は、かなり早い段階から、一応知ってはおりました。しかし、最近これについて、私は大きな勘違いをしていたことに気づきました。

韓国人の長所としてあげられるものに「人懐っこい」という点があります。個人的には、彼らの「人懐っこさ」は「馴れ馴れしさ」と感じることが多いので、単純に長所として数えて良いものかどうかに若干の疑問があります。が、それはそれとして、彼らは一度「ウリ」と認定すれば、まるで10年来の知己のごとく振舞うことは事実です。

この「ウリ」に対してですが、私は無意識に「遠近」あるいは「濃淡」があると考えていました。つまり「近いウリ」「濃いウリ」と、「遠いウリ」「薄いウリ」というのがあるのだろうと、無意識のうちに理解していました。

例えば、実際に付き合いのある韓国人の友人と、日韓チャットで知り合っただけの日本人とであれば、いくら同じ「ウリ」として接するにしても、当然に前者の方が「濃いウリ」だと思っていました。

しかし最近は「もしかしてこの考え方は、日本人的な解釈だったのではないだろうか」ということに気づきました。

昔、裴勇俊のオフィシャルサイトで、ファンを「家族」と呼んでいるのを見たことがあります。日本人的な感覚では、赤の他人とはっきり理解している相手から「家族」と呼ばれることに対しては、たとえ好意を抱いている相手からであっても、かなり強い違和感を抱くと思います。

ましてや韓国人の裴が日本人のファンに向かって、よくもまあ抜け抜けと「家族」などと呼べるものだなあと、妙に感心したのを覚えています。

で、そんなことはほとんど忘れかけていたのですが、最近になって日韓チャットで「身内」と入力したところ、「家族」と翻訳されていることに気づきました。それを見た瞬間、裴がファンを「家族」と呼んでいたことを思い出し、「あ、そうか、裴はファンに対して、「身内」の意味で「家族」って言ってたんだな」と気づきました。

日本人的感覚では「身内」は、必ずしも「家族」とは限りません。赤の他人同士であっても、例えば同じ会社や同じクラブのメンバーなどに対してならば、「身内」という呼称を用いることがあります。ですから、裴が自らのファンクラブのメンバーを「身内」と呼ぶのであれば、日本人的にもそれほど違和感はありません。

なるほどなるほど、つまり韓国では「身内」と「家族」は同じ意味なのだなと、納得してから、ふと思いました。

日本では、「家族」と「身内」であれば、「家族」の方がより近くより濃い関係にあたります。「家族」と呼ぶ対象全てを「身内」と呼ぶことは出来ても、「身内」と呼ぶ対象全てを「家族」と呼ぶことは出来ません。だから違う言葉で区別しているわけです。しかし韓国では、この言葉がどちらからも行き来出来るようです。

これはどういうことかと言うと、私が無意識に理解していたような「濃いウリ」や「薄いウリ」、「近いウリ」や「遠いウリ」などというものが無いということです。

つまり「ウリ」と言えば濃いも薄いもなく一色の「ウリ」でしかありません。語弊があるかもしれませんが、コンピュータの「1」と「0」のようなもの、と言えば近いかもしれません。韓国人にとって「ウリ」と言えば「1」であり、「ナム」と言えば「0」で、その中間など無いのではないかということに気づきました。

そう考えると、彼らがたちまち親密になるくせに、一瞬で裏切る理由も理解できます。日本人の場合、対人関係とは積み重ねなのですが、彼らの場合は単に「1」と「0」を切り替えるだけなのです。

韓国や韓国人についてある程度知っているつもりでも、実は日本人的に解釈している部分というのはあるものだなあと痛感した「ウリ」と「ナム」でした。



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とっても簡単な日韓友好

あなたがもし日本人で、韓国人との友好を強く望み、そのためのいかなる努力も惜しまないという覚悟があるならば、その実現はそれほど難しくありません。

まず下準備です。

あなたに、もしプライドがあるならば、まずそれを捨て去ることから始めてください。

韓国人にとって日本人のプライドなど、その存在そのものが認められません。そういうものがあると、必ず日韓友好の妨げになりますので、迷わず完全に消去してください。

もともとお持ちでない方は、そのままで結構です。

準備が出来たら、まず個人レベルの日韓友好として、韓国人の友人を作ることから始めましょう。

最も手っ取り早いのは、日韓翻訳チャットで部屋を作ったり、日韓翻訳掲示板で友達を募集するスレッドを立てたりすることです。ただしこの場合、荒らしが邪魔をしに来ることがありますので、対応に細心の注意が必要です。

その点、日韓交流サイトのペンパル募集などの掲示板は、比較的荒れることは無いようです。レスポンスがあるまでに少々時間がかかることはありますが、安全かつ確実に韓国人友達を作りたい方は、そういう掲示板を活用する方が良いかもしれません。

もしあなたがペンパル募集の掲示板を活用するならば、そこには出来るだけ多くの情報を載せるようにしましょう。性別や身長、体重は言うまでもなく、本名、住所、電話番号、職業、家族構成、近影などを載せると、大変反応が良いようです。日韓友好のためならば、あなたの個人情報の流出などさほど大した問題ではないはずです。出来るだけ詳細かつ豊富な情報を掲載しましょう。

