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乾燥失笑注意報

先だってよりブログのネタがないネタがないと連呼していたところ、過去記事再掲のご提案を頂戴いたしました。

正直、大変魅力的なご提案ではありましたが、私は一度楽を覚えるとズルズル行く横着な性格をしているので、過去記事再掲で更新を続けるというのは、本当に何も書けなくなった時の最後の切り札に置いておきたいと思います。

ただしこれだけ記事数が増えると、過去記事を全部読むのが大変なのはもちろんですが、仮に全部読み終えられても、どこに何が書いてあったかなんてわからなくなるのが当たり前です。何しろ書いた張本人がそうなのですから。

なので、これまでもしばしばやってきたことではありますが、今後は新しい記事内に出来るだけ関連のありそうな過去記事を引用するようにしようかなと考えております。

さて、このところ韓国関連はそれなりにネタがあります。しかしどのネタも、今ひとつインパクトに欠けると言うか、「ああ、うん、なるほどね、韓国らしいね、ハハッ(乾笑)」で終わってしまうネタばかりです。

例えば、一昨日セウォル号の元船長に死刑が求刑されたという報道がありましたが、ホントに「ああ、うん、なるほどね、韓国らしいね、ハハッ(乾笑)」という反応しか出来ませんでした。

何しろ韓国は2007年に「事実上の死刑廃止国」となっています。もし今後死刑執行を再開することがあれば、死刑廃止に積極的な欧州諸国から強い非難を受けることになるのは必至です。それでも死刑執行を再開出来るほど韓国の肝は座っていないでしょう。

だからと言って死刑制度を完全に廃止すれば、韓国では今以上に凶悪な犯罪が頻発するようになるでしょう。そもそも韓国は準戦時国家であり、韓国内における北朝鮮の工作活動は現在ですら猖獗を極めております。もし韓国において死刑を完全に廃止してしまえば、北朝鮮の工作員は今以上に心置きなく活動出来るようになるわけです。

結局、韓国は死刑執行を再開することも出来なければ、完全に廃止することも出来ません。

そもそも、韓国において死刑は刑罰として以外に、非常にしばしば「脅し」や「見せしめ」、あるいは「権力者の威光を強調するため」に用いられることがありました。どういうことかと言うと、一旦死刑を言い渡しておいて、その後おもむろに「大統領様の寛大な計らいで罪一等を減じてやる」と言って恩を着せたり、徳を示したりするのに用いられていたのです。

今回も、仮に本当にセウォル号の元船長に死刑判決が下ることがあったとしても、実際に執行されることはほぼ(少なく見積もっても99%以上の確率で)ないでしょう。にも関わらず韓国の検察が抜け抜けと死刑判決を求めたということは、要するにセウォル号事故という、韓国の秘密(≒韓国の恥)を世界にぶちまけまくった事故の責任をセウォル号の元船長に全てひっかぶせて、生贄にしようとしているだけの茶番です。

もっとも茶番と言えばセウォル号事故に関する韓国人の反応のほとんどが茶番と言っても良いぐらいなので、結局今回の「セウォル号元船長に死刑求刑」も、数ある茶番の中のひとつというだけのことですが。

それから韓国のテレビ番組で、日本人出演者のBGMとして君が代が流されたことについて、「不適切な音源を使用した点について、心から謝罪致します。」という公式発表があったとやらで、これもまた「ああ、うん、なるほどね、韓国らしいね、ハハッ(乾笑)」でした。

日本の国歌を「不適切な音源」とは何事かとお怒りの方もいらっしゃると思いますが、こと韓国に関しては、こんなことでいちいち怒ってたらあっという間に神経が焼き切れます。ここでは「日本の国歌に対し、このような認識を持つ国との友好や交流は実際問題として可能なのか。仮に可能として、それは本当に日本のためになることなのか」ということを考えれば良いのであって、怒ったり憤ったりすることに精神的エネルギーを費やしても、何の益も見込めません。

それから、2015年に予定されていた韓国の戦時作戦統制権の移譲が再延期されたという報道にも、やはり乾いた笑いがこぼれました。

韓国の戦時作戦統制権は、現在米軍にあります。しかし稀代のコメディアンにして最大の北朝鮮工作員であった故盧武鉉元大統領が米国に対し戦時作戦統制権の移管を求め、米国もこれに合意しました。当初は2012年4月に実施されることになっていたのですが、2010年、移管時期の延期が決定します。新たに定められた移管時期が2015年だったわけですが、今回再びこれが延期されることになったわけです。

韓国としては、戦時作戦統制権を米国に握らせたままなのは「自尊心(という名の劣等感)」を痛く刺激されることなのでしょうけれど、現実問題として韓国軍単独では半島有事に対応することが出来ません。対する北朝鮮(及び韓国内の親北朝鮮派)としては、在韓米軍という目の上のたんこぶさえなければ、明日にでも武力統一が可能と思っていることでしょうから、何としてでも戦時作戦統制権を米国から韓国に移管させたいところでしょう。

現実と理想(という名の願望)、挑発と開き直り、左右の陣営が広げるお綺麗な大義名分と、やはり双方から透けて見える薄汚い思惑がマジェマジェになっている様子は、実に韓国らしくて微笑ましいぐらいです。

この戦時統制権の移管については、今のところ日本の立場では完全に対岸の火事と言うか第三者的立場なのでヘラヘラ笑って見ていれば良い話ではあります。しかしもし日本が当事者であれば、こんなにイラつかされる話はないんじゃないでしょうか。

それが現実だったのが100年前のお話ということを、ヘラヘラ笑いながらでも思い出すことが、日韓関係とか韓国という国について真摯に考えるということなのだろうなあと、失笑で乾いた喉を茶で潤しながら思った次第です。



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付けない、増やさない、退治する

弊ブログは結構長いこと書いています。始めたのは2005年の9月なので、今年の9月で丸9年になりました。

既にネタは尽き果て、同じようなネタを手を替え品を替えて書くこともよくあります。だからきっと筆者はスラスラツルツルと書いているのだろうと思っている人がいるのではないかと思いますが、実は全然そんなことはありません。私にとってこのブログを書くことは、色んな意味で乾いた雑巾を絞るような作業になります。

それでも、書くモチベーションが保たれていれば、まだ良いのです。非常にしばしば、書くモチベーションが酷く損なわれることがあります。私はこれを「何でこんなコト書いてんだろう、世界には楽しいことや美しいものが幾らでもあるのに」病と呼んでいます。

こんなブログを書いてるんだから、きっとこいつの頭の中は寝ても覚めても韓国韓国韓国韓国韓国韓国、時々北朝鮮、ところにより中国、とか思われてるような気が時々しますが、実のところ韓国について真剣に考えるのは、ブログを更新する日の数時間から、せいぜい十数時間ぐらいです。

厳密に言うと、その数時間から十数時間さえも、韓国について考えていると言えるかどうかは疑わしいのです。私が頭を悩ませるのは、韓国そのものよりも、どう書けば韓国のことが日本人に伝わるだろうかということだからです。

私の結論は既に何度も申し上げている通り、日本が韓国との関係を発展的に解消することです。日本にとって韓国は無用であり不要であり有害です。ですが、残念なことにそれが日本人に容易に理解されません。

私は、今の日本が一点非の打ち所のない素晴らしい完璧な国だと主張するつもりはありません。日本にも非や欠点はたくさんあるでしょう。って言うか、はっきりあります。だからと言って、日本が韓国によって今以上に損なわれたり害されても構わないわけではありません。むしろ、今の日本にも非や欠点が少なからずあるのに、韓国なんかにこれ以上非や欠点を増やされてたまるもんかと強く思っています。

日本を損なったり害したりなんて、韓国にそんなつもりがあるはずがない、と言う人もきっといるでしょう。それは一面の真実かもしれません。ですが、韓国に「そんなつもり」があろうとなかろうと、韓国はそうしてしまうのです。

