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何故日本は韓国に過剰な配慮や譲歩をするのか

前回記事で「竹島密約」について書いたところ、「「竹島密約」って明らかに日本側の譲歩ですよね。なんでそんなに譲歩したのかがわからないんです。」というコメントを頂戴いたしました。

このコメントを下さった方に限らず、「何故日本は、韓国に過剰な配慮や譲歩をすることが多かった(今も少ないというわけではありませんがw)のか」という疑問をお持ちの方は、結構多いのではないかと思います。

その理由として、よく言われるのが「地政学的条件」というものです。朝鮮半島は、ユーラシア大陸の東端にあり、古代から近代に至るまで、日本とユーラシア大陸を結ぶ通路と言うか足掛かり的な地域でした。

日本とユーラシア大陸を結ぶ経路は別に朝鮮半島に限られていたわけではないのですが、日本の中心地から近い場所に朝鮮半島が存在するのは事実です。

航海術や動力技術が未発達だった頃、海を渡るのはなかなかに難儀なことでした。日本国内の移動であっても、基本的には岸伝いに船を進めるのが普通でした。であれば日本国外への移動だからと言って、寄る辺の無い大海原のど真ん中を悠々横切って行く、などということはまずありません。

出来るだけ陸が見える位置を維持しつつ、風向きや風力と相談しながら航海するのであれば、大陸への足掛かりとして、朝鮮半島はまことにうってつけの位置にあります。

事実、朝鮮を通じて日本に伝わった文物は決して少なくありません。それを理由に、韓国人はしばしば「日本に文化を伝えたのはウリナラ」などとほざきますが、日本に伝わった文化の中で、朝鮮固有のものが皆無に近いことを指摘すると、彼らは面白いように火病ります。

それはさておき、日本が国家の自覚を持つ以前から朝鮮半島はそこに在り、日本人にとって朝鮮半島とは「そういう場所」と認識され続けてきた、ということがまずあります。今でも日本にとっての朝鮮半島の重要性のひとつに、「地政学的条件」を挙げる人は少なくないどころか多いと言って良いはずです。

その次ぐらいによく挙げられるのが、「アメリカ様のご意向」じゃないかと思います。まあ、これも無いわけじゃないとは思うんですが、日本が本気で韓国に対する譲歩を嫌がっていたとしたら、アメリカがどんなにゴリ押ししたってもっと冷たい反応だったのではないかと思うのです。

つまり日本は「アメリカ様のご意向」を言い訳にして、望んでとか進んでとまでは言いませんが、それほど嫌がりもせずに韓国に譲歩していたのではないかと、私は考えております。

もともと日本は、配慮や譲歩にそれほど抵抗がありません。むしろ衝突や対立をこそ忌避したがります。配慮や譲歩で衝突や対立が避けられると考えれば、多少の自国の不利益にも目をつぶる傾向があることに、異論を唱える日本人は少ないでしょう。

それは日本人の国民性でもあります。即ち、「ひとりひとりが少しずつ譲ることで、全体が円滑に行くこと」を尊ぶ精神です。

この精神は別に韓国に対してのみ発揮されるというわけではありません。日本がお付き合いするほとんどの国に対して、日本はこの精神を発揮しているはずです。

なのに何故、韓国だけに殊更に配慮したり譲歩したりしているように見えるのでしょうか。それは韓国だけが「Win-Win」を理解しない国だから、ではないでしょうか。

相手が配慮すれば、自分も配慮しなければならないというプレッシャーを感じるのは、多分国際標準だと思います。ところが韓国人はそういう考えが非常に希薄なのです。

誰かが自分に何かをしてくれても、それが自分の欲したことであれば、韓国人は「当然」と考える傾向が極めて強く、それが親しい相手であれば、礼を言う必要はないとさえ考えます。むしろ親しい相手の配慮に礼を言えば、彼らの間では「失礼」に当たることもあるのだとか。

日本が韓国にとって「親しい相手」と言えるのかと思う方もいらっしゃるでしょうが、困ったことに言えてしまいますw しかもその考えは、日本人側にも根強くあったりします。

私は、日本が韓国に過剰な配慮や譲歩をする最大の理由が、この「親しい相手」という意識だと思っています。

ひとつには、かつて韓国が日本であったということが強く作用しているでしょう。当時を知る日本人にとって、韓国人は同じ国の人々だったわけです。韓国人にしても、反日とか抗日とか言いますが、実際のところは極めて機嫌良く日本の統治に従っていたのです。

そういう時代を知っている人々にとっては、日本人から見た韓国人も、韓国人から見た日本人も、まるで同窓生のような親しみを覚える場面が少なくなかったのではないでしょうか。

かつて同じ日本国民として共に時代を歩んだという感傷を抱く気持ちは、私も日本人ですからよくわかります。韓国人が意図してそこに付け込んだかどうかは、私は韓国人ではないのでわかりませんが、結果的にそういう形になっていたのは事実と言えるでしょう。

しかし日本が統治していた時代の朝鮮を知る人々は、日韓共に最早現役世代ではありません。韓国人の「甘ったれ癖」から、彼らが誰かに何かしてもらうことを当然と考えるのは今も全く変わっておりませんが、現在のほとんどの日本人に、韓国人がかつて「同じ国の人々」だったという記憶は皆無です。

ただ、戦後も韓国はせっせと日本を「ベンチマーク」しております。そのため、韓国を訪れると、日本の20~30年前ぐらいを彷彿とすることが極めてよくあります。そこに親しみを抱いてしまう日本人も、そこそこいるのではないでしょうか。

日本人のこういった新旧の「親近感」が、韓国に対する過剰な配慮や譲歩を生んでいるのではないかと、私は考えております。

今はまだ過渡期です。日本が統治していた時代の朝鮮を知る人々も、まだそれなりにいらっしゃいますし、数年前までの韓流捏風の影響も、まだ残っています。しかし更に時間が過ぎて、日本が統治した時代の朝鮮を知らない人々だけになった時、また韓流捏風そのものが忘れ去られ、しかし日本人が韓国の真実を知るようになった時、日本側の韓国対応は今より多少厳しくなるかもしれません。

そのためには、「Win-Win」を理解しない国や相手に譲歩や配慮をしてはいけない、という国民的コンセンサスをしっかり形成しておく必要があるでしょう。日本人は、自分が日本人なものだから、人間は皆日本人のような考え方をすると無意識の内に思い込みがちですが、日本人と韓国人は「同じ人間」ではないのです。

それを、今後の日本国民は遺伝子レベルで記憶に刻むべきだと強く思う次第です。



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竹島問題の解決によって、日韓問題の解決を目指す

竹島の日も無事、と言うかいつもどおり過ぎました。安倍総理が公約した政府主催による竹島の日式典は、残念ながら今年も実現されませんでした。

一応、島根県による竹島の日記念式典には政府代表の酒井内閣府政務官も出席し、これで4年連続の政府高官出席となったようですが、逆に言えば4年もお為ごかしで済ませているとも言えます。

