反面教師としては優秀な韓国
さて韓国ですが、ここのところいろいろネタがあるにはあれど、どれもこれもインパクトに欠ける感が否めません。もっとも、それは韓国に悪慣れした私だからそう思うのかも知れませんが。
例えば昨年、かなり話題になった韓国F1GPですが、第二回目の今年も、結構なグダグダはあったものの、どうにかこうにかこなしはしたようです。
が、二度目の開催が終わった現在でもいまだにサーキットの建設費用が払い切れていないことを、韓国GPのプロモーターが明言しております。と言うことはおそらく、末端の作業員等への賃金支払いは大幅に減額あるいは踏み倒されているのでないかと思いますし、なにより興行的な採算が酷く悪いようで、とうとうF1運営の最高経営責任者であるバーニー・エクレストン氏に、開催費用の値下げを交渉したようですが、あっさり断られたようです。
だからと言って、今後国際F1GPを開催しなければ、韓国の、しかもあんな辺鄙で交通の便も悪く、観光インフラも不十分なド田舎のサーキットに観光客が訪れるはずもなく、観光客が来なければいまだ払い切れてないサーキット建設費はもとより、その維持費もままなりません。
何しろ、前述したAUTOSPORTによる韓国プロモーターへのQ&Aによれば、昨年の韓国F1GP開催後に霊岩サーキットを使用した日数はわずかに80日。しかも今年度はそれより更に少なくなるという見通しと言いますから、韓国側F1GPプロモーターとしてはまさに退くも地獄、進むも地獄の状態です。
退くも地獄、進むも地獄と言えば韓国経済も同様で、現在何かと話題のTPPに関連して、米国がその先行モデルと位置づける米韓FTAの批准案が米国議会で可決されましたが、その実態が凄まじいまでの不平等条約であることが判明し、韓国側では大騒ぎになっております。
しかし経済的に事実上の死に体である韓国としては、米韓FTAによるメリットの拡大のみに注目し、たとえ全体としてはそれが毒だとわかっていても、飲まないわけに行かないというのが実情なのでしょう。言ってみれば、飢え死にして死ぬぐらいなら、それが毒だとわかっていても腹いっぱい食ってから死にたいといったところでしょうか。
もっともこれに関しては、日本も決して他人事どころはなかったりします。先日野田総理がTPP交渉に参加すると表明したことで、事態は非常に深刻な方へ向いているようですので、韓国のことを笑って見ている場合ではありません。そういう意味では、米韓FTAとは、韓国が身をもって「やってはいけないこと」を示してくれたと見るべきかもしれません。
他にも韓国関連のニュースは概ね韓国らしさを発揮したもので、予定調和的な安心感をもって見ることは出来ますが、韓国について新たな考察の材料になるものはありません。
インパクトの少ない昨今の韓国関連ニュースですが、それらからも韓国の反面教師としての優秀さを、改めて確認することが出来ます。そういう視点で見れば、私たち日本人が韓国を正しく知り、彼らを以て他山の石と為すのであれば、日本にとっても、韓国の使い道はあると思います。
しかしこの場合、問題になるのは日本人側の問題です。いくら韓国が反面教師、他山の石として優秀であっても、用いる者がそれを正しく使えないのであれば害になるばかりです。
現在のところ日本人の多くは、韓国を正しく知ってはいないし、正しく知ろうともしておりません。ならば、韓国を正しく知るべきと言いながら日韓の離間を唱えるのは矛盾ではないか、日韓が離間すれば尚更に日本人は韓国を知ることが出来なくなるではないかという意見もあるでしょう。
けれど現時点においては、日韓の離間による韓国情報の量的減少よりも、日韓が接触することによる実害の方が深刻なのです。
何故なら、韓国人と接触することで、ほぼ全ての韓国人が保有する「理想の韓国人幻想」に感染する日本人が少なくないからです。「理想の韓国人幻想」に感染した日本人は、他の日本人にも感染を拡大させます。それが如実に現れたのが、現在の日本における「韓流押し現象」と言えるでしょう。
そもそも心配しなくても、日本には韓国を知るための材料も手段も、既に十分過ぎるほどあります。それらを活用して正しく韓国を知ってから、おもむろに韓国(人)との接触を図っても全く遅くないということは、弊ブログをご覧になってから、月見チャットに参加し、日韓チャットを覗いてみたという方には、実感として痛感していただけることと確信します。
忘れてはならないのは、日本にとっての韓国は、あくまで反面教師であるということです。反面教師とは、「悪い見本として反省や戒めの材料となる物事。また、そのような人」のことであって、共感や親近感を持つ対象ではありません。ましてや、共に手を取り合い、助けあうような相手では絶対にありません。
そのことを日本人が周知していない現在、日韓の接近や接触は、少なくとも日本人にとっては、利に比して害が多過ぎることを、重ねて申し上げておきます。
日韓断交は発展的関係解消に向けた1ステップ
即ち、「断交すればたちまち日韓間に巨大なシャッターが降りて、人や物の往来はもとより、呼べど叫べど互いに声も聞こえず姿も見えぬような状態になる」というようなイメージです。
だから日韓断交反対派からは「じゃあ、せっかくの日韓貿易黒字はどうすんのさ!」みたいな意見が必ず出てくるわけですし、日韓断交賛成派は「断交したら韓国人が日本に一切来なくなる♪」と思ってる人が少なくないわけです。
まず最初に申し上げておきますと、国交の有無に関わらず、人や物の往来は十分可能です。ですから、断交すれば在日韓国人が帰国出来なくなるというのも大きな勘違いです。それは在日台湾人や在日北朝鮮人の存在を思い出していただければ、容易にご理解いただけると思います。
国交とは、国と国との正式なお付き合いのことになります。即ち、互いの国に大使を派遣し、大使館を設置します。大使館や領事館は国際法において本国の領地と同一にみなされ、不可侵権を持ちます。大使は現地で国家を代表して外交の最先端を担うほか、現地の邦人保護や領事サービスなどを行ないます。
つまり国交がない国では、邦人保護や領事サービスなどが出来ないため、現地でトラブルが発生しても、日本国政府として自国民保護のための迅速な対応が出来ないだけです。
例えば、韓国で犯罪被害に遭った場合、加害者も警察も韓国人です。もし裁判になれば、裁判官も当然韓国人です。警察官に財布を盗まれたと訴えても、「日本人?日本は昔ウリナラを盗んだんだから、財布を盗まれたぐらいでガタガタ言うな」と言われるぐらいならまだしも、気がついたら自分が加害者に仕立て上げられても全く不思議はありません。何しろ国ぐるみで、日本から盗んだ竹島を、「日本が盗みに来るニダ!」と大騒ぎする国なのですから。
しかし、日本と韓国は国交がありますので、そういう場合には現地の大使館員や領事館員がフォローに来てくれる期待が持てます(大使館や領事館と連絡が付けば、ですが)。もし同じような事態が北朝鮮で起きれば、日本人当事者は現地人の言うがまま為すがままにする以外ありません。
あるいは、日本人が韓国で行方不明になった場合、韓国政府に対して駐韓日本大使が捜索の協力を求めることが出来ますし、また大使館員や領事館員が現地で独自に調査や情報収集をすることも可能です。
