韓国人の教条主義
韓国語を習ったことのある方なら韓国語における「ウリ」は一人称複数形、即ち日本語では「私たち」とか「我々」と訳すと教わったはずです。
しかし弊ブログでは常々「ウリ」を「自分自身」と解釈しています。それは日本語で言うところの「私たち」や「我々」と、韓国語で言うところの「ウリ」の概念が全く異なるからです。
日本語における(おそらくその他の多くの言語でも)一人称複数形とは、通常「私」と「私にある程度の関連性を持つ人々」という意味で用いるものです。どんなに「私」と「私にある程度の関連性を持つ人々」が密接であっても、「私」と「私とある程度の関連性を持つ人々」とは明確に別人格であることを前提としているはずです。
ところが韓国語における「ウリ」では、「私」と「私にある程度の関連性を持つ人々」という区別は最初からありません。「ウリ」と称すればその対象は全て、「私」も「私とある程度の関連性を持つ人々」も、一律にひとつの「ウリ」なのです。
ここで日本人には理解が難しくなるのは、【一律に「ウリ」】であっても、【平等に「ウリ」】ではないという点でしょう。
韓国人の唱える「ウリ」には上位の「ウリ」と下位の「ウリ」というヒエラルキーが必ず存在します。
「ウリ」の対象が自分以外に誰も居なければ、自動的に自分だけが最上位の「ウリ」です。しかし「自分以外に誰も居ない」というのは、自動的に最下位の「ウリ」ということでもありますし、更に言えば「自分一人」の「ウリ」よりも大きな「ウリ」に属さない存在、即ち「ナム」ということにもなってしまいますので、彼らは一人で居ることが出来ません。従って彼らは自分が「ウリ」そのものになることよりも、より大きく強く正しい(と彼らが思う)「ウリ」に属することを選びます。
「ウリ」という存在内で韓国人が上下を決めるには、様々な要素があります。一番分かり易いのは年齢でしょう。今はかなりゆるくなってきたと仄聞しますが、それでも韓国では一年どころか一日でも年長の方がエライとされています。ですから彼らは初対面の相手にいきなり年齢を訊ねることを躊躇しません。韓国ではそれが普通なのです。どちらがより上位であるかを定めるために、韓国人にとって年齢を確認することはとても重要なことなのです。年齢以外には性別や学歴、職種や職位、収入なども重要な判断基準になります。更に身長や住所も動員されます。容姿ももちろん大切です。
そういった諸々の「要素」を互いに吟味採点し、どちらがより上位であるかを暗黙の内に定めるのが、韓国人の初対面時の通過儀礼のようなものなのです。
同じ「ウリ」なのに、上位と下位の区別をつけるのはどういうことなのか、しっくり来ないという方もいるでしょう。
簡単に言えば、「ウリ」を一人の人間でイメージすればわかりやすいでしょう。上位の「ウリ」とは首から上のことであり、次が胴体、下位の「ウリ」が手足です(この考え方は、確か北朝鮮の主体思想にもあったように思いますが、詳しくは確認しておりません)。病気や大怪我をした場合、治療や救命のために内臓の一部や手足を切断することはあり得ても、頭部を切断することなど絶対にないように、同じ「ウリ」と称していても、重要度が高い「ウリ」とそれほどでもない「ウリ」に分けられるイメージは薄っすらご理解いただけるのではないでしょうか。
そこで彼らは、より上位の「ウリ」に位置することを切望します。そのためには、彼らが初対面の際、相手を様々な要素で吟味採点するように、個人としての自分も様々な要素において高い評価を得なくてはならないと考えます。
そこで彼らが求めるのが、既に成立している「正解」なのではないでしょうか。
答えの定まっていないことは、採点出来ません。既にある「正解」にぴったり合うものでなければ、「正解」かどうかは彼らには判断出来ないのです。たとえ個人的にはそれが「正解」だと思っても、より上位の「ウリ」にそれを否定されれば、それを覆すことは、韓国人には不可能なのです。
韓国人がこれまで行なってきたような、既に存在する答えを闇雲に丸暗記するような学習方法でも、全くの無意味とは言えません。それだけでも、かなりのレベルの知識や技術を習得することは十分可能です。実際、韓国はそれで発展してきたとも言えます。しかしそれだけでは「既に在る答えの、更にその先」を追求することは困難なのです。
これは毎年恒例の韓国ノーベル症に限った話ではありません。昨今次々と破綻が露呈している韓国経済についても、それ以外の韓国のあらゆる問題点においても、根は同じなのです。
それについて昨今色々自己批判のようなものをしている韓国言論の社説やコラムもしばしば見かけますが、それらも必ず何かが足りません。筆者が「教科書に載っているような」お説教を唱えて、それだけで満足しているように見えます。