韓国人から反応があれば、可及的速やかにレスポンスを返しましょう。彼らは待たされることが大変嫌いです。1分1秒を惜しんで返事をするようにしましょう。そのためには、常に自分の投稿をチェックしましょう。最低でも10分に一度、出来れば5分に一度はチェックするようにしてください。

彼らにレスポンスを返すときは、必ず日韓の過去の歴史に言及して、それを悔やみ反省し、心からの謝罪をすることを忘れないようにしてください。これに対して、韓国人からは「私たちは未来志向で付き合いましょう」というレスポンスが返ってくると思いますが、これは社交辞令です。鵜呑みにしてはいけません。

なお、韓国人が掲載している友達募集に応募する手もありますが、効率の面から言うとあまり良くありません。出来るだけ多くの韓国人友達を集めるには、やはり自ら募集をするのが良いでしょう。

さて、首尾よく韓国人友達が出来れば、個人レベルの日韓友好の実践に移ります。

韓国人との付き合いにおいて、決して忘れてはならないことがあります。それはあなたが常に過去の日本の行いに対する反省を忘れず、韓国と韓国人に対する謝罪の心を持ち続けているということです。これを、韓国人に対して絶えず明らかにしておかなければなりません。もしそれを怠ると、韓国人は「このチョッパリは、もう過去の歴史を忘れて増長しているのではないか」という疑いを持ちます。そういう疑いを韓国人に抱かせることは、間違いなく日韓友好の妨げになります。絶対に、そういう疑いを彼らに抱かせてはいけません。

韓国人と付き合う場合、その対人関係は上下でしか把握されません。あなたは必ず韓国人の下位に立つように心がけてください。彼らに「対等」という対人関係を理解させるのは、犬に代数を教えるよりも困難です。それ以前に、彼らに「対等」という対人関係を理解させようという考えを持つこと自体が日韓友好の妨げになります。絶対に持たないようにしましょう。

また、日本人が韓国人の上位に立つということは、韓国人から見ると、極めて非友好的な態度に映ります。日韓友好のためです。迷わず率先して、そして喜んで彼らの下位に立つように努めてください。

次に、韓国人が望むことは、彼らが口に出す前に叶えてあげる親切心を発揮してください。そのためには、常に彼らの気持ちを慮り、言葉の端々から察し得る彼らの望みを、全力で叶えてあげる思いやりを忘れないようにしましょう。

それが仮に金銭的負担のかかるものであっても、あなたはそれを惜しんではいけません。過去日本が韓国と韓国人に与えた屈辱を考えれば、あなたの全財産を韓国人に与えたとしても、到底足りるものではありません。それを思えば、10万20万、否たとえ100万200万だったとしても、その程度の出費で韓国人が喜び、日韓友好が成立するのであれば、なんと安いものでしょうか。あなたは日韓友好を実現し得る人材として、韓国人に選ばれた喜びに打ち震えながら、たとえ借金をしてでも彼らの望みに応えるようにしてください。

またそれに対して、韓国人からの見返りを期待してはいけません。当然、感謝の言葉など最初から無いものと考えておくべきです。見返りや感謝を期待した上での利益の供与など、友好を求める日本人としては大変ハシタナイ行為です。韓国と韓国人に対する無償かつ無限の愛。これが日韓友好における最大のキーワードです。

とりあえず個人レベルの日韓友好であれば、以上のことに気をつけていれば、おおむね実現可能だと思います。と言うか、国家レベルであっても、韓国人が考えている日韓友好とはこんなものです。

国家レベルの日韓友好を一朝一夕に実現させることは、かなり困難です。まずは希望者が率先して、個人レベルの日韓友好を実現させることが、国家レベルの日韓友好への第一歩ではないでしょうか。

というわけで、日韓友好を望む日本人の皆様は、以上の点に留意の上、どうぞ頑張って個人レベルの日韓友好を実現してください。パイティン。



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何だかんだ言いながら親切です。

日韓チャットの韓国人は、入室するなり、いきなり話題の途中から、話の流れも知らぬまま知ったかぶりを全開にして割り込んでくることが非常にしばしばあります。

それも的を射ているならば良いでしょう。しかし、ほぼ100%と言っても良いぐらい、そういう奴の発言は的外れです。その韓国人は、入室する前に行われていた会話内容を知らないのですから、当然です。

同じ速度で併走する2台の車は、その車同士の窓から互いに物のやり取りをすることが可能です。しかし、それを見て「ウリにも出来るニダ」と、自分の速度も、加速性能も把握しないまま、いきなりその車の前に割り込めば、跳ね飛ばされるのは理の当然でしょう。

普通はこれを「自殺行為」と呼びます。

私がいくら親切だからと言って、自殺志願者を喜んで殺して差し上げるほど親切ではありません。しかし、速度が乗ってる時に飛び込んでこられては、避けようにも避けられません。それに、急ブレーキを踏んで自分が鞭打ちを起こすのも嫌ですし、後続が玉突きを起こす危険もあります。