日本人が北朝鮮で行方不明になれば、日本政府から北朝鮮政府に「探せ」と言うことは出来ますが、それに応じるかどうかは北朝鮮政府の気分次第です。北朝鮮政府が動かないからと言って、現地で日本人が独自に情報収集や調査をしようとすれば、例えそれが日本政府から派遣された役人であろうと、たちまち北朝鮮の官憲にとっ捕まってお山(=強制収容所)送りになるでしょう。
要するに、国交がないと現地で自国民がトラブルに遭った場合に、その保護も相手国の意に委ねるしかありませんし、そもそも友好親善を進めるにも相手のことがよくわからないし、十分に調査することも難しいということになるわけです。
ですから、私たち日本人に好意的だったり文明人的対応をしてくれる期待が十分に持てる国であれば、国交がなくても実際上の不便はさほどないかもしれません。しかし私たち日本人に敵意や悪意を持っていたり、文明人的対応をしてくれる期待が持てない国であれば、国交があっても現実的にはあまり意味がありません。
韓国という国が前者か後者かは、弊ブログをご覧の方なら十分にお分かりでしょう。
なまじ国交があるばかりに、「韓国なら国内旅行みたいな費用と日数で海外旅行が出来るわ♪」なんてお馬鹿さんと、そのお馬鹿さんを狙った旅行商品が後を絶たないわけですし、韓国側の求めるままにどんどん韓国人の日本滞在条件を緩和して、無査証で90日もの長期滞在を可能にしてしまうのです(90日ごとに数日韓国に帰国すれば、無査証で1年以上の滞在も可能)。
個人であれ企業であれ国家であれ、日本にとって韓国と付き合うことは、往々にしてメリットよりデメリットの方が大きいというのは、弊ブログをご覧の方ならお分かりいただけるでしょう。
かつては防共の砦とか、中国による軍事的圧迫からの緩衝地帯等、日本にとって韓国が一定の使い道があった時期も確かにありました。しかし、今やその使い道も事実上ありません。
日本にとって韓国との国交は、百害あって一利なしとまでは言いませんが、たとえ一利や二利あるとしても、それが百害を補って余りあるほどのものとは思いません。
弊ブログで主張しているのは、日韓の発展的関係解消です。前述したとおり、日韓断交したからと言って、直ちに日韓間が閉ざされるわけではありません。
そういう意味で、日韓断交はあくまで日韓の発展的関係解消に向けたひとつのステップであり、日本国としての韓国に対する姿勢と意思の表明であって、決して最大最終の目標ではないということを強調して申し上げておきたいと思います。
韓国のトンデモを俄に信じることの危うさ
そのコメントに対して、既にコメント欄にて回答されている方がいらっしゃいますので、私からのご返事は省略しようかと思ったのですが、また同じようなコメントがあった場合のことを考えて、やはり私からも簡単にご返事申し上げておきます。
まずご指摘の、「日本の支援を失った韓国が中国勢力圏に入り国防リスクが跳ね上がる可能性がある」という件ですが、既にコメント欄で言及されているように、既に現在の軍事技術は、当事国同士の距離やその間にある障壁をあまり問題としなくなっております。
更に加えて言うならば、最も国防リスクを高めるのは「味方のふりをした敵と組むこと」だと私は考えております。いわゆる「背後から撃ってくる奴」です。
もし韓国が中国に組み込まれた場合、特亞三国は三位一体状態になります。今までなら日韓VS中鮮という形でしたが、韓国が中国に組み込まれれば日VS中鮮韓となります。単純に国同士の数で比較すれば2対2から1対3となるわけですから、「薄っぺらい」「上っ面」だけを「浅く」見るなら、確かに脅威の強さは跳ね上がります。
しかし日本とタッグを組んでいるとされているはずの韓国は、いつ日本を裏切るかわかりません。現場ではそれこそ、「日本兵二名で一名の韓国兵を入れて行動」しても、いつ隙を見て襲いかかってくるかわからないのです。
戦闘時において敵の戦力を削ぐのに効果的な方法は、敵兵を皆殺しにするよりも、敵兵の何割かを半殺しにすることだそうです。何故なら、直ちに死ぬほどではない負傷者が出れば、救出・看護の必要性が生じて、自ずからその部隊の戦力は大きく削がれることになるからです。皆殺しにするのと比べれば、コスト的にも労力的にも、少ないペイで大きなリターンが見込めるわけです。
日本が韓国と組むということは、負傷者がいなくてもそういう状態を自ら作り出すことにほかなりません。更に言えば、韓国軍の仮想敵軍が北朝鮮軍ではなく、日本の自衛隊であることも、私たち日本人は知っておくべきです。
つまり韓国は最初から、もちろん現在でも、日本の味方ではありません。韓国を味方にカウントして日本の国防を考えれば、ライフジャケットと思って着用して海に飛び込んだら、ウエイトジャケットだったでござるの巻になるでしょう。
次に「日本の対韓輸出・輸入企業が大打撃(韓国は確か日本の貿易輸出先の3位くらい) 」ですが、それは前回記事中で既に言及しております。是非今一度、当該記事をご精読ください。
って言うか、上記二点は既に過去記事中で言及しております。それについては「というようなことは、これまでにも何度か述べてきました」と書いて明確にしていたつもりなんですが、弊ブログはまもなく1000に届くほどの数の記事がありますし、その点だけをまとめて書いた記事はありません(多分w)。ですので、「日韓断交した場合の日本側のデメリット」についてコメントされた方は、該当する内容を探すのが面倒だったのでしょう。記事数が多いというのも考えものです。
そういう方の為に、弊ブログにはブログ内検索も設置しておりますが、もしどうしても記事を探すのが面倒臭ければ、月見チャットでダイレクトにご質問いただくという手もありますので、よろしくご検討ください。
さて、先だってその月見チャットで話題になったことですが、嫌韓というスタンスの難しさについて、思うところを述べたいと思います。
最近、週刊ポストに韓国起源説ウリジナル論についての記事が掲載されたようですが、Web版でも読むことが出来ます。
・韓国が起源だとする主張「ウリジナル」に秋田犬や“日本”等
・韓国の学者による「○○の起源は韓国」発言は評価されるため
・「寿司、醤油、味噌、うどんの起源は韓国」と一部韓国人主張
これらの記事の内容は、弊ブログのご覧の皆様にとっては今更感に満ち溢れたものだと思います。が、韓国について関心が薄かったり、あるいは全くない人、韓流に浮かれて韓国の実態を直視してない、もしくは何らかの理由で直視出来ない人には、案外驚きの事実なのかもしれません。
ところで、【「寿司、醤油、味噌、うどんの起源は韓国」と一部韓国人主張】という記事では、韓国人がウリジナルを主張する理由を以下のように推察しています。
禅と同じで、アジア各地に同じような文化があるのに、欧米で日本のものだけが有名であることに腹を立てた韓国人が、「我が国にも似たようなものがある」というだけでは収まらず、「日本のものは偽物。韓国が本物」と極端に走った話なのだろう。 |
韓国に関心が薄かったり、全くなかったりする人や、韓流に浮かれて韓国の実態を直視してない人、直視することが(何らかの理由で)出来ない人には、この説明でさしたる違和を感じないのかも知れませんが、韓国人をある程度知る者にこの説明は、如何にも隔靴掻痒です。
しかし同時に、あまりに現実に沿った的確な説明も、如何なものかとも思います。
朝鮮関連は、日本人の感覚では俄に信じがたいことが山盛りあります。何故そうなのかという理由や背景を勘定にいれても、日本人には俄に信じられないということが珍しくありません。
例えばそれが近代化が始まる前後の、朝鮮儒教と土着の迷信に満ち溢れた過去の朝鮮の話ならば、ある程度しかたないと思えなくもないでしょう。もしくは衣食が足りなくなって礼節どころの話じゃなくなって、李氏朝鮮時代に逆行しつつある北朝鮮の話というなら、これもまたしょうがないと思える部分があるかもしれません。しかし、上っ面だけでも文明国のふり(と言うか日本のふり)をしている韓国でさえ、その意識と実態は近代化が始まる前後の朝鮮とさして変わりがないのです。
しかし21世紀になって早10年が過ぎた現在、そんなことを言っても、それこそ「日本人的感覚」では、俄に信じることが出来ません。
何しろ目に見える韓国は、一般人が航空機に乗って自由に海外旅行をすることが出来、高層ビルの立ち並ぶ街には自動車が溢れ、行き交う人々の手には携帯電話どころかスマートフォンが握られ、PCを使ってインターネットに接続し、自由にワールドワイドウェブを閲覧出来、世界中の人々とコミュニケーション可能な韓国人が、まさか100年前の、近代化前後の朝鮮人と変わらぬ意識だなどとは、「日本人なら」誰だって俄には信じられないでしょう。
逆にそれを「俄に」信じてしまう人の方が、問題があるかもしれません。そういう人は、何も知らないうちから「朝鮮人はそういうものだ」という先入観と言うか、「侮っている」可能性が高いからです。
確かに「朝鮮人とはそういうもの」です。しかし、きちんと知った上でそう結論付けるのと、ろくすっぽ知りもせず侮ってそう考えるのとは、似ているようで全然違います。それに「俄に信じてしまう人」というのは、「きちんと知ること」が出来なくなる傾向があると思います。
一言で嫌韓と言っても様々ですが、大きく二分すれば、「事実を知った結果として韓国人の欺瞞が許せなくなる」という人と、「韓国人の欺瞞が許せないから、事実を知りたい」という人に分けられるでしょう。
韓国人のトンデモを「俄に信じてしまう人」というのは、概ね後者です。何故なら、「俄に信じてしまう人」には、「韓国人は欺瞞に満ちている」という前提が最初から確立しているので、その理由や説明がどんなものであっても「韓国人は欺瞞に満ちている」と言えれば良いわけです。極論すれば、その「理由や説明」が本当に「事実」かどうかさえ、さして重要な問題ではありません。虚偽や、事実とは言えないほどの誇張でも、それによって「韓国人は欺瞞に満ちている」と言えるのならば、「俄に信じてしまう」傾向があります。
それの何が問題なのかと思う人もいるでしょう。実際問題として韓国人はトンデモだし、結局結論が「事実を知ったから韓国人の欺瞞が許せなくなる人」と同じなら、結論に至る過程で、論や考察の構築に多少の後先があったって良いじゃないかと思ってしまう人も、いるかも知れません。
しかしそれを許容してしまうのであれば、「日本は絶対悪」という確立した前提の下ならば、日本に関する如何なるトンデモ理論であっても「俄に信じてしまう」韓国人と、どう違うのでしょうか。
その違いは、今は誤差の範囲で、短期的な結果としては大きな違いがないかも知れません。ですが根っこで生じたわずかな誤差は、先端へ行けば極めて大きな差異になります。根っこから先端の距離が長ければ長いほど、その差異は大きくなります。その差異の結果が、現在の日本人と韓国人の違いではないでしょうか。
ブログ月見櫓では韓国人のトンデモを説明したり紹介したりしているのに、「韓国人のトンデモを見聞きしても俄に信じるな」などと言うのは矛盾ではないかと言われるかも知れません。
しかし「韓国人は欺瞞に満ちている」というのは、結論であって前提ではありません。その結論に至るためには、辿らねばならない過程があります。それを省略してしまうのではそれこそ本末転倒ですし、韓国人と変わらないと言われてもしかたがありません。
弊ブログではそう考えて、韓国人のトンデモを紹介しつつ、それを俄に、つまり無批判に信じないように、ぐだぐだとまどろっこしい説明を続けているのだとご理解いただければ、幸甚に存じます。
なお「韓国人の欺瞞を許せないから、事実を知りたい」という人について、非常に端的に現しているのがこちらです。よろしければご参考までに。
日韓スワップ協定拡大の報に思う
特に野田首相に限ったことではないのですが、日本人の中には頑迷に「日韓は運命共同体」とか、「日韓は共存共栄を目指すべき」などと信じている人が意外に多いようです。
何故そこまで韓国との関係を維持・強化したがるのか、そうすることで日本側にどのようなメリットがあるのかの具体的な説明は、今のところ見たことがありません。
弊ブログでは、随分前から「日韓断交した場合の日本側のデメリットについて教えてください」とお願いしているのですが、これも未だ明確な説明はありません。
ただ情緒的に「日韓は隣国同士なのだから」とか、「日韓は歴史的に関係が深いから」などと言うか、さもなくば多少それらしい答えとしては、「日本がどれだけ韓国に儲けさせてもらってると思ってるんだ」などというぐらいでしょうか。
まず情緒的な意見は、考察に値しません。個人的な情緒を国家間の関係に持ち込まれるのは迷惑です。
次に日韓貿易黒字についてですが、確かに日本は韓国相手にかなり儲けてはおります。が、それがないとたちまち国が傾くというほどではありません。しかも日本から韓国に流出した技術やコンテンツによる損失は、一切勘定に入っておりません。韓国がその技術やコンテンツを用いることによって、日本が奪われた市場がどれだけあるかも、当然勘定に入っておりません。損失や経費を一切勘定に入れず、獲得出来た利益ばかりを数えるならば、競馬やパチンコでも蔵を建てることが出来ます。
というようなことは、これまでにも何度か述べてきましたので、これ以上は申し上げません。日韓関係における日本側のメリットの解説や、日韓断交推進論に対する反論は今も鋭意受付中ですので、我こそはと思われる方は是非ともご高説をお願いしたいと思います。
もっとも、今までの例から言って【ご高説】を垂れる方が訪れる期待はほとんど持てません。しかし、「日韓関係における日本側のメリット」がある(と信じている)からこそ、現実的に日本政府がここまで韓国を慮るような態度に出るわけです。
まさか日本政府が、日本の国益を一切顧みず、韓国の国益だけを慮って日韓関係を維持・強化しているということはないでしょう。いくら民主党政権でも、そんなにわかりやすい売国をすれば、言い逃れのしようがありませんし、韓国に対する宥和政策は、別に民主党政権になってから俄に始まったことではありません。
歴史を振り返れば、日本はほぼいつの時代も、朝鮮半島に対して宥和的な政策を取り続けてきました。その最たる理由は、やはり朝鮮半島が隣国だからでしょう。
海を越えることが困難であった時代に、日本から太平洋を越えて他国と交流するということはほぼ考えられませんでした。ですので、日本海は隣国に対する障壁であると同時に、最大の流通ルートでもありました。
その日本海を渡って、直接大陸へ行くルートも存在しましたが、朝鮮半島は対馬を経由すれば距離的にかなり近いということもあり、かなり重要で安定的なルートとして認識・活用されていたことも確かです。
その時代の日本人の意識においては、朝鮮半島はいわば大陸への玄関口であり、そこの住民を懐柔しておくことは、大陸へのルートを確保することでもあったのでしょう。
更に戦後、南北に分断された朝鮮半島において韓国が防共の砦とされたことも、たとえ日本が多少の経費を負担してでも、韓国を維持しなければならないという意識の根拠になりました。これは何も日本だけの意識ではなく、アメリカも同じだったでしょうし、共産主義陣営では北朝鮮に対する中ソの意識も全く同様でした。
思うに、今も日韓を運命共同体と言いたい日本人とは、こういう時代遅れの意識をいまだに濃厚に持っている人々ではないでしょうか。だからこそ、日韓関係の維持・強化が、問答無用で当然の前提となっているのではないかと思います。
しかし既に日本海は隣国に対する障壁たり得ず、同時に重要なルートでもなくなりました。防共的な意味では、韓国は既にかなり赤化されており、日本がこのまま関係を維持することは防共とは逆の効果を生みかねません。
そのことに気づいてないか、あえて気づかぬふりをしているか、気づいてても今まで通りのやり方を変えると、その責任を負わなければならなくなるので、黙って今まで通りのやり方でやってる方が無難だと信じている人々が、日韓関係を維持・強化せよと主張しているのではないかと思います。
もちろん、韓国人に接待漬けで籠絡されて日本の国益を蔑ろにしたり、韓国人配偶者を得たことで、日本より韓国とのシガラミの方を優先しなければ、自分の配偶者や家族や親戚に累が及ぶおそれがあったり、血統的に韓国人が混ざっていることを知って、日本よりも韓国にシンパシーを抱いているという人々も少なくなく、現実的にはそういう人々の方が日韓関係を維持するための影響力を強く持っているであろうことは、言うまでもありません。
いずれにしても日韓関係を維持・強化すべきと主張する人々は、現実を直視していないか、夢想に溺れているか、極めて近視眼的且つ視野狭窄的か、利己的且つ独善的か、さもなくば限りなく情緒的な理由で主張しているのだろうと思います。
今回の日韓スワップ協定の拡大は、そういう人々が日本の政府や経済界の中枢に、今も少なくないどころかかなり多く、しかも大きな力を持っているということが改めて露呈したということと見て良いのかもしれません。
日本が韓国に食い潰されるのが先か、それとも日本人が韓国との関係を極力断つべきと気づくのが先か、まことに、チキンレースな様相を呈してきた日韓関係であるなと、今回のスワップ協定拡大の報を見て脱力しつつ思った次第です。
迎合的【理解】ではなく、正しい理解を
それは例の「ピザの起源は韓国」という話題についてでした。知人は真顔で私に「韓国人は本気でピザは韓国起源で、イタリアが韓国からそれを盗んだと思っているのか?」と聞きました。
そこで私は、まず基本として、それは韓国のピザ屋(正確には在米の韓国系ピザ屋だそうです)の宣伝であり、一応ジョークであるという前提になっていることを説明しました。
それがジョークCMであるということを聞いて、一旦納得しかけた知人に私は説明を続けました。
韓国が他国、ことに日本の文物をパクるのは、韓国の基礎知識と言っても良いほどよくあることです。だから韓国人がピザの起源を主張することは、韓国を知る人には全く洒落にもジョークにもなりません。韓国を知らない人にとっても、ピザの起源主張をするだけならまだしも、マルコ・ポーロを泥棒呼ばわりしたり、イタリアにピザを盗んだことの謝罪を求めるというのは、やはり洒落にもジョークにもなりません。
逆に考えてみると良いでしょう。
誰が見てもそれは韓国起源に決まり切っていて、他国が起源主張しても誰も信じないようなコンテンツ(具体的にどういうものがあるかは俄に思いつきませんが)を取り上げ、「これは韓国が我々からパクったものだ」と公言し、それに関連する歴史上の特定の韓国(あるいは朝鮮)人の肖像画にバツ印を付け、「韓国人は泥棒だ」というキャプションを付けたプラカードを持って街を練り歩けば、たいていの国の人はそれをジョークとは解釈しないでしょう。もちろん、韓国人であってもそれを、斬新で面白いジョークだと思う者は極めて少ないはずです。それどころか多くの韓国人はたちまち激怒して、事実無根だ誹謗だ中傷だサベツだ宣戦布告だサイバーデモだと、火がついたような騒ぎになるでしょう。
ならば、それが事実に基づいておればどうでしょうか。
日本は韓国に、実にさまざまなものをパクられています。日本が韓国にパクられたものを比較列挙していくだけで、本が一冊書けるほどでしょう。
もし韓国にコンテンツをパクられた日本の会社が、「我が社のホニャララは、韓国にパクられましたが、韓国からは何の謝罪もありません」などという広告を作り、ある程度知名度のある歴史上の韓国人の肖像画にバツ印を描いて「泥棒」とキャプションを付したプラカードを掲げ、練り歩く人の姿をCMに使えばどうなるでしょうか。
そんな広告が出れば、韓国から烈火の如き激怒が向けられるのはまず当然として、それ以上に日本側が、その会社の品位を疑うでしょう。
TPOにもよりますが、日本ではたとえそれが事実であったとしても、他者や他国を無闇と泥棒呼ばわりすることは、品が良いとは言えません。ましてや「冗談で」他者や他国を泥棒呼ばわりすることは、日本人の感性では、全く冗談になりません。
これがために、韓国について語る時はどうしても及び腰になるほどです。先にも述べましたが、韓国のパクリ癖は非常に激しいという事実があります。韓国を知る者にとっては、基礎中の基礎知識と言って良い韓国のパクリ癖ですが、韓国を知らない人にこれを説明する際、「韓国(人)はパクリ魔」と簡潔且つ端的に言ってしまうと、そう言った者の品位が疑われてしまうおそれが非常に強いのです。品位を疑われてしまうと、その発言内容までもが疑われてしまうことになります。それで元も子もありません。
故に、自分の品位を保ちながら韓国のパクリ癖を説明しようとすれば、どうしても搦め手から回りくどく説明せざるを得ません。これが韓国理解を広める障壁になっていると言っても良いぐらいです。
それなのに、韓国が他者や他国を無闇と泥棒呼ばわりしても、韓国ではそれは冗談で通じるのだと言えば、それ以上深く考えずあっさりそうなのかと素直に納得する日本人は多いのです。
日本ではあり得ないことでも、韓国側から「文化の差です、理解してください」と言われれば、素直に【理解】したつもりになる日本人は、一般的です。韓国人から言われるまでもなく、勝手に「韓国ではああいうことも冗談で通じるのだな」と、【理解】したつもりになる例も多いのです。
しかしこれは、理解ではなく【迎合】であると思います。もしこれが本当に理解であるならば、その理解に基づいた日本人の韓国(人)に対する結論は自然と、「日本人とは相容れぬ国であり人々である」となるはずです。
ところが、こういう【理解】をした人が、そういう結論に至ることはあまり多くありません。「そういう人々なのだと【理解】して許容すべき」という考えになることの方が、ずっと多いでしょう。
先に述べた我が知人も、全く同様でした。あのピザのCMは、韓国人的にはジョークなのだよと言えば、たちまち「なるほど」と納得してしまおうとしました。
違うよ、そこから考えなきゃいけないんだよと説明を続け考察を促して初めて「あっ・・・」と気づいたようでしたが、もし私が説明を端折り、考察を促さなければ、その知人の中では、あのピザのCMは韓国人的にはジョークなのだから、別に大した問題ではないのだと【理解】されてしまっていたでしょう。
韓国を正しく理解するには、ある程度の不快さを甘受する覚悟が必要になります。ですが何気なく漠然と考えてることに、普通はそんな覚悟を持ちません。故にあまり深く考えない人ほど無意識に、不快な考察や結論を避けてしまい、韓国について理解したつもりで、【迎合】してしまうのでしょう。
更に日本人のそういう考察姿勢がまた、韓国人にとっては絶好の付け入る隙になるという構図があります。
目先の不快を避けるために、相手の言うことに出来るだけ逆らわず、深く考えることもせず適当に受け流していたら、いつの間にか相手がストーカーになってたとか、モラルハラスメントを受けてたということは、普通の生活をしていても案外珍しいことではありません。
日韓関係もまた、それと同じことだと私は考えています。
一般的ではないがわかりやすくはある
前回記事のコメントを拝察すると、どこにあるのか少々わかりにくいとお感じの方が結構いらっしゃるようなので、改めてご案内いたしますと、弊ブログ右サイドバーにある「月見チャット」(折りたたんでおりますので、「OPEN」をクリックして開いてください)から「月見チャットのご案内」へ飛んでいただき、「月見チャットログ保存庫」のタブをクリックしていただければ、【元留学生】ログがご覧いただけます。
既にご覧になった皆様からは幾つかご意見を頂戴いたしておりますが、意外に好評と言うか、驚きをもってご覧になった方が多かったように感じます。
実は私としては、【元留学生】のログはこれまで弊ブログで掲げてきた日韓チャットのログと、傾向的にほとんど変わるところがないので、きっとご覧になった皆様の反応も同じようなものだろうと思っておりました。
つまり、ログにあらわれた朝鮮人の素っ頓狂さを面白がっていただける方ばかりではなく、「友好を求めてやってきた韓国人に、わざと喧嘩を吹っ掛け、弄んでいる極悪日本人」と、私たちの方を非難する方がチラホラいらっしゃるのではないかと予想しておりました。
ところが今回、案に相違して私たちを非難する声は皆無です。正直、どんな場合でも、日本人側には完全無欠の無謬性を求め、韓国人側には能う限りの寛容をもって当たるべきと言う方が必ずいると思っていた私には、これは少々意外でした。
日韓チャットの韓国人と、月見チャットの【元留学生】とで、異なる点は幾つかあると思いますが、最も大きな相違点は「翻訳を介したチャットであるか否か」でしょう。
日韓チャットでは韓国人が発言を咎められると、「翻訳が間違えましたね」「翻訳のミスですね」と言い逃れることが非常にしばしばありますし、また韓国人側も私たちの発言の中の単語や、その音から連想するイメージに反応して、あらぬ方向に暴走し始めることがあります。
あれは決して翻訳の問題ではないと私などは確信しているのですが、実は日本人の中にも、あれは翻訳の問題であると理解している人が結構いるのではないでしょうか。
しかし今回の【元留学生】ログは、翻訳を一切通さない素の日本語であるために、翻訳を韓国人擁護や日本人批判の理由に使うことが出来なかったのではないかと推察しております。
ところで今回、非公開コメントにて「保守系ブログを荒らしまわってたコメント投稿者と【元留学生】の発言傾向に共通する点が多い。同一人物ならば共通点が多いのも当然だが、別人であれば「一般的な朝鮮人」というものがあるのだろうかと不思議に思う」というご意見を頂戴しております。
そこでその非公開コメントでご紹介いただいた「保守系ブログ荒らし」の紹介ページを拝見致しましたが、残念なことに(と言うのが適切かどうかに迷いはありますがw)、「保守系ブログ荒らし」が使用しているプロバイダと、そこから推察される居住地は、【元留学生】のそれとは全く異なります。つまり、【元留学生】は、ご指摘の「保守系ブログ荒らし」とは全くの別人である可能性が極めて高いと思われます。
しかしながら【元留学生】が、一般的な朝鮮人であるとは言いません。あれは、日韓チャットの量産型韓国人の傾向から見ても、激しく強くキチガイ寄りです。あれを「韓国人、あるいは朝鮮人のスタンダード」と言うのには、少なからぬ語弊があるでしょう。
ただし【元留学生】を、「一般的な朝鮮人にありがちな特徴を煮詰めて凝縮したようなものである」と言うことは出来ます。あるいは、【元留学生】の言動は【一般的な朝鮮人】の言動をデフォルメしたものであると言い換えても良いでしょう。
あそこまで露骨に、わかりやすく「朝鮮人らしさ」を露呈する韓国人は、実際にはそんなに多くありません。しかし、あのわかりやすい「朝鮮人らしさ」を知っておけば、そこから発するある種の「臭い」を知ることになります。
「朝鮮人臭」というのは口頭や文章で説明しても俄に信じる事が出来なかったり、大袈裟に考えてるだけのように思えたりして、その「臭い」に無意識にストレスを感じることはあっても、なかなかその「臭い」を「臭い」として認識することが出来ません。ですが一旦その「臭い」がどんなものかを知れば、韓国人がどんなに繕っても隠し切れない「朝鮮人臭」を、比較的早く察知することが出来るようになれるでしょう。
何度でも言いますが、朝鮮人を変えようと思っても無駄です。彼らは変わりません。どんなに日本人側が誠実に、好意的に接しても、彼らは必ず私たちを侮り、利用し、陥れようとします。それが彼らの正義であり、道徳であり、行動原理なのです。ですから、私たちの方が彼らに対する態度を変えない限り、日韓関係の今後に変化はあり得ません。
それを知るという意味で、【元留学生】君は大変良いサンプルであると思いますので、まだご覧でない方は是非一度、お時間を作ってご覧になることをお勧めします。
なお、【元留学生】ログ中で、【元留学生】君が当該ログをどこぞに転載する報告する、絶対するとほざき倒しておりましたが、今のところそれらしき形跡はありません。
私としては、弊ブログで公開しているログと、【元留学生】君が公開したログとを比較することで、どちらかがログの改竄などを行なっていないかどうか検証することが出来るので、是非転載先を知りたいのですが、残念ながら今のところ見当たりません。
あれだけの啖呵を切って見せたのですから、【元留学生】君本人からの転載報告も大いに期待しているのですが、彼はあの後、10月11日22:38に月見チャットに来て一言「よ!朝鮮人達、今夜も一晩中ファビョルの?ワラwww」と言った直後に入室してきた私の姿を見て逃げ出して以後、月見チャットはもちろんのこと、ブログ月見櫓の方にもお越しになった形跡がありません。
ですので、もしそれらしき記事やコメントをどこかで見かけられた方がいらっしゃいましたら、是非弊ブログまでお知らせいただきたいと存じます。
高濃度な朝鮮人のサンプル
その「不思議なコメント」の投稿者は、【元留学生】のハンドルネームで、最初のコメントでは海外で特亞人をやり込めた体験談を、一見まともな人かと思わせる文体で書いているのですが、その翌日、同じ【元留学生】の名前で投稿したコメントは、前回のコメントとは脈絡が全く繋がらない上に、中の人が違うのではないかと思わせるほど印象の異なる文体です。
このふたつのコメントの間に、一体何があったのでしょうか。
実はこの【元留学生】、このふたつのコメントの間に月見チャットに来ていたのです。
【元留学生】の最初のコメントは、一見、嫌韓嫌特亞な日本人に受けそうな、比較的ありふれた体験談です。実際、月見チャットに参加しておられた皆さんは、この【元留学生】を概ね好意的に受け入れておりました。
しかし、どうもこの【元留学生】、チャットでの受け答えに違和感がつきまといます。どういう違和感かと言うと、この【元留学生】、チャットなのにまるでコメント欄や掲示板のような発言を繰り返すのです。
つまり、その場に幾人も人が居て、賑やかに会話をしているにも関わらず、その存在を無視し、そこで行なわれている会話に入ろうともせず、もちろん会話の流れなど一切斟酌せず、ただ嫌韓系動画のURLをベタベタと貼り続けるばかりなのです。
チャットの参加者が気を使って、【元留学生】が提示した動画内容に関連した話題を振ってもまるで応じません。【元留学生】を名乗ってるぐらいだからと、どこに留学してたのかと聞いても無視です。
言うことといえば、月見チャットの参加者なら既に常識として知っているようなことを、さも得意気に並べ立てるばかりです。しかたないので、それに関連した話を振っても、上滑りな反応しかありません。
チャット初心者のようなので、きっとまだ要領がつかめないのだろうと参加者が気を使っている内に、この【元留学生】、ずんずんと付け上がり始めます。
詳細はチャットログをご覧いただくとして、結論としては、私はこの【元留学生】を朝鮮人と確信しております。
たとえどれほど当人が自分は日本人だと言い張ろうと、その言動があまりにも朝鮮人過ぎて、生粋の朝鮮人でもあそこまで朝鮮人らしさをひけらかす朝鮮人は滅多にいないのではないかとすら思えるほど濃厚に朝鮮人なのです。それほどまでに当の本人が、自ら朝鮮人であることをひけらかしているのですから、それ以外に考えようがありません。
その正体が混血か帰化人か在日か、はたまた生粋の本国人かまではわかりません。が、これほどまでにわかりやすい朝鮮人のサンプルは、日韓チャットでもめったに採取出来ないと思います。
そこでそのログの保存を兼ねて、「月見チャットのご案内」にUPしておきます。
なお、今回のログは大変に長いため、3分割しております。
まず1では、「元留学生」の登場とその上っ面な発言の傾向をご覧いただけます。2では、【元留学生】が突然態度を変えると言うか、メッキが剥がれると言うか、正体がバレると言うか、息が続かなくなったと言うか、8割程騙せたのでパぺクトと思ったのか、その朝鮮人らしさを唐突に露わにします。3では、チャット参加者にタコ殴りにされたためか、しばらくの間鎮静を通り越して沈没していた【元留学生】を追放したのがきっかけとなって、日韓チャットではお馴染みの、何度追放されても延々と再入室を繰り返す、チャットにおける韓国人特有の抵抗表現、「病身舞」を始めるところがご覧になれます。
この「病身舞」、日本人は絶対と言って良いほどやりません。何故なら、日本人のメンタリティではこの「病身舞」、やればやるほど惨めで恥ずかしくなり、耐えられなくなるからです。ところが韓国人は、こういう行為を大変積極的に行ないます。例えば、電動車椅子でエレベータに乗ろうとしたところ、目の前でドアを閉じられてしまった韓国人が、憤りの余り閉じたドアに電動車いすでアタックを繰り返し、ついにこれを突き破るのも、全く同じマインドの表れと思っていいでしょう。これが出来、しかもやって一切恥じないという時点で、朝鮮人確定です。
3分割してはおりますが、そのひとつひとつもかなり長いログになります。ですがこの3つのログをすべて読破すれば、朝鮮人特有の複雑にねじれもつれた劣等感、濃厚で高純度の朝鮮侮りと、それによってどうにかして自分を保とうとする切迫感、その他日韓チャットで私たちが長年うんざりするほど見せつけられた韓国人の負の感情を、【元留学生】たった一人で、たっぷり堪能することが出来ると確信します。
しかし、日韓チャットでもここまで濃厚な朝鮮人らしさを見せる韓国人は、過疎化が進んだ昨今では、そう簡単には遭遇出来ません。当該ログ中にチラホラ散見される「kimono」というハンドルネームの日韓チャット常連韓国人(おそらく、以前mccartと名乗っていた韓国人と同一人物)が、日韓チャットの韓国人の中では、韓国人からも毛嫌いされるほど突出したキチガイなのですが、それと極めて近いタイプです。
日韓チャットでもあそこまで濃厚に朝鮮人臭をまき散らす韓国人は少なくなったというのに、まさか我が月見チャットに出没するとは思っておりませんでした。それが良いことなのか悪いことなのかはよくわかりませんが、月見チャットを設置した甲斐はあったということなのかもしれません。
最悪の敵対者とは
確かに彼らは、日本人とは相容れることのない敵対的存在です。ですが彼らだけなら、そんなに対処に苦しむことはありません。取り扱い方法を知っていれば、案外彼らは御し易いのです。
実は彼らへの対処で最も厄介なのは、彼らそのものよりも、彼らに加担し、支援する者どもです。
彼らに加担する者は、案外少なくありません。何故彼らは、何度も国を滅ぼし、民を損ない、やることなすこと8割でパぺクトを続けてきたのに、今日まで存在し続けてこられたのでしょうか。歴史を振り返れば明白ですが、必ず彼らに加担し、援助する者がいたからです。
その援助はもちろん、必ずしも無私無償の善意とは限りません。それどころか、その援助が韓国人にとって屈辱的だったり、強い痛みを伴ったりするものであったことも多かったのが事実だと思います。そもそも韓国人は、たとえ無私無償であっても「支援を受ける」ということそのものに劣等感を抱き、それを「恨」とします。しかし、たとえ韓国人にとって屈辱的であろうと痛恨であろうと、その援助があったからこそ、あの彼らが今まで存続し得たと私は考えています。
実際に韓国人と接することがあれば、その危険性と共に対処の仕方も、嫌でも学習します。慣れれば彼らへの対処は、それほど難しいものではないというのは、先に述べたとおりです。しかし情報の伝達方法が限られていた頃に、彼らがそういう生き物であることを知ることは、実際に接する機会がない人には困難であったでしょう。ですから、彼らがそういう生き物であることを知らずに援助するのは、ある程度しかたのないことだったと思います。
ですが今は違います。少なくともこのブログをご覧の方なら100%、彼らを知るための情報を探し、知識を蓄えることが可能です。それをしないで韓国に加担する者、それをしても尚韓国に加担する者は、日本にとって韓国以上の敵対者と考えて良いのではないでしょうか。
例えば象使いが象を操るのに手鈎を用いるように、馬を調教する際に鞭や拍車を用いるように、韓国人を扱うには厳格なルールを定め、その順守を徹底し、それに逆らったり背いたりすれば、痛みを伴うペナルティを科せば良いのですが、それを行なう者に必要な事は、「自分のことは棚に上げる」という意識です。
「棚に上げる」と言う表現に抵抗があるならば、「日本人と韓国人は立場や思想が違うのだから、同列同等に考える必要はない」と思っても良いでしょう。
日本人の対人関係は、基本的には「対等」から始まります。もちろん、背負う看板や団体、地位や実績で、初対面から上下や優劣が明白なことはありますが、相手に対する情報が少ない内は、とりあえずイーブンであると考えるのが普通でしょう。
しかし韓国人の場合、対人関係に「対等」という概念がないのは、これまでに何度も述べてきました。彼らは性別や年令、人種や国籍、住所や出身地、所属する団体や血縁関係、果ては背の高い低いや発音可能な音素数までを動員して、必ず対峙する相手との上下優劣を定めようとします。
あるいは、彼らは自分の落ち度や短所を指摘されると、「日本も同じです」とか、「日本人もそうです」などと言います。これは必ず言います。
日本人は、対人関係における対等の概念があるので、こう言われるとついうっかり「そうかも」とか、「確かに、人のことは言えないな」などと素直に思ってしまいます。酷い場合では、韓国人に聞かれもしないのに、自ら進んで「日本だって悪いところや短所はある」と、初手から韓国人相手に腹をさらけ出すことさえあります。
そう思った瞬間、言った瞬間に、その人は韓国人の下位に自ら立つことになります。上位の者であれば、下位の者からの誤謬や短所の指摘に耳を貸すはずがないからです。それを聞き入れるということは、即ち自らの劣位を認めたということになります。ましてや、自ら進んで自身の欠点や短所を認める者を、韓国人が自分より上位に据えるはずがありません。
象や馬に限らず、犬でも猫でも、自分より下位と思った者の命令(と言うのが「傲慢」と感じるなら、「要請」でも良いですが)を聞くことは絶対にありません。それが韓国人であればなおさらというものです。
日本人同士であれば、腹を晒して敵意のないことを示すことで、積極的な友好の意を示していると理解されるでしょう。しかし韓国人が相手の場合それは、無条件降伏の意思表示にほかなりません。無条件降伏の意思表示をした者の生殺与奪の権は、韓国人的には当然それを示された者の手中にあることになります。生殺与奪の権を握った韓国人が、握られた人の意見や主張など聞くわけがありません。いわんや命令(あるいは要請)をやです。
だから彼らに対峙する時は、傲慢に見えるほど尊大に、不遜に振る舞うぐらいでちょうど良いのです。そうすることで、韓国人は比較的御し易くなります。
しかし、それを知らない者は、そういう態度を非難します。その実例は、弊ブログチャットログのコメント欄でもよく見かけます。そうなると、まず非難する者への説明が必要になりますが、これは一朝一夕で出来るものではありません。弊ブログで6年言い続けても尚、届かない人が少なくない程です。
また、「韓国人に対し傲岸不遜な態度を取ったこと」が非難の対象になったことを韓国人が知れば、彼らはそれによって自分が相手の下位ではなくなった=上位になったと理解します。つまり、対峙する相手の態度や意見が変わらなくても、立場が逆転したと考えます。
日本人の場合、韓国を知る者よりは知らない者の方が圧倒的に多いのが実際でしょう。それは、日本人的には韓国を対等に見る人が多いということになります。これを韓国人の立場から考えれば、自ら進んで韓国の下位に立つ日本人が多いということを意味します。つまり韓国人は、優位に立ち且つ、多勢を得たことになるわけです。
韓国を知る日本人の立場から見ればそれは、同じ日本人から足元をすくわれ、背後から撃たれるも同然なのですが、韓国を知らない日本人にその自覚はありません。
そういう連中が、一所懸命韓国人の尻を拭き散らかして回るので、韓国人はいつまで経っても、自分で尻を拭かねばならないということが覚えられません。それで韓国人だけが汚物まみれになるのなら、それは彼らの問題だから放っておけば良いのですが、彼らは必ず汚物まみれで他者にすがりつきます。
韓国人が汚物まみれであるということを知れば、誰だって韓国人に近寄りたくありません。しかしそれを知らない人は、韓国人に近寄りたくない、近寄らせたくないと言う人をサベツだと言って非難し、韓国人がすがりついてくるなら受けとめるべきだ、いやむしろ、こちらから積極的に抱きしめろなどと言います。
最悪の場合こういう人には、韓国人にまぶされた汚物を認識できないことさえあり、そういう人は韓国人から自分になすりつけられた汚物を再配布することもあるから、更に厄介だったりします。
これらの点から、韓国人が厄介なのは当然として、それよりも更に、彼らに加担する者の方がより厄介で、日本人にとっては最悪の敵対者と言い得ると思います。
パクったもので襲ってくる韓国
例えば、「彼らはまず年齢と性別と住所を聞く」というのは彼らには極めて一般的な行動で、弊ブログをご覧の皆様にとっても「何を今更」な知識だと思いますが、これを知識として知っていても、実際に被弾すればこんな単純で初歩的なことでも、大なり小なりカルチャーショックを味わえると思います。
チャットログになったものを読むなら、岡目八目の言葉通り、「俺ならこう言うのに」とか「私だったらこうかわすのに」と思うことが出来ますが、実際にやってみると、思った以上に彼らの扱いづらさを実感できるのではないかと思います。
また月見チャットでは、ブログで記事にするほどではないような日韓チャットのチャットログを晒していることもありますので、「最近ブログ月見櫓には、チャットログがない」とお嘆きの方は、月見チャットを覗いてご覧になっては如何でしょうか。
と、月見チャットの宣伝を枕に、本日のお題に入りたいと思います。
先日、韓国ウォッチ系ブログで一斉に取り上げられた「韓国仏教、世界化して日本語の禅(ゼン)の代わりに韓国語の参禅(チャムソン)広げる」という報道ですが、「国際的に高く評価された日本の文化を、韓国人が韓国の伝統文化だと言い張ったり、起源を主張する」という、これはコメント欄でもご紹介いただいたこの動画で言うところの、
1.何かをコピーし、
2.若干の変更を加え、
3.名称を変え、
4.自分たちが開発したと主張する。
という、韓国のパクリパターンに綺麗に合致します。
これに「0.日本で学習した韓国人が、」というのを付け足せば、例えば、剣道、柔道、合気道、空手、茶道、生け花、漫画などがあげられますが、彼らの黄金のパクリパターンと言って良いでしょう。
彼らが、「これは日本じゃなくてウリナラのものニダ」と言い出したら、たいていこの黄金のパクリパターンだと思って良いのではないかと思います。
ですので私は今回も、この「黄金のパクリパターン」に該当するのではないかと勘繰っております。確か日本の駒沢大学と韓国の東国大学は、それぞれ日本曹洞宗と韓国曹渓宗の建学ですが、互いに留学生を交換しておりますし、もしかすると永平寺には、韓国僧が修行に来ているかもしれません。
さて、この慈乗僧侶、「韓国の仏教は1700年の歴史がある」と言っております。が、初めて朝鮮半島に仏教が伝わったのは高句麗への372年が最古と言われておりますので、気の毒なことに四捨五入しても1700年に届きません。「日帝36年の恨み」や「半万年の歴史」などと同じく、この手のサバ読みも、朝鮮半島ではお約束のひとつです。
更に言えば朝鮮半島では、李氏朝鮮が仏教を徹底弾圧しました。ですので、李朝500年余りの間、朝鮮半島における仏教は衰退か、良くて停滞していたわけです。韓国人は「実質的」という言葉が好きですが、この李朝期の停滞を考慮に入れれば、それこそ「実質的」に朝鮮仏教は、せいぜい1000年程度の蓄積しかないと考えるのが妥当でしょう。
人間の年齢でもそうですが、1年でも多い方がエライというのが彼らの思想なので、韓国では何事につけ、こういう年数のサバ読みが行なわれます。その割に、同じ商売を長く続けることの出来ない連中ですが。
この曹渓宗、韓国では最大の禅宗だそうで、その総務院長と言えば曹渓宗の実質的代表者であり、宗内どころか韓国の政治にまでかなり大きな影響力を持つようです。今回の発言者である慈乗僧侶は、昨年曹渓宗の総務院長に就任したばかりの人ですが、まだ50代と歴代の総務院長の中では相当若い上に、その活動歴や発言から察するに、相当の