既に何処かにある誰かが用意した「正解」を探すのではなく、現状よりも「より良くすることやより正しいやり方」を模索することが、「既に在る答えの、更にその先」を見つけることになるのではないかと思うのですが、不都合な現実を直視することが出来ず、また「上位のウリ」が唱える「正解」に無条件で従うしかない韓国人には、そういう考え方は不可能なのかもしれません。
コメント
日韓ワールドカップの頃から「嫌韓」をこじらせてきた私ですが、どうも韓国人の考え方がわかりませんでした。
その一つが日韓関係なんですが、どうやらヤツラは日本を「ウリ」の中の最下位に置いていると考えていると、合点がいくように思います。
世界でも最高峰?の国を下に見る。
こんなに格別なことはないでしょうが、現実を見れば日本を下に見る実力が韓国にはないもんね。
火病を起こすのは避けられませんね。勝手にしろとは思いますが。
ウリ=頭部という説明は非常にわかりやすいです! ウリという概念はいつもわかったようで、実はよくわからないので、毎回、読ませていただいて自分の中で揺らがない理解を得ようと試みています。
朱子学を学べば韓国人の考え方の9割近くは分かると思います。
朱子学についての本を読んでると「これって韓国人じゃん」と思うことが本当に頻繁にあります。
ゲシュタルトというのはドイツ語で"かたち"というんだそうですが、
ウリというのはエゴのゲシュタルトの知覚の方法なんでしょうかね。
日本語のウチ・ソトはエゴというよりも、もっと単純なナワバリの知覚じゃなかろうかと思われますけれど。
これができれば、離韓も離日もできるんでしょうけれどねえ。
ゲシュタルトの祈りという詩だそうで、その一部を。
>私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
>私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
>そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/ゲシュタルト療法
相手への期待(おしつけ)なんだと思うんですよ、
韓国人の言う正解っていうやつは、ただ単に。
韓国人にウリ認定されるのはナムになるよりずっと厄介な理由ですな
韓国人に個人のキャラクターを感じない理由
> 筆者が「教科書に載っているような」お説教を唱えて、それだけで満足しているように見えます。
私が韓国人のコラムや、翻訳反応のブログの韓国人コメントを読んで違和感を感じる理由が正にこれです。表現や言葉使いは違えど、言ってる内容が皆結局同じ、という事に日本人なら誰もが気付くでしょう。
私は朱子学を知りませんので、その影響なのかは分かりませんが、個人のキャラクターを否定される学問なのでしょうか。それとも、元々韓国人が (世界でも類を見ない均一な遺伝子のせいで)、全員同じ頭脳構造なのでしょうか。
どちらにしても、怖くて憐れな社会です。
また韓国人が日本に対し「ウリナラは兄の国」という気色が悪い事を平気で言う理由も分かった気がしました。ウリの体の下の部分という認識なんですね。キモい!ヤメてくれ!日本人と韓国人は当然赤の他人です。それに民度などから、日本人は韓国人よりも数段高次元の国民だと思います。
何か、ウリの説明、意味を読んでると
ウリ=猿山のボス猿
こんな図式がピッタリと思いましたが、微妙に違いますかね。
ナミビアさんのコメントと今回の記事で、少し理解できたように思います。が、新たな疑問が生じました。
>>「ウリ」の対象が自分以外に誰も居なければ、自動的に自分だけが最上位の「ウリ」です。
→分かる
>>しかし「自分以外に誰も居ない」というのは、自動的に最下位の「ウリ」ということでもありますし、
→分からない
「天と地の間に己一人あると思え」的な考えはないのでしょうか。
>>更に言えば「自分一人」の「ウリ」よりも大きな「ウリ」に属さない存在、即ち「ナム」ということにもなってしまいますので、彼らは一人で居ることが出来ません。従って彼らは自分が「ウリ」そのものになることよりも、より大きく強く正しい(と彼らが思う)「ウリ」に属することを選びます。
韓国人は幼いころから自己主張することを教えられるという記事を、確かこちらのブログでも読んだように記憶しているのですが、
強い自己主張と一人で居られない自己、どちらが本当の韓国なのでしょうか?
過去の正解を土台とした自己主張でしかないということなのでしょうか?
韓国に個人主義は育たないのでしょうか?
