韓国人にとって「恨」は良い感情か
さて今回は、非公開コメントで朝鮮人の「恨」についてご質問をいただきましたので、それをお題にしたいと思います。
ある韓流ファンのブログで、「恨」について以下のようなメッセージがあったそうです。
以前、更新されていた記事の中でユノ君が「勝負の神」で涙を流した時の韓国記事、『恨ハンがあるから…』という発言がありましたよね。ワタシ、通訳をしている方に意味を聞いてみました。『過去の傷や悔しさ悲しさなどの辛い記憶を土台にして決して同じことを繰り返さない様に次は必ず成功させてみせると決意する思いの表現として使われるそうです。マイナスの出来事を燃料に大きなエネルギーを爆発させる感情~日本人は字面のせいか韓嫌などに物騒な国民性だと叩きのネタになるが、決して悪いものではなく寧ろいい意味なんですって。簡単にいえば悲壮な覚悟。『情念』と訳すがこれも完全ではなく、例えば『 去年の受験の失敗をハン恨に思って頑張ります』という使い方をするそうです。 |
このメッセージを受けて、「韓国人の「恨」とはこのようにポジティブに解釈出来るものなのか」というご質問を、非公開コメントで頂戴いたしました。
「恨」は、「ウリ」と並んで、韓国と韓国人を考える際の最重要キーワードであると私は考えております。ですのでこれまでにも弊ブログで度々述べたことがありますが、今回ご質問を頂戴したのを機に、「恨」について今一度申し上げておこうと思います。
韓国人の「恨」とは何かと言うと、一言ではと言うか、言葉ではなかなか表現が難しいのですが、誤解を恐れずものすごく大雑把に言ってしまえば、「押し殺したまま抱き続けている負の感情」が「恨」です。
先述のメッセージにあるとおり、「恨」が発奮材料として機能することも、時と場合によってはあるかも知れません。しかし「恨」とは基本的に「負の感情」であって、韓国人自身がそれを抱いていることを良いとか好ましいなどと思っているということは、絶対にあり得ません。
これも以前に書いたことがありますが、韓国人は基本的に自分の望みは全て余すところなく叶えられて然るべきだと考えています。しかし現実的には、韓国人に限らず、その人の全ての望みが余すところなく叶えられるなどということは絶対にあり得ません。傍目にどれほど恵まれていても、不満がないように見える人でも、心の中には叶えられなかった望み、叶わぬ望みというものが必ず幾つもあるものです。
自分の望みが叶えられないと知った時、韓国人でなくとも、悔しく悲しく憤ろしい感情に苛まれるものです。それは間違いなく「苦」です。しかしその「苦」を理解し、受け入れ、その原因を探り、場合によっては反省し、今後の教訓とするのが人間の智慧というものでしょう。この智慧を仏教用語で「諦」と呼んでいるということは、以前にも述べたことがあります。
しかし「恨」にそういう働きはありません。あるのは、幼児が欲した玩具や菓子を買ってもらえなかった時のような、望みが叶わなかったことに対する悔しさ悲しさ憤ろしさだけです。
前述のメッセージ内にある「過去の傷や悔しさ悲しさなどの辛い記憶を土台にして決して同じことを繰り返さない様に次は必ず成功させてみせると決意する思い」とか「マイナスの出来事を燃料に大きなエネルギーを爆発させる感情」というのが、全く根も葉もないデタラメだとまでは言いません。結果として「恨」がそういう働きをする可能性はあると思います。
しかし韓国人の場合、「恨」を抱けばそれを「解く」ことに意識が行ってしまうために、何故望みが叶わなかったのかという原因を探ったり、望みを叶えるために自分に足りなかったことを反省したりということがありません。ですので「恨」が発奮材料になるとしても、それが必ずプラスの方向に働くとは限らないのです。
むしろ正しく原因を見つめるということをしないために、何故そのような結果になったのかが理解出来ず、また反省が自分に向くことがないので、往々にして同じような失敗や間違ったやり方を繰り返し、その都度新しい「恨」を募らせていくことになります。韓国の歴史を顧みれば、随所でそれが見事に反映されているのを見て取れますし、最近の例で言えば、韓国の人工衛星打ち上げロケット羅老号の度重なる発射失敗に対する反応が好例と言えるでしょうか。
客観的に「恨」がネガティブなものであるのは明白ですが、韓国人の主観的に言っても、「恨」は「解かれるのが望ましいもの」であって、いつまでも心の中に蓄えておいたり、ましてや多量に持っている方が良いとか、たくさん持ちたいなどというものでは決してありません。
韓国人にとって「恨」を持つことがとてもつらく悲しく苦しいことであるからこそ、多くの「恨」を持っていても、それに負けないガッツをアピールすることは出来るかもしれませんが、だからと言って「恨」そのものを無理やり良い意味に解釈するのは、贔屓の引き倒しと同じことではないかと私は考えます。
尚、最初に引用したメッセージの【過去の傷や悔しさ悲しさなどの辛い記憶を土台にして】云々という記述の前置きに「ワタシ、通訳をしている方に意味を聞いてみました。」とありますが、実際はどうやら、某巨大匿名掲示板難民板の【東方神起の雑談避難所5678 レス番143】を改変したものと思われます。
韓国人に生まれなくて良かった
前回の羅老号打ち上げの際は、消火装置の誤動作とか何とかで一旦延期したのに、ろくな原因解明調査もせずに、たった三日後に強引に打ち上げ、結果的には失敗しております。今回の打ち上げ中止が、その教訓を活かしてのことであれば、韓国にも多少の進歩が見出だせるかもしれないと思います。あんまり期待はしてはおりませんが。
さて、日韓チャットで韓国人と話していると、まずそのとてつもない馬鹿さ加減に驚き、やがて心の底から呆れます。しかもそれが一人とか二人とか、せめて片手、いや負けて両手両足の指の数程度なら、それは一部のキチガイだという韓国人の主張にも耳を貸さないことはありませんが、実際には判で押して鋳型で抜いて工業的に量産しているのではないかと思うほどいるのです。どんなに贔屓目に見ても、ごく一部なのはマトモな韓国人の方です。
そういうキチガイ同然の韓国人をうんざりするほど見ていると、そのうちしみじみ「日本人に生まれて良かった」、あるいは「韓国人に生まれなくて良かった」と思うようになるようで、日韓チャットでは常連日本人会員の「日本人に生まれて良かった」という台詞を目にしたことが幾度かありました。
「日本人に生まれて良かった」とは、実は私はあまり思ったことがありません。若い頃は、日本は悪い国だ、世界中から嫌われている国だと叩き込まれていたので、日本人に生まれて良かったとは全く思えませんでしたし、後に日本について自ら改めて学び、日本という国の素晴らしさを知ってからも、特に日本人に生まれて良かったとは思いませんでした。
何故なら、私は自ら望んで日本人に生まれたわけではありませんし、日本人以外に生まれたこともありません。ですので、自分が日本人であることが良いことなのかそうでないのか、未だに自分ではよくわからないのです。ただ美味しい漬け物でお茶漬けをいただく時だけは、「日本人に生まれて良かった」と心の底から思います。
その反面、「韓国人に生まれなくて良かった」とは、韓国を知って以来、結構頻繁に思います。それは別に、韓国人を見下してそう思うのではありません。
これまでにも述べたことがありますが、韓国人は案外韓国のことを知りません。日本のことをよく知らない日本人も少なくはありませんが、韓国人の韓国に対する無知っぷりは更に突き抜けています。虚偽と捏造に満ち満ちている歴史ばかりではなく、文化にしても言語にしても、また現代韓国の諸事についても、韓国人は韓国のことを本当に知りません。
何故なら彼らにとっての「韓国」とは、即ち「誇らしい韓国」のことであって、「誇らしいとは思えない韓国」を韓国人は決して直視しようとしないからです。韓国人は誇らしいことを全て自分と同化しようとしますが、誇らしいと思えないことは無視するか、他者のせいにします。
どんな国にもどんな民族にもどんな文化にも、明と暗があります。日本人は、何故か自分たちの暗部ばかりに注目したがる傾向がありますが、韓国人は全くその逆です。誇らしく素晴らしい国であり民族であり文化でないならば、韓国人は韓国を受け入れることが出来ないのです。ですから、もし韓国のことを正しく知れば、韓国人は韓国人に生まれてしまったことを悲観するしかありません。
それでも、一度韓国人に生まれてしまえば、たとえ国籍をロンダリングしても、海外に移住しても、日本人になりすましても、死ぬまで韓国人であることをやめることは出来ません。
だからかどうかは韓国人ならぬ身なので断言は出来ませんが、韓国人は韓国のことを正しく知りませんし、正しく知ろうとしませんし、正しく知らせようとしません。そうしなければ、韓国人は生きていくことが出来ないのでしょう。
そうやって自ら幻想の韓国を作り上げ、幻想の韓国人でいる限り、彼らは自分が韓国人であることをそれほど悲観しなくて済みます。そういう生き方をしている限り、彼らは私たちが見るほど惨めではないかもしれません。その分、韓国が必ずしも誇らしいばかりではない、という真実を知ってしまった韓国人の葛藤は凄まじいのではないかと思いますが。
韓国人にとって韓国は知るも地獄、知らぬも地獄ということを知るにつれ、「韓国人に生まれなくて良かった」と心の底から思わざるを得ないというのが、私の本心です。
嫌韓初心者の皆様へ
ただ韓国男の被害に遭った女性は、あまりそれをべらべら話さないでしょうし、傾向として政治的な話を好んでする女性が男性ほど多くないために、あまり目立たなかっただけではないかと思います。
ただ、最近嫌韓に目覚めた日本人は、男女に関わらず増えているという印象はあります。それは日本に韓流捏風を仕掛けるために、必要以上に韓国を露出した結果だと思います。
韓国や特亞について知り始めると、何も知らなかった時に漠然と抱いていた彼らやかの国に対する善意や好意が、実は思想工作とか反日工作(のようなもの)に基づくものだったと気づくことになります。平たく言えば「自分が、特亞関連に加担する人々に騙されていたことに気づく」わけです。
その反動は小さくありません。「知れば知るほど嫌いになる」というのには、今まで自分が信じていた韓国に関する知識の多くが嘘だったと知ったためということも含まれるのでしょう。
だから嫌韓は初心者ほど激烈です。韓国はこんなに酷い、こんなに悪い、こんなに醜いと叫ぶように言い、また韓国に関するそういう事柄をことさらにあげつらいたがります。
韓国に積極的に好意的でなかったにせよ、無関心であるだけで取り込まれ、いつの間にか騙されていたという経験をしている人も多いので、その時の自分と重なるからか、韓国に無関心な人も放っておけません。知らないというだけで騙されているのだということを、どうにかしてわかってほしいと思うあまり、「韓国に無関心な人」に、韓国の悪行や醜行を半ば無理矢理に吹き込もうとすることも、結構あるようです。
気持ちはよくわかります。韓国については、知らないというだけで取り込まれる確率は確実に跳ね上がります。その結果、「最悪の場合」は、その人や周囲の人の心身に危害が及ぶことも、十分にあり得るということを、韓国を知った人は知ることになるのです。
そのことを知った人は、居ても立ってもいられないでしょう。韓国の正体を知らずに、韓国に漠然とした好意を持つということは、動物園でクマさんカワイイと言って熊の檻に手を突っ込むようなものです。知人がそんなことをしているのであれば、それがどれほど危険なことかを知らせて、被害を未然に防ぎたいと思うのは自然な感情というものです。
ですが何も知らない側から言えば、一方的に押し付けられる必死の韓国サゲは、韓流捏風に乗せられた人から押し付けられる韓国アゲと、方向性が違うだけで同じものです。いなされたり受け流されるぐらいで済めば良い方で、相手によっては反発されて逆効果になる場合もあるでしょう。
ですので嫌韓初心者の方には、嫌韓を広める以前に、もっと踏み込んで韓国のことを知って欲しいと思います。
最近ネットの巷に限らず、リアル社会においても韓国に関する悪評は随分広まりました。ほんの数年前には、日本の固有の領土である竹島を、韓国が不法に武力占拠していることなど、全く夢にも知らない日本人がほとんどでしたが、今では竹島問題を知らない日本人の方が珍しいかも知れません。
過去の歴史において日韓間に何やら確執があって、韓国人がそれをたてに反日なのはしかたないとは思えても、日本に大きな災害があるたびに狂喜するなど、何度も執拗に日本を侮辱し続け、ついには天皇陛下を韓国大統領自ら侮辱するに至れば、いくら人の好い日本人にも限度というものがあります。
ですから嫌韓というほどではなくとも、韓国に対する不満や不快感を抱いている日本人は、静かに増加していることは間違いないでしょう。ですがその不満や不快感にしても、正しい知識に基づくものでなければ、やはり「騙された」ということになります。
嘘でもデマでも良いから、韓国を嫌いにさせれば良いというやり方は、嘘でもデマでも良いから、日本を絶対悪視させている韓国のやり方と同じで、賢いとは思えません。
もしはっきりと嫌韓を自覚したら、手間でも面倒でも、「正しい情報」に基づいた知識を求めるようにしていただきたいと思います。
その際には、「何が正しいのか」という壁に当たることがあるでしょう。何しろ韓国に関する情報は、虚偽や捏造がやたらと多いのです。韓国の大学教授でさえ、平然と嘘を吐くし捏造を根拠にします。いわんや一般人をやです。
意図的な嘘や捏造でなくとも、韓国の嘘や捏造をネタにしたギャグが、いつの間にか真実然として吹聴されている例も珍しくありません。親韓日本人の行き過ぎた好意的拡大解釈も多く、念入りにマジェマジェされた韓国ネタの中から、正しい情報を抜き出すのはなかなかに大変な作業になります。
しかしそういう作業をしている内に、韓国に関する正しい情報と共に、韓国がどういうやり方で捏造を行なうのか、韓国人はどういうタイプの嘘をつく傾向があるのかが、体感的にわかるようになってきます。
嘘は面白かったり魅力的かもしれませんが、底が浅く持久力や安定感がありません。真実は地味で面白くないかもしれませんが、揺らぐことのない説得力を持ちます。嫌韓を広めたいのであれば、まずは自分自身が正しい知識を身に付け、それを他人に押し付けるのではなく、もし求めらることがあれば、いつでもさっと出せるようにすれば良いと思います。その方が、相手もその知識を受け入れやすいでしょう。
韓国に限ったことではありませんが、まずは自分が正しく深く知ることが肝要です。韓国に関して、正しく知る日本人が増えることが、日本に嫌韓を確実に広めることにもつながると、私は信じています。
繰り返し見聞き考えることの大切さ
さて、長らく韓国に関するブログを書いていると、書くネタに詰まることは一度や二度ではありません。
めぼしい時事ネタがあればそれを取り上げたり、他所の韓国ウォッチブログや在韓日本人のブログ(但し親韓在日日本人、親日韓国人のブログはほとんど見ておりません)を読んで、思いついたことをネタにすることもありますが、それでもネタがない時は、自分のブログの過去記事を読み返すことがあります。
何か言い足りなかったことや、その時は気づかなかったことを付け足すようなことがあればと思って読み返すのですが、期待するほど過去記事がネタになることはありません。それどころか、1年前2年前に書いたことがつい先日のことのように思えるぐらい、韓国は変わり映えがしないのです。
今回も、時事関連さえめぼしい韓国ネタが無かったので、昨年同月と一昨年同月の過去記事を読み返しておりましたが、言い足りないどころか、「このまま日付だけ変えてもう一度掲載しても全然不自然に感じないんじゃないだろうか?」と思えるほどでした。
昔、日韓チャットで常連日本人たちが韓国について談義していると、その光景を見て常連韓国人青年が嘲笑混じりに言いました。「毎日のように同じことを同じメンバーで言い合っているあなたたちは、進歩がない」と。
日韓チャットにいれば、量産型韓国人のサンプルは比較的容易に観察出来ます。量産型韓国人を見れば、私たち日本人は飽きもせず(いや、実際はかなり飽きてるんですがw)何度でも何故韓国人はああなのだろうと慨嘆します。確かに、傍目にはいつも同じことを言ってるようにしか見えません。
それはまるで螺旋階段を昇っているときに見える風景のようです。幾度回っても、巡る景色は以前に見たものとそっくりなのです。しかし、きちんと誠実に昇っていれば、必ず上に向かっています。目に映る風景は、一周回二周回前とそっくりに見えても、ずっと前に昇り始めた時に見えた風景とは全く異なっているはずです。
韓国や韓国人について、何度も何度も繰り返し話したり聞いたり読んだり考えたりすることは、一見進歩がないように見えるかもしれません。そんな暇があるならば、韓国や韓国人に関する新しい情報を仕入れたり、それまでとは異なる主題で討議する方が建設的という意見もあるでしょう。
しかし、日韓チャットでそう言って日本人をさらっとひとわたり見て話して理解したつもりになって去っていく韓国人たちと、韓国人を見て話して、なんでこいつらはこうなんだと、何度も何度も問い合い答え合い考え続けてきた日本人とでは、相手に対する洞察と理解に桁違いの差がついてしまったことを、後に件の日韓チャット常連韓国人青年は認めざるを得ませんでした。
しかもその知識や見解は、少なくとも日本のネットユーザーの間ではかなり広く共有されつつあると言って良いでしょう。最近では、親韓寄りの日本人の間にも、私たちが唱え続けてきた韓国人観を唱える人を見ることがあって、かえってこちらが驚くぐらいです。
書籍などでも、一度読んだだけで著者の訴えたいこと全てを理解することは凡人には不可能です。一度聞いただけで、その時は全てわかったようなつもりになっても、実際には半分もわかっていなかったということに気づいたことは、私には幾度もあります。多分、今でもその癖は治っていませんw
だから、同じ対象について何度でも何度でも繰り返し見聞き考えることは、多分良いことなのではないかと思います。そうすることで、早飲み込みや早とちり、薄くて浅くて上っ面な、早く言うと「朝鮮侮り」的理解を回避出来るのではないかと思うのです。
韓国は、何度でも言いますが薄くて浅くて上っ面です。だから弊ブログでは、言いたいことは既に概ね言い尽くしました。それでも、弊ブログではまだ韓国を見て聞いて話して考えて書き続けています。
弊ブログの膨大な過去記事を最初から律儀に追い掛けている方もそれなりにおいでのことと思いますが、読破を急がなくても大丈夫です。多分、ブログ2年目以降からは、半分ぐらいは同じことを言っています。
その上で、同じことを繰り返し述べることの大切さも、これまた何度でも述べたいと思います。何度も繰り返し述べ、また読むことで、韓国の薄さ浅さ上っ面さを、より一層正確に理解出来るようになるでしょう。最新の韓国ニュースで見た韓国人の奇矯な思考の根源や理解に苦しむ行動の原理を、弊ブログの過去記事の中に見つけることもきっと出来るはずです。
そうやって一人でも多くの日本人が、韓国について侮らず深く正しく理解し、彼らにどのように対応すれば良いかを判断出来るようになることが、日本を韓国の侵食から守ることにつながり、ひいては日本と日本人について真摯に誠実に考えることにつながっていくのだと、私は固く信じています。
日本は何故韓国を潰さないのか
日本の海上自衛隊と韓国海軍の交戦シュミレートを行なえば、何度やっても日本側の大勝利だそうです。それが事実かどうかはさておいても、日本が韓国を潰そうと本気で思うならば、実は矛を交える必要さえありません。
昨年10月、限度額700億ドルにまで拡大された日韓通貨スワップ協定ですが、拡大枠については今月末で終了することが決まりました。しかし従来からの限度額130億ドル分は維持されます。
通常、通貨スワップ協定とは、締結国が相互に通貨を融通する協定ですが、日韓の場合、日本が韓国から通貨を融通されるということは考えにくいために、日韓通貨スワップ協定はほぼ一方的に韓国にのみメリットの多い協定になっています。
これ以外にも、「日韓間において韓国にだけ一方的にメリットの多い取り決め」というのはあります。例えば日韓の短期滞在無査証も、元はと言えば日本人観光客誘致のための韓国側の一方的免除措置だったのですが、韓国側から相互免除を求める声が強まった結果、韓国人の来日短期滞在査証が免除されることになりました。
これらの「日韓間において韓国にだけ一方的にメリットの多い取り決め」というものを全て廃し、日韓両国に対等にメリットのある取り決めとするだけで、韓国は国が傾くほどの大きなダメージを被るでしょう。
それだけ日本の方が韓国に対して優位にあるのがわかっているのに、何故日本は韓国にろくな制裁を行なわないのでしょうか。
日韓双方が未解決のまま有耶無耶にしようと図っている李明博韓国大統領の天皇陛下侮辱発言にしてもそうです。日本が本気を出せば、李明博韓国大統領に詰め腹を切らせることは全く不可能ではありません。なのに日本が全くそうしないのは何故でしょうか。
よく言われているのは、在韓邦人や在韓企業、韓国と取引のある日本企業を保護するためという理由です。先般の中国における反日暴動のように、日本の対韓制裁が引き金となって、在韓邦人や在韓企業が韓国人の暴徒に襲われることを懸念しているのだといいます。
しかしもしそれが事実であるならば、何故日本政府は韓国への渡航を制限し、在韓邦人や在韓企業の引き上げを促さないのでしょうか。それどころか政冷経熱などいう言葉を弄んで、日韓間の関係が危うくなればなるほどに、日韓間の経済的関係を強めようとしているのは解せません。
私も中学二年生前後の子供ではありません。その辺りに大人の事情とやらが存在するのは十分に察せられます。しかしそれを勘定に入れても、これほど優位にある日本が、韓国にここまで譲歩したり迎合するのは酷すぎないでしょうか。
もし日本政府が、韓国への制裁実施に際し、在韓邦人や在韓企業に対する韓国人の襲撃を本当に懸念しているのであれば、日本政府は速やかに日本人の韓国への渡航制限を行なえば良いのです。在韓邦人に帰国勧告を行なえば良いのです。
日本人が韓国人に危害を加えられる恐れを承知で、韓国に行ったり滞在している日本人に警告なり勧告なりを行なわないのは、日本政府自ら、自国民を韓国へ人質として差し出しているのと同じではありませんか。自ら人質を差し出しておいて、「人質がいるから制裁出来ない」と言うのは詭弁でしかありません。ですから私は、「在韓邦人や在韓企業に対する危害を恐れているから、日本は韓国に制裁しない」というのは信じておりません。
はっきり言うと、日本政府は韓国を潰す覚悟が出来ていないのだと思います。日本が韓国に本気で制裁を行えば、最悪韓国を潰してしまうことも考慮に入れる必要がありますが、もし韓国が下手に潰れると、色々面倒なのです。
もし韓国が潰れるに近いほど極端に弱体化すれば、北朝鮮は迷わず南進を始めるでしょう。即ち朝鮮戦争の再開です。そうなれば中国も動かざるを得なくなります。もちろん、ロシアも座視するわけがありません。
そもそもアメリカが、同盟国として韓国の弱体化を黙過するわけにはいきません。日本は韓国とは同盟を結んでいませんが、アメリカとは最も付き合いの深い同盟国です。そのアメリカから韓国の面倒を見てやってくれという要請があれば、日本は余程の事情と覚悟がないと嫌とは言えません。
仮にそういった周辺国の関与や事情を全く度外視し、日韓二国間だけで考えても、韓国を潰すのは厄介です。前述した在韓邦人や在韓企業の身体的財産的安全が脅かされるという問題も当然ありますが、それよりも韓国人が大量に経済難民として日本に押し寄せて来ることが恐ろしいのです。
ウリナラはOECD加盟国だとか20-50クラブだとか日本に並んだとか国際信用度では日本を抜いたとか嘯いている現在でさえ、日本に出稼ぎに来ている韓国人は少なくありません。日本は経済難民を受け入れていないので、日本に出稼ぎに来る韓国人の大半は不法就労を行ないます。
1997年に韓国がIMF管理下に置かれた時も、日本への韓国人の流入は凄まじいものがあったと言いますから、もし日本が韓国を本気で潰してしまえば、日本へ流れ込んでくる韓国人は当時を楽に上回るでしょう。
現在でも、日本における凶悪犯罪の多くに韓国人が関わっています。もし日本が韓国を本気で潰してしまい、日本に膨大な数の韓国人が流れ込んでくれば、間違いなく日本の治安は大きく脅かされることになります。
例えて言うならば、韓国は自宅の軒先に出来たスズメバチの巣です。それをただ潰すだけならば、それほど難しいことではありません。しかし巣を潰されたスズメバチが、自宅や近在の人々を見境なく人を襲うようになるのに対処するのは、極めて難しいというのに似るかもしれません。
そんな危険で面倒なことをするぐらいなら、スズメバチとその巣を刺激せぬように遠巻きにしておいた方が、その場凌ぎとしては圧倒的に楽でしょう。だからと言ってスズメバチの巣を放置すれば、巣は時間とともにどんどん大きくなり、スズメバチの数もそれに比例して増え、撤去の際の危険度や被害も大きくなります。
かと言って、どれほど上手くやろうと、スズメバチの巣を撤去するには多少の被害を避けることは出来ないでしょう。その被害を甘受してでもスズメバチの巣を撤去しようという覚悟が、今の日本政府にはないのだと思います。
しかしいつか撤去しなければならないものならば、前述した通り少しでも早くに対処する方が被害は少なく済みます。その覚悟を、日本政府はもちろんですが、私たち日本国民も持たなければならない時代に来ているのかもしれません。
リアル「朝鮮人のような真似」とマスコミ
この報道に、ほとんど間を置かずに各方面から疑問の声があがりました。慌てたマスコミが検証や確認作業を始めると、たちまちボロが出て、見る見る内にメッキが丸剥がれになったのは、その後の報道でご存知の方も多いでしょう。
この自称「日本人研究者」ですが、言動や態度があまりにも日本人離れしており、ネットの巷では「本当に日本人か?」という声があちこちで囁かれています。彼のこれまでの言動や態度が、あまりにも「朝鮮人のような真似」過ぎるからです。
この自称「日本人研究者」が本当に日本人かどうかは、私には確認する術がありません(※ニューヨークでの記者会見では日本のパスポートを持っていたようですが、それが本人名義のものかどうかは確認出来ておりません)。それと同じレベルで、彼が朝鮮人とも判断出来ません。ですがはっきり言えることは、彼の言動は間違いなく紛れもなく、非常に純度の高い「朝鮮人のような真似」であるということです。
弊ブログを長くご覧の方であれば、「朝鮮人のような真似」の一言で深く納得していただけると思いますが、最近お越しになった方や、たまたま何かの検索で引っかかってこの記事を読んでいるだけの方には、何のことかよくわからないかもしれません。
彼のどういう点が「朝鮮人のような真似」かと言えば、まず経歴詐称が挙げられます。今月頭の記事でも、「(韓国人は)「自分は三星の正社員で幹部候補生だ」ぐらいのことは平気で言います。実際には三星の関連会社の下請けの孫請けの取引先に勤めてる友達の親戚が経営している工場の臨時工とかでも、平気で言います」と書きましたが、まさに今回の詐話師もこれに近い経歴詐称を行なっております。
他にも「何のためなのか分からない嘘をつく」「嘘を隠すために嘘をつく」「相手が根負けするまで嘘をつく」というのもあります。これらが、日本人の想像を絶するレベルで行なわれるのです。
なお「朝鮮人のような真似」について、上記のような簡単な説明で日本人的に理解をすれば必ず誤解に至ります。もっと深く理解したいとお考えの方は、弊ブログの過去記事をご覧になるか、月見チャットで筆者に直接質問していただければと存じます。いずれにしても「朝鮮人のような真似」について、ある程度の理解に至るまでには相当の時間がかかります。あらかじめご了承ください。
話を本筋に戻しますと、彼の実際の血統や現在の国籍は、この際どうでも良いのです。彼が自称するとおり間違いなく日本人であるとすれば、彼は「朝鮮人のような真似をした日本人」であるというだけのことです。
今回、詐話師本人の血統や国籍などよりも面白いなと思ったのは、詐話師に騙されたマスコミの逆上っぷりでした。
実はマスコミが詐話師に釣られることは、別に珍しいことではありません。「いわゆる従軍慰安婦問題」も、元はと言えば吉田清治という作家の虚言から始まりました。
今回は、たまたま検証しやすい分野だったことからたちまち嘘がバレましたが、歴史分野の場合はそうはいきません。タイムマシンがない限り、その時点における事実の検証というのは非常に困難だからです。
後に吉田清治自身は自分の著述に虚偽や捏造があったことを認めましたが、それまでの間に「いわゆる従軍慰安婦」に関する話は「強制連行」と共に二次的三次的に広がってしまい、更に話が広がる過程で別の虚偽や捏造が混ざって枝葉に尾鰭が付き横槍が入り、最早収拾が付かない状態になっています。
吉田清治という詐話師の虚言にマスコミが釣られた結果、「いわゆる従軍慰安婦問題」は日本国内では戦後左傾教育に絶大な効果を発揮し、世界に向けては日本のイメージを悪化させる材料となり、韓国内に向けては反日感情を煽り立てる格好の主題となり、日韓間においては韓国にとって非常に便利なカードとして活用されることになってしまい、日韓間の大きな問題となって現在に至ります。
しかし当のマスコミは、口を拭って知らん顔です。報じてから余りにも時間が経ち過ぎているので、詐話師に釣られた自分たちの誤報が発端だなどとは、よほど積極的に調べなければわからなくなっているからでしょう。
ところが今回は、報じてから嘘がバレる前の時間が極めて短かったことと、タイミング的にニュースバリューがあり過ぎて、注目度が高かったのも、マスコミにとっては災いしました。
そのため今回は各マスコミも、非常に速やかに自らの誤りを認めました。そればかりではなく、火が着いたように自分たちを騙した詐話師を追い掛け問い詰め責め立てています。まるで自分たちが誤報させられたことに対する仇を取ろうとでもいうような勢いです。
そうすることで、悪いのは誤報をしたマスコミではなく、騙した詐話師であるということを印象付けたいのでしょう。
今回の件で強く印象付けられたのは、まずマスコミで報じられたことが必ずしも正しいことや事実とは限らないということです。特に、専門度の高い内容やスクープの類は危険度が増します。どれほど大手のマスコミといえども、取材するのは能力に限りのある人間であり、その記事を書くのも、書いた記事を採用する判断をするのもやはり能力に限りのある人間です。間違うことがあってもしかたありますまい。
問題はその後です。今回のように、余りにも直ちに明確にメンツを潰されれば、マスコミは逆上して詐話師を追及し責め立てることで自分たちの名誉挽回を図ろうとしますが、そうでなければむしろ「自分たちが騙された」ということそのものに蓋をし、隠そうとします。
つくづく、詐話師の余りにも隙のない朝鮮人のような真似と、それに騙され逆上するマスコミの挙動が興味深かった、今回のiPS細胞に関する騒動でした。
この騒動に関する今後の興味は、もし件の詐話師が本当に朝鮮あるいは特亞系であった場合、マスコミの態度がどう変わるかです。
日本は韓国をどうしたいのか
日本は、韓国に普通の国になってほしいのでしょうか。叩き潰したいのでしょうか。それとも今まで通り、どれほど手を咬まれても、後ろから撃たれても、ダラダラと養い続けたいのでしょうか。
それをはっきりしない限り、韓国はいつまでも日本にすがりつき、たかろうとするでしょうし、日本はそれを断り切れずにズルズルダラダラと関係を持ち続けることになるでしょう。
これまでに何度も述べている通り、日本にとって韓国という存在はさほど重要な相手ではありません。防共の砦という役目は既に全く望めませんし、経済的にも、経団連辺りが言うほど良い商売相手ではありません。それだけならまだ韓国と手をつなぐ意味はあるでしょう。
積極的な利用価値がなくても、日本に友好的な国が多いに越したことはありません。日本に有益でなくとも無害であるならば、韓国と手をつなぐことに益はあります。ですが韓国には、それさえも望めません。どれほど日本が好意を示し歩み寄っても、韓国は絶対に反日を手放せないからです。
韓国人には、韓国は反日ではないと言う人が少なくありません。ことに若い人はそうです。かつて韓国では、日本文化の韓国への持ち込みを法で禁じていました。しかしそれでも、韓国人は日本の文化を渇望し、闇で地下で無断複製で、さまざまなルートで日本文化を韓国に持ち込みました。日本で流行ったものは、韓国でも間違いなく流行るのです。カネに意地汚い韓国人が、それをみすみす見逃すわけがありません。日本で売れているものは、文字通り片っ端から剽窃しました。
その結果、韓国では日本文化が溢れ返っています。韓国では時折発作のように「日帝残滓排斥」などと言い、また実際にそういう事物を排除したり破壊したりしていますが、それを遥かに上回る量と速度で、日本の文化を掻き寄せ広めています。
だから韓国には、日本文化が大変たくさんあります。サブカルチャー分野では殊に顕著です。だから、今の韓国の若者は、物心付いた頃から日本文化に親しんでいます。それをもって「韓国は反日ではない」と言い、そう思い込んでる韓国人が多いのは事実です。
確かに、物心付いた頃から日本文化に親しんでいれば、日本そのものにも親しみを持つのが普通で当然です。しかし韓国人は普通じゃありません。少なくとも日本人的な思考は通用しません。そうでなくとも、日本が絶対悪であるという意識は、韓国人にとっては最早韓国人そのものと言っても過言ではないほど抜きがたいのです。
日本に好意を持てば、それは韓国人にとって即ち罪悪です。その罪悪感を相殺するために、民族に対する裏切り者である親日派と韓国社会で罵られないために、誇らしい韓国人であるために、彼らは日本を否定しなければなりません。日本文化に深く親しめば親しむほど、彼らは日本を強く否定しなければならなくなるのです。
日本を否定すると言えば、日本人は裏と表がある、顔は笑顔だが腹に刀を隠し持っていると言う韓国人は一般的です。日本人はホンネとタテマエがあって、何を考えているのかわからないと非難します。その点韓国人は裏も表も同じだと自賛します。
確かに、韓国人は裏も表も同じかもしれません。けれど、それはその一瞬だけなのです。次の瞬間に彼らは、それまで言ったりやったりしていたこととまるで違うことを、平然と言ったりやったりします。言わば、一瞬ごとに中の人が変わるようなものです。韓国人の中の人は、それぞれとても正直で、裏も表もなく思ったことをそのまま言ったりやったりするのかもしれません。ですが中の人それぞれがどんなに率直で正直であっても、外から見れば一人にしか見えないのです。一瞬ごとに人が変われば、接する相手は当然に酷く困惑させられます。それは、ホンネとタテマエがあっても、どちらも同じ人間であることを自他共に認めているよりよほど酷いと思うのは私だけでしょうか。
日本人が笑顔の腹に刀を隠し持っていると言うならば、韓国人は今目の前にいる笑顔の人格の影で、凶器を持った残忍狡猾な人格が常に出番を伺っているようなものと言えるでしょう。
韓国の企業と取引をしたことがある人にはよく知られていることですが、韓国側企業の担当者が変わると、それまで進めていた話がゼロに戻ることがよくあるといいます。前任者からその件についての引き継ぎを受けていなかったり、受けていても後任者の考えが違っていれば平然と白紙に戻すそうです。それについて苦情を言っても、通ることはまずありません。
企業という集団の場合は、多くの個が集まっているのだからと、納得出来る出来ないは別として、そういう現象が起きるのは理解出来なくもありません。しかし韓国人の場合は、その現象が集団ではなく個人の中で普通に発生するのです。
そういう相手と友好を願っても、無理だし無駄というものです。今日友好が成就したと思っても明日、いや次の一瞬になれば、中の人が違う人になっているかもしれないのですから。
しかし日本人の多くは、韓国人も自分たちと同じような人々だと思っているでしょう。韓国人と接したことのある人々にも、そう思っている人は少なくありません。むしろ韓国人と接したことのある人ほど、その傾向が強いかもしれません。
これまでも度々日本と韓国の関係を、ドメスティック・バイオレンスやモラル・ハラスメントの被害者と加害者の共依存関係になぞらえたことがありますが、共依存に陥っている被害者が加害者のことを「暴力さえ振るわなければ良い人なんです」とか「あれですごく優しい時もあるんです」などと言って庇うように、「反日を煽り立てるメディアさえ見なければ、韓国は良い国だ」とか「韓国人にも良い人はいる」と言って擁護する日本人はたくさんいます。
韓国人は近づけば近づくほど、相手を自分に取り込み、同一化しようとします。日本で韓国のものがひとつ流行れば、日本全部が韓国色に染まったように言い、日本の文化を上から下まで韓国起源にしようとするのを見れば、それは容易にご理解いただけるでしょう。その結果、韓国を共産主義思想から日本を守る防塞にしたら、日本が朝鮮思想に汚染されてしまったでござるの巻になったという、笑えない状況になりつつあります。
どれほど考えても、日本が韓国と手を結ぶメリットは小さく、デメリットは大きいのです。なのに、いつまでも日本が韓国との友好という幻想を手放せないのは、日本政府の外交下手のためというのも大いにあるでしょう。しかし日本国内の、韓国に対する輿論の方向性が定まっていないというのも小さくはないのではないでしょうか。
日本国民の意思が明確に「日本と韓国との友好は無理であり無駄である」「日本に韓国は要らない」となれば、政府もそれを無視出来ません。日本の韓国に対する姿勢が曖昧でグダグダなのは、国がきちんと韓国に対する姿勢を示さないからだと言うのは簡単ですが、民主主義国家においては、そうさせているのは国民です。
政府がやらないなら、私たち国民ひとりひとりが「日本に韓国は要らない」という明確な意思を持ち、それを表明し、政府を動かすようにするべきではないかと思います。
韓国はない
内容は、あまり大したものではありません。韓国人から見た日本を知ろうと思って読むならば、はっきり言って無駄です。なぜなら嘘や歪曲、捏造に牽強付会がてんこ盛りだからです。日本のことが書かれているはずなのに、日本人が読めば違和感の連続でスムースに読むのは難しいでしょう。ですが韓国人の対日意識を知るには、面白い本と言えるかもしれません。
この「イルボヌン・オプタ」ですが、後に柳在順という韓国人作家のアイディアや資料を盗んだものであると韓国メディアで報道されました。すると田麗玉はこれを名誉毀損であるとして、韓国メディアを相手取って損害賠償訴訟が起こしました。
8年もの長きに渡ってすったもんだした挙句、韓国の最高裁に当たる大法院で田麗玉の敗訴が決定しました。即ち、韓国の大法院においても、「イルボヌン・オプタ」は盗作であると認められたわけです。
さてこの田麗玉ですが「イルボヌン・オプタ」で名を売り、政界に進出。ハンナラ党(現セヌリ党)のスポークスマンにまでなりましたが、今年4月の韓国総選挙で党の公薦を得られず離党し、弱小新党の「国民の考え」党に入党して立候補するも落選したそうです。
この「イルボヌン・オプタ」はその前年、1993年に出版された「醜い韓国人」という本に対抗するかのごとく出された本ですが、その翌年の1995年、「イルボヌン・オプタ」の邦訳版「悲しい日本人」を出したたま出版から、「『醜い韓国人』vs『悲しい日本人』」という対談本が出版されました。
「醜い韓国人」は、内容があまりにも日本に対して肯定的、即ち韓国に批判的であるために、著者とされている韓国人は、実はこの本に後書きを寄せた加瀬英明氏のなりすましではないかと疑われ、物議を醸した曰くつきの本でもあります。
「『醜い韓国人』vs『悲しい日本人』」はその加瀬英明氏と田麗玉の対談が半分、残る半分が大林高士氏と崔書勉氏のものとなります。
大林氏と崔氏の対談はそれほどでもありませんが、加瀬氏と田の対談は非常に日韓チャット的です。中でも印象的なのは、田が対談中で(「『醜い韓国人』vs『悲しい日本人』」P67、l4~6)はっきりと「私は、私の体験ばかりを本(筆者註:「本」とは「イルボヌン・オプタ」のこと)に書いたんです。うそはつきません」と明言しているところでした。
先にも書いた通り、田の代表的著作と言われる「イルボヌン・オプタ」は、韓国の最高裁で田が他人の取材内容を無断で使用したもの、即ち盗作と認められています。
もちろん、この対談当時にはまだ発覚していなかったことかもしれませんが、それでも自分の胸に手を当てるということを知っていれば、ここまで抜け抜けと嘘が吐けるものではありません。まことに、「息を吐くように嘘をつく」韓国人の面目躍如といったところでしょう。
さて、それはそれとして、この度京都大学の山中教授がノーベル医学・生理学賞を受賞されました。これはプライド・オブ・コリアこと黄禹錫が研究していたのと同分野ということもあって、ノーベル症を発症している韓国人にとっては二重の打撃になったのではないでしょうか。「日本はある」けれど「韓国はない」というのは、韓国人にとっては耐え難い屈辱なのですから。
更に日韓通貨スワップの拡大枠も、今月末で終了することが決定したようです。昨年の今頃、日韓スワップ協定枠の拡大決定を受けて激しく脱力していたことを思うと、まだ130億ドル分の日韓通貨スワップ枠があるとは言え、一歩前進と言えるでしょう。
おそらく韓国側としては、日本側から拡大枠の継続を提案されることを期待していたのでしょうけれど、今の日本にとって韓国はそこまでして支援してやらねばならない相手ではありません。これもまた日本から見た「韓国はない」の一種と言えるでしょう。
是非この調子で、日韓間の様々な分野や案件において、一件でも多く「韓国はない」ということが日本と日本人に浸透すれば、日本にとっての日韓関係はより清々しいものなるのではないかと思う今日この頃です。
ゾンビの如き日韓海底トンネル論議
海底にトンネルを設置して日本と韓国を繋げようという構想は、朝鮮半島が日本領だった頃からありますが、その後も断続的に現れては消え、消えては現れていたようです。
トンネルの建設だけのことを言えば、現在の土木技術ならば不可能ではないようです。ですが採算面ではほぼ絶望的ですし、日韓友好とやらの名目の下に採算を度外視するとしても、運用上の問題も少なくありません。
日韓海底トンネルの構想ルートには幾つかの案がありますが、どのルートを選ぶにしても海底トンネルの長さは200kmほどになります。200kmと言えば自動車なら平均速度50kmで走っても、4時間はかかる距離です。ちなみに、房総半島の南端から八丈島辺りまでがちょうど200kmほどになります。
トンネルは、ただ通せば良いというものではありません。地上であっても、長いトンネルになれば内部には排気ガスが充満するのを体験としてご存知の方は多いでしょう。トンネル内に一定の間隔で換気設備が設置されているにも関わらずです。
地上であってもそうなのですから、それが海底トンネルともなれば、更にタフで高性能な換気設備が要求されるであろうことは容易に想像出来ます。さもなければ、海底トンネル内部で渋滞が発生した日には集団排ガス自殺状態になりかねません。
もしトンネル内で交通事故が発生すれば、救急車やレスキュー隊が駆けつけるのも、そこから怪我人を病院へ搬送するのも一苦労です。また怪我人を日本側の病院へ搬送するか、韓国側の病院へ搬送するかという問題も考えられるでしょう。日本人同士でも交通事故ともなれば醜い争いが勃発することは珍しくありませんが、もしその相手が韓国人だったらと想像するだけでも不吉です。
それに200kmものトンネルであれば、当然途中に給油施設や休憩施設を作る必要性に迫られることになります。そちらの運用面についても、課題は山盛り考えられます。
自動車ではなく、列車を通すという話もあります。
カルト宗教である統一協会系のNPO法人日韓トンネル研究会によると、日韓トンネルでは自動車の自走通行は考えておらず、列車に自動車を積んで移動するカートレインを構想しているとのことですが、そうなれば当然利用者には列車の運賃に加えて、自動車の運送料金の負担がかかることになります。
そこまでの費用を負担し交通規則も交通マナーも大きく異る韓国へ自動車で渡りたいと考える日本人が、いったいどれほどいるのでしょうか。
この他にも設置のための工事に関わる環境アセスメント等、日韓海底トンネル構想に関する問題はいくらでもありますが、日韓海底トンネル構想に賛成する人々は、大抵がそういった問題を度外視あるいは極端に軽視しています。
それは博打で勝った金額だけを数える、あるいは散々負け続けているのに、次の勝負で勝てばその儲けでこれまでの負け分を取り戻せる上に、更に儲かると算段する人々に似ています。あるいは日韓関係で、プラスの側面ばかりを誇張して取り上げ、マイナスの側面を一切顧みない人々の思考と酷似するとも言えます。
日韓海底トンネルはこれまで何度も議論され、実際に佐賀県東松浦郡鎮西町名護屋に調査斜孔を穿つなどの実力行使も行われていましたが、昨年1月に韓国国土海洋部が「今後、海底トンネルの建設をめぐる議論がなくなることを期待する」と言うほど経済性がないという結論を出し、それで日韓海底トンネル論議はとりあえず終息したはずでした。しかし冒頭述べたとおり、ここへ来てまたこの議論がゾンビのように蠢き始めたのです。
日本側は概してあまり日韓海底トンネルに積極的ではありませんが、必ずしも消極的とも言えません。現在はほとんど活動していないようですが、それでも一応日韓海底トンネル推進議員連盟という議員連盟が存在し、その中には鳩山由紀夫の名前も見えるのですから、油断していたら何をしでかすかわかりません。
何度も採算性や運用に問題があるとして否定されているのに、採算も運用面での安全性も何もかもなげうって、友好やグローバルなどという耳触りの良い言葉を弄したがる日本人と、日本という蜜にたかり貪りたい韓国人が唱えるのが日韓海底トンネル論議であり、それは日韓友好と極めて酷似するものであるということを、私たち日本人は常識として知っておく必要があると思った日韓海底トンネル論議の再発でした。
日本人の想像を絶する韓国人のレベル
たとえば、先だって書いた「中国の反日暴動と朝鮮思考」の中で述べた「自分が望まないことは起きない」という考えを「朝鮮思考」と書いたところ、「それは日本人にもよくある思考だ」という反応が結構ありました。
これは実は、「朝鮮思考」に限ったことではありません。韓国人のやることなすこと考えることで、嫌悪を感じることの多くは、実は私たち日本人にも備わっているのが普通です。いや、それは日本人と韓国人に限らないでしょう。世界中の全ての国や地域の、全ての人種や民族に普遍的に存在すると言っても過言ではないと思います。
なのに何故わざわざそれに「朝鮮」と付けているのでしょうか。それはそういう習性や性癖や行動が、少なくとも日本人が考えたり行なったりするものとは全くレベルが違うからです。
そういう習性や性癖や行動は、日本人の間では嫌悪されたり忌避されたり、最低限矯正すべき悪癖や反省すべき行ないとみなされるものであるのに対し、朝鮮人の間では「人間らしさ」などと言って矯正や反省をしないだけではなく、場合によっては推奨したり増長させています。
日本人の間で行なわれる「朝鮮的思考」や「朝鮮人的行動」は、そう簡単にある一定のレベルを超えられません。そういう社会的圧力が日本には明確にあります。しかし韓国人の間で行なわれるそれらは、「人間らしさの表れ」として黙認され、相手や場合によっては助長されます。
韓国ウォッチャーの間ではよく知られていることですが、韓国人は自分の子供のわがままを抑えないことが珍しくありません。それどころか、自分の子供がわがままを通そうとする我の強さを喜びます。だから幼稚園などで、自分の子供が他人のおもちゃを奪ったり、遊具を独り占めすることを韓国人の親は咎めません。お互い様とか思いやりという言葉は、他人が自分に対して用いるものであって、自分が他人に用いるものではないというのが一般的な韓国人の認識です。
そのため韓国人は、他人が礼儀を失したり法を破れば、ここぞとばかりにいつまでもかさにかかって責め立てますが、自分が同じことをしても、他人がそれを咎めることは非人間的な思考や行為だと本気で思っています。
あるいは韓国人は嘘つきだと言えば、必ずと言って良いぐらい日韓双方から「日本人も嘘をつく」という反論があります。確か弊ブログのコメント欄にも、本国韓国人からのそういう主旨のコメントがあったと記憶します。
確かに日本人も嘘をつくことはあります。ですが、嘘のレベルが日本人と韓国人では全く違うのです。
まず嘘の頻度が違います。よく韓国人は呼吸するように嘘をつくなどと言いますが、実際に韓国人と接すると、嘘をつかないと窒息死すると思ってるのではないかと思うぐらい本当に頻繁に嘘をつきます。そのためか、日本人的に考えると全く必要とは思えないような嘘もよくつきます。
彼らの嘘は頻度だけではありません。その範囲も広いのです。
以前にも書いたことがあるかもしれませんが、韓国では嘘に対する許容度は大変に広く、例えば結婚しようと思っている恋人の父親に挨拶する際に、「自分は三星の正社員で幹部候補生だ」ぐらいのことは平気で言います。実際には三星の関連会社の下請けの孫請けの取引先に勤めてる友達の親戚が経営している工場の臨時工とかでも、平気で言います。それを聞いた恋人の父親の方も、それが嘘だとわかっていても全く咎めないのです。それどころか、「それぐらいのことが言える男でないと社会でも出世出来ない」などと言って、むしろ歓迎すると言います。
日本人も嘘をつくではないかと言われればそれは確かにその通りなのですが、こんな嘘を結婚しようと思っている恋人の親に言う日本人は稀でしょう。またそんな嘘をつくような相手と自分の娘を結婚させても良いと思う父親は、まず日本にはいないのではないかと思います。
このように韓国人の虚言は日本人のそれとはレベルが桁違いに違うのです。それを単に「嘘をつくという行為」として同一視させようとするのは、私には事実誤認を誘導するものにしか思えません。
日本人と韓国人は、同じような行動や思考をしていても、根っこの部分からそれらの向いてる方角が違うのです。その結果として、到達するポイントも大きく異なります。それを度外視して、「日本人も同じです」というのは、韓国人が非常によく使い、日本人が非常によくハマる日本人籠絡法です。
日本人が朝鮮思考のようなことを考えないとは限りません。日本人にも韓国人のような行動をする者はいます。日本人が韓国人のことをとやかく言う前に、そうやって自らを省みるべきだと言うことを悪いとは全く思っていません。それどころか、今後も保ち続けるべき日本人の美点のひとつであると思っています。それがあるからこそ、日本人は韓国人と全く違っていられるのです。
しかし同時に、日本人のその美点に、隙あらば韓国人が付け入ろうとすることを、私たち日本人は重々知っておくべきだとも、強く思っています。日本人の自省癖は、日本人的には美点ではありますが、韓国人の前では弱味にしかなりません。何もしなくても韓国人はそこに付け入ろうとするのに、日本人自ら韓国人にそれを晒すのは非常に危険です。
弊ブログでは、一般的な単語にわざわざ「朝鮮」と付けることがしばしばあります。それは色んな意味で私たち日本人の想像を絶するレベルであることを表現しているとご理解いただければ幸甚です。