それは日韓チャットでもはっきりそうでした。引きも切らず押し寄せてきた韓国人のほとんどは、最初から日本人を害したり損なったりしようなどとは思っていなかったでしょう。それどころか、日本人と仲良くなりたいと切実に願ってやってきた韓国人が圧倒多数だったかもしれません。それこそ挨拶もそこそこに、日本人に「過去の歴史を謝罪してください」とぶつけてくる韓国人ですら、そうだったと思います。

韓国について説明する際に、以前にも幾度か引き合いに出したことがありますが、病原性の細菌やウイルスというものがあります。それらが人間の体内に入れば、最悪の場合生命を脅かすこともあるのは、昨今のエボラウイルス騒動で既によく知られていることだと思います。

それらの病原性の細菌やウイルスは、人間を病気にしたり殺すために、人間の体内に入るのでしょうか。答えは当然否でしょう。細菌やウイルスには、そもそも思考能力自体がないでしょうけれど、仮にあったとしても、彼らに人間を病気にしたり殺したりするつもりなどあるはずがありません。彼らはただ生活しているだけなのです。それが人間にとっては、害になるだけのことなのです。

私は日本にとっての韓国も、病原性の細菌やウイルスと同じだと思っています。彼らに、日本を損なったり害したりしようという積極的な「つもり」はないのかもしれません。あるように見えてもそれはただ、彼らが生きて活動しているだけのことなのかもしれません。しかし結果として、彼らとの接点がある限り、日本は彼らがただ生きて活動するだけで損害を被るのです。少なくとも、彼らが活動するところを見せつけられることで不快を催すことは免れません。

食中毒の予防の三原則をご存知でしょうか。病原性の細菌を「付けない」「増やさない」「退治する」です。韓国についてもこれを徹底することで、彼らの活動によって被る害を可能な限り抑えられるのではないかということを、私は主張しているに過ぎません。

と言っても「なあに、かえって免疫力がつく」などと嘯く輩もいますし、病原性の細菌やウイルスに感染しながら発症しない者も皆無ではありません(もっとも発症しない感染者は、発症しないがために感染拡大を引き起こすことがあり、危険性は発症する感染者よりも大きいかもしれませんが)。

そういう人たちから見れば、病原性の細菌やウイルスを汚らわしい存在のように言うのは、許せないことなのでしょうし、そうでない人からしても、何もわざわざ病原性の細菌やウイルスに注目しなくても良いじゃないかと思う人も、いない方が不思議です。見てもどうしようもないし、そもそも見えづらいし、無理やり知っても不快になるだけじゃないかというのも、確かに一面の事実だからです。

そんな見えづらいものを無理に目を凝らして見なくても、世界には楽しいことや美しいものが幾らでもあります。知らずにいれば不快な思いをすることもありませんと言われれば、確かにそうです。

しかし、それらから目を背ければそれらがなくなるわけでもありませんし、見なかったらそれらの害から免れられる保証というは、どこにもありません。どころか、もし知らないままでいれば、知っている人よりも感染の恐れは大きいのです。

その危険性をアナウンスするのは、知ってしまった者の責務でしょう。と考えて、「何でこんなコト書いてんだろう、世界には楽しいことや美しいものが幾らでもあるのに」病を抑えつつ、キーボードと格闘する私でした。



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韓国著名三女性比較

日本で著名な韓国人女性について比較考察をしてほしいというリクエストがありましたが、こないだコメント欄で暴れてた御仁のせいでリクエストコメントを掘り出すのが大変でした。つくづく、迷惑な御仁であったと思います。

さておきリクエストコメントでは呉善花氏と金慶珠氏の比較ということでしたが、個人的に呉善花氏と好対照だなと思っていたのは、田麗玉氏だったりします。

比較対象は少ないより多い方が良いだろうということで、呉善花氏、田麗玉氏、金慶珠氏の三氏について、私の個人的な所感を述べようと思います。

この三女性についての私の個人的な比較考察が、一般的な韓国考察に何か寄与するのかと言われたら、リクエストコメントにもありましたが、私もよくわかりません(無責任ですいません)。ただ、この三女性は現在の韓国を知ろうと思う際には必ず目にする人物だと思いますので、その際に「そう言えばこの人、ブログ月見櫓でこんなこと言われてたな」という基礎知識があれば、判断のよすがにすることも出来るかもしれません(先入観を与えるとも言いますがw)。

さて、まずトップバッターは、やはり呉善花氏でしょう。

Wikipediaによると呉善花氏は1956年済州島生まれとなっているので、今回比較する三女性の中では最も年長になります。20代の頃に日本に留学生として訪れ、ルポエッセイ「スカートの風」を著し、一躍知日韓国人として注目されるようになりました。

韓国における呉善花氏の評価は、「日本で韓国の悪口を言い触らして、日本人に媚を売っている売国奴」となっているようですが、氏が言っていることは、実は韓国でも結構普通に言われていることであったりします。呉善花氏が韓国で嫌われていることを理由に、何か特別な思想や思考力を持っているかのようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、氏の著述や言動を見る限り、びっくりするほど特殊な思想や思考力を持っているわけではないどころか、極めて常識的な思考の持ち主と言えます。

呉善花氏と他の二氏との最も大きな違いは、視野の広さだと私は考えます。呉善花氏が目を向ける対象と、他の二氏が認識出来る対象の範囲が、まるで違うのです。

そもそも処女作の「スカートの風」からしてそうだと言えます。「スカートの風」は、日本で働く韓国人ホステスに注目したルポエッセイですが、「日本で働く韓国人ホステス」などというものは、今も昔も韓国では絶対に無視すべき存在です。韓国人にとっての「無視すべき存在」とは、言い換えれば「注目してはならない存在」「存在を認めてはいけない存在」、即ち「韓国の秘密」なのです。

そこに注目し、しかも「存在してはならない存在」の話を聞き、それを分析あるいは考察するなどということは、一般的な韓国人には至難の業です。「バカの壁」ならぬ「韓国人の壁」とでも言いましょうか。呉善花氏と他の二氏の大きな違いは、この「韓国人の壁」を乗り越え得たか否かでしょう。

ネクストバッターは、田麗玉氏です。この人物は、今回比較する三女性の中で最も韓国人らしい人物だと私は考えています。Wikipediaによれば1959年生まれと言いますから、呉善花氏とはほぼ同年代です。ただし、呉善花氏が韓国でも僻地扱いの済州島出身であるのに対し、田麗玉氏はソウル出身で、しかも女子大としては韓国随一の梨花女子大を卒業した後、韓国放送公社(KBS)に入社、日本に訪れたのはKBSの東京特派員としてと言いますから、呉善花氏と比べれば段違いのエリートと言えるでしょう。

田麗玉氏が日本に滞在したのは、1991年1月からのわずか2年半ほどですが、日本滞在経験を元にした「イルボヌンオプタ(日本はない)」という本を韓国で出版しベストセラーとなりました。この「イルボヌンオプタ」を邦訳したものが「悲しい日本人」です。

私が呉善花氏と田麗玉氏を好対照だと思うのは、この二氏が著した本の印象からです。両者とも、日本という異国でのカルチャーショックが執筆動機になっているわけですが、その視線が正反対と言っても良いほど違います。呉善花氏は、日本と日本にいる同胞女性と自分自身を見つめていましたが、田麗玉氏の視界にあったのは、どこまで行っても韓国と自分自身だけでした。

日韓チャットに入り浸っていた頃、私は韓国人に対して「ウリナラマンセコンタクトレンズ」という言葉をよく使っていました。何を見ても「ウリナラマンセ(朝鮮語で「我が国万歳」という意味)」に見える彼らを揶揄した言葉です。田麗玉氏の「悲しい日本人」は、まさにこの「ウリナラマンセコンタクトレンズ」を装着した韓国人による所感でした。

日本に居ながら日本を見ず、日本人と話しながら日本人を見ていないのです。氏の目に映るものは全て、韓国の価値観に照らして是か否かで量られているため、その結果がウリナラマンセになるのは当然というものです。そういう意味で「悲しい日本人」という本は、「ウリナラマンセコンタクトレンズ」を装着した韓国人が、日本を見てどのような思考を巡らせるかを知るには適した本であったかもしれませんが、韓国人から見た日本人を知りたいと思う人には、何のご利益もない本でした。