所詮チャットです。本当に死ぬわけでもあるまいしということで、こちらはアクセルを踏み込んだまま走行を続け、自殺志願者の望みどおり、跳ね飛ばしてやります。

この私の余りある親切心に、感涙にむせびながら感謝と賞賛の言葉を述べるならわかりますが、何故か連中、自ら飛び込んできたくせに「チョッパリの分際でウリを跳ね飛ばしたニダ!謝罪汁!!」と怒り狂って泣き喚くことが少なくありません。

いきなり割り込まず、「何の話をしていますか」と聞いてくる韓国人もそれなりにおりますが、主題を話してやっても、彼らがその話題にあわせてくることは稀です。

実際にあった例をご紹介しましょう。以前日本人同士でパスタの話をしていたことがありました。パスタの種類やパスタソース、調理法などについて話していると、そこに韓国人が入ってきて「何の話をしていますか」と聞いてきました。

私は無視していたのですが、いっしょに話していた日本人がその問いに対して「パスタについてです」と親切に答えると、韓国人は「あー、パスタ」と言った後、こう言い放ちました。

「私はパスタよりスパゲティが好きです!」

これにいちいち突っ込むのも面倒臭いので、そのまま放置して話を続けていると、相手にされなかったその韓国人、なんとか話に割り込もうとします。

「でもオコノーミヤキはもっと好きです!!」
「去年日本に行った時、オコノーミヤキを食べました!」
「オコノーミヤキ本当に美味しい!」

このように、それまでの話の流れをぶち壊し、無理やり自分中心の話に持っていこうとする韓国人は珍しくありません、と言うよりそれが普通です。

このため、韓国人に「何の話をしていますか」と聞かれても、原則として、私は無視してそれまでの話を進行させるようにしています。

しつこく無理やり割り込んでこようとする韓国人がいれば、そのときは「何の話をしているかわからないときは、わかるまで黙って見ていると、少しは賢く見えるよ^^」と優しく諭してやります。

さらに「少なくとも、黙って見ていれば、バカがばれることはないよ^^」と付け足してやります。

我ながら、何だかんだ言っても、韓国人に親切だなあと、しみじみ思います。



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「概念」の意味

前々回の記事「概念がない」について、「それは「常識がない」という意味だ」とおっしゃっていた方がいらっしゃいましたが、「概念がない」という成句の意味については、なんとなくわからなくもないのです。ただ「概念」と言っている以上「何の概念を言っているのか?」という疑問を解消したかったんですね。

こういう疑問は、対話可能な韓国人でないと、まずまともな回答が得られません。今回、たまたま対話可能な韓国人お嬢さんにに聞く機会がありましたので、これ幸いと聞いてみました。だいぶ参考になる意見が聞けたんじゃないかと思います。

対話可能型でない韓国人が素っ頓狂な受け答えをしているのとあわせてご覧くださいw
fetia(J) : ああ、yujin。

fetia(J) : 一つ質問。


yujin(K) : はい.

fetia(J) : 韓国人は、よく「概念がない」って言うでしょ。

yujin(K) : そうですね

fetia(J) : その場合の「概念」って、何の概念。

yujin(K): 考えなしに行動するという意味ですよね.

fetia(J) : それは「概念がない」という定型句の意味だよね。

yujin(K) : 概念< この単語だけの意味は.... そうですね. 状況によっていろいろ可能ですね. 礼儀とか. 常識とか

fetia(J) : 例えばさ。「常識がない」と言う場合。「常識」ってのは、具体的に、「老人に座席を譲らないこと」だったり、「人とぶつかったときに、詫びない」とかね。そういう、具体例があげられるでしょ?

yujin(K): あるいは "状況判断力"を意味するようですね

fetia(J) : えー?

fetia(J) : 「概念」という単語にそういう意味がある?

fetia(J) : 韓国語ではそういう意味を「概念」という言葉に与えている?


yujin(K) : 慣用的に使われているから. 敢えて意味を入れて見たんです.

韓 bada(K) 様が入場しました。

fetia(J) : つまり、「概念」という言葉そのものに、意味はない?

yujin(K): 常識 < この意味が一番適切に見えますね.

fetia(J) : 「常識がない」というならわかるんだよ。

fetia(J) : 「概念がない」というから、日本人にはわからなくなる。


bada(K) : 本当に概念ないね

bada(K) : こんなに言えば日本では分からないんですね


fetia(J) : 何の「概念」がないのだ?と聞かれるだろう。

yujin(K) : そうですね^ ^;

bada(K) : そうですね


fetia(J) : 日本では「概念」という言葉には意味があるからね。

ニャンニャン(K) : 概念

bada(K) : 概念ないねという言葉は軍隊で初耳でしだが

bada(K) :毎日私見て概念なかった

ニャンニャン(K) : 概念

bada(K) : 概念がないという話は天地も分からなくて暴れ狂うという言葉

bada(K) :酒を酒で薄めるように水を水で薄めるように

ニャンニャン(K) : 概念

bada(K) : 言語は面白いですね

ニャンニャン(K) : 概念

ニャンニャン(K) : うーん...


fetia(J) : 「常識」には、「その社会において、圧倒多数の人がそうするべきであると考えている行動」といった「概念」がある。

fetia(J) : 「常識がない」と言えば、意味はわかる。

fetia(J) : では「概念がない」と言った場合は?

fetia(J) : 「概念」とは、何の「概念」をさすのか。それを具体的に説明してもらえるかな。


bada(K) : そうですね 勉強になりますね

ニャンニャン(K) : 概念--->一般的, 本紙的な知識, 観念

ニャンニャン(K) : これじゃないか?


fetia(J) : 辞書的意味など、自分で調べられる。

ニャンニャン(K) : 概念がない---> 非正常

yujin(K) : 常識< これで使われていますね.

