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「私は嫌韓ではないが」という前置きについて

何やら中国がキナ臭い今日この頃です。中国の分裂は、随分以前から囁かれ続けておりますが、いよいよその時期が近づいて来ているのかもしれません。

中国と韓国が蜜月関係と言われる状態になってからのこの事態に、多分全く関係ないのだろうなとは思いながらも、「法則怖ぇ・・・」と思ってしまう私がいますw

さて、かつての日本、と言ってもそんなに大昔ではありません。ほんの十年一昔前ぐらいのことです。

その頃の日本では、「韓国が嫌いだ」と言うことは出来ませんでした。もし言えば、その理由を話す間もなく即座に「人種差別」のレッテルを貼られ、白い目で見られたものです。

2002年の日韓共催ワールドカップを契機に、その風潮は徐々に変わり、今では「韓国が嫌いだ」と言っても、即座に「人種差別」のレッテルを貼られることは、ないわけではありませんが、以前と比べれば格段に少なくなりました。

しかし今でも、日本人の韓国に対する不思議な「配慮」は生きています。

最近、韓国に対する批判や非難をする時に、「私は嫌韓ではないが」と前置きする人が多いことが気になり始めました。

例えば、アメリカの批判や非難をする際に、「私は反米ではないが」と前置きする人を、私は見たことがありません。それがロシアでも同じです。それどころか、韓国と共に特亞と呼ばれるグループを構成する中国や北朝鮮相手でさえ、批判や非難をする際に、「私は嫌中ではないが」とか、「私は嫌北朝鮮ではないが」などと断る人を私は知りません。

日本人は恐らく世界で唯一、韓国相手の場合だけ、批判や非難、あるいは韓国のネガティブな事実を語る際には、「私は韓国を嫌いではない」と断らねばならないことになっているようです。それは、かつて日本人の潜在意識にあった「韓国を嫌ってはならない」という呪縛が、いまだに完全には解けていないことを示すのでしょう。

日本人の「韓国を嫌ってはならない」という呪縛は、どこから来たものなのでしょうか。

日韓国交正常化以前の日本では、韓国はどちらかと言えば嫌われていたと聞きます。その頃の日本では、韓国は軍事独裁政権による恐怖政治が行なわれている暗黒の国というイメージがあったそうです。今となっては嘘のようですが、その頃は韓国よりも北朝鮮の方が、明るく溌剌とした国だと思われていたのだとか。ところが時代が移るにつれ、北朝鮮は暗黒の国と認識されるようになり、反比例するように韓国は開かれた明るい国というイメージになりました。

日本人に「韓国を嫌ってはならない」という呪縛が掛けられ始めたのは、おそらくこの日韓国交正常化以後からではないでしょうか。

それはもしかすると、それまで韓国を北朝鮮以上の暗黒の国と思っていたことの埋め合わせのような意識だったのかもしれません。同時に、「チョッパリがウリとウリナラを嫌うことなど、絶対に許さないし認めない」という韓国人の意識に対する配慮から来るものだったのかもしれません。

いずれにしても、その辺りから日本人が「韓国を嫌ってはならない」と考えるようになったのは、間違いないでしょう。

好き嫌いと是々非々は、必ずしも一致するとは限りません。しかしだからと言って、是と非が入れ替わるということもありません。惚れた目で見ればえくぼに見えるあばたが、本当にえくぼになることはありませんし、その逆もまた然りです。

ところが、こと韓国に関しては何故かこれを一致させようとする圧力が働きます。即ち、韓国のことが好きな者は、韓国の非を一切、何一つ穿つべきではなく、韓国の非を穿つ者は、韓国のことが嫌いな者なのだという公式の成立です。

その結果として、好き嫌いの表明ではなく、事実の羅列や学術的な分析であっても、そこに韓国の非と認識され得るものがあれば、それを言う者は韓国の非を論う者であり、嫌韓であると見なされる風潮が出来上がりました。

けれど本来は、親韓こそが韓国の改めるべき点を指摘し、それを是正するための提案を積極的に行なうべきではないのでしょうか。嫌韓が言えば悪口かもしれませんが、同じことでも親韓が言えば愛ある忠告であり、諫言になるはずです。

にも関わらず、親韓連中のやってることと言えば、嫌韓を嫌韓であるという理由だけで攻撃することだけです。それは、韓国人側に忠告や諫言を受け入れる器がないためでもあるでしょう。韓国に対する見解が真逆であっても、相手が日本人であれば議論が可能ですが、韓国人が相手では議論そのものが成立しないと、親韓連中でさえ最初から投げているのです。

時々申し上げているように、嫌韓の最大の原因は韓国自身ですが、韓国人と親韓連中はそこから必死で目を逸らし、嫌韓がただの流行か中二病か歪んだナショナリズムの表れであるかのように言い、また自らそう信じようとしています。

その上、韓国が国を挙げて日本人に嫌われるようなことをやっているのに、それを改めさせようともせず、日本人に韓国を嫌うな、嫌韓をやめろと迫るのです。

それでは嫌韓が増えることはあっても、なくなることなど韓国が消滅するまであり得ません。

親韓連中は、日本人に向かって嫌韓をやめろと叫ぶのではなく、韓国に向かって「日本に嫌われるようなことをやめろ」と叫ぶのが筋なのですが、そう叫ぶためには、「私は嫌韓ではないが」と前置きしなければならないという縛りが掛かっているのです。

韓国や韓国人に向かって「日本に嫌われるようなことをやめろ」と言う行為そのものが、韓国人から見れば嫌韓的所業と見なされます。親韓連中は嫌韓に見られることを恐れ、あるいは厭い、韓国人に「日本人に嫌われるようなことをやめろ」と言えません。それだけではなく、韓国人の意を迎えるために、韓国人と一緒になって韓国人から見た嫌韓的行為を働く者、即ち「日本人に嫌われるようなことをやめろ」と言う日本人を、「嫌韓」と見なして糾弾するのです。

親韓連中に、韓国に対する本当の愛情や好意があれば、それが賽の河原で石を積むに等しい行為になろうとも、韓国人から嫌韓とみなされ攻撃されることになっても、韓国人に対して忠告や諫言をするでしょうけれど、前述のような現実を鑑みれば、そこまで韓国に対して愛情を持っている親韓日本人など、おそらくほとんど居ないのでしょう。

親韓連中の多くは、「他人や他国を嫌うのは悪いこと」という小学校低学年レベルのモラルに縛られ、あるいは他者を縛ろうとし、反面韓国に対しては諫言ではなく甘言を与えるだけの人々に見えます。韓国にはそういう人しか寄り付かず、またそういう人でなければ韓国人も受け入れることが出来ないのでしょう。

現在の日本で「韓国が嫌いだ」と公言することに抵抗が減ったように、韓国の事実を事実として淡々と、「私は嫌韓ではないが」などという、無意味でどうでも良い前置きなしに言える日が来るようになると私は考えております。

そうなった時、韓国に関する事実を語る人を「嫌韓」とか「レイシスト」などと罵った親韓連中はどういう態度を見せるのか、私は今から楽しみにしております。



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日韓の離間で北朝鮮が喜ぶ?

最近気になるのは、「韓国の反日は北朝鮮の工作」という主張がチラホラすることです。

この主張を初めて見た時は、韓国の親日反北ネチズンの戯言だと思っていました。ところが、2~3の日本人(と思しき人が書いている)ブログでも、それに類する主張を見かけました。

「韓国の反日は北朝鮮の工作」という意見は、韓国内では、反日親北派を牽制するためのもののようですが、これが日本人に向けて発せられると少々趣きが変わってきます。

即ち日本人に向けて「韓国は本来、反日ではない」とアピールするためのものに変換されるのです。

更にこの主張は「韓国は本来反日ではないのに、北朝鮮の工作によって反日煽動されている。その結果日韓が離間することになれば、喜ぶのは誰、またはどこの国か」という方向へと展開されます。

その答えは当然「北朝鮮」です。即ち、日本人に向けた「韓国の反日は北朝鮮の工作」という主張は、「北朝鮮の思う壺にはめられないように、日韓はより一層友好的にならなければいけない」という結論へと導かれるのです。

韓国人は嘘つきですが、いつも常に必ず絶対に嘘しか吐かないわけではありません。韓国人がいつも常に必ず絶対に嘘しか吐かないのであれば、いくら日本人がお人好しでもここまで騙されはしないでしょう。嘘つきが厄介なのは、嘘に真実を混ぜ込むためです。

例えば、自称元「従軍慰安婦」婆さんたちの証言などは、典型的と言えるでしょう。

彼女たちがかつて売春婦だったことや、軍人相手に商売をしたことがあるのは、おそらく事実です。騙されて売春婦にさせられたとか、本人の意志に反して売春婦にさせられたというのも、もしかしたら事実かもしれません。ですが、それらが大日本帝国の国家的あるいは旧日本軍の組織的行為によって強制されたものであったというのは、嘘です。

これと同様、「韓国の反日は北朝鮮の工作」というのも、全くのデマカセではなく、幾らかの事実が散りばめられている可能性はあります。

朝鮮半島の統一については、韓国より北朝鮮の方がずっと意欲的です。その上おそらく北朝鮮は、韓国単品が相手なら勝てると思っています。勝てると思ってるのに北朝鮮が韓国に攻め込まないのは、日米が韓国の後ろ盾となっているからです。

金大中・盧武鉉(私は個人的にこの二名を、単なる親北人士ではなく、れっきとした北朝鮮工作員だったと思っております)と2代10年続いた親北朝鮮政権では、極めて熱心に韓国内の反米意識を煽動し、一定の成果をあげました

その10年で北朝鮮による韓国の反米煽動は完了したので、次は反日煽動だというのが「韓国の反日は北朝鮮の工作」説の所以なのでしょう。

ですがそもそも韓国には誰に、あるいはどこの国に煽動されるまでもなく、反日が存在していたことを忘れてはいけません。

現在の韓国の反日が本当に北朝鮮の工作の成果だったとしても、それがなければ韓国は親日だったかと言えば、断じてそんなことはないのです。

それに日韓の離間によって朝鮮半島の南北統一が促進されるのであれば、むしろ日本は積極的に韓国と離れるべきではないでしょうか。そうしなければ「日本は朝鮮半島の南北統一を阻害している」ということになってしまいます。

実際、かつて日韓チャットに居た頃、実に多くの韓国人から「日本は南北統一を邪魔している」あるいは「日本は南北統一を恐れている」と言われました。朝鮮半島が統一されれば、韓国の経済力と工業力、北朝鮮の労働力と豊かな地下資源で、統一朝鮮は強大国になれるのだと、夢見るような調子で語られました。時には、「南北統一すれば、韓国は核保有国です」と、ニヤニヤ顔が目に浮かぶような調子で言われました。

こういった「日本は朝鮮半島の統一を恐れている」という意識は、韓国人には極めて一般的ですし、「だから日本は朝鮮半島の統一を妨害しようとしている」と少なからぬ韓国人が信じているのも、至って自然なことなのです。それらを裏付けるような行動を日本がすれば、いくら良かれと思ったことであっても、それは将来の禍根となるかもしれません。と言うか、日韓の歴史を顧みれば確実になるでしょう。

韓国では北朝鮮の工作が無くとも、国民を統合するために、常に反日を切り札として用いてきました。ですので、仮に現在の韓国の反日が本当に北朝鮮の工作の結果だとしても、それが問題になるのは韓国人の間だけの話です。

日本人からすれば、現在の韓国の反日は、号令を掛けたのが金正日か金正恩か李明博か朴槿惠かの違いしかありません。誰が号令したとしても、日本人から見れば全て朝鮮人がし続けてきたことなのです。

それに日韓の離間が北朝鮮の利益となるならば、逆に日韓の友好が進めば、それはどこの利益になるのでしょうか。

北朝鮮の工作によって日韓が離間すれば、北朝鮮が高笑いするのが業腹だと思う人もいるかもしれません。ですが、「韓国の反日は北朝鮮の工作によるものだ」という主張を、何故か日本で広めようとすること自体が既に、私から見れば韓国の対日工作としか思えません。それに日本がまんまとはまってくれれば、韓国は笑いが止まらないでしょう。

日本は、必ず北朝鮮か韓国と付き合わなければならないのでしょうか。そんなことはないはずです。

「そこに朝鮮人が棲息する限り、北朝鮮も韓国も要らない」

そう宣言するという選択肢も、日本にはあるはずです。



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日韓が仲良くなる道は存在するか

今日、特定秘密保護法案が閣議決定されたというニュースを、テレビで見ました。

民主政権の間、スパイと思しき連中にまで官邸パスを渡し、好き勝手に機密に接することが出来るようにしていたことを思えば、遅きに失した感があるにしても、何もしないよりはずっとマシだよななどと思いながらそのニュースを見ていると、まるで最後っ屁のように「国民の知る権利や報道の自由を侵害するおそれがある」などと言ったのには、思わずテレビの画面に向かって「てやんでぇ」と突っ込んでしまいました。

それを言うならマスコミの「報道しない自由」も、立派な「国民の知る権利の侵害」です。まことに「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」的思考全開としか言いようがありません。テレビや新聞などマスコミが発信する情報しか見ない聞かない読まない人は、こういう欺瞞の存在にも気づかないのだろうなと、このところの天気のように暗鬱な気分になりました。

暗鬱と言えば、このところの日韓関係も順調に暗鬱です。こちらの暗鬱は個人的には大歓迎なのですが、ある種の人々にとってはそうではないようです。

韓国で反日気運が高まるのは、ある意味恒例行事とか予定調和のようなもので、特にこれまで問題視されることはありませんでした。しかし昨今の日本における嫌韓勢力の拡大と定着は想定外だったようで、韓国側の焦りは相当なものがあるようです。

レイシストしばき隊(最近何やら横文字名に通名を替えたようですが、あえて馴染みのあるこちらの名称を用います)の暴れっぷりもその焦りの表れでしょう。

ところでレイシストしばき隊のキャッチフレーズは「仲良くしようぜ」でしたが、彼らのような親韓反日日本人や韓国人が言うように、日本と韓国が仲良く付き合っていく道は、果たして存在するのだろうかということを考えてみました。

これまでも述べてきたとおり、日韓双方が互いに同じぐらい歩み寄るというのは難しいでしょう。日韓修交以来の関係を見れば、「日韓が互いに同じぐらい歩み寄ること」は、不可能と考えるのが現実的と私は考えています。

ならばどちらかがどちらかに合わせるしかありません。言うまでもなく、韓国側が期待しているのは、日本が韓国に合わせることでしょう。

では、実際に日本が韓国に合わせればどうなるでしょうか。

日本人が互いに互いを思いやることをやめ、俺が俺がと我を張り合い、呼吸するように嘘を吐き、自分と他人の関係を常に上か下かではかり、自分のズルやインチキは何が何でも正当化し、それを咎められれば咎めた相手の非を穿つくせに、他人が少しでも反道徳的なことをすれば鬼の首を取ったように非難し、強い者には徹底して媚びへつらい、弱い者は徹底して苛めたり馬鹿にするという、もうひとつの韓国に日本がなれば、韓国人は満足するのでしょうか。

私にはとてもそうは思えません。何故なら韓国人も、韓国社会のそういう削り合いに消耗していて、日本人の思いやりや譲り合いといった日本人的道徳を、好ましく感じているからです。

では逆に、韓国が日本に合わせればどうでしょうか。韓国人が日本人的な思いやりや誠実さ、譲り合いや自省を覚え、自分を尊重するように他者を尊重すべきと考え、みだりに人を侮らず、水に落ちた犬の苦しさや悲しさを感じるようになって、韓国がもうひとつの日本になれば、日本と上手くやっていくことは可能かもしれません。

問題は、韓国人にその機能がないことでしょう。

韓国人にしても、日本の良さというのは大変に好ましいものらしいのですが、いざそれを自分たちがやるとなると、大変な苦痛や抵抗を感じるらしいのです。

と、「らしい」「らしい」を連発しましたが、私個人の考えでは、これは推量ではなく確信です。

まず韓国人にとっても日本人的道徳が好ましいということですが、これは彼らの道徳観が、しばしば日本的道徳観と被ることがあるのを思い出していただければ、容易にご理解いただけるはずです。

例えば韓国人は嘘つきですが、韓国人自身、韓国人が嘘つきであることを良いことだとは思っていません。それを疑う人は、韓国人に「韓国人は嘘つきだ」と言ってみてください。その韓国人がさほど親しくない韓国人であれば、あなたが「韓国人は嘘つきだ」と言った次の瞬間、烈火の如く怒り出すでしょう。

もしその韓国人が、あなたとかなり親しい韓国人なら、「韓国人は嘘つきだ」という言葉にそこはかとない不快と不満を示しつつ同意し、韓国人がそういう人々であることを嘆くでしょう。

いずれにしても、韓国人は韓国人が嘘つきだとは言われることを良いことだとは全く思っていません。

あるいは「韓国人には思いやりがない」と言えば、これは多くの韓国人が心外だと憤るかもしれません。何しろ彼らの最大のセールスポイントは「情に厚い」ですし、実際「韓国人に親切にされた」と言う人は案外珍しくありません。

韓国人は時に、極めて親切に見える行動をすることがあります。それは私も否定しません。ですがそれは、決して他者への「思いやり」から発した親切ではなく、必ず自己顕示や自己満足から発したものなのです。

故に、彼らの行なう「親切のようなもの」は、しばしば「押し付け」や「押し売り」を伴います。

韓国人にとって他人は、常に自分(=ウリ)を引き立て褒めそやし犠牲になるべき存在なのです。自分(=ウリ)の利益や快楽を度外視して、損害や苦痛を得ることになっても、他人のために何かしようと考える韓国人はいません。もちろん、そういう韓国人がごく少数存在する可能性は否定しませんが、そういう韓国人が韓国社会を変革させる可能性は完全に絶無なので、いないのと同じと私は考えています。

畢竟日本と韓国が仲良くしようと思っても、双方の歩み寄りがまず不可能ですし、日本の韓国化は日本人も韓国人も望むところではありませんし、韓国の日本化は韓国人にその能力がありません。

よって私個人の結論としては、日本と韓国が仲良く付き合っていける道筋などどこにも存在しない、即ち従来通りの「発展的関係解消こそが最善にして最高の日韓関係」と結論付けざるを得ませんが、もし「いや、そんなことはない。こうすれば日韓は必ず仲良くなれるはずだ」というご意見をお持ちの方がいらっしゃれば、是非ともそのご高説を拝聴したいとも考えています。

我こそはと思わん方がいらっしゃいましたら、是非ともその主張を弊ブログまで寄せていただければと切望する次第です。



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良き日本人となる意思のない者の帰化は認めるべきではない

以前から幾度か述べている通り、私は在日に対しては「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の法律に口出ししたいなら帰化しろ」と考えています。

この内、「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」の二項については、いずれの方からも概ねご賛同いただいているようなのですが、最後の「日本の法律に口出ししたいなら帰化しろ」という項目にだけは、賛同どころか強い反発を招いていることが多いようです。

その気持ちはよくわかります。朝鮮人がどういう生き物なのかを知れば知るほど、こんな生き物に日本人を名乗られたくないと思う気持ちは、日本を大切に思っている日本人ほど、強くなるはずです。

ましてや弊ブログでは、朝鮮人がどういう生き物なのかをくどいほど説いているのです。そういうブログをご覧の方であれば、尚更にこんな生き物に日本人を名乗らせたくないと思うに決まっています。

だから一律に、朝鮮人には日本への帰化を一切認めないと言うだけならタダですから幾らでも言えますが、現実問題としてそんなことが可能でしょうか。

少なくとも、今の日本では不可能だと私は断言します。

「滅私奉公」などと言う通り、日本人は血族などの私的集団よりも、所属する公的社会に忠誠を誓うことを美徳とします。例えばアメリカの日系人部隊で、アメリカのために身命を賭した日系人たちを、日本人は賞賛することはあっても、罵ることはほぼありません。

では韓国人の場合はどうでしょうか。

韓国人(というか朝鮮人)の感覚では、如何なる社会に所属しようとも、血族等の私的集団こそが最高にして最終の拠り所であり、そのためであれば所属する公的社会に反することさえも美徳とされます。

それを表す著名な例では、1907年に抗日義兵を募った李麟栄の逸話があります。李麟栄が自ら檄を飛ばして集めた抗日義兵の総大将に選ばれ、いざ鎌倉ならぬいざソウルとなったその時、李麟栄のもとに父の死が伝えられます。

すると李麟栄は、総大将の身でありながら軍を放り出し、父の葬儀のために実家に戻ってしまい、しかも三年の喪に服すると言うのです。

軍の総大将が、いざ開戦というその時にいなくなれば、軍紀が乱れないわけはありません。日本人の感覚ならば、父の死の悲しみを胸に秘め、涙を呑んで戦いに赴くのが美徳になるのですが、韓国では真逆なのです。

これに類する話は、枚挙に暇がありません。近年で有名な事例では、ロバート・キム事件というものもあります。言うまでもなく、韓国人は彼を絶賛しています。

これは即ち、どこの国に住もうとどこの国籍を得ようと、韓国人ならば韓国人であり続けようとするのが、韓国人にとっての美徳であるということを示します。確か呉善花女史も、これに類することを著書に書いていたように記憶します。

日本は、そういう韓国人(朝鮮人)に対しても、実に安易に帰化を認めているのが現状なのです。

彼らは帰化しても、自分が変わろうとはせず、周囲を変えようとします。その結果、日本人の朝鮮人に対する嫌悪感は募るばかりです。

自ら望んで日本の国籍を得ようとする者であれば、生まれながらに望みもせず日本人である者よりも、より一層強い日本への帰属意識と、忠誠心を持つのが当然というのが、私の従来からの主張です。

にも関わらず「良き日本人となろう」という意志がないどころか、それを要求されることを苦痛に感じるような生き物に、日本は帰化を認めてきました。

そういう帰化人は、国籍は日本であっても、帰属意識は韓国なのです。従って、そのような帰化人がもし日本の国家機密を知り得る立場になり、それを韓国に流せば日韓関係において韓国が有利になるということが確信出来れば、帰化人は躊躇なく日本の機密を韓国へ流すでしょう。と言うか、おそらく既に相当量の日本の国家機密が、帰化人によって韓国あるいは北朝鮮、もしくは中国に流されているであろうことは、想像に難くありません。

現在、特別永住の在日に対しては、帰化申請の際に「何故日本に帰化したいのか」を具体的に述べた帰化動機書の提出免除や、帰化宣誓書の音読免除などの帰化手続き緩和措置が行なわれています。

これらは、特別永住の在日が帰化を望む動機を述べることや、帰化に当たって良き日本人となることを自分の口から宣誓することを、苦痛や屈辱と感じたが故の緩和措置とされています。少なくとも、在日側はそう理解しています。これもまた、在日特権のひとつに数えて良いでしょう。

前述した通り、朝鮮人は原則として自らが所属する公的コミュニティではなく、私的血族に対して帰属意識を持ちます。即ち、日本に帰化したとしても、意識としては朝鮮人であり続けようとする朝鮮人が標準と見て良いでしょう。そういう生き物に対し、現在のようなユルユルの帰化許可を行なっていたのでは、日本国籍を持つ朝鮮人を増やすだけです。そうなれば、「日本国籍を持つ者=日本人」という公式は崩壊するしかありません。

結局、在日に対する日本への帰化条件を緩めれば緩めるほど、在来日本人の帰化日本人に対する警戒心と不信感は募るばかりです。最低でも「良き日本人となること」を喜んで大声で宣誓する程度のことが出来ない人物に、日本への帰化は認めるべきではありません。

そうすることが日本にとって良いことであるのは当たり前ですが、同時に帰化人にとっても、帰化を認められたということが日本というコミュニティに忠誠を誓った証拠、即ち「日本人として」の名誉にもなるのです。

私は、日本人になることを切望する外国人を全てシャットアウトするべきだとは微塵も思っていません。それと同じ程度に、日本人になるつもりもないくせに、日本国籍だけを便利使いしようと思っている者に帰化を許すべきだとも思っていません。

この問題は、在日の問題ではないのです。私たち日本人の問題なのです。「良き日本人」となる意志も意欲も持たずに日本への帰化を求める朝鮮人の恫喝に屈して、唯々諾々と認めてきたのは、他ならぬ日本なのです。ある意味この問題は、「外国人に、外国籍のまま日本の法律に口出しさせてきた結果」とも言えるでしょう。

日本に帰化した外国人が、ルーツとしての祖国に愛着を持つことまで咎めるつもりはありません。と言うか、それは持って当然の感情です。しかし、自ら望んで日本に帰化した以上、忠誠を誓う対象は日本であり、それは生まれながらの日本人よりも、強く求められるのが当然なのです。

現在の日本では、日本人自身が確立された愛国心を持たないがために、帰化日本人に対しても確立された愛国心を求め得ず、その結果として、特に恫喝の著しい在日に対する帰化基準が緩々になっているのではないでしょうか。

単に「在日の帰化を認めるな」と言うばかりでは、サベツだのヘイトスピーチだのと喚き散らされて、この問題は解決に向かうどころか、面倒を嫌う現場の裁量で骨抜きにされるばかりでしょう。

それよりも「帰化に必要な手続きや書類、審査基準等は、全ての外国人に平等にするべきであって、特定の外国人だけに緩和するべきではない」と言い、その上で「どこの国の出身であろうとも、日本人としての確固とした意識と愛国心を持ち、良き日本人であろうとする意欲に溢れた人物だけに帰化を認める」という、至って当たり前のことを当たり前に行なうように徹底する方が、より建設的で且つ説得力を持つのではないかと私は考えております。



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「蟻の一穴」にされぬために

弊ブログで熱心に工作コメントを投稿している「工作員名無しさん」が、前回記事で初めて「怨親平等さん」というハンドルネームらしいハンドルネームを付けてお越しです。今後もそのハンドルネームで固定するのか、それともまた違うハンドルネームを付けて撹乱しようとするのか、引き続き興味深く観察しております。

もっとも「工作員名無しさん」がハンドルネームを固定しようとしまいと、書いてる内容と書き方の癖で、読者の皆様にも丸わかりになっております。こんなにバレバレなのに、抜け抜けと工作コメントを書き込み続けるのは何故なのかと訝しく思う方もいらっしゃるでしょうが、「工作員名無しさん」としては、10人中9人が騙されなくても、1人が騙せれば良いわけです。そのためにはバレバレだろうが何だろうが、数打つ必要があるということなのでしょう。

WANKのやり口もこれと全く同じです。と言うか、朝鮮人はたいてい誰でも、ナチュラルにこういう手法を使いこなします。おそらく朝鮮人は皆、物心付いた頃からそういう手法に慣れ親しんでいるのでしょう。もちろん、朝鮮人だからと言って常に騙す側にいるとは限りません。騙される側が常に存在するからこそ、朝鮮人社会ではそういう手法がいつまでも受け継がれているわけです。

「いわゆる従軍慰安婦問題」についても、この手法が遺憾なく発揮されています。

この「いわゆる従軍慰安婦問題」は、朝鮮人らしさの塊と言って良いでしょう。じっくり検証すればするほど、朝鮮人の朝鮮人らしいやり口や習性がザクザクと出てきます。

まず売春婦の調達に「騙す朝鮮人」と「騙される朝鮮人」の構図がありますが、これは韓国に限った話ではないかもしれません。しかしこれを対日問題化した「いわゆる従軍慰安婦問題」では、まさに「10人中9人に嘘がバレても、残る1人が騙せれば良い」という朝鮮人の習性が遺憾なく発揮されております。

朝鮮人的感覚では10人の内9人に嘘を見抜かれても、1人を首尾よく騙せれば良いのですが、もしその1人が有力者であれば、しめたものです。首尾よく騙せた、たった1人の有力者の権威がブースターになって、騙せる人の数は飛躍的に増えます。更にそれを「決議」や「談話」といった形にすることが出来れば、騙す作業は格段に捗ります。何故なら、それは公式に認められた「結論」になるからです。

公式に認められた「結論」は、その誤りが証明されるまでは「正解」となります。「正解」に至るまでの要素や式を真面目に検討するには、その作業を行なう人にそれなりの理解力が必要になりますし、時間もかかります。

既に公式に認められた「結論」が出ているのに、そういうテマヒマを掛けて公式に認められた「結論」を再検討する人は、そう多くありません。多くの人は既に出ている「結論」を「正解」とし、その「正解」を前提としてその問題を理解しようとします。そうなれば、騙せる人を10人中10人にすることも可能です。

「いわゆる従軍慰安婦問題」は、まさにこの通りの経過を経て今日に至ります。

16日に産経新聞が報じた、自称従軍慰安婦に対する聞き取り調査の報告書は、既に「結論」とされていた「河野談話」の根拠を崩壊させるものになりました。

その内容は、「いわゆる従軍慰安婦問題」をひと通り調べたことのある人にとっては今更感溢れるものではありますが、既に出された「結論」の誤りを指摘するものとしては、大変重要なものになるはずです。

この産経新聞の報道に対し韓国の代表的親北左派言論ハンギョレなどは、「詭弁」と言い張っておりますが、その理由を「しかし、これについては証言を排斥する理由というよりは高齢者を相手に数十年前行われた経験を採取する "口述調査"の限界と見るのが正しいという指摘が多い。 学力レベルが低い慰安婦被害女性たちの証言に多少の矛盾があるが、これを当時の歴史的事実に照らして確認して検証することは、研究者の役割というのだ。 1934年、朝鮮総督府の調査資料によると、当時の朝鮮人女性の非識字率(ハングルと日本語の両方を読めない人の割合)が92%である」などと言っちゃっております。

つまり、「(自称)従軍慰安婦の証言は、最初から信憑性が低い」と、韓国の言論自らが認めてしまったのです。この意見を引き出しただけでも、産経新聞の報道には大いに価値があったのではないかと思います。

「事実」と「嘘」を比べれば、確かに「事実」の方が強いのですが、その強さはあくまで「同じ土俵に上がれば」の話です。「事実」の方が、その強さ故に同じ土俵に上がろうともせず、「嘘」の横行を許すのであれば、いくら「事実」が強くても勝てるはずがありません。

日本人の感覚では、「嘘」はどこかしら後ろめたいものですし、「嘘」がバレることは甚だしい「恥」です。

しかし韓国人は違います。韓国人に「嘘」を吐くことの後ろめたさはありません。それどころか、「嘘を吐いて他人を騙すことが出来る=他人より上位である」とナチュラルに考える生き物ですから、むしろ堂々と嘘を吐きます。

「嘘がバレること」は、韓国人にとっても「恥」になりますが、韓国人にとっての「恥」の概念がまた、日本人とは真逆なのです。つまり韓国人は、「嘘」は吐いた方ではなく、暴いた方が悪いと考えるのです。

韓国人の「嘘」に対するこういった考え方は、韓国人が「嘘」を堂々と「真実」と同じ土俵に上げようとすることにつながります。

これまでの日本人は、韓国人がそういう生き物であるということを意識的無意識的に否定してきました。実際、河野談話作成時に事務方トップだった石原信雄元官房副長官が、産経新聞の取材に対し「私たちは韓国側を信頼し『反日運動をやっておらず、公正・冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ』と言い、韓国側がそれを約束したから調査に行った」と語っておられるように、日本政府のスタンスが、最初の第一歩から間違いまくってたということがよくわかります。

つまり、「最初の第一歩」から間違った式に当てはめて導き出した「答え」が、「河野談話」であったということです。それがいまや世界的に「正解」として用いられているのです。

俗に「蟻の一穴」などと言いますが、韓国人はいわば「蟻」です。少しでも油断すれば、蟻はどこかに穴を穿とうとします。一度でもそれを許せば、その一穴を足がかりに、見る見るうちに堤防を崩壊させるのです。

韓国人の習性を知らない人は、それだけで自分が韓国人によって気づかぬ内に日本という国の「一穴」とされることがあるということを、韓国人と接触する機会のある全ての日本人に周知する必要があると痛感する今日この頃です。



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在日を知るには、まず朝鮮人を知るべし

コメントにて在日問題についてのお尋ねがありましたが、弊ブログではこれまであまり在日について深くは言及してきませんでした。その理由は、まずひとつには元々弊ブログが、日韓チャットでの韓国人遭遇体験に基づく考察を出発点とするからです。

日韓チャットにも在日が訪れることはありましたが、数はさほど多くありませんでしたし、彼らは思考も発言も日本語ですから、文字面だけで見ている限りでは日本人と区別が付きませんでした。

更に私個人の現実の体験としても、学生時代、身近に在日がいたという確たる記憶がありません。実際にいたのかいなかったのかもわかりませんが、少なくとも私の同級生に、朝鮮名を名乗っていた者は一人もいませんでした。

子供の頃の朝鮮関連の記憶と言えば、小学校4年か5年ぐらいの頃でしたか、どういう話の流れからだったかは全く覚えていませんが、同級生に「チョーコー(朝校=朝鮮学校)の奴らとだけは喧嘩するな。あいつらすぐナイフ出してくるからな」と言われたことがあるのと、中学生になったばかりぐらいの頃に、半グレの同級生から「なんやワレ、パチキ入れんぞゴルァ」と凄まれたことがあったぐらいでしょうか。

ちなみにこの時私は、「パチキ」という言葉の意味がわからなかったので、肩を怒らせ斜に構え、巻き舌で精一杯のドスをきかせた同級生に、「なぁ、パチキって何?」と執拗に尋ね続け、相手を大いに閉口させました。おそらくですが言った当人も「パチキ」の正確な意味を知らずに、グレ仲間から聞いた言葉をそのまま受け売りで使っていたのではないかと思います。

「パチキ」が、朝鮮語で「頭突き(박치기)」の意味だと知ったのは、成人後の話です。

社会人になってからは、同じ会社に通名を用いていた在日や朝鮮名を名乗っていた在日がいたことはいました。しかし彼らについて、朝鮮人という意味で印象に残ったエピソードはありません。

日本の社会問題としての在日問題については、指紋押捺拒否騒動辺りから知ってはいましたが、自分の身近に在日がいなかった(いたとしても認識されていなかった)ので、基本的には他人事でした。

ただその頃、新聞を読みながら「日本に住むんだったら、日本の法律に従うのが当たり前」「日本の法律に従うのが嫌だったら、自分の国に帰れば良い」「日本に住み続け、日本の法律を変えたいと思うんなら、日本人になってからするのが筋」とは思いました。この「日本に住むなら日本の法律に従え」「日本の法律に従うのが嫌なら祖国へ帰れ」「日本の法律に口出ししたいなら、帰化しろ」という考えは、今も変わりません。

こう言うと、最後の「日本の法律に口出ししたいなら、帰化しろ」という部分に、激しい拒否反応を示されることが、特に最近はしばしばあります。

「冗談じゃない、朝鮮人なんかに日本国籍を安易に渡すべきではない!」と。

これについても、以前きちんと述べたことがありますが、私は「朝鮮人を安易に日本に帰化させろ」などとは全く考えていません。

日本への帰化条件を十全に満たし、且つ厳正な審査を経て、もちろん当人の日本への忠誠心も厳重に確認した上で帰化を認めるべきです。今の日本は、まずそれが全く出来ていません。それはもちろん、日本人が在日らの圧力に屈したためですが、何故日本人は在日らの圧力に屈したのでしょうか。

それはひとえに、日本人が朝鮮人という生き物について無知過ぎたためとしか言いようがありません。

日本人同士なら、「おたがいさま」や「おもいやり」が通じます。こちらが譲れば、相手も譲ってくれます。暗黙のうちに借りと貸しの帳尻を、相互に合わせようとします。

ですが朝鮮人が相手の時は、「おたがいさま」や「おもいやり」などは一切通じません。こちらが譲れば、未来永劫譲り続けることを要求されます。彼らに貸せば借り倒され、彼らから借りるようなことが一度でもあれば、何度返しても何倍にして返しても、永遠に債務を負わされることになります。

それは日本語で思考し、日本語で表現する在日であっても変わらないということを、日本人は長らく知りませんでした。もしかすると、今でも「在日朝鮮人と本国朝鮮人は違う」と思ってる日本人は多いかもしれません。

それは「朝鮮人」を知らない日本人ほど、「日本語で考え、日本語で話すなら、きっと日本人と同じなのだろう」と無意識に思い込んでしまうからでしょう。ですから、まずは「朝鮮人」というものを十分理解しなければ、「在日」を理解することは難しいのではないだろうかと思うのです。

「韓国人」は、「朝鮮人」の中では今のところ最も数が多く、最も多く日本と接触する機会があります。よって「韓国人」を十分に知れば「北朝鮮人」はもちろん、「在日」あるいは「中国朝鮮族」または「在米韓国人」などについても自ずから理解が容易くなりますが、「在日」だけに焦点を当てて「韓国人」を知らなければ、「在日」の行動原理や思考は、まず理解出来ません。

現在の日本では、韓国人に対する理解は一昔前と比べればずいぶん深まりました。しかしそれでも、まだまだ十分とは言えません。そういう現状で、いきなり「在日」に議論の焦点を当てても、意見も考察も対策も散漫になるだけではないでしょうか。

日本人としては、日本国内に棲み着き、日本に仇為す在日がどうしても気になるという気持ちは十分にわかります。とりあえずは日本国内の在日を何とかすれば、その他の朝鮮人なんか所詮国外のことじゃないかというのも、全くの間違いとは思いません。

けれど日本人が朝鮮人を知らずに対処してきた結果が、現状なのです。その結果、在日自身が自らを朝鮮人とは思わなくなりつつあります。それは在日自身による「俺たちは韓国人でもなく、北朝鮮人でもなく、在日という新しい民族なのだ」という戯言に現れています。

それを真に受けて「朝鮮人ではなく、在日に焦点を当てて考えるべきだ」ということになれば、それは在日が意図したことではないとしても、現実的には日本人に対する目眩ましと言うか、猫騙しの効果を発揮することになります。

改めて強調しておきますが、在日はれっきとした朝鮮人の一種です。そのことを周知徹底するには、やはり「在日」に焦点を当てるのではなく、「朝鮮人」に対する理解を深めることから入っていくのがベストではないかと私は考えています。



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惚れてなければあばたはあばた

親韓や擁韓の人に言わせれば、韓国人は良い人たちなのだそうです。

もちろん、そういう人たちでも韓国人に短所があることは認めています。ですが短所のない人間などいないし、短所も肯定的に考えれば、長所と見れないこともありません。それなのに韓国人の短所を短所と考え、あまつさえそれをあげつらう日本人は、親韓や擁韓の人々の言わせれば「傲慢」ということになるようです。

例えば、私たちが見る韓国人の短所には、「自己中心」「我儘勝手」というのがあります。何事につけ、自分に都合の良いように考え、行動します。そこから派生して「ケンチャナヨ精神」や「怠惰」があります。

以前にも説明したことがありますが、「ケンチャナヨ精神」の「ケンチャナヨ」とは、朝鮮語で「大丈夫ですよ」という意味です。但し日本語で言う「大丈夫ですよ」とは、かなり用いられ方が異なります。

例えば、韓国のレストランで料理に髪の毛が入ってたとします。店員を呼んでそれを指摘すると、店員はおもむろに料理の皿から髪の毛をつまんで取り除き、にっこり笑って「ケンチャナヨ」と言うでしょう。

日本人からしてみると「何が大丈夫なんだよ!」という話ですが、韓国人に言わせれば「被害を受けて苦しんだり悲しんだりしている人に『(あなたの受けた被害は大したことじゃないから)大丈夫ですよ』と言ってあげて、相手を安心させる」ということで、「韓国人的思いやり」なんだそうです。

それから「感情や本能に忠実」というのもあります。また「衛生観念に乏しい」というのも、日本人には認め難く耐え難い韓国人の短所です。その上「粘着質」ですから、日本人が感じる不快は更に募ります。

韓国人の反日などは、これらに比べれば実は些細な問題です。たとえ親日であっても、これらの韓国人の短所が改められなければ、日本人が韓国人を「肯定的」に考えることは難しいでしょう。

韓国人や親擁韓の人々は、これらの韓国人の短所は「人間らしさ」であると言って、「肯定的」に理解するべきだと言うのです。

ですが私などに言わせれば、韓国人や親擁韓の言う「人間らしさ」は、全く「人間らしさ」ではありません。むしろ「ケダモノらしさ」と言った方が近いということは、以前にも述べたことがあります。

韓国人の持つ欠点や短所は、確かに「人間に普遍的なもの」と言うことは出来ます。誰だって自分が一番大切で可愛いに決まっています。「自己中心」や「我儘勝手」は、「自分が一番大切で可愛い」ということを率直に示しているだけだと言うことも出来ます。韓国人にとって「率直」は美徳ですから、「自己中心」や「我儘勝手」を率直に示すことは、すなわち美徳になるのでしょう。

けれど「自分が一番大切で可愛い」という意識は、別に人間の専売特許ではありません。野生のケダモノだって「自分が一番大切で可愛い」と、まさか文章で考えたりはしないでしょうし、利他的行動をすることも皆無ではありませんが、基本的な彼らの生態を見る限りでは明らかにそうです。

人間もケダモノも、「自分が一番大切で可愛い」という点では同じです。では人間とケダモノの違いは何でしょうか。それは「自分にとって自分が一番大切で可愛いのであれば、自分以外の存在もまた、自分が一番大切で可愛いと考えているのではなかろうか」ということに思いが至るか至らないかの違いではないでしょうか。つまり「自分の意識」が「自分」だけに留まっているのであれば、人間もケダモノと変わりません。

以前から韓国人の「ウリ」という意識を幾度か説明しましたが、韓国人の「ウリ」とは、即ち「自分自身」のことです。そういう意味では、韓国人の意識が常に「自分」にしかないと言うことは出来るかもしれません。

姿形が人間でも、中身がケダモノという人は韓国人以外にもいますし、そういう人々で構成されている国や社会も、多分あるでしょう。それを「肯定的」に理解することは、「人間社会」を単に否定するだけではなく、「人間社会」への敵対と言えるのではないでしょうか。

そういう国や人々が地球外か、せめて地球の裏側にでもあるのならば、私もとやかくは言いません。あるいは動物園のように、厳密に人間の居住空間と分断され、正しく管理されていれば、近くても許せます。

許せないのは、そういう国や人々が日本にまとわりつき、混じり合おうとすることです。

好き好んで韓国人に近付いたり、あるいは自ら望んで韓国に住んでいる人々が韓国や韓国人を「肯定的」に理解するのは、その人たちの自由です。そうしなければ韓国人と親しく付き合ったり、韓国で生活したり出来ないということであれば、それは理解します。

しかし、自分たちが必要に迫られてしている韓国人に対する「肯定的」な理解を、その必要のない全ての日本人にも求めることについては、全く理解しません。多くの日本人にとっては、韓国人の短所や欠点を「肯定的」に理解する理由も利点もないのです。

それでも日本人は、韓国人の短所や欠点を無条件で「肯定的」に理解し、受け入れよと強要するのであれば、その方がよほど傲慢というものです。

俗に「惚れた目で見りゃあばたもえくぼ」などと言いますが、惚れてない目で見れば、あばたはあばたでしかないのですから。



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韓国人の嫌がることを

前回記事で「工作員名無しさん」について指摘したところ、なんと「工作員名無しさん」当人からお褒めの言葉をいただきましたw

管理画面から見れば黄色いアンヨが見えていると言っているのにも関わらずですから、「工作員名無しさん」の面の皮の厚さも大したものです。ブログ月見櫓管理人は騙せなくとも、ブログ月見櫓の読者なら騙せると侮っているのでしょう。「朝鮮侮り」もここに極まれりといったところでしょうか。

もっとも、「工作員名無しさん」にとっては残念なことでしょうが、今回のコメントにおける朝鮮侮りは、あまり通じなかったようで、数名の方から「あのコメントは工作員名無しさんでは?」というご指摘を頂戴しております。ブログ月見櫓をきちんと読み込んでいらっしゃる方なら、「工作員名無しさん」のコメントを見抜くことはさほど難しくはないようです。

それでも「工作員名無しさん」がハンドルネームを固定せずに書き散らかしているので、同じようにハンドルネームを固定していない方にも疑惑の目が向けられないとも限りません。読者の方から見て、どのコメントが「工作員名無しさん」のものか確信が持てないというのは、「工作員名無しさん」のマジェマジェ工作に寄与することになりかねないと判断しましたので、2013年10月10日現在までの「工作員名無しさん」のコメント一覧を、古い順に掲載しておきます。

「工作員名無しさん」の発言の内容ばかりではなく、どういう記事を攻撃対象にしているのかもわかるかと存じますので、読者諸姉諸兄におかれましては、どうぞご参考になさってください。

韓国人の地域感情が行き着く先
「ウリ」であるということ
「いわゆる従軍慰安婦問題」考
韓国人の上昇志向が激烈な理由
ブックレビュー「ソウルの練習問題」
刹那的商法の韓国人
韓国に残る日本文化を見るツアー
日本人は日本人の立場で考えれば良い
日本との国交が韓国の反日をこじらせる
少なくとも40年前からある対日工作手法
少なくとも40年前からある対日工作手法
朽木糞牆
韓国と同じ愚を犯すな
嫌韓デモで日本の品格が貶められることはない
嫌韓デモで日本の品格が貶められることはない
嫌韓デモで日本の品格が貶められることはない
嫌韓デモで日本の品格が貶められることはない
歴史を忘却した民族に未来はない
歴史を忘却した民族に未来はない
韓国人から見た日本人も、実は相容れない
韓国人から見た日本人も、実は相容れない
朝鮮工作も使いよう

さて今回のコメントにおける「工作員名無しさん」の行動様式には、ふたつの意図が見えます。ひとつは、こう言えば自分が「工作員名無しさん」だとは思われないだろうという朝鮮侮りです。最初に臭いと言えば、自分が放った屁だとは思われないと思っているのでしょう。韓国には「言い出しっ屁」という慣用句がないか、あっても自分には適用されないと思っているのかもしれません。

それからおそらく今回のコメントは、「工作員名無しさん」自身がコメント内で述べているとおり、在特会と朝鮮学校の民事訴訟の一審判決が出たことがメインなのでしょう。

こういう行動様式は、日韓チャットでも非常によく見かけました。

日本に不利と思えるような出来事や、韓国に有利と思えるニュースがあると、弾むような調子で日韓チャットの日本人部屋を訪れ、それはそれは嬉しそうに日本人にその話を向けるのです。

やはり彼らは、水に落ちた犬を叩くことに、この上ない愉悦を感じるのでしょう。

しかしたいていの場合、彼らの得ている情報はどこか歪んでいるか、情報そのものが歪んでいなくても、彼らの解釈が歪んでいたりします。彼らは情報に接すると、必ずと言って良いぐらいそこに自分たちの願望や期待、あるいは相手に対する攻撃を付加する習性があるからでしょう。

今回の「工作員名無しさん」のコメントも、見事に例外ではありません。

弊ブログではこれまでにこういう朝鮮人の行動様式をくどいほど説明してきています。ですから常連の読者諸姉諸兄であれば、こういう朝鮮人の行動様式を、知識としてはご存知だと思います。

しかしまさにリアルタイムでその行動様式が展開されるのを目の当たりにすると、「朝鮮人はそういうものだ」という知識があっても、俄かに信じがたいと感じた方は、案外多いのではないでしょうか。

これが韓国に無関心、あるいは無知なブログのコメント欄であれば、そういう行動様式が奏功することもあるでしょう。けれどまさに彼らの行動様式を繰り返し説明しているブログのコメント欄で、その通りの行動を展開して見せるのですから、日本人的な常識を持っている人ほど、それはネタか釣りかと思ってしまいそうになるはずです。

ネタでも釣りでもないと思っても、次は「何故彼らはそういうことをするのだろうか」と「日本人的な常識」を元に考えようとしてしまいます。

私は、時々リアルでも韓国人の素っ頓狂さを知人に説明することがありますが、それを聞いた知人は必ず「何故韓国人はそんなことをするのか?」と聞きます。

例えば台風の進路予測について、韓国の気象庁では非常にしばしば「希望的観測」を行ないます。具体的には、台風が韓国を逸れるように予測するだけでなく、出来るだけ「日本を直撃する」ような予測を行なおうとします。

5~6年ぐらい前でしたか、韓国のテレビの天気予報で、台風の日本直撃を解説したキャスターが「台風はチョッパリが好きですから(満面の笑顔)」と言い放った映像を見たことがあります(その話を日韓チャットで韓国人に言ったら、「チョッパリ」という言葉は放送禁止用語ですから、キャスターがそんなことを言うなんてあり得ません!と言い張ってましたがw)。

その結果、韓国民の台風に対する備えが疎かになり、台風被害は必然的に増大します。

韓国では台風による洪水や浸水被害は、一度や二度の話ではありません。むしろ年中行事と言っても過言ではないほどです。にも関わらず、彼らは「台風はウリナラを直撃しない。チョッパリを直撃する」という希望的観測を行なうのです。

それを聞いた知人が私に尋ねます。「日本憎しで、日本に台風が直撃すれば良いと思う韓国人の気持ちはわかるとしても、その結果が日本ではなく、自分たち韓国人が被害を受けることを、韓国人はどう考えているのか」と。

私は「それはもちろん、韓国人も韓国の気象庁に向かって激怒します」と答えます。

知人が「では次の年から韓国の気象庁も、まともな予測をするようになるのではないのか?」と言うので、「いや次の年にはまた、前年と同じように台風は韓国から逸れる、または台風は日本を直撃するというような進路予測をします」と答えると、知人は唖然とします。

韓国人にとっては、近い将来自分たちが受けるかもしれない被害より、今、目の前で語られる日本への被害予測の方が心地良いということ、それが韓国人の共通認識だということなど、日本人的常識では考えられませんし、理解出来ません。

今回の「工作員名無しさん」の行動原理も、それに類似するものでしょう。即ち、在特会に賠償命令が出たことを、きっと日本人たちは、はらわたがちぎれるほど悔しがり、嘆き悲しんでいるに違いないと踏んで、それを煽るためにいそいそとコメントを書き込みに来たのだと思います。

あいにくですが私は今回の判決に、悲嘆も落胆もしていません。「工作員名無しさん」はコメントで「京都地裁によってヘイトスピーチなどのデモ活動が人種差別撤廃条約に照らし、初めて違法であると判決が下された」と言っていますが、そんな事実はありません。これは明らかに判決の内容を歪め、誤解を広めんがためのコメントです。

日本は、変わるまでには時間の掛かる国ですが、変わると決めて動き始めれば、きっちりと変わって見せる国です。それは日本の過去の歴史からも明白です。

ほんの10年前まで、日本では「韓国が嫌いだ」と口にするだけで、「サベツ」と糾弾されました。それが今や、正式な届けを出して嫌韓デモが行なわれるまでになりました。10年前までは、嘲笑の対象だった「日韓国交断絶」の主張も、今では決して夢物語ではありません。

嫌韓に関して言えば、現今の日本はまだ過渡期です。日本が変わる速度に追いつけない、変われない日本人もいます。ですがひとたび変わる環境が整えば、日本はドラスティックに変化するでしょう。

そうなるには、日本人の共通感覚としての「日本人が韓国を嫌う正当な理由」が必要なのです。今回の「工作員名無しさん」の行動もまた、「日本人が韓国を嫌う正当な理由」のひとつになり得るでしょう。

一人で大きな仕事をするのは大変ですし、誰にでも出来ることではありません。ですがささやかなこと、例えば韓国ウォッチ系ブログの記事を一日ひとつ読む程度のことなら、誰にだって出来るはずです。自分が読んでなるほどと思ったブログを、他人に勧める程度のことも、そんなに難しくはないはずです。

その程度のことで、実は十分効果的なのです。「工作員名無しさん」が訪れるのは、その証左でもあります。

日本人的美徳には悖りますが、韓国人を相手にするには「何をすれば韓国人が嫌がるか」を考えて行動する必要に迫られる時が、どうしてもあります。韓国人が「何をすれば日本人が嫌がるか」を常に考えて行動しているように。

今回の「工作員名無しさん」も、在特会を貶めることが日本人の嫌がることだと思って、弊ブログにコメントしたのでしょう。ということは逆に、私たちが在特会に寄付したり、支援を表明することが、彼らの嫌がることなのだということがわかります。

弊ブログにおける「工作員名無しさん」の一連の行動を見てそのことを確認していただき、以て日本人の共通認識となるようになればと願う次第です。



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朝鮮工作も使いよう

日本の集団的自衛権にアメリカが公式に支持を表明したことは、日本では不思議なぐらい報じられておりませんが、ネットでニュース検索すると、韓国ではかなり大きく報じられているようです。

朴槿惠大統領自らアメリカまで日本の悪口を吹き込みに行ったにも関わらず、アメリカが韓国の思い通りに動いてくれないことに、韓国はいたく不満のようで、シンシアリーさんのブログによると、アメリカが日本に加担するのであれば、ウリナラは中国と組むべしという主張が出ている模様

まったく、いつまで経っても進歩のない連中としか評しようがありません。おそらく韓国は、反日で意気投合出来る分、中国の方がアメリカより与し易いとでも思っているのでしょう。

韓国はこれまで、分岐点に立たされると必ずと言って良いぐらい、「最悪の選択肢」を選んできました。昨年末、韓国大統領選挙が行なわれた際に、私は「韓国ならきっと文在寅(大統領選で朴槿惠の対立候補だった人。故盧武鉉の側近を勤めた人なので、当然親北左派)を選んでくれるだろう」と期待していたのですが、私の予想に反し、僅差とは言え朴槿恵が大統領に当選しました。

この時私は、「最悪の選択肢を選ばない韓国なんて韓国じゃない!」と喚いていたのですが、今から思うと、大統領選挙の時点で既に韓国には、「最悪の選択肢」しか残っていなかったのかもしれません。

ま、韓国がどこの国と組もうと、その結果韓国の将来がどうなろうと、日本に支障がなければどうでも良いことです。韓国が「最悪の選択肢」を選んだ時に、日本にダメージが及ばぬよう、日本は粛々と韓国との関わりを減らしていくべきでしょう。

さて弊ブログは、どの記事を取っても朝鮮人には認め難く許し難い内容だと思いますが、その中でも彼ら的にどうしても我慢ならない、あるいはものすごく都合が悪いと思う記事があるようで、そういう記事にはしばしば工作員による撹乱目的のコメントが入ります。

そういう工作コメントが入るということは、「この記事の内容は朝鮮人にとって飛び抜けて我慢ならない、または都合が悪い内容である」という目印になります。

また「これは工作員によるものだな」というコメントに対しては、概ね私があえて反論する必要性を感じないほど的確な指摘や批判、反論が入っており、朝鮮思考と工作に対抗するリテラシーが高まっていることを実感出来るのも収穫となっております。

現在、弊ブログには「名無し」「名無しさん」「名無櫓(=無記名)」等のハンドルネームを用いて、一所懸命工作コメントをしている工作員がいます。

私はこの工作員を個人的に「工作員名無しさん」と呼んでおりますが、この「工作員名無しさん」のお陰で「迷惑な韓国人」や「きままに歴史資料集」、「朝鮮事情」等が朝鮮人にとって、極めて都合の悪い事実を記したものであることがよくわかります。

この「工作員名無しさん」は、単にハンドルネームを固定していないだけではなく、コメントによっては意図的にキャラクターを変えており、そうすることによっていかにも多人数の意見であるかのように見せかけようとしております。

せっかくのキャラ作りですが、管理画面からは黄色いアンヨが丸見えです。また歴史的仮名遣いのようなものを用いたコメントには、失笑を禁じ得ませんでした。おそらく、歴史的仮名遣いを用いてみせることで、日本人国粋主義者キャラを装おうとでも思ったのでしょう。

歴史的仮名遣いを用いて文章を書くのは、それをきちんと習っていない日本人にも容易なことではありません。例えば当該コメントには「胡散臭ゐ」とありますが、歴史的仮名遣いの「ゐ」は、形容詞の語尾には用いません。

ここでわざわざ「ゐ」という、歴史的仮名遣いっぽく見せかける文字を用いるのであれば、その後に出てくる「掲載されている」「疑心暗鬼になっている」の「いる」こそ、「ゐる」と書くべきでした。また「例えば」「いうべき」も、是非とも「例へば」「いふべき」と書いていただきたかったものです。

しかも、工作コメントに反論が入ると、途端に「そういうことではなく」などと歴史的仮名遣いをかなぐり捨てて現代仮名遣いで書いているのですから、せっかく作ったキャラも台無しです。どうせやるなら、下手でも徹底してキャラを演じ切ればそれもひとつの芸になるでしょうに、本当に薄くて浅くて上っ面な連中です。

結局この工作員のやってることは、自分が否定しようとしている朝鮮人像の実例になっており、ある意味弊ブログの主張や考察が間違っていないことを証明しているようなものです。

もっとも工作員の狙いは、以前から申し上げている通り、「わかっている人」ではありません。彼らの薄くて浅くて上っ面にも、ころりと引っかかってくれる、「わかってない人」です。

朝鮮人に対抗するリテラシーを獲得するには、どうしても場数が必要になります。特に朝鮮人に対する意識がネガティブであれば、尚更です。

他者への意識が好意であれば、それを表明する時に説明は要りません。それがどんなに理不尽であっても、「好き」という感情だけで全てを説明し、また肯定することが可能です。しかし嫌悪や忌避は、何故か説明を求められます。

個人的には、「好き」という感情に理由が要らないのであれば、「嫌い」という感情にも理由など必要ないと思うのですが、日本には「理由なく他者を嫌ってはならない」という意識が、本当に社会全体に徹底浸透しています。

そういうわけで日本で嫌韓をやるには、理論がどうしても必要になります。

そこでネットや書籍で資料を渉猟し知識を拡充することになるわけですが、知識を得れば得たで、今度は「この知識は本当に事実なのだろうか」という不安に襲われるます。と言うか、工作員は必ずそこを突いてきますw

日韓チャットは場数を踏むという意味でも、また他人から聞いた話や資料から得ただけの知識ではなく、自分自身の体験としてナマより生々しい韓国人を目の当たりにし、自らが得た知識を裏付けすることが出来るという意味でも、大変に良いツールでした。現在の日韓チャットは、参加人数的にもシステム的にも、ほぼ壊滅しているのが残念至極です。

韓国に関する知識が増え始めると、慣れない間は「あれも朝鮮人じゃないか」「これも朝鮮人じゃないか」と疑心暗鬼に陥ったり、あるいは「もしかしたら、自分はネットの嫌韓情報に踊らされているだけなのではないか」と不安になったりするでしょう。

そういう考察も必要な経験だとは思いますが、やはり暗中模索ばかりで先が見えなければ、心細くなるものです。

そんな嫌韓の疑問や不安の解消に、弊ブログは月見チャットを併設しておりますが、それでも「人から聞いた話」だけで心の底から納得するのは難しいようです。

そういう現状、弊ブログのコメント欄で朝鮮工作の実演が見れるというのはなかなかに貴重なのではないかと、個人的にはほくそ笑んでいる次第ですw



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韓国人から見た日本人も、実は相容れない

日本人と韓国人の相性は、言いようによっては良いと言うことも出来ますが、普通に考えれば悪いと言う方が正しいでしょう。何故なら、日本人と韓国人は共依存に陥りやすいからです。

日本人と韓国人が共依存に陥りやすいということは、これまでにも再々申し上げてきました。それでも長年の習慣や思考は、そう簡単に変えられるものではありません。客観的にはそうだとわかっていても、いざ自分のことになるとわからなくなるというのは、よくあることです。

例えば前回の記事で述べたように、韓国人と接する時は、どちらが上かを明確にしなければなりません。

ではいざナマ韓国人を目の前にし、こちらが上であることを確信したとしても、あからさまに自らの優位を誇示出来る日本人はどれぐらいいるでしょうか。そもそも、そういう習慣のない日本人には、どういう態度で接すれば、韓国人に自らの優位を示せるのかがわかりません。

また、そういうことが上手く出来る日本人がいても、その現場を目撃すれば、「ああ、あれは韓国人にどちらが上かを明確に示すためにやってるのだな」と理解出来る日本人は、おそらく多くないでしょう。

日帝時代の朝鮮では、朝鮮人を怒鳴りつけたり馬鹿にする日本人が多かったなどと言われます。それは、現地の習慣に従った日本人だったのだろうと、今ならそう思います。

けれど朝鮮のそういう習慣を知らなければ、そうは思わないでしょう。日帝統治時代に朝鮮にいた日本人は、純真無垢な朝鮮人に向かって無闇と威張り散らし怒鳴りつけ、時には暴力を振るった傲岸不遜な人々だったと言われれば、日本人であれば必ず、そういう日本人を酷いと思わずにはいられません。

そう思った日本人は、「そんな日本人ばかりじゃないんですよ」ということを強調するために、韓国人に対して一層謙虚に振舞ったりします。それが韓国人の、「やっぱりチョッパリはウリのシタバリ(日本語の「下っ端」あるいは「下働き」が語源と言われる朝鮮語。今の日本の俗語で言う「パシリ」に近いニュアンス)ニダ♪」という確信を深めるとも知らずに。

こうして、日韓の勘違い共依存スパイラルはいつまでも終わることがありません。

私は日本人ですから、日韓に関する意見や考察はどうしても日本人側からのものになります。日本人として、韓国人を知れば知るほど、彼らとは到底相容れないと痛感するわけですが、実は韓国人側から見ても、日本人は理解し難い、相容れない人々だと感じるようです。

というのも日本人は、韓国人から見ればまるで下位者のように振舞うくせに、実は上位者だったということがよくあるからです。

これは韓国人からすれば、「騙された」という印象になるらしいのです。

韓国では、上位者は下位者にどんな横暴をしても良いとされます。かつての朝鮮で、両班は中人や常民、白丁に何をしても咎められることがなかったという伝統を引いているのでしょう。

この「何をしても」というのは、文字通り「何をしても」です。殴る蹴る、金銭や物を奪うなどは当然で、腕を切り落としても、足をへし折っても、目をえぐっても、鼻を削いでも、もちろん殺してしまっても、お咎めらしいお咎めはなかったようです。

李朝期の朝鮮では、両班がカネを借りるために、常民や白丁を拉致監禁して拷問するということが普通に行なわれていたということを、当時朝鮮を訪れた西洋人たちが書き残しています。

あるいは、当時朝鮮を訪れたフランス人宣教師、シャルル・ダレの「朝鮮事情」という本には、こういう話もあります。

みじめで、みすぼらしい風体をした一人の両班が郡衙の近くを通っていた。そこへ泥棒を捜していた4人の捕卒が行き会い、その外見にやや疑念を抱き、もしかするとこれが自分たちの捜している者ではないかと思って、ぶしつけな尋問をした。すると両班は答えた。「はいそうです。私の家までついて来て下されば、共犯者も教えますし、盗んだ品物を隠している場所も教えます。」捕卒たちがついて行ったところ、この両班は家に帰り着くやいなや、召使いたちと数人の友人を呼んで捕卒たちを捕らえさせ、さんざん殴りつけた。その後その3人からは両眼をえぐり取り、残る一人からは片方の目だけをえぐって、次のようにどなりつけて彼らを帰した。「この野郎ども、分かったか。これからはよーく見て歩け。おまえ等が郡衙に帰れるように、目の玉一つだけ残してやったのだ」

朝鮮では、上位者から下位者に対してであれば、これが当たり前だったのです。

韓国では、侮辱されたと思った人が言う「私が誰だかわかりますか?」とか「あなたは私が誰だかご存知ないのですね」という台詞が今でも現役なのだそうですが、これも李朝期の名残でしょう。朝鮮では知らずにであっても、上位者を侮辱すれば、後でどれほど残虐な報復をされても文句が言えなかったのです。

そういう伝統と習慣を持つ韓国人から見れば、自ら謙るくせに、実は色んな面で韓国人よりも優れている日本人は、まことに理解し難く、また恐ろしい存在なのでしょう。

韓国は、確かに日本が無ければ成り立たない国ではあります。ですがそれは「現在の韓国」の話です。日韓国交正常化以前の韓国や現在の北朝鮮のように、日本との関係が希薄であっても、「朝鮮人の国」は成り立ち得るのです。

もちろん、日韓国交正常化以前の韓国や現在の北朝鮮がそうであるように、日本と断絶することによって朝鮮人の物質的な充足度は下がるでしょう。しかし精神的な充足度は、少なくとも日本によって混乱させられない分だけ、上がるはずです。

それに物質的な充足度は、何も日本からしか得られないわけではありません。事実北朝鮮は、かつて中国とソ連から莫大な援助を受け、同じ時期の韓国よりも物質的に豊かだった時期があるのです。

日本は、韓国に物質的な充足度を与えることは出来るかもしれません。しかし日本が韓国に物質的な充足度を与えれば与えるほど、韓国の精神的充足度は損なわれていくのです。

それは日本にとっても不幸で不本意なことですが、韓国人にとっても不幸で不本意なことでしょう。

韓国に物質的充足度を与えることが出来るのは日本だけではありませんが、韓国の精神的な充足度を毀損するのは、いつも日本なのです。

つまり日本人から見た韓国ばかりではなく、韓国人から見た日本も、決して相容れない存在であるということがお分かりいただけるのではないでしょうか。

それは日本人が日本人であり、韓国人が韓国人である限り、決して埋まることのない深くて暗い溝です。

その溝の存在を知ることは、良い気持ちではないかもしれません。ですがその溝の存在を知らず、あるいは知っていながら無視し、結果その溝に陥ればどうなるのかを考えていただきたいのです。そこに陥るのは、日本人だけではありません。韓国人もやはり、そこに陥ることになるのです。

日本と韓国は、近づけば近づくほど、接する時間が長ければ長いほど、双方が不幸になります。では、離れれば双方幸福になれるのかと言われれば、それはわかりません。

けれど「離れることで幸福になれる保証がないなら、不幸な関係を維持する方が良い」というのは、いかにも馬鹿げた話ではありませんか。

不幸な関係を終了することが即ち幸福ではありませんが、少なくとも不幸は軽減出来ます。すぐに幸福になれないとしても、すぐに不幸が軽減出来るのであれば、その方が良いに決まっています。

日本が韓国を見放すことで、韓国が不幸になるのではないかなどと心配する日本人がいるかもしれませんが、そう思うこと自体が既に共依存に陥ってる証拠です。韓国人の不幸は、日本と韓国を比べてしまうことでより際立つのです。

よって日韓の断絶は、日本にとっても極めて望ましいことですが、韓国人の精神的安定のためにも、非常に効果が高いことだと私は確信しております。



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それが嫌なら

十月に入りましたが、昨年末からの日韓関係の冷え込みっぷりは、強まることはあっても弱まる気配はまったく見えず、まことに清々しい限りです。韓国は当初、その内チョッパリの方から頭を下げてくるとタカを括っていたようですが、今のところ日本政府にそのつもりがあるようには見えません。

いつまで経っても日本側が譲歩する姿勢を見せないことに、韓国側も焦りを見せ始めました。それは良いんですが、何故かアメリカの国防長官に告げ口する始末です。そう言えば今年初頭、ホワイトハウスの請願サイトに韓国の大統領選挙に不正があったとして、韓国人が選挙のやり直しを求める請願をあげていました。ホントに上から下まで、韓国人の均質性の高さには、知っていても驚かされるものがあります。

さておき韓国は、日本無しでは成り立たない国です。そのことは、韓国人自身も認めたくはなかったでしょうけれど、気づいてもいたでしょう。日本は韓国が無くてもさほど困りませんが、韓国は日本がないと夜も日も明けないのです。

これまでの日本は、いろんな理由から韓国を慮ってきました。2006年に日本が竹島海域の海底調査を行なおうとした際、韓国がこれに強い反発を示し、日韓間の緊張が極めて高くなったことがありました。あの時、日本が韓国に対して強硬姿勢を貫いていれば、もしかしたら竹島を奪還出来たかもしれない千載一遇のチャンスでした。

もちろん、日本が竹島を奪還するような事態になれば、韓国政府の国民に対する面目は丸潰れになります。最悪の場合、日韓間で武力衝突が起きるおそれも十分ありましたし、最悪の事態が回避出来たとしても、憤りに我を失った韓国人による日本へのテロが行なわれる恐れも多分にありました。どれほど甘く考えても、日本の強硬姿勢に屈した韓国政府の弱腰に対する韓国民の抗議のデモは、韓国全土を覆いつくすことになったでしょう。

そうなれば、必然的に在韓日本人の身体生命の安全は保障出来なくなります。

韓国政府はそう言って、日本政府を半ば脅し、半ば拝み倒したのではないでしょうか。あるいは韓国側がそこまで言わなかったとしても、日本政府内の親韓勢力がそのように脅した、あるいは配慮を求めた可能性も大いにあります。

いずれにせよ日本政府は、話し合いで最悪の事態を回避しました。この時韓国政府は、安堵すると同時に日本を大いに侮ったでしょう。

支那・朝鮮の俗諺に「水に落ちた犬は打て」というのがあるのは有名です。支那・朝鮮人の間では、相手が弱っている時は、そこへ付け込むのが当たり前なのです。敵に塩を送るなど、途方も無い馬鹿か、さもなければ何かとんでもない弱みがあって、それを誤魔化すための策略に見えるでしょう。

日本は、常に韓国に配慮してきました。それは、常に日本の方がさまざまな点で韓国の上位にあったからです。日本では、上位者が下位者を慮ることが美徳とされます。もちろん、日本でも全ての上位者が下位者に対して謙虚というわけではありませんが、上位者が自らの上位を誇りひけらかし、以て下位者を蔑み貶めるようなことをすれば、日本ではそれだけで非難や軽蔑の対象になるでしょう。

ところが韓国では、全く逆なのです。上位者は自らの上位を誇示し、下位者の頭を押さえつけるような態度をして憚りません。下位の者はと言えば、もちろん頭を押さえつけられることに対して反発を覚えることは覚えるのですが、反面それを当然のこととして受けとめています。

韓国で上位者が下位者に対して謙った態度を示せば、その時点で上位者は上位ではなくなってしまいます。ですから韓国では、上位者は常に徹底して下位者に対して尊大な態度を示すのです。

そういう韓国人から見れば、日本人の謙りや慮りは、下位者の上位者に対する阿諛にしか見えないのです。

これまでは、日本側が自ら進んでそういう態度を示してきたのですから、韓国側が勘違いしたのも仕方がない側面はあります。しかしここへ来てようやく、日本が韓国に対する態度を改め始めました。

韓国に対してはどんなに譲っても、韓国が譲られたことに恩義を感じたり、ましてや譲られた分と同じ程度に譲り返してバランスを取ろうなどとは決して思わないということが、やっと日本政府にも周知されつつあるのでしょう。

対する韓国はと言えば、今までどんな無理や我侭を言っても渋々ながらも聞いてくれていた日本が、突然(韓国的にはそう感じているでしょう)言うことを聞かなくなったことに、当初はただ腹を立てて、あてつけのように中国に擦り寄ったりしていました。

韓国は、これまで常々、日本などウリナラには必要ないという態度を続けていました。

日韓併合について「日本はウリナラの近代化の芽を摘んだ」「日本がいなくてもウリナラは自力で近代化出来た」と主張するのもそうですし、朝鮮戦争についても「日本はウリの不幸を経済発展の足がかりにした」と言っています。

また「漢江の奇跡」についても、日本が経済・技術両面に支援したことなど、韓国人は完全に【無視】しています。最近ならば2002年の日韓共催W杯もそうでしょう。あれを「日本が韓国の単独開催に無理やり割り込んだのだ」と思ってる韓国人は多いと仄聞します。

対する日本人の方も、韓国人のそういう意識に全力で迎合しておりました。今となっては嘘のようですが、ほんの数年前までの日本では、日韓断交を主張すれば必ずと言って良いほど、「日韓断交は日本経済に大打撃を及ぼす」と言われたものです。

日本は、韓国に対して「価値観を共有する重要な隣国」と常に言っておりましたが、韓国が日本のことをそう言っているのを、私は聞いたことがありません。つまり韓国としては、日本が頭を下げて頼むから仕方なく付き合ってやっているという認識だったのでしょう。少なくとも、韓国民にそう思わせてきたのは間違いありません。

しかしここへ来て、いよいよ日本が本気で韓国に対する態度を硬化させてることに気づき始めたのでしょう。今まででしたら、韓国が何をしても日本は常に慮り、譲歩し、泣き寝入りしてきました。だからこれからも当然そうだと思っていたのに、突然日本は冷たく頑なになってしまったのです。

そうなって初めて、韓国は自分たちの国が日本なしではやっていけないことに気づいたのです。正確に言えば、「そんなに無礼な日本とは断交してしまえ」という主張が韓国内で台頭するのを、恐れるようになったのです。そこで韓国は、「日本と韓国はどっちみち親しく付き合うしかない宿命の隣国ではないのか」などと言い始めました。

この記事の「日本と韓国はどっちみち親しく付き合うしかない宿命の隣国ではないのか」という一文を見た際、「どっちみち」という表現に違和感を覚えたので、原文を当たってみました。

するとこの「どっちみち」の部分は、原文では「어차피(オチャピ)」となっていました。この言葉は、一般的には「どっちみち」というよりは、「どうせ」と翻訳されることが多い副詞です。日韓チャットでも時々目にすることがありましたが、韓国人がこの言葉を用いる時は、論破されるなどして半ばふてくされて投げやりになった時でした。

つまり前述の「日本と韓国はどっちみち親しく付き合うしかない宿命の隣国ではないのか」という文章は、原文のニュアンス的には、「韓国人は本当は日本なんかとは付き合いたくないのだが、現実を鑑みれば付き合わないわけにはいかないのが明らかで、大変不本意だがウリ韓国人はその現実を認めなければならない」ということになるでしょう。

韓国人としては、これが日本に対する最大限の譲歩のつもりなのでしょう。韓国人としては、今までは日本が頭を下げてくるから、仕方なく付き合ってやっていたのだと思っていましたし、これからもそう思いたかったのです。それなのに日本が頭を下げなくなり、そっちが嫌なら付き合いをやめても良いよといわんばかりの態度を示すようになったのです。

韓国側の本心としては、そんな日本を叱り飛ばして突き放し、背中を向けてやりたかったでしょう。これまでなら、そうすれば日本はたちまち頭を下げ、韓国の無理も我儘も飲んできたのです。

しかし今は、それをやれば日本は本当に離れていくかもしれません。実際、既に日韓通貨スワップ協定で韓国が日本に背中を向けたら、日本は本当に日韓通貨スワップ協定をやめてしまったのです。

もし日韓の国交が断絶されれば、韓国は国が傾くほどの大打撃を被るのは確実です。それだけは、絶対に避けなければなりません。ならば不本意でも、日本が頭を下げなくても、運命だから仕方なく付き合ってやるよと言うのが、今の韓国の精一杯の譲歩なのでしょう。

新大久保でも、嫌韓デモに対して中指を立てて罵声を浴びせ、暴力さえも厭わぬくせに、「仲良くしようぜ」と言ってる連中がいますが、構図的にはこれと全く同じです。まことに上も下も、国内でも海外でも、韓国人は均質ですw

ここで日本が態度を軟化させれば、彼らは再び日本を侮るでしょう。どちらが上かを態度で明確に示せと言えば、日本人の中には眉を顰める人が必ず居るでしょうけれど、そうしなければ韓国人にはわからないのです。

日本人にとって心地よいやり方だからと言って、韓国人にわからないやり方で韓国人に接しても、韓国人の理解を得ることは絶対に出来ません。

日本人にとって不快であっても、韓国に対しては日本が上であることを徹底して態度で示し、理解させなければなりません。韓国と付き合う限りは、その態度を貫かねばならないのです。

それがどうしても嫌なら、やはり日本と韓国は一切の接触を断つのが、双方の精神衛生にとっても最善の道であるということを、率直に認めるべきではないかと考える次第です。



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