この「イルボヌンオプタ」と同じ頃に、「醜い韓国人」という本が出ました。これは内容もさりながら、その執筆者が日本人ではないかと疑われたことで物議を醸した本ですが、それを踏まえて『醜い韓国人』vs『悲しい日本人』という対談本が出されました。この対談本の中で田麗玉氏は、「イルボヌンオプタ」に書かれたことを「全て私が体験したことである」と言い切っていましたが、後になって「イルボヌンオプタ」には盗作した内容が含まれていたことが暴露され、本当にどこを切っても韓国人らしい人物であるなあと感心したものです。

田麗玉氏は2004年に国会議員に転身し、ハンナラ党のスポークスマンとしてちょくちょく韓国メディアで見掛けましたが、2012年の総選挙で落選し、今は何をしているのかよくわかりません。

最後に金慶珠氏です。この人は、三女性の中では最年少の1967年生まれで、田麗玉氏と同様ソウル市出身梨花女子大卒です。多少の朝鮮語訛りはありますが、三女性の中では最も流暢な日本語を話します。ある意味、田麗玉氏の次世代バージョンと考えると近いかもしれません。

金慶珠氏が前出の二氏と大きく異なるのは、積極的且つ精力的に日本のメディアに出演している点でしょう。何しろ東海大学教養学部国際学科准教授という身分でありながら、何故か芸能事務所ホリプロに所属しているぐらいです。

氏の主張は、個人的には正直聞くに堪えません。その理由は、韓国側に立った主張をするからではありません。韓国にとって都合が悪い意見には、あからさまに思考停止してしまうからです。そういう時に突っ込まれると、話を逸らすかすっとぼけます。無難な話の時はパキパキとした物言いをするのに、都合が悪くなるとフニャフニャグダグダはぐらかそうとする態度は、日韓チャットの韓国人と何ら変わるところがありません。

それが私の参加する日韓チャット(あるいは月見チャットw)であれば、どこまでも問い詰めて問い詰めて問い詰め倒して答えさせるのですが、日本の反日メディアが、自分たちの主張を代弁してくれている韓国人に番組内でそんなことをするわけもなく、そのため氏が出る番組を見ると、不完全燃焼で中毒を起こしそうになります。

金慶珠氏は田麗玉氏の次世代バージョンのようなものですが、田麗玉氏と比べるとやや小物感が漂います。日本のメディアに露出し過ぎな点も、韓国では嫉妬と侮蔑を同時に買うおそれが強いでしょう。ただし対日工作員としては、前者二氏よりも優れているかもしれません。

個人的には、この三女性の中で呉善花氏だけが飛び抜けて聡明であるとか知的であるとは、実は思っていません。知的レベルというだけならば、皆それなりに優れているでしょう。

ただ、前述したとおりこの三女性の中で、呉善花氏だけが視野と言うか、視界が広いのではないかと私は思っております。

確か日韓翻訳掲示板NAVERだったと思いますが、「呉善花氏がソウル大学の教授になるようなことがあれば、韓国は日本の脅威になるかもしれない」と言われていました。即ち教養ある韓国人が現在のような狭窄した視野で日本及び世界を見るのではなく、呉善花氏と同じぐらいの視野で日本及び世界を見るようになれば、韓国は良い意味で大きく変化するのではないかと言われていたのです。

しかし実際には、韓国は呉善花氏をソウル大学の教壇に立たせるどころか、陰湿に迫害しただけでした。彼女がソウル大学の教壇に立つことは、今後もおそらく決して実現しないでしょう。対する田麗玉氏が(現在はともかくとして)、国民の支持を得て国会議員にまで登り詰めたのを見れば、両氏に対する韓国人の認識が透けて見えるというものです。



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自虐史観の日本人にどう伝えるか

ブログ拍手の方のコメントで、「自虐史観の日本人にどうすれば(韓国の)真実を見てもらえるか」というお尋ねが入りました。

ここ数年の日本では、韓国の正体が徐々に暴かれ、韓国に対して憤りと嫌悪を持つ日本人が増えてはおります。しかし中には今でも、「日本は昔韓国に酷いことをしたから、今韓国が多少日本に悪いことをしてもおあいこだよね」とか、「慰安婦がいたのは事実なんだし、それは日本が悪いんじゃないのかな」などと考える日本人が、それなりにいます。

何しろ日本人は、良くも悪くも「お互い様」の考え方に馴染みがあります。自分だけが完全に正しいと主張する者は、猛烈な粗探しに完璧に対抗する必要がありますし、それは過激な対立にもつながります。過激な対立にエネルギーを費やすよりは、「お互い様」で互いに一定の譲歩をすることで不要な衝突を避けようとするのが、対人トラブルを未然に防ぐための日本的な対策といえるでしょう。

実際、日本人同士であればこの対策は大変効果的です。そのため、「お互い様」で対人関係が上手くいくという経験を積み重ねた、自他共に常識的と認める日本人ほど、「お互い様」の意識と習慣が身に付いているでしょう。

この「お互い様」が通用しない人は、実は日本人にもそれなりに存在します。大抵の日本人が、一度はそういう人と実際に遭遇して困惑させられた経験を持つのではないでしょうか。

「お互い様」が通用しない人が一人でもいると、そのコミュニティに属する人々は大変迷惑し、また大変混乱させられます。ですから日本においては、「お互い様」が通用しない人を許容するコミュニティはあまりありません。日本人同士のコミュニティにおいて「お互い様」を守らない人は、自分で自分の居場所を狭めていき、良くて腫れ物扱い、最悪の場合そのコミュニティから排除されることになります。

ですから日本人同士のコミュニティにおいては、「お互い様」を守ることが暗黙の了解となっているわけです。そのために日本人は、相手が誰でも自分が「お互い様」を守ることで、相手も「お互い様」を守ってくれるはず、という無意識の期待が働くのでしょう。

しかし残念ながら、その期待がある程度通用するのは、日本人相手の時だけです。日本人相手ですら100%通用するとは限りませんが、それが韓国人であればその確率は更に大きく下がります。

韓国人にも「お互い様」と言い得る概念は、一応あります。ただしそれは、「相手が自分に対して持つべき意識や配慮」であって、「自分が相手に対して持つべき意識や配慮」では決してないことは、以前にも何度かご紹介しました。ですから私たち日本人は、韓国人相手の時は「お互い様」など一切考えず、とにかくこちらの主張をガシガシぶつけるように押しつけるぐらいでちょうど良いのです。

と言うだけで、「ああ、そうかあ」と言って納得して韓国人に対する認識を変えてもらえるなら、こんな楽で簡単な話はありません。

実際には、「まさかそんな」とか、「何か韓国人について誤解しているのでは」とか「一部を見て全体を判断してはいけない」とか、「話せばわかる」とか「話せばわかってくれた」などと言って、頑なに「お互い様」が韓国人にも通じると信じようとする日本人が、少なく見積もっても半数程度はいるでしょう。

そういう日本人に、いくら韓国の実態を説明して見せても、それが他人事である間は、簡単に考えを変えることはありません。普通の(自他共に常識的と認める)日本人にとって、「お互い様」を考えない人々が普通である社会など、想像も出来ないのが普通なのです。

しかし先にも述べましたが、日本人にも「お互い様」が通じない人は一定数存在します。大抵の日本人が一度は、「お互い様」が通用しない人の直撃を受けた経験はあるはずです。そういう人を思い出させることが出来れば、突破口はあります。そういう人を引き合いに出して、韓国人の具体的なイメージを構築出来るように促すことが、個人的にはかなり効果的なのではないかと思います。

要は、その人自身が理解しようとしない限り、どんなにこちらが熱く語ろうと、どんなに正しいことを言おうと、相手には絶対届きません。どう言えば相手にわかってもらえるかということは当然に重要ですが、その前にどう言えば相手に聞いてもらえるのかを考えなければなりません。

相手に聞いてもらうためには、いきなり相手に100%の理解を求めるのではなく、まずは理解を受け入れる下地作りから始めるべきでしょう。車の運転で言えば、エンジンを始動するや否や、いきなりギアをトップに突っ込んでアクセルを床まで踏み込んでも、車は1mも進みません。

