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拝復

弊ブログでは擁韓・親韓な方々のご来訪を歓迎しております。ご来訪になった擁韓・親韓な方からの弊ブログに対する異論反論も、決して拒んでおりませんし、誠実に対応していきたいと思っております。

と言うわけで、嫌韓ブログ月見櫓で孤軍奮闘のシベット氏に対するご返事を差し上げようと思います。

まずはシベット氏のご投稿を以下に引用いたします。
「しかしネット上では、彼らがかぶっている人間の皮は見えません。彼らの持つ内面がそのままさらけ出されます。私はそれを指して、彼らを人類にカテゴリすることは人類に対する冒涜だと主張するのです。 」
こうした主張というのは、私には納得しかねます。これは韓国人に対する誹謗ということにならないのでしょうか?

韓国人も日本人も同じ人間です。fetiaさんが、日本のことを大切に思っているのと、同じように韓国人は韓国のことを大切に思っていることでしょう。

日本に対する誹謗中傷をする人に、ネット上で遭遇する場合もありますが、たいがいは、どうにも会話にならないような人で、相手にしてもしかたないように思います。そのような人の場合、同じ韓国人からも非難されることが多いです。

日本を罵倒する人というのは、そのことによって日本人がかっとなって怒ることを楽しんでいるのですから、日本人が、それに対して、感情的になるのは、相手の思う壺であり、相手に自分がコントロールされていることになります。

たまに、変な韓国人もいますが、友好的な韓国人が多いように思います。fetiaさんのいるチャット部屋は別としても、他の多くの部屋では、普通に友好的な会話がなされている場合が多いですよ。音声チャットで、話し込んでついつい夜更かししてしまったりとか。

私は良心にしたがって、私が本来そうであるべき態度で相手に臨むべきだと思います。相手が、日本人だから、韓国人だから、アメリカ人だから、フランス人だからというとで、態度を変えるということはしたくないと思います。

相手が反日態度だから、というのを理由にして、自分の態度を変えるというのをしたくないと思います。それは相手次第ということで、受身に思えますし、相手が態度を変えない限りこちらも態度を変えないということであれば、お互いの関係改善というのは進みようがないと思われるからです。

| 2006-11-26 | シベット #- URL [ 編集 ]

さて、これに対する私のご返事を以下に述べます。

まず、氏が大きく勘違いされているのは、私が彼らを「人間の皮をかぶった韓国人」と呼ぶことを「韓国人に対する誹謗ではあるまいか」とお考えになっているところです。

私が彼らをそう呼ぶのは、私がそう思うからではありません。彼らがそう振舞うからです。中身が人間であれば決して言ってはならないことやしてはいけないことを、彼らは躊躇なく言い放ち、易々と行うからです。

例えば「Again Hiroshima 1945」というフレーズです。彼らはこれを嬉々として口走り、何らの躊躇も逡巡もありません。私はこれをもって、彼らを「日本人の敵」ではなく「人類の敵」とみなしています。

そんなことを言うのは分別のない子供だけだと仰る韓国人や擁韓さんは少なくありませんが、韓国人は社会的地位のある大の大人でさえ、日本大使や外国人も列席する満座のパーティ会場で、「ビールにウィスキーを注いで泡立つ様は、まるで広島の原爆雲のようだ!」と得意満面で放言して、何ら憚ることがありません。

私が彼らを「人間の皮をかぶった韓国人」「韓国人を人類にカテゴリすることは、人類に対する冒涜」と主張するのは、単に事実を淡々と主張しているのみであって、誹謗や中傷、揶揄などではありません。彼らは、彼ら自身の行いによって、彼ら自身をカテゴライズしているのです。

ですから、「韓国人も日本人も同じ人間です」と仰るご意見には、断じて同意いたしかねます。彼らは「日本人と同じ」では絶対にありません。

「日本人である私が日本を大切に思うのと同様に、韓国人が韓国のことを大切に思っている」というご意見についても、申し訳ありませんが笑止千万です。

確かに韓国人は、韓国のことを誇ったり愛国心が強いようなことを言ったりします。しかしそれは口先だけです。そんな彼らの「愛国心のようなもの」と私の日本に対する思いを同列視されるのは、極めて心外です。

