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韓国人の教条主義

韓国人は一日の内に「ウリ」という言葉を何度口にするでしょうか。彼らが常日頃発する言葉には「イルボン(日本)」という単語もかなり多いと思いますが、おそらく「ウリ」には敵わないでしょう。とにかく彼らにとって何よりも重要なのは「ウリ」であることは間違いありません。

韓国語を習ったことのある方なら韓国語における「ウリ」は一人称複数形、即ち日本語では「私たち」とか「我々」と訳すと教わったはずです。

しかし弊ブログでは常々「ウリ」を「自分自身」と解釈しています。それは日本語で言うところの「私たち」や「我々」と、韓国語で言うところの「ウリ」の概念が全く異なるからです。

日本語における(おそらくその他の多くの言語でも)一人称複数形とは、通常「私」と「私にある程度の関連性を持つ人々」という意味で用いるものです。どんなに「私」と「私にある程度の関連性を持つ人々」が密接であっても、「私」と「私とある程度の関連性を持つ人々」とは明確に別人格であることを前提としているはずです。

ところが韓国語における「ウリ」では、「私」と「私にある程度の関連性を持つ人々」という区別は最初からありません。「ウリ」と称すればその対象は全て、「私」も「私とある程度の関連性を持つ人々」も、一律にひとつの「ウリ」なのです。

ここで日本人には理解が難しくなるのは、【一律に「ウリ」】であっても、【平等に「ウリ」】ではないという点でしょう。

韓国人の唱える「ウリ」には上位の「ウリ」と下位の「ウリ」というヒエラルキーが必ず存在します。

「ウリ」の対象が自分以外に誰も居なければ、自動的に自分だけが最上位の「ウリ」です。しかし「自分以外に誰も居ない」というのは、自動的に最下位の「ウリ」ということでもありますし、更に言えば「自分一人」の「ウリ」よりも大きな「ウリ」に属さない存在、即ち「ナム」ということにもなってしまいますので、彼らは一人で居ることが出来ません。従って彼らは自分が「ウリ」そのものになることよりも、より大きく強く正しい(と彼らが思う)「ウリ」に属することを選びます。

「ウリ」という存在内で韓国人が上下を決めるには、様々な要素があります。一番分かり易いのは年齢でしょう。今はかなりゆるくなってきたと仄聞しますが、それでも韓国では一年どころか一日でも年長の方がエライとされています。ですから彼らは初対面の相手にいきなり年齢を訊ねることを躊躇しません。韓国ではそれが普通なのです。どちらがより上位であるかを定めるために、韓国人にとって年齢を確認することはとても重要なことなのです。年齢以外には性別や学歴、職種や職位、収入なども重要な判断基準になります。更に身長や住所も動員されます。容姿ももちろん大切です。

そういった諸々の「要素」を互いに吟味採点し、どちらがより上位であるかを暗黙の内に定めるのが、韓国人の初対面時の通過儀礼のようなものなのです。

同じ「ウリ」なのに、上位と下位の区別をつけるのはどういうことなのか、しっくり来ないという方もいるでしょう。

簡単に言えば、「ウリ」を一人の人間でイメージすればわかりやすいでしょう。上位の「ウリ」とは首から上のことであり、次が胴体、下位の「ウリ」が手足です(この考え方は、確か北朝鮮の主体思想にもあったように思いますが、詳しくは確認しておりません)。病気や大怪我をした場合、治療や救命のために内臓の一部や手足を切断することはあり得ても、頭部を切断することなど絶対にないように、同じ「ウリ」と称していても、重要度が高い「ウリ」とそれほどでもない「ウリ」に分けられるイメージは薄っすらご理解いただけるのではないでしょうか。

そこで彼らは、より上位の「ウリ」に位置することを切望します。そのためには、彼らが初対面の際、相手を様々な要素で吟味採点するように、個人としての自分も様々な要素において高い評価を得なくてはならないと考えます。

そこで彼らが求めるのが、既に成立している「正解」なのではないでしょうか。

答えの定まっていないことは、採点出来ません。既にある「正解」にぴったり合うものでなければ、「正解」かどうかは彼らには判断出来ないのです。たとえ個人的にはそれが「正解」だと思っても、より上位の「ウリ」にそれを否定されれば、それを覆すことは、韓国人には不可能なのです。

韓国人がこれまで行なってきたような、既に存在する答えを闇雲に丸暗記するような学習方法でも、全くの無意味とは言えません。それだけでも、かなりのレベルの知識や技術を習得することは十分可能です。実際、韓国はそれで発展してきたとも言えます。しかしそれだけでは「既に在る答えの、更にその先」を追求することは困難なのです。

これは毎年恒例の韓国ノーベル症に限った話ではありません。昨今次々と破綻が露呈している韓国経済についても、それ以外の韓国のあらゆる問題点においても、根は同じなのです。

それについて昨今色々自己批判のようなものをしている韓国言論の社説やコラムもしばしば見かけますが、それらも必ず何かが足りません。筆者が「教科書に載っているような」お説教を唱えて、それだけで満足しているように見えます。

既に何処かにある誰かが用意した「正解」を探すのではなく、現状よりも「より良くすることやより正しいやり方」を模索することが、「既に在る答えの、更にその先」を見つけることになるのではないかと思うのですが、不都合な現実を直視することが出来ず、また「上位のウリ」が唱える「正解」に無条件で従うしかない韓国人には、そういう考え方は不可能なのかもしれません。


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日本で韓国人が暴行に遭う?

韓国の三大言論紙のひとつである中央日報で、大阪を訪れた韓国人が暴行に遭う事件が相次いでいる、という報道がありました。

それが事実かどうかは、情報が不十分なので私には判断出来ません。ですが今後も同じような事件が報道されるであろうことは容易に予想出来ます

韓国人にとって日本は絶対悪であるという大前提があるのは、これまでに何度も述べて参りました。憎むべき日本に喜んで訪れるということは、韓国人にとっては極めて不道徳な行為になります。そこで彼らは、日本を貶めることによってその贖罪を目論むのです。

彼らにとって日本は貶められるのが当然の存在です。従って貶める理由が虚偽や事実と異なることであっても何の問題もありません。彼らにとって日本を貶める理由など、本来は無くても全く問題ないのですから、それがたとえ虚偽や事実でないことであっても、理由を設けているだけで大いに日本に配慮しているつもりなのです。

韓国人に普遍的に存在する「日本を評価してはいけない」、「日本を認めてはいけない」という意識と、「日本のあらゆるものが魅力的に見える」という抑え難い衝動との葛藤、日本を忌み且つ恐れる気持ち、また日本において彼らが意識的無意識的に行なう傍若無人な振る舞い、被害者こそが優位者という韓国人特有の歪んだ思考が、「日本で日本人に韓国人が襲われる」というイメージを醸成しているのではないでしょうか。

それでも彼らは、日本を訪れようとするに違いありません。日韓併合当時、「日本では朝鮮人は差別される」「虐待される」と言われ、また朝鮮人自身もそう信じており、更に日本への入国が規制されていても、朝鮮人の日本への密入国が引きも切らなかったように。

私は通りすがりの韓国人旅行客だけを狙って理由もなく突然暴行する日本人が存在とは全く思っていません。何しろ、黙っていればその旅行客が日本人なのか台湾人なのか中国人なのか韓国人なのかを見分けることは、日本人には極めて困難だからです。

経験上、ある程度見慣れれば、行動や群れ具合でなんとなく日本人か中国人か韓国人かぐらいは薄っすら見当が付かなくもありませんが、確信を持つにはやはり彼らの言葉を聞かなければわかりません(従って私は台湾人香港人中国人の区別は、言葉を聞いても全く出来ません)。

ただ通りすがりの韓国人旅行客相手ではなく、またどちらかにそれなりの理由があれば、日本人と韓国人の間で暴力沙汰が起き得ることはあると思います。

日本では数十年前から、日本人と朝鮮学校生との間ではしばしば暴力沙汰が起きていました。朝鮮学校生が通りすがりの学生を捕まえて名前を問い、相手が日本名を答えれば問答無用で集団リンチを行ない、朝鮮名であれば見逃すという話はつとに有名です。「日本で韓国人が暴行に遭う」と韓国人が信じたがるのは、その裏返しとも考えられます。

何にせよ、日本を絶対悪と考える韓国人が日本を訪れるということは、彼らにとっては非道徳行為です。その埋め合わせをするために、彼らが無意識の内に日本を貶めなければと考えるのは、自然な成り行きでしょう。

「日本に好意を抱いて訪れたのに、理由もなく暴行された韓国人」と言えば、世界中からその韓国人に無条件の同情が集まるでしょうし、日本に対しては無条件の非難が集中するに決っています。韓国人にとって「絶対悪」である日本に旅行するという「非道徳的行為」も、「日本人に暴行された被害者」になればきれいに帳消しです。胸を張って「日本に旅行した」と言えて更に同胞の同情も買えるのですから、一石二鳥というものでしょう。こういう、一見狡知な手口は韓国人が極めて好むところでもあります。

今後これを理由に、日本を訪れる韓国人が激減するのであれば、この事件が事実であろうとなかろうとむしろ奇貨とするべきかもしれません。しかしおそらく、この手の事件が韓国(だけw)で多数報告されるようになっても、日本を訪れようとする韓国人が減ることは全くないでしょう。

何故なら彼らは知っているのです。日本人が意味も理由もなく暴力を振るう人々ではないということを。しかし同時に彼らは信じてもいます。日本人が意味も理由もなく暴力を振るう人々だと。

日本に対しこういった相矛盾する意識を抱いている人々が日本に多く訪れるということは、日本の国益に照らしてどうでしょうか。

外交用語で「ペルソナ・ノン・グラータ」という言葉があります。ラテン語で「厭わしい人物」「好ましからざる人物」を意味する(by Wikipedia)のですが、日本にとっての韓国は国家ぐるみで「ノン・グラータ」であることは、最早明らかです。

「日本に来れば意味も理由もなく暴行される」と韓国人が信じるのであれば、日本は韓国を「ノン・グラータ」として謝絶するのが、双方にとって利益になります。

少なくとも日本は、「誤解を解く(あるいはお詫び)のために、韓国人に今まで以上により一層親切にするべき」などという方向に走ってはいけません。そうすれば、韓国人はより一層日本の悪行(それが事実であろうとなかろうと)を言い募り、日本の自分たちに対する更なる厚遇を求めるようになるでしょう。

それは日韓双方の憎悪を増幅させる以外の、何の効能も持たない愚策だと私は断言します。


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再開

突然の更新停止で、読者の皆様には大変ご心配をおかけいたしました。このブログを辞める気は、今もありません。しかし何か書こうと思っても何を書けば良いのか思いつかなくなってしまったのです。

韓国について、時事ネタならそれなりにないこともないのですが、その根底にあるものはいつも同じです。導き出す結論も必然的に同じになります。「同じことを何度も書く」というフレーズも、最早何度書いているかわからないぐらいです。

これが楽しいことや興味深いことであればモチベーションも維持されるのでしょうけれど、韓国についてはうんざりすることやげんなりすることばかりなのです。

韓国についての理解が今より全然周知されていなかった頃であれば、弊ブログで発信する内容に関して肯定的であれ否定的であれ、多くの反応があったわけですが、韓国に対する理解がある程度広まった昨今では、肯定的否定的いずれにしても「なんかもう良いや」的な反応が多くなってきて、このブログで情報発信する意義というのは本当にあるのだろうかとも思うようになりました。

前回記事でその手の泣き言を申し上げたところ、「こうしてはどうか」「ああしてはどうか」という色々ご提案もいただきましたが、とにかく「真っ白なメモ帳を開いて文章を考える」ということに大きなストレスを感じて、ネットにつなぐことさえ間遠になっておりました。

しかしこのままフェイドアウトしてしまって良いのかという自問も、常に脳裏にありました。

ブログを中断していた間、積極的に韓国関連の情報に触れるということは一切しませんでした。ですから韓国が今現在どんな状態なのかは、正直全く知りません。

三星のスマホやタブレット(だっけ?)が爆発するという話は、意図的に韓国関連の情報に触れないようにしていても目に付きましたし、日本人がまたノーベル賞を取ったという報道を聞いて、「ああ、多分韓国またファビョってんだろうなあ」とは思いましたが、それ以上の感慨は特に浮かびませんでした。

その間、実に精神的には快適でした。韓国を意識から排除することが快適なのは知っていましたが、それでも何度でも言いたくなるぐらい快適でした。同時に、この快適さは現実から目を逸らしているだけということも、心のどこかでいつも思っていました。

まことに、韓国考察を行なうということはこの葛藤との戦いでもあります。

韓国を意識から排除すれば精神衛生上すこぶる良いのですが、意識から排除しても韓国が実際に消滅するわけではないということまで失念することは出来ません。

見れば嫌悪を催すものがあっても、それを避ければ「自分だけは」嫌悪を感じずにいることが出来ます。しかし周囲までもがそうとは限りません。韓国を知っていれば避けようもありますが、知らなければ避けられません。何しろあちらの方から近付いて来るのです。

知れば嫌悪を催し、知らなければ被害を避けられない。誠に日本にとって韓国という存在は災厄とか呪いと呼ぶに相応しい存在です。

これまでは「ホントに日本にとって韓国は厄介な存在である」という結論で終わってきましたが、そこで留まっていれば、やがて日本人は疲れ果て、韓国から目を逸らすだけになってしまうということを、今回私自身痛いほど知ることになりました。

「韓国を知る人」が韓国から目を逸らすようになれば、「韓国を知らない人」が韓国の好餌となるのは必然です。「韓国を知らない人」が韓国に触れれば、もちろん中には韓国の真実に気付く人もいるでしょうけれど、それ以上に韓国に汚染されてしまう人が出てくるでしょう。

「韓国を知る人」が韓国から目を逸らすことは、いわば間接的に韓国の日本侵害に加担することとも言えます。

少し前に、「大阪の寿司屋で外国人に提供する寿司だけにワサビを大量に入れ、それを食べて苦しむ様子を見て店員が嘲笑していた」というニュースがありました。あの「外国人」が「韓国人」であるということを知り、韓国人がどういう連中かということを知っていれば、寿司屋の方ももう少し上手く対応出来たのではないかと思いました。

日本人には理解が難しいのですが、韓国人は一般的に「カラさに強い方が上」という意識があります。加えて韓国でも日本の寿司は一般的になっており、当然ワサビもあることはあるのですが、日本のワサビと比べると韓国のワサビは色ばかり鮮やか(ほとんど絵の具と見紛うほど)で、味も香りも大きく劣ります。

日本に旅行で訪れた韓国人が寿司にワサビの増量を求めるのは、薬味としてのカラさではなく、韓国料理的な、料理全体をカラさで覆ってしまうような刺激をイメージしていることと、日本のワサビと韓国のワサビの違いを知らないという二点が大きな原因になったのでしょう。

加えて韓国の料理屋では、日本人にカラいものを食べさせ、日本人がそのカラさに目を白黒させるのを見て店員が嘲笑するということは、実は極めて普通にあります。即ち、今回の寿司屋の件は、韓国人が自分たちのやってることを日本に投影したものでもあると言えます。

韓国人がそういう習性と思考を持った生き物であるということを知っていれば、問題となった大阪の寿司屋ももう少し違った対応が出来たのではないかと思うと、「韓国を知らない」とこういうことになるんだなあと思いました。

ですので、無断で長らく更新を停止しておりましたが、「韓国を知る者」の一人として、韓国関連の情報を発信し続けることはやはり必要だと思い、再び更新を再開しようと思います。

ただ、今もやはり「真っ白なメモ帳」を開くとかなり精神的に来るので、これまでのように3日置き(と言っても、これまでも3日置きをしばしばぶっちぎってましたがw)に出来る自信は今のところ全くありません。

ですので、当面は間隔が開くかもしれませんが、読者の皆様におかれましては、どうか弊ブログを見放さず長い目で見守っていただければ、幸甚これに尽きるものはございません。

というわけで、次回更新も出来るだけそんなに先にならないようにしたいと思います。「何月何日」とはっきりはお約束出来ませんが、どうぞ気長にお待ちいただければと願う次第です。


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愚痴、あるいは言い訳

何を書いたら良いのかとんと見当が付かない時があります。

このブログのテーマは「韓国」、ただそれだけです。「韓国」についてであれば、何を書こうが私の自由です。誰からも指図は受けていません。にも関わらず何を書いたものやら、全く構想がわかないのです。

書きたいことは既に書き尽くした、ということは大いにあります。書き尽くしてから更に何周回したかわからないぐらいです。最早韓国について何か思うことがあるとすればそれはただひとつ。「早く滅べば良いのに」だけです。

「嫌韓」を名乗ってはいますが、正直なところ韓国に対しては「嫌い」という感情さえ希薄になりつつあります。韓国を意識すること自体がもう厭なのです。

巷には今でも呑気に韓国を持ち上げる人がいます。日本人のはずなのに韓国人と紛うような人も珍しくありません。少なくなったとは言え、韓国関連のニュースも毎日ちらほら程度には見かけます。

そういうのを見かけるたびに、腹の底がチリチリするような心持ちになります。その気持ちを何と呼べば良いのかよくわかりませんが、苛立たしさとかもどかしさに近いと言えば近くはあります。日本政府や日本人の韓国に対するヌルさにも、それと似た思いを抱きます。

わかってはいます。日本と韓国の間には「大人の事情」というやつがゴロゴロしていて、嫌韓が望むようなスッキリした関係の清算など、そう簡単に出来ないということは。

「韓国人」という文字に対してはありったけの嫌悪を向けられますが、実際に知っている韓国人のことを思うと、自分の持つ「韓国人」に対する嫌悪に罪悪感を抱きます。

私に限らず、そういう日本人は少なくないでしょう。「韓国人」全体に対する嫌悪と、自分が個人的に知っている韓国人への親しみにどうやって折り合いをつけ、どこに着地点を見い出せば良いのでしょうか。

日韓問題とは、そこが真の問題点なのかもしれません。事務的に片付けるべきことにも、常に両国の「感情」が作用しています。その「感情」が互いに共鳴して良い方向に作用するのなら良いのですが、日本と韓国の場合はどうしても悪い方向に傾きます。

その責めは日本人から見れば韓国にありますが、韓国人に言わせれば日本のせいなのです。

日本人的には、どんなに自虐的に考えても韓国人のせいだとしか思えないように、韓国人も日本人のせいだと固く揺るぎなく信じていることでしょう。

互いに「相手が悪い」と思っているのに、ただ「近い」という理由だけで日本と韓国は離れようとしません。

馬鹿じゃなかろうかとかなり本気で思います。韓国に対してよりも、日本に対してそう思います。

韓国は日本が生命線ですから、何があってもどんなに憎くても、日本にしがみつくのは当然です。しかし日本はそうじゃありません。韓国がなくなっても、一時は多少混乱するでしょうけれど、韓国が日本との関係を失うのと比べれば何の影響もないと言っても良いぐらいです。

それなのに日本は、韓国人の「情」とやらにころころホダされて、何度も何度も騙され裏切られ煮え湯を飲まされています。

「お人好し」で済む時期は100年前に過ぎているのに、日本はいまだに「お人好し」を続けています。「馬鹿」以外に何と言えば良いのか、言葉を思いつきません。

同時に何故日本がそうしてしまうのかも、悲しいことにわかってしまうのです。日本に対して思った「馬鹿」という言葉が、自分にも向かってくるのです。

そんなこんなを考えている内に、思考は飽和します。書きたいことは書き尽くしました。言うべきことも言い尽くしたつもりです。その上で、それらが実行出来ない理由も、わからないではありません。ではどうすれば良いのでしょうか?何を言えば良いのでしょうか?

PCのメモ帳を開き、キーボードに手を乗せたまま、無為な時間が過ぎていく日が続いています。


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韓流ピグマリオン効果

ちょっと前のことですが、私がネタ探しに愛読している中央日報に、「【コラム】ピグマリオンとヘル朝鮮」という記事が載りました。

ピグマリオン効果とは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上することである。別名、教師期待効果(きょうしきたいこうか)、ローゼンタール効果(ローゼンタールこうか)などとも呼ばれている(by Wikipedia)とされます。

要は、人は誰かに期待されるとより良い成果を出せる傾向があるということです。という前知識を持って、中央日報のコラムを読むと、強い違和感を覚えます。

当該コラムでは、「ピグマリオン効果」を「前向きな期待や関心が良い影響を及ぼす現象」だと述べます。その上で、「 「万年ナンバー2」という悲しみに「国内向け選手」とまで言われたオ・ヘリ(中略)はピグマリオンという6文字を握りしめて「きっとうまくいく」と絶えず自己暗示をかけて自らを奮い立たせ、夢を実現させた」と語ります。

もしかすると当該コラム筆者は、「ピグマリオン」という言葉を「ピグマリオン効果」という意味ではなく、「肯定的に考え続ければ良い成果を出せるかもしれない」という意味で使った、と言うかもしれません。

しかし一般的に「ピグマリオン」と言えば「ピグマリオン効果」、でなければ「ピグマリオンコンプレックス」を意味します。後者は、男性が恋愛対象とするべき生身の女性に対する複合意識のことですから、「肯定的に考え続ければ良い結果を出せるかもしれない」という意味にはまずつながりません。

なので当該コラムの筆者が「ピグマリオン」を、「ピグマリオン効果」を意識して用いたのは、まず間違いないと思います。

ですが「ピグマリオン効果」とは本来「他者から期待をかけられた者は成果を出せる傾向がある」という教育心理学用語です。自分で自分に期待を掛け続けることが成果につながるという意味ではありません。

ならば当該コラムの筆者は、この用語を誤って理解し用いたのでしょうか。

もちろん、その可能性は大いにあります。韓国人は何処かで聞きかじった、権威あると思われる言葉を用いたがる傾向がものすごく強いというのは、日韓チャットでも非常にしばしば見られた現象でした。

大抵の場合、彼らはその言葉の意味を正しく理解せずに使います。自分がその言葉に恐れいったように、相手がその言葉に恐れいることを期待するのです。

韓国言論を見ていると、そのパターンに当てはまるものは珍しくありません。まさにコケオドシとでも言いましょうか、彼らは頻繁に小難しそうな言葉を使いたがります。

当該コラムにおける「ピグマリオン」もそうです。「物事は肯定的に考えた方が上手くいくようになる」と言いたいのであれば普通に「肯定的思考」、あるいは「ポジティブシンキング」と言えば良いのです。当該コラムでは「ピグマリオン」よりもそちらの語彙を使った方が明らかに意味がわかりやすいでしょう。

それなのに当該コラム筆者があえて「ピグマリオン」という言葉を用いたのは、韓国人によくあるコケオドシのためかもしれません。

ですが、もうひとつの可能性も考えられます。

当該コラム筆者は「ピグマリオン」という言葉を「ピグマリオン効果」と同じ意味で用い、且つその意味を正しく理解している可能性です。但し、その意味の正しさは韓国人にしか通じませんが。

どういうことかと言いますと、毎度毎度の「ウリ・ナム」思想です。「ウリ・ナム」思想における「ナム」とは、「他者」を意味します。但しこの「他者」は、日本人が考える「他者」と同じではありません。

日本人が考える「他者」は、明確にその存在を意識されます。日本人なら誰もが持つ「他人に迷惑を掛けてはいけない」という意識が、その現れです。

対する韓国人の「ナム」は、その存在を意識されません。ですから彼らは「ナムに迷惑をかけてはいけない」などとは微塵も考えません。「ナムに迷惑をかける」というイメージさえ持たないでしょう。居ないものは意識出来ないからです。彼らにとって「ナム」とは「存在しない存在」なのです。

ですから彼らにとって「ナムから期待される」という考えはあり得ません。「存在しない存在」からの期待など、感知出来ないからです。彼らに期待するのは常に必ず間違いなく「ウリ」であり、それ以外にはありません。

その「ウリ」は、以前から弊ブログで主張している通り「自分自身」のことです。但し「自分自身」の主体が必ず「自分自身」であるとは限りませんが(この辺りの機微は、詳しく説明し始めると話が果てしなく逸れていくので割愛します)。日本人から見れば「他者」に当たる者であっても、韓国人の感覚では「ウリ=自分自身」なのです。

さてそこで「ピグマリオン効果」です。

繰り返しになりますが、「ピグマリオン効果」とは冒頭述べた通り「教師の期待によって学習者の成績が向上すること」です。

日本人の感覚では、「教師」は「学習者」にとって明らかに「他者」になります。即ちピグマリオン効果とは、主観的に言えば「他者に期待されることによって自分の成績が向上すること」と言えます。

では「自分・他者」を韓国人の「ウリ・ナム」に置き換えて「ナムに期待されることによってウリの成績が向上する」と言うことが出来るでしょうか。答えは当然否です。「ナム」という存在しない存在にどれほど期待されても、「ウリ」はそれを感知することが出来ないからです。

従って韓国人にとって「ウリ」に期待をかけるのは常に「ウリ」しかあり得ません。

ここまで書けばもうお分かりでしょう。韓国人にとっての「ピグマリオン効果」とは、「ウリがウリに期待をかけることによって、ウリの成績が向上する」ということになる可能性があるのです。もしそうであれば、当該コラムの筆者の「ピグマリオン効果」に対する理解は、必ずしも間違っているとは言えません。

ただ、そんな「韓流ピグマリオン効果」が、本当に効果を発揮するのかどうかには甚だ疑問を感じざるを得ませんが。


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