まずはローギアに入れてからアクセルをゆっくり踏みつつ、同時にクラッチを丁寧につなぐことで、車はやっと動き始めるのです(この説明では、AT限定でない自動車免許をお持ちの方にしかわからないかもしれませんがw)。

さておき周囲の、まだわかっていない人や自虐史観に囚われて韓国の思う壺にはまっている人に、韓国に対する理解を促したいと思う気持ちは非常によくわかります。しかし焦っても、他人を自分の思い通りに動かすことは出来ません。逆にこちらが焦って説明すればするほど、相手は引いてしまうでしょう。

時間は年単位でかかるかもしれませんが、倦まず弛まず、且つ相手が「押しつけられている」と感じない程度に穏やかに緩やかに少しずつ折に触れ、韓国と韓国人について、おそらく周囲に一人は実在するであろう「朝鮮人のような真似をする人」を引き合いに出しつつ説明を続けていけば、いきなり極端な嫌韓にはならなくても、徐々に「韓国人はあんまり近寄らない方が良い人々」であることを認識してくれるようになるであろうと、私は考えております。



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韓国人に言え

別に呼んでるつもりは全くないのですが、弊ブログのコメント欄には不定期に妙な御仁が訪れます。

それも大抵、何が言いたいのかよくわからない方であることが多い。そういう方は何か言いたいことがあるというよりも、ただ自分の発言を人に聞かせたい読ませたいという欲求に突き動かされているかのように、とにかく意味のあるようなないような言葉のような鳴き声のようなものを一所懸命並べます。

今回の御仁もご多分に漏れず、文字数はすこぶる多いのですが、何が言いたいのかさっぱりわかりません。で、「言いたいことは明確に」との注意を入れたところ、「いや、シンプルですよ。データナシの思い込みでは意味ないよね。で終わります。」とのことでした。

というわけで当該御仁の「言いたいこと」は既に終わっている模様ですので、これ以外の当該御仁によるグダグダは全て蛇足と判断します。

この「蛇足」に、律儀に付き合っておられる方も数名いらっしゃいますが、不快を感じておられる方も少なからずおられるご様子。また、当該記事と無関係な内容のコメントが増大すると、当該記事についてのコメントを読みたいと思っておられる方にも迷惑となります。

よって今後、具体的には2014年10月17日午後21時30分を以って、弊ブログのコメント欄における当該御仁によるコメント及び当該御仁へのレスポンスについては、その内容の如何に関わらず全て「蛇足」と判断し、管理者権限によって禁止します。もし書き込まれた場合は、無条件で削除します。

どうしてもやりたいとお考えの方は、月見チャットの方でどうぞ。

しかし何と言うか、私が知り得た韓国人についての知識を説明すると、あまりにも常軌を逸したその内容に、普通の日本人はなかなか俄に信じてくれないことが多いのですが、こうやって実際に「朝鮮人のような真似」をする御仁が来ると、理屈ではなく体感でお分かりいただけるというのは、怪我の功名と言えるでしょう。

あ、繰り返しになりますが、「朝鮮人のような真似」をする方が実際に朝鮮人かどうかについて私は、昔から全く問題にしておりません。「朝鮮人のような真似」をする方の国籍や血統が日本であったとしても、その人が自ら進んで「朝鮮人のような真似」をしている以上、その人は「国籍あるいは血統が日本であるというだけの、朝鮮人のような真似をする人」なのだなと理解するだけの話です。

これもまた繰り返しになりますが、私が弊ブログで行なっていることは「韓国に対する悪口」ではありません。もちろん、ヘイトでもありません。これは日本人に向けた韓国及び韓国人についての広報です。

先述の御仁は私が書くことを「データナシの思い込み」と決め付けておられましたが、データは膨大にあります。弊ブログの随所に提示しておりますし、そもそも韓国及び韓国人自身が、私の主張を裏付けるデータなのです。

もちろん、「一部を見て全体を判断しないでください」と韓国人やそのシンパが言いたがるように、韓国及び韓国人の全てが例外なく私がここで述べるような同じ思考同じ行動をするとは限りません。しかし、韓国人が極めて同調圧力の高い社会を構築しているということは、おそらく当の韓国人でさえ認めるところでしょう。

その中で、どんなに(日本人から見て)真っ当な韓国人というものが出現したとしても、その韓国人が韓国社会全体を変化させるほどの力を持っているのでなければ、いないのと同じであるということも、これまで何度繰り返し述べてきたかわかりません。

更に言えば、私は「日本を善、韓国を悪」と決め付けた覚えもありません。ただ、日本と韓国では何もかもが真逆と言って良いぐらい異なるため、日本で善とされることは韓国では悪になり、日本で悪とされることは韓国で善となるということは、十分あり得るでしょう。個人であれ国家であれ、そういう相手との接触や交際は、互いの精神衛生に害であるということは、何度か述べたことがあったと思います。

日本人から見ると、韓国人は何故あんなことをするのか、何故こうしないのかと思うものですし、韓国人から見た日本人もまた同じでしょう。双方が互いに、相手のやることなすこということに苛つき、憤り、不快を感じます。どんなに話し合っても、決して折り合うことはありません。仮に折り合ったように見えることがあったとしても、それはどちらかあるいは双方が不本意に妥協しただけのことで、しかも必ず後世に憂いを残すことになります。

だから日本と韓国は離れるべきである、というのが弊ブログにおける一貫した主張です。

これまでは日本人があまりにも韓国と韓国人に無関心であったために、韓国と韓国人の実態を知らず、韓国人と言っても同じ人間なのだから、話せばわかるとか、話したらわかったとか言う人が少なくありませんでした。

しかしこの数年で韓国と韓国人の実態の周知が飛躍的に進み、結果私と同じ意見を持つ日本人が増えております。つまり、「韓国とは無理」という意識が、日本人の間で共有され、静かに浸透しつつあるということです。

それに弊ブログが一役買っているというのは、事実かもしれません。では弊ブログを潰せば、その流れは止まるでしょうか。答えは自ずから否でしょう。弊ブログにそんな力はありません。もし、弊ブログにそんな大きな力があるのであれば、それはそれで、どんな妨害があっても続けなければならないとは思いますがw

弊ブログはただ、韓国と韓国人について私が知り得たことを元に、考察し解説しているだけなのです。弊ブログで述べていることを全否定したいのであれば、韓国と韓国人が変われば良いのです。弊ブログでは昔から、「韓国人は変わらない」とも述べております。韓国人が変われば、この一点だけでも否定することが出来るでしょう。

一番良いのは、日本人の韓国ウォッチブログに茶々を入れて何かした気になっているのではなく、韓国ウォッチブログで述べられているようなことをする韓国人に向かって、「お前たちがそんなことをしているから、日本人に揚げ足を取られるのだ」と叱咤することではないかと思う次第です。



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「恨(ハン)」と劣等感

久々、コメント欄に妙な御仁がおいでのようです。

いつも申し上げております通り、弊ブログでは賛成意見ばかりではなく、異論・反論も歓迎しております。ですがどのようなコメントをするにしても、「何を言いたいのか」だけは読む人に伝わるよう、明確にするようお願い申し上げます。これは文章の上手下手の問題ではなく、読む人に対する配慮の問題です。

自分が書く文章は、自分さえわかっていれば、それを読む人に伝わらなくても良いと考える方は、弊ブログのコメント欄ではなく、ご自身の日記帳あるいはチラシの裏へどうぞ。

なおコメントの目的が弊ブログに対する異論反論ではなく単なる自己主張であるならば、弊ブログのコメント欄ではなくご自身のブログや掲示板、ツイッター、あるいは2chの適切な板などで行なってください。弊ブログでのそういう行為は荒らしと看做し、厳に禁じます。またこれまでに何度も述べ、実行したこともありますが、弊ブログコメント欄で自己記事の連載を始めた方は、問答無用で蹴り飛ばし、以後弊ブログへのコメント投稿を禁止します。