シベット氏は、日本人と韓国人の年間国籍離脱数を当然ご存知のことと存じます(韓国について何も知らなかった頃とは違うと主張されるのであれば、知っていて当然の基礎知識です)が、韓国のことを大切に思っている韓国人が、なぜ続々と自ら国を捨てるのでしょうか。本当に祖国を愛しているならば、石にかじりついても祖国から離れないのが本当ではありませんか。

祖国を大切に思い、祖国から離れたくはないけれど、貧しくて海外移民しか生きていく道がないとかいう人々が国を捨てるのであれば、同情の余地はあります。しかし韓国の場合は、これからの韓国を支え育てていくべき富裕層、知識層が続々と海外に移民しています。韓国人が本当に祖国を大切に思っているのであれば、そんな現象は起こり得ません。そう言えば、徴兵を厭い、金を積んで義務を逃れようとする韓国人も後を絶ちません。

氏が、「韓国人は韓国を大切に思っている」などと本気で思っていらっしゃるとしたら、それは氏が韓国のことをきちんとご覧になっていらっしゃらない証左です。

次に韓国人が発する日本に対する誹謗中傷罵詈雑言についてですが、やはり氏は大きく勘違いされておられます。彼らにとって、日本に対する誹謗中傷罵詈雑言は、彼らの良識のひとつです。

氏は「日本に対する誹謗中傷をする人は、同じ韓国人からも非難される」と仰いましたが、それならばなぜ韓国の新聞やテレビで日本に対する誹謗中傷としか思えない記事が、毎日のように掲載され報道されるのでしょうか。

韓国人が日本や日本人を誹謗した時、同じ韓国人にそれを咎められることがあるとすれば、それは「日本人に分かるように誹謗したこと」を咎められているのであって、誹謗そのものについては非難する韓国人も心の中で同意しています。

また、日本人に対して友好的な韓国人が多いことも、私は否定していません。彼らは、日本人から好かれて当然と思っていますから。

彼らは「過去に、日本人は韓国人に酷いことをしたが、私は寛大だから日本人を許して友達になってやろう」と考えています。「だから日本人は、韓国人である私が友達になってやると言えば、大喜びで友達になるに違いない。いや、なるべきだ」と確信しています。そのため、日本人が韓国人と友達になることに消極的であれば、彼らは自分の寛大さに感激しない日本人に対して激怒します。

シベット氏は、私のいるチャットルームにはキチガイじみた反日韓国人だけが来るとお考えのようですが、それも激しく見当違いです。私のいるチャットルームに来るのは、極めて普通の一般的な量産型韓国人ばかりです(氏が、「極めて普通の一般的な量産型韓国人」を「キチガイじみた反日韓国人」と仰るなら、当たっていますが)

氏は「他のチャットルームには友好的な韓国人ばかりがいる」と仰いますが、氏の仰る「友好的な韓国人」と、私のいるチャットルームで日本人に向かってサルのチョッパリのと散々喚き散らし暴れまくって蹴り出される韓国人とが同一人物であることは珍しくありません。

私のいるチャットルームで日本人に罵詈雑言を吐き散らかし暴れ狂って蹴り飛ばされるや、他のチャットルームへ行って別の日本人に「日本人と友達になろうと思って日韓チャットに来たのに、極右日本人たちにいじめられ罵倒されて強制退室させられた」と泣き付く韓国人が少なくないのを、私は知っています。

それは日本人側が先に韓国人を罵ったからだと思われるかも知れません。しかし私たち日韓チャットの常連日本人がいきなり韓国人を罵るということは、まずありません。

たいていの場合、後から入室してきた韓国人が部屋の話題についてこれず、何とか相手にしてもらいたくて会話を妨害したり罵倒を始めたりするのを日本人に叱責され、それに韓国人が反抗するのがきっかけです。

