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韓国が如何にして成立したかを、韓国人は知らない

韓国ウォッチャーの間では既に常識レベルの話ですが、韓国は自力で独立を勝ち取ったことがありません。韓国の反日は、そのためだとも言われます。日本に統治された韓国が、その屈辱を跳ね返すために正々堂々日本に宣戦して勝利し、自力で独立を獲得していれば、今日の韓国の反日はなかっただろうという説です。この説は、比較的韓国に好意的な知韓派が唱えることが多いように思います。

ただし、この説には多くの矛盾と言うか、無理が含まれています。まずそもそも、当時の韓国人(厳密には朝鮮人)に、日本と武力対決する意志はなかったということがあげられます。

もちろん「全ての韓国人がそうではありません」w いつの時代もどこの国にも、反体制派や天邪鬼は存在します。ですが、「一部を見て全体を判断しないでください」w 

日韓併合当時の朝鮮人が、総じて日本の統治を受け入れ、しかも概ね満足していたことは、歴史の事実として残っているのです。

「日本に統治された韓国人が、その屈辱を跳ね返すため、日本に正々堂々宣戦し、しかも勝つ」という物語が成立するためには、韓国人(当時は朝鮮人)が日本に統治された屈辱を跳ね返したいと思っていなければなりません。

当時の朝鮮人が、日本に統治されたことを屈辱と感じていなかったかどうかについては、いささか微妙な話になります。何故なら、以前も述べた通り、韓国人は上位者に支配されることを望みつつ、同時に上位者に支配されることを恨むからです。

ですから、日本の統治を当時の朝鮮人が屈辱と感じていた可能性がゼロだったとは、さすがに私も言い切れません。しかしだからと言ってその屈辱を雪ぐために自ら立ち上がり、日本と戦おうなどということは、ほとんどの朝鮮人が、妄想としてならともかく、現実としては考えませんでした。

一部の不逞の輩や反体制派、テロリストが反日活動(韓国人が言うところの抗日活動)をしていたことは事実のようですが、そういう連中はどんな国、どんな社会にも一定数存在します。そもそも現在の韓国人が言うところの「日帝強占期における抗日活動」とは、当時の朝鮮情勢を鑑みれば、「抗日」を看板にしただけの、単なる反社会行動であったと言うことも十分に出来ます。

終戦後、韓国人はそういう一部の不逞の輩や反体制派、テロリストを抗日家と称え、それが朝鮮の正義であったかのごとくに主張し、またそのように教育しています。その主張や教育におもねったのが、前述した「日本に統治された韓国が、その屈辱を跳ね返すために正々堂々日本に宣戦して勝つ」という説です。

しかもこの説では、「韓国が勝つこと」までが条件になっております。

勝負は時の運もありますから、日本と韓国がもし戦えば、必ず日本が勝つとまでは言いません。また日本には徴兵制がありませんが、韓国には徴兵制があり、韓国人の成人男子は概ね軍隊経験があるので、兵力としては韓国人の方が強いだろうという御託はしばしば耳にします。更に体格的にも日本人より朝鮮人の方が大きいと言われており、故に日本兵よりも韓国兵の方が強い(はずだ)という主張もよく聞きます。

しかし歴史を振り返れば、日本人は案外戦闘能力の高い民族です。また軍隊というのはチームワークが重要だと聞きます。個人の能力がどれほど高くても、チームワークが出来なければ、軍隊としての戦闘能力は下がるでしょう。

日本人と韓国人の、帰属する集団に対する忠誠心の高さを比べれば、圧倒的に日本人の方が高くなります。と言うか、韓国人の「帰属する集団」に対する忠誠心の低さが酷すぎると言うべきかもしれません。

そういう両国の民族性を鑑みれば、私個人としては、日本と韓国が戦争になった場合、必ず間違いなく韓国が勝つとは全く思えません。非現実的にならない程度に韓国に有利に考えたとしても、日本と韓国が戦えば、どちらが勝つかはやってみなければわからないというのが、誠実な(私的にはかなり韓国に偏った)考察でしょう。

その考察をすっ飛ばして、いきなり韓国が勝つことを前提とした反日解消策など、荒唐無稽にもほどがあるというものです。

更に言えば、仮に日韓戦争で韓国が勝ったとしても、その後はどうするのでしょうか。

韓国は、単に自力で戦って独立を勝ち取れなかっただけではありません。独立後の韓国の国家運営には、関係諸国の支援と尽力が極めて大きかったという事実があります。それは韓国が、自力で戦争も出来ないほどの弱小国でありながら、地政学的に微妙な位置にあるために、関係諸国が庇護せざるを得ないという事情があったためです。

日本と韓国が戦って韓国が勝った場合の仮想歴史を考えた場合、当然ですが日本が韓国を支援するという歴史はなくなるでしょう。つまり日韓戦争で韓国が勝った場合、戦後の韓国は日本の支援無しで国家運営を行なわなければなりません。

韓国が戦勝国として、日本から莫大な賠償金を獲得したとしても、それを元手に韓国が独力で経済発展することが出来るとは全く思えません。何故なら現実の歴史においても、日本から莫大な経済協力金を韓国は得ているのです。その上で更に日本からの技術支援等があり、また日本からの文化や技術の剽窃等があって初めて、今日の韓国があるのです。逆に言えば、それがなければ今日の韓国はありません。

日本は幾度となく韓国のことを「重要な隣国」と持ち上げていますが、実際には日本にとって韓国は、全く重要な隣国ではありません。それどころか、明日突然無くなってもそれほど大きな影響があるとは思えないほど、日本にとって薄くて軽くて上っ面な存在です。それは昨今の日韓関係の冷え込みが如実に証明しています。

逆に韓国にとっての日本は、最重要にして必要不可欠の隣国です。これもまた、昨今の日韓関係の冷え込みによって、如実に証明されています。

つまり韓国は、単に自力で独立を勝ち取れなかっただけではなく、自力で国家を発展させることが出来なかった国なのです。わけても日本の存在が、現在の韓国の成立に大きく寄与していることは論を俟たないでしょう。そういう事実を冷静に直視することが出来なければ、韓国が如何にして成立したのかを理解することは出来ません。

韓国人が、韓国は如何にして成立したかということから目を逸らし、あるいは全く教わることなく、安易な反日とあり得ない妄想によって得られる仮想の快楽に逃げ込んでいる間は、韓国は永遠にどこかの国の支援を必要とする半人前国であり続けることになるでしょう。



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やっぱりババ抜きのババ

つい先日、中国が無茶を言い出しました。こうなってくると、関連諸国の中で俄然影が薄くなるのが韓国です。

何しろ韓国は、国際的に見ても無力で無能です。特に軍事力に秀でているわけでもありませんし、有事に国際情勢を動かすほどの経済力を持っているわけでもありません。複雑な国家間対立の間に入って仲裁者が出来るほど外交力に長けているわけでもなく、そもそも仲裁者となるに足る信頼を、どこの国からも得ていません。

ですが、実はこういう時こそ、韓国に対する監視を怠ってはならないのです。

歴史を顧みれば、韓国(朝鮮)はいつの時代も常に現在と同じく、あるいは現在以上に無力で無能でしたが、同時に情勢がややこしい時に必ずピンポイントで要らんことをして、ただでもややこしい話を更にややこしくしていました。

だからと言って注目に値するような何かが韓国にあるわけでもなく、どこの国でも人材に限りがある以上、国際情勢が複雑化してくると、どうしても韓国に割く手や目は甘くなってしまうのがジレンマです。