さて今回は、リクエストもあった「恨(ハン)」についてです。

「恨(ハン)」については、過去にも幾度か述べたことがあります(「恨」について諦と恨韓国人にとって「恨」は良い感情か 等)が、「足るを知る」が美徳とされる日本人には、なかなか理解が難しい概念のようです。

私はこの「恨(ハン)」を「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と表現したわけですが、別の解釈を頂戴しました。曰く、「恨(ハン)」とは即ち(朝鮮人の民族的な)劣等感のことである、とのこと。

同じ方が別コメントでされておられた、「恨(ハン)」を「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」と解釈する場合、そんな感情を持つ人は、ミュージシャンや芸術家にでもなろうという人なんでしょうかというご意見は、個人的に楽しかったですw

弊ブログの記事内に限らず、私の韓国(朝鮮)考察は「こねくり回し過ぎ」というご指摘を度々頂戴します。私自身、その自覚がないでもありません。ただ言い訳をさせていただけるなら、韓国(朝鮮)については、簡単に言ってしまうと誤解されるおそれが大きいのは当然として、全く理解されないおそれも甚だ大きいのです。

韓国人について説明する場合、ある程度以上にわかっている人ならば、くどくどしい説明は全く必要ではありません。ただ一言、「韓国人は餓鬼だと思え」で、実は概ね説明が付きます。しかし、韓国人をさほど知らない人に「韓国人は餓鬼だと思え」と言っても、まず理解してもらえないでしょう。

餓鬼」には、二通りの意味があります。ひとつは、文字通り「餓えた鬼(ここでは亡者の意)」で、もうひとつは「子供」を貶めていう言葉です。

韓国人の場合、どちらの意味の「餓鬼」かと言えば両方ですが、、「恨(ハン)」を説明する際には原義の「餓鬼」、即ち「餓えた亡者」としての「餓鬼」が分かりやすいでしょう。

原義の「餓鬼」には幾つかの種類がありますが、基本的にはいずれの「餓鬼」も自らの業によって決して満足出来ません。食べたい物を食べても食べなくても、腹がいっぱいになってもならなくても、餓え続けます。これは劣等感と言うよりは、別の方のコメントにもあったとおり、欲求不満に似ています。単なる欲求不満と異なるのは、欲求が満たされることによって、新たな不満が生じることでしょう。

普通、欲求が満たされれば、不満は解消されます。ところが韓国人の場合、ひとつの欲求が満たされれば、その欲求を満たすために選べなかった選択肢に対する不満が生じるのです。従って、欲求を満たせば満たすほど、新たな不満が生じることになります。

そこに、彼らの「民族的劣等感」というものが作用している可能性は十分に考えられます。ですが、だからと言って「恨(ハン)」が即ち「民族的劣等感」そのものであるというのは、短絡に過ぎるのはないかと私は考えます。

「恨(ハン)」は、他者との優劣の差からではなく、自身の中から生じるものです。誰とも比べなくても、自分が満足出来なければ、彼らは「恨(ハン)」を抱きます。と言えばそれを「理想の追求」と解釈して、そういう「高尚な思想」を持つからには、韓国人は皆ミュージシャンや芸術家志望なのかという話になるのかもしれませんが、当然「理想の追求」でもありません。

もし彼らが追い求めているものが「理想」であれば、必ず到達点があります。しかし「恨(ハン)」には到達点がありません。彼らが追い求めているのはどこまでも「自分の欲望」であって、理想ではないのです。

「恨(ハン)」と劣等感は、時に相互作用することがあるかもしれませんし、客観的には同じに見えることがあるかもしれません。例えば、先日の弊ブログ記事「反日改め恨日」を読めば、「恨(ハン)」=劣等感と解釈してしまいそうになるかもしれないとは思います。

しかし、「恨(ハン)」を劣等感で説明しようとすれば明らかな齟齬が生じます。例えば、「欲しいオモチャを買ってもらえなかった」というのも「恨(ハン)」になりますが、これを劣等感で説明するのは無理があります。

「恨(ハン)」を端的に言えば、「足るを知らない」ことです。韓国人に特有というわけではなく、日本人にもそういう人はいます。ただ、韓国(朝鮮)では非常に普遍的で、しかもそれを恥じることがないのが、日本とは大きく異なります。

「恨(ハン)」の性質上、劣等感と関連することはしばしばあるでしょうけれど、同じものではないと考えるのが妥当と、私は考えております。



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日本人の謝罪、韓国人の謝罪

弊ブログは恒常的にネタに困窮しておりますので、コメントでのネタ提供は大歓迎しております。

ただ基本的に気紛れで書いてるものですから、リクエスト戴いたもの全てに必ず応じるとはお約束出来ませんが、それでも良いからリクエストしてやるよという方は、コメントでお気軽にご質問、リクエストのコメントを投げてやってください。もちろん、秘密コメントも可です。リクエスト自体を秘密にしたい場合は、その旨お書き添えください。まるで自分で思いついたネタのように書きます(`・ω・´)。

という訳で、今回は日韓の謝罪比較についてリクエスト戴きました。過去記事において、韓国人の謝罪感覚に関することは書いたことがあるような気はするものの、日韓比較はなかったかなと思ったので、リクエストにお応えさせていただきたいと存じます。

韓国人は謝らないとよく言われます。実際、彼らは自分が悪いと思っている時は、なかなか謝りません。反面、驚くほどすらすらと謝罪することも、実はよくあったりします。

安易に謝罪の言葉を口にしないというのは、韓国人に限った話ではありません。むしろ「安易に謝らない」という点だけに限って言えば、韓国人の方が国際標準に近いかもしれません。

日本人なら、「すみません」という言葉を口にしない日はないでしょう。この「すみません」は、謝罪の言葉でもありますが、ちょっとした呼び掛けや感謝を表すこともよくあります。

人に声を掛ける時、「おい!」とか「ちょっと!」と言ったり、「あのー」とか「えっと・・・」などと、呼ばれてる方が気づかないような曖昧な声掛けをするよりは、はっきり「すみません」と呼び掛ける方が、日本人的には感じが良いし言いやすいものです。

何かしてもらった時は、「ありがとう」と言う方がベストとは思いますが、「すみません」も大変よく用いられ、相手が日本人ならそれで謝意は十分伝わります。

このように「すみません」は、非常に便利な言葉です。便利過ぎてつい無意識に使ってしまうことさえありますが、日本国内であれば、一切「すみません」と言わないよりは、「すみません」を乱発する方が対人関係は円滑に運ぶものです。

そのせいか、日本人は海外で「すみません」のつもりで何気なく「エクスキューズミー」とか、甚だしくは「アイムソーリー」と口走ることが多いようです。と言うか私自身、よほど気を付けていないとうっかり口走りますw

これもよく言われることですが、海外で事故などトラブルに遭った時、明らかに相手の過失が大きくても、相手は決して「エクスキューズミー」とか、ましてや「アイムソーリー」などとは言わないものです。もし言えば、それは過失の全てが自分にあると認めたことになるからです。

そうなれば、後からどれほど相手の過失を指摘して相殺しようとしても、「でもあの時お前はアイムソーリーと言ったじゃないか」と言われて、過失の全てを押しつけられてしまうそうです。それが国際標準であるとすれば、「安易な謝罪」を対人関係の潤滑油的に考える日本人の方が特殊と言えるでしょう。

この「安易な謝罪をしない」という点だけを見れば、韓国人の方が国際標準に近いかもしれません。ですが「謝罪」そのものについての認識はどうでしょうか。

一番最初に述べましたが、韓国人は時に拍子抜けするほどすんなり謝ることがあります。場合によっては、こちらが謝れと言ってもいないのに、勝手に謝ることさえあります。これはたいてい「自分が悪いとは全く思っていない場合」です。自らの美徳を誇示するためであれば、彼らは実にすらすらと謝罪します。これは日韓チャットでうんざりするほど体験しました。

かつての日韓チャットでは、狂ったように暴れる韓国人を毎日のように見たものです。お前がイジって暴れさせていたのだろうという指摘を全否定はしませんが、私たちが何もしなくても、勝手に暴れ狂う韓国人は全く珍しくありませんでした。