ニャンニャン(K) : 非常識

bada(K) : 非正常

bada(K) : 非常識

bada(K) : 非人間的


fetia(J) : 私が聞いているのは、韓国で用いられている「概念がない」という常套句における「概念」とは、何の「概念」を指すかだ。

bada(K) : 非倫理的

bada(K) : 非道徳的

ニャンニャン(K) : うーん...韓国語で...判断がつかないね..


fetia(J) : つまり韓国語では「概念=常識」で良いかい?

ニャンニャン(K) : うん

fetia(J) : 韓国語の辞書にも、そのように載っているのだな?

yujin(K) : 感じに違いはあるかも知れないが常識で単語を変えても問題はないようですね.

fetia(J) : yujin。私が聞いているのは、「概念」の意味なんだよ。

ニャンニャン(K) : 辞書の意味はわからないが、普通そういう意味で使う

ニャンニャン(K) : 概念=常識

ニャンニャン(K) : これで ok


fetia(J) : 「概念」を「常識」に変えても同じ意味だから、「概念=常識」という考えで良いのか?と聞いている。

ニャンニャン(K) : そうだから... 'うん' と返事した

yujin(K) : [辞書の意味ではどんな事物や現象に対する一般的な知識を称える言葉だ..]


fetia(J) : つまり、韓国語において「概念」は「常識」という意味を持つ。←これで良いな?

ニャンニャン(K) : 韓国語の '概念'は日本語の '概念'と同じようだ

yujin(K) : 概念がない < この表現は軍隊で作られたイディオムとして辞書の意味とは違うと言いますね


fetia(J) : 軍隊で作られた?

ニャンニャン(K) : いや軍隊で作られたことではなくて

ニャンニャン(K) : 元々が '漢文'から始まって

ニャンニャン(K) :使われなかっただけ(韓国で)

ニャンニャン(K) : 軍隊でたくさん使うだろう...

yujin(K) : 概念という単語自体は日本と意味が同じだが.


fetia(J) : とりあえず、ニャンニャンの発言は、不正確だな。

fetia(J) : 放置。


ニャンニャン(K) : うーん... そうなのか..

fetia(J) : yujin、日本では、単語の意味を違えた常套句ってのは、私にはとっさに思いつかないのだが・・・韓国ではよくあることなの?

ニャンニャン(K) : 酒は少し飲んだが...

ニャンニャン(K) : まず..国文科で..――;;

ニャンニャン(K) : 何、...関係ないか...

ニャンニャン(K) : 言葉は変わるから

yujin(K) : 若者達が使うイディオムだから; ; 単語の意味が少し変わるようになりましたよね.

ニャンニャン(K) : よく分からないが

yujin(K) : http://kin.naver.com/openkr/entry.php?docid=61226 韓国語だが; ;

ニャンニャン(K) : 本来漢字語の意味が今はたくさん変わったから.


fetia(J) : 見てくる。

fetia(J) : なるほど、知識インの情報が絶対的に正しいかどうかはわからないけど・・・


yujin(K) : そうですね.^ ^; その以上の情報が発見されなくて;;

ニャンニャン(K) : 知識インの解釈 = その当時の流れを適当に解釈


fetia(J) : つまり、韓国人のほとんどは、「概念がない」という時、あまり「概念」という言葉の意味そのものは、意識していないと考えて良い?>yujin

yujin(K) : そうですね. その単語自体にはあまり意識しないで言うようです.

ニャンニャン(K) : 先ほど言ったように, 概念がない = 常識がない

ニャンニャン(K) : 一番易しくないか..


fetia(J) : OK、ありがとう。

fetia(J) : 非常に参考になりました。

ログ採取日2008年1月16日 午前3時頃



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※お知らせ※
2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログでは、ブログ「桜日和」執筆者の佐倉純様主催「2008年竹島プロジェクト」に参加しております。
2月22日の「竹島の日」までの期間限定で、弊ブログの扉絵を竹島プロジェクト仕様にすることで、竹島は日本領土であることを改めて主張し、島根県の「竹島の日」を応援します。

竹島プロジェクト2008始動

来たる2月22日の竹島の日に向けて、今年もやります竹島プロジェクト。初回2006年と翌年の2回目は小林少年の韓国探偵ファイルさん(旧フィオリーナの以心伝心)主催でしたが、本年2008年は桜日和さんが担当されるそうです。

こういうものは、回を重ねることが最大の力になると思います。思想や主義主張の右も左も鳩も鷹もありません。また、嫌韓系や政治系ブログに限定されているものでもないと思います。例えば手芸系のブログや食べ歩き系ブログ、旅行系のブログ、芸能関係のブログ、もちろん親韓系のブログが竹島プロジェクトに参加表明しても、全然問題ないと思います。執筆者が「日本人であれば」ですが。

あ、そうそう。「日本人であれば」と言ったからって、「日本人なら必ず竹島プロジェクトに参加するべき」なんて言ってないことを、あらかじめお断りしておきます。

時々、記事中に書いてもいないことを読む人がいます。行間を読んでいただくのは大変結構なのですが、そういう方は往々にして行中に書いてあることを見落としていらっしゃることが少なくありません。まずは行中を読んでいただきたいというのと、書かれてもいない行間をあえて読むなら、正しく筆者の意を汲んで読んでいただきたいというのが、月見櫓筆者からの、ささやかなお願いです。

さて、日韓チャットですが、私が作る部屋「月見櫓」では、「月見櫓ルール」というものを設けております。「設けている」というよりも、私の部屋での、韓国人に対する姿勢を整理してみたら、そういうルールになってたというのが実際のところです。

私は、恣意的な強制退室を自ら抑制しております。何しろ最近では、こういうルールを自ら作って課さないと、韓国人IDを見たら反射的発作的に蹴り出したくなるぐらいなのです。

というわけで、我が月見櫓では、このルールに抵触しない限り、どんな韓国人であっても、無闇に蹴り出されることは決してありません。ま、ルールそのものが恣意的って言われたらそれまでですがw

以下に、月見櫓ルールを列挙しますが、なにしろ気がついたら「そういうルールになってた」というものなので、「気がついたら」更に増える可能性はあります。

その1「入室後1分以内に、きちんと挨拶すべし」
その2「韓国人ならば、正しい韓国語と正しいハングルを使用すべし」
その3「退屈なら死ね」
その4「国籍詐称厳禁」
その5「不規則発言厳禁」
その6「知己以外のIDは長時間沈黙在室不許可」
その7「前科持ちは問答無用在室不許可」

これらのルールを設定した根底には「自己中でわがままでかんしゃく持ちで嘘つきで自慢したがりで他者卑下が好きな奴を部屋に置くと、部屋が荒れるので予防的に排除」とか「ソーシャルハック目的の在室者を排除」という理由があります。もちろん別に韓国人に限定したものではありません。ですから、自分では決して恣意的とは思っていません。 

また、これらのルールを、入室してきた韓国人にあらかじめ告知することは、原則として行なっておりません。何故なら、これらのルールに抵触する奴は、ルールをあらかじめ告知したとしても、ルールの意味が理解が出来ません。理解できなければ当然遵守することも出来ません。

それが最初からわかっているのに、わざわざテマヒマをかけてくれてやるほど、私の韓国人に対する親切心や期待の残高は多くないのです(韓国人に対する親切心や期待そのものが、私にあるのかという質問禁止)。

もし新参日本人が同様の行動を取れば、これは一応警告すると思います。今までそんな日本人を見たことはありませんが、仮にそういう日本人であっても、日本人であれば警告の理由を理解出来ると思っているからです。「日本人であれば」ねw

今、私が常駐している日韓チャットでは、ようやく管理人が重い腰をあげ、チャットの管理を始めました。しかし、管理と言っても、管理人自らチャットをパトロールして調査するわけではありません。全てチャットユーザーからの申告に依存しています。

日韓チャットの管理人も、所詮韓国人です。韓国人に公正で平等な裁定など、最初から望むべくもありません。ましてや相手が日本人であれば、悪意でもって対処すると考えておく方が賢明でしょう。

本来であれば、サイトのトップページに「当サイトは、韓国人に対するサービスを主眼として運営されております。よって日本人に対しては、不利で不当な対応を行なうことがありますが、それは当サイトの性格上、当然のものとご理解の上、ご甘受ください。もしそれが不満だったり、受け入れ難いとお考えになる方は、当サイトのご利用をあらかじめご遠慮ください」とでも書いておけよ、と思います。もしそう書いてあったなら、内容はともかく、その姿勢については、個人的に高く評価するつもりです。

もっとも、こんなことは最初から想定内のことです。今更改めて驚きはしません。単に、「そうそう、日韓チャットってそーゆーところだったよね」と、認識を新たにするばかりです。

「そーゆーところ」とは、韓国人が日韓チャットを、日本人が韓国人に、かしずきひざまずき額づきおもねりへつらうべきと考えて運営しているところ、という意味です。

これは特に日韓チャットに限ったことではありません。日韓翻訳掲示板や、韓国人が運営する韓流サイト、韓国系メディアや言論、果ては韓国政府の対日姿勢に至るまで、ことごとくそういう考えに基づいて運営されていると思います。

日本人的には、日韓チャットの韓国人管理人の対応は極めて理不尽なものですが、韓国人的には、一寸の理不尽も非合理も不都合もないのでしょう。

「月見櫓ルール」とその行使は、「そーゆーところ」における、日本人の私にも使うことの出来る、極めてわずかな権利です。私はそれを淡々と用いて、ささやかでも毅然として、韓国人の理不尽に対抗してやろうと考える今日この頃です。