彼は就任してわずか1年というのに、精力的に国内のみならず海外まで活動範囲を広げており、日本の曹洞宗大本山総持寺にも今年の7月に、宗団として初めて公式訪問しております。
その際に、日本の曹洞宗に向けて「世界中の紛争を解決し世界平和という共同の目的を実現するのに邁進しよう」「日韓両国を代表する宗教団体の曹渓宗と曹洞宗が交流を通じて交感し、仏教文化の花を咲かせるように祈る」「真実の対話を続けて両宗教団体の友好交流に発展があることを願う」などと、歯の浮くような美辞麗句を連ねていたようです。
ところがその後、フランスに赴いて、そこで【禅】が日本の文化のひとつとして紹介されているのを見るや、劣等感を爆発させたのか、日本の禅宗を貶めるようなことを言うのですから、宗教家であっても朝鮮人は朝鮮人でしかないと言うほかありません。
私たちが彼らに何かを教えたり伝えたり、あるいは協力したりすれば、彼らは必ずそれを私たちに対する武器に変えて、私たちが油断したり、他のことで手一杯になっている時を狙い、私たちの背後から襲ってきます。
今回の韓国仏教に関する報道は、そういう意味で日本に対する韓国の意識と姿勢を濃縮したような、非常に示唆に富むものであったと思った次第です。
現実の韓国人の第一印象は良い事が多い
今も昔もへそ曲がりは居て、渡来文化の伝達経路の途中に注目して、朝鮮を持ち上げることはあります。しかし、持ち上げるにしても、その材料があまりにも少ないのです。しかたないので想像ででっちあげたり、コジツケで関連付けたりするということが、韓国(及び朝鮮)関連では非常によくあります。それに韓国人が呼応し、想像と思い込みを更に上塗りします。
そうやって出来上がったものが薄くて浅くて上っ面なのは、必然というものでしょう。
積極的な関心もなく、存在感も希薄なだけに、薄かろうと浅かろうと上っ面であろうと、韓国についてはそれにすがる以外に、イメージを構築する手がかりになるものがありません。
故に、韓国についての印象は、韓国を知らない人ほど良いのは、当然の傾向でしょう。韓国が「知れば知るほど嫌いになる国」なのは、そうやって在りもしない幻想の韓国を信じさせられていたことに気づいた反動も、多少はあるかもしれません。
しかし、薄くて浅くて上っ面なだけに、その糊塗自体は極めて容易という側面もあります。
ネットや書籍でどれほど韓国についての情報を仕入れ、その結果韓国に対してネガティブな印象を持ったとしても、実際に韓国人と接触すれば、緩く見積もっても半数ほどは、ネットで仕入れた韓国人のイメージを、良い意味で裏切られるのではないかと思います。
何しろ彼らは、往々にして大変人懐っこいのです。日本人は何故か「人懐っこい=無邪気」だと思っている人が多く、だから韓国人を、無邪気で純真な人だと思い込んでしまいます。また「人懐っこい=好意的」と解釈するのも一般的ではないかと思います。
目の前にいる生き物が、好意を露わにしてすり寄ってくれば、いくら警戒心が強くても、その生き物を無碍に蹴り飛ばせる日本人はそういません。ましてやその生き物が人の形をしており、その上文明人らしい装いをしていれば、これはもうほぼ100%の日本人が、完全にではないにせよ、多少は気を許すでしょう。
ネットで見聞したように、見え見えの嘘や無茶な屁理屈を言い張ったり、日本人に対して狂ったように謝罪や反省を求めてくる韓国人は、現実にはまずいません。少なくとも初対面の間や、親しくなり切っていない間は、彼らは大変従順です。そんな時もし、韓国のネガティブなニュースが話題になれば、「いつも韓国がごめんなさい」ぐらいのことを言っても、全く不思議ではありません。
韓国に批判的な韓国人は、その韓国人が親日であるなしに関わらず、極めて一般的です。また日本を批判的に評価する日本人のことを、韓国では良心的日本人と言いますから、韓国を批判的に評価する韓国人のことは良心的韓国人と思ってもらえると考えているかもしれません。いずれにしても、いきなり初対面から何が何でもウリナラマンセーと言い立てる韓国人は、少数派です。
韓国人にとって日本は、間違いなく絶対悪ですが、同時に焼けつくような憧れを抱く対象でもあります。それもあって、日本人から良い人と思われたい韓国人は、極めて一般的です。日本を訪れるような韓国人は、まずそうだと思って間違いないでしょう。そのため日本人が接触する韓国人は、少なくとも初対面や知りあって日の浅い間は、日本人から見ると非常に好印象であることが多いのです。
その結果、韓国について何も知らない人なら、すんなりと韓国人の期待する通りの印象を抱くでしょうし、韓国についてある程度以上の知識を持っていたとしても、目の前の現実がその知識に基づく印象を裏切っているということは、よくあるのではないかと思います。
そのギャップにしばし戸惑った挙句、韓国をある程度知っている人ならば、「これはもしや、噂に聞いた伝説の稀少種の韓国人なのかもしれない」と思うかもしれません。実際、「自分の知り合いの韓国人は、まともな韓国人です」と言う日本人はよくいます。
いわゆる稀少種の韓国人は、確かに存在します。それに遭遇する可能性も、ゼロではありません。ですがその確率は、本当に小さいのです。仮に、本当に初めてリアルで接触した韓国人が稀少種であれば、確率的には天文学的とまでは言いませんが、宝くじに当たる程度の確率の幸運と言っても良いでしょう。その場合はむしろ、せっかくの幸運を、宝くじではなくそんなことに使ってしまった不運を嘆いても良いと思います。
ネットにある韓国に関する知識は、確かに玉石混交です。中には嘘や事実誤認、捏造や歪曲もあります。が、リアルではなかなか得られない知識も少なくありません。それらで理論武装することを、悪いとは微塵も思いません。むしろ弊ブログは、そうすることを強く勧めている立場です。
ただひとつだけ、心していただきたいことがあります。
それらは所詮装備でしかないということです。その装備を使うのは、あなた自身です。
どんなに優れた利器も、使う人が使い方を間違えれば、役に立たないだけではなく、逆に害になることもありますし、実戦経験が少なければ、とっさに使い方を忘れてしまうこともあり得ます。
そんな時の最後の頼みの綱は、「韓国人は薄くて浅くて上っ面」ということです。何を忘れてもこれさえ忘れなければ、最後の徳俵で踏みとどまれるのではないかと思います。
現実で彼らに遭遇した時、韓国人に対して、思っていたより良い印象を抱くことは、本当に珍しくありません。そもそも、「韓国人」という漠然とした対象に抱いていた「悪い印象」を、今現在目の前にいる人懐っこく好意を露わにしている人の形をした生き物に抱くことに、並の神経を持った人なら誰でも多少の罪悪感を抱くと思います。その罪悪感を帳消しにするために、今目の前にいる人の形をした生き物の発する好意を受けとめてやろうと思ってしまっても、無理はありません。
しかし、彼らに対する印象の決定を急がないでください。一度決定した印象を、自ら覆すことは、案外難しいのです。
韓国人に接触することになってしまった時は、良いイメージも悪いイメージも全て一旦保留にして、出来るだけニュートラルな状態で、しばらく観察してみることを強くお勧めします。
彼らは確かに薄くて浅くて上っ面ですが、それを取り繕うことにかけては、日本人の想像を絶する巧みさを発揮するのですから。