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出遅れ感はありますがw

今朝、家を出た時、今秋初の金木犀の香りが聞こえました。秋もたけなわです。

さて弊ブログの書籍化について、これまでに度々コメントなどでご要望を頂戴しております。私自身、長年書き続けていることもあり、書籍化を望まないわけではありませんどころか、叶うものなら是非にでもという気持ちはあります。

私がこのブログを書き始めた頃にも、今ほどではありませんが嫌韓書籍出版ブームのようなものがありました。昨今の嫌韓書籍は、割合著名な方やマスコミ業界にいらした方が書いていることが多いのですが、当時は無名のブロガーによるものが多かったように思います。

ですから当時は、もしかしたら私のような駆け出し素人ブロガーにも、書籍化のオファーが来るかもしれないと結構ワクテカしておりました。

私がブログを始めた頃、嫌韓・韓国ウォッチ系ブログは今ほど多くはありませんでした。数が少ない分、嫌韓・韓国ウォッチ系というだけで、内容の如何に関わらず良くも悪くもそれなりに目立てたのは確かです。加えてブログを始めてから一年間は、必死で毎日更新しておりました。更新頻度が高い方が、多くの人の目に付きやすいからです。

しかしながら残念なことに、その一年の間に書籍化のオファーが来ることは、全くありませんでした。それはつまり、出版のプロから見て弊ブログの内容は書籍化のレベルにないと判断されたのだろうと観念し、ブログ開設一年後からは不定期更新、要は気が向いた時だけ書き散らかそうと思っていたのですが、ありがたいことに読者の方から更新の催促をいただきまして、現在のところは三日おきの更新に落ち着いております。

それからは弊ブログの存在意義は、内容よりも継続させることだと思い、淡々と更新を続けていたわけですが、そこへ再び嫌韓書籍出版ブームの到来です。眠らせたはずの書籍化願望が疼かないと言えば嘘になります。

弊ブログの書籍化願望については、私自身の自己顕示欲も含まれていないわけではありません。文章を書く者なら誰でも多少は、自分の書いた文章が紙の上で活字になることを夢見るものです。

ただ、自己顕示欲だけが理由であれば、自費出版という選択肢もあります。自費出版にどれくらいの費用がかかるのか詳しくは存じませんが、仄聞するところによると数十万から数百万ほどかかるとか。それだけの費用をはたいてでも満足させたい自己顕示欲なのかと言われれば、そうでもありません。まあ仮にそうであっても、そんな金銭的余裕もないわけですがw

いずれにしても、出版に対する欲求が私の個人的な願望だけのことであれば、諦めはつきます、と言うか、割と本気で諦めています。

ただ、時々コメントで戴く書籍化のご要望にあるとおり、書籍化によるネットを見ない層に対する韓国についての理解の周知と促進については、今も諦め切れない部分があります。

いくらネットが普及したと言っても、また書籍の電子化がどんなに進んでも、やはり紙の書籍の存在感は根強いものがあります。それにモニターに映る文字よりも、紙の上に印刷された文字の方が、何故か説得力を感じるものです。

韓国や韓国人は、わかってしまえば案外単純です。それは丁度手品にも似ています。タネや仕掛けを知らない人が見れば、驚いたり騙されたりしますが、タネも仕掛けも知っている者が見れば、他愛ない茶番でしかありません。

しかし、手品であればタネ明かしをすれば一目瞭然ということが多いのですが、韓国の場合はタネや仕掛けが一言では説明出来ないのが問題です。

日本人の常識では理解出来ないことが、韓国では至って普通にあります。まずそれを理解しないことには、韓国理解の最初の第一歩は始まりません。

しかし「日本人の常識では考えられないことが、韓国では普通にあります」と言うだけで、たちまち「なるほど!」と理解出来るものではありません。大抵の人は「まさか」「それは特殊事例では?」「大袈裟に言ってるだけだろ」と思うでしょう。何しろ当の韓国人に韓国の常識を確認しても、「まさか」「一部を見て全体を判断しないでください」「大袈裟です」と言うのですから。

「日本人の常識では考えられないことが、韓国では普通にある」ということを理解してもらうためには、様々な実例をあげて見せ、更にそれが韓国では今も普遍的に頻繁に現在進行形で見られるものであることを示して見せる必要があります。

それを文章にすれば、大変な量になります。書く方も大変ですが、読む方も楽ではありません。第一、基礎知識が整っていないところに大量の情報を流し込んでも、消化不良を起こすのが関の山です。

ですから、私は韓国や韓国人を説明するには、いきなり大量の情報を一気に押しつけるのではなく、時間をかけて少しずつ理解を進めていくのが良いと考えております。

現在弊ブログには、1300を超える数の記事があります。これを今から全部読めと言われれば、書いた私でさえうんざりします。しかも、かなり気ままに書き散らかしているので、古いものから順に読めば理解が進むという仕掛けにもなっておりません。

ただ記事ごとの文章量は、読むにそれほど苦になるものではありません。また、同じようなことを言葉を変えて述べているものも結構あるので、テーマを揃えて読みやすい量にまとめれば、そこそこわかりやすい韓国理解の手引きになり得るのではないかと自負しております。

韓国について何も知らない人が読んでも良いですし、韓国をある程度知っている人が、更に理解を深める足掛かりに使っていただくことも出来るでしょうし、韓国を知らない人に韓国を説明するための参考資料としても使えるかもしれません。