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発売されても買わないと思うけど。

韓国人が相手を非難する際に用いる語に、「概念がない」という言葉があります。日韓チャットでは非常にしばしば見かける常套句で、「概念ないチョッパリ」などとという風に用いられます。

私には、この「概念がない」という非難の言葉が非常に不思議でした。「いったい、何の概念がないと非難されているのだろう?」と思ったのです。

そこで以前、韓国人に「概念がないって言うけど、何の概念がないと言ってるの?」と聞いたことがあるのですが、残念ながら納得出来る回答は返ってきませんでした。と言うか、回答そのものがありませんでした。

「お前ら、もしかして「概念」って言葉の意味知らないんじゃね?」と言うと、今度はすぐに一人の韓国人が「わかりますね!concept!」と答えました。しかしそれはただ辞書を引いてきただけ、というのが見え見えです。「だから何の「concept」がないの?」と重ねて問うても、やはり返事はありません。

「概念」を辞書で調べてみると「(1)ある事物の概括的な意味内容。(2)〔哲〕〔英 concept; (ドイツ) Begriff〕事物が思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象、またその言語表現(名辞)の意味内容。」とあります。しかしおそらく彼らは、(1)の意味も(2)の意味も知らないでしょう。

と言うか彼らは、「概念」という言葉が意味を持っているということそのものを知らないと思います。

つまり「概念がない」と他人を非難する彼ら自身が、「概念」という概念そのものを持たないのではないかなと思います。これは以前も述べたことがありますが、「約束」の意味を彼らが理解せずに用いているのと同じ現象です。

以前から、彼らに彼らが用いる言葉の意味を問うのは、犬が「ワンワン」と鳴き、猫が「ニャア」と鳴くのを聞いて、犬に「そのワンワンは、何を意味するの?」、猫に「ニャアという音は、どのような意味があるの?」と聞くに等しいのではないかという疑いは、薄っすらと持っていました。

しかし、翻訳を通すにしても、韓国語を習って直接理解するにしても、私たち日本人には「言葉には意味がある」という意識があります。だからついつい彼らの発言した単語の意味について、真面目に考え込んでしまいます。

動物の鳴き声は、その音そのものに言語学的意味は特に意味はありません。もちろん、鳴き声の大小や音程、リズムやパターンなどをコミュニケーションに利用する動物はたくさんいます。それらは、広義の意味では「言語」に分類出来るのかもしれませんが、人間社会で用いられる意味での「言語」とは呼び難いでしょう。

韓国人の話す言葉は、漢語や日本語からの単語が少なくありません。そのため私たちが見慣れた熟語や常套句、見たことはなくても漢字が当てられれば十分類推し得る単語が、非常に多く見られます。

私たちは、それらの言葉の意味は理解された上で用いられている、あるいは理解された上で用いられるべきであると思っています。韓国人たちも、当然同じように考えていると思っていました。

しかし、長年日韓チャットで彼らを見ていると、彼らが吐く言葉は、言葉そのものの意味とは無関係に用いられることが少なくありません。たとえて言えば、「仏法僧」と言ってるように聞こえるからと言って、その鳥が仏教について語っているわけではないのと同じなのです。

古来、人間は、「ドリトル先生」や「ソロモンの指輪」、「聞き耳頭巾」等で語られているように、動物の言葉を解することを夢見てきました。バウリンガルミャウリンガルも、そういう夢の延長線上に作られたのでしょう。

日韓翻訳チャットや翻訳掲示板は、韓国人の書く言葉の意味を機械的に翻訳してくれます。翻訳が機械的であっても、発せられた言葉に意味があるならば、私たちはそれを使うことによって、韓国人と意思の疎通が出来るような気になってしまいます。

しかし、韓国人との意思の疎通が本当の意味で実現するには、「ニダリンガル」の開発を待たなければならないのではないかと思います。



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似ていても非なるもの

似て非なると言えば色々ありますが、タイリクオオカミ(以後オオカミと略します)とイエイヌ(以後イヌと略します)も、似て非なるもののひとつです。これらは、同じイヌ科イヌ属に属します。

オオカミはイヌ科イヌ属タイリクオオカミ種であり、イヌはイヌ科イヌ属タイリクオオカミ亜種だそうです(この分類は学者によって異説があるようですが、いずれにしても極めて近い種であることは間違いありません)。

これらは外見もよく似ており、相互に交雑も可能で、しかも交雑で生まれた子は生殖能力を持ちます(交配可能でも、生まれた子が生殖能力を持たない一代雑種になる動植物は多い)。

これだけ種として近ければ、オオカミとイヌは同じように扱われるべきでしょうか。

答えは当然に否です。オオカミは通常野生で、厳しい自然環境の下に暮らし、自ら食料を調達する必要があるため、身体能力に優れております。イヌは家畜化され、人と協調して暮らしていくために、オオカミと比べると身体能力が制限あるいは改良されています。もちろん性格も同様です。オオカミは人に馴れず、イヌは人によく馴れます。

