韓国は不要
翻って韓国はと言えば、今年の頭ぐらいまでは現実から目を逸らして、日本など無くてもケンチャナヨと吹いていたようですが、それもそろそろ限界に達しつつあるようです。
以前から繰り返し申し上げていることですが、日本という国は韓国にとって複合意識を強く刺激される存在のようです。日本を憎むと同時に灼けつくような憧れを抱き、見下すと同時に見習わねばならず、いなくなれば良いのにと願いつつ、その存在に依存せざるを得ないのです。
その複合意識を合理化するために、彼らは日本に向けてのみならず、自分自身に向けても嘘をつきます。
これまで日本は、韓国の嘘に騙されたり、あるいはそれが嘘とわかっていても絆されたりしてきました。それが日韓友好のためだと信じていたのでしょう。
この「日韓友好」がクセモノで、今でも日韓の間柄が悪いよりは良い方が良いんじゃないの?と思っている日本人はきっと多いと思います。日本が誠意を尽くせば、いくら韓国が反日だと言っても、いつかはわかってくれるようになるんじゃないの?と思っている日本人も、絶対に多いと思います。
しかし、韓国を知る者ならば、それが絶対に叶わぬ願いということを知っています。何故なら、彼らは日本が自分たちに誠意を尽くすことを、当然だと思っているからです。
彼らの考えでは、韓国人は世界一優秀で尊敬されるべき存在です。と韓国人に言えば、シニカルに笑ってそれを否定する韓国人は珍しくありませんが、そう言う当人が、自分は世界一優秀で尊敬されるべきだと思っていたりします。
日本は、韓国人から見れば卑怯で矮小で狭量に見えます。日本人が世界で評価されるのも、もとはと言えば韓国人が文化を教えてやったおかげと韓国人は考えています。もしウリが日本に文化を伝えてやらなければ、日本人は今でも未開の蛮族だと、韓国人はかなり本気で思っています。
それなのに日本人は、「自画自賛症候群」に陥り自惚れ、韓国に感謝しようとさえしません。そう言えばかつての日本の蛮行についても、日本人はちっとも謝りません。それどころか、もう何度も謝ったとか、酷い場合は謝るようなことは何一つしていないと居直る日本人までいます。
そういう日本人に身の程を知らせ、常に永遠に韓国人を崇め奉るようにするのが韓国人にとって疑う余地のない絶対の正義なのです。
ですから、日本が韓国のわがままや無理難題を聞くのは当然です。それどころか、日本側は韓国側がわがままや無理難題を言い出すより前に察して行動するべきだと思っていても、不思議はありません。
そういう彼らが、どれほど日本から好意や誠意を受けても、それを感謝したり評価したりなどするでしょうか。
彼らにどんなに好意や誠意を尽くしたとしても、それは底無し沼に投げ棄てているのと同じことです。いや、まだ底無し沼に投げ棄てる方がマシかも知れません。底無し沼に好意や誠意を投げ棄てるのをやめても文句を言うことはありませんが、日本からの好意や誠意がなくなれば、韓国は轟くばかりに不平不満を鳴らすのですから。
そんな相手と、「良い関係」など最初から築けるはずがありません。むしろそんな相手とは、出来るだけ疎遠な関係である方が、少なくともこちらの精神衛生上は良いとさえ言えます。
ですので、日本側としては日韓関係が悪化することによる損害は目立ってありませんし、良い影響さえ感じられるほどですが、韓国側には深刻な悪影響があります。
ここにきて、ようやく韓国も日韓関係の悪化による深刻なダメージを実感し、認めざるを得なくなってきたようですが、それでもまだ彼らは「日本にとって韓国は必要不可欠な存在ではない」ということを認めようとはしません。
ですから彼らは、いまだに「日韓関係の改善が日韓両国の利益になる」と言いますし、そう信じています。
彼らが抱くその幻想を実現してやる義理は、かつての日本にはもしかするとあったのかもしれませんが、現在の日本にはもうありません。
そろそろ日本は、韓国に向けてはっきりと「日本にとって韓国は、不要であり無用であり無駄で邪魔な存在である」というメッセージを発信してやる方が、彼らの勘違いを修正するまでは出来ずとも、日本に対する彼らのおためごかしに振り回されずに済むようになるのではないかと考える次第です。
知らなければ利用されるだけ
これを聞いた韓国人は、喜んだと言うよりは、普通に納得したでしょう。日本人は韓国を好きであるべきというのが、一般的な韓国人の意識だからです。
今でこそ、日本の嫌韓気運の高まりは韓国でもそれなりに知られておりますが、十年一昔前は全く違いました。日韓チャットで日本人が韓国なんか嫌いだと言うと、たいていの韓国人は酷く驚き、理解出来ないと言ったものです。
日韓チャットに来るような韓国人は、たいてい日本好きでした。日本人に嫌がらせをするために来ていた韓国人もいましたが、それもまた、日本が好きだからという部分がありました。韓国人であるウリは日本のことが好きなのに、日本人が韓国を嫌うなどということは、あり得ないと言うよりも「許せない」という感じでした。
「日本は韓国に悪いことをした。だから日本は悪い国であり、日本人は悪い人々である。だが、日本の文化は好ましく感じられる。ウリナラに悪いことをした日本の文化をウリが好ましく感じてやっているのだから、日本人はウリに感謝するのが当然で、嫌うわけがない」というのが、彼らが「日本人は韓国好きで当然」と考える根拠だったでしょうか。
今でこそ韓国関連情報はずいぶん広まりつつありますが、それでも正確に韓国について語れる日本人は、そんなに多くないでしょう。日本人にとって「知らない国は好きな国」ですから、「韓国を知らない≒韓国好き」と定義するならば、今でも日本人の半数以上は韓国好きと言えるかもしれません。
しかし「韓国を知らない」層を「韓国好き」にカウントしても、90%以上の住民が韓国好きと言い得る地域は、現在の日本国内に存在するかどうか疑問です。東京なら新大久保、大阪なら生野区辺りならあるいはと思ったりもしたのですが、逆にそういうところに住む日本人ほど、韓国のことを知らざるを得ないが故に嫌韓である可能性も大いにあります。
実際、新大久保周辺において行動する保守団体による嫌韓デモが行なわれるようになった頃、現在「ヘイトスピーチ」として問題視されるようになったシュプレヒコールが行なわれておりましたが、その辺りに昔から住む日本人は、何も知らない人が聞けば眉を顰めるようなそのシュプレヒコールに、明らかに共感していた人も多かったと言います。
そう考えれば、日本国内で韓国人がほぼ訪れない、住んでいないような、しかも人数が極端に少ない(50人に満たないぐらいの)地域でアンケートを取れば「韓国を知らない」人を含んで90%以上が韓国好きとカウントし得る地域はあり得ると思わないでもありませんが、東京のように人口が多く、また日本で最も韓国人が集まる地域では、90%の人々が韓国好きと言い得るとは絶対に考えられません。
もちろん、「韓国好き=韓国を知らない人」とは限りません。韓国をよく知ると自負するが故に韓国好きを自負する日本人もいるでしょう。ただ、「韓国を知っている」と自負する人が本当に韓国を知っているかどうかには甚だ疑問があります。
例えば、かつての韓流ブームで韓流捏風に吹かれた人は、韓国を知っていると自負する人が多かったでしょう。しかしそういう人たちが知っている韓国とは、韓国人が知らせたいと思っているような韓国であることがほとんどでした。
かねがね私は、「韓国人は韓国を知らない」と言っておりますように、日韓チャットで韓国人と話をすると、彼らが知っている韓国と、私たちが知っている韓国に齟齬が生じることが少なくありませんでしたし、その場合、私たちが知る韓国の方が現実的な韓国であった例が非常によくありました。
韓流ブームは韓国人が中心になって仕掛けた大規模対日工作とも言えますが、韓国人が仕掛けたがゆえに、韓国人が知っており、且つ知らせたいと思うような情報しか発信されませんでした。それが韓流捏風に吹かれた人々の情報源であったのですから、その人たちが正確で現実的な韓国を知り得るはずがありません。
呆韓論、悪韓論の室谷克実氏の最新著、「ディス・イズ・コリア」は、副題が「韓国船沈没考」となっており、今年4月に起きたセウォル号事故を軸に、「これが韓国だ」ということを解説しておられますが、それほどかのセウォル号沈没事故は韓国という国、韓国人という人々を正確に表現したものでした。
あの事故の詳細を知れば、それこそ90%以上の日本人が否定的あるいは批判的な感想を抱くでしょう。それが即ち、韓国や韓国人を正確に知った日本人の韓国に対する評価になるはずです。
しかしあの事故について詳しく知らない日本人が、「韓国で旅客船が事故で沈んで高校生がたくさん亡くなったんだって」とだけ聞けば、当然韓国人に対して同情的な意識を持つでしょうし、更に韓国人があの事故で映画化しようとしているような、事実かどうかも定かでない美談エピソードだけをピックアップして聞かされれば、大抵の人が韓国人に好意的な感情を抱くでしょう。
韓流捏風に吹かれて「韓国を知っている」と自負するような人は、韓国についてそういう「知り方」をしていることを自覚しないまま「韓国を知っている」と思い込んでいる場合が多いのです。それを本当の意味で「韓国を知っている」と言えるかどうかは、セウォル号事故の美談エピソードしか知らずにセウォル号事故を知っていると言えるかどうかを考えてみれば自ずから答えは出るでしょう。
今、全体的な日本人の対韓意識は否定的なものに傾きつつあります。それは、韓国に関する詳細な情報がネットを中心に広まった結果です。親韓・擁韓な日本人と韓国人はそれに危機感を抱き、どうにか歯止めを掛けようと、「カウンター」と称する工作活動を展開しておりますが、それに伴う行動が極めて韓国的であるがゆえに、逆効果になっている部分も少なからずあるように私には見えます。
それをまた、中立を気取った親韓・擁韓日本人がしたり顔で「どっちもどっち」などと言って日本の嫌韓気運との相殺を企てておりますが、その工作に引っ掛かる日本人は、もうそんなに多くないでしょう。
パンドラの箱ではありませんが、今や韓国についての諸情報、諸知識は既に世に放たれました。慌てて閉じた箱の中に、あるいは「希望」と呼べるものが残っているかもしれませんが、それが既に世に放たれた韓国情報を中和したり好転させ得る力を持つとは思えません。日本における嫌韓は、もはや単なるムーブメントではなく、国民的な認識として固定されつつあると考えるのが妥当です。
実際の好き嫌いがどうであれ、韓国を知らないということはそれだけで日本毀損を望む韓国に利用される危険性を孕んでいるということが、今回の「都民の90%以上は韓国好き」という舛添東京都知事の発言からも明らかになりました。
韓国人の吐き散らかす嘘のために何が真実かわからなくなってしまったセウォル号事故のように、韓国について正確に知るということはなかなか難儀なことではありますが、それでも日本人は韓国を正確に知る努力、というほど一所懸命ではなくても、そういう意識を薄っすらとでも良いので常に持っておくことは大切だと考える次第です。
韓国人に期待する愚
朴槿惠韓国大統領は例によって「レキシニンシキガー」と繰り返していたようですが、それに対して菅官房長官が「いつものことじゃん?」と応じていたのは爽快でした。全ての日本人が、菅官房長官のように韓国の言動にいちいち揺るがされないようになればと願います。
しかしながら現実には、まだまだ韓国人の言うことにいちいち動揺する日本人が少なくありません。また韓国人と関わりがあればあるほどそういう傾向がありますが、日本人は何故か韓国人に期待してしまうことがよくあります。
さすがに、全ての韓国人に期待するほど底が抜けた阿呆は多くないでしょうけれど、一部の韓国人相手であれば、その割合は一気に跳ね上がります。
私も身に覚えがありますから、その理由がわからないではありません。韓国人でも普通に、少なくとも日本人と同じぐらいに話が通じる個体は、一定の割合で存在するからです。
韓国人との関わりが深ければ深いほど、「話の通じる個体」と遭遇する確率も高くなります。あるいは、まだ若くて柔軟な思考の個体に感化を及ぼす機会もある日本人も、いるかもしれません。そういう個体が少しずつでも増えていけば、韓国も変わっていくのではないだろうかと期待してしまう気持ちはよくわかります。
何しろ、韓国は韓国人にとっても生き難い国なのです。だからと言って韓国を出た韓国人が、出た先で幸せになれるかと言えば、決してそうではありません。むしろそこに小さな韓国を作り出してしまうことの方が、断然に多いのです。
韓国という国、韓国人の作る社会が、必ずしも韓国人にとって安楽な社会でないということが、韓国と関わりがある人には痛いほどわかってしまいます。だからこそ、少しでも彼らが楽になれることを願って、あれこれと働きかけ、期待してしまう日本人がいるのでしょう。
しかしどんなに親身になって彼らを指導し、あるいは教化しても、それが彼らに根付き、広まることはありません。時間をかければ、韓国人もいつかは人がましくなるかもしれません。しかしそれは、ヒト以外の霊長類の中から、ヒトに並ぶ進化を遂げる種が出現することを期待するのと同じです。
そういうことが起こり得ないとは断言出来ませんが、たとえそういうことが起きるとしても、ヒト一人の一生の間に明確な変化を感じ取ることは出来ないほどの速度で進むことでしょう。
彼らが自ら不幸な環境を作り出し、結果として不幸になるのを見ているのは楽しいものではありません。自分の得になるわけでもないのに、こうすれば良いのに、ああすれば少しはマシになるのにと思ってしまうのも、日本人なら自然な感情です。
それはセウォル号事故をほぼリアルタイムで見た方には、実感としてお分かりいただけるはずです。別に自分が損をしたわけでもなく、得をするわけでもないのに、こうすればあんな事故は起き得なかった、ああすればもっと救えた生命があったはずだと、セウォル号事故を見ていた者なら誰でも思ったでしょう。
しかし彼らはそうしなかったし、その後あの惨事が教訓として生かされている気配もありません。それは結局、彼らの種としての能力の限界を示すものだということを、私たちは痛切に知るべきなのです。
それでも、彼らは面と向かっていればそれなりのことを言い、教えれば飲み込みも決して悪くありません。黒い髪黒い瞳黄色い肌と、見た目が他の外国人と比較すれば日本人に似ているのも、わずか36年とは言え、日本統治の歴史があるために、日本的な道徳観を是とすることがあるのも、日本人にとっては災いします。
韓国人を概念的に知るだけであれば、彼らが決して日本人とは相容れない生き物であることを理解出来ても、話し合う機会があれば、期待してしまうのは無理もありません。
同じ愚を、かの福沢諭吉翁も犯しました。脱亞論を、当時の支那・朝鮮に対する厳しい批判と読む人は多いのですが、私にはあれは、支那・朝鮮、ことに朝鮮に人一倍期待し、同情し、尽力した福翁の悲痛な自省と自己批判に読めます。
それが犬や猫であっても、苦しんでいるところを見れば何とかしてやりたくなるのが日本人の人情です。ましてやヒトの形をして、話が通じるように感じられる生き物が相手であれば、自分に利がなくても、どうにかして少しでも良い方向へ持っていってやりたいと願ってしまうのはわかります。
ですがそれが通じないだけではなく、逆恨みの種子になるのが韓国人なのだということを、私たち日本人は熟知しなければなりません。
彼らがどんなに不幸な生活に喘ぎ、阿鼻叫喚の中で苦痛に悶えようと、私たち日本人にはどうしようもありませんし、どうするべきでもありません。あえてどうにかするのであれば、彼らに有無を言わせず統制する必要がありますが、そうすれば1000年恨まれるだけなのは、既に実践済みです。
韓国に関しては「教えない」「与えない」「助けない」「関わらない」。これを周知し、徹底的に実行することが、今後の日本人にとって重要な課題と言えるでしょう。
外国人に対する生活保護に法的根拠無しとする最高裁判決に思う
生活保護はあくまで「国民」に対する保障であって、外国人には本来受給資格そのものがありません。しかしこれまでは、「人道的配慮」という美名の下、「日本政府と行政による好意」という形で在日外国人にも生活保護を支給してきたという事実があります。
即ち、以前からも在日外国人に対する生活保護の支給には法的根拠がありませんでした。これを既得権として法的に確立させる狙いが、原告側にはあったのでしょう。
今回の判決を受けて原告側は「これじゃ日本に移民に来る外国人はいなくなる」と喚いているようですが、日本の生活保護を当てにする外国人など日本に来なくて良い、と言うかむしろ来るなと言いたいところです。
以前も、確か中国残留邦人孤児の親族の中国人が一族郎党で来日し、日本に着くや否や生活保護を申請し受給を開始したという話がありました。この問題は明るみに出たために、当該中国人の生活保護受給は取り消され、支給した生活保護は返還させたようですが、おそらくこれは氷山の一角でしょう。
もちろん、日本の生活保護を狙うのは中国人ばかりではありません。在日韓国・北朝鮮・朝鮮人の生活保護受給率も、極めて高いと言われています。
一般に、生活保護の受給は難しいと言われています。しかし実際には、審査基準を満たしていることが確認されれば、当然支給対象になります。問題は、基準を満たしているかどうか審査する以前に弾かれることです。
普通の日本人の場合、言葉が通じるのと、「生活保護受給は恥だ」という意識があります。その意識が無い人ももちろんいますが、普通の感覚の日本人ならば大なり小なりそう思っているか、思わされています。
生活保護申請の窓口ではそこを突くのです。
生活保護を申請に来た日本人には、懇々と生活保護受給の難しさと恥ずかしさを説明し、申請書類自体を絶対に渡さないようにしているのです。いわゆる「水際作戦」というやつです。
ところが在日外国人の場合、言葉が通じない「ふり」をする者がいる上に、生活保護を権利どころか、勝利の証と考えている者がいます。ですから、たとえ言葉が通じても話は通じません。しかも断られると一族郎党で押し掛け、窓口の係員を恫喝するといいます。
公務員は揉め事を嫌いますから、面倒くさい相手には比較的簡単に生活保護の申請書類を渡してしまいます(ちなみに日本人でも、「面倒くさい相手」と思わせたら、比較的簡単に生活保護の申請書類が受け取れますw)。
かくして、(無力な)日本人はなかなか生活保護を受給出来ないが、在日外国人であればすんなり生活保護を受給出来るという構図が成立します。
そうなれば、今度は「生活保護を受けているのは、面倒くさい日本人か在日外国人である」と世間では思われるようになり、尚更普通の、しかし本当に困窮している日本人は生活保護を受給しづらくなるという悪循環が成立することになります。
在日擁護派は、生活保護を受給している人の大半は日本人だと主張しますが、たとえ少数であろうとも生活保護を受給する外国人がいるということは、その外国人に生活保護を支給するために生活保護の対象から弾かれている日本人がいるということでもあるのです。
そもそも、外国人が保護を求めるべきは居住国ではありません。もちろん、緊急避難的且つ一時的に居住国が居住外国人の保護を行なうことはあるでしょうし、あっても良いとは思います。ですがそれを居住外国人の恒久の権利として確立してしまうことは、その分「国民」の権利を圧迫することになります。
在日外国人は「国籍以外は日本人と変わりない」と主張しているようですが、ならば何故国籍も日本人と同じにしてしまわないのでしょいか。
今回の判決を機に、日本は「生活保護が必要になるほど経済的に困窮した在日外国人は永住資格を取り消す」という法整備をするべきです。そうすることで、「国籍以外は日本人と変わりない」などという在日外国人の勘違いを抑制することが出来るようになるでしょう。
なお、同時に日本への帰化についても、現在のようなユルユルグダグダなものではなく、生まれながらの日本人以上に高い日本へのロイヤリティを確認するべきだというのは、以前にも述べたとおりです。
韓国旅行の楽しさを具体的に教えてください
その理由は、韓国旅行を楽しいと感じたからでも、もう一度韓国に行きたいと思っているからでもありません。他人が何をどう言おうと、自分が楽しいと思ったのなら、自信を持って楽しみに行けば良いことです。そもそも他人にお伺いを立てなければならない理由もありません。韓国を楽しむ者はダメ日本人という印象操作をしたいのかもしれませんが、それ以前に、そんなことで「日本人」を引き合いに出そうとする辺りが、日本人としてはダメ過ぎると、私には感じられました。
さておき、コメントされた方がダメ日本人であるのは良いとして、もう一度行きたいと思うほど韓国が楽しかったというのが事実であるならば、私は是非とも具体的に韓国の何がどう楽しかったのかをお知らせいただきたかったと思いました。
韓国を興味深いと言うならば、それは私も共感しないではありません。珍奇なものや理解が困難なものに興味を引かれるのはよくあることです。もっとも、それらの観察が常に必ず楽しいものとは限りません。むしろ、ある種の不快を伴うことが多いでしょう。ただ、旺盛な知的好奇心がそれらの不快を凌駕するだけの話です。
韓国にもそれが当てはまります。韓国そのものは、全然楽しくありません。当然、韓国を旅行しても大して楽しくはありません。これは断言出来ます。
ですが、例えば弊ブログで述べてきたようなことを確認するための韓国旅行ならばどうでしょうか。
レストランに入ると、日本語のメニューが出てきたので、ハングルのメニューを要求すると、店員が妙に渋ります。渋る店員を叱咤して、ハングルメニューを持って来させると、案の定日本語メニューとは価格が違ったりします。その時、普通の人ならば怒りなどの不快な感情しか生じないでしょうけれど、韓国ウォッチャーなら間違いなくニヤニヤしてしまうでしょう。
韓国でタクシーに乗れば、遠回りされたり、ボッタくられたり、途中で降ろされたりすることが極めて高い頻度であります。普通の旅行客ならば、それに不快しか感じないでしょう。しかし韓国ウォッチャーなら、ネタゲットだぜと小躍りするかもしれません。
名所旧跡や遺跡等が、史料から伺える姿とはかけはなれたものに成り果ててしまっているのも、普通の観光客には興醒めでしょうけれど、韓国ウォッチャーには大喜びされるでしょう。
今日でも、旅行には非日常を楽しむという部分があります。常とは異なる環境に、人は少なからぬ興奮を覚えるものです。
かつて、今ほど旅行に関する諸条件、例えば交通手段や情報網などの整備が行き届いていなかった時代、旅行とは即ち冒険でもありました。日本大使館や領事館がある分、緊急時の対応に北朝鮮と比較すればいくらかは安心が期待出来るという意味で、ソフトな冒険を体験してみたいという向きには、韓国は適地と言えるかもしれません。
ですが、今日当然とされている旅行の楽しみ方や、旅行中の安全・安心を求めるのであれば、韓国は全くお勧め出来ません。それについては過去に再三ならず申し上げて参りました(安近短の安は、安全の安じゃない・それでも行きたいですか?・韓国の治安が良いとは、お世辞でしか言えない・それでも韓国に行きたいのですか?・韓国旅行の楽しみ方)が、良い機会なので(ネタもないことですしw)改めて申し上げたいと存じます。
北朝鮮よりは安全・安心と言っても、日本では考えられないぐらいの頻度で、韓国内では人が行方不明になりますし、凶悪犯罪も日本よりは多いのです。セウォル号事故からもわかるように、緊急時には責任者が真っ先に逃げます。そもそも、韓国は現在も休戦中の、準戦時国家です。いつ朝鮮戦争が再開されても、全く不思議ではないのです。
戦争という非常事態の勃発がなくても、韓国では日常的に顧客満足度を意識するどころか、どうやって客を騙そうかと画策している業者が、日本と比べれば恐ろしく多いのです。意図的に騙そうと思っていなくても、彼らのケンチャナヨ精神のため結果的に騙すことになってしまうのは、もはや韓国の日常と言っても過言ではありません。
旅の楽しみは「食べる・見る・遊ぶ」と言いますが、韓国の場合まず「食べる」が絶望的なのは既に周知の事実でしょう。美味い不味いは好みの問題ですからあえて問わないとしても、韓国の料理は衛生面に強い不安が伴います。
韓国では、料理に多くの副菜が添えられるのが常ですが、多くの店でその副菜を使いまわしているのは有名な事実です。副菜だけではありません。ご飯も従業員がまかないで食べ残したものをジャーに戻し、それを当然のように客に供するといいます。そういえば確か「呆韓論」には、冷麺屋の従業員が堂々とスープを玉杓子から直飲みするというエピソードがありました。
そういう行為に、韓国人は何の疑問も感じません。ある在韓日本人のブログに書かれていましたが、日本人と比べると韓国人には、「汚い」という感覚がないに等しいようです。トイレに行った後、手を洗わないことの何が汚いのか、本心からわからないらしいのです。
それが、プロの調理人でもそうだと言いますから、韓国で食事をする者は、そういう点をあらかじめ覚悟しておくか、さもなくば自炊するしか自衛手段はありません。
次に「見る」ですが、これもあまり期待出来ません。先にも述べましたが、彼らは名所旧跡や遺跡を「復元」ではなく、「新設」してしまうのです。元の姿を知っていて、それと比較出来るならまだ楽しみ方もあるかもしれませんが、元の姿を知らなければそれも出来ません。
最後の「遊ぶ」ですが、まず彼らのホスピタリティは、顧客を満足させるためのものではなく、自分を満足させるためのものであるということを知っておく必要があるでしょう。彼らの求める満足が顧客の満足と上手く合致した時はそれなりに楽しめるかもしれません。それを期待することは、かなりギャンブル的な要素を持つだけです。
私はあまり詳しくありませんが、「遊ぶ」には「夜のお楽しみ」的なカテゴリもあります。これは、韓国ではかなり安価で充実していると仄聞します。ただ、そういう「お楽しみ」であれば、日本国内にそれを売りに来ている韓国人が既に多数います。もちろん、韓国で買うよりは高くつくようですが、韓国への旅費を勘定に入れればさほど差はないか、もしかすると安くつくのではないでしょうか。
30年以上昔であれば、韓国に女を囲う日本人男性も結構いたようです。日本国内に囲うよりはバレ難く、また維持費もかなり安かったそうです。今でも、バレ難さだけなら期待出来ますが、維持費は絶望的ですし、今も昔も使った費用の元を取る前に、女に雲隠れされることがよくあるようです。
というわけで、一般的な旅の楽しみという面では、韓国は費やす金額に見合った満足度を得ることを期待するのは困難であるというのが、私の以前からの結論です。
ですが旅の楽しみ方は人それぞれですから、韓国旅行が楽しいという方は、具体的に韓国のどのような点がどういう風に楽しかったのかを是非披露していただきたいと思います。そうすれば、その内容そのものに共感は得られなくても、ある種の冒険談として他人を楽しませることが出来るかもしれません。
日本の経済浮揚政策成功のために
韓国語では、「うらやましい」と「ねたましい」は類義語ではなく同義語なので、彼らに「うらやましい」と言われると個人的には大変嫌な気分になりますが、それはさておきこのところの日本は、少なくとも韓国からは経済回復の兆しが著しく見えるようです。
私が日韓チャットにいた頃、日本の経済が長年低迷していたことは、韓国人なら中高生でもよく知っていました。日韓チャットを訪れる韓国人は中高生がメインでしたが、彼らはさも心配しているかのような口調で日本人に向かって「日本経済は十年以上低迷していると聞きました」と言うのです。
こちらは、別に隠すことでも恥じることでもないと思っているので、普通に「そうですね」と答えます。そういうことが幾度もあり、なぜこうも同じようなことを複数の韓国人から言われるのだろうと不審に思っていましたが、どうやら当時、韓国の学校ではそういうことを生徒に教えていたらしいのです。
日本人に向かってはさも心配そうに言っていましたが、彼らの間では経済低迷に苦しむ日本を上から目線でバカにしていたのでしょう。何しろ当時の韓国は、三星がソニーを抜いたと全開でホルホルしていた頃だったのです。
それから10年、現在の日本は、安倍首相率いる現政権の指揮の下、アベノミクスを合言葉に経済回復に向かって邁進しています。
前出の中央日報のコラムにもある通り、アベノミクスが見事成功を収めるかどうかは、まだ定かではありません。それでも日本の現政権が確固とした目標を定め、それに向かって着実に政策を実行しているというだけでも、迷走を続ける韓国の現政権とは比較にもなりません。確かに韓国から見れば相当にうらやまねたましかろうというものです。この日本に対する「うらやまねたまし」感もまた韓国人の対日「恨」になるのでしょう。
ところで日本の景気浮揚策が動き出したのと、韓国経済の低迷が、日韓関係の悪化とほぼ同時に始まったというのも興味深いものがあります。これもまた、「かの国の法則」と言えば嫌韓の偏見と言われるでしょうか。
ですが韓国に対する否定的な感情を抜きにして考えても、日本の経済回復に韓国が足枷になることはあれど、寄与することはありません。
日本との良好な関係は、韓国にとってはまちがいなく命綱でした。それを断ち切ったのは他ならぬ韓国自身です。逆に言えば、日本にとっては、韓国という重荷が自ら離れていってくれたということになります。そう考えれば、日本経済が回復の兆しを見せつつあるのと、韓国経済の低迷が同時に始まったのは、偶然の一致などではなく必然の結果と考えた方が妥当でしょう。
いずれにせよ日韓の離間が、少なくとも日本にとっては小さくないメリットとなることは、現状が証明していると言えます。
これまで日韓友好推進派は、日本と韓国の関係が悪化すれば日本にとっても大きなデメリットがあると吠え続けていました。だから日本は韓国との友好を維持、推進しなければならないのだと主張していました。しかしそれが嘘、と言うのが言い過ぎとしても、ただの願望であったことは現状を鑑みれば明確です。
これまでの日本は、「基本的な価値観を共有する隣国」ということを理由に韓国を必要以上に厚遇してきました。その過程において、日本が自らの損失を省みず韓国を援助してきたことで損なった国益もありますが、それ以上に深刻なのは、日本が世界最貧国であった韓国をOECD加盟国にまで押し上げたことによって、彼らに日本毀損の力を与えることになったことです。ある意味、日本は日本の資金や技術力を使って、韓国の反日活動を支援してきたとも言えます。
結果的に、これまでの日本の韓国支援は、感謝されるどころか「恨」のもとになり、韓国が現在ワールドワイドに展開しようとしている日本毀損活動の原資になっているのではないでしょうか。
自国の国益を損なうだけでなく、明確な敵を手塩にかけて育てたのですから、日本のお人好しには我が国のことながら呆れ果てるばかりです。これを教訓に今後の日本は、韓国を数あるアジアの中の一国、しかもアジアの中の三大反日国のひとつということを前提に、それに見合った付き合いをするのが良いでしょう。
日本の経済浮揚政策を成功に導くためにも、ただの重荷になるだけではなく、積極的な妨害を仕掛けてくる韓国という国は、早々に切り捨てるのが上策であると考える次第です。
理想的な日韓友好を考えてみた
日本人の場合、親韓な人や韓国をよく知らない人が日韓友好を唱える傾向が強く、嫌韓日本人は日韓友好に消極的だったり否定的だったり悲観的です。
翻って韓国人の場合、親日韓国人が日韓友好を主張するのは当然として、不思議なことに反日韓国人でも日韓友好を必須と考えている例が圧倒多数です。これは、ひとつには韓国人はほぼ全員が反日であると同時に、ほぼ全員が親日でもあるからでしょう。
もうひとつの理由としては、韓国人の考える「理想的な日韓友好」とは、韓国に対する日本の盲目的絶対服従、即ち日本が韓国に隷属することを意味するからだということは、これまでにも述べてきました。
日本人としては、韓国人の考える「理想的な日韓友好」などというものが絶対に受け入れられないことは言うまでもありません。「韓国人の考える理想的な日韓友好」が周知されれば、ほとんどの日本人がそう考えるでしょう。現在、日韓友好に肯定的な人は、「韓国人の考える理想的な日韓関係」というものの詳細を知らないからでしょう。
「韓国人の考える理想的な日韓友好」というものが、親韓だろうが嫌韓だろうが韓国に無知だろうが、日本人であれば断じて絶対に何が何でも如何なる理由があろうとも受け入れられないものであることは、議論の余地がありません。
では、「日本人にとっての理想的な日韓友好」であればどうだろうか、ということを考えてみました。
思えば、これまで「日本人にとっての理想的な日韓友好」というものを具体的に考えたことはあまりありませんでした。韓国をよく知らない日本人は当然として、きっと親韓日本人ですらそうでしょう。
嫌韓日本人は、韓国人の考える理想的な日韓友好が日本人として断じて受け入れられないことを知っています。知っているからこそ、日本人の考える理想的な日韓友好について考察する必要性を失っているわけです。
ですが、「日本人の考える理想的な日韓友好」を具体的に提示しなければ、親韓や韓国をよく知らない日本人が抱く漠然とした「日韓友好」が実現不可能な幻想であることを示すことは出来ないのではないでしょうか。
というわけで、「日本人にとっての理想的な日韓友好」とはどういうものなのかを考えてみたいと思います。
まずあげられるのは、「相互理解」でしょう。
日本側が韓国を理解しようとする姿勢を持つのと同時に、韓国側も日本を理解しようとする姿勢を持つことが必要になります。ここで注意したいのは、韓国人の言う「理解」が、非常にしばしば日本人の言う「理解」と意味が異なることがあることです。今回は「日本人にとっての理想的な日韓関係」の模索ですから、当然日本人が言う「理解」の意味でなければなりません。
例えばそれぞれの歴史認識において、相容れない部分があるとしても、と言うか、確実にあるわけですが、互いに相容れない部分があるということを、それぞれ認め合うことが出来るかどうかが問われるでしょう。
更には、互いが互いを、自分とは違う存在であるということを認識し、その上で共有出来る部分を模索し合うことが出来るかどうかも重要です。
日本人的には、どれほど親しい相手であって、自分のテリトリーが侵害されることを好みません。ところが韓国人は、親しい相手とはテリトリーどころか、接した互いの皮膚さえ融け合うような関係になることを猛烈に欲します。
日本人がそういう関係を望まないこと、韓国人がそういう関係を望むことを互いに理解した上で、お互いが納得出来る距離感を模索することが出来れば、実際にそういう距離感が見つかるかどうかはさておき、そういう関係もまたひとつの友好の形と言えるかもしれません。
次に、互いに相手に敬意を持ち、尊重することが出来るかどうかということがあげられるでしょう。相手の長所や美点を認め、短所や欠点を必要以上に咎めず、しかし互いに忌憚ない苦言が言えて、忌憚ない苦言を受け入れることが出来るかどうかが問われます。
それから、互いが互いにとって有益な存在であるということも重要です。国力の差があれば、相手にしてあげられることがいつも必ず同等とは限りませんが、自分の出来る範囲で精一杯相手の為になろうという気持ちが通じ合っていれば、その点は問題はありません。
最後に、互いが互いを単純に好きになれるかどうかでしょう。どんなに努力しても、生理的に受け入れられない相手というのは存在するものです。
「日本人にとっての理想的な日韓友好」を構成する要素は、まだこれ以外にもあるかもしれませんが、とりあえずこの程度のことが実現出来ないのであれば、日本人にとって理想的な日韓友好など、絶対に達成出来るわけがありません。
また、この「日本人にとっての理想的な日韓関係」というものが、韓国人にとっては断じて絶対に何が何でも如何なる理由があろうとも受け入れられないものであるという可能性も十分に考えられます。それは、日本人が「韓国人にとっての理想的な日韓関係」を絶対受け入れられないということの裏返しとも言えます。
もしそうならば、日本と韓国は相思相憎です。どうこねくり回そうとも、双方が納得し得る友好は絶対に成立しないでしょう。
日韓友好を唱える御仁には、「日本人にとっての理想的な日韓友好」とはどのようなものかを考えてもらい、それが実現可能かどうか、またそれを韓国人が受け入れることが可能かどうかを考えてもらえば、多少は日韓間における友好の成立というものの非現実さを、少しは理解してもらえるようになるかもしれません。
韓国人は学習しない
かつての朝鮮戦争時、日本はまだ完全に主権を回復していない状態でしたが、それでも(と言うかそれ故に)、米軍の後方支援のため韓国領海内で機雷除去作業を行なっており、それに伴う死者も出ております。敗戦の傷もまだ癒えぬ当時の日本でさえそれほどの貢献を求められたのですから、もし今後朝鮮戦争が再開されれば、今の日本が知らぬ顔を決め込むことなど不可能ではないでしょうか。
もちろん、アメリカと韓国が同盟を解けばどうかはわかりません。ですが今のところそういう話もありません。在韓米軍が撤退する話はありますが、逆に在韓米軍が撤退することによって、朝鮮有事の際は在日米軍が最前線部隊になるのです。その状態で朝鮮戦争が再開されれば、尚更に日本の支援が強く求められるでしょう。
いずれにせよ、集団的自衛権そのものは国連憲章にも明記された固有の権利とされており、今まで日本にこれが認められていなかったことの方が異常であったのは確かです。これで日本がまた一歩普通の国に近づいたわけで、日本国民であれば嘉することではないかと私は考えます。ただし、権利には義務が伴うことを忘れてはいけませんが。
さてこの数日、日本では台風8号に対する警戒が頻繁に報じられました。ところが日本列島を串刺しにするかのように進むと予想されていた台風は、本州上陸直前に進路をやや太平洋寄りに変え、勢力も予想されていたよりずっと弱まりました。
私の住む地域では、数年前の集中豪雨によって広範囲に冠水したことがあるので、今回も台風に伴う豪雨に備えてあちこちに土嚢が積み上げられていましたが、結局空振りに終わりました。
こういうことは日本では珍しくありません。台風が近づけば、その進路に注目し、観察を怠らず、少しでも危ないと思えばそれに備えるのは、台風シーズンなら当たり前のことです。
翻って韓国はそうではありません。韓国では、地震が起きないと信じている韓国人が多く、そのためブロック塀などは鉄筋を入れず、ただ積み上げてセメントで接着するだけということがよくあるようです。確かに韓国は地震が少ない(全く無いわけではない)地域ですが、ブロック塀が崩れるのは何も地震の時だけとは限りません。
韓国にも台風は毎年訪れます。台風で極端な暴風が吹けば、そのためにブロック塀が崩れることもあり得ます。「あり得ます」などと書きましたが、数年前、実際に韓国で台風によってブロック塀が崩れた写真を見たことがあります。
今回、日本が台風8号に対する警戒を強めていることは韓国でも報道されたようですが、その中に【日アベ懲らしめるだろう多大な災いが...日本列島"ブルブル!"】と題する記事がありました。
安倍総理の韓国における嫌われっぷりは凄まじいものがあります。しかしだからと言って自然災害をまるで日本に対する懲罰の如くに表現するのは如何なものかとは思いますが、相手が韓国だから言っても始まりません。
韓国の言論は、自分が神の言葉を預かる者か、あるいは神そのものであるかの如き上から目線の言説を載せるものであり、韓国国民もそれを希み求めています。ましてや相手が彼らにとっての【絶対悪】たる日本であれば、どんなに無礼で不遜な書き方をしても構わないと考えていることは疑いありません。
ですからそれにいちいち目くじらを立てていては、こちらの神経が焼き切れてしまいます。彼らの傲岸不遜にある程度鈍感になることは、彼らを相手にする際には重要なスキルと言えるでしょう。
ここで注目したいのは、彼らの傲岸不遜さよりは、私たち日本人が今回の台風に対して強い警戒心を持っていることを揶揄するような表現を用いていることです。
韓国人は、慎重さと臆病の区別がつかないらしく、予想される災害や困難に対して警戒心を持ち、それに備えることを、「臆病」と理解するようです。
先にも述べましたが、韓国でも台風による被害は例年のように起きています。それでも彼らは、実際に被害に遭うまではケンチャナヨとうそぶいて対策しません。それどころか、これも過去に何度か述べたことがありますが、韓国の気象庁自身が台風の進路そのものを文字通りの希望的観測で韓国を直撃しない予想に歪めてしまいます。
こういう発想は自然災害に対してだけのことではありません。先だってのセウォル号事故においてもその精神は遺憾なく発揮されましたし、日常的にも、例えば不良債務者リスト(ブラックリスト)に載ることを恐れて、クレジットカードの使用をセーブすることは、韓国人的には「臆病」とされるようです。
北朝鮮からの脅威についても同様です。彼らにとっては、北朝鮮に対し警戒心を持ち、その侵攻に備えることこそが、「北朝鮮を恐れている」という「臆病」の証明になるのかもしれません。
しかしその実、韓国人は一般的に極めて臆病です。旧日本軍が朝鮮出身者の取り扱いについて【危険な状況下では銃を投げ捨てて哀号!と泣き出す習癖があるから、日本兵二名で一名の朝鮮兵を入れて行動せよ。】と通達したと言われていますが、この通達が本当に実在したものかどうかはともかく、韓国(朝鮮)人の性癖を的確に表現していることは間違いないでしょう。
彼らは災害や困難を恐れないことを勇気だと思っています。そのため日本人が台風に警戒を示すことを嘲笑します。しかし実際に災害や困難に遭えば、彼らはただただ怯え竦むばかりなのです。
それでも、一度災害や困難に遭っても、次から学習するならば良いのですが、彼らは喉元過ぎればたちまち熱さを忘れます。いくら為政者が無能であったからと言っても、春になれば自分や自分の家族が飢え餓え、命の危機に瀕することがわかっていながら、ろくに対策を講じず、毎年律儀に飢え餓えて死んでいったのも、彼らが災害や困難に対して備えるということを学習しなかったが故でしょう。そう言えば彼らが自らの国を何度も滅ぼしていたのも、その事例のひとつに数えられるかもしれません。
韓国人は、何度でも同じ災害や困難に遭う習性を持ちます。ということは、彼らの歴史を振り返れば、彼らに今後起こり得る災害や困難は予想が付きそうです。
それに対する警戒を促しても、韓国人は聞かないでしょう。しかし私たち日本人は、それに備えておくべきです。仮にそれが空振りに終わったとしても、彼らの災害や困難の余波を被らずに済んだことを喜べば良いだけなのですから。
集団的自衛権行使容認について
その理由は、表向きには武力を行使出来るようになった日本が再び周辺諸国の脅威となるからということになっているようです。より正確に言うならば、「周辺諸国」とは即ち「韓国」のことでしょう。要するに日本が武力を背景に、再び韓国を侵略しようとするに違いないと彼らは考えているのです。
これは彼らが、「ウリだったら絶対にそうする」という考えを持っているという証左でもあります。何かにつけ、馬脚と言うか黄色いアンヨを見せびらかす連中ではあります。
そういう彼らの妄想はさておき、日本の現実的な問題として、集団的自衛権の行使が可能になったということは、今後朝鮮戦争が再開された場合、日本もそれに参加しなければならないのではないかということがあります。これはおそらく、その通りというか、まさにそれが日本政府が集団的自衛権行使を可能にしたかった理由のひとつでしょう。
これを韓国人や反日日本人に言わせれば、「アベは戦争をしたがっているのだ」ということになるのでしょう。朝鮮戦争の後始末を放ったらかしにしている韓国人や、それに注文を一切付けない反日日本人なんかにそんなことを言われる筋合いはないというのが正直なところですが、自分のことは棚に上げるのは彼らの習性ですから、困ったものです。
もし現在の国際的枠組みのままで朝鮮戦争が再開されれば、日本は確実に韓国に加勢することになります。かつての朝鮮戦争では、アメリカが韓国のために戦い、結果として多数のアメリカ兵が生命を落とすことになりましたが、もし極めて近い将来に朝鮮戦争が再開されれば、同じようなことが日本にも起こり得ます。
嫌韓としては、韓国人なんかの戦争のために日本人が朝鮮半島で戦って、負傷したり生命が失われるようなことになるのは許せないと思うでしょう。それは私も共感するところがあります。
では集団的自衛権の行使が出来ない、即ちかつての朝鮮戦争の折のように、日本が韓国において軍事的協力を一切行なえないという状態であれば、嫌韓としては満足出来るのでしょうか。
確かに、日本が集団的自衛権を行使出来なければ、朝鮮戦争が再開されても日本が朝鮮半島に派兵することは出来ません。であれば、日本人が韓国なんかのために朝鮮半島で戦うこともなければ、そのために負傷したり生命を落とすようなこともほぼないでしょう。
ですが韓国にいる民間の日本人はどうなるでしょうか。韓国が戦争状態になれば、武力の背景無しに日本政府が韓国にいる日本人を保護することは困難です。ましてや韓国政府が在韓日本人の保護を考えてくれるとも思えません(あの国の政府は、自国民の保護さえ考えるかどうか怪しいのですから)。
つまり有事の際には、韓国にいる日本人は丸腰で戦乱に巻き込まれ負傷したり生命を落とす危険性が極めて高くなるということです。結局集団的自衛権が行使出来ようが出来まいが、朝鮮戦争が再開されるようなことになれば、そのために日本人の生命身体に危険が及ぶ恐れは多分にあるのです。
どちらにしても日本人の身体生命に危険が及ぶのは同じことだから、有事に韓国に居残るような間抜けな日本人は丸腰無抵抗で殺されろとは、いくら私が嫌韓でもとても言えません。
もちろん、武装し訓練を積んだ自衛隊員が殺されるのなら良いというわけでもありませんが、どちらにしても戦争に巻き込まれ、身体生命を脅かされるのであれば、私だったら丸腰のままよりは武装していたいと思います。
日本の集団的自衛権について、必ずしも良い面ばかりとは私も思っておりませんが、何であれ物事には光と影の部分があるものです。光を選べば、否応もなく影の部分もついてきます。それが嫌だと言って何も選ばなければ、ジリ貧になるばかりでしょう。
事実、戦後の日本は軍事的には能動的に何も選べず、結果的に多くの国益を失ってきたとも言えます。同じく結果的に得た国益も皆無ではないかもしれませんが、それは単に幸運だっただけです。その幸運は狙って得たものではないだけに、今後も得られる保証は全くありません。
つまり座して幸運を期待するだけで無為に過ごすのではなく、日本が国家として自ら積極的に国益を守るために、集団的自衛権を行使出来るようにしておくことは、どうしても必要なことだったのだろうと私は理解しています。
蛇足ながら日本の集団的自衛権行使に関する韓国の拒否感についてですが、かつての朝鮮戦争について韓国人は「チョッパリはウリが血を流している時に安全なところで甘い汁を吸ってた」とほざいています。
朝鮮戦争が再開された場合、連中は日本が韓国に加勢しなければしないで文句を言うでしょうし、加勢したとしてもやはり文句を言うでしょう。どちらに転んでも彼らが文句を言うのは同じです。
つまりは「理由は聞くな、どうせ大したことは言ってない」ということです。韓国人の言うことをいちいち取り上げて錦の御旗にしようとする反日マスコミの言うことも、韓国人と同じ扱いで良いのではないかと考える次第です。
来たるべき東アジア情勢の激変に備えよう
本来であれば、日本と韓国は米国を介した間接同盟国です。日本の間接的同盟国であることを本当に韓国が自ら任じているのであれば、日本が集団的自衛権を行使出来るようになることを歓迎する理由はあっても、否定的にとらえる理由はあり得ません。
しかし現実に日本の集団的自衛権について韓国が否定的な反応を見せているということは、韓国は自ら日本と共に戦うつもりなどないことを表明したも同然と言えるでしょう。
日韓友好が必須であることの理由として、「日韓が近接している」ということが非常にしばしばあげられます。と言うか、もうそれしか理由がないと言っても良いぐらいです。距離的に近いのだから、感情的な好悪があっても、仲良くするしかないじゃないかという、非常に消極的な理由です。
確かに、例えば同じ職場の中に気が合わない人がいるからと言って、それだけを理由に互いにツンケンしていれば、職場の雰囲気は悪くなるし、業務も捗らないでしょう。
それよりは、腹の底では互いに嫌い合っていても、とりあえず表面上は和やかにしている方がいろいろ捗るのは間違いありません。それが大人のお付き合いというものでもあります。好き嫌いだけで回せるほど、大人の人間関係は単純ではありません。
ですがそれは、双方にそうする方が良いということを理解し、実行している場合に限ります。どんなにこちらが個人的な感情を抑えて友好的に接しようとしても、相手側が感情に任せてツンケンし続けるならば、何の意味もありません。それどころか、こちらが譲歩する分相手の業務はスムーズに進むかもしれませんが、相手が譲歩しない分こちらの業務には滞りが支障が生じるでしょう。
それを我慢して業務を遂行するのもまた、大人の態度かもしれません。しかしそれにも当然限界はあります。
業務に個人的な滞りや支障が出るぐらいならまだ我慢のしようもあるかもしれませんが、相手が感情に任せて故意にこちらの業務を妨害してきたり、甚だしくは業務自体を毀損するようなことをしてくれば、もはや我慢などしている場合ではありません。
ましてやその相手が、対立する他社と通じることでこちらに嫌がらせをするようになれば、当人にそのつもりはなくとも、それはもはや「同じ職場の仲間」ではなく、「同じ職場にいる対立する他社の工作員」です。個人的な好き嫌いを度外視して、「同じ職場」から排除しなければなりません。
これを日韓にあてはめてみれば、くどくどしい解説は不要でしょう。
そもそも韓国を、というか朝鮮半島を、大陸からの脅威に対する防御壁とか緩衝地と定義する日本人が多いのですが、その定義自体を疑うべきではないでしょうか。
現実の韓国を含む朝鮮半島は、かつて防御壁にも緩衝地にもなり得ませんでしたし、今現在もなり得ていませんし、将来的にもなり得ません。むしろこのままでは、韓国は大陸からの脅威を日本へ誘導することになるでしょう。
昨今の中韓の接近によって、それが嫌韓の被害妄想に終わらない恐れは、極めて強くなりました。繰り返しになりますが、日本の集団的自衛権に対し韓国が否定的な見解を見せているということは、日本と共に戦う意思が韓国に全くないという証左なのです。
尤も、彼らが日本の集団的自衛権に否定的な反応を示すのは「日本と共に戦う意思がない」と言うよりは、「今までは日本が武力を行使出来ないことを良いことに、日本に対し好き勝手してきたが、今後は日本から武力を伴う制裁があるかもしれないので、これまでのように日本に対して好き勝手なことが出来なくなるかもしれない」ということに危機感を募らせているだけなのだとは思います。しかし韓国の真意がどうあれ、本当の有事の際に彼らが日本の助けにならないばかりか、下手をすれば災厄そのものになりかねないということに変わりはありません。
韓国に対し旗幟を鮮明にせよと迫る時期はもう過ぎました。韓国の本心がどうであれ、行動を見る限りでは彼らは日本の友好国ではなく、明らかに敵国です。
昨今、日本の嫌韓気運を押し留めようとしてか、それとも単なるアンチテーゼのつもりなのかは定かではありませんが、国としての韓国はともかく、個人としての韓国人は良い奴多いよ!という宣伝をチラホラ見かけます。相変わらずそれに転がされる日本人も少なくないのでしょう。ですが、もうそれでは騙せない日本人も明らかに増えてきました。
日本にとって韓国は既に明白な敵であることが周知されつつあります。次に今後問題となるのは、それでも尚日本人を騙そうとする日本国内の勢力でしょう。彼らは日本国内の勢力なだけに、争えば内訌となります。内訌は日本全体の力を削ぐことになりますし、かといって放置すれば外患を招き入れかねません。まことに痛し痒しとはこのことです。
いずれにせよそれらにどう対応するにしても、まずは日本人自身の知識の拡充と周知が必要になるでしょう。
「日韓断交など嫌韓の妄想」と嘲笑されていた頃と比べれば、現在の日本人の韓国に対する知識は飛躍的に増えましたが、まだ十分ではありませんし、仮に近い将来日韓断交が実現したとしても、そこがゴールというわけでもありません。むしろそこがスタートになるでしょう。
最近、中国朝鮮族と結婚した日本人男性のブログの更新が止まりました。過去にもそのブログの更新が止まったことはたびたびありましたが、その場合でも全く止まったわけではなく、朝鮮族の配偶者が趣味の写真(私はこの写真撮影も工作活動の一環だろうと疑っていますがw)を投稿し続けていましたし、人気ブログランキングも継続していました。
しかし今回は、あれほど熱心に行なわれていた朝鮮族配偶者の写真投稿も止まり、人気ブログランキングの登録も削除されたようです。加えて、その日本人男性が中国朝鮮族配偶者と結婚する前及び結婚した頃に書いていたブログがそれぞれあったのですが、それらふたつのブログが一切のアナウンスなく削除されました。
他方、長らく更新を止めていた脳足りん君(日本語が堪能な韓国人工作員)のブログが突然再開されました。内容は、かつては日本の嫌韓を揶揄するものであったり、韓国の国内情勢を親北朝鮮的に解説するものだったりしたのですが、今回は相変わらず上から目線ですが、日本人の(というか、嫌韓日本人の)韓国に関する誤解を解きたいというもののようです。
そういった動きに、中国国内の情勢と、朝鮮半島の情勢それぞれが、私たちの知らないところで動き始めている兆しを感じると言えば、あるいは私の考え過ぎかもしれません。
ですが、現在の東アジア情勢が変化の渦中にあるのは誰もが認めるところでしょう。
この先、東アジアにどういう展開が待ち構えているのかは、神ならぬ身ですからわかりません。しかし、何も知らないままで情勢の激変に放り込まれるよりは、多少なりとも知識を携えていた方が良いのは確かです。
今後の日本に対する東アジア情勢の変動については、日本人一人一人が当事者であるという自覚を持って、それに対する知識の備えを怠らぬようにしたいものです。
あるべきところに返せ
ところで「iPadでCHROMEで見るとyahoo japan appliのダウンロードバーが表示されて邪魔でしょうがないので、表示場所を変えて欲しい」というご要望を戴きました。ですが、当方ではyahoo japan appliのダウンロードバーを表示するという設定は行なっておらず、またCHROMEでも表示確認してみましたが私の環境ではそういう表示は出ませんでした。
まことに恐れ入りますが、現状ではご要望にお応えしたくとも出来ない状態です。申し訳ございませんが、ブラウザを変えてご覧いただければと存じます。
さて、最近の日本では、韓国と言えば明確に嫌悪するのでなければ忌避に近い無関心という感じで、一頃のような無理やりな韓国アゲは鳴りをひそめた感があります。
韓国は韓国で、タカリ相手を変えようとしているのか、さもなければいつのも我が身を質にした自爆外交のつもりなのか、中国に擦り寄ること甚だしいのは以前と変わらずですが、対する中国の方も露骨に韓国を属国扱いしようとし始めています。
今もし日韓チャットがあって、韓国人に直接インタビュー出来るならば、こういう現状をどう考えているのか聞いてみたいものですが、聞かずとも何となく想像がつかなくもありません。
おそらくですが、私たちが「韓国の中国属国化についてどう思う」と聞けば、ほとんどの韓国人が「あり得ない」とか「考え過ぎです」と言って鼻で笑うでしょう。幾人かは北朝鮮の工作だと憤ってみせつつ、それを見抜いている俺スゲーを強調するだけでしょう。少数の韓国人は現状に多少の危機感を覚えつつも、どうせ自分には何も出来ないからどうしようもないと言うか、いざとなったら外国に逃げ出そうと言うでしょう。
韓国でも既に飽きられ忘れ去られつつあるセウォル号沈没事故ですが、あの事故と同様、韓国人の多くは「ウリナラが中国に飲み込まれたりなんてするはずがない」と自分に言い聞かせることで、後戻り出来なくなるまで自分の望まぬ現実から目を背け続けるのでしょう。
もっともまさか21世紀にもなって、19世紀の再現をするなどということがあるはずがない、と思う気持ちはわからなくもありません。今の常識で考えれば、いくらかつて属国であったからと言って、今は独立した国が再び属国に戻るなどということは考えづらいという意見には、私も同感です。
ただ、20世紀末の国際情勢の激変を見てきた身としては、「起こり得ぬことなどない」ということも思い知らされております。ベルリンの壁の崩壊も香港・マカオの中国返還もソ連の崩壊も、それ以前の私たちの常識では「あり得ないこと」でした。
今の私たちの常識では「あり得ないこと」でも、現実になる時はなる、ということを私たちは既に何度も繰り返し見てきております。韓国が中国の属国に戻ることも、当事者の利害と思惑が一致すれば、意外なほどすんなりと進む可能性は十分あり得ます。
以前の私の予想では、朝鮮半島の統一は中国に飲み込まれた北朝鮮主導で行なわれるだろうというものでした。当時は、まさか韓国が自ら中国に擦り寄っていくなどということは想像も出来なかったからです。
韓国が中国と国交を結んでからは、韓国人や韓国企業の中国への経済進出は甚だしいものがありました。しかしそれを韓国の中国属国化と結びつけることは、少なくとも2002年頃の私にはほとんどありませんでした。何故なら、内需に期待出来ない韓国が巨大な市場である中国に経済進出するのは、資本主義国家の企業ならば極めて自然な行動であり、当時は日本も盛んに中国に進出していたからです。
しかし実際に中国に進出した日本企業が目論んだとおりの成功を収めたという話を、私は聞いたことがありません。どころか、身包み剥がされてほうほうの体で逃げ出す日本企業の話が聞こえてくる始末です。
同様に、中国に進出した韓国企業も散々な目に遭っているようでした。異なるのは、日本企業が中国の無理無体に振り回されていたのに対し、韓国企業は中国に、まさに後足で砂を掛けるが如くのやり方で撤退していたことでした。そのため中国における対韓感情は、非常に悪いと評判でした。
そういう話を仄聞しておりましたから、中国と韓国が経済的な不協和音から疎遠になることは想像出来ても、まさか韓国が中国属国に戻るのではないかと囁かれるほどの接近があり得るなどとは、全く想像出来ませんでした。
そういう意味では、現在の状況自体が既に当時の私の考えでは「あり得ないこと」でもあります。それが既に現実化しているということは、韓国が本当に中国の属国に戻るということも起こり得る話と考えた方が良いでしょう。
以前から私は、韓国が中国に吸収されれば、日中韓三方一両得などと言っておりますが、もちろんそんな能天気な話だけで終わるはずはありません。経済バランスも軍事バランスも今とは大きく変わるでしょうし、その対応も簡単ではないでしょう。
しかし歴史や体制を考えれば、今の状態がむしろ不自然と言うことも出来ます。不自然な状態でも安定するということはありますが、やはりそういう状態ではどこかに無理や歪みが出るものです。
何事につけ事態が変化する時には大きな混乱が伴うものです。不自然な状態で安定しているものが自然な状態に戻る時も、当然に小さくない混乱が生じるでしょう。それを恐れて無理や歪みを伴う安定に固執するのは、長い目で見れば愚策です。
今後東アジア情勢がどのように変化するかはなかなか読み切れませんが、朝鮮半島は中国に包含される方がいろんな意味で自然なのは事実でしょう。
そうなれば日本が対中国大陸の最前線になることに危機感を持つ日本人は多いと思いますが、現実的には既にそうなっているようなものです。現実的にはそうなのに、名目上はそうではない、ということがむしろ日本に余計な混乱を与えているとも言えます。
今、韓国が自ら中国に服属しようとしているこの好機、日本はあえてそれに逆らうことなく、その先にある自国の安定を目指したいものです。