というわけで、弊ブログの書籍化についてご検討いただける出版業界の方がいらっしゃいましたら、是非前向きに検討していただければと願う次第です。



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本日もクリックありがとうございます<(_"_)>

平成25年年末ご挨拶

今年もいよいよ押し迫り、まもなく新しい年になります。この一年、弊ブログをご愛顧いただき、まことにありがとうございました。今年も、例年に違わず良いことも悪いこともありました。しかし総じて、日本にとっては良い一年だったと私は感じております。

昨年末に民主党から政権を奪還した自民党のスローガンの如く、徐々にではありますが日本が取り戻されつつあるのではないでしょうか。

特にサヨク系の人や親韓・親中な人に顕著なのですが、今の日本を「右傾化している」と非難する人々がいます。「右傾」という言葉を辞書で引くと【保守的・国粋主義的になること。右翼的な傾向を強くすること】となっております。ですが、今の日本を保守的・国粋主義的と言うならば、現在国家として成立している国で保守的・国粋主義的でない国などないと言い切っても良いぐらいです。

私が思うに、今の日本を「右傾化している」と非難する人々は、日本人が日本という国を大切に思うことを、何が何でも阻止したい人々なのでしょう。

日本人が日本という国を大切に思わず蔑ろにすれば、日本という国はいやが上にも弱体化します。そうなれば、日本を毀損したい人々が付け入る隙は幾らでも出来ます。やりようによっては、日本人の方から諸手を上げて日本を毀損する人々を迎え入れるように仕向けることも、難しくありません。

それが現実となったのが、あの悪夢の3年3ヶ月でした。

昨年末にようやくその悪夢から覚めることが出来ました。しかも悪夢の3年3ヶ月を取り戻す勢いで安倍政権が快進撃を始めたのには、嬉しく思う反面、高転びに転んだら大怪我するぞとハラハラしたものです。

ところで自民党は「日本を取り戻す」と言っておりますが、私は別に日本に強い国、大きな国になってほしいとは思っていません。私が日本になってほしいのは、「普通の国」です。「普通の国」と言うだけではあまりにも漠然としています。具体的には「日本人が日本という国に愛国心を持つことをタブーと思わない国」、「日本人のための国」です。

かつて弊ブログでも、日本人の日本に対する愛国心アレルギーが浮き彫りになったことがありました。あれは私には、結構ショックな事実だったのです。「それほどまでに日本人は自国に愛国心を持ってはいけないと刷り込まれているのか」と。

しかしそれも徐々にではありますが、修正されつつあるように感じます。その原因はいろいろありますが、中朝韓の特亞三国による反日が、日本人に広く知られるようになったのも、大きな原因のひとつでしょう。

特に韓国の反日には、見るべき理由がありません。

日本と中国・北朝鮮はイデオロギーを異にしますから、イデオロギーの対立が反日の理由と思おうと思えば無理やり思えなくもありません。しかし韓国は、仮にも日本と同じ西側陣営の一員です。

また日本の発展は、韓国にとっても大きなメリットになり得ます。と言うか、実際これまでになってきました。

日本人の愛国心の向上を妨げ、日本人が日本を蔑ろにするように仕向けることで韓国が得られるメリットは「自己満足」だけなのですが、韓国人はそれを理解することが出来ない人々なのです。そのことが、日本人にも少しずつではありますが浸透しつつあります。

誰でも、自分自身が攻撃されるだけなら、堪えることは出来ます。しかし自分の大切な人やものが攻撃されることには、なかなか黙ってはいられません。日本が韓国に、根も葉もないことで罵られたり貶められることに憤慨することは、日本人にとっては何よりの愛国心の涵養のきっかけになったのでしょう。

今後どうなるかは歴史の流れの中で判定されることになるでしょうけれど、2013年は、日本が「普通の国」になる一歩を踏み出した年と言うことが出来るのではないでしょうか。もし2013年が「日本が普通の国になる一歩を踏み出した年」であるならば、来たるべき2014年は、日本を「普通の国」にするための軌道に乗せる年になるかもしれません。もしそうなれば、日本に「普通の国」になってほしくない国は、あの手この手で日本の「普通の国」化を妨害してくる年になるかもしれません。

いずれにせよ、嫌韓の私にとって2013年は、期待を大きく上回る良い年でした。だからこそ2014年は、前年の記憶に引きずられて緩んだり驕ったりすることなく、また前年の記憶から来る期待通りに日本の「普通の国」化が進まなかったり、もしかすると後退したりしても、無闇に落ち込んだり腐ったりしないように、平常心と中庸を心がける年にしたいと思っております。

それでは間もなく訪れる新しい年が、日本と皆様にとってより良い一年になりますように、また来年も弊ブログに変わらぬご指導ご鞭撻ご声援を賜りますようにと願って、平成25年の年末ご挨拶とさせていただきます。


平成25年(西暦2013年)12月31日
筆者敬白
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平成24年年末ご挨拶

この一年、弊ブログをご愛読下さり、まことにありがとうございました。過ぎてしまえばあっという間のような気もしますが、今年もいろんなことがあった一年でした。

中でも直近12月に行なわれたということもあって、やはり民主党からの政権奪還は感慨深いものがあります。もちろん、自民党が政権を握ったからと言って、今後の日本が薔薇色になると気楽に考えるほど私は自民党を信用しているわけではありませんし、そもそも私は自民党の支持者ですらありません。

その割には自民党を支持しているようなことを書いてたじゃないかと思う方もいらっしゃるでしょうが、それは3年3ヶ月の長きに渡って損なわれた日本を取り戻すビジョンと能力を有していると思える政党が、現時点では自民党しかないからです。

ちなみに、私が大阪府民ということをもって「どうせ橋下信者でしょ」と言う方もいらっしゃいますが、橋下氏及び維新の会に私が票を投じたことは、残念ながら一度もありませんw 

要するに、私は日本で最多勢力を誇る「無党派層」にカテゴリされるべき有権者です。ですので、過去の記事において、「民主党にだけは投票するな」と書いたことはあっても、特定政党を名指ししてそこに投票しましょうと書いたことは一度もないはずです。

過去の自民党政権下においても、対特亞関連で私がふざけんなと憤る政策が実施されたことは幾度もありました。また自民党にも特亞と密接なつながりを持っている議員がいることは知っております。自民党に帰化人の議員がいた事も、具体的に誰とは全く存じませんが今もいるかもしれないことも、織り込み済みです。今後も、自民党政権が対特亞関連で弱腰と思える対応をするだろうことも、想定の範囲内です。

それでも友好という美名の下、特亞に日本を切り売りしようとする政党に日本の政権を握らせておくよりは半万倍マシというだけの話なのです。

思えば長い長い3年3ヶ月でした。最悪と思った村山政権を遥かに上回る悪夢の日々でした。

その間に私に出来ることは、私が知り得た韓国の実態を日本に広めることだけだと信じて、弊ブログを続けて参りました。私だけではなく、多くの有志の方々が、倦まず弛まず特亞に対する警告を発し続け、徐々にではありましたが、その手応えが感じられるほどになってきました。

嫌韓よりも嫌韓を促すのはいつも韓国人ですが、それでも事前に日本人の対特亞観に変化がなければ、今年8月の李明博韓国大統領の竹島不法上陸や、天皇陛下に対する侮辱発言に関しても、ここまでの反応はなかったかも知れません。

それを思うと、毎回苦しみながら韓国考察を捻り出し続けた甲斐が、多少はあったかも知れないなどと、少々自惚れてみたりしたくもなりますw

しかし、全体的な日本の対特亞姿勢や意識はまだまだです。いまだに「韓国に関することを悪く言ったり考えたりしてはならない」という韓国のマインドコントロール下に置かれている日本人はたくさんいます。グラフで言えば、マイナスの位置でしょう。しかも、今後プラス方向にベクトルが進むという保証は全くありません。気を緩めれば、再びマイナス方向へと雪崩れる恐れも多分にあります。

そうさせないためにも、今後も引き続き韓国に関する情報や考察を発信し続け、多くの日本人の皆様とそれを共有したいと考えております。

それでは来たるべき新しい年が、日本と皆様にとって良い一年でありますことを祈って、また来年も弊ブログに変わらぬご指導ご鞭撻ご声援を賜りますよう願って、平成24年の年末ご挨拶とさせていただきます。


平成24年(西暦2012年)12月31日
筆者敬白
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平成23年年末ご挨拶

とうとう今年も本日限りとなりました。思い返せば平成23年という年は、震災前と震災後に分けられると思います。

震災前の私は、今日という日は昨日からの続きで、今日という日の時間が過ぎれば、大きな変化もなくのんべんだらりと明日になるものだと無意識に思っていました。

震災があろうとなかろうと過去に戻ることなど出来はしないのですが、それでもなんとなく、振り返ればそこには「昨日までの日本」があって、手を伸ばせば簡単に届くような気がしていたのです。

尋常ならざる力で破壊された街を、テレビカメラを通してではなく、実際にその場に立って目の当たりにした阪神淡路大震災の時でも、その気持ちは損なわれませんでした。

しかし3月11日の東日本大震災の時、私はまるでそれ以前の時間の流れからざっくり切り離されたような、振り返ると手が届くような気がしていた「昨日までの日本」が、もう絶対に手の届かないところに行ってしまったような、強烈な喪失感を味わいました。

それと同時に「これからの日本」を否応もなく強く意識することになりました。「私たち日本人には、この日本しかないのだ」ということも、痛烈に実感することになりました。多分、多くの日本人も同じようなことを感じたのではないでしょうか。

そういう意味であの大震災は、「日本人が日本人として今後の日本をどうするか」ということを、そんなことは政治家とか、誰か知らないけどどっかの偉いさんとかがいつの間にかしてくれることで、自分たちには直接関係ないんだと無意識で思っていたことを、「日本人ひとりひとりがやらねばならないこと」としてつきつけられた出来事だったと思います。

震災は、日本と日本人を大きく傷つけました。その痛みも失ったものも背負わなければならなくなったものも、あまりにも巨大です。そのことを私たち日本人は、実感として共有することになりました。

ある意味私たちは、日本と日本人であることから逃げることなど出来ないということを、すなわち、「日本人としての覚悟」を、震災を契機に持たされたと言っても良いでしょう。

その点震災直後に、日本にいた韓国人どもが雪崩を打つように韓国に逃げ帰ったのは、実に象徴的でした。

もちろん大災害の時ですから、韓国人に限らず、外国人に帰っちゃならんなどとは決して言いません。それどころか、こと韓国人にはむしろ、是が非でも国に帰れと言いたいぐらいです。韓国に帰って、二度と日本に来るなと。

しかしその後、日本がどうにか落ち着きを取り戻すと、逃げた韓国人どもは再び何食わぬ顔で戻って来ました。

その上、日本の震災には韓国が一番最初に支援しただの、それなのに日本が竹島の領有をいまだに主張するのはけしからんだのと喚き散らし、とうとう竹島問題について調査するために鬱陵島を訪れようとした日本の国会議員の入国拒否までする始末。

まことに韓国という国は、日本にとって害毒でしかないということを改めて確認することになったのも、今年でした。

もっとも、日本にとって韓国が害毒であるということは、弊ブログの読者諸姉諸兄にとっては今更感溢れる話でしょう。

そもそも弊ブログは韓国について概ね言い尽くしており、今更感だらけです。目新しいネタを提供したいのは山々ですが、元来が薄くて浅くて上っ面な連中ですから、掘り下げるにもその余地が既にありません。

それでも弊ブログが更新を続けているのは、ひとりでも多くの日本人に、少しでも韓国についての真実を広めたいという思いからです。

真実と嘘を並べれば、真実の方が強いのは間違いありません。でも、どんなに強い真実であっても、それを人に見せることが出来なければ、嘘に敵わないのは当たり前です。相手が何度打ち破っても同じ嘘を繰り出してくる限り、こちらも何度でも同じことの繰り返しであっても、真実を提示し迎え撃たなければ、嘘は堂々とまかり通ってしまうのです。

だからこれからも同じことの繰り返しだろうが何だろうが、とにかく更新を続けて、ひとりでも多くの日本人に韓国に関する真実を共有していただきたいと思っております。

それこそが韓国が放つ嘘と、それに協力する人々に対抗するため、私に出来る最大の方策と信じて。

例年と同じく、過ぎてしまえばあっという間という思いももちろんありますが、それでも今年は長い長い一年でした。震災の影響が残るであろう来年も、容易な年ではないかもしれません。

ですが新しい年を迎えることは、新しい希望に向かって歩き出すことでもあります。後ろ向きに逃げるのではなく、前を向いての出発です。顔を上げて胸を張って、新しい一歩を踏み出しましょう。

新しい年が、この日本と皆様にとって良い年となりますように、そしてまた来年も弊ブログにご指導ご鞭撻ご声援を賜りますように願って、年末のご挨拶とさせていただきます。


平成23年(西暦2011年)12月31日
筆者敬白
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平成22年年末ご挨拶

今年は最終更新が31日になったので、最終更新で年末ご挨拶を兼ねようかとも思ったのですが、やはり締めくくりは締めくくりできちんとしないと尻の座りが悪い心地がしますので、蛇足になるかもしれませんが、本年最後のご挨拶をさせていただこうかと存じます。

今年もいろんなことがありました。個人的に今年最大と思うニュースは、はやぶさの帰還です。

半島関連では、すわ朝鮮戦争再開かと思われた延坪島砲撃事件が最大のニュースでしょう。12月31日現在で、朝鮮戦争はいまだ再開されておりませんが、かと言ってその可能性がなくなったわけではありません。

もし朝鮮戦争が再開されれば、日本としても他人事全開というわけにはいかず、多少なりとも影響を受けるのは必至でしょう。

戦争経験のない私としては、出来れば未経験のまま一生を終えたいというのが正直なところではあります。ただ、「そうなってほしい」という願望を、韓国人がそのまま何の根拠もなく「そうなるだろう」と決めつけ、さらにそれを「そうなるに違いない」と発展させて思い込む愚を犯してきたのを笑った立場としては、同じことをするわけに行きません。

このことに限らず、韓国ウォッチをしていると、自らの身を省みさせらることがよくあります。

これは実は、結構苦しいものがあります。聖人君子でない身であれば、いけないとわかっていてもしてしまうこともありますし、だめだとわかっているのになおせないこともあります。そういう時に、「聖人君子じゃないんだから、しかたないよね」と言って自分を許してしまえれば、どれほど楽でしょうか。

しかし長年韓国ウォッチをしているせいか、自分を許してやりたくても、頭の片隅で「お前は韓国人かw」と私を嘲笑う私がいます。これが実に苦しい。いっそ本当に韓国人であれば、どれほど楽でしょうか。

しかし、「韓国人だったら楽だろうな」とは思っても、韓国人になりたいとか、韓国人だったら良かったのにとは微塵も思えません。

日本人なら誰でも共感いただけると思いますが、日本人であることは、結構しんどいし苦しい。それでも私は、日本人として生まれてきたことを全く悔やんではいないし、死ぬまで日本人であり続けたいと思います。おそらく、日本人の多くが同じことを思うでしょう。

日韓チャットをしていなければ、またブログを書いていなければ、こんなことは多分考えなかっただろうと思うと、苦しいなりに得るものはあったのだなと思います。今後もそれを、弊ブログをご覧の方に少しでもお伝え出来ればと思っております。

ともあれ今年も1年間、なんとか続けることが出来ました。これもひとえに皆様のご支援の賜物です。本当にありがとうございました。

それでは新しい年が皆様にとって良い年でありますように、そしてまた来年も弊ブログにご指導ご鞭撻と、ほんの少しでもご声援を賜れますよう祈って、年末のご挨拶とさせていただきます。


平成22年(西暦2010年)12月31日
筆者敬白
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今回のコメント欄における一連の討論について

コメント欄が賑やかになると嬉しい筆者です、こんにちは。

さて、今回のコメント欄における一連の討論において、筆者からも一言申し上げておきたいと存じます。

今回のコメント欄における一連の討論のそもそもの発端は、先日のチャットログにおいて、私が韓国人に対して行なった質問を、弊ブログの愛読者であるTacky氏が「相互複雑な背景がある中で自分達が望む回答が出るような質問で問い質す事」であると指摘されたことからです。

つまりTacky氏は、今回のチャットログにおける「韓国人の回答」を、「私が望んでいた回答」であると断定したわけですが、その根拠が私には全くわかりません。更に実際のチャットログ内において、韓国人の回答は2種類あることになったわけですが、Tacky氏の考える「私が望んでいた回答」とは、2種類の回答の内のどちらのことなのでしょうか。

私は当該質問において、「借金したのが誰か」で回答が変わらないことは、確かに望んでおりました。しかし、あらかじめ自分が用意した回答に韓国人を導いたつもりは全くありません。

今回の質問において、仮に彼らが「カネを貸す方は、借りた者に対し、無期限無利子無催促で貸すのが当然であり、そうしなかった者が反省するのは当然で、それを促すこともまた、当然である。少なくとも韓国ではそれが当然の道徳だ」と答えても私は全然構わなかったし、彼らはそう答えることも、十分に可能だったはずです。むしろ、そういう回答の方が、弊ブログ的にはインパクトのあるネタになりますから、私個人にとっては望ましかったかもしれませんw

またコメント欄におけるjunchan氏とのやりとりにおいて、Tacky氏は唐突に「こちらが言っているのは今回の内容に限った話ではなく、相手を糾弾する手法に関しての方が主です」と仰られました。この「今回の内容に限った話ではない」というフレーズが突然出てきたことに、私は大変驚きました。何故なら、それまでのコメントは「今回の内容に限った話」でしかなかったからです。

これをTacky氏は「何かポイントがズレてますね」と前置きされておられますが、ポイントをズラされたのはこの場合、どう見てもjunchan氏の方でしょう。

もしかするとTacky氏の頭の中では最初から「今回の内容に限った話ではない」という前提があったのかもしれませんが、討論においてあらかじめ明示しなかった前提を後から出して、その前提に沿ってないと言って相手を批難するのはルール違反以前のマナー違反ではないかと思います(韓国人との討論では非常に頻繁にあることですがw)。

Tacky氏の「一言で言うと「議論すべきポイントを無視した質問の仕方は不毛である」という主張もここで初めて出てきております。

しかし私は「「議論すべきポイント」をあらかじめ設定した質問」というものこそが、Tacky氏の仰る「Leading」になると思います。そもそも、元々の質問は「議論」を目的としたものではありません。質問の目的は「議論」ではなく、「韓国人のスタンダード」を聞くことです。

Tacky氏は『韓国人が日本人に「もしあなたの隣人が自分の敷地を超えてあなたの庭の一部にまで植物を植え始めました。あなたはその場所は自分の敷地なので植えないで欲しいと訴えたが無視されたので、あなたはそこにフェンスを張って隣人が勝手に入ってこれないようにしました。このあなたの自分の敷地を守る為の行為に問題あると思いますか?』という質問をした場合を例示されておられました。

Tacky氏の例示された質問は明らかに、「自分達が望む回答が出るような質問」です。話の流れから言ってTacky氏はこれをチャットログ内の「もし、お金がなくなって、誰かに借金したが、返すために苦労をした場合、貸してくれた人に対して、後日に【苦痛を与えられた。お前は反省しろ】と言う人のことを、韓国ではどのような人と形容しますか?」と同じ形式の質問だとお考えのようですが、既にコメント欄においてご指摘いただいているように、Tacky氏の例示された質問は私がした質問と同じ形式ではありません。むしろチャットログ内において、韓国人が私の質問を必死で改変しようとしていた内容に酷似しています。

Tacky氏の今回の一連のコメントは、弊ブログを「批難したかった訳ではなく、このブログが単なる嫌韓サイトでなく正当なロジックに基づいて韓国の真の姿を解明して頂いている希少なサイトと勝手に信じている」が故のご忠告だそうですが、このフレーズを見たとき私は、日韓チャットにおける韓国人の「日本人は親切だと思ったのに!」という常連日本人に対する常套句を連想しました。即ち「日本人ならばすべからく親切であるべきなのに、何故お前たちは親切ではないのか」という非難です。

Tacky氏の「このブログが単なる嫌韓サイトでなく正当なロジックに基づいて韓国の真の姿を解明して頂いている希少なサイトと勝手に信じている」が故にされたコメントも、要するにTacky氏が信じるブログとして相応しくない内容であったと仰ってるわけです。これを「批難したかった訳ではない」と仰るならば、Tacky氏が何を望んでコメントされたのか、私にはまるで理解が出来ません。

弊ブログでは元々、批判も異論も反論も大歓迎していることは、弊ブログをご愛読くださっている方ならばよくご存知と思います。何故なら、私は全知でも全能でもありませんので、このブログで書いていることが全て正しいわけでもありません。第三者による批判や異論反論は、筆者の不明や誤り、言葉足らずな点や問題点を明確にすると考えています。同じ理由で、コメント欄における読者の皆様同士の討論も、弊ブログにおいては歓迎しております。

しかし、「批判や異論反論大歓迎」というのは、「批判や異論反論に無条件で迎合します」という意味ではないということと、ブログの内容が自分の思い通りにならないことに対する「批難」や、公開コメントで問い質しておきながら、討論を途中で放り投げるような真似は、筆者のみならず、弊ブログのコメンテーターや読者の皆様に対しても大変失礼な行為であるということは、一応申し上げておきたいと思います。

最後になりましたが、実はTacky氏のような方のコメントは、韓国人と対峙する際の日本人の考え方の問題点が明白になるという意味で大変参考になると考えております。議論内容とは別に、この点については、Tacky氏に重ねてあつく深く御礼申し上げたいと存じます。



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平成21年年末ご挨拶

いよいよ本年も今日で最後となりました。弊ブログ5回目の年越しです。我ながらよく続いていると思います。

この1年で、実は弊ブログへのアクセス数は激減しました。おそらくピーク時の半分か、あるいはそれ以下かもしれません。その理由は、幾つか考えられます。まず最初に思いつく理由は、単純に「飽きられた」ということでしょう。

弊ブログは3日おきに更新されると言っても、以前にも書いたことのあるテーマのものが少なくありません。「何だ。また焼き直しか」なんて思っていらっしゃる方も、もしかしたらおいででしょう。それは私の文章表現力の拙さもあると思いますが、同時に韓国そのものの、何かにつけ浅くて薄くて上っ面という点もあると思います。

韓国に接し始めると、最初のうちは彼らの斜め上加減に目がくらんで引きずり回されてしまいますが、彼らの斜め上加減にある程度免疫が出来れば、彼らの所業に驚くことはあっても、それが浅くて薄くて上っ面ゆえだということは、見抜くことが出来ます。

それはたとえて言うなら、初めて韓国料理を食べた時に、唐辛子とニンニクの強烈さに普段の味覚や嗅覚を奪われて、人によってはそれにハマってしまうのにも似ていると思います。日本料理ではあまり見られない韓国料理の強烈な色や味、臭いの料理に度肝を抜かれてしまうようなものです。しかし、それもそう長くは続きません。確かにインパクトは強いのですが、そこまでです。単調で、広がりも深みもありません。

私はあまり詳しく知らないのですが、韓国ドラマや韓国のポップソングも、インパクトは強いが単調という傾向が強いようです。その根源たる「韓国」も「韓国人」も、慣れない者には非常にインパクトが強く、そのため普通の日本人が韓国や韓国人を知れば、なかなか俄かには信じられないような話がわんさか見聞き出来ます。

しかしひと通り彼らのパターンを見尽くせば、あとはそのパターンの繰り返しなわけです。そのため、一時の「韓流捏風」に踊った人々も、おそらく今頃は憑き物が落ちたようになっている人が多いのではないかと思います。まあ、いまだに踊ってる人もいるみたいですが。

次に、韓国については非常にネガティブな意識や感情を刺激されることが多いということがあると思います。弊ブログは、あまり見苦しい言葉を用いないように配慮して書いているつもりではありますが、それでも書く対象が対象ですから、どうしても不快を感じたり、気分が悪くなったりします。そういうブログが敬遠されるのは、しかたのないことでしょう。

それから、かつて日本の韓国ウォッチャーに幾多のお笑いを提供してくれた故盧武鉉前大統領を上回る破壊力の人物が、日本の総理大臣になってしまったことも、いくらかは関係しているでしょう。他には、支那の脅威もありますし、反日日本人の問題もあります。

今の日本は、韓国なんかに気を取られてる場合じゃねえってのは、私もひしひしと思いますw

しかし、誰に命じられたわけでもないのに、自ら進んで韓国ウォッチを始めたのは私自身です。こうなったら最早私は韓国担当と割り切って、今後も韓国の観察と考察を重ね、私の知り得たことを知り得た範囲でお知らせし、また私の考えを読者の皆様と共有することで、更に深い考察へと進め、それをまた弊ブログで皆様と共有して、一人でも多くの日本人に韓国についての情報を広めていきたいと思っております。

それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。そして来年もまた、弊ブログにご指導ご鞭撻と、ついでで良いので多少のご声援もいただければ、幸甚これに勝るものはないと存じます。


平成21年(西暦2009年)12月31日
筆者敬白
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司馬史観と司馬朝鮮観について

直接日韓に関係する話というわけではないのですが、個人的にファンということもあり、また前回記事のコメント欄でのご意見に触発された部分もありまして、今回は司馬史観と司馬朝鮮観について述べてみたいと思います。

いわゆる【司馬史観】というものの是非功罪は、しばしばさまざまなシーンで取り上げられることがあります。それだけ司馬遼太郎氏の作品が、日本人に愛されているということでもありましょう。

【司馬史観】が取り沙汰される背景には、氏の歴史小説では史実に忠実な部分が多く、また氏の筆名からも、中国の史記の著者である司馬遷を連想してしまうために、ややもすると氏を「歴史家」と誤認してしまうからだと思います。

しかし氏は、言うまでもなく「作家」であり、「小説家」です。氏の書いたものがどれほど史実に忠実であろうとも、その主眼は「史実を記すこと」ではありません。正しい史実を誤解を生じない表現で書くか、たとえ史実との齟齬が生じようとも、小説として読んだ時に楽しめる表現で書くかを天秤にかけた時、「小説家」である司馬遼太郎氏がどちらを重要としたかは、考えるまでもありません。

また「歴史家」でも「歴史学者」でもない氏にとって、それがたとえ史実に対する誤解を生じさせるものであったとしても、自分の作品において「自分が感じたとおりに表現したい」という欲求を抑える理由には、全くなりません。それが「作家」であり「小説家」というものではないかと思います。

歴史を歴史として見ようとする時、氏の著書に引かれた史料に直接当たるならばともかく、氏の主観を経た記述をそのまま史料とすることは出来ないし、やってはならないと思います。おそらくは、司馬遼太郎氏本人もそれを望んではいないでしょう。

どれほどノンフィクションが混ざっていようとも、フィクションとして書かれた作品はフィクションとして受け取るべきです。どうしても作中のノンフィクションの部分を抽出したいのであれば、それは作品の読解とはまた別の作業になります。

いわゆる【司馬史観】の是非功罪をここで全て論うのは、氏の作品を一点余さず読んだわけでもない私には、あまりにも荷が重過ぎますが、ただ、氏の朝鮮に関する認識や表現、述懐については、些かながら言上したいことはあります。

それは、氏がかなりの偏見を持って朝鮮を見ていたということです。その根源は、昭和初期の日本への憤怒、もっと突き詰めて言うならば、若かりし頃の氏を戦地へ送り込み、そこで死ねと自分に強要した【日本軍部】というものへの憤怒の裏返しと言っても良いでしょう。

その憤怒の余り、氏は朝鮮に対しては極めて同情的だったと思います。それは、共に【日本軍部】の暴力の被害者であったことについての共感と、氏自身が【日本軍部】の部品のひとつとして戦争に、ひいては朝鮮に対する加害に関与したことについての自責の念とがない交ぜになったためではないかと思います。

この複合感情は、あの時代の日本人には極めて共感を得やすい感情だったのではないでしょうか。当時日本人の多くは、戦争被害者でありながら同時に敗戦国の国民として、加害責任を感じることを強要されていたからです。

加えて、司馬遼太郎氏の朝鮮観は極めて散漫で断片的な知識に基づいています。それについては氏自身、「街道をゆく」シリーズの耽羅紀行の中で、
 「両班」
 これこそ朝鮮を知るための手がかりの一つだといわれてきたが、私は本気で関心をもったことがない。
 「ボクは両班の子なんだ」
 ということばを、こどものころから何度もきいた。
 わりあい数が多かったから、朝鮮人はみな両班だと思うことにした。そういうように、概念や実態を朦朧とさせておくほうが、かえって正確なのではないか。
と述べています。

氏にとって朝鮮は、興味の対象ではなかったのでしょう。仮に興味を持ったとしても、朝鮮自体には資料も史料も、絶望的なほどにありません。日本や中国にある朝鮮の資料や史料に当たるとしても、それらを素直に且つ詳細に読めばどうなるかは、言うまでもありません。

ならば曖昧に、たとえて言うならばモザイクのかかった画像を目を細めて見たり、近視の人なら眼鏡を外して見れば、鮮明に見える「ような気がする」ということを、氏は朝鮮に対して行なっていたのではないかと思います。

氏は、日韓併合について「そろばんに合わぬことをした」「日本は損をした上に朝鮮人の怨みまで買った。ばかげたことをしたものだ」というような言い回しを用いて批判しておられるのを、幾度か見聞きしたことがあります。これは当時の日本人の日韓併合に対する視点としては、かなり珍しいものであったのではないかと思いますが、おそらく氏が日本の明治期の史料を読み解くうちに気づいたことだと思います。

もっとも、NHKか何かで放送された氏のこの手の発言を聞いた在日朝鮮人が、「朝鮮を馬鹿にしている」という意味のことを怒りを込めて書いていたのを読んだ記憶があります(確か金両基ではなかったかと思うのですが、記憶が曖昧で確信はありません)。

この程度のことを言っただけでも、朝鮮人の不興を買うとなれば、興味も関心もない上に、作品の素材とすることも出来ない朝鮮については、氏は当たり障りの無さそうなことか、少なくとも朝鮮人の機嫌を損なわぬようなことだけしか言わぬように気を配っていたと思われます。

このことは確か、日本人である司馬遼太郎氏と、在日中国人の陳舜臣氏、在日朝鮮人の金達寿氏らとの鼎談に先立ち、司馬氏が「朝鮮」という語を使う理由を縷々述べ、使用の了承を求めていた点からも間違いないと思います。

司馬史観と、氏の作中に表れる朝鮮観の共通点は、どちらも「資料や史料に忠実な部分もあるが、齟齬や虚構に基づく創作も多分に含まれており、且つ執筆に当たって最も重視されていたのは、作者自身の表現欲と、読者の「受け」である」という点だと思います。

ただし、氏がそういう姿勢で書いた物が、「韓国起源説」や「朝鮮文化大国説」のブースター的役割を果たし、今もなおその後遺症を残しているという一点については、氏の迂闊さを責めたいと思います。



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平成20年年末ご挨拶

今日で今年も終了です。今年もそれなりに激動の1年でした。

韓国関連で言えば、酋長が盧武鉉から李明博に代わって10年ぶりの政権交代となり、南大門(崇礼門)が焼失し、狂牛病関連の捏造報道に端を発した3ヶ月にも及ぶ燭火デモが行なわれ、それが沈静化するかしないかの頃から経済破綻が露呈し始め、10月からは連日のように「韓銀大勝利、ネトウヨ涙目。今日も致命傷で済んだニダ」を見せてくれました。

満身創痍で迎えた11月に米韓スワップ、更に12月に入ってから日韓・中韓スワップというドーピングを行なって何とか今年一杯は持たせることが出来た韓国経済でした。

また、年末ギリギリにEnjoy Koreaが大規模な板の削減と仕様の大幅な劣化を伴うリニューアルを行なったようです。私はあそこのID持っておらず、直接には関係がないのですが、やはり日韓ネット交流の場としては大きな場所だったと思いますので、今後の日韓ネット交流に何らかの影響があるのではないかと思います。