ひとしきり暴れて気が済んだり、気が済む前に部屋長に蹴り飛ばされたりしてその韓国人がいなくなると、残った別の韓国人が「同じ韓国人として申し訳ありません」と言うことがよくありました。

そこで「今、お前は私に謝罪したな?ならば責任を取れ」と応じると、彼らは例外なく狼狽え、その後怒り始めます。「謝ってやったのにその態度は何だ」と言うのです。「本当にチョッパリは礼儀がないね!」と言う韓国人もいました。

欧米人もなかなか謝らない人々でしょうけれど、それは一度自らの過ちを認めれば、その全責任を負う覚悟があるからとも言えるでしょう。全ての責任を負う覚悟がなければ決して謝らないというのは、日本人的な道徳観ではどうかと思わないでもありませんが、筋が通っていることは十分理解出来ます。

翻って韓国人ですが、彼らもなかなか謝りません。特に「自分が悪い」とされる可能性が高ければ高いほど、頑なに謝りません。ですが、「自分の責任ではない」と確信すれば、彼らは驚くほどすんなりと謝ります。

その最たる例が、2002年の日朝首脳会談における金正日の日本人拉致問題に関する謝罪でしょう。

あれは明らかに「自分(=金正日)は悪くない」という前提の謝罪でした。自分(=金正日)に罪がないのに、それを押して謝ることで、日本人に金正日の偉大さ、度量の大きさを見せつけ、日朝交渉を有利に運ぼうという魂胆が北朝鮮にあったのは明白です。

どんな魂胆があろうと、一旦謝罪してしまえば非や責任を認めることになるのだから、自分が不利になるのではないか、と思う人はいるでしょう。しかしそれを考えることが出来ないのが、朝鮮人なのです。

彼らは、謝罪に責任が伴うことを理解しません。彼らが、自分が悪いという自覚がある時ほど謝罪しないのは、謝罪に責任が伴うからではなく、謝罪によって自分の非を認めることになるからです。だから自分に非がないと確信すれば、彼らは驚くほど安易に謝罪するのです。

彼らは、他人がすれば不倫でも自分がすればロマンスと考える生き物であることを忘れてはいけません。

第三者的な立場であれば、彼らも割と普通の(=日本人に近い)考えを示すことがなくもありません。ですがいったん「ウリ」になると、彼らの思考はたちまち激しく迷走します。しかもそれが、ほとんど何らの躊躇なく、一瞬のうちに行なわれるのです。

「それは今さっき自分が言ったことと矛盾するのではないか?」という気付きがほぼないのですから、韓国人に慣れていない人は困惑してしまうでしょうし、相当慣れていても理解に苦しまないことはありません。

日韓の謝罪比較を総括すれば、日本人は安易に謝ると言えるでしょう。これは互いに謝り合うことで、関係を穏やかに円滑にしたいという日本人社会の特性です。ですが安易にした謝罪であっても、謝罪には責任が伴うことを、日本人は理解出来ます。ですからそれが対人関係を円滑にするための方便であったとしても、一旦謝り、その責任を求められることがあれば、日本人は不承不承であっても、愚直に応じます。日韓関係においては、これが何度も繰り返されていることは既に皆様ご承知のとおりです。

対する韓国人ですが、彼らは自らの非や過ちを頑なに謝らないことが多いと言えます。ですが、謝罪に責任が伴わないという確信があるとき、彼らはあっけないほどすんなり謝ります。

その「確信」は、往々にして独善的なものではありますが、彼らがそれを自覚することはほとんどありません。謝罪したことによって責任を追及されれば、多くの場合逆ギレするでしょうし、一度した謝罪を易々反故にすることにも全く躊躇がありません。

謝罪した相手の方が立場的に上位であれば、謝罪を受けた方は謝罪した者に責任を追及することが出来ずに泣き寝入りせざるを得ない場合がほとんどです。そうなると、その不満は「恨(ハン)」として彼らの中に蓄積されます(この「恨(ハン)」を、私は単なる「劣等感」では説明し切れないと思っていますが、その話はまたいずれ)。

セウォル号事故に関して、朴槿恵韓国大統領が国民に謝罪しましたが、だからといって彼女が事故の責任を取って大統領職を辞するということは、決してありません。また、朴槿恵大統領の謝罪を受けて、非難したり事故の責任を追及しようとする政治家や有識者、団体及び個人がどれだけいようと、韓国人が本気で朴槿恵大統領に詰め腹を切らせることもありません。

なぜなら、韓国大統領とは現在の韓国における王だからです。韓国内において、大統領より上位の人物は存在しないからです。

故に、韓国大統領の謝罪を以て、その責任を追及しようとする韓国人がいたとしても、それは単なるポーズか、さもなければ韓国の王ではなく、北朝鮮にいる王を戴く者でしょう。



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反日改め恨日

毎年今頃は、韓国がノーベル賞ノーベル賞と騒ぐ時期で、韓国ウォッチャーの間では「恒例の韓国ノーベル症」と揶揄されております。今年は昨日発表された今年度のノーベル物理学賞の受賞者に日本人がいたということで、日本のマスコミ以上に韓国言論(と書いてウリナラチラシと読みます)は大騒ぎしています。

韓国が国をあげてノーベル賞を渇望していることは、韓国ウォッチャーで知らない人はいないぐらい有名な話です。平和賞だけは金大中元大統領が南北対話を実現させたかど、もとい成果で受賞しましたが、後にこれが金大中元大統領による工作の結果であることが暴露されており、韓国人ですらこれを堂々誇ることは憚られるようです。

それもあって、とにかく自然科学分野におけるノーベル賞が欲しくて欲しくてたまらない韓国人です。今回も、韓国系カナダ人がノーベル医学生理学賞の候補者になってたとやらで随分期待していたようですが、ノーベル賞というのは下馬評にのぼると取れないというジンクスでもあるのか、前評判で受賞が期待されると大きく報じられると、大抵落選します。

そう言えば日本の憲法九条が平和賞の有力候補になっているという噂も聞きましたが、私の耳に届くほど下馬評にのぼった時点でダメだろうと思います。仮に受賞すれば、受賞対象者は「日本国民」ということになるとか。そうなれば「日本国民」全員がノーベル賞受賞者になってしまうわけで、韓国人は凄まじく火病るだろうなとか、フォースの韓国面に浸り切ったことを考えておりますw

ところで、こういうことがあると改めて痛感するのは、日本に向けられる韓国の視線が極めて複雑ということです。

今回のノーベル賞受賞についてもそうですが、日本が何か栄誉や評価を得ると、韓国は激しく反応します。その反応は当然、祝福や歓喜などではありません。反発や嫉妬、落胆に羨望などの、ドロドロネチョネチョした反応です。

そんな韓国を見ると反日としか言いようがありませんが、それは日本人から見た場合の韓国の対日意識であって、これまでにもしばしば申し上げているように、韓国人の主観においては、韓国は反日ではありません。

以前日韓チャットで、私たちに向かって「(あなたたちは)嫌韓ですか」と質問した韓国人がいました

その韓国人に嫌韓の定義を問うたところ、「合理的な理由無く韓国を嫌うこと」と答えました。つまり韓国人の主観的には、韓国を嫌う合理的な理由があって韓国を嫌悪しているならば、それは嫌韓とは言わないようなのです。

普通、日本人に「嫌韓とは何か」と問えば、たいていの人はそのまま文字通り「韓国を嫌うこと」と答えるだけでしょう。理由が有ろうと無かろうと、韓国を嫌えば嫌韓です。けれど韓国人は、嫌韓の定義として単に「韓国を嫌うこと」ではなく、「合理的な理由無く韓国を嫌うこと」と言ったのです。

それは何故でしょうか。

まず韓国人にとって、「韓国を嫌うこと」は不当なことであるという前提があります。しかし韓国人も、他人や他国を嫌悪することは珍しくありません。むしろ頻繁にあり過ぎて、人権問題や社会問題、甚だしい場合は国際問題になることもあるぐらいです。

当然、日本に対する韓国人の感情の中にも「嫌悪」や「憎悪」が含まれています。ですがそれをもって韓国人が「嫌日」とか、ましてや「反日」を自ら認めることは稀です。何故なら韓国人は「ウリには日本を嫌ったり憎んだりする合理的な理由がある」と確信しているからです。

ならば韓国人に、韓国を嫌う合理的な理由を提示してみせれば、韓国を嫌っても嫌韓とは言われないでしょうか。

答えは当然否です。韓国人にどれほど韓国を嫌う合理的な理由を提示しても、全て「誤解です」「理解してください」「一部を見て全体を判断しないでください」で片付けられるのは確実です。徹底的に「韓国を嫌う合理的な理由」を積み上げ、逃げ道を潰して追い詰めれば、「それでは日本は!」と叫んで火病るのが関の山でしょう。

彼らは、他人が「韓国を嫌う合理的な理由」を決して認めないのと同じように、自分が「日本を嫌う理由」の正当性を絶対に疑いません。彼らの「日本を嫌う理由」は、日本人的には到底納得出来ない上に、よく聞いてみれば穴だらけなのですが、韓国人的には全く隙のない完璧な(韓国人の言を借りれば「パペクト」な)理由になるのでしょう。よって韓国は反日ではないというのが、韓国人の主観なのです。

もっとも、日本人が韓国を単に「反日」と理解することにも、実は弊害がないとは言えません。

最初に述べた通り、日本に対する韓国人の視線は極めて複雑です。それは韓国を除けば、地球上のどんな国家にも、如何なる民族にもない感情です。世に反日国家は、韓国以外にも幾つかありますが、韓国のような複雑な対日意識を持つ国は韓国の他にひとつとして存在しません。一卵性結合双生児の北朝鮮ですら、韓国人のような複雑な対日感情を持ってはいないでしょう。その韓国の対日感情を、他の国と同じ「反日」という言葉でくくるのは誤解の余地が多過ぎるように思われます。

思うに、韓国人にとっての日本とは、「なりたかった自分」であり、「なれなかった自分」なのでしょう。

日本は、彼らが望んで欲してやまないさまざまなものを持っています。少なくとも韓国人にはそう見えています。だからこそ彼らは日本を憎むと同時に焦がれるのです。羨みつつ蔑み、恐れつつ侮るのです。日本に学ばねばならないと思い、そう思うことで傷つけられたと思うのです。

その葛藤は、韓国人特有の感情とされる「果てしなく生じる願望に対する果てしない追求に応じ切れない現実世界に対する不満から生じる負の感情」、即ち「恨(ハン)」そのものです。

そういう意味で、韓国の対日感情は「反日」ではなく、「恨日」と呼ぶのが適切ではないでしょうか。

多くの日本人には、韓国人特有の感情である「恨(ハン)」はまず理解されないでしょうし、「恨日」という字面を見ればほとんどの日本人は「日本を恨むこと」と理解するでしょうけれど、それは当たらずとも遠からずです。単なる「反日」と理解するよりはずっと近いぐらいです。

日本語の「恨」の字に「ハン」の音はありませんが、「恨日」と書く場合のみ、朝鮮語音の「ハン」を当てて「ハンニチ」と読み下すことで「韓国の反日」を示すことがわかって良いのではないかと思う次第です。



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同じ過ちを繰り返さないためには

書籍化についてたくさんのご意見を頂戴しております。優しいご意見も厳しいご意見も、全てありがたく拝見しております。コミケで販売してみてはどうかというご意見も大変参考になりました。ただ、コミケは場所も時期も少々厳しいというのが正直なところです。

とりあえずは引き続き出版関係者の方からのオファーを期待しつつ、その他の方途も模索してみたいと思います。なお、ご連絡は弊ブログコメント欄(どの記事にコメントしていただいても構いません。管理者への秘密コメントも可です)もしくはEメール、あるいは月見チャットでお願いします。申し訳ございませんがツイッター、フェイスブック等のアカウントは持っておりません。あしからずご了承ください。

ところで、厳しいご意見の中に、「文章が分かりにくい」「難しい語を使っている割に、適切な言葉使いが出来ていない為に、何を言っているか分らない時が多いです」というものがありました。

個人的には、私の筆力の範囲内で極力わかりやすく書いているつもりです。ただ、あえて文中に若干の「意地悪」を施していることが、実はあります。

ひとつは、「揚げ足」です。読む際、記事内容についての疑問を持っていただくために、取りやすいと思われる「揚げ足」を記事中に潜ませていることが時々あります。そうすることで、記事内容についての議論を活発にしたいからです。

もうひとつは翻訳対策ですw 弊ブログは、韓国からのアクセスがそれなりにあります。アクセス解析をすると、あからさまに翻訳サイトを通して閲覧している痕跡も、多々あります。

弊ブログの記事には、日本人向けの韓国人対策をテーマにしたものがあります。それをそのまま本国韓国人に読ませることは、彼らに対抗策のヒントを与えることになります。それが業腹なので、文中に機械翻訳を通すと誤訳や翻訳不全になりやすい表現や語彙を意図的に用いることがあります。それらは一般的な日本語会話においても、あまり使用されない表現や語彙であることが多いために、「分かりにくい」「難しい」という印象を持たれる方がいらっしゃるかもしれません。

ですがこれらの「意地悪」を排除することは、上記の理由から、少なくとも弊ブログがネットで閲覧出来る間は考えておりません。申し訳ございませんが、これが弊ブログのスタイルとご理解戴ければ幸いです。

それとは別に、弊ブログではしばしば文中にネットスラングが混じることがあります。それが理由で「文章が分かりにくい」と感じられる方がいらっしゃるかもしれません。

ネットであれリアルであれ、スラングを多用するのはあまり品の良いことではありませんし、そのスラングの意味を知らない人が読めば意味不明な表現になるのは当然で、その点についてのお叱りは甘んじてお受けいたします。ただ、文章のリズムと言うか、書いてる時のノリでネットスラングを使いたくなることはしばしばありますので、多分今後も使ってしまうことはあると思います。それが理由で文章の意味が分からないと感じられる場合がございましたら、ブログのコメントでも月見チャットででもご遠慮なくご質問ください。可及的速やかにお答えする所存です。

と言うわけで枕が長くなりましたが、本題に入りたいと思います。

昨日4日、韓国・仁川で行なわれていたアジア競技大会が閉会しました。例によって不正と不手際と不具合のオンパレードだったようで、それについて苦言を呈している韓国言論もないわけではないようですが、所詮それもポーズというか上っ面だけのことです。

2002年の日韓共催ワールドカップの時も、2012年のロンドンオリンピックの時も、2014年のソチオリンピックの時もそうでしたが、韓国人は自らの不正や失態を全て正当化するか、他人(他国)のせいにするか、さもなければ不正や失態などなかったことにするでしょう。

アジア限定の競技大会でさえこの体たらくですから、韓国の平昌で開催が予定されている2018年冬季オリンピックがどうなるかは火を見るより明らかですが、それ以前に平昌オリンピックに関しては設備工事が甚だしく遅れており、開催そのものが危ぶまれています。

もっともオリンピック開催が決まっているのに、設備工事が遅れることは韓国に限った話ではありませんし、仮に工事の一部が間に合わなくとも、上っ面を取り繕うのは韓国のお家芸でもあります。

2010年に開催されたF1韓国グランプリでの霊岩サーキット造設工事の間に合わなさっぷりも相当なものでしたが、不備不具合不手際てんこ盛りでも開催したのですから、平昌も韓国が自主的に開催を返上しない限り、どんなに不細工な状態であっても開催することはするでしょう。

それにつけても、これだけ幾度も国際的なイベントを誘致し、実施していながら、韓国人の考え方と行動に全く進歩が見られないのには、呆れるを通り越して感心してしまいます。

その理由は、彼らが反省しないとか、自分の失敗を失敗として認識しようとしないとか、自分に都合の悪いことは積極的に忘れようとするとか、そもそも恥を知らないとかいうことも、大いにあるでしょう。それに加えて、やはり彼らは「シャンパンを開けたがる」のだなあということを、今回のアジア大会の流れを見てしみじみと感じました。

彼らにとって重要なのは、国際的なイベントという「シャンパン」を開けることだけであって、そのための準備や開けるタイミング、シャンパンを開けることの意味などは、ことごとくどうでも良いのです。ましてや、開けてしまった後がどうなろうと知ったことではありません。「シャンパンを開けた」時点で、彼らにとっては大成功なのです。ですから、彼らは一刻も早くシャンパンを開けようとするのです。

そんな彼らが、今回の経験を2018年の平昌冬季オリンピックに活かすということはほとんど期待出来ません。冬季オリンピックは、韓国がこれまでに開催した国際イベントよりも気象条件が深く関わってくるので、今回の仁川アジア競技大会以上の不正や不具合や不手際が乱発されるのは必至でしょう。

それ自体は所詮対岸の火事なのですが、問題はその2年後に、東京で夏季オリンピックが開催されることです。朝日新聞などは、東京オリンピックを開催する日本が韓国の平昌オリンピックに協力することは規定事項であるかの如き印象操作に勤しんでおりますが、それは韓国が開けるためのシャンパンを日本が用意するようなものです。実際、2002年の日韓共催ワールドカップは正にそういう形になりました。

日本が用意したシャンパンを韓国がドヤ顔で開けるだけでも業腹ですが、それが終わったら今度は日本のオリンピック開催を、韓国があの手この手で妨害しようとしたり邪魔したりするでしょう。これも嫌韓の杞憂ではなく、日本が東京オリンピックを誘致していた際に、韓国が実際に散々やらかしていたことです。

失敗を反省せず、従って失敗から教訓を得ることもないために何度でも同じ過ちを繰り返すのは、韓国と言うか朝鮮人の民族的習性です。私たち日本人は、失敗を反省することも出来ますし、そこから教訓を得て将来に活かすことも出来るはずです。にも関わらず、韓国が絡むと何度も同じ過ちを繰り返すのは何故なのでしょうか。

それがいわゆる「法則」なのかどうかは、私にもよくわかりません。しかし、「韓国が絡むと何度も同じ過ちを繰り返す」という事実を、私たち日本人はいい加減に自覚し、それを正しく教訓としなければならない時期ではないかと思う次第です。



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日悪韓善

前々回の記事で書籍化のおねだりwをしたわけですが、本日までにオファーは一件もありませんw 確実を期すなら持ち込みが一番なのでしょうけれど、出版社の多くは東京にあり、大阪在住の私には経済的にも時間的にも、なかなか困難ではあります。

コメントにもありましたが、出版社も商売ですから、いくら嫌韓本がブームと言っても黒字が見込めない本は出さないでしょう。出版に関してはド素人ですから、詳しいことは全くわかりませんが、仄聞するところによると一千部刷るのも一万部刷るのも、印刷費用としてはそれほど変わらないのだそうです。

千部では売り切っても大した儲けにならないでしょうから、経費的にそれほど変わらないなら、やはり一万部は刷りたいところです。しかし一万部刷って一千部しか売れなかったら、在庫を保管するための倉庫代だけでも赤字になりかねません。

そう言えば、弊ブログにはどれぐらいの閲覧者がいるのかを示すために、カウンターを設置してはどうかというコメントもありましたが、実はカウンターは既に以前から、右サイドカラムに設置してあります。それによると一日当たりの閲覧者はおよそ1,500前後、多い時で2,000ぐらいでしょうか。客観的に見て、一日当たりの閲覧者数はそんなに多くない方だと思います(ちなみに2005年のブログ開設以来の累計では、おかげさまで本日現在530万を超えております)。

その数字から考えるに、一千部なら継続的に弊ブログをご覧の方を中心にどうにか売り切ることが出来るのではないかとは思います。しかし一万部を売り切ることが出来るかと言われれば、少々自信がありません。10万部の15万部のと景気の良い数字を弾き出している嫌韓本が続出する中、学術書でもあるまいに、一千部ならどうにかでは箸にも棒にもかからないのでしょう。

そんなこんなを考えると、書籍化のオファーが来ないのはしかたないのかなーと思いながらも、ひっそり書籍化が実現した場合のタイトルを考えたりしておりますw

弊ブログは、一見韓国とは何の関係もなさそうな「月見櫓」というタイトルを使っております。元は日韓チャットで私が用いていたチャットルームの名称で、「火の見櫓」をもじった個人的な造語のつもりだったのですが、実は昔からある言葉だったとはブログを開設してしばらくしてから知りました。

月見櫓とは日本の城に設けられた櫓の名称で、船や将兵の到着を確認するための「着き見櫓」が語源とも、あるいは文字通り月見の宴を催すための櫓とも言われます。いずれにしろ「月見櫓」は戦闘を目的としたものではなく、監視や娯楽のための建造物ということで、期せずして私の韓国ウォッチの姿勢に合致しており、個人的には大変気に入っているブログタイトルではあります。

ただ韓国とはほとんど無関係な名称でもあるために、書籍化する場合、これをメインタイトルにすることは実は考えておりません(サブタイトルとしてなら可)。

今、最有力候補として考えているのは、以前コメントでご提案いただいた「日本絶対悪論」です

韓国が反日であるということは、最近の日本にはかなり広く知れ渡りつつあります。しかしながら、当の韓国自身は、自国はともかく、自分自身が反日であることを認めたがりません。

甚だしくは、韓国の反日は消滅したとか、韓国人は日本に気を使いません(「配慮しない」という意味ではなく、「気にしない」という意味)と言う韓国人も、大変に一般的です。

しかし以前から何度も繰り返し申し上げている通り、韓国の反日は既に空気と同じぐらい韓国に浸透しております。普段、私たちが空気の存在をそれほど意識しないように、韓国人も反日の存在を意識しないようになっているだけなのです。

反日を意識する韓国人とて、その理由や根源は日韓併合とか、せいぜい文禄・慶長の役と思っております。即ち、日本によって韓国(≒朝鮮)が蹂躙されたことが、韓国人の恨(ハン)となっており、それが韓国人の反日の理由になっていると思っています。その恨(ハン)を解くためには、日本が韓国に対して永遠に謝罪し続ける必要があると、韓国人は考えています。

しかし歴史を丹念に読み解けば、日韓併合にせよ文禄・慶長の役にせよ、日本だけが一方的に悪いということはありませんし、仮に日本側に非が多かったとしても、一番近い日韓併合でさえ100年に近い昔の話です。更にその上、日韓基本条約によって日本だけではなく韓国も「両国間の問題は解決済み」ということに合意しているのです。

それなのに韓国人はいまだに日本の非を穿とうとします。それは以前から申し上げている通り、実際に日本に非があるかどうかを問うているのではないのです。韓国人にとって日本は、存在そのものが悪でなければならないからなのです。

何故なら、日本が悪という前提でしか、韓国の善が成立しないからです。いやそんなことはないだろう、何でも善悪でばっさり割り切れるものばかりじゃないなどと言うのは日本人の感覚です。韓国人の感覚では、もし日本を悪ではないと認めれば、悪は韓国になってしまうのです(実際韓国が悪という場合は多いのですが、それは一旦置いといてくださいw)。

ですから、韓国は何があってもどんなことでも日本を悪と見るしかありません。もし日本に善なる部分があるとすれば、それは元は韓国のもので、日本が不当に奪ったのです。もし最初から日本のものであったとしても、それを韓国に無条件で進呈しない時点で、日本が悪いのです。だからそれを盗んでも奪っても、韓国の善は一切揺るぎも傷つきもしないのです。

そういう思考に基づく行為はナチュラルに反日につながりますが、韓国人の主観ではそれは反日ではなく、未開で野蛮で無知な日本人に教えたり躾けたりすることなのです。

こういった韓国人の「日本絶対悪」観を理解すれば、韓国から反日が抜き難いどころか、抜けば韓国人が生きていけないということがよくわかるのではないかと思います。そういう意味も込めて、もし書籍化が実現されれば、韓国人の「日本絶対悪」観についてまとめてみたいと考えております。

もっとも、書籍化が実現されなければ皮算用に終わる話ではありますがw



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月見櫓 韓国 日韓