彼らは、日本人が身の程知らずにも韓国人様を叱責することを憤ります。「彼らの儒教的概念」においては、日本人が韓国人を叱責するなどということは、韓国人にとっては許すべからざる反道徳的行為だからです。しかし「彼らの儒教的概念」に日本人である私が従わねばならない理由を、私は知りません。

「日本を罵倒する韓国人は、日本人がかっとなって怒ることを楽しんでいる」と氏は仰います。もしそれが事実であるならば、やはり彼らは人間の皮をかぶった人間とは別種の生き物と言わざるを得ません。どうしても彼らを人類にカテゴリしたいのであれば、知的発達遅滞人とでも申し上げましょうか。

彼らは、しばしば日本人をサルと呼ばわって得意顔をしていますが、「日本人を罵倒して、日本人がそれに反応するのを楽しむ」という行動は、サル山のサルが観覧客に向かって汚物を投げつけ、観覧客がうろたえたり怒ったりするのを楽しむという行動を彷彿とさせます。あるいは、幼児が覚えたての卑猥語を大人に向かって連呼し、大人の反応を楽しんだりするのにも似ています。

シベット氏は、サル山のサルに汚物を投げつけられても泰然自若として動じず、幼児がはしたない言葉を叫んでも、それを咎めることは幼児にコントロールされていることになるからするべきではないと主張されるのでしょうか。

氏がそうしたいとお考えであれば、私はそれを咎めるつもりはありません。お好きになさればよろしいかと存じます。しかしながら私は、そうしたいとは微塵も思っておりませんので、そうしないことを氏に咎められるいわれはないと思っております。

氏が最もお忘れだと思われるのは、「日本人が韓国人を攻撃しているのではない。韓国人が日本人を攻撃しているのだ」ということです。私たちは韓国人の謂れ無き攻撃に対して、防衛しているだけです。自衛隊じゃないんで、専守ではありませんが。

日本人がいくら「相手がどのような文化圏に属する人であっても、態度を変えることはしない」と言って実際にその通り行動したとしても、人間の皮をかぶった韓国人にそれが通じる望みはありません。

もし韓国人にそれが通じるのであれば、里山で出くわした熊相手にも通じると思います。氏が本心からそう思っておられるならば、是非とも一度熊出没注意の山へ分け入って試してみてください。そして運良く熊に遭遇出来たら、是非熊相手に氏の考えどおりの態度で接してみてください。

もし熊に氏の態度が見事に通用したら、証拠の記念写真一葉を添えてご報告ください。その時は私も考えを変えようと思います。

氏の対人姿勢は、文明人相手には通用するかもしれません。しかし韓国人は、外見は文明人に見えますが中身は違います。過去に氏のような考え方や態度で韓国人に接した多くの日本人が、裏切られ、損害を被り、傷つけられ、最悪の場合殺されています。

そういった事実を知っていながら(知らないとは言わせません)、未だにそのようなことを仰るのが氏の信念であれば、それはそれとして個別に尊重いたします。

しかし氏がその信念を他の日本人に押し付けたり、その信念に従わぬ日本人を非難したりするのであれば、それは韓国人による対日本人加害行為を幇助する行為だと私は考えます。その場合、私は氏を日本人の敵と看做さざるを得ません。

相手が何国人であれ、私は日本と日本人に害為す者を認め許すつもりはありません。人類平等や世界平和の美名に酔って韓国人との友好を深めたいと願いそれを実行するのは氏の勝手ですが、それによって韓国人との友好など望んでいない日本人が韓国人に傷つけられるようなことがあった場合、氏は責任を取ってご自身の腹のひとつやふたつは掻っ捌く覚悟でいらっしゃるでしょうか。

もし、氏が韓国人であれば、別にそこまでの覚悟は求めません。繰り返しになりますが、韓国人が日本人を害するのは、韓国では英雄的行為とされているからです。氏がそれを狙って「日韓友好」を求めるのであれば、その行為は「韓国人としては」賞賛されるに値するものでしょう。

私が氏に覚悟と責任を迫るのは、氏が日本人であるだろうと考えているからだということを、最後に申し添えておきます。



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親韓の「良心」は何処に向いているのか。

ここんとこコメント欄に嫌韓に対するアンチテーゼを呈される方(ハンドルネーム「シベット」氏)にお越しいただき、コメント欄が盛り上がって筆者としてはホクホクしております。