それより日韓チャットがいつ潰れるかということを、私は心配するべきかもしれませんw 

現在利用している日韓チャットは過疎化が激しい割に苦情が多そうで、おそらく運営側もうんざりしているであろうことは想像に難くありません。これまでに渡り歩いてきたいくつかの日韓チャットでは、ある日突然「もうやーめた」的に放り投げて終了ということが幾度かありましたので、今使ってるところもそうならないと考えられるほど楽天的にはなれません。

ともあれ、弊ブログも、何とか4回目の正月を迎えることとなりました。これもひとえに読者の皆様のご声援と、日韓チャットの常連日本人のご指導、及び常連韓国人のご協力の賜物と深く感謝しております。

ブログというものは、内容も当然軽視されるべきではありませんが、継続することによる知識の整理・蓄積・集約が非常に重要だと思います。

と言うか、そう信じて、書けない時でもとにかく書き続けておりますw

色々と拙い部分もあったと思いますし、記事を見て「そりゃ違うんじゃね?」と思われた方も大勢いらっしゃったことと存じます。

それでも、未熟な筆者を見捨てずお付き合いいただいた皆様には、本当に感謝してもし切れません。どうぞ来年も、引き続きお見捨てなくご愛顧いただければと願っております。

それでは皆様、良いお年をお迎えください。

平成20年(西暦2008年)12月31日
筆者敬白
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謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。今年もブログ月見櫓をよろしくお願いいたします<(_"_)>

新年早々、日本海側では大雪とのことですが、大阪も大変寒うございます。ファンヒーターが唸りをあげて稼動しているのですが、室温が18度からあがりません。暖房を入れてない台所など、冷蔵庫の中の温度と室温が変わらないのではないかという気さえします。皆様もお風邪など召されませぬよう、どうぞご自愛くださいませ。

さて、年越しはあえて日韓チャットにもつながず、って言うか、ネット以前にPCの電源を切って、ジタバタと家の掃除などをしておりました。年が明けてから、ネットで親しくしている数人に明けましておめでとうございますコールをした後、一応ネットには接続したのですが、何となくチャットにつなぐ気にはなれず、うろうろと定期巡回サイトをさまよっています。

年末のご挨拶でも書きましたが、彼らは今年も、来年も、韓国的10年後も変わらないんだろうなあと思います。それが良い状態であっても、変わらないということは劣化に他なりません。ましてや彼らは、後ろ向きの状態で変わらないのですから、手のつけようがありません。

年末に某うどん県で行なったオフ会でもそう言ったのですが、「いや、彼らも徐々に変わりつつある」という意見もありました。なるほど、いわゆる「ニューライト」と呼ばれる人々の台頭もあり、一方的に日本を悪とみなす風潮を批判する動きも、一応最近の韓国にはあるわけです。日本文化も解禁したとのことで、彼らもまったく変わらないわけではないと、思いたい気持ちはよくわかります。

ただ、彼らの中に変わり得る勢力が出るかどうかは、私は実はあまり重要視していません。重要なのは、「彼らの社会が変化を受け入れ得るかどうか」なのです。

この場合の変化というのは、生活様式や知識・学識レベルではありません。彼らの意識やアイデンティティです。

彼らが変わるためには、自らのアイデンティティを確立する必要があると思います。彼らにはそれがありません。あるいは日本に、あるいは中国に、またあるいは欧米にと、ふらふらそのアイデンティティをさまよわせ、時々思い出したように「ウリナラマンセー」と叫んではみますが、その「ウリナラ」がいったいどんなものなのか、彼らは把握していません。ただ「ウリナラマンセー」と言えば何となく心地よいので言ってるだけです。別に「ウリナラマンセー」じゃなくても、「ドクトウリタン」でも「チョッパリケセキ」でも、彼らにとって心地よければ何でも良いのです。

ウリナラの何がマンセーなのか、本当にドクトウリタンなのか、チョッパリケセキに何故勝てないのかということを、彼らが彼らの持つ妙なフィルターを通さずに見て、考えることが出来るようになれば、彼らも変わり得るかもしれません。しかしそんな日は、たとえ韓国的10年後でも来ないでしょう。

彼らに変わることを期待しても無駄ということは、弊ブログで何度も繰り返し申し上げてきました。変わり得るのは、彼らではありません。私たちです。

昔日本では、「韓国が嫌い」と言えば無条件でレイシストのレッテルを貼られました。それが近年では、まだ批判的な視線を向けられることはありますが、それでも堂々と嫌韓を名乗ることが出来るようになりました。

「嫌韓だけでは何も始まらない」と、今は亡き某嫌韓ブログの筆者が言ったのを見たことがありますが、確かにそれはその通りです。ただ嫌いだと言うだけでは、何も始まりません。嫌韓は、単なる通過点です。それは親韓でも同じです。

いつまでも親韓や嫌韓に留まっているのでは、韓国人と大差ありません。親韓の時に得たもの、嫌韓になって得たもの、それらを携えて、私たちは変わっていかなければならないと思います。

そのためにも、まずは日本に嫌韓を定着させなければならないのではないかと思います。結晶を作るためには、まずは溶液を飽和させる必要があるのです。

弊ブログが、その一助になればと願って、新年のご挨拶と代えさせていただきます<(_"_)>



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