韓国人は自己評価が異常に高いのが普通ですが、それは個人ばかりではなく、韓国という国家規模になっても同じです。そのためかいざ事が起きると、韓国は無駄にしゃしゃり出たがります。しかも彼らが使うのは正攻法ではなく、韓国で「ロビー」と呼ばれる極めてゲリラ的な手法です。それが話をややこしくさせる元になるわけです。

韓国のでしゃばり癖を完全にコントロールするには、韓国の自主的な国家運営部分、即ち韓国の内政にまで深く関わる必要性がどうしても出てきます。しかし仮にも独立した国家に対して内政干渉を行なうのは、現代では極めて難しいものがあります。

日本国としての立場では常々思っていることですが、国際社会の一員としての立場においても、韓国はどこかの国の完全な管理下、即ち属国となるか、併合されるなどして吸収されてしまうのが、最も国際秩序を保つのに良いのではないでしょうか。日韓併合は、日本国としての選択という意味では大失敗でした。しかしながら当時の国際情勢を鑑みれば、そうしなければ更に国際情勢が複雑化しかねないという意味では、必然でもあったのです。

先に述べた通り、今、中国がややこしいことを言い始めました。それによって国際情勢がきな臭くなる可能性は低くありません。

帝国主義が当然であった昔ならいざ知らず、現代では如何なる大国といえども、軽々に大規模戦争を始めるわけにはいきません。中国はいまだに帝国主義的で、且つ好戦的ではありますが、あの国はまた別の理由で、軽々に大規模戦争を始めるわけにはいかないでしょう。

ですので、言い出しっぺの中国を含むいずれの国も、原則としては戦争にならないように事を収めようとするでしょう。その微妙な駆け引きややり取りに、韓国が要らぬクチバシを突っ込んで話を滅茶苦茶にする恐れは、決して低くありません。

現状、そうさせないためには、韓国に自覚と自制を求めるしかありませんが、韓国人に自覚と自制が出来るなら、最初からそんな心配をする必要もないのです。

こうなってくると、どこかの国に韓国の手綱をがっちり抑えておいてもらう必要性というのが、大変に切実になってきます。

その適任国はどこでしょうか。言うまでもなく日本はもう二度と御免です。アメリカも、匙を投げた感があります。ロシアも、韓国にはあまり関心があるように見えません。南米は遠過ぎますし、まさか欧州連合に頼むわけにもいきません。インドやタイも、自国内のゴタゴタだけで手一杯でしょうし、そもそもこれらの国はあんまり韓国に良い感情を持っていないようです。

となれば、やはり適任国候補として残るのは中国でしょう。今回ややこしいことを言い始めた中国自身に韓国を任せることが出来れば、日本及び国際社会に対する窓口は一本化されるし、中国は領土拡大欲が満たせるし、韓国は世界第二位の経済大国の一員になれるしで、良いこと尽くしです。

韓国に関しては、無視出来るものならした方が良いのは重々わかっているのですが、目を離せば何をしでかすかわからないというのがまことに鬱陶しいところです。ネットの巷で「韓国と不用意に関わると災いが起きる」と言われるのも、あながち根拠のないものではありません。

故盧武鉉元韓国大統領がかつて、「韓国は北東アジアのバランサー」と発言して韓国ウォッチャーの失笑を買いましたが、この考えは韓国では根強いものがあるようで、朴槿惠現韓国大統領も類似の発言をしております。

しかし過去の歴史と現在の国際情勢を鑑みるに、韓国はバランサーと言うよりは、やはりババ抜きのババであるなあとしみじみ痛感する次第です。



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嫌韓が韓国を救う?

最近の日本では、嫌韓が定着しつつありますが、その契機は2002年の日韓共催ワールドカップとするのが定説でしょう。同時にその当時は、日本に対する韓国の工作活動が盛んな時期でもありました。

日本に対する、韓国の思想工作活動の一環であったと思われる韓流ブームは、それまで潜在的であった親韓派を飛躍的に台頭させました。

今でもそうですが、当時から親韓派というのは盲目的に韓国を全肯定する人が少なくありませんでした。全肯定とまではいかなくても、韓国の欠点や短所には目をつぶるか、韓国で言われているとおりの言い訳、即ち「日本が悪い」を免罪符とし、韓国の長所は針小棒大に受け取るのが、親韓の標準でした。

故に親韓の人々は意外に韓国のことを知らなかったり、妄想に近い過大評価をしていることがよくありましたし、今もそれは変わりません。

翻って嫌韓の人々は、当時はバリバリの知韓派ばかりでもありました。それは、これまで何度も申し上げているとおり、この当時韓国を嫌いと公言することは、今と比べればかなり強い抵抗があったためです。

今日では、韓国を嫌いと公言しても、問答無用で人種差別主義者とみなされることはさほど多くなくなりました。ともすれば、全面的な同意を得られることも珍しくありません。

ですが当時の日本では、韓国を嫌いと言うだけではなく、日韓関係について、日本人が日本の立場で説明するだけでも、人種差別主義者とみなされかねませんでした。それどころか、おどけて「アイゴー」と言っただけで、「それ、韓国の人が聞いたら気を悪くするよ」とたしなめられたことさえあります(実話)。ちなみにおどけて「オーマイガッ!」と言うこともよくありましたが、「それを英米人が聞いたら気を悪くするよ」などと言われたことはいまだかつて一度もありません。

そんな風潮の中、自信を持って嫌韓であることの理由を説明するためには、どうしても韓国について詳しくある必要があったのです。

そのためか、その頃は「韓国が本当に嫌われるようになったときに助けてくれるのは、親韓ではなく嫌韓である」というようなことが、時々言われていました。

私もその頃から嫌韓でしたが、どんなに韓国が困っていても、自分が韓国を助ける姿は想像出来ませんでした。むしろ日本人に韓国の本当の姿が周知され、日本人が揃って韓国を嫌うようになれば、さぞや胸がすく思いがするだろうと思っていました。

人間誰しも、どんなに客観的になろうとしても主観でしか考えることが出来ないものです。もちろん、私にしても例外ではありません。ですから私は、日本人が嫌韓になるということは、自分同様、日本人の多くが韓国についてある程度詳しくなった上で嫌韓になるのだと無意識のうちに思っていたのです。

ところが最近実際に日本に明確な嫌韓とまではいかずとも、韓国について否定的に考える日本人が増えてきましたが、では多くの日本人が韓国についてある程度以上詳しくなったのかと言えば、私の体感ではそうでもありません(ちなみに「体感」というのは、私はネットだけではなく、リアルでも韓国について説明することがしばしばあるのですが、その際の相手の反応が、今も10年前とほとんど変わらないということです)。

それどころか「試し腹」などという、出来の悪い嫌韓ネタに乗せられてしまう日本人が、案外少なくないのです。

私の誤算は、「韓国を嫌いになること」とは、無条件で「韓国について詳しくなること」と思っていたことです。ところが現実はそうではありませんでした。現在日本で台頭する嫌韓勢力の中には、どうやら韓国についてさほど詳しくないまま、韓国を嫌いになっている人々が少なくないようなのです。

そのため、日本の嫌韓勢力の代名詞的存在となった在特会ですら、主にネットを中心に出回る在日特権ネタについて、否定的な発言を余儀なくされました

その時日本の親韓派は、在特会の米田氏の発言の一部を切り取って「あの在特会がネットで出回る在日特権を全否定!!」などとここぞとばかりに嫌韓派への攻撃材料としていましたが、どうやら現状では、そういうやり方が日本の親韓派の精一杯の韓国擁護のようです。

弊ブログにおける「試し腹」の否定や、在特会の米田氏による「ネットに出回る在日特権ネタ」の否定は、見ようによっては「韓国が本当に嫌われるようになったときに助けてくれるのは、親韓ではなく嫌韓である」という予言の成就を意味するものかもしれません。

ですが誤解のないように念を押しておきたいのは、弊ブログの「試し腹」の否定は言うまでもなく、確認しておりませんがおそらく在特会の米田氏の「ネットに出回る在日特権ネタ」の否定発言の真意も、決して「韓国が嫌われているのを助けるため」では断じてありません。

以前から申し上げているとおり、日本人が韓国を嫌うに足る理由が、正当な事実に基づくものであるならば、胸を張って嫌韓を主張出来ますが、もしその理由が虚偽や捏造といった不当なものであるならば、嫌韓そのものが不当な主張とされかねないことを懸念してのことなのです。

韓国の反日が非難されるのも、その多くが正当な事実に基づいたものではないからです。その韓国の反日を、単純に反射しただけのものが日本の嫌韓であるべきだとは、私は全く思っていません。もしそうなれば、日韓対立とは互いに虚偽や捏造をぶつけ合う醜く汚い泥仕合にしかならないからです。

本当に微々たるものではありますが、私が力となりたいのは、決して韓国ではありません。これまでもこれからも、一貫して日本なのです。



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自尊心という名の劣等感

先月上旬までは最高気温が30度を超えることも珍しくなかったというのに、季節は律儀に巡って、きっちり寒くなって来ました。自然は案外急激で理不尽な変化をするものです。こういう時期は本当に体調を崩しやすいので、皆様もどうぞご自愛ください。

さて、前回記事で「朝鮮人は抑圧を望む」と書きましたが、「そんなことないんじゃないの?」というご意見が、きっとあるだろうと思っていました。

何しろ韓国人の性質としてあげられるものの中には、「情に厚い」と並んで、必ずと言って良いほど「自尊心が強い」というものがあるのです。「自尊心が強い」韓国人が、他者から抑圧されることを望むわけがないと考えるのは、至って自然な発想だと思いますが、同時に至って日本人的な考え方でもあります。

確かに日本人の目から見ると、韓国人というのは尊大で自信家のように見えます。自分がどんなに素晴らしい人物であるかを時に直截に、時に遠回しに語り、あの手この手で相手に「すごいですね」「素晴らしいですね」と言わせようとします。

反面、侮辱や罵倒には極めて神経質に反応します。彼らがいまだに日帝36年の恨みを言い募るのも、彼らの自尊心を傷つけたが故だということにされています。

しかし本当に韓国人は自尊心が強いと言えるでしょうか。

日韓チャットの常連日本人の間には、韓国人の「自尊心」は「劣等感」と読み替えるべきだという意見がありました。もちろん、私もその意見に全面的に同意します。

本当に自尊心が強い人々が100年どころか、400年も前の恨みをいつまでも持ち続けるでしょうか。本当に自尊心の強い人々が、謝罪ばかりか賠償を執拗に、しかも何度も何度も求め続けるでしょうか。本当に自尊心の強い人々が、いろいろ有利だからと言って、弱者や被害者の立場にいつまでもしがみつこうとするでしょうか。本当に自尊心の強い人々が、他人の著作物ばかりか他国の文化や偉人までをも、我が物にしようとするでしょうか。

真の自尊心を持つ者は、恥を知ることの出来る者でもあります。己に恥じないことを貫くことの出来る者です。

例えばスポーツやゲームでズルやインチキをした時、誰にもバレなくても、自分だけは自分がズルやインチキをしたことを知っています。本当に自尊心があるならば、ズルやインチキでスポーツやゲームに勝ったとしても、心の底からその勝利を喜ぶ気にはなれないものです。その点、韓国人はどうでしょうか。

2002年の日韓共催ワールドカップを契機として、更に10年を経た今日では、韓国人にそういう感覚を持つ者は少ないということは広く知られるようになりました。もちろん絶無とまでは言いません。丹念に探せば、そういう感覚を持つ韓国人も、もしかしたら見つかるかもしれません。

ですがそういう韓国人は、韓国社会では真っ先に蹴落とされ踏みつけられるようになるので、韓国社会で発言権を持つに至ることはほとんどありません。たとえあっても、必ず一代限りで終わります。何故なら二代目以降は、一代目が得た発言権や立場をバックにして、並の韓国人よりも一層増長するからです。結果、そういう感覚を持つ韓国人は、増えることも引き継がれることもありません。

ある意味、韓国社会自体が「本当の自尊心」を持ち得ない構造になっていると言っても過言ではないでしょう。

それは、韓国の建国以降に初めて生まれた目新しい社会構造ではありません。李氏朝鮮も、おそらく北朝鮮も、根っこの部分では今の韓国とさほど変わらないでしょう。同様に在日社会も、根っこの部分はそういう構造になっているのではないでしょうか。つまり、「有りもしない自尊心を誇示すること」「有りもしない自尊心の誇示を前提に社会が構築されていること」は、朝鮮人に固有の習性と言えるのではないでしょうか。

それが朝鮮人の習性故の朝鮮社会構造なのか、朝鮮社会構造故の朝鮮人の習性なのかという話はしません。それがどちらであったとしても、韓国人は宿命的に真の自尊心というものを持ち得ないということがわかれば、それだけで十分なのです。

彼らが見せるのは、彼らが「自尊心」と名付けた劣等感に過ぎません。その劣等感故に彼らは優れた他者からの統治を望み、その劣等感故に彼らは優れた他者からの統治に反発したり反抗したりするのです。

故に、日本人から見れば異常とも言える自尊心を示す韓国人が、実は優れた他者からの統治を望みつつ、優れた他者に統治されることを心の底から恨むことが、彼らの中では全く矛盾せず成立するのでしょう。

彼らを統治する適任者は、彼らのそのややこしい精神構造を配慮も考慮もせず、統治者の都合に合わせて型に嵌めるように問答無用の統治を行なうものであるというのも、これでお分かりいただけるのではないかと思います。



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朝鮮人は抑圧を望む

日韓チャット常連日本人の間では、かなり早い時期から、「朝鮮人には独裁統治がお似合い」というコンセンサスが成立していました。それは朝鮮の歴史と朝鮮人の性質と、現在の南北朝鮮を見ていれば自ずから出てくる結論です。

「中二病」などという言葉がありますが、朝鮮人にはまことにこの言葉がよく似合います。

「中二病」と呼ばれる時期の青少年は、身体は大人になっても精神はまだ大人になり切れず、それ以前と比べればある程度の義務と責任を負わされるようになりつつも、フリーハンドの裁量権はまだ与えられない時期です。

その時期の青少年は、それまでなら見逃されてきた責任や義務の重さに驚き反発しながら、同時に何もかもを自分の思いのままに出来ない、させてもらえないことに強い不満を抱いています。

大人はズルくて汚いと思い、そのくせ自分がズルくても汚くても許されて当然だと思っています。法律や常識、モラルに縛られる大人をダセえと見下し、法律や常識、モラルに反することがカッコイイと思い、実際にやってみたりします。

人生経験の少なさから、自分に何が出来て何が出来ないのかの判断が出来ず、そのため自分は何でも出来るという一種の万能感を持っていたりします。実際にやってみれば、ほとんど何も出来ないのですが、それは自分の思うように自由にやらせてもらえないからで、もし自由にやらせてもらえたなら、自分の頭を抑えつけている大人なんかよりずっと上手くやってみせると思っています。

こういう精神状態の時期は、大抵の大人が通ってきた道ではないかと思います。ですから多くの大人は、中二病の青少年を見ても、昔の自分を見ているようで頭ごなしに叱りづらいものがあります。そういう時期の青少年を頭ごなしに叱ったって素直に聞くはずもありませんし、そのうち嫌でもほとんどの青少年が「中二病」状態から脱するとわかっているからです。

「中二病」の時期は、精神的に未成熟という状態に加えて、人生経験の少なさ故に物事の判断を誤りやすい時期でもあります。ですからその時期の青少年には、大人の管理監督が必須です。それを「中二病」の青少年は不満に思うわけですが、大人の管理監督は、実は「中二病」の青少年を縛り付け従わせるだけではなく、彼らを守ることにもなっています。

釈迦の手のひらの上で大得意になっている孫悟空のように、中二病の青少年は、実は自分が大人や社会の庇護の下にあることさえ知らずに、一所懸命背伸びをして周囲を見下そうとします。

「中二病」については、書けば書くほど自分の身にも覚えがあり過ぎて、今すぐ布団をかぶって喚きたいほどですが、その時期を振り返って赤面出来るのも、精神的な成長の証と言えるだろうと思うことにしないと生きていけませんw

しかし朝鮮人は、この「中二病」の時期で精神的成長が止まるのでしょう。だから彼らが、その時期を振り返って赤面するということはありません。それどころか、どこの国に出しても成人で通用する年齢をダブルスコアで超えているような年齢の韓国人が、中二病的なことを言ってドヤ顔しているのを見聞きすることは、全く珍しくありません。

そういう彼らですから、「中二病」の時期の青少年に大人の管理監督が必要不可欠であるがごとく、絶対的権力者や強大国による問答無用の統治が、彼らを律するのに最も適しているのでしょう。

もちろん、「中二病」の青少年を管理監督する大人がいつも必ず絶対的に正しいというわけではないように、朝鮮人を統治する絶対的権力者や強大国がいつも必ず絶対的に正しいとは限りません。ですが管理監督者たる大人が絶対的に正しくなくても、「中二病」の青少年には大人の管理監督者が必要不可欠であるのと同様、たとえ正しくなくても、朝鮮人には問答無用の抑圧統治を行なう絶対的権力者や強大国は必要なのです。

それはある意味、彼らが「教科書丸暗記」を至上の学習とする習性とも共通するでしょう。「教科書」に基づいた、即ち「正解が既に用意されている問題」を解くだけであれば、彼らはかなりお上手にこなして見せます。

ところがまるっきり白紙の状態から行なう学問や研究になると、彼らは途端にからっきしになります。それは彼らが自らの進むべき方向を指し示す絶対的存在を必要とし、それがないと迷走するようになる習性と、全く無関係ではないでしょう。

北朝鮮は、建国以来独裁体制を貫いてきました。それは恐怖政治であったかもしれませんし、抑圧体制であったかもしれません。衣食住と言った物質的な満足度も、かなり低いものではあったでしょう。けれど朝鮮人にとって、絶対的指導者を戴き、その指示に従って生きていくことで得られる精神的な満足度は、私たち日本人が想像する以上に高いものなのではないでしょうか。

対する韓国はと言えば、軍事独裁政権の間は、問題がなかったわけではないにせよそれなりに治まっていました。その時期がなければ、今の韓国はなかったと言っても過言ではありません。しかし民主化という美名の下に、独裁の軛から放たれた韓国は、徐々にではありますが自らが進むべき方向性を見失ってしまったように映ります。

それまでは韓国も、独裁者が強権的に指し示す方向へ、不平不満を言いながらも同じ方向を向いて、揃って進んでいたのですが、進むべき方向を民主的に話し合って決めましょうなどと言うようになってからは、それぞれが勝手なことを主張し、勝手な方向へと進み、徐々にグダグダになりました。

結果として韓国は経済的に豊かにはなりましたが、精神的には不安定な状態にならざるを得なくなり、そこを北朝鮮に突かれて今日に至ります。

韓国人に北朝鮮の統治体制を羨む気持ちがあるかと聞けば、その韓国人がよほどの親北派でない限り、おそらくは力いっぱい否定されるでしょう。けれどそう言いながら、彼らが国を挙げて中国に擦り寄って行っているのは何故でしょうか。あるいは先般の朴槿惠韓国大統領の欧州巡訪で、まるで教師に告げ口する中学生のように、日本の悪口を各国で触れ回っていたのは何故でしょうか。

それは彼らが、彼らの上に立つ統治者を、無意識の内に求めている証左ではないのでしょうか。

彼らは「中二病」ですから、おそらく彼ら自身が求めた「統治者」に対しても反発や反抗を示すでしょう。その反発や反抗もろとも、何らの罪悪感も持たずに抑え込める「統治者」によって統治された時、初めて韓国人は心の安寧を得ることが出来るのかもしれません。

その「統治者」が中国になるのか、それとも北朝鮮なのか、あるいはそれ以外の国やカリスマが現れるのかはわかりません。

ただひとつ、はっきり言えることは、その「統治者」に日本がなることだけは二度とないようにと、全身全霊を込めて願うばかりです。



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北も南も同じ朝鮮

性懲りもなく、「日韓が離間すれば北朝鮮が喜ぶ」と喧伝する親韓日本人は未だに存在します。そう喧伝することで、日韓の離間を少しでも食い止めようと思っているのでしょう。

けれど、以前から再三ならず申し上げているとおり、そもそも北朝鮮も韓国も、掲げるイデオロギーが異なるだけの一卵性結合双生児です。日本が韓国と袂を分かてば、引き換えに必ず北朝鮮と親しくならなければならないというわけではありません。日本としては北と言わず南と言わず、朝鮮半島全域を丸ごと見捨てれば良い話なのです。

韓国が中国になろうと北朝鮮になろうと、そんなことはどうでも良いことです。むしろ現在の韓国のように、米国を介した間接同盟国として、味方や仲間の振りをしながら背後から刺すチャンスを狙われるよりは、正々堂々敵国として対峙してくれる方が、百万倍はありがたいというものです。

北朝鮮のシンパタイザーは、日韓が離間すれば、韓国に向けられていた日本の援助や協力が全て自動的に北朝鮮に振り返られるとでも夢想しているのかもしれませんが、常識的に考えればそんなことはあり得ません。むしろ日韓の離間によって韓国が弱れば、一卵性結合双生児である北朝鮮にも、少なからぬダメージが及ぶでしょう。

思うに、「日韓の離間によって喜ぶのは北朝鮮」と言い立てて日本人の危機感を煽ろうとする連中は、よほど日韓に離間されては困る事情を持っている者ではないでしょうか。

日本は現在、北朝鮮とは国交を結んでいませんが、韓国とは周知の通り国交を結んでいます。その韓国は、既に北朝鮮による工作は完了したと言われるほど北朝鮮の工作が浸透し切っています。即ち日本に対して、北朝鮮政府自らが動かずとも、また北朝鮮人を実際に使わなくとも、韓国人を使って北朝鮮に利する工作を行なうことは、極めて容易でしょう。

日朝国交正常化交渉が事実上白紙に戻っている現在、日本に対する北朝鮮の最大の窓口は、韓国であると言ってもあながち間違いとは言えません。となれば、日韓関係が悪化すれば、日本に対する北朝鮮の窓口も必然的に狭まることになります。

更に日本には、北朝鮮人も多数存在しますが、彼らは必ずしも北朝鮮籍とは限りません。日本に帰化している者も少なくありませんし、韓国籍を取得している者も多いのです。

日韓関係が順調であれば、韓国籍を取得した北朝鮮人は、日本でも韓国でも動きやすいでしょうけれど、日韓が離間すればどうでしょうか。

日本と北朝鮮の国交が正常化が実現するには、北朝鮮による日本人拉致問題の全面解決が最低条件とされます。しかし北朝鮮は、拉致問題を既に解決したものと言い張っており、解決を目指す日本に対し非協力的どころか、敵対的な態度を示し続けているのは周知のことです。

即ち、正攻法で日本と北朝鮮の国交が成立する期待は、現状では絶望的です。けれど日朝国交正常化が実現せずとも、日本と韓国の関係が良好であれば、北朝鮮の傀儡となった韓国人を使うことで、北朝鮮は間接的に日本からの支援や協力を得ることが可能なのです。実際、日本から北朝鮮への不正輸出事件の多くは、韓国人が関与しています。

日韓関係が悪化することで北朝鮮が喜ぶというのは、元寇の際に、元の手先となった高麗が、本当は日本と戦うのが嫌だったから、自分たちが乗る船を手抜きして作ったために、船が神風で沈んだのだなどという御託に通じるものがあります。

この手の御託は、朝鮮関連では珍しくありません。常識的に考えれば「アホか」の一言で終わる話なのですが、日本人は朝鮮が絡むと正常な判断が出来なくなる人が少なくないらしく、朝鮮人や朝鮮人のような真似をする連中の、この手の荒唐無稽な御託にコロコロと転がされてしまうようです。

そうやって日本人がいつまでも律儀に朝鮮論法に転がされてきたから、朝鮮人たちはいつまでも同じことを繰り返してきたのでしょう。

しかし今般の日本政府の韓国に対する姿勢は、私などから見るとまだ幾許かの不満はあるものの、「(バカな子供に対する)大人の対応」としては、概ね常識的な線を貫いていると言えます。それが証拠に、朴槿惠韓国大統領は今回巡訪した全ての国で日本への非難を引き出そうとしましたが、見事に全敗しています。即ち国際社会から見ても、今の日本の、韓国に対する態度は、非難の余地がないということです。

韓国もそれに気づいていないわけではないようですが、だからと言って今更引っ込みもつきません。日本政府が韓国の官民揃った反日に、嫌韓が満足するぐらいの強い態度で応じていれば、韓国としても「日本に脅迫された」と言って弱者や被害者を気取るいつもの手が使えたのでしょうけれど、日本の嫌韓からも不満が出るほどの柔和な対応を日本政府にされてしまっていては、その手も使えません。

今のところ韓国が使える手は、「日本に頭を下げて、対話を求めること」だけです。しかしその手だけは、韓国としてはどうしても使いたくありません。もし使えば、韓国民の政府に対する不満と非難は、国を傾けるほどのものになると予想されるからです。

日本との離間によって、韓国内の北朝鮮勢力の台頭が強く懸念される事態を引き起こしかねないという事情は、韓国には間違いなくあるでしょう。しかし日本との関係改善もまた、北朝鮮勢力による政府転覆の起爆剤になりかねないのです。つまり結局のところ、どっちに転んでも韓国は北朝鮮勢力に脅かされる状態になっているだけの話なのです。

何度でも言いますが、韓国と北朝鮮は互いに互いを憎み合い、傷つけようとしている結合双生児です。どちらが勝っても、どちらも傷つき、痛みに苦しむだけなのです。

それを相手にして、片方と仲違いしたら片方が喜ぶなどと言うのは全く馬鹿げています。日本は、北も南もどちらも同じ朝鮮と見切って、どうしても避けられない最低限の付き合い(ご近所づきあいで言うなら、顔を合わせた時の挨拶だけ程度)にするのが、日本の国益に最も適うものだと確信する次第です。



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混ぜるな危険

韓国人は、何事につけ捏ね繰り混ぜる癖があります。それが最も明確に現れており、また最も有名なのがビビンバでしょう。

ビビンバとは、朝鮮語の「ビビダ(揉む・こする)」を名詞化した「ビビム」と、「パプ(飯)」からなる合成語で、日本語では「混ぜご飯」と翻訳されることもありますが、日本人の考える「混ぜご飯」とは全く異質なものです。

日本の混ぜご飯は、米粒を潰さぬようにさっくりと混ぜるものですが、韓国のビビンバは、餅でも作る気かという勢いで捏ね繰り混ぜます。

その結果、米粒と具材が渾然一体などと言えば聞こえは良いのですが、コチュジャンの色と味に染め上げられた、汁気の少ない、焼く前のお好み焼きのようなものが出来上がります。彼らはそうなって初めて、「美味しそう」と認識するようですが、日本人的な美意識では、それを食品と認識するのも躊躇してしまいます。

韓国人がこの「ビビム」状態を好むことには、甚だしいものがあります。最初に「何事につけ」と述べた通り、韓国人のこの習性は、ビビンバだけに限りません。カレーライスや丼物、散らし寿司などの米飯料理や麺類などの主食系料理はもとより、パフェやかき氷などにもスイーツにすら発揮されます。更に食品に留まらず、人間関係や国家関係にまで「ビビム」が及ぶことがあります。

以前から申し上げている通り、韓国人の対人関係には「上」「下」「同一」の三種類がありますが、この中の「同一」というのが、いわば人間関係の「ビビム」でしょう。

但し、これも以前から申し上げている通り、「同一」においても「上」と「下」の順位はあり、「同一化」した時の主観は、「上」の者が持つことになります。韓国人は基本的には常に「自分が上(であるべき)」と考えているので、人間関係を「ビビム」することによって「俺の物は俺の物、(同一化した)お前の物は俺の物」という意識が成立するのです。

韓国人同士の場合は、双方がそう思っているので、当然「どちらが上位であるか」を明確にするための鬩ぎ合いが時にはっきりと、時に水面下で行なわれますが、もしそれが行なわれなければ、韓国人の意識は自動的に「自分が上位の同一化」で固定されます。

それが「韓国人同士の関係」に限定されているのであれば、日本人が口出しすることではありませんが、彼らはそれをナチュラルに他国人に向かっても行なうのです。

特に日本人に対する韓国人の同一化欲求は甚だしいものがあります。それが前回記事の主題として取り上げた、議論に詰まった際に「それでは日本は!」と叫ぶ彼らのマインドの根源となっているのでしょう。またこれに、実に素直に応じてしまう日本人が多いのも、前回述べた通りです。

素直に応じる余りに、彼らのそういう考え方に絡め取られてしまう日本人も少なくないことが、日韓の共依存関係を深刻なものにしているのではないでしょうか。

前回記事のコメントで「考えなしの反韓も多くなってきたように感じ、その点は危惧しています。」というご意見がありました。

このご意見自体には、私も同意する部分があります。ですがこれが、「日韓関係問題」に対する意見として述べられているのであれば、話は別です。

このコメントがもし「日韓関係問題」に対する意見として述べられているのであれば、それはいわば、日本における在日の通名犯罪問題について議論している時に、「日本人の戸籍売買や偽装結婚、偽装養子縁組の方が問題だ」と言うのと同じことです。

如何なる嫌韓厨であっても、日本や日本人を、完全無欠で善良無謬であると主張する者はいないでしょう。日本にも問題点は数多くありますし、日本人にも悪人や犯罪者は一定数存在しますし、言うまでもなく、全ての日本人には欠点があります。そのこと自体は、解決や改善に向けてすべからく議論されるべきことであるということについては、どんなに重症の嫌韓厨であっても、異論を唱えますまい。

しかしそれを、韓国(人)の悪行を免罪、あるいは相殺するための文脈で用いるのであれば、嫌韓厨でなくとも異議を申し立てたくなります。

韓国人の叫ぶ「それでは日本は!」というのは、まさに韓国(人)の悪行を免罪あるいは相殺するために用いられるものであり、それに応じること自体が、彼らの術中に陥ることになりかねません。

筑波大学の古田博司教授ほど韓国を熟知している人であれば、「全面肯定反転畳み返し」なる技を使って、韓国人の術を跳ね返すことも可能でしょう。しかしこの技を使えるに至るまでには、数えきれないほど韓国人に煮え湯を飲まされる経験が必要になると思います。韓国人に何度煮え湯を飲まされても、それに耐えて生き残ることが出来れば、「全面肯定反転畳み返し」などの技を使って韓国人に対抗出来るようになれるでしょうけれど、そんな苦行を積む理由も動機も機会も、ほとんどの日本人にはありません。

ですから一番良いのは韓国人のそういう術を避けることなのですが、厄介なのはその術に嵌った日本人が、日本人に対してその術を仕掛けてくることです。

そうなると一見、「日本人が日本人の問題について日本人に提起している」風になります。くどいようですが日本(人)にも問題は数多くあり、それを解決なり改善なりするための議論を行なう必要があるということには、おそらく全ての日本人が同意するでしょう。

ですが、それに日韓問題を絡めてくるのであれば、それは「日本(人)の問題解決や改善のための議論」にはなり得ないのです。

韓国人は、何事も捏ね繰り混ぜてしまう生き物ですから、無意識にそうするのはしかたありません。それは韓国(人)の問題であって、日本人が口を出すことではありません。日本人がすべきは、彼らの習性を改善することではなく、そういう韓国人を遠ざけることです。

しかし日本人が韓国人のやり方に倣って、韓国人の代理人よろしく日本(人)の問題と日韓問題とを捏ね繰り混ぜるようなやり方で問題提起をすれば、問題提起自体が正しくとも、そのやり方を非難されることになるのはしかたないのではないでしょうか。

思いついた時に言いたくなる気持ちは分からないでもありませんが、問題提起にも時と場合と場所というものがあります。時と場合と場所をわきまえることが出来、またそれを当然として求められるのが日本人であり、時も場合も場所も彼我も正否も何もかもを捏ね繰り混ぜてしまい、それを当然と思っているのが韓国人です。

日本と日本人の問題点については、月見チャットでも頻繁に話題になっており、嫌韓派にとって決してタブーとされてはいません。タブーとされるのは、それを日韓問題と捏ね繰り混ぜてしまうことです。

混ぜる時には成分を確かめて、混ぜても問題ないかどうかを確認あるいは判断する必要があり、もしその確認や判断が出来なかったり迷ったりした時は、無闇に混ぜないという分別を持たなければいけないのは、洗剤だけではないのです。



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それでは日本は!と言わせたら勝ち

朴槿惠韓国大統領が、訪れた全ての国で反日発言を行ない、「反日皆勤賞」と評されていたのには盛大に笑わせてもらいました。

一連の言動を見ている限りでは、普通の韓国人の反日行動ですが、私にはこれはほとんど彼女の悲鳴に聞こえますw

おそらく朴槿惠韓国大統領は、どこかの国に日本を叱ってもらいたかったのでしょう。

日本は、韓国に対しては尊大で横柄だが、欧米諸国には卑屈だ(とほとんどの韓国人は信じています)から、欧米のどこかの国が韓国の言うことを真に受けて、「それは日本が悪いですね!」と応じ、日本に対する非難を表明する発言をしてくれれば、日本はきっと震え上がり、慌てて韓国に頭を下げて韓国との対話をこいねがい、韓国に対する経済援助を是非是非させてくれと頼みに来るだろうと期待しているように、私には見えます。

祖国の自立と発展のために、父が文字通り身命を賭す苦労をして結んだ日本との国交を、その実の娘が断絶し、再び祖国を中国の属国に復すという、父娘二代に渡る壮大な物語をリアルタイムで見ているようで、つくづく私たちの世代は歴史の証人世代だなあと感慨しきりです。

もっともこの物語は、脚本がありませんので、一寸先がどのように展開するかは誰にもわかりません。でも、全米はともかくとして、全韓国が泣くような物語にはなりそうで楽しみですw

さて、本日もまったりと韓国人の習性や生態について考察していこうかと思います。

「それでは日本は」というのは、日韓チャットの韓国人が討論で追い詰められた時に吐く定番の台詞でした。

韓国の悪いところや韓国人の欠点を指摘されて、それに反論出来なくなると、彼らは悲鳴のように「それでは日本はどうなんですか」と叫びます。

もっともこれは韓国人だけの専売特許というわけではありません。誰もが子供の頃、悪さをして親や教師に見つかり、叱られた時に「だってヤマダ君もやってたもん」という類の言い訳をした記憶があるでしょう。「悪いのは自分だけじゃない」「自分よりもっと悪い人がいるから、自分は悪くない」という類の思考は、幼児性の強い人物には顕著です。

朝鮮人は人間で言うと12~4歳ぐらいの知能なので、それぐらいまでの子供や、大人でも幼児性の強い日本人と朝鮮人の習性が似ることは多いようです。

大人の日本人でこれに類する言葉を用いる者を時々見かけますが、そういう人は単に幼児性が強いだけではなく、不思議と親韓や擁韓が多い気がします。

韓国人に親しみ、韓国人をどうにかして庇いたいと思う余り、彼らと同化してしまう者が多いからかもしれません。あるいは、元から朝鮮人のような性格なので、自然と韓国に親しみ、韓国を庇うようになるのかもしれません。

どちらが先かは、ニワトリタマゴの話になってしまいますが、いずれにしても都合が悪くなると「それでは日本は!」と叫ぶ者は、朝鮮人か朝鮮人のような者と思って間違いないでしょう。

例えば日本国内における韓国人の犯罪について話をしているのに、何故か「日本国内においては、日本人犯罪者の方が韓国人犯罪者よりもずっと多い」と言い出すパターンには、かなり昔から非常にしばしば遭遇します。

日本国内では日本人が一番多いのですから、日本人犯罪者数も多くなるのは当たり前ですし、それは日本国内の日本人同士の問題で、韓国人には関係ありません。むしろ日本国内では日本人と比較すれば圧倒的に少ないはずの韓国・朝鮮人が非常に高い犯罪率(しかも凶悪犯罪の傾向が異常に強い)を誇るのは、日本と日本人にとっては明らかに問題です。

しかしそこで韓国人やそれに類する連中に、「それでは日本人はどうなんですか!」と言われると、何故か日本人は比較的素直にシュンとしてしまう人が多いようです。

私は、議論において日韓チャットの韓国人が「それでは日本は」と言い出したら、その発言を韓国人の敗北宣言とみなし、同時にその時点でその韓国人を量産型と認定して廃棄しておりました。後からその判断が誤ってたと思ったことは一度もありません。

それと同様、韓国の悪いところについて話している時に、「でも日本(人)も悪いんですよ」と言い出す人がいたら、それが生粋の日本人であろうとなかろうと、その時点でその人物を朝鮮人に類する者と判断し、朝鮮人に準ずる扱いをして良いと思っています。

例えば在日の通名悪用について話しているのに、何故か突然「でも日本人の戸籍売買や偽装結婚、偽装養子縁組の方がずっと問題視されている」などと言い出すのは、典型的と言って良いでしょう。

相手が日本人の場合は、時間を掛けて議論し、事実を挙げていけば、ある程度事実を理解することが出来るようになる人も少数ながらいるようですが、相手が韓国人の場合は、その期待を抱くこと自体が危険です。

今までの日本人は、そういう朝鮮論法にコロコロ転がされてきました。韓国人による被害に遭っても、当の韓国人やそれに類する連中から、「お前(=日本人)にも悪いところがあった」と言われれば、無条件で相手の悪いところ全てを必ず許さなければならないという強迫観念を植え付けられてきました。ある意味、慰安婦問題もそういう構図を抱いていると言って良いかもしれません。

ですが、いい加減日本人も事実を学習し、反論を行なって良い頃ではないでしょうか。

韓国に関する情報は、今は実に豊富です。その分、情報の正否の判断や取捨選択に迷うということはありますが、それでも紙媒体と口コミと実体験に頼らざるを得なかった時代と比べれば格段に容易く、格段に精度の高い情報を得ることが可能です。

これからの日本人は、日本を絶対悪視する韓国人や親韓・擁韓日本人の主張に安易に迎合せず、事実をきちんと知り、知らないことはきちんと調べ、事実に基づいた反論を行なうべきです。

その結果、彼らが「それでは日本は!」と叫べば、その時点で私たちの主張が正当なものであるということを確信して良いと思います。



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嫌韓?反韓?

朴槿惠韓国大統領は外遊先でも反日宣言をしまくっており、昨今の日韓関係の冷え込みは、悪化の気配はあっても回復する見込みは全く無さそうで、まことに重畳の至りです。

しかも日本側の姿勢は一貫して「ドアはいつでも開いている」ということになっております。

今年の7月に日韓通貨スワップ協定が終了する時もそうでしたが、日本側の「韓国が要請すれば応じる準備はある」という姿勢は、韓国側の主観からすると「日本に頭を下げて頼みに来い」と言ってるのと同義になるようです。

朴槿惠韓国大統領としても、【日本からカネを引き出すために】日韓関係を改善したいという気持ちが全くないわけではないでしょう。だからと言って下手に日本に対して融和的に動けば、後ろから弾が飛んでくる恐れが強過ぎるので、朴槿惠韓国大統領は反日姿勢を強めることはあっても弱める事が出来ません。

このまま韓国が反日姿勢を続ければ、韓国経済が破綻するというお楽しみも十分期待出来ますが、それ以上に私が個人的に期待しているのは、「日本にとって、韓国は無くても全く困らない存在」という事実を、日本人が実感として理解することです。

今までは「日韓は基本的な価値観を共有する重要な隣国」というキャッチフレーズの下、日本は韓国との関係を失えば破綻するかのような印象操作が盛んに行なわれ、多くの日本人がぼんやりとそういうイメージを持っていたのではないかと思います。

しかし、日韓関係の冷え込みは既に一年近くも続いておりますが、日本がそれで困ってるということは全くありません(韓国は大いに困ってますがw)。

この事実が日本人に広く共有されるようになれば、韓国不要論は強い説得力を持ちますし、更にそれが発展して韓国有害論が公に議論されるようになれば、日韓断交も絵空事ではなくなるでしょう。

まことに今の日韓関係は、日本にとって良い方向に進んでいるのではないかと思います。

ところで、日本の「嫌韓」に対して、韓国は「反日」ということについてのコメントを頂戴しました。

韓国に対する「嫌」と「反」の違いについては、月見チャットでもちらっと話したことがあるので、この際ですから記事として私の見解をまとめておこうと思います。

頂戴したコメントによると「嫌韓」は感情やワガママに基づくもので、「反日」は信条に基づくものと解釈されるとの由です。

その主張に従えば、「嫌韓」は理由も理屈もないタダの感情的なワガママですが、「反韓」なら信条に基づく正当な主張ということになるのでしょうか。

6~7年ぐらい前、まだ韓国に「嫌韓」という言葉があまり知られていなかった頃、日韓チャットで韓国人に「お前たちは反韓か」と聞かれることがしばしばありました。

私たちはその都度せせら笑って「私たちは反韓ではなく嫌韓だ」と答えていました。当時の日韓チャット常連日本人には、一人として「反韓」を唱えるものはいませんでした。

「マンガ嫌韓流」がきっかけになったのか、韓国でも「嫌韓」という言葉が知られるようになってからは、「お前たちは嫌韓か」と聞かれることも増えはしましたが、漢字を理解しない彼らが「嫌韓」と「反韓」の違いを理解しているようには思えませんでした。実際、「嫌韓」と「反韓」は何が違うのだと、韓国人に聞かれることも時々ありました。

ところが最近の日本では、「反韓デモ」とか「反韓感情」等、「反韓」という言葉をしばしば見かけるようになりました。それは、「嫌」という言葉を忌避する気持ちから、似たような意味を示すものとして何気なく、あるいは今回いただいたコメントのように「嫌う」という感情的な意識を表すものではなく、正当な信条を示すつもりで用いているのかもしれません。

しかし「反」という字は、どういう場合に用いられるのでしょうか。

私は「反」という字は、「反対」「反逆」「反抗」「反発」「造反」「謀反」などという熟語に用いらるように、最低でも対等の、本来は自分よりも上位と認めた相手に対する場合に限ると理解しています。

例えば王様に対して、家臣や庶民が「反発」したり「反抗」したり「反逆」したりすることはあるかもしれませんが、家臣や庶民に対して、王様が「反発」したり「反抗」したり「反逆」したりすることはあるでしょうか。

あるいは上司に対して部下が、教師に対して生徒が、親に対して子供が、「反発」したり「反抗」したりすることはあるでしょうが、その逆はあるでしょうか。

宗主国に対して属国が「反逆」することはあるでしょうが、属国に対して宗主国が「反逆」するなどということがあり得るのでしょうか。

そう考えれば、日本人が韓国に対する否定的な意識を「反韓」と言うのは、まるで日本人が韓国を対等以上の国と認め、高く評価しているかのようで強烈な違和感を禁じ得ません。

また、「嫌」という文字を接頭語として用いることが、必ずしも感情的な主張を表すとは限らないと私は考えます。その対象を嫌うに足る正当にして十分な理由があり、その理由を明確に説明出来るのであれば、「嫌」の字を用いても、決して感情的なだけではない、論理的な主張を表すことも出来るでしょう。

私は、韓国を嫌う理由は明確に説明することが出来ると自負していますし、日本から見た韓国が対等以上の国だとは微塵も思いません。

ですので「嫌韓」という言葉がお嫌いなら、「厭韓」でも「離韓」でも「避韓」でも、しっくりくる漢字があれば好きなものを用いて、「韓国を遠ざけたい」という気持ちを表現すれば良いとは思いますが、「反韓」という言葉を日本人が用いるのだけは、個人的にどうにもいただけないと思っております。