筆者は嫌韓ですから、嫌韓に対するアンチテーゼについて容易に肯うことはありません。しかし嫌韓が絶対真実であり絶対正義であるとも思っておりません。ですから嫌韓に対するアンチテーゼについても、貸す耳のひとつぐらいは持ち合わせております。

例えばシベット氏の「韓国に肯定的なことを言う人を、在日ということに仕立て上げ、あいつは在日だから韓国に肯定的なことを言うのだと、決め付けて、それ以上考えるのをやめてしまうのだとしたら残念なことです。」というご意見などは、私も否定する材料を持ちません。

ただし、「何も知らない時にネット上などに広がっている韓国の話を聞けば韓国が嫌いになってしまうのは当然だと思います。」というご意見については、申し訳ありませんがまったく同意いたしかねます。

と言うのも、他の方は知りませんが、少なくとも私自身については「韓国のことを何も知らなかった」わけではなく、「ネット上に広がっている韓国の話を聞いて韓国を嫌いになった」わけでもないからです。

過去記事にも書いたと思いますが、私は戦後左傾教育を受け、日本は惡で支那・朝鮮は善だと思い込み、自己卑下と贖罪意識を刷り込まれておりました。語順が似ているのだから、日本人は英語より朝鮮語を習うべきだとかほざいていたその頃の自分を振り返ると、媚韓に近い親韓だったと思います。

そんな私を嫌韓へと導いたのは、ネット上で嫌韓日本人が発する嫌韓情報ではなく、ネット上で接したナマの韓国人たちです。

チャットではなく現実で韓国人と接すれば、彼らは「明るく朗らか、細かいことには拘泥しないけど、紳士的な方」かもしれません。いや、チャット上でも見方によっては、彼らは明るく朗らかと言い得るかもしれません。紳士的とは言えませんが。

韓国人に「儒教的な影響がある」ということも否定はしません。「彼らの儒教」においては、日本人は韓国人の下位に無条件で甘んじるべき存在です。「彼らの儒教的概念」に日本人が素直に従っていれば、彼らが大人物然と振舞うことも充分有り得ます。

しかし日本人が、彼らと対等かあるいは上位であることを主張した時、彼らは「彼らの儒教的概念」に逆らう礼儀に悖る日本人を激しく罵倒します。儒教的概念において長幼の序は重要な徳目ですが、日本人が相手であれば、長幼の序以前に、「彼らの儒教的概念」においては韓国人の方が上位であることを、彼らは確信しているからです。

シベット氏が出会った韓国人は、シベット氏より社会的地位も年齢も上であったのではないかと思います。彼らは紳士的だったかもしれませんが、それは彼らが自らが氏よりも地位も年齢も圧倒的優位に立っている事を自他共に確信していたからだと思いますし、氏が「彼らの考える儒教的秩序」に従っていたからだと推察します。

誰でも、実際に目の前に立った生き物の形が人間であれば、それを人間として対応してしまいます。もちろん私も例外ではありません。それに韓国人だって、せっかくかぶっている人間の皮をそうそうみだりに脱ぎ散らかしはしません。

しかしネット上では、彼らがかぶっている人間の皮は見えません。彼らの持つ内面がそのままさらけ出されます。私はそれを指して、彼らを人類にカテゴリすることは人類に対する冒涜だと主張するのです。

韓国人に立派な人、尊敬できる人が存在する可能性があることを、私は否みません。しかし、そんな極めて一部の希少種や突然変異種を、それこそが韓国人の典型と氏が主張されるのであれば、私はそれに対して全面的に否やを唱えます。

そして私は、自らが嫌韓であることを恥ずかしいとも隠そうとも思いません。私の良心は、私の祖国が日本であり、私が日本人であることに基づきます。韓国人に自らの祖国を罵られ、同胞を嘲られ、時に害されるという状況を知っていながら、良心を盾に韓国人に対して何らの非難も反対も抵抗も批判もしないのであれば、私は氏に問いたい。あなたの良心は何処に向いているのかと。

国や民族に拘泥するな、人類皆平等で兄弟なのだからと本気で氏がお思いであれば、私はそれを尊重はしますが見習うつもりはありません。私は神でも仏でもありませんから。

木星辺りから地球を見下ろせば、同じ地球の住民なのに、国や民族に分かれて諍い争う人々は愚かで醜いかもしれません。でも、地べたを徒歩や自転車で駆けずり回る程度の私には、反日な人々が「狭い」「小さい」と嘲る日本でさえ、充分に広大なのです。

そのちっぽけな私にとって、日本は私を生み育んだかけがえのない国です。その日本を悪し様に罵る連中を認め許すことを、私は「良心」とは思いません。「良心」を錦の御旗よろしく振りかざし、高みに上って安全圏から自分以外の他者を見下すのはさぞや気分がよろしかろうとは存じますが、私は自分の言葉を自分の背の高さで語ることをこそ、我が良心と自負しております。

そしてネット上の情報の全てが完璧に正しく明らかであるなどと、ここに集まる人のうちで誰が主張したでしょうか。ネット上だけではありません。情報というものは、もちろん発信した側に大きな責任がありますが、同じく受け取る方にも、それが正しいかどうかを判断する責任があるはずです。

更に言えば、氏が擁護する韓国人どもが雄叫ぶ日本への誹謗中傷罵詈雑言はどんな情報に基づいて行われているのかを、氏は確認されたことがおありでしょうか。

日本人がネット上の情報を基に韓国を嫌うことを非難される以上、韓国人が何の情報を基に日本を侮り蔑み嘲り罵っているのかを、氏はもちろん把握されておいでのことと存じますが、韓国人の持っている情報は常に正しいとお考えなのでしょうか。それとも氏は「韓国人の反日に対しては、日本人の嫌韓を非難するのと同じように非難している」と仰るでしょうか。それとも「韓国人は日本を正しく判断し、評価し、批判しているのみであって、決して侮り蔑み嘲り罵ってなどいない」と主張されますでしょうか。

嫌韓であり続けることが正しいとは、私も思っておりません。親韓が完全に間違っているとも言いません。ただ、韓国を知った上で親韓を自称し嫌韓を非難されるのであれば、韓国の何が正しくて何が間違っているのかを正確に把握し、正確に理解し、正確に対処出来るようになっておられるべきであることだけは申し上げておきます。



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韓国のヨタと良心的日本人

さて、数日前から、「孔子は韓国人だった?」というネタが日本の一部マスコミで取り上げられているみたいですが、ブログ月見櫓をご覧の皆様におかれましては、今更感で一杯のネタだと思います。

日韓チャットでもこの話題が出ることは出ますが、あまり盛り上がりません。私もこの話題を韓国人に振っても、どういう反応が出るか簡単に想像できるので振りません。

日韓チャットでこの話題を韓国人に振ればどうなるか、私の想像をお話しましょう。まず、韓国人のほとんどはこう言うと思います。

「バカではないか。孔子は中国人でわかっている」
「そんなことを言う韓国人は一部です」

こういう反応を見れば、韓国人も案外まともなのかなと思う人もいるでしょう。しかし、これで安心するのは対韓問題の素人だけです。彼ら韓国人には、この後があります。

早ければ数ヵ月後、遅くとも一年以内に、「孔子は韓国人だった」と言う韓国人が増え始めると思います。

彼らのパターンとして、最初は嘘でもはったりでも何でも良いのです。とにかく言った者勝ち。そしてその発言が一度流れ出せば、まるで雑草の種が雨で運ばれて思わぬところで芽を吹くように、「一部の韓国人」が吹いた嘘、大袈裟、事実でないヨタがまるで新たに見つかった事実のように取り上げられます。

一番効果があるのは、この話を学校の教師が生徒にする場合でしょう。次に、ドキュメンタリー風のテレビ番組で取り上げられることがあれば完璧です。

彼らがこういうネタでただ自慰に耽るだけならばそれほど害もありません。健康な成人であれば、他人に見えないところでやる分には自慰も正常な行為です。問題は、彼らは精神的に健康とは言えず、また成人とも言えず、そして「他人に見えないところでやる」という芸が出来ないということでしょう。

そして今回の問題で日本側が気にするべきは、ネタそのものではなく、このネタが将来妙なところで芽を吹く可能性でしょう。彼らのヨタそのものは、今更気にしてもしかたありません。それよりもこのネタをバカな良心的日本人学者が追認するような説をぶち上げでもした日には、彼らの確信はダイヤモンドより堅固なものになってしまいます。

まさか日本の学者がこんなバカな説を追認することはないと思う方がいらっしゃいましたら、その考えは甘いと言わざるを得ません。過去、韓国人が発したいろんなヨタの発信源を探ったら日本人に突き当たったり、日本人が発信源でなくともそのヨタを日本人学者が追認することは案外珍しくないのです。

我々日本人側が警戒すべきは、実は「良心的日本人」の言動だったりするということを、今回のヨタ騒ぎで思い出した次第でした。



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【善意】の人々

【善意】という言葉があります。たいてい「良い心がけ」みたいな意味で使われておりますが、gooの辞書によりますと、
(1)よい心。善良な心。
(2)他人のためによかれと思う心。好意。
「―でした行為」
(3)物事をすべてよいように受け取る心。いい意味。
「―に解釈する」
(4)〔法〕 法律上の効果を生じうる一定の事実を知らないこと。私法上、一般に善意の行為は保護され、責任は軽減されることが多い。
とあります。

いつも思うのが、韓国に対する【善意】の人とは、本人はたいてい(1)~(3)の意味のつもりで善意なのだろうなということです。しかし韓国を知る者から見れば、彼らの【善意】は(4)の意味となります。

そして【善意の第三者】という言葉があります。

これは同じくgooの辞書によりますと、
ぜんい-のだいさんしゃ 【善意の第三者】
〔法〕 当事者間に存在する特定の事情を知らない第三者。
と解説されております。

単純な事件であっても、この【善意の第三者】というものが入ると途端に話が厄介になります。対韓問題でも同様です。

韓国のことを何も知らないで、あるいは中途半端な知識で、もしくは「自分の知ってる韓国人はそうじゃない」という根拠で、筆者の主張を覆そうとする方などは、まさにこの【善意の第三者】以外の何者でもないなあと思います。

通常、【善意の第三者】という人は、本人が望んだわけでもないのに事件に巻き込まれることが多いようですが、対韓問題に関しては何故か【善意の第三者】氏は呼んでもいないのにしゃしゃり出てきます。

不思議なことに呼ぶと来ないことが多いですしね。

私は、人には自分の信じたいことを信じる自由と権利があると思っています。ですから、親韓な人や擁韓な人の首根っこをふん捕まえて、無理やり月見櫓に引きずり込んで、小一時間説教を食らわして説得しようなどとは思いません。

そんなに親切でも暇でもないですから。

しかし親韓や擁韓な【善意の第三者】様の中には、私のブログに土足で上がりこんでくる方がしばしば散見されます。

別に上がりこんでくるのは構いませんが、来るなら来るで人んち上がる時は「挨拶をする」、「靴は脱ぐ」、「勝手に冷蔵庫を開けない」といった程度の最低限の礼儀と知識は備えてきていただきたいと存じます。

また、既に何度もこのブログ内で語ったことを繰り返し論われても困ります。

筆者はチャットで同じことを何度も何度も何度も何度も何度も何度も(中略)何度も繰り返し語らされるのにうんざりしています。しかし発言が消えて無くなるチャットであれば、同じことを繰り返し語らされるのもある程度やむを得ないとは思います。

しかしこのブログ月見櫓は、過去1年の筆者の主張が残されております。筆者の主張に反論を掲げられることは、筆者としてもやぶさかではございません。むしろ歓迎いたします。ただし、既に過去に筆者が記事で主張していることを読んでいないのが明らかな反論は素無視します。

筆者に反論を試みようとする方におかれましては、半年ROