どこを切ってもキム太郎
日本語は、そこそこ達者なようです。とりあえずコメントの文中にこれと言った文法上の誤りは見当たりません。ネイティブか、ネイティブ並みの日本語能力をお持ちと言って良いでしょう。ただ論旨の立て方は、完全且つ明白に韓国(朝鮮)人のそれです。
まず踊り子さんは「例えばアメリカが武力を背景として日本を植民地にし、日本人を散々馬鹿にしてこき使った上で、「アメリカのおかげで老朽化した高速道路やトンネルなどインフラ整備をし、経済の建て直しにも協力してやったのだから感謝しろ!」などと言われたら、どう思うね? 」などと言っておりますが、現実に日本は、戦後にアメリカの屈辱的な支援(家畜の飼料用の脱脂粉乳や、生産過剰の古米ならぬ古い等級の低い小麦粉が、当時の日本の子供たちの給食用として贈与されたこと)がありました。それが無ければ、当時の日本の子供たちが深刻な栄養失調に悩まされ、その後の戦後復興にも悪影響を及ぼしていたであろうことは事実です。
これについてどう思うと問われれば、当然腹が立ちます。しかし、それが当時の日本にとって屈辱ではありましたが、同時に恩恵でもあったことは、多くの日本人が認めるところでしょう。
更に言えば、「アメリカが落とした原爆のお陰で戦争が早く終わったのだから感謝しろ」というようなことを言うアメリカ人や、甚だしくは日本人にもそう言う人がいたりします。
これも強い憤りを覚える言いぐさではありますが、だからと言ってそれを理由に日本が国を挙げて反米を叫び、アメリカに謝罪と賠償を求めるべきとは全く思いません。日米同盟とは日米のみならず世界の平和維持の要であり、互いが互いの国益のために手を結ぶべき相手であることは厳然たる事実であり、それは両国の過去や個人の感情の如何に関わらず認めるべきものだと私は思っております。
続く「お宅などは、酔った米軍兵士にいきなり殴られても、「有り難うございます! アメリカ様のおかげで暮らしが良くなりました。 私如き者を殴って憂さが晴れますならば、いくらでも殴って下さいまし!」とでも言って、もう片方の頬も突き出すのだろう。
ついでに、米軍兵士の靴でも舐めてやるんじゃないの?」というご意見は、私には全く理解が出来ません。
これは日韓の関係を日米の関係に比定しているということで、「(韓国人が)酔った日本人にいきなり殴られても、「有り難うございます! 日本様のおかげで暮らしが良くなりました。 私如き者を殴って憂さが晴れますならば、いくらでも殴って下さいまし!」とでも言って、もう片方の頬も突き出す。ついでに、日本人の靴でも舐めてやる」ということと理解してもよろしいでしょうか?
確かに、どんなに勇ましく反日を雄叫んでいても、日本人の前に出ると途端に卑屈になる韓国人というのは珍しくありません。ですがここまで極端に卑屈な韓国人というのは、少なくとも私は見たことがありません。それはたまたま私が知らないだけで、韓国では結構ポピュラーなのでしょうか。こんな意味不明の喩えを持ち出したのは、そういうことなのかなと思ってしまいましたw
「韓国には、自分達の両親や祖父母達を酷い目に遭わされた人達がまだたくさん生きているのだよ。
お宅が、逆の立場ならばどう思うね?
そして、お宅みたいに自分勝手な事ばかり言っている者を見たらどう思う?
もう少し、相手の立場に立って物事を見、考えられるようになったら?
お宅みたいに自分中心でしか物事を見れない、考えられないなんて、出来の悪い子供のする事でしかないと言う事ぐらい、気が付いたら? 」という辺りは、韓国人お得意の「易地思之」ですねw そう言いながら自分は絶対に「相手の立場に立って物事を見、考える」ということはしないんですよ、韓国人w
既にコメントで指摘されておりますが「言っておくが、かつて日本が朝鮮のインフラ整備などをしたのは、別に朝鮮人達の為ではなく、朝鮮に住んでいる日本人や朝鮮に移り住む日本人達の為でしかなかったと言う事ぐらい、知っておきなよ。」という主張も、韓国人あるいは親韓が膏肓に入った人がよく言う決まり文句です。
誰のためであろうが、日本が朝鮮における有形無形のインフラを整備したのは事実であり、後の南北朝鮮人がその恩恵に浴したのも、揺るぎない事実です。って言うか、当時の朝鮮は日本で、当時の朝鮮人は日本人ですから、「朝鮮に住んでいる日本人」のためになったことを認めてるということは、当時の朝鮮人のためになったことも認めることになるんですが、良いですか?w
今回の踊り子さんのコメントで一番笑わせてもらったのが「とりあえず日本と韓国の貿易量ぐらい調べたら? 」という一文でした。これを切り札にする人のほとんどが、日本と韓国の貿易量を具体的に知らないか、知っててわざと無視しているかのどちらかですw
日本の貿易については、ちょいとググればいくらでも資料があるので、今までズボラぶっこいて貼ってなかったかもしれませんが、いい機会なのでとりあえずわかりやすいサイトのリンク貼っときます。
私は「日本にとって韓国は貿易量第三位の国なので、もし日韓が離間すれば日本は韓国というお得意様を失って経済的な打撃を被る」と言う人が、具体的な日韓貿易の数字を提示して主張しているのを見たことがありません。
そもそも日本から韓国への輸出が比較的多いのは、日本から部品を供給してもらわないと韓国の製造業が立ち行かなくなるからとか、日本の物大好き韓国人がめちゃくちゃ多いためであって、買いたくないと渋る韓国に、日本が無理くり押し売ってるわけではありません。
もし韓国が日本の物を買わなくなれば、一時的に日本が困ることはあるかもしれません。ですがジャパニーズビジネスマンは韓国だけを相手に商売しているわけではありません。世界が相手です。韓国との取り引きが途絶すれば、間髪入れず他の取引先や相手国を探すに決まっています。対韓貿易量など、それで十分間に合う数字でしかないのです。
日韓貿易が途絶すれば、たちまち困窮するのほぼ韓国の方であって、日本はそれほど困らないということは、それこそ資料を見れば一目瞭然です。それは嫌韓が如何にも喜びそうなことなのに、その嫌韓が日韓貿易について調べてないと確信するのは何故なのか、とても不思議に感じますw
そこから先は意味不明な侮りと蔑みなので言及は省きますが、とにかくコメントのどこを切っても朝鮮人臭がプンプンします。
ま、恒常的なネタ不足の折から、おかげさまで一記事稼げたので、それだけは御礼申し上げておきます。ありがとうございました<(_"_)>
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韓国の経済スタイル
開国後、日本の産業は二次産業にシフトしました。中でも外貨を稼いだのは繊維産業だったと記憶します。他は製茶だったかな。陶器などもあったように思いますが、主力は繊維、殊に絹だったはずです。今でも、日本から遠く離れた国の小中学校の教科書には、「日本の主な輸出品はシルク」と書かれているものがあると聞いたことがあります。
故司馬遼太郎氏も確か「かつての日本には絹とマッチぐらいしか売るものがなかった。そんな行商人か小間物屋みたいな商品しかなかったくせに、よくも世界を相手に戦争をしようと思ったもんだ」みたいなことを書いておられたことがあったと思います。
日本の近現代史を振り返ると、日本の産業は順調に発展推移してきたような印象があります。しかし実際のところはどうだっただろうと、最近思うようになりました。
日本の主要産業は明治維新後に二次産業にシフトし始めますが、それでも長い間一次産業が主要産業でした。その時代の日本の産業に小さからぬ打撃を与えたもののひとつに、朝鮮米があります。
厳密に言えば、その当時の朝鮮は日本の一地方でしたから、朝鮮米も国産米と言えなくはありません。また日本国内でコメの需要が急増し、朝鮮のコメがなければ需要を満たすことが出来なかった時期があったのも事実です。しかしながら日本国内での米作と朝鮮での米作が競合したのも、揺るぎない事実でしょう。
また、カネに目が眩んで(日本米よりも朝鮮米の方が高値が付くときもあった)後先考えず日本にコメを売りつけようとする朝鮮人も多かったようで、彼らは自分たちが食うコメを削ってでも日本にコメを運んだそうです。そもそも、朝鮮人が日常的にコメを主食とするようになったのは日本から近代米作技術が伝わってからですから、朝鮮人にとってコメはもともと食べるためというよりは換金するための作物だったのでしょう。
この時期のことを現在の韓国人は「日帝によるコメの収奪」などと言って日本非難のネタにしておりますが、実際には朝鮮米に圧迫されて、日本のコメ農家はずいぶん苦しんだようです。この当時には、収奪どころか朝鮮からのコメの流入を止めろという声が上がっていたことも、記録に残っております。その間、日本の米作農家の窮状はそのままに、繊維業は日本の花形産業として発展していきます。
終戦を迎え、日本が戦後復興のために必死だった頃、朝鮮(この頃からは「韓国」と言うべきかもしれません)ではアメリカの支援により三白産業と呼ばれる、繊維、製粉、製糖産業が台頭し、韓国の繊維産業はそれまで日本の主要産業であった繊維産業と競合することになります。私の子供の頃、安物の服と言えば必ずと言って良いほど韓国製でした。中国製の服は、当時はそんなにありませんでした。
もちろん日本の繊維業の衰退が韓国の繊維業の勃興のせいだけとは言えません。かつてドル円の為替レートは1ドル360円の固定相場であったために、日本の繊維業は価格的な国際競争力に優れていたのですが、変動相場制に移行するとそのアドバンテージが失われたということの方が原因としては大きいでしょう。
しかし日本の産業スタイルを韓国が後追いするというパターンは、その前時代のコメ産業から繊維業でも踏襲されたことは結果論であるとしても事実です。それによって日本における当該産業が多少なりとも打撃を被ったのも事実です。
時代と共に、日本の主要産業は軽工業から重工業へと移行していきます。日本の花形産業も繊維から家電や自動車などになっていき、高度経済成長の波に乗って、日本は一気に経済大国へと躍進します。すると韓国も、その足跡をたどるかのように重工業へとシフトしていきます。
2000年代に入り、私が日韓チャットに出入りするようになった頃、韓国人は「日本のソニーを韓国の三星が抜いた」と盛んに自慢しておりました。また日本国内では全く売れませんでしたが、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドなどにおける韓国製自動車の普及は凄まじいものがありました。
こうやって日本と韓国の産業史を振り返ると、日本が成功した産業を韓国が後追いし、やがて日本の産業にダメージを与えるというのがひとつのパターンになっているように見えます。
二度ある事は三度あるなどと申しますが、三度あることはまだまだその後も続くのではないかと考えなければならないのではないでしょうか。
日本は現在、観光立国を国是とし、インバウンドの誘致に国を挙げて挑んでおり、現在飛躍的な成果を見せております。同時に近年の韓国もまた、インバウンドの誘致に力を入れているようです。
実を言えば、インバウンド誘致政策については日本より韓国の方がずっと早かったと言うべきかもしれません。と言うのも、韓国で海外旅行が自由化されたのは比較的近年(1981年より段階的に自由化され、1989年に完全自由化)はであり、それまでの韓国の観光政策はインバウンドに向けたものが主だったからです。
ですが韓国のインバウンド誘致は、買い物や風俗系の遊びが主でした。韓国でそれらが安く買えた時代は、それなりに順調に客は韓国を訪れました。しかし韓国が経済発展するに伴い、それらの価格的なアドバンテージは減退していきます。何故なら、そういう客の観光動機は「低価格」であって、「韓国」そのものではないからです。「価格さえ安ければ韓国でなくても良い」という客が、物価の上昇した韓国にわざわざ訪れることがなくなるのは当然でしょう。
対する日本の観光政策は、当然ですが「日本」そのものに魅力を感じてもらうことに力を注いでおります。日本という観光地の価格的訴求力は決して高くありません。むしろそこが弱点と言っても良いぐらいです。それでも「日本」に訪れたいと外国人に思わせるために、現在の日本の観光産業は必死で努力しております。
アベノミクスによる円安という追い風もあって、現在の日本のインバウンド誘致は飛躍的な成果を見せております。成功したというには時期尚早に過ぎますが、今のところ順調に進捗しているとは言えるでしょう。これに対し韓国のインバウンドは、一時期の韓流特需があったものの、ウォン高とサービス意識の不徹底さ、観光地の貧弱さで劇的な落ち込みを見せているようです。
同じ業種で日本は順調に推移しているのに、ウリナラが不調というのは、彼らの自尊心(という名の劣等感)を刺激するのでしょう。韓国言論では日本やその他の国と比較した観光政策論をしばしば見かけるようになりました。
彼らが、自国を外国人に向けて魅力ある国にしようとするのであれば、それにケチを付ける理由は一切ありません。そうなればむしろ日本としても外国人に向けて韓国を抱き合わせで販売する(例えば「ロンドン・パリ5日間」といった感じで「トーキョー・ソウル5日間」という商品も企画し得る)という選択肢が増やせるわけで、歓迎しても良いぐらいです。
しかしながら韓国人にありがちな発想として、「自分が上になれないなら、相手を下に引きずり降ろせば良い」というものがあります。私はそれを強く恐れます。即ち日本の観光産業に対するダメージ工作を、韓国が行なうのではないかという危惧です。
例えば、昨年の韓国ではMERS流行のために観光業が大打撃を受けたように、感染症の大流行というのは観光客の旅行意欲を激しく損ないます。また、観光においては平和と安寧が約束されることが大原則ですから、治安や政情に不安があれば、観光地の魅力はガタ落ちになります。
また観光資源というものは何となく無限で不滅のように感じられますが、実際には有限ですし消滅することもあります。自然の摂理として失われるものはどうしようもありませんが、人為的に損なうことが出来る観光資源もあります。
日本のインバウンド誘致政策を引きずりおろすために、韓国人が「そういう行動」を起こさないという確信は、私には全くありません。何せ日本のインバウンド誘致政策とは(多分)無関係ながら、韓国は「ジャパンディスカウント運動」に官民を挙げて励んでいるという実績があるのです。
日本国外におけるジャパンディスカウント運動も十分に日本のインバウンド誘致政策に対する冷や水になっていますが、更なる効果を求めて、彼らが日本国内における日本のインバウンド誘致政策妨害を行なう恐れについては、十分に考慮しておく必要があると強く思う次第です。
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謝罪させなければ日本人と親しくなれない韓国人
既に過去記事をご覧の上であえてお尋ねということなので、こちらも既に過去記事に書いたことの繰り返しになりますが、あえてお答えしようかと思います。
まず彼ら的に「日本が韓国に悪いことをした」というのは、【動かしがたい事実】という認識があります。
これは過去に日本の政治家が、「日本は(朝鮮統治で)良いこともした」といった類の発言するや、韓国がものすごい勢いで反発し、結果その政治家が辞職を余儀なくされるということが何度もあったことからも、ご理解いただけるかと思います。
ですがたとえ「日本が韓国に悪いことをした」というのが【動かしがたい事実】としてあったとしても、日本は韓国に「悪いこと【だけ】した」わけではないのも、間違いなく【動かしがたい事実】のはずです。それは日本が統治していた時代の記録を先入観無しに見れば、誰にでも(もちろん韓国人にでもw)わかります。
ですから「日本が韓国に良いこと【も】した」というのも、【動かしがたい事実】と言えば十分に言い得るはずです。事実、韓国人の中にも「日帝時代は良かった」と言う人がいないわけではないのです。特にその時代を経験した世代においてそういう意見は、一般的と言っても良いほどです。
しかし韓国人的には、それは決して認めてはいけない意見であるというのは、私の経験上からも、「日帝時代は良かった」と言った老人が、日帝時代を知らない30代の男性に撲殺されたという事件があったことからも、明らかです。
「日本は朝鮮統治で良いこともした」ということを認めれば、日本の罪は相殺されてしまいます。「良いことよりも悪いことの方が多かった」と言えば、「日本は良いこともした」ということを認めることになってしまいます。日本は韓国人にとって、一点非の打ち所のない「絶対悪」でなければならないのです。そのためには、「日本は良いこともした」ということなど、決して認めてはいけないのです。
「日本は朝鮮半島に現在の韓国の発展の基礎となるインフラを敷いた」と言えば、彼らは「それは日本のためにやったことで、韓国のためだけにやったことではないから、良いことではない」と言ったり、「そんなの朝鮮戦争(韓国人は「韓国戦争」と言います)で全部焼けたから、韓国のためになってない」と言って否定します。
日本が統治してから、朝鮮人の平均寿命が飛躍的に伸びたことは資料を見れば明らかですが、韓国人はそれを「それまで調査してなかっただけで、別に日本のお陰じゃない」と嘯いていました。
そう言えば朝鮮人がオンドルの燃料として伐採し尽くした山に植樹したのも日本ですが、韓国人はそれについて「朝鮮の生態系を破壊した」と言ってましたw
ああ、朝鮮の虎を絶滅させたのも、確か日本ということになっていたはずですw ただ昔の朝鮮では、一家に一人は虎に食われることが珍しくなかったと言われるぐらい虎による被害があったので、もし本当に日本が朝鮮の虎を絶滅させたのであれば、これも日本がした「良いこと」にカウントしようと思えば出来るはずですが、何故かそういう話を聞いたことは一度もありません。
とにかく日本人は、韓国人にとって「無条件の永遠の犯罪者」でなければならないのです。それなのに不思議なことに、日本人と親しくなりたいと渇望する韓国人も極めて一般的なのです。日本のものであれば人も文化も、韓国人にとっては焼けつくような憧れなのです。
「永遠の犯罪者」であると同時に憧れの的でもある日本人と親しくなるためには、その日本人を免罪してやらねばなりません。さもなければ、「永遠の犯罪者」と親しくなった自分も、犯罪者の片割れとなってしまうからです。
ですので、彼らは日本人に謝罪を求めるのです。求めに応じて日本人が素直に謝罪すれば、彼らは大手を振ってその日本人と親しくなることが出来るからです。彼らが日本人に謝罪を求めるのは、彼ら的には純粋なw「友好親善」のためなのです。
実際、日韓チャットで韓国人と論争になり、日本人が韓国人をコテンパに言い負かすと、彼らは「私の知ってる日本人はお前らとは違う!」と叫ぶように言います。私たちのように、韓国人の主張を斥け、堂々日本側の主張を述べる日本人とは、韓国人は親しくならないのです。「私の知ってる日本人は、ちゃんと謝罪した」と言われたこともあります。
こういう理由以外にも、「謝罪させたら勝ち、謝罪したら負け」という感覚も当然にあるでしょうけれど、いずれにしても彼らが日本人に謝罪を求めるのは、自分が日本人と親しくなるための通過儀礼であり、それを経ない日本人とは、韓国人的に親しくなることが許されないためということがあるのではないかと、私は考えております。
以上、ご質問の答えになっていれば幸いです。
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朝鮮人であるということ、朝鮮人のような真似をするということ
私の判断基準は、実際の国籍や血統ではありません。「朝鮮人(韓国人)のような真似」をするかしないか」、つまりその人の言動そのものです。
朝鮮人(韓国人)のような真似とはどんなものかということは、単純に定義付けすることは少々困難です。朝鮮人(韓国人)のような真似というのは、人間なら誰でもしでかしてしまうことがあるからです。
ですから誤解の余地は大いにありますが、それでも「朝鮮人(韓国人)のような真似」というのは「獣性」と呼んで良いと思っています。人間も獣の一種ですから、当然に「獣性」を持っています。ですが人間が獣と一線を画しているのは、獣は「獣性」に支配された行動を取ることしか出来ないのに対し、人間は「人性」によって「獣性」を制御することが出来るためではないかと私は考えています。
「獣性」を「動物的本能」とするならば、「人性」は「人間的理性」とも言えます。韓国人がしばしば言い、また大変に好む「人間臭さ」というのは実は「獣らしさ」、即ち「人間なら誰でも持っているということを言い訳にして、人間の中にある獣性を制御しないこと」であることが多いということは、過去記事で何度も指摘したとおりです。
韓国人のややこしさは、彼らが自分自身では極めて理知的で理性的だと考えていることでしょう。従って、「韓国人らしさ」を発揮してしまった「他人」に対して彼らは、意外に厳しい評価を下します。何も知らない日本人がその様子を見れば、韓国人は理知的で理性的だと思わされてしまうほどです。
ある一瞬間だけであれば、韓国人は理知的で理性的なのではないかと思えることは、案外よくあります。ですがそれほど長い時間でなくても良いので、しばらく彼らを観察していると、彼らが極めて高い確率で自家撞着を起こしていることに気付くでしょう。
例えば韓国で政治家による汚職事件が報道されれば、大半の韓国人は憤慨し、その当事者たちを強く罵ります。「韓国人として恥ずかしい」などということも極めてよくあります。
朝のニュースでテレビに向かってそう罵った韓国人が、その日の通勤途中に交通違反で警官に捕まったら、当たり前のように賄賂を渡して見逃してもらおうとする、などというのは、韓国の日常風景でしょう。
自分だけは得をしたい、自分だけが良い思いをしたいという欲求は、別に韓国人だけの専売特許ではありません。おそらく世界中のどこの国の人間であっても、そう思うことはあるでしょう。それは人間に限らず、獣も同様です。
時に利他的行動を取る野生動物も確かに存在しますが、基本的に獣というのは利己主義です。人間社会でも、法治の徹底していない地域では利己的行動が一般的でしょう。法とは、社会の理性とも言えます。理性のないところでは、人間も獣の一種としてしか生きていけません。
社会が法という理性によって制御されていれば、個人もまた理性を以て自らの獣性を制御します。せざるを得ません。しなければ法という社会の理性によって懲戒されたり排除されるからです。
しかし嫌韓や韓国ウォッチャーならご存知の通り、韓国社会における法という理性は、十分に機能しているとは言い難いのが事実です。個人としての韓国人もまた、理性を以て自らの獣性を制御しようとはしていません。尤も彼らは、自身の獣性をちゃんと自覚していないと言うか、「自身の獣性」をそもそも認めていなかったりするのがまた困ったものなのですが。
いずれにしても彼らは他人の獣性を非難することについては大変に甚だしいのですが、自身は極めて自然に獣性を発揮し、しかもその自覚に欠けます。唾棄すべき習性ではありますが、時に羨ましくなることもあります。何故なら、その習性はその場限りでは「得」になる場合があるからです。
先に述べた例で言えば、政治家の汚職を厳しく非難する人は、他者から倫理的意識の高い高潔な人物と見てもらうことが出来るでしょう。警官にこっそり賄賂を渡して交通違反を見逃してもらえれば、罰金や反則金を免れるだけではなく、「優良運転者」という経歴に傷が付くこともありません。
政治家の汚職を厳しく非難し、永年の優良運転者であることを誇る韓国人は、それぞれの部分だけを見れば韓国人らしからぬ立派な人物に見えるかもしれません。しかし、政治家の汚職を厳しく非難しておきながら、自分は自身の利益のために警官に賄賂を渡すことに躊躇も恥じることもないという行動様式は、極めて韓国人らしい、即ち「朝鮮人のような真似」と言えます。
加えてこういった「朝鮮人のような真似」は、個人且つ短期的には利益をもたらすかもしれませんが、大きく広く長い目で見れば社会全体のモラル低下や秩序の崩壊につながりかねない行為でもあります。事実、日本と比較すれば明らかに韓国は社会全体のモラル低下や秩序が崩壊した状態になっております。
日本における公共意識の高さと、それがもたらす恩恵を実感した韓国人が、韓国でも同じような行動を取ろうとすることはないわけではないようですが、しばらくすると元に戻るといいます。何故なら、韓国でそういう行動を取ろうとすると「自分一人が損をしているみたいだ」からです。
日本人の「他人に迷惑をかけないようにする」という公共心は、以前にも書いたことがありますが、「全員が少しずつ譲りあうこと(≒窮屈な思いをすること)で、社会全体が居心地よいものになるようにする」というものです。その意識から生まれる社会環境は韓国人にとっても心地よいものではあるのですが、社会全体に「他人に迷惑を掛けないようにする」という意識が行き渡っていなければ、そういう意識を持った者だけが譲ることになる(=損をすることになる)のは理の当然です。
韓国人が韓国人であるが故に韓国人のような真似をするのか、それとも韓国社会がそうだから、韓国人は韓国人のような真似をせざるを得ないのかは、俄に断じ難いことではあります。
しかしいずれにせよ、韓国人社会は韓国人のような真似をする生き物でなければ、とてつもなく生き難い社会であることは確かです。それでも彼らは「ひとりひとりが少しずつ譲り合うことで、社会全体を居心地良いものにしよう」とは思いません。それよりはむしろ、そういう社会、即ち日本に寄生しようと考えるようです。
そういう生き物が日本に多くなれば、現在多くの日本人が少しずつ負担している「窮屈な思い」にタダ乗りされることになるだけではなく、やがてそういう生き物が「得」をしているのを見て、「なんだ、窮屈な思いなんてする方がバカじゃん?」と思う人、即ち「韓国人のような真似をする人」が増えることになるおそれは、十分にあります。
そうなれば、それは即ち日本社会の韓国化です。それで住み良い社会になるなら良いのですが、韓国の現状を見る限り、全くそうは思えません。間違いなく、今の日本社会の方が今の韓国社会よりも、圧倒的に住み良いのです。
朝鮮人であるという理由だけで、日本から朝鮮人を排除するべきとは、私は思っていません。しかし「朝鮮人(韓国人)のような真似」をするのであれば、それがたとえ日本国籍の者であろうと、血統が生粋の日本人であろうと、もちろん生粋の朝鮮人であろうと、日本社会の安寧と秩序を守り更により良いものにするために、徹底排除あるいは徹底矯正する必要があると、私は考えております。
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自分に何が出来るのかから始めよう
しかし自分の気に入らないことを言った相手に「そんなお前は俺の知ってるお前じゃない」と言って自分の意に従わせようとするのは、モラルハラスメントでしばしば用いられる手法でもあり、韓国人の習性にモラルハラスメント的要素があるのは、私が昔から指摘していることではあります。
「日韓断交が行なわれるためには日本国内の法的思想的整備が必要不可欠であり、それが全くと言って良いぐらい行なわれていない現状を鑑みる限り、日韓断交は非現実的であり不可能」という私の主張が気に入らないと仰るのは個人の自由ですからそれは別に良いのですが、具体的な反論がないのはまことに残念です。
「日韓断交」をただ叫ぶのは、確かに気持ちが良いでしょう。しかし、叫んでいるだけで望みが叶うほど現実は甘くありません。そのためには何をすれば良いのか、そのために自分は何をしているのか、日韓断交を叫ぶ人ほど真摯に考える必要があるのではないでしょうか。
「自分なんかに何が出来る」とか「自分なんかに日本を変える力なんかない」とか、あるいは「自分には日韓断交を叫ぶぐらいしか出来ることはない」とか言う人は少なくありません。確かに、無名で無力な個人に出来ることは限られています。しかし、「出来ることは何もない」ということもありません。そう思う人はまず選挙の際に投票に必ず行くということから始めてみては如何でしょうか。
自分は昔から必ず選挙の際には一度も欠かさず投票に行ってるという方なら、次は周囲の人に地味に地道に韓国の事実を伝えていくということも可能です。それもしているというなら、日韓断交を実現するために自分に出来ることはないか、自分で模索してみてください。ただ座して願望を叫び、他人がすることに文句をつけるだけなら韓国人にでも出来るのです。
現実を見ず理念だけで嫌韓をやっている人は、韓国人がその気になればホダされてしまう人であるおそれが大きい人でもあります。日本人は、自分が思っている以上にチョロいのです。
以前から執拗に述べていることですが、韓国人の反日は韓国人の主観においては反日ではありません。教育的指導とか、むしろ熱烈なラブコールであると言っても良いぐらいです。
日本に振り向いて欲しくて、構ってもらいたくて、出来れば触れていたくて、日本がウリになってウリが日本になれたらどんなに素敵だろうというのが、韓国人の本音です。
そのためには日本が韓国にならなければなりませんし、日本が韓国になるためには日本人がウリの言うことを素直に聞かなければなりません。ああそれなのに、ああそれなのに、もうどうにもとまらない、というのが韓国の反日とも言えるでしょう。
ということをただ知識としてだけで知っていれば「韓国人は気持ち悪い」とか「近寄んな」とか普通に思います。しかし日本人は、好意を示してくる相手に、極めて弱いのです。頭だけで韓国人は反日だ、あいつら気持ち悪いとどんなに思っていても、ナマの韓国人にこういうことをされると、結構な割合の日本人がたちまち陥落します。
韓国人がニコニコ笑って、日本好きですと言って、こちらから何も言わないのに韓国の悪いところを認め、「日本に謝りたいです」と言ってきたら、それを無碍に出来る自信がある日本人はどれくらいいるでしょうか。
弊ブログの日韓チャットログ記事でも、私が韓国人の擦り寄りを無碍に弾いているシーンがあれば、必ずと言って良いぐらいそれに対する非難のコメントが入ったものです。このブログを読んでいる人でさえもそうなのです。韓国に関心もなく、嫌韓にも理解のない日本人ならどうでしょうか。
そういう想像も出来ず、「断交、断交、さっさと断交、しばくぞっ!」と叫ぶだけでは、何も一歩も進みません。
日韓は断交した方が良いのかどうか、断交した場合のメリットとデメリット、しなかった場合のメリットとデメリット、断交するならどのようにすれば実現出来るか、そういう地味な考察を全部すっ飛ばして、「日韓が断交すればその瞬間日本国内全域から韓国・朝鮮人は一掃され、日本国内に掲げられたハングルの案内や表示は撤去され、韓国系航空会社は日本の空港を使用出来なくなり、韓国製のあらゆる物が日本から消え失せ、韓国人による犯罪やズルやインチキは全て無くなり、日本人による日本人のための清く正しく美しい日本になる」などという嫌韓的に薔薇色の夢を見ても、それは夢でしかありません。
そんな夢物語を助長するように私に求められても、そんなことが日本にとってどんなメリットになるのか、それこそ私の方から問い返したい。
嫌なものは嫌と駄々をこねるだけなら、幼児にでも韓国人にでも出来ます。嫌なものを嫌と言うこと自体は良いので、次にそれをどうにかするにはどうすれば良いのか、自分に何が出来るのかを自ら考えることから始めて欲しいと切実に思う次第です。
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日韓断交のデメリット
「断交」即ち国交断絶を理解するためには、国交が如何なるものかを理解する必要があるでしょう。「国交」とは読んで字のごとく「国の交わり」のこと、大雑把に言えば「国家同士の公式なお付き合い」のことです。
国交を結ぶということは、互いに相手国を主権国家と認め(国家承認)、 大使(特命全権大使)を長とする外交使節団の交換を伴うのが通常とされます。外交使節団は相手国に大使館を設置し、外交及び広報・文化交流、情報収集などの活動や在留する自国民の保護や援助などの業務を行なうことになります。
国交は何のために結ぶのかと言えば、当然自国の国益のためです。相手国の利益のためだけに国交を結ぶなどという国は、通常あり得ません。国益のために結ぶ国交ですから、国交がないとか断絶されるということは、良くて国益を得られなくなる、悪ければ国益を損なうことになります。
国交を断絶するということは、国交に伴う活動全てを停止するということです。従って相手国内における在留邦人の保護や援助を政府が行なうことは出来なくなります。また現地における情報収集も政府が自力では行なうことは出来なくなります。個人が自身の責任において現地で広報や文化交流、情報収集などの活動を行なうことは、当然その範囲に限界はありますが、可能と言えば可能です。但し相手国でのそういう行為は、相手国にとって不利益だとかあるいは取り立てて不利益は無いが不愉快となれば、スパイとみなされるおそれは極めて高いでしょう。
日本にはスパイ防止法がありませんから、日本国内でのスパイ行為が発覚しても大した罪には問われませんが(2~3年前、日本で北朝鮮の工作員が逮捕されたという報道がありましたが、容疑は確か「著作権法違反」だったと思います)、普通の国ではスパイは死刑になっても全く不思議ではない重罪です。しかし国交がない国相手では、政府は相手国内の個人を一切バックアップ出来ません。そんな危険を冒してまで日本のために現地で広報や文化交流、情報収集等の活動を行おうという奇特な個人は、いるとしても極めて稀でしょう。
ということは、相手国からの情報が極めて限定されることになります。相手国が何を考えているのかを知るのも困難になりますし、こちらが何を考えているのかを伝えることも困難になります。その典型例が北朝鮮でしょう。
日韓断交のデメリットは幾つか考えられますが、最たるデメリットは日韓断交によって韓国が不可視になることではないかと私は考えております。
私などは無責任に「韓国など国交があって対話が可能でも、対話が成立するとは限らん。連中が何考えてるのかこちらにはよくわからんし、こちらが何を考えてるのかを連中が正確に理解出来ているとも思えん。断交で韓国が見えなくなるなら、その方がいっそ清々しい」とぶった切ってしまえますが、公人がそう言って韓国を切り捨てるのは現実問題としてかなり難しいとも思います。
公的な立場にあれば、「まだ対話が出来る分、北朝鮮より韓国の方がずっと深く分かりあえている」なんて言っちゃうのも無理はありません。だって「国交を結んでいる」ということは、「相手国と意思の疎通が成立している」ということなのです。その為に少なくない経費と人材を韓国に投入しているのです。
にも関わらず「対話の窓口がある分北朝鮮よりはマシかもしれないけど対費用効果で考えるとほぼ無駄」程度の意思疎通レベルしかないのであれば、韓国と国交を結び、また維持するために掛けてきた経費と人材と時間を、ドブに投げ捨て続けていたも同然ということになります。それを認める公人は多分そんなにいないと思います。
断交と言えば一般的には両国の仲が険悪になった場合ですが、敵対するわけじゃないけど「大人の事情」で国交を断絶するという場合もあります。皆様もご存知、台湾がそうです。台湾型国交断絶の場合は形式的なものであり、事実上の国交は継続しております。この場合形式上は非公式ですが、公式機関に準ずる機関が外交活動を担当しております。
韓国との断交が実現する場合、台湾型・北朝鮮型いずれの断交であっても、現在「断交、断交、さっさと断交、しばくぞっ!」と唱えてる人たちが期待するような状況にはならないだろうと私は考えております。台湾との交流は普通に国交がある国とほとんど変わりませんし、国交がないだけではなく経済制裁の対象となっている北朝鮮でさえ、ヒト、モノ、カネの行き来は今も盛んにあるのです。
特に北朝鮮などは皆様既にご承知の通り日本でかなり好き勝手なことをやっておりますが、日本はそれに対して有効な手がなかなか打てておりません。もし北朝鮮と国交があれば、北朝鮮の大使を呼びつけて「何とかしろ」と言う(だけになるでしょうけれどw)ことが出来ますが、国交がないのでそれも出来ません。
前回記事で国交断絶は戦争の一歩手前と書きましたが、国交が無ければ、相手国と悶着が起きた場合、「一歩手前」というワンクッションも無く戦争に突入する危険性もあるのです。
「断交、断交、さっさと断交、しばくぞっ!」教(経?w)の方は、「断交すれば日本と韓国は一切接触を断たれ、日本から全ての韓国・朝鮮人を追い出すことが出来る」とお考えのようですが、現実はむしろ逆かもしれません。
日本政府及び日本国民が、先の大戦の折に米国が行なった日系人に対する処遇と同じレベルのことを日本国内の韓国・朝鮮人及びその血統の人々に躊躇なく行なえるのであればそんなに心配しなくても良いかもしれませんが、そんなことが日本に出来るようになるとは、少なくとも現状を鑑みる限り全く思えません。
ということは、もし日韓が断交すれば日本国内における韓国・朝鮮人は今まで以上に野放し状態になるおそれがあるということです。テロもゲリラもやり放題です。日本に帰化した韓国・朝鮮人と、日本人になりすました韓国・朝鮮人がタッグを組んで暴れ回れば、日本国内はたちまち阿鼻叫喚となるでしょう。実際にそれをやったのが、北朝鮮による拉致や背乗りです。
韓国との国交を断絶するには、まずこれらの危険性に対処する策を十分に講じる必要が絶対にあります。スパイ防止法は当然として、帰化の厳正化と既に帰化した韓国・朝鮮人に対する再審査なども必要になってくるでしょう。そう言えば「断交すれば、入って来る韓国人は全員密入国者です。強制送還できますよ。韓国で受け取らなかったら、北朝鮮の赤十字で引き取ると言う方向になるんじゃないですか? 」というコメントがありましたが、現実問題として日本は強制送還し得る在日韓国人犯罪者全てを強制送還にしてはおりません(極めて稀に強制送還した例はあります)。
「断交、断交、さっさと断交、しばくぞっ!」と仰る方は、日韓断交すればその瞬間から日本にそれらの措置が直ちに出来るようになると考えておられるのでしょうか。
私にはとても思えません。実際北朝鮮相手に、ほとんど出来ていないのです。今出来ていないことが、韓国と断交するようになれば突然出来るようになると思えるほど私は楽観思想の持ち主ではありません。
日韓が断交するためには、日本国内の法的思想的整備が絶対不可欠です。今現在の日本はそれが全く出来ていない状態なのに韓国と直ちに断交することになれば、それは日本にとって北朝鮮がふたつになるのと同じです。ひとつでも鬱陶しい北朝鮮が、ふたつになってそれぞれがてんでに日本にちょっかいを出すようになるのは、どう考えても日本にとってデメリットでしょう。
何事であれ、一足飛びに願いや望みが叶うということはそうあることではありません。普通は願いや望みに向けて気が遠くなるような地道な作業を無我夢中で続ける内に、気が付けば願ったもの望んだものに手が届くところに辿り着いていた、というものではないのでしょうか。
韓国が鬱陶しい、関わりを絶ちたい、韓国人が日本を見たり語ったりすることすら汚らわしいと思う気持ちは私も人後に落ちません。それでも現在の日本の状態では、日韓断交が日本にとってメリットだけとは全く思えないというのが、正直な気持ちです。
日韓断交をただ叫ぶのではなく
私も韓国との断交に反対するものではありません。むしろ日韓の発展的関係解消に向けた一ステップとして必須だとさえ思います。ただ、今回の一連の議論において韓国との断交を叫ぶ方の主張には、賛同しかねるご意見が少なくないのも事実です。
以前にも申し上げていることではありますが、日韓断交というのは、実現すれば全てオシマイ、メデタシメデタシ、というものではありません。何よりもまず、実現に至るまでの準備が当然に必要です。
断交が実現する理由としては、単発のものでも可能です。例えば、今回の合意を韓国が一方的に破棄したとかでも、断交の理由にすることは出来ます。しかし輿論がそれに理解を示すかどうかは甚だ疑問です。この場合の輿論とは、日本国内は当然ですが、国際輿論もあります。日韓両国と同盟を結んでいるアメリカなどは、日韓が断交することに強い難色を示すことは確実です。
一般的に断交とは、戦争の一歩手前です。戦争に至っても不思議ではないぐらいの理由がなければ、普通は断交などするものではありません。
日本と韓国の間には、実は戦争に至っても不思議はないという理由は、少なくとも日本側には結構有りますw じゃあ、日本が断交断交言っても不思議はないじゃんと思われる方がいらっしゃるでしょうけれど、それだけのことをされ続けてきたのに、日本はこれまで韓国に対し宣戦は言うまでもなく、断交を匂わせることさえありませんでした。
例えば、日本の嫌韓勢力を一気に増やすことに大きく貢献した天皇陛下に対する李明博前韓国大統領による侮辱発言ですが、これが例えばイギリスやタイの国王に向かっての発言であれば、直ちに公式な撤回と謝罪がなければ戦争前提の国交断絶に至っても不思議はないほどの問題発言です。
しかし日本政府は韓国に発言の撤回を求めるに留まり、謝罪を求めることも、制裁を加えることも全くありませんでした。ですから天皇陛下侮辱発言に対する日本人の反応に対して、李明博前韓国大統領のみならず韓国人は「日本人は何故こんなことであんなに怒るニカ?」とかなり本気で思っているはずです。
それは天皇陛下に対する侮辱に限りません。例えば今回の慰安婦問題に関する日韓合意についても、韓国では無効だの破棄だのと主張する連中が少なくありませんが、もし本当に合意を無効にしたり破棄した場合、日本が激怒してそれを理由に韓国との断交に踏み切るなどとは、そう主張する韓国人たちさえ微塵も思っていないでしょう。日本にどんな非礼や無法を働いても、日本は決して韓国に対して激怒することはないと、韓国人は確信しているのです。
それは日本国内も同様です。日本に対し韓国がどんな非礼や無法を働いても、日本が韓国を切り捨てることは決してないと(半ば無意識で)思っている日本人は、嫌韓の私たちが思う以上に多いと思われます。嘘だと思うなら、周囲の日本人(と確信出来る人w)に聞いてみると良いでしょう。「日韓は断交するべきと思う?」と。かなりの確率で否定的な反応が返ってくるはずです。
ネットで威勢良く「断交断交、さっさと断交、しばくぞっ!」と言うのは、確かに気持ち良いことでしょう。しかしそう言っていれば、そのうち自然に韓国との断交が実現するわけではありません。
断交とは、最早話し合いによる相互理解はないという意思表示です。まかり間違えば戦争に至るかもしれない重大な決断です。それでも韓国とは断交した方が良いのだという理解を、日本国民全員とまでは言いません。せめて有権者の過半数が持つぐらいにならなければ、日韓断交など夢のまた夢です。
韓国との断交を主張する方は、ネット以外でも同じやり方で韓国との断交を主張しているのでしょうか。例えば家族や友人に、「韓国とは断交だ」といきなり突きつけているのでしょうか。
おそらくそんなことはないと思います。多くはきっと、韓国との断交など周囲の人に話したこともないでしょう。そんなこと言っても、韓国のことを知らない人には何のことやらと思われるだけで済めば御の字で、サベツだと叱られたり宗教の勧誘にでも遭ったかのような態度を示されたりするだけです。
周囲の人に韓国との断交を理解してもらおうとするならば、いきなり「断交断交、さっさと断交、しばくぞっ!」ではなく、韓国がどんな国で、韓国人がどんな人々かということを、相手が嫌にならない程度を見計らって徐々に説明していこうとするのではないでしょうか、って私はそうしているのですがw
日韓断交を阻む最大の障壁は、私は日本国内にあると思っております。その障壁をそのままにして日韓断交をいくら叫んでも、決して実現されることはありません。
日韓断交を本気で考えるのであれば、日韓が断交することのメリットばかりではなくデメリットにも目を向け、その差し引きを冷静に計り、それでも日韓は断交した方が良いのだということを自信と説得力を持って他人に説明出来るようになる必要があると私は考え、それを目指してこのブログを続けているのです。
しかしそれを私一人で実現させることは出来ません。多くの日本人が、日韓断交について真摯に考え、そのメリットとデメリットを検討し、それでも日韓は断交した方が良いのだという結論を共有しなければ、日韓断交を議論の俎上に載せることさえ出来ません。
「日韓断交」をただ闇雲に叫ぶのではなく、また「いつかどこかで誰かが何とかしてくれること」と考えるのではなく、どうすれば日韓断交が実現出来るのかを各人が真剣に考え模索することで、日本国内に日韓断交のコンセンサスが形成されていくことを、私は切に期待しております。
万人が納得するような決定など無い
私が記事中で「「従軍慰安婦問題」そのものが虚偽と欺瞞と情実のビビンバ」と書いたところ、「ビビンバは無い」と断言されておられました。するとこの方の認識では「従軍慰安婦問題」は無い、ということになります。
しかし「従軍慰安婦問題」は厳然と存在します。ご自身でも「ビビンバは無い」と銘打ったコメントで「無かった→しかしあったあったと騒ぐ人がいるのは紛れない事実!→ここはあったなかったでなく、ひとまずあったという前提で頭下げて金も払う→これで解決( ̄▽ ̄) こんな感じ?やれやれ何が「解決」だか 」などと仰っておられますが、この「あったあったと騒ぐ人がいる」という部分こそがまさに「従軍慰安婦問題」なのです。
「従軍慰安婦の存在」と「従軍慰安婦問題の存在」をマジェマジェにした認識でどれほど熱弁されようと、最初の第一歩が間違っている主張に耳を貸すほど私はヒマでも寛容でもありません。
なお「慰安婦」の存在については、弊ブログの過去記事でも述べたことがありますが、私は肯定しております。また旧日本軍が慰安婦を利用したであろうことも、全く否定しておりません。しかし「従軍慰安婦」の存在については、極めて懐疑的です。
今回の日韓合意については、「日本が韓国の主張を認めて謝罪した」という点に強い反発を感じている方が多いように思われます。そのお気持ちは、よくわかります。私にしても、今回の合意が一点非の打ち所のない完璧なものだったとは思っておりません。
しかし今回の合意によって今後韓国が何を言おうと、あるいはたとえ合意を反故にしようと、一度は「最終的且つ不可逆的に解決した」ことに合意した事実はなくなりません。今回は、この点が最も重要だと私は考えているのです。
昨日も月見チャットで従軍慰安婦問題に関する日韓合意に批判的な方のご意見を拝聴しておりました。曰く、「今回の合意によって、日本は韓国人女性を性奴隷にしていたと世界に認識されるのではないか」というご懸念です。
ですが百万歩譲って、世界がそう認識したとしても日韓両国は「最終的且つ不可逆的に解決した」ことに合意したのですから、少なくとも地球上にある世界の国がそれについてとやかく言う資格はありません。
ですが今回の日韓合意に批判的な方は、「たとえそうでも、歴史に「日本は韓国人女性を性奴隷にした」と記録されるのは嫌だ」とおっしゃいます。たとえ歴史にそのように記録されたとしても、日韓両国が「最終的且つ不可逆的に解決した」ことに合意した、ということも記録されるから問題ないと言っても、「日韓両国が最終的且つ不可逆的に解決したことに合意したとしても、日本が韓国人女性を性奴隷にしていたと歴史に記録されるのは嫌だ」と繰り返すのです。
しかしこれは「不可逆」という言葉の意味を失念されておられます。「不可逆」というのは「逆さまにするべからず」と読み下すことが出来るように、「解決した」という結論から逆戻りすることは出来ないという意味です。仮に韓国の主張を一切否定せず、全て丸呑みにして認めたとしても(もちろん事実は異なります。今回の合意において日本は韓国の主張を一切否定せず丸呑みにしたわけではありません)、それらが全て最終的且つ不可逆的に解決し、韓国がそれに合意した以上、解決前の状態に戻して再び議論することは出来ないのです。
今回の日韓合意に反発して一所懸命踊ってる方が主張する「私は韓国黙らせるのが解決でなく、韓国がいくら大声だそうと日本は否定して、宣伝戦に国際社会で勝利するのが望ましいと思うのです。そのためにまず韓国の主張は否定すること、彼らは首相の謝罪や金銭で一時的に大人しくなったように見えても、味をしめたので別のネタか同じ慰安婦ネタで謝罪と金銭引き出しに来る。その時「安倍は罪認めて謝った、見習え」も喚くなきっと(汗)これからの宣伝戦のためにも謝罪は無用、相手に根負けせず、千年因縁つけてきたら千年否定、韓国のは虚言と世界に宣伝し常識化していく。謝れば、カネ払えばいいとかやってるうちに韓国の嘘が世界に(泣)同じ轍は踏まない、韓国と無駄な交渉しない、世界で情報戦を戦っていくのがイイ…と思うのですが(´・_・`)」などという方法は、非現実的にも程があります。
特に「千年因縁つけてきたら千年否定」などというのは最早「韓国の因縁を受け入れること」と同義です。千年も韓国と悶着を続ければそれが常態となるのは、たった70年の悶着で南北朝鮮の分断が常態となっていることを見れば、火を見るより明らかです。そうなれば情報戦もへったくれもありません。そもそも過去から現在に至るまで日本が情報戦に弱いという事実はどうするのでしょうか。
しかも世界は日本と韓国だけで構成されているわけではありません。韓国よりも優先順位の高い国や問題はいくらでもありますし、韓国に足を引っ張られていては、対応が難しくなる問題も山積しています。
一国の総理ともなれば、全方面の対応を迫られるわけです。普段の生活の片手間に韓国ウォッチをして三日に一度記事を書く呑気なアマチュアブロガーと一緒には出来ません。今年は新年早々、中東情勢は予断を許さないレベルで険悪ですし、北朝鮮が核実験を行なうという尋常ならざる状況です。また今年は伊勢志摩サミットも控えております。国際社会における日本の立場や役割は、日本人が思う以上に重要になってきているのです。
今回の日韓合意が、安倍総理にとって「片付けられる問題はとっとと片付けておきたい」ということだったとしても、即ち拙速を承知の上での決断だったとしても、現在の日本を取り巻く国際情勢を鑑みれば万止むを得ないのではないかと言えば、また「安倍信者プゲラッチョ」と揶揄されるのでしょうか。
いずれにせよ、既に合意は成立しており、ステップは合意の履行あるいは破棄へと進んでおります。前々回の記事にも書いた通り、これで本当に全て解決すると考えるのは甘過ぎるでしょう。日本は今後韓国がどのような挙に出るか、予想と対策を練らなければなりません。
そういう時に、既に成立した合意にいつまでも四の五の四の五のこだわって、次なるステップに対する予想と対策を妨害することが日本の国益に適うのでしょうか。
不本意な決定にも黙って従えと言うつもりは毛頭ありませんが、何であれ万人が納得するような決定というのはありません。個人の不満は不満として持つにしても、個人的な不満にとらわれて現実を見失うことがないようにと、強く思う次第です。
自分の頭で考え、自分の言葉で述べよう
「いわゆる従軍慰安婦問題」の最終解決」の日韓合意について、私が部分的に評価していることは前回記事に書いたとおりですが、それに全面的に賛同してくださる方、部分的であっても評価は絶対許さんという方、部分的評価に同意出来なくもないけど、不安は拭い切れないという方、色んなご意見が表明されているということは大変良いことだと思います。
弊ブログでは常々申し上げている通り、異論・反論は大歓迎しております。というのも、賛成意見ばかりでは物事の一面しか見えてこないからです。
「絶対的な正しさ」というものは、そうあるものではありません。ましてや今回の日韓合意は、「絶対的な正しさ」からは遥かにかけ離れていると言っても良いぐらいです。何しろ最初の第一歩である「従軍慰安婦問題」そのものが虚偽と欺瞞と情実のビビンバだからです。
ではその最初の第一歩を「絶対的な正しさ」に近づけるべく、散々捏ね繰り混ぜられたビビンバの飯粒と具材と調味料を精密に分別し、それぞれの量を測定する作業を行なうべきかと言えば、そんなことは事実上不可能です。なにしろそのビビンバはただ捏ね繰り混ぜられているだけではなく、もう既にあらかた食い尽くされているのですから。
「絶対的な正しさ」にこだわって、ビビンバの最後のひと粒が食い尽くされてしまうまで「絶対的な正しさ」を求めても、得るものは何もありません。どころか下手をすれば、ビビンバのおかわりを要求されるおそれもあります。
そうなる前に「ビビンバはあった」という事実を前提に現実的な解決を図るというのは、私は最善ではないにしても次善ではなかったかと評価しました。しかしそれを許せないと考える人の気持ちも、わからないではありません。
ですがそう思う方は、何故そう思うのかをご自身で徹底的に言語化する必要があるとも思います。「許せないから許せないの!ヽ(`Д´#)ノ ムキー!!」では、話は一歩も前に進みません。
ある事案に対し賛成・反対・保留いずれにしても、「何も考えない」「何もしない」というのが一番悪いと私は思っております。
どう思うのか、何故そう思ったのかを言語化し表明することと、それに対する意見を求めることが重要です。どんなことであっても一人で考えるのは限界があります。一人が多くの人の意見を知り、多くの人が一人の意見を知り、互いに議論を進めることによって「ある事案」に対するコンセンサスがより磨かれ、より良いものになっていくのです。
「考える」ということは結構面倒臭いことです。「考えるのメンドクサイから、誰かが言ったり考えたとおりで良いや」というのは確かに楽ですが、そうすれば出た結果に不平や不満を言う資格は失われます。何故なら、「誰かが言ったり考えたとおりで良い」とすることは、「誰かが言ったり考えたことに無条件で同意した」ということになるからです。出た結果に文句を言う資格を持ちたいのであれば、結果が出るまでの過程の段階できちんと自分の意見を述べるべきです。
「いわゆる従軍慰安婦問題」に関して河野談話を非難する人は少なくありませんが、では河野談話が発表された当時、これを非難した人はどれほどいたでしょうか。私は、当時これに対する非難をほとんど聞きませんでした。もちろん、私もこれを全く非難しなかった一人です。非難する以前に、全く関心がありませんでした。
「日本が何か韓国に謝罪したらしい」という報道を耳にした記憶は薄っすらとなくもありませんが、当時の私は何処に出しても恥ずかしい立派な左巻きでしたから、ちらっと「日本は昔悪いことしたんだから当然」などと思ってすぐに忘れたんじゃないかと思います。
今でも河野談話を非難する人のどれほどが、その全文を熟読した上で非難しているのでしょうか。その内容をどの程度理解しているのでしょうか。一度も読みもせず他人が非難するのに乗っかって、あるいは読むには読んだけど全文ではなく誰かが問題視した部分だけを読んで非難してはいないでしょうか。
河野談話を非難するなと言うのではありません。非難するのであればその対象をきちんと理解し、自分の言葉でするべきと言っているのです。ずいぶん昔に、「アルファ症候群」という記事を書きました。当該記事では、ある事案の内容を詳しく知りもしないくせに轟々と非難を鳴らす韓国人のことを批判的に書いておりますが、この韓国人を嗤えない日本人も、少なくないのではないでしょうか。
ある事案について賛否が別れる場合、多くの意見を集め、多くの人がそれら意見を読んで自分の頭で考え、自分の言葉で意見を述べることが重要です。たとえその意見が的外れであったとしても、誰かの頭で考えられたことを自分で考えたことと錯覚し、誰かの言葉を自分の言葉と思い込むよりは、ずっと良いのです。それぞれの意見の欠点や誤りを補い、満点ではないにしても及第点を模索するには、一人でも多くの意見が必要です。議論とはどちらの意見が正しいか勝敗を争うだけのものではなく、互いの意見を互いに吟味することで、より良い意見を構築するためのものでもあると私は思います。
今回の「いわゆる従軍慰安婦問題」の最終解決」の日韓合意についてそれぞれがそれぞれの頭で考え、それぞれの言葉で意見を出し、それらの意見を読んでまた考え、再び意見を出すという地道な繰り返しをすることで、「いわゆる従軍慰安婦問題」の最終解決」の日韓合意のみに限らず、日本人の韓国に対するさまざまな意見が研ぎ澄まされていくだろうと私は強く期待しております。
「いわゆる従軍慰安婦問題」の解決合意において、評価出来る点
昔はとりあえず「三が日」、即ち一月の三日までは確実にお正月でした。一般的には「松の内」と言って、七日までがお正月とされました。何の小説だったかよく覚えていないのですが、村の子供たちが三が日を過ぎると、小正月に行なわれる「とんど(私の近隣の神社では「左義長」と言っておりました)」で焚き上げるための注連飾りや門松などを集める風習を描写している話があったのを覚えています。
一月の四日になると村の子供たちが連れ合って「松おくれ、三が日過ぎたら松おくれ」と呼ばわりながら各家庭を周り、用済みになった注連飾りや門松を集めて回るそうです。ところが三が日過ぎではなかなか集まらず、一月七日、即ち松の内が過ぎてから「松おくれ、松の内過ぎたら松おくれ」と言って回れば結構集まったのだとか。
私が子供の頃は、正月三が日というのは誠に静かなものでした。店という店はことごとく正月休みで、今より車の数が少なかったというのもあるでしょうけれど、それでも道路は閑散としており、走る車を見かけることは普段に比べると格段に少なく、車だけではなく人の姿もまばらでした。初詣に行くか、さもなければ凧揚げに行くぐらいしか行くところはなかったからです。
せっかくもらったお年玉も、お店が全部閉まっているのでどうしようもありません。大人がお年始の挨拶に行ったり訪れたりすることはあっても、子供が正月早々友達の家に遊びに行くのはきついご法度でしたから、家にこもってどの放送局も変わり映えのしない正月番組を見るか、さもなければ家族でかるたやトランプや麻雀をするぐらいしかすることがありませんでした。
正月の間は餅とおせちとみかんとぐらいしか食べるものはなく、録画放送のテレビ番組も同じメンツで繰り返すかるたやトランプや麻雀もたちまち飽き、退屈で退屈で三が日がものすごく長く感じられたものでした。
そんな時代、思えば「正月気分」というのは一月中残っていた気がします。少なくとも一月十五日の成人の日までは、確実に残っていました。のんびりした時代と言えば全くそうです。でもあの時代からまだ半世紀も経っていません。
昨今では、元旦早々から開ける店も珍しくなくなり、道路も普段と変わらずたくさんの車が走り回っています。かつての正月独特の、静謐で清浄な空気が街中を満たしていたような雰囲気は、ほとんど感じられなくなりました。便利と言えば便利な時代になったとも言えます。しかし何であれ失ったものに哀愁を覚えるのは人の常。おそらくもう二度と戻ることのないあの正月独特の雰囲気が、今になってひどく懐かしく思い出されます。
そんなこんなでめでたい正月気分もそろそろお開きにして、毎度毎度のめんどくさくて鬱陶しい韓国です。
現在の韓国関連における注目のお題は、弊ブログでもこのところずっとネタにしておりますように、何と言っても【「いわゆる従軍慰安婦問題」の最終解決合意】でしょう。「日本が謝罪し、10億円を支払うことにした」ということに発表直後は激怒する日本人も少なくありませんでしたが、時間が経つにつれ徐々に落ち着いてきました。対する韓国は発表直後からヒートアップしており、韓国言論を見る限りでは結構な騒ぎになっているようです。
それでも日本側にもいまだに強い不満と不安を抱いている方は少なくなく、弊ブログにも懸念のコメントが幾つか寄せられております。
確かに、韓国が約束を守ると考える方が愚かということについては、完全同意です。既に日韓基本条約で最終解決したことになっているのに、今回もう一度「最終解決」したことにするのなら、この後何度も「最終解決」しなければならないようにされるのでは、という懸念も共感出来ます。また、今回の合意を韓国が反故にした場合、国際社会が日本に同情したり韓国を非難してくれる、などと考えるのがお花畑というのも、全く賛成です。
ですが、安倍談話においても、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と言われているように、何としてでも一日でも早く「いわゆる従軍慰安婦問題」にケリを付けたかったというのが、安倍総理にはあったのでしょう。
安倍総理自身、戦後生まれです。先の戦争に直接関与していた経験は微塵もありません。しかし自身の父や祖父が戦争に関与していたこともあり、間接的とは言え先の戦争の記憶はそれなりにあるでしょう。それは多分、現在「大人」と言える世代(「法的な成人」という意味ではなく、当人の自覚に関わらず社会的に責任ある立場に立たねばならなくなった年代の人々をイメージしてください。概ね三十代ぐらいからでしょうかね)の人々も同様ではないかと思います。私は安倍総理と比べればずいぶん年下になりますが、それでも先の戦争の間接的な記憶があります。
しかし私たちの子供の世代はどうでしょうか。先の大戦に関する間接的な記憶はある私たちですが、実感はほとんどありません。ましてや次の世代ともなれば、最早それは歴史の中の出来事でしかなく、自分に直接関係することとは、全く実感出来ないでしょう。
例えば、「鳥羽伏見の戦い」で自分の先祖が薩長側だったか旧幕側だったかなんて、たとえ知っていても実感はないでしょう。「関ヶ原の戦い」で自分の先祖が東軍だったか西軍だったかなんて、関心すら持たない人が普通でしょう。先の大戦についても、日本とアメリカ(正しくは枢軸国と連合国)が戦ったことを知らない子供がいても、もう不思議ではない時代になりつつあるわけです。
それをいまだに引きずり、しかも未来永劫引き継いでいこうとしている国が韓国です。しかもそれらは、長い時が経ったことを良いことに彼らに都合良く改変され、あるいは捏造されております。生き証人とされる「自称元従軍慰安婦」たちの記憶すらもそれらに合わせて変えられており、最早真実などとっくの昔に死に絶えております。
この上更に生き証人たちが本当に死んでしまえば、残るのは韓国人の頭の中の改変され捏造された記憶だけとなり、更に改変や捏造を加えられることはあっても、正されることは永遠になくなります。
逆に考えてみましょう。今回日本は、電撃的に「いわゆる従軍慰安婦問題」の解決のための話し合いを持ち、かなり強引ではありましたが合意に至らせました。ではもし日本が一切韓国と話し合いを持たなかった場合、どうなるでしょうか。
今まで通り「「いわゆる従軍慰安婦問題」は既に日韓基本条約で解決済み」と繰り返しておけば、韓国はさておき国際社会は「それもそうだね」と思ってくれるでしょうか。もしそう思う人がいるとしたら、それこそがお花畑というものでしょう。
韓国は今まで通り大手を振って国際社会でディスカウントジャパンを繰り返し、世界各国に慰安婦像を建て、世界は「あんなに韓国が言うんだったらそうなんだろう」と何となく思うでしょう。それに対して日本が「日韓基本条約で解決済み」と唱えても、世界は日韓基本条約なんか知りません。それを説明する間にも、韓国のディスカウントジャパン運動は進展し続けます。日韓基本条約を理解してもらう人を増やせたとしても、ディスカウントジャパン運動に染められる人も増えていくわけです。イタチごっことはこのことでしょう。いや、イタチごっこならまだマシです。日本が日本の立場を説明し理解を得られるスピード以上に、ディスカウントジャパン運動に染められるスピードの方が速いかもしれません。
今回の「最終解決の合意」が最善だったかどうかに議論の余地があることには、私も否やはありません。拙速だったのではという疑念もあります。それでも「何もしない」よりは良かったのではないでしょうか。
少なくとも今回の合意によって日本側は韓国が行なう慰安婦ネタによるディスカウントジャパンについて、ただ一言、「2015年に最終的に解決したことを日韓双方が互いに合意している」と言えば済むようになったのは事実です。これに対して韓国が何を言おうと、「え?解決したのに何でまた蒸し返してんの?」と言われれば、今度は説明に時間と手間を食われるようになるのは韓国の方です。
事実韓国言論では、必死で「慰安婦問題を蒸し返す正当な理由」を模索しており、幾多の主張が記事となって乱発されております。少なくともこの点において、日本側は格段に楽になり、韓国側にテマヒマが増えることになったのは事実です。
もちろん、だからと言って額面通り「これで「いわゆる従軍慰安婦問題」は最終的に解決した♪」などと私たち日本人側が呑気に過ごすのは論外です。韓国人は何度でも蒸し返すでしょうし、ディスカウントジャパン運動の手を緩めることもおそらくないでしょう。
今回の合意は単に、日本が韓国の攻撃に対抗出来る武器を手に入れたに過ぎません。日本に対し韓国が何も攻撃を仕掛けてこないのであれば良し、しかし韓国が攻撃を仕掛けてくるのであれば、相応の武力を以て反撃を加えるという姿勢を明確にしなければならないのは、何も物理的な武力衝突に限らないのです。
よって今回の合意については、日本が「韓国の攻撃を抑止出来る武器」を手に入れたこと、それから「韓国は国家間で結んだ合意を容易に反故にする国」という事実を広め得ること(これは世界各国が韓国を非難することを期待するという意味ではなく、世界各国が韓国と合意を結ぶことを躊躇するようになることを意味します)の二点が、私個人としてはかなり大きく評価出来るのではないかと思っております。
安倍総理は将棋がお上手、かも?
さて元旦と言えば一年の始まりです。日本では大晦日で一年を締めくくり、元旦からはまっさらの一年を始めます。一日しか違わなくても去年と今年にはくっきりと線を引き、大晦日には「去年のことは今日で全部オシマイ」となります。
落語には大晦日の掛取り(ツケを回収すること)を題材にしたものがあります。それによると、大晦日に掛取りを免れれば、その年のツケがチャラになるとか、まあチャラにまではならなくても次の掛取りの日まで支払いを先延ばし出来るとかで、懐の寂しい庶民は出来ればツケを払わずに済ませたいと言うか、払いたくても払えないわけです。
しかし回収する方も慈善事業で商売をしているわけじゃありません。ましてや大晦日。何としてでもツケを回収しなければ、下手をすれば回収不能金、良くても翌年の掛取りまで未収金として残ってしまいます。そんな状態で新年を迎えるのは心持ちが良くないということで、必死で回収しようとします。
双方、それぞれ切実な事情を抱えて「さあ払え」「悪いが払えん」と必死の攻防を繰り広げるわけですが、傍から見ればそれが実に滑稽なやり取りに見えて、落語には格好の題材となったのでしょう。
ことほどさように日本人は一年の区切りというのを強く意識します。その年の懸案は出来れば大晦日までに片付けてしまいたい、新しい日記帳のように、まっさらな1ページ目から新年を始めたいという気持ちは、日本人なら誰でも持っているものでしょう。それは「旧年中のことは決して新年に持ち越さない」という意識につながります。
昨年末(と言ってもほんの数日前のことですがw)に、日韓間の懸案となっていた「いわゆる従軍慰安婦問題」が解決したことになりました。
12月に入ってからバタバタと外相会談が行なわれ、あれよあれよという間に「最終的な解決を見た」と発表されました。これは日本側が年内解決にこだわったためと言われております。
何故日本側が年内解決にこだわったのかは、よくわかりません。一説には、このところ中国と北朝鮮の関係がきな臭くなっており、2016年の1月以降に武力衝突を含む何らかの動向があるかもしれないので、そうなる前に切実に日本との関係を改善したい韓国の弱みを突いたという話もありますが、真偽の程は定かでありません。尤も中朝不安が無くても、現在青息吐息の韓国経済が一刻も早い日本との関係改善を切実に欲しているのは確かでしょう。
日本としても、韓国との関係改善はどうでも良いにせよ、韓国が世界中で行ない、また行おうとしているジャパンディスカウント運動にはかなり辟易しています。特に慰安婦問題は性的なことですから、世界の人々の嫌悪感を惹起しやすく、誤解を解こうにも話題にしづらいものです。この問題の解決を一日先延ばしにすれば一日分、ジャパンディスカウント運動が進展することになるわけで、そうなればそちらのフォローに費用も手間も食われることになるわけですから、一日でも早く問題を解決したいと思うのは当然でしょう。それでなくても、もう既に何十年もこの問題は放置同然の状態になっているわけです(厳密には、日本側は何度も解決に向けた努力をし、実行もしてきました。しかし韓国側が解決させないようにしていたというのが事実です)。
そういった日韓双方の思惑から、「いわゆる従軍慰安婦問題」の年内解決が急がれたのではないかとも思います。
しかし案の定、韓国は合意を発表してからたった数日で問題の蒸し返しを仄めかしております。日本人としては、旧年中に片付けた事案を新年になって改めて蒸し返されるのは大変に不快なことです。おそらく多くの日本人がその感覚を共有出来るでしょう。
ある意味これは安倍総理が韓国に仕掛けた壮大な罠だったのではないかという気もしますw
これで韓国が素直に今回の合意に従えば良し、従わなければ日本人の対韓感情はこれまで以上の悪化を余儀なくされ、日韓関係は改善どころか益々悪化し、韓国に援助しない理由を正当化することが出来ます。どちらに転んでも、日本は損をすることがありません。
逆に韓国は、今回の合意に素直に従えば国民からの大反発を避けられず、かと言って蒸し返すと日本との関係改善だけではなく、国際社会における信頼を失います(最初からあったのかというツッコミは今回ご遠慮くださいw)。即ち「韓国は国家間で結んだ合意を一方的に反故にする国」という烙印を押されてしまいます。行くも地獄、戻るも地獄とはこのことでしょう。
将棋では、重要な駒をわざと相手に取らせることで、敵陣に隙を作る作戦がありますが、「いわゆる従軍慰安婦問題」の解決に関する一連の動きも、そんな将棋を見ているようです。
韓国といえども、外交においては日本より狡猾であることが少なくありませんから、この一局、日韓どちらの読みが勝っているかは今の時点ではまだわかりません。しかし現時点においては、安倍総理は思ってた以上に