いくら種が近くとも、オオカミにはオオカミの生態があり、イヌにはイヌの生態があります。その群れには、それぞれの文化やルールもあるでしょう。

もし野生のオオカミを捕らえてイヌと共に飼うならば、あるいはその逆に、人が飼っていたイヌをオオカミの群れに放り込むならば、個体によっては順応するものがあるかもしれませんが、ほとんどは、不幸な生き方、あるいは不幸な死に方をすることになると思います。

同時に、野生のオオカミが入ってきたイヌの群れや、人に飼われていたイヌが紛れ込んだオオカミの群れには、少なからぬ衝撃や混乱が生じるでしょう。それは当然、双方に好ましからざる衝撃や混乱です。

オオカミは、幼獣の頃から飼うとイヌ同様に人に馴れると言われております。しかしいくら馴れていても、ある日突然、その野生を発現させることもあるそうです。そうなれば当然、人間とその家畜にとっては、非常に危険な存在となります。

イヌの場合は、寡聞にして記録を見たことがないのでどうかわかりませんが、身体能力的に劣るイヌの子を野生のオオカミの群れに放り込み、仮に群れに受け入れられたとしても、そのイヌの子がオオカミとして順調に成長するかどうかはかなり難しいと思います。

オオカミとイヌが交雑可能なため、世の中にはオオカミの血が混じったイヌ、いわゆる「ウルフドッグ」を作出する人がいます。もちろん、それを野生種として繁殖させるわけではなく、家畜として作出するわけです。しかし「ウルフドッグ」は、オオカミの血の割合が濃ければ濃いほど野性味を強く持ち、容易に人に懐かないと言われます。

人為的に作出されたウルフドッグは、オオカミでもなくイヌでもない中途半端な存在です。愛玩用あるいは使役用の家畜として、人やイヌその他の家畜と暮らすことはかなり困難ですが、かと言って、野生のオオカミに混じって生きていくことも難しいでしょう。しかし、ウルフドッグに野良犬になられた日には、その優れた身体能力ゆえに、人間にとって恐るべき脅威になることは確実です。

神様の悪戯で偶然そうなってしまったというなら話は別ですが、人間が意図的に、似ているから、種が近いから、交雑可能だからと言って、異なる種をみだりに同様に扱うことは、それらの種に対する虐待と言っても良いかも知れませんし、それを扱う人や社会にも不幸をもたらすことがあります。

似てはいても、それぞれが異なる種であること、それぞれの種が異なる性質や性格を持つということ、そしてそれぞれの種に相応しい環境が異なるということを、それらに関わる人は常に正しく理解する、あるいは理解しようと努めるべきでしょう。

それは何も、オオカミとイヌに対する場合に限ったことじゃないと、私は思います。



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日韓友好を阻害する奴

今日から仕事始めで、職場から弊ブログにご来訪の皆様、改めまして新年あけましておめでとうございます。今年もブログ月見櫓をよろしくお願いします。

さて、日韓チャットでは、しばしば日本人と韓国人の争いが起こります。時々私もその当事者になります。先日も、私の部屋で暴れて蹴り飛ばされた韓国人が逆恨みして、私を名指しで非難していたのですが、その文句の中に「fetiaは韓日の友好を阻害する悪い奴」というのがありました。

私はこの時、あれっ?と思いました。「韓国人にとって、日韓友好を阻害するのは悪い奴なのか?」と思ったのです。

韓国人は常々、嬉々として日本と日本人を貶め、蔑み、罵り、侮っています。これは、日本人的には明らかに「反日」であり、同時に「非友好的」な態度です。

韓国人にとって「反日」は即ち「モラル」である、ということは、以前にも述べたかと思います。日本を認めたり、評価したりすることは、原則として彼らにとっては非道徳的な言動です。韓国人が時々「日本に学ぶべき」などと言うこともありますが、それが即ち彼らが日本を肯定的に見た上で言っていることにならないのは、韓国人がもっとも嫌う国の、不動のぶっちぎりナンバーワンが、日本であることからもご理解いただけると思います。

日本人から見た韓国人の態度というのは、常に積極的な日韓非友好的態度であり、同時にそれは彼らのモラルでもあるわけです。要するに彼らにとって「韓日の友好を阻害する行為」とは英雄的行為であり、善い行いであるはずです。

しかし彼らは、同じ行為を日本人がした場合、それは悪い行為になると考えているようです。

つまり、韓国人には「韓日は、必ず友好(あるいは交流)しなければならない」という強い意識がありますが、彼らの考える「韓日友好」や「韓日交流」とは、日本人から見れば「日本の屈服」あるいは「日本の隷属」に他なりません。

韓国人の考える「韓日友好」や「韓日交流」(=韓国に対する日本の屈服や隷属)も、それが日本の国益に適うことであるならば一考の余地が無くもありません。しかし、韓国的「韓日友好」や「韓日交流」は、絶対に日本に何らのメリットももたらさないでしょう。

彼らとの「友好」や「交流」は、かつて李氏朝鮮において、両班が常奴や白丁を屈服あるいは隷属させておきながら、決して常奴や白丁を扶養することなく、逆に一方的に搾取していたのと同じ構図が再現されるだけです。もちろん、韓国が両班役としてです。

では、韓国的「韓日友好」や「韓日交流」ではなく、日本人(特に親韓日本人)の考える日韓の「日韓友好」や「日韓交流」が行われたとして、それは日本にとって何らかの国益をもたらすでしょうか。

私には、何一つ思いつきません。もしあるならば、是非ご教授賜りたいと存じます。

例えば経済では、韓国の対日貿易収支は、常に日本の黒字だと言われますが、それ以上に日本が韓国に与えているもの、韓国に奪われているものは少なくありません。韓国の対日貿易黒字ばかりに注目するのは、ギャンブルで勝った分だけを勘定するようなものです。

政治的にもそうです。韓国が常に国際政治の場で日本の足を引っ張ることに腐心していることは、改めて説明するまでもないと思います。

また、軍事的にも、韓国軍は日本自衛隊を仮想敵軍としていると言われておりますが、むしろ逆に韓国が友軍になる方が、日本にとっては脅威じゃないかと思います。

つまり、韓国的友好や韓国的交流が日本にとって害悪なのは言うまでもありませんが、日本的友好や日本的交流であったとしても、それは不要なだけでなく、有害でさえあると私は確信しております。

そう考えると、「日韓友好を阻害する奴」というレッテルを韓国人から貼られるということは、むしろ私にとっては名誉であるとさえ言えるかも知れません。



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謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。今年もブログ月見櫓をよろしくお願いいたします<(_"_)>

新年早々、日本海側では大雪とのことですが、大阪も大変寒うございます。ファンヒーターが唸りをあげて稼動しているのですが、室温が18度からあがりません。暖房を入れてない台所など、冷蔵庫の中の温度と室温が変わらないのではないかという気さえします。皆様もお風邪など召されませぬよう、どうぞご自愛くださいませ。

さて、年越しはあえて日韓チャットにもつながず、って言うか、ネット以前にPCの電源を切って、ジタバタと家の掃除などをしておりました。年が明けてから、ネットで親しくしている数人に明けましておめでとうございますコールをした後、一応ネットには接続したのですが、何となくチャットにつなぐ気にはなれず、うろうろと定期巡回サイトをさまよっています。

年末のご挨拶でも書きましたが、彼らは今年も、来年も、韓国的10年後も変わらないんだろうなあと思います。それが良い状態であっても、変わらないということは劣化に他なりません。ましてや彼らは、後ろ向きの状態で変わらないのですから、手のつけようがありません。

年末に某うどん県で行なったオフ会でもそう言ったのですが、「いや、彼らも徐々に変わりつつある」という意見もありました。なるほど、いわゆる「ニューライト」と呼ばれる人々の台頭もあり、一方的に日本を悪とみなす風潮を批判する動きも、一応最近の韓国にはあるわけです。日本文化も解禁したとのことで、彼らもまったく変わらないわけではないと、思いたい気持ちはよくわかります。

ただ、彼らの中に変わり得る勢力が出るかどうかは、私は実はあまり重要視していません。重要なのは、「彼らの社会が変化を受け入れ得るかどうか」なのです。

この場合の変化というのは、生活様式や知識・学識レベルではありません。彼らの意識やアイデンティティです。

彼らが変わるためには、自らのアイデンティティを確立する必要があると思います。彼らにはそれがありません。あるいは日本に、あるいは中国に、またあるいは欧米にと、ふらふらそのアイデンティティをさまよわせ、時々思い出したように「ウリナラマンセー」と叫んではみますが、その「ウリナラ」がいったいどんなものなのか、彼らは把握していません。ただ「ウリナラマンセー」と言えば何となく心地よいので言ってるだけです。別に「ウリナラマンセー」じゃなくても、「ドクトウリタン」でも「チョッパリケセキ」でも、彼らにとって心地よければ何でも良いのです。

ウリナラの何がマンセーなのか、本当にドクトウリタンなのか、チョッパリケセキに何故勝てないのかということを、彼らが彼らの持つ妙なフィルターを通さずに見て、考えることが出来るようになれば、彼らも変わり得るかもしれません。しかしそんな日は、たとえ韓国的10年後でも来ないでしょう。

彼らに変わることを期待しても無駄ということは、弊ブログで何度も繰り返し申し上げてきました。変わり得るのは、彼らではありません。私たちです。

昔日本では、「韓国が嫌い」と言えば無条件でレイシストのレッテルを貼られました。それが近年では、まだ批判的な視線を向けられることはありますが、それでも堂々と嫌韓を名乗ることが出来るようになりました。

「嫌韓だけでは何も始まらない」と、今は亡き某嫌韓ブログの筆者が言ったのを見たことがありますが、確かにそれはその通りです。ただ嫌いだと言うだけでは、何も始まりません。嫌韓は、単なる通過点です。それは親韓でも同じです。

いつまでも親韓や嫌韓に留まっているのでは、韓国人と大差ありません。親韓の時に得たもの、嫌韓になって得たもの、それらを携えて、私たちは変わっていかなければならないと思います。

そのためにも、まずは日本に嫌韓を定着させなければならないのではないかと思います。結晶を作るためには、まずは溶液を飽和させる必要があるのです。

弊ブログが、その一助になればと願って、新年のご挨拶と代えさせていただきます<(_"_)>



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月見櫓 韓国 日韓