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通名は紛れも無い在日特権である

先だっての天皇陛下主催の園遊会において、参議院議員の山本太郎が陛下に直接、自らの要望を記した手紙を渡したという報道がありました。かつて、オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫が、天皇陛下暗殺を企てていたことを知った時以来の「世が世なら打ち首獄門だ」と思った事件です。

当人は、「別に法律で禁止されるわけじゃないからケンチャナヨ」などとほざいているようですが、法律で禁じられていないことなら何をやっても良いわけではありません。もし仮にそれがまかり通るとなれば、国は想定し得る人の行動の全てを法律で判断するよう定めなければならなくなるでしょう。

人の一挙手一投足の全てを法で定めることなど、およそ民主主義とは言えません。仮にも民主主義国家の、しかも一年生とは言え立法府の現役議員たる者がそんな寝言を公言する時点で、議員としての資質に悖ります。

よって今回の件については、たとえ本人が如何なる弁解をしようとも、抑えつけてでも詰め腹を切らせるべきです。それが出来るかどうかが、日本の、国としての品格や民度をはかることになるでしょう。

さて、このところ在日特権のひとつである通名についての意見がよく聞こえてきます。どこぞのジャーナリストを名乗る在日は、「通名も本名だ」などとわけのわからないことを言っていましたが、実はこの主張は、どうやら在日社会では普遍的に正当な主張であると考えられているようです。

通名も本名であるという主張の根拠は、通名が社会的に公式名として用いられているからだというものです。

ここで、「名前」というものについてちょっと考えてみようと思います。

「名前」とは何でしょうか。「個人を識別、あるいは特定するためのもの」というのが、真っ先に挙げられるでしょう。そのため名前は、名付けられた人と一体化します。故に本名はその人そのものであり、それを他人に軽々しく知られるということは、その人の身体生命を委ねるに等しいという思想が生まれます。

昔の中国ではそれが高じて、本名以外に字(あざな)を付けるようになりました。字も、本名同様個人を識別あるいは特定するために用いられ、しかも本名よりも使用頻度は高かったそうです。

「本名を軽々しく他人に知られないようにする」という発想は人類には普遍的に見られます。例えば、幼名に悪い名前を付けるというのも、「名前=その人そのもの」という発想に基づくものでした。

日本でも「七つ前は神の子」と言ったように、医学の発達していなかった時代の乳幼児死亡率は極めて高く、そのため、当時の人々は生まれた子供に良い名前を付けると、それを羨んだり妬んだ悪霊や魔物に目を付けられて、子供を奪われると考えました。そこでわざと子供に汚い名前や悪い名前を付けて、悪霊や魔物の目を欺こうとする風習は、多くの文化圏で見られます。

このように「名前」とは、その人そのものと認識されます。

では、「名前」がなければ、「その人そのもの」もなくなるでしょうか。そんなことはありません。名前があろうとなかろうと、人は存在し得ます。

ですが名前のない人は、他人から識別あるいは特定が出来ないということはあります。名前がないというのは、名前が存在しない場合だけではありません。名前が多く有り過ぎても同じことです。ですので名前は本来は、一人にひとつであるべきです。

ここで話を通名に戻しましょう。通名が本名たり得るかと言えば、通名が「あざな」的に用いられるのであれば、本名(の一部を構成するもの)と言っても良いかもしれないとは思います。

即ち、ある人の「名前」には「通名」の他に「本名」があることが広く周知されており、公的な書類には必ず「通名」と「本名」が併記されるなど一定且つ厳格なルールが成立しており、それが社会的に広く認知されているならば、通名も本名(の一部を構成するもの)と言うことが出来るかもしれません。

しかし「通名」が「通名」であることがまず隠され、「通名」以外に「本名」があることさえも伏せられた状態で、「通名も本名である」と主張するのは、あまりにも無理があります。

また、「通名」が任意に変更可能であり、その変更手続きも「本名」の変更に比べると段違いに容易であることも、「通名」を「本名」と言い得ない理由のひとつになります。任意且つ容易に変更可能ということは、「名前」の最大の役割たる「個人の識別あるいは特定」が果たせなくなるからです。

よく見かけるのが、「通名と本名は役所の書類上でリンクしているから、通名も本名と同じである」などという詭弁です。

通名と本名が役所の書類上でリンクしていても、「通名」が「通名」であると知らなければ、「本名」が別にあるなどと普通は考えませんし、「通名」が「通名」であると知っても、役所まで「本名」を調べに行く人はそうそういないでしょう。もしいても、個人情報保護法の蜂の頭のと言われて、簡単に「通名」とリンクした「本名」を調べることが出来る人は多くないでしょう。

また、この制度が日本に居住する全ての人に例外なく適用されるのであればまだしも、この制度は日本人には適用されません。試したことはありませんが、日本人が通名を用いようとして役所に申請に行っても、おそらく認められないでしょう。

更に犯罪歴や金融関係の信用枠の問題も、先だって竹田恒泰氏が言及しました

この竹田氏の発言については、揚げ足取りと言うのも及ばないほどの意見を幾つか見かけました。「通名は本名とリンクしているので、逮捕されれば犯罪歴は必ず判明する。だから、通名を変更すれば犯罪歴が消えるなどということはあり得ない」という類の主張です。

言うまでもなく、「犯罪歴」は「名前」に付くものではありません。犯罪者そのものに付くものです。ですがその犯罪者を識別あるいは特定するためには、「名前」が必要不可欠なのです。この「名前」が「通名」であり、「通名」が容易に変更可能であれば、書類上の犯罪歴はともかくとして、社会的な犯罪歴というのは間違いなく消せると言って良いでしょう。

人が誰かについて知ろうと思うとき、必ず役所でその人の住民票なり戸籍謄本なりを取り寄せて調べるということは、そうそうあることではありません。普通は、その人が自ら名乗る名前を本名と思うものですし、念を入れるとしてもせいぜい運転免許証を確認するぐらいでしょう(運転免許証の名前も、通名での記載が可能)。

金正一という本名の在日が、金田正一という通名を用いていたが、犯罪を働いて逮捕され通名で報道された場合、その後金正一が金本政一と通名を変更して新たな土地で暮らし始めれば、役所で書類を揃えない限り、金本政一が元金田正一であり、本名金正一という犯罪者であることを知ることは極めて難しいのです。

金融の信用枠についても同様です。マンガ「ナニワ金融道」では、融資の実行可否を審査する際に「名前(カタカナフルネーム)+生年月日」を機械に入力してデータベースから情報を取り出すシーンが度々出てきます。

更にこの作品では、どのようにすればそのデータベースを欺けるかまで描いていました。多分、今はもう通用しない方法だと思いますが、作中では生年月日や名前の読みを意図的に変えて申し込むという方法でした。そうすれば、融資の信用枠が限度額一杯の人でも、別人として新たな信用枠を得ることが出来、借金が可能になるのです。

これはもし実際に行なえば、行なった時点で詐欺罪が成立しますが、そうやって借りた金をきちんと返済すれば、犯罪そのものが発覚しません。ですが発覚しなくとも、犯罪は犯罪です。

通名は悪用が非常に容易であり、しかも在日にしか認められません。これを特権と呼ばずして何を特権と呼ぶのでしょうか。

この日本には、在日擁護のために詭弁を弄する人々が多数存在します。賢明なる読者諸姉諸兄におかれましては、朝鮮式混ぜ混ぜ論法に左右されず、問題の本質を直視する知恵と知識と精神力を付けていただきたいと切に願う次第です。



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月見櫓 韓国 日韓