そろそろ来年辺り、バシッと決めていただきたいものです。

しかしながら、これに関しては政府ばかりを責めてもいられません。国民側の関心も、時間の経過と共に薄れているとまでは言いませんが、問題のインパクトにもすっかり慣れて、惰性になりつつある感は私自身も含めて否めません。

竹島問題とは、ある意味日韓関係を集約したものとも言えます。

竹島問題については、竹島密約というものがあったとされております。平成19年に、鈴木宗男氏がこの件について衆議院で質問しておりますが、もちろん、政府はこの密約の存在を公式に否定しております。しかし前後の状況を見る限り、密約の存在があったと疑われるには十分でしょう。

この「竹島密約」によって、「竹島問題は解決せざるを以て解決したとみなす」とされたと言います。密約の存在が事実かどうかは私には断言出来ませんが、韓国による竹島の不法占拠後、日本国民に向けた竹島問題の周知が全く行なわれていなかったのは確かな事実です。ですから密約がもし存在したとすれば、少なくとも20年程度は効果があったと言えます。

「密約」といえども「約束」の一種です。その内容は、「竹島については今後、双方が自国の領土と主張することにし、これに反論することに異議は提起しない」「韓国が占拠している現状は維持するが、警備隊員の増強や新しい施設の増築などはしない」「両国はこの合意を守る」というものだったとされます。

もし韓国がこの密約に本当に忠実であれば、効果は更に長持ちしたかもしれません。しかし「約束」を守ることが出来ないのは韓国人の習性なのか、彼らはきっちりこれを破ります。

近年になって日本で竹島問題が突如クローズアップされたのは、日韓のネット交流が盛んになったためではないかと私は邪推しております。

2002年に私が日韓チャットに行き始めた頃、日本人に韓国人が吹っ掛ける話題と言えば日韓併合や教科書問題、いわゆる従軍慰安婦問題と、それから竹島問題でした。

日韓のネット交流サイトは、そのほとんどが韓国側の運営でした。また参加者も、少なくとも日韓チャットにおいては韓国人が圧倒多数でした。私は日韓翻訳掲示板の方はアカウントさえ取らず閲覧するのみでしたが、そちらも韓国人の方が多かったような印象を持っております。

しかしながら参加する個人の質は、圧倒的に日本人の方が上でした。しかも日韓ネット交流に定着した日本人たちは、決して多くはない人数でしたが、各自がただ知識を蓄えるのみならず、それを互いに共有するようになり、時間が経つごとに強力な集団になっていきます。

2年かそこらで韓国人が述べる日本毀損の主張については、そのほとんどがデタラメまみれということが韓国人の目にも明らかになっていきます。結果、日韓ネット交流は韓国にとって不利益と判断されたのでしょう。ほとんどの日韓ネット交流が10年と持たずに廃止(あるいは事実上の廃止)になりました。

その日韓ネット交流における「韓国人が述べる日本毀損の主張」の中で、比較的異質と言えたのが、この竹島問題でした。

日韓併合や教科書問題、いわゆる従軍慰安婦問題などは「日本が加害者」という前提で始まるストーリーでしたが、「竹島問題」については、日本には特別な加害行為がないのです。

日本が竹島の領有権を主張しているということだけで、韓国人にとっては十分過ぎる加害行為なのかもしれませんが、日韓ネット交流が始まった頃には、日本人側には竹島問題は周知されていませんでした。日韓併合や教科書問題、いわゆる従軍慰安婦問題については、日本人でも聞いたことぐらいはあり、左巻き日本人なら韓国人に謝罪するのも抵抗がないかもしれませんが、竹島については、問題そのものの存在を知らないのですから、謝罪を求められても呆気に取られるばかりです。

ですから、日韓ネット交流の場で、日本人が最初に竹島問題を提起したということは、確証はありませんが多分なかったのではないかと思います。

即ち、現在竹島問題が日本人に周知されるようになったのは、韓国側が「密約」を破るだけではなく、ネット交流において日本人に問題の存在を突き付け、韓国側の主張を認めるように迫ったことが最初の原因になったのではないかと私は考えております。

現在では、知らない人がいないほど有名になった竹島問題ですが、日韓のネット交流が下火になったことで、韓国人からの竹島問題議論を吹っ掛けられる日本人は、ほぼいなくなりました。喉元過ぎればなんとやらで、韓国人から直接吹っ掛けられなければ、なかなか実感として問題を認識出来なくなるのかもしれません。

ネットでは日本人に向かって気軽にドクトウリタンと叫ぶ韓国人ですが、実はリアルな交流においては、あまり露骨な態度は示しません。むしろ日本人側に気遣う態度さえ見せるほどです。そういう時間が増えてくると、日本人は再び竹島問題を忘れていくようになるのではないでしょうか。

竹島問題を日韓問題の縮図とすれば、竹島問題を解決することが日韓問題を解決する手がかりとなるかもしれません。そうでないとしても、領土問題はその領土の大小及び相手国にかかわらず重要です。

海によって、他国と隔てられている日本にとって、国境や領土という意識はなかなか深刻になりづらいというか、実感の持てないものではあります。しかし韓国ごときに領土問題で遅れを取れば、その他の国との間の領土問題交渉においては、更に退転を余儀なくされる恐れがあります。

「竹島問題は解決せざるを以て解決したとみなす」ではなく、「竹島問題を解決することによって、更なる日韓問題の解決を目指す」のが、今後の日本が目指す対韓方針ではないかと、痛切に考える次第です。



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揺れ動く韓国人と、それに惑わされる日本人

本日は竹島の日イブ。明日は竹島の日です。年に一度ぐらい「竹島は日本固有の領土」ということを日本国民全員が意識する日があっても良いと思います。もちろん、その他の領土問題についても日本国民全員に周知徹底すべきとは思いますが、竹島問題についてはホントについ最近まで、まるで存在しないかのような扱いでしたから、その分熱心にやったってバチは当たらんでしょう。

「竹島問題について知っても、特に何も出来へんし」と思って消極的になる方も少なくないと思いますが、この問題について知る人が増えるということ自体が重要になるのです。韓国人にしても、ほとんどがドクトウリタンと叫ぶだけで特に何もしませんし出来ませんが、ほぼ全ての韓国人がそう叫ぶことが力になっているのです。

現在までの日本は、その点で明らかに韓国に遅れを取っていました。「竹島プロジェクト」は、そういう点で大きな意義を持つと私は考えております。

さて、今日も今日とて最早どうでも良い、むしろばっさり切り捨てたい、って言うか明日消滅したら良いのにと切実に思っている韓国について。

韓国が反日ということは、既に広く知られた事実ですが、問題は彼らが反日一辺倒ではない、ということだと常々思っております。

彼らが反日に振れているだけなら、話はむしろ簡単なのです。しかし彼らは熱烈な親日でもあります。いや、【親日】という表現も正しいとは言えません。彼らの日本に対する感情は、頼日とか依日とか寄日と言う方が近いでしょう。彼ら自身は「用日」などと言ってるようですが。

あれほど日本に不義理をしていながら、彼らにその自覚はほとんどありません。どころか、それでも日本がウリナラを支えるのは当然の義務とさえ考えています。その理由は色々考察されておりますし、弊ブログでも色々考えたことがありますが、つまるところ彼らの甘ったれ癖と考える方が誤解が少ないような気はします。

もちろん、日本人が考える「甘ったれ癖」で説明するには、韓国人のそれは邪気があり過ぎますから、必ずしもそう呼ぶのが正しいとはさすがに断言出来ません。しかし下手に理屈を並べ立てると、かえって誤解が大きくなる恐れが強いという問題もあります。

どう説明しても誤解の余地が消せないのであれば、幾らかでも誤解が少なくて済む方、あるいは誤解であっても、そこから導き出される結論の方向性が幾らかでも正しい方で説明するのが無難というものでしょう。

というわけで彼らの対日意識は、彼らの「甘ったれ癖」によって常にふらふらと揺れ動いています。

時に強気に日本に挑みかかるような態度を示すかと思えば、突然日本を認め賞賛するようなことを言うこともあります。弊ブログでも幾度か取り上げたことがありますが、「待日本人六條」のように、彼らの対日姿勢の揺らぎは、昔から指摘されてきたことでした。

この揺らぎが、彼らが対日技術として伝統的に確立させたものであれば、対策のしようもあるでしょう。しかし実際には、これは彼らが生来持つ本能的な習性から発するものです。「待日本人六條」など全く知らない、見たことも聞いたこともない、またかなり幼い韓国人でも、この対日態度を自在に駆使します。

韓国人を知らない人はもちろんのこと、かなり知ってる人でも、この揺らぎには惑わされがちです。

それはそうでしょう。さっきまで狂ったように憤り、火を噴くように悪口を喚き散らしていた韓国人が、突然穏やかになってこちらの意を迎えるようなことを言い、あるいは慕わしげに擦り寄ってくるのです。韓国人の剥き出しの怒りにどう対処して良いかわからず困惑している時に、突然相手が人が変わったかのように穏やかに和やかになれば、誰だってほっとしますし、同時に再び相手が発狂し始めないように、言葉や態度に気を付けようと思うでしょう。それこそが、相手の(無意識の)狙いとも気付かず。

知らなければもちろんのこと、そうと知っていても彼らのこういった揺らぎに、日本人は翻弄されがちです。それを防ぐには、彼らが笑顔だろうが怒り顔だろうが泣き顔だろうが尊大だろうが卑屈だろうが、こちらはそれらに一切惑わされず、常に一定の態度で接することしかないと私は考えます。

しかしこちらも人間です。どんなに気を張っていても、相手の表情や態度に反応してしまいますし、自分は何とかこなせても、他の日本人がこなせるとは限りません。弊ブログの過去のチャットログをご覧になって、私の韓国人に対する態度の冷たさ頑なさに、全く不快感を催さなかったという方は多くはないはずです。

日本人にとっての韓国人とは、そこまでの気苦労をしてでも付き合う価値や必要がある相手なのでしょうか。

その答えが、日本人がこれから取るべき韓国人に対する姿勢と態度の答えを導き出すでしょう。


※お知らせ※
2月22日の「竹島の日」に向けて、弊ブログでは、ブログぼやきくっくり執筆者のくっくり様主催「2016年竹島プロジェクト」に参加しております。
2月22日の「竹島の日」までの期間限定で、弊ブログでは竹島プロジェクトに賛同し、竹島は日本領土であることを改めて強く主張し、島根県の「竹島の日」を応援します。


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韓国人が安倍総理を嫌う理由

【弊ブログにおいて日本政府の対韓方針に文句を言ったことは何度もあります】と書いたところ、「そぉかぁ?」というコメントを頂戴しております。「殊に安倍政権に対しては評価が甘い」的なご意見でした。

そう思われる部分が私の考えにあるのも決して否定はいたしません。と言うのも、まず「起こってしまったことや決まってしまったことに四の五の言っても始まらない」という考えが、私にはあるからです。ですから、私がそういう考え方を示すのは実は安倍政権に限ったことではありません。民主党政権の時もそうでした。

起こってしまったことや決まってしまったことに対して、そうでなければ良かったのにという考えを元に議論を行なうことが全くの無価値とは言いません。しかしその議論を「起こってしまった直後」や「決まってしまった直後」に行なっても、時間を無駄にする以外の何の効能もないと私は考えております。

もしそれをやるならば、「起こってしまったこと」や「決まってしまったこと」の結果が出て、それが起きていなければ、決まっていなければどうだったかの検証が行われ、やはり否定的な結果につながった場合でしょう。それを起こさない、決めないためには今後どうすれば良いのか、そういう議論をこそ行なうべきだと思います。

何故なら時間は逆に進まないからです。「起きてしまったこと」「決まってしまったこと」は既に過去です。過去に対して「そうじゃなければ良かったのに」といくら言っても、青いネコ型ロボットでもない限りどうしようもありません。それよりは起きてしまった過去を教訓として、未来をどうにかしようと考える方が建設的ではないかと思うのです。即ち、物事の是非に対する議論は、事後ではなく事前に行なうことだと私は考えております。

もうひとつ、「期待された者は今すぐ直ちにこの刹那に、その期待に十二分に応え、成果を示して見せなければならない」という考えも、これは感情的と言われるでしょうが、はっきり申し上げて嫌いです。

何でもそうですが、何かを成就させるためには、神通力でもない限り努力する時間が必要です。行なう努力が充分でないという批判は有りですが、それなりの努力をしている最中に「今やれすぐやれ早くやれ」と急かすのは、努力の邪魔以外にどんな効能があるのか、私には疑問です。

もちろん、人によってはそうやって間断なくビシビシ鞭を入れられた方が捗るという人もいるかもしれませんが、私自身がそういう風に急き立てられると不貞腐れて言うことを聞かなくなる方ですので、我が身に照らすと、そういうやり方には与したくないのです。

ですから、起きたことや決まったこと、あるいは期待した相手に対して、私が比較的緩い反応や感想を示すのは、相手を問わずよくあることです。その反面、一度見限った相手に対しては、私の判断は冷酷で頑なだと思います。まさに、韓国がそういう対象ですねw

さて前述のご意見を頂いた方から、同時に【安倍政権、、、と言うか安倍総理を韓国人は悪鬼羅刹の化身のように嫌うのでしょう?】というご質問も頂戴しております。

これはまず、安倍総理が【日本のために政治を行なう】と公言し、現に実行しているから、というのがあるでしょう。

韓国人が考える良い日本人、即ち「良心的日本人」というのは、何よりも韓国のことを第一に考え、韓国の立場に立った意見を言う日本人です。韓国側が何も言わなくても、韓国側の欲するところを汲み、それに全身全霊全力で応えるのが「良心的日本人」のあるべき姿です。

ですから、【安倍政権って言うほど対韓で強気と言うわけではなくそこそこ配慮している】程度では、韓国人にとって全く不十分なのです。

日本の国益を損なってでも韓国の国益に叶う努力を行ない、決して見返りを求めず、それを自らの栄誉と考えるぐらいのことをする日本人でなければ、韓国人は評価しません。

ところが安倍総理は、まず何よりも日本のことを第一に考えており、韓国は二の次以下ということが明らかです。

日韓通貨スワップ協定にしてもそうです。「期限が来たし、韓国側からの要請も特にないから、終了するねっ☆(ゝω・)vキャピ」では、「良心的日本人」として大失格です。「期限が来たけど、韓国側からの要請もないけど、これはいわば日本の使命だから、どうか延長させてください頼みです」ぐらい言うのが、「良心的日本人」であれば当然でしょう。

日韓関係において日本が韓国に向けて示す「対話のドアは常に開いている」という態度も、韓国人から見れば鼻持ちならないものでしょう。日本は韓国に「どうか対話を、何卒何卒お願い致します」とジャンピング土下座するぐらいでなければならないのです。

これらの韓国人が感じる「韓国を蔑ろにしている」という態度に加えて、アベノミクスによって日本が「失われた20年」から脱し、(経済破綻が露呈しつつある韓国から見れば)好調なのも、彼らのやっかみを誘っています。

日本の良いところや評価されるところは、本来全て韓国のものであるはず、という無意識的意識は韓国人には普遍的であり、日本が現在得ている利益は、本来韓国が得るはずだったものを不当に横取りしたものだ(だからウリ経済が悪化しているのだ)という感情が、安倍総理に対する嫌悪感を惹起している部分も大いにあるでしょう。

もっとも安倍総理を蛇蝎の如く韓国人が忌み嫌うのは、「みんながアベは悪いって言ってるから」という理由がほとんどであって、上記に掲げた理由や、それ以外でもそれなりの理由を以て安倍総理が嫌いだと言う韓国人ならば、それはむしろまだマシな方かもしれません。


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日本には韓国を救う義務も責任も能力もない

このところ2月とは思えないような暖かさが続いておりましたが、今日から寒さが戻ってくるそうです。

私は寒がりなので、個人的には暖かい方が嬉しいのですが、それでも昨日までの暖かさ(と言うよりは「暑さ」と言った方が近いw)は異常に感じられました。このままじゃ今月中に桜が咲いちゃうんじゃないかとすら思いました。

さて、このところ韓国関連では大したニュースがありません。前回記事でちらっと触れた開城工業団地騒動も今のところはすぐさま有事に直結するような雰囲気はとりあえずありません。いつ何をやらかすかわからないのが北朝鮮という国ですから、楽観は禁物ですが。

とりあえずめぼしいニュースがないと言っても、韓国が平穏で安泰というわけでもありません。むしろ韓国は徐々に社会的な疲労が蓄積されつつある状態です。昨年末の慰安婦問題に関する最終的且つ不可逆的解決の日韓合意の直後、突然日韓スワップ協定の再開が取り沙汰されたのも、韓国の困窮ぶりを如実に示すものと言えるでしょう。

しかしその後ぱたりと日韓スワップ協定再開のネタが途絶したところを見ると、おそらく韓国にとってあまり芳しくない経過を辿っているのではないかと憶測します。

余談ですが日韓スワップ再開については、言うまでもなく私は反対の立場です。もし再開されるようなことになれば、当然に憤慨するでしょう。

慰安婦問題に関する最終的且つ不可逆的解決の日韓合意についても、無条件で全面的に賛同するわけではありませんが、既に決まってしまったものに四の五の四の五の言ってもしかたがないということもあり、また見方によっては有効利用出来そうな案件というのがありました。ですから、評価出来る点もあるとの見解を示しました。

しかしながら日韓スワップ協定の再開については、如何なる擁護も思い付きませんし、評価すべき点も考えられません。「百害あって一利なし」とは、まさに日本にとっての日韓スワップ協定のためにあるような諺です。

慰安婦問題に関する最終的且つ不可逆的解決合意に理解を示したことが病気を刺激することになったのか、今月頭に弊ブログのコメント欄で踊り狂っていた方が「結局安倍総理大臣がスワップ復活したり、韓国援助したりしても文句言わないんだろうなここは( ̄▽ ̄)」などと挑発しておりましたが、弊ブログにおいて日本政府の対韓方針に文句を言ったことは何度もあります。

ただ弊ブログが日本政府の方針についてどんな意見を述べようと、所詮それはごまめの歯軋りでしかないということも、どうかご理解いただきたいところです。日本政府が弊ブログの主張を参考にするとか、ましてや弊ブログの意見に従うなんてことは、多分ないんじゃないかと思いますw

さておき、韓国社会の困窮はずいぶん前から緩やかに、しかし着実に表面化しつつあります。

昨年の12月18日、ソウルで一人の学生が自殺しました。彼はソウル大学の学生でした。ソウル大学と言えば韓国ではトップの大学であり、韓国においてソウル大学生を輩出することは、一門の栄誉とすら考えられていると言っても過言ではありません。韓国の受験戦争の厳しさと激しさは韓国ウォッチャーなら誰でもご存知だと思いますが、ソウル大学生はその厳しく激しい受験戦争を勝ち抜き、頂点に立ったわけです。

もちろん、ソウル大学に入ったからと言って将来の安泰が約束されるほど韓国の現状は容易ではありません。ですが大学を卒業しなければ人に非ずぐらいの勢いの韓国です。大学に入ったとしても、ソウル大学以外の大学では、結構に厳しい将来が待っているのです。そういう意味では、ソウル大学生は韓国における「勝ち組」のはずです。その「勝ち組」の彼が、何故自殺したのでしょうか。

その自殺したソウル大学生はネット上に公開遺書を残していました。そこには、韓国の「スプーン階級論」を悲観する内容が記されていたといいます。

韓国では「スプーンの色に応じて人生の階級が決まる」という「スプーン階級論」が、若者の間で一時期流行っていたようです。西洋では「裕福な家庭に生まれた子」のことを「銀の匙をくわえて生まれてきた子」ということがあります。韓国も食事に匙を使うことが多いので、この表現を援用して、家庭の経済状況に応じて「金の匙」「銀の匙」「銅の匙」「土の匙」に分類し、「金の匙」以外の経済状況の家庭に生まれた時点で負け組とするのが「スプーン階級論」の概要と言って良いでしょう。

つまりそのソウル大学生は、韓国では一級のステイタスとなり得るソウル大学に入っても「スプーン階級」の下では決して幸福な人生を送ることは出来ないことを悟ってしまい、人生を悲観して自殺に至ったということなのでしょう。

これは韓国の若者に大きな共感を呼んだようで、(現在では韓国の常としてすっかり忘れ去られているようですが)事件の直後はしばらく大きく取り上げられていました。

また「ヘル朝鮮」という言葉もすっかり定着しており、韓国が嫌いだと公言する韓国の若者も増えつつあるようです

そんな韓国の若者たちですから、「ヘル朝鮮」韓国を自分たちの力で改善していこうと考えることは全く無く、あらゆる希望を放棄して投げやりに生きていくか、さもなければ韓国を脱出して居心地の良い外国で安穏に暮らすかに人生の活路を模索しているようです。

かつての朝鮮では、海外に出るということはそれ自体が極めて困難でした。ですからその頃の朝鮮人は、自分の環境がどうにもならないと知れば全てを放棄して投げやりに生き、死んでいきました。しかし現在は海外に出ることが容易になり、多くの韓国人が海外脱出を果たしております。

その結果、韓国内では「スプーンの色」のために能力を発揮出来なかった韓国人が、「スプーンの色」の足枷のない外国でその能力を見事に開花させ、自分も幸せになり、自分が住む外国の社会にも貢献するようになったならメデタシメデタシなのですが、なかなかそう上手くはいかないのが韓国人です。

大抵の場合、韓国人は訪れた外国で自分たちの流儀を行使しようとし、現地で衝突と軋轢を起こします。彼らは、彼ら自身が嫌った韓国を脱出した先で再構築しようとするのです。結果として、彼ら自身も幸せになり切れず、彼らが移り住んだ国の人々にも、韓国と韓国人に対する嫌悪感を植え付けることになります。

韓国人が韓国に留まるのも確かに地獄ですが、首尾良く脱出したとしても、彼らが韓国人である限り彼ら自身が、自分たちのいる場所に小さな韓国を生み出すわけです。それが顕著なのは言うまでもなく韓国からほど近く、歴史的にも韓国人の流入が多い日本です。

何故か日本においては、多文化共生とか難民受け入れというとその対象は韓国人になることがよくあるわけですが、彼らの受け入れは日本の国益を損なうだけでなく(ホントはそれだけで彼らを拒否するに十分過ぎる理由になるのですが)、彼らにとっても別の不幸を生み出す元になります。

韓国人の不幸をどうにかするには、韓国人自身がどうにかするしかありません。日本が韓国に援助をすることは可能ですが、韓国はその援助を食い潰し、果てしないおかわりを要求するだけなのは、日韓の近代史を振り返れば明白です。日本が国益を損なってまで、韓国人を幸せにしてやる努力を行なう義務はありませんし、たとえ行なってもその努力は無駄になるだけなのです。

不幸な相手に手を差し伸べて、共に不幸になってやることが相手を救うことにはなりません。日本には韓国を救う義務も責任も能力もないことを、私たち日本人は徹底的に知るべきだと考える次第です。


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「韓国なんか知る必要はない」ということを知るために、韓国を知る必要がある件

北朝鮮の核実験と長距離ミサイル発射に対する制裁として、韓国政府は2月10日、南北朝鮮の経済協力の象徴的存在である開城工業団地の稼働を全面的に中断する決定を下しました。それを受けて北朝鮮は開城工業団地の韓国側関係者全員を2月11日午後5時半までに全員追放する措置を取ったようです。

朝鮮半島で有事勃発の緊張が高まるのは年に何度かある恒例行事みたいなものです。その度に弊ブログでは「すわ朝鮮戦争再開か」と言ってるわけですが、現在のところ全部空振りで終わっております。

それでも、どうせまた今回もオオカミ少年だよと言いたくなる気持ちをグッと抑えて、朝鮮半島有事勃発に対する警戒心を喚起したいと思います。空振りなら笑えば済みますが、万に一つでも当たった時は笑い事では済まないので。

と言うか、毎度毎度やるのやらないのといつまでもグダグダしてないで、やるならやる、やらないならやらない、とはっきりして欲しいものです。

さて、韓国についてある程度知るようになると、韓国関連の知識を蓄えることに肯定的になり切れなくなることがあります。

嫌韓気運の高まりと共に幾らかマシにはなりましたが、韓国関連の知識というのはなかなか開陳しづらいという現実が、まずあります。茶飲み話のネタであっても、迂闊に「韓国人ってホニャララなんだよ」と言えば、眉をひそめられるおそれは今も決して少なくありません。

仮に相手が嫌韓であっても、嫌韓話だけでいつまでも話を続けるということは、精神的に極めて困難です。嫌韓であればあるほど、韓国が嫌な相手であることを熟知しており、それを改めて口に出して確認し合うという作業は意外に苦痛なのです。それは日韓チャットでも、また月見チャットでも、嫌韓が多く集まる割に韓国の話題が出る頻度が少ないことからも、明らかです。

長年飽きもせず(実際には、何周回目の飽きが来てるかわからんほどですがw)嫌韓ブログを書いてる私が管理する月見チャットですから、夜な夜な嫌韓論客を以て自任する猛者が集い、思い思いに韓国を罵り、あるいは尽きせぬ悪口を披露し合っているのだろうと思って来られる一見さんは少なくないようで、チャットルームに入室してログを閲覧し、そのあまりにも普通の雑談っぷりに、拍子抜けする人もいるようです。

韓国をある程度以上知った人の中には、「韓国なんか知る必要はない」と言う人もよく居ます。私も、全面的にではありませんが、そう思うことはあります。

何故なら、韓国関連の知識は応用範囲が極めて狭く、知識を得るために掛けた時間的経済的コストとの対費用効果を考えると、明らかに無駄が多いのです。

例えば英語を覚えれば、多くの国で使うことが出来ます。しかし韓国語を覚えても、韓国以外で使う機会はほぼないに等しいと言っても良いでしょう。また英語を読むことが出来れば、フランス語やドイツ語なども読むだけなら何とか拾い読みが出来るでしょう。しかしハングルをマスターしても、他の言語に応用することは一切不可能です。

それは言語以外でも同じです。日本のマナーが必ずしも世界に通用するとは言いませんが、日本人の「出来るだけ他人に迷惑を掛けないようにしよう」という意識は、十分世界で通用します。

ところが韓国では、そういう意識は通用しません。「自分の都合のためなら、他人に迷惑を掛けてもケンチャナヨ」というのが韓国です。それを知り、韓国で過ごすとしても、「出来るだけ他人に迷惑を掛けないようにしよう」という習慣や考えが身に付いている人は、なかなか「自分の都合のためなら、他人に迷惑を掛けてもケンチャナヨ」と思えるようにはなりません。

それでも無理をして「自分の都合のためなら、他人に迷惑を掛けてもケンチャナヨ」と思い、そのように行動出来るようになればなったで、今度は韓国以外の国に行けば再び「出来るだけ他人に迷惑を掛けないようにしよう」と思い、そう行動する必要に迫られてしまいます。上手く切り替えの出来る人なら良いでしょうけれど、私などは不器用なものですから、日本で譲り合いの精神を発揮し、韓国で傍若無人に振る舞い、ということは出来そうにもありません。

そういう実用面での問題だけではありません。彼らの歴史認識や文化に対する認識にしても同じです。韓国での歴史や文化に対する認識は、韓国以外の国では通用しないということがよくあります。使えるとすれば、せいぜい一発ギャグやトリビアとしてでしょう。

いくら面白くても韓国関連の一発ギャグやトリビアは、何度も何度も繰り返し披露していると、他人からヘイトスピーチと言われるおそれがありますし、言われなくても言ってる自分自身がどんどん嫌になっていきます。

そういう経験を持つ韓国関連に詳しい人というのはかなり多いのではないでしょうか。韓国をよく知る人ほど「韓国なんか知る必要はない」と言う傾向があるように見受けられます。

それをそのまま鵜呑みにして積極的に韓国を知ろうとはせず、しかし韓国を嫌悪する気持ちはしっかりがっつり持ち続けるという嫌韓初心者は、結構いるのではないかと私は危惧しております。

実際、韓国なんか知る必要もその価値もありません。と断言してみましたが、それでも日本人は韓国を知っておかねばならないと私は思います。

例えば道を歩いていて、行き違う人に「この道の先は行き止まりだから、行くだけ無駄」と言われたとします。そこで素直にその道を進まなければ、本当にその先が行き止まりなのか、それとも自動車にとっては行き止まりだけど、自転車や歩行者だったら通れるのか、実は「行くだけ無駄」と言った人が嘘を吐いていて、本当は全然行き止まりじゃなかったのかは、わかりません。

本当にその道の先が行き止まりなのかどうかは、実際にその道を進まなかったとしても、後からでも地図で確認すればわかります。昨今では便利になったもので、かなり細い道や辺鄙なところでも、グーグルストリートビューなどを用いて確認することも出来ます。「あの人は嘘を吐いたのではないか」と疑えと言うのではなく、教えられたことを自分なりにもう一度確認してみる作業が必要ということです。

何事であれ、全て自分の目で確認しなければならないとは思いません。だからと言って他人の言うことを何も考えずただ鵜呑みにするのも、小中学生までです。教養有る大人を目指す人であれば、様々な角度からの「知るための努力」は常に行なうべきです。それが使い道の少ない韓国知識であってもです。

自分が知らないということを知らなければ、知ることは出来ません。「韓国なんか知る必要はない」「韓国を知るのは時間の無駄」ということは決して否定しませんが、それを知るためにも、韓国を知る必要があるのだと私は確信しております。


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北朝鮮の核を羨む韓国

先日北朝鮮が長距離弾道ミサイルを発射したとやらで、かつて「一発なら誤射かもしれない」とほざいた朝日新聞によると、これで15発目ですw

北朝鮮がこれまで核やミサイルに注ぎ込んできた費用を全て農業改革に回していれば、現在の北朝鮮の食糧危機もずいぶん緩和されていたはずだと言われています。しかし北朝鮮は、人民の飢えを満たすよりも、核とミサイルを選択しました。北朝鮮は何故これほどまでにミサイルや核に執着するのでしょうか。

答えは割と単純で、それらが現在最も強力な武器だと、北朝鮮の独裁者が判断したからでしょう。尤も北朝鮮の独裁者自身は、飢えるどころか生活習慣病が心配されるほど飽食しているというのも大いにあるでしょうがw

危険なものに危険なものが重なることを俗に「キチガイに刃物」などと申しますが、刃物は本来文明の利器であり、それ自身には何の悪意も(というか意思そのものが)存在しません。核やミサイルも同様で、それら自身に善悪の意識は一切ありません。問題になるのは、それらを持つ者の意識です。

利をもたらすものになるか、それとも害をもたらすかはそれを持つ、あるいは用いる「人」の意思に全て委ねられます。それが何であれ役に立つものほど、悪用したり誤用した場合の害は大きくなるのが常ですから、それを用いる者の意思が健全であり且つ他者への害意がないことが、必ず強く求められます。

しかし朝鮮(韓国)人には、「他者への害意」が一般的かつ濃厚に備わっています。その理由は、韓国をある程度知った者には常識ですが、彼らの「対人意識」です。

彼らは人間関係を上下でしか判断出来ません。更に彼らは「上位者は下位者にどんな(酷い)ことをしても良い」「上位者は下位者を虐げ蔑むのが当然」と考えます。加えて彼らにとって「他者」とは、「存在しない存在」です。下位者や他者に対し、朝鮮人がどれほど残酷になれるかを最もよく知っているのは、おそらく朝鮮戦争を体験した韓国人でしょう。

「上」の朝鮮人は、「下」を虐げ蔑みますが、「下」になった朝鮮人は「上」に卑屈なほどおもねりへつらいます。しかしそれは彼らにとっても決して愉快なことではないどころか、いわゆる「恨(ハン)」となって彼らの心に蓄積されます。それ故に彼らは、チャンスがあれば、「上」を引きずり下ろしてその頭を踏み付けにしたいと常に考えています。

ではそのチャンスを得るために彼らが切磋琢磨するかと言えば、そういうことも全く無いわけではないのですが、その方向性は一種独特です。即ち、「どれだけ上手くズルをして「上」を引きずり下ろすか」という方向で切磋琢磨することが彼らには極めて多いのです。

日韓チャットでよくあった「ズル」は、スクリプトを仕込んだタグを打ってチャットを使用不能に陥らせるという行為でした。一度そういう「ズル」を覚えると、彼らはシステム側がそれを使用出来ないよう規制するまで、それはそれは嬉々としてその手法を使い続けました。知識を蓄え、議論で正々堂々と相手を論破するよりも、そういう「ズル」で相手を黙らせる方が、彼らは強い優越感を覚えるようなのです。

朝鮮人にとっての「核」もまた、「上を引きずり下ろすためのズル」のひとつと認識されているようです。「核」さえあれば、無条件で自分たちは「上」に立つことが出来ると朝鮮人は考えています。それは韓国人がよく言う「南北統一すればウリナラは核保有国」という台詞に如実に表れています。韓国人は、北朝鮮が核保有国であることを強烈に羨んでおり、それ故に北朝鮮に反発し切れない、下手をすれば北朝鮮に憧れる韓国人が少なくないのでしょう。

彼らにとって「核」とはいわば「全ての望みを叶える魔法の杖」です。それさえ持てば、世界の全ての国々は韓国を尊重し、韓国の言いなりになると彼らは夢想しているのです。

その意識を、朝鮮日報の顧問がコラムに書いていました

朝鮮日報の顧問ともなれば、韓国を代表する言論人と言えます。「核」を保有することは、メリットばかりとは限りません。コラムの文中にも「核武装に関する議論から始めよう。避けられないようなら、非核化宣言の廃棄や核拡散防止条約(NPT)脱退も覚悟しよう。そして、それに伴ういかなる不利益も甘受する意志があることを、対外的・対内的に明らかにしよう。」とあるように、「核」を保有することは利益ばかりではなく、不利益も明確に、しかも少なからずあります。このコラムの執筆者はそれを知っており、韓国にはそれを「甘受する意思がある」と書いております。

しかし「無いものを有るように見せる」のは朝鮮人の三大悪癖のひとつです。韓国人に「不利益を甘受する意思」など最初からありませんし、今後生じることもあり得ません。それは、彼らがIMFの管理下に入った時に被った不利益を、甘受どころかまるで被害者のような気持ちで受け取っていたことからも断言出来ます。彼らは常にペイなしにリターンを求め、そのために「ズル」に手を染めます。

日本にとって北朝鮮の核やミサイルは当然大きな脅威ですが、この上更に韓国が核を持つようになれば、彼らがそれで日本を踏み付けに出来ると考えるようになることは確実です。前述のコラムには「日本は、隣の不運の陰でにたにたと笑っている」という一節がありましたが、これは「ウリナラが日本の立場なら間違いなくそうする」という意識を日本に投影したものにほかなりません。

「だから日本も核武装すべき」とは、私は実は考えておりません。核を保有することの不利益は小さくありませんし、実際問題として核は使用可能な兵器ではないという現実があります。集団的自衛権でさえ揉める日本が核を持つことも、持った核を使うことも、容易ではないどころか不可能だと私は考えております。それに仮想敵国の核保有に核保有で対抗すれば、保有数のイタチごっこになるだけなのも、東西冷戦時に証明されております。

「じゃあもし韓国が核を保有するようになったら、日本はどうしたら良いんだ」という疑問に対しては、誠に申し訳ありませんが現在の私は明確な答えを思い付きません。韓国が核を保有するようになるには、かなり多くの、しかも大きな障壁があり、容易ではないと言うか、まず不可能だろうという楽観もあります。しかし、韓国人が核を猛烈に欲していることもまた事実であり、彼らがその欲求を満たすためなら、何をしでかしても不思議ではないという現実も否定出来ません。楽観と現実の間で、私は明確な答えを見出すことが出来ておりません。

現在の私に言えることは、韓国がもし核を保有するようになれば、彼らが後先考えずそれを「衝動的に」使うおそれが十分にあり得るということをあらかじめ知り、決して日本が韓国の核保有を助長することのないよう対応する必要があるだろうということです。

もちろん既に核を保有している北朝鮮にも、そういう危険性は韓国と同じ程度にあります。だからこそ尚更に、韓国が核を保有するようになればその危険性が倍になるわけですから、それを未然に防ぐための努力と、その危険性が現実になった場合を想定し、その対処(が無理ならせめて心構えだけでも)を準備しておく必要があるのではないかと愚考する次第です。


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朝鮮人のような真似をしてはなりませぬ

このところ弊ブログのコメント欄で散々はしゃいでた御仁を、コメント禁止にしました。

ただこの御仁、複数回線をご利用のようなので、別回線から再び投稿されるかもしれませんが、今後当該御仁のコメントは内容の如何に関わらず全て削除しますので、読者諸姉諸兄におかれましては、決して相手をしないようにしてください。相手をされた場合は、もろともにコメント削除の対象になるかもしれません。予めご了承ください。

コメント禁止処分にした理由は、コメントの内容や態度ではなく、当人が精神疾患をお持ちであると仰ったからです。

もちろん、コメントの内容や態度を全く問題視していないわけではありません。しかし執拗にコメントを続けているのは、何か言いたいこと、あるいは聞きたいことがあるのかと思い、数々の無礼や無作法もずいぶん大目に見てきたつもりです。

この御仁、月見チャットの方にも顔を出していたので何か言いたいこと、聞きたいことがあるのかと思ってしばらく観察していたのですが、ほとんど発言しないのです。しても、くだらないこと(酒は百薬の長酒さえ禁止されなければ大丈夫 、とかw)しか言わないのです。

月見チャットでは、常に政治や時事について語っているわけではなく、むしろ雑談の方が圧倒的に多いので、月見チャットでくだらないことを話してはいけないと言うのではありません。ですがあれほどコメント欄で執拗に皮肉や嫌味、揶揄を繰り返していたのですから、何か言いたいことや聞きたいことがあるのかと慮るのは当然でしょう。

しかしながら、ついにはこの御仁「何度か私にチャットを勧めてきた人いたがなんだったのだろうか?」と発言するに至り、更に精神疾患持ちを自称されたので、これは何か言いたいことや聞きたいことがあるのではなく、ただ構ってもらえるのが嬉しくてしかたないから来ているのだと判断し、遮断することにしました。

私は個人的に、精神疾患をお持ちの方は、ネットコミュニケーションを控えた方が良いと思っています。本来、ネットであろうと電話であろうと実際の対面であろうと、「誰かの意識と向き合う」という意味では同じです。しかしネットの場合は、特にテキストでのやりとりの場合は、その「誰か」の姿は見えませんし、声も聞こえません。モニターに表示される文字で「誰かの意識」は見えますが、それは自分の頭の中で、自分の声で再生されるために、「自分の意識」と混濁しやすいのです。

精神的に健康であれば、たとえ表示されるのが文字であっても、また自分の脳内で自分の声で再生されても、それは「誰か」が入力したもの、即ち「他人の意識」という理解が可能ですが、精神疾患の種類によっては、それが「誰かの発言」なのか、それとも「自分の考え」なのか、あるいは「どこかから発信されている妨害電波の類」なのか、混乱するのではないかと危惧するのです。

今回の御仁は、どうも「対話相手の存在」に関する認識がかなり希薄で、理解能力のみならず理解意欲も乏しく、対話が成立しない傾向が強かった上に、精神疾患をお持ちというご本人の申告(申告が事実かどうかはわかりませんが、コメントやチャットでの発言を見る限り精神的に不健康であるのは事実のようなので)がありましたので、これ以上続ければ症状を悪化させることになると思いコメント禁止にしました。

月見チャットの方ではアクセス禁止までにはしておりませんが、私が居れば必ず蹴ります。名櫓無氏におかれましては、ちゃんと病院に通って真面目にお薬飲んで、精神的な健康を取り戻してからネットコミュニケーションに参加されることを強くお勧めします。

てぇかこの御仁、散々コメントで「ウリのコト朝鮮人みたいって言う奴が朝鮮人」ってなことを言ってましたが、月見チャットで強制退室を食らうと、躊躇なく病身舞(強制退室させられた後、即再入室し、即再度強制退室させられ、またすぐ入室というのを執拗に繰り返す行為。日韓チャットの韓国人が非常に好んで行なったため、日韓チャット常連日本人の間ではこの行為を「病身舞」と呼んでいます)をしてました。ホントに朝鮮人じゃないのかと疑うレベルでしたw 精神疾患故かそれとも持って生まれた性癖かはわかりませんが、現時点ではこの御仁を「朝鮮人のような真似をする者」と断じて良いと思います。

ちょっと前にも、「私もこのブログの主に朝鮮人って言われた」とコメントで仰った方がいらっしゃいましたが、私は弊ブログで何度も繰り返し「朝鮮人みたいな真似をする者は朝鮮人とみなす」と公言しておりますし、その理由も根拠もちゃんと説明しているはずです。ですから弊ブログにおいて「朝鮮人のような真似」をすれば、それは「朝鮮人とみなしてくれ」と言うのと同じです。以前にも申しましたが「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」です。

論語の「吾日に吾が身を三省す」ではありませんが、「自分が何をしたか、何を言ったか、それは「朝鮮人のような真似」ではなかったか」を、常に自ら省みるようにしたいものです。


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中庸の難しさ

本日は節分ということで、巷では恵方巻きの南南東のと大変に喧しかった日でした。

この恵方巻きとやらは関西発祥ということで色々物議を醸しているようです。私は生まれも育ちも大阪ですが、節分に恵方巻きを食べるという風習は、少なくとも私が小学生の間(昭和50年台半ばぐらいまで)は聞いたことがありませんでした。中学生ぐらいの頃に初めて聞いたような記憶があります。最近では、円筒状のものなら何でも良いとかで、ロールケーキやパンで恵方巻きのような食べ方をすることもあるんだそうです。

在日が仕掛けたと言う人もいるようですが、そもそもは芸者のお座敷芸と言うか、余興みたいなものだったという説もあります。個人的にはあまり関心がありませんし、実際に恵方巻き(のようなものも含む)の丸かぶりなどということをしたことはありません。

だって食べづらいじゃん・・・。

さて、節分と言えば豆まきですが、元は追儺という宮中の儀式だったのだとか。民間では「鬼は外、福は内」と呼ばわりながら家中に豆を撒きます。

この「鬼」と「福」のように、物事はしばしば二極化して分類されます。善と悪、大と小、正と負、右と左、白と黒等、何事であれ二極化して分類すればわかりやすいからでしょう。

韓国に対する理解や感情等も、しばしば親韓と嫌韓に二極化されます。私は常々公言している通り、嫌韓です。しかし嫌韓と言っても、皆が皆同じ意識というわけではありません。

最近目に付くのは、理由も理屈もすっ飛ばして、ただ嫌悪するためだけの嫌韓です。何故韓国を嫌いなのかと問えば、どこかで聞いたようなことを答えるようですが、実感も理解も備わっていません。

弊ブログなどでも、韓国を糞味噌に言ってる時は大変喜んでくれているようですが、ちょっとでも韓国に理解を示したり、韓国を擁護するようなことを言えば、たちまちご機嫌斜めになるようです。

かつて、初めて韓国人の反日に接した時、私が思ったのは「これは何か明白な理由や原因があっての反日ではなく、「何かよくわからないけど、何となく日本が気に入らないから」という理由での反日ではないか」と思いました。

もちろん、韓国人の主観は違います。彼らは明白且つ正当な理由と原因があって日本を叱責しているのだと確信しています。小賢しい生徒(=日本)を怒鳴りつけたり、場合によっては体罰を与えるのが、教師たる韓国の役目であり権利であると彼らは考えているのです。それこそが日本人から見れば反日以外のなにものでもないのですが、韓国人にとっては至極正当な理由に基づく行為なのです。

そこで彼らが「正当」と考える反日の理由を問い質してみると、全員が同じようなことを言います。言い回しや比喩までだいたい同じです。どこかにそういうマニュアルでもあって、日本人に会ったらそう言えと教育されているのかと思うぐらい、彼らは揃って同じ表現や同じ例を掲げるのです。

それらをひとつひとつ丁寧に潰していくと、やがて彼らは丸裸になります。彼らが掲げる「正当な理由」の正当性が失われた状態で、彼らの抱く反日感情について問い詰めると、最終的に残ったのは「何だかよくわからないけど日本が気に入らない」というものでした。

今でこそ「日本絶対悪観」が韓国人の対日意識のスタンダードと知っていますが、まだ経験値が低かったこの頃は、そんなことは思いも寄りませんでした。ですから、ただただ不思議でした。加えてその時思ったのは、「日本人が韓国人の反日の根源を知ったら、日本人も韓国人の意識を反射した意識を抱くのではないか」ということでした。即ち、「何だかよくわからないけど韓国が気に入らない」という意識です。

日本における嫌韓気運の高まりと同時にこの懸念は、残念なことに当たっているように感じられます。

「何だかよくわからないけど韓国が気に入らない」と思うようになると、悪いことや醜いことは何でも韓国だと思うようになります。しかも困ったことに、悪いことや醜いことが韓国であることは実際珍しくありません。それが何度も重なれば、「ほら見ろやっぱり」となってしまうのも当然と言えば当然です。

しかしそれは危険だと私は思っています。悪いことや醜いことがあったとしても、その詳細を調べ、韓国関連ということがわかってから初めて「ほら見ろやっぱり」と言うのならば良いのですが、度重なる内に「その詳細を調べ、韓国関連ということがわかってから」という作業をすっ飛ばしてしまうようになるのです。確かにその方が楽だし、結果的には的中率もそんなに低くないかもしれません。

それでも、イメージや先入観だけで韓国を悪だとか醜いと決め付ける行為は、韓国人の「日本絶対悪観」に基づく反日を投影したものになるのではないかと私は危惧します。

韓国を嫌うことがいけないわけではありません。ですが、嫌いであれば尚更に正しく韓国を理解し、また評価しなければならないというのは以前にも述べたとおりです。何故なら、「嫌いだから韓国を否定的に考え、不当に低く評価している」と思われれば、その人の韓国に対する意見や分析は、説得力を失うからです。

加えて、その人自身が韓国を正しく理解し、評価するという努力を行なわなくなるでしょう。最初から決め付けるという楽なやり方を覚えてしまったら、結果がわかっている(と自分で思っている)ことを改めて調べようとは思わなくなって当然です。

前述したとおり、何事も二極化して分類することがしばしばあります。二極のいずれにも与しない、しかしどっちつかずでも良いとこ取りでもない、確固とした【中庸】を貫くことは極めて難しいからでしょう。

しかし【中庸】を心掛けることは大切です。韓国に対する好き嫌いの感情は抱いても構わない(と言うか仕方ない)と思いますが、理解する考察するという作業においては、個人の好悪の感情に引きずられず、能う限り【中庸】を保つべきだと、私はそうありたいと、常に自分を戒めているつもりです。


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