無理です
>「天と地の間に己一人あると思え」的な考えはないのでしょうか。
無理です、彼らには自分を規定する神様はいません。現世利益を与えてくれる神様だけ。
また、平等な人間関係も有りません。あるのは人の上下関係だけ。そして上に立てば何をやっても構わない、下になれば奴隷という人間関係です。朝鮮儒教は、そういう考え方で出来ています。
上下関係に従わない者は、自分達の社会を壊す異分子で、ナムとして処理するか強制的に従わせるか、自分達がその異分子に従うかを迫られます。
こういう人間関係ですので「韓国に個人主義は育たないのでしょうか? 」という質問には不可という回答になります。
893
群れたがる893を思い出しました。
恫喝とはったり。情に訴え、鞭と飴でコントロール。
接点が無いので映画や本だけの知識ですが、893≒朝鮮人気質みたいですね。
私が属していたある組織内で、自分たちをヨイショする人ばかり可愛がる女性リーダーは例外なく朝鮮系のようでした。
そういうのが大嫌いだった私はハブられてばかり。若気の至りです、今ならもう少し上手くやれるかも。
ひとりが好き様へ
恫喝するのが基本の893は気質というより連中そのものらしいです。日本のは恫喝などせず義理人情に厚くバトルも同業者とのみ、だそうです。時代劇現代劇リアル社会における恫喝泣き落としアメムチ系は全て朝鮮民族ないしその親玉の何千年かの国の輩と考えても差し支えないとか。とは言えあまりにも連中の浸食度と刷り込みの度合が酷すぎて日本人の中にも影響を受けてしまう人がいる様ですが…
連中は日本が奴隷になれと要求する
今回の話を、国家間に持ち込むと韓国にとって格下のウリになりそうなのは日本しかないということになります。中国は朝鮮儒教や中華思想から見て上位のウリになりますし、欧米も上位のナム、東南アジアは接点が薄いので格下のナム。
自分が上位のウリになるためには、日本を従えねばなりません。
そのため、植民地支配がどうのこうの、従軍慰安婦がどうのこうの非難し貶めて従わせようと躍起になります。中華思想からすれば、日本は当然格下なのに従わない不遜な奴というのも有るのもそういう行動を加速します。
一方で日本が受け入れず韓国を拒絶すれば、格下のウリを失うことになりますから、連中は粘着してくるストーカーと化します。
「病としての韓国ナショナリズム」という本に「日本人は他者ではなく身内であり、
たとえば教科書問題にしろ従軍慰安婦問題にしろ、彼らは一方で拳を振り上げながらも、片方の手はこちらの手をぎゅっと握って離さなかった。」と書かれてましたが、そういうことなんだと思います。
まあ、こっちは連中がナムと見なしていることを明確にしたいです。
祝!再開!
祝!再開!
スローペースでまいりましょう!
私は直接韓国人と関わることは、ほとんどありませんが、日本人であっても「朝鮮人のような真似をする奴」、の扱いや考察に非常にやくだてております。
不思議なことに、国籍、民族は不明ですが、国内にも結構いるんですよね。
彼らを同じ人間として扱うことはしません、というかできません。
ある意味、機械的に接するしかないんですよね。
そのために、知識なりなるべく感情は殺してゆるくとも論理的に考察しないと、なにもかみ合いません。
違う生物として、接する。
ある意味、人間として認めないことが重要かと思います。
試し腹幾重さん、有難うございます。
日本のヤクザはやはり清水の次郎長が代表格でしょうか。
日本人も自己愛性人格障害を持っている人などは、朝鮮民族か?と勘繰ってしまうほど似ているようです。
また虐待等で性格が歪んでしまった人たちもそうです。
被害者意識が強くちょっとした批判にも耐えられない豆腐メンタル。
人を羨み「ズルイ」と思い、自分もソレを得る資格があると根拠無く考え「クレクレ」と要求する。
この人日本人?それとも朝鮮系?とこちらが悩んでしまうようなたくさんの症例が2ちゃんまとめに。
ひとりが好き様へ
貴重なご意見ありがとうございます。清水の次郎長、正に仰る通りでございますね。
中々いないですね、今の世には。タイマンという語句も昔はケンカ用語の一つとして好まなかったのですが今は怠慢で集団暴行しかないですもんね、連中お得意の。集団暴行で何気に思い出したのですがキャプテン翼で若林源三がドイツチームに入った時シュナイダー以外の連中に集団暴行を受けるも後で一人一人をタイマンでぶっ潰す…感動しましたね。今の日本にも同じ事が求められていると思います。シュナイダーはその時はシュートを一本止められてキレて何度もシュート打ち込んでお返し?してましたけどね。でもまぁ、マンガでは結果的にチームメイトとして仲良く?という事になりましたが日本と韓国は表向きでも連携仲間同志という間柄関係は相応しくないしムリですよね。断交拒絶隔絶、ここら辺の関係が丁度いい。あっては困るがなくても困らない非常に珍しい事柄。こういうのを人間なら大切にしたいですね。
「私」たち
韓国人考察ご苦労様です。
我が身あっての「ウリ」であって、「我々の(自分が所属している)」という意味はないのでしょう。
よく、こんな連中が集まっていられるものだと不思議に思います。
いろいろ考えてみましたが、ハッ、と気づいたことがありました。
彼らがどういう思想を持っているとか、生活をしているとか、(とりあえずは)どうでもいいことです。
平和に生活できている日本を食い物にしている、彼らを除外することを日本人の一般常識として教えるのも重要なことです。
(思想、倫理観、価値観などを考察し、彼らのしている事に対抗できるようにした方がいいのですが、そのような事に興味を持たない日本人もいると思うので、単純に日本人の生活を脅かしているのは彼らだと教えるのも必要かと)
物事の核心を語るには言葉が足りないとやきもきします。
いつも更新楽しみにしています。どうか無理のない範囲で管理人さんならではの切り口をまた楽しませていただければ、と思っております。
さて、表題の件ですが、私は常々「市民」と言う物言いになんとなく尻の据わりの悪いものを感じていたのですが、この「ウリ」と言う話において、なんだか重なるものを感じました。
日本人同士でも年齢を確認し合うことは
しばしばありますが、
それは「失礼がないようにするため」
という理由が多い気がします。
韓国人にとって年齢等を確認し合うのは
「上位のウリになって言うこときかすため」
ということなのですね…。
日本人とはつくづく正反対の人たちですね。
でも表面上似てる部分もあるから
外国人からはいっしょくたにされることも
多くけど、本当に一緒にされたくないです。
あげあしとり
韓国語って、何でしょうか?
国立の東京外大や、大阪大(旧大阪外大)などでは、一貫して朝鮮語と言っています。これら国立大の対応は、 もしかして、北からの圧力があったのかな?私立は、まあ、色々ですが。
いずれにしても、当該言語を、朝鮮半島に住む人々の母語mother tongue(母国語state languageではない)という意味で使用するなら、朝鮮語という言い方が、学問的には正確でしょう。どのような政治的立場を取るにせよ。
でも、チョーセン語とか言うと、要らぬ誤解をされそうだから韓国語って言ってるなら、要らぬお節介、失礼しました。
あげあしとりコメントについて
いいのでは?朝鮮語で。東ドイツ語とか西ドイツ語とか言ってましたっけ?連中が逆立ちしても逆らえない英語圏の評価なら一括してコリアでしょ?国にしてもノースかサウス。南をグレートとかビッグと表現していないし。なので、私ならその違いを逆に連中に指摘したいです。もしかすると南が元祖本流都会風ニダ!とかぬかしそうですけどね。
揚げ足取りをしたものです
いや、ブログ主さんが、韓国語って書いてるから、その言い方ってどうよと思ったわけで。
経験則で言うと、韓国語って言葉を使う人、なんだかなって感じの人多いので。酔っ払っていたので、少し沸点低かったです。ごめんなさい。
NHKが、ハングル講座って言ってるのは、朝鮮語とかいうと抗議がくるからとか、何処かで読んだ気がするので、そういうのも頭にあった。ラジオのやつ、始まったの30年ぐらいまえとおもうけど、当時もからハングル講座って言ってたような気がする。ドイツ語講座聞いていて、その次がハングル講座だったかな。だから、冒頭部分はなんとなく記憶している。
そういえば、ソウルオリンピックが88年で、88をパルパルと言っていたのを、唐突に思い出しました。ヒラマサの愛称は何になるんだろう。
支離滅裂で、ごめんなさい。今日も、少し酔ってます。
あー、思い出しました。そうですね、確かにそうだ、犬HKに抗議が殺到したんでしたっけ、挑戦じゃなくて半グレGO似だ!と。
本来は挑戦が正確でもそれでファビョられたら手間かかりますもんね。騒がせないで静かに叩く、これが理想の一つ。でも連中もヒマなんですねー。えっそこ?という所ばかりですね目の付け所が。南北統一云々とかぬかすなら挑戦GOでいいじゃんと思いますけどね。
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夫婦別姓で思い出したので、再びカキコ。
朝鮮人とかは、夫婦になっても女性は自分の姓を変えませんよね。
これは、家族というウリの中でもカーストがあって、嫁はしょせん嫁なんですかね?
日本人だと「家族なんだから同じ苗字」という感覚なんですが、一人だけ嫁さんだけ姓が違うのに違和感がありますよね。
嫁さんの実家に「ウリ」が有って、嫁ぎ先には無いのですかね?
それとも実家の「ウリ」を抜けられないのか!
だとすると、相続とか財産とかぐたぐたになりそうですね。
家庭と実家の「ウリ」のどちらが「上」かとか悩むんでしょうね~。
日本人には理解しにくい概念ですね。
そろそろ現状の韓国カオスについてのブログ主の見解が読みたいっす!
見解もなにもこれまでブログ主がウンザリするほど幾度となく、そしてこれからも繰り返されるであろう典型的、金太郎飴的、量産型的、韓国人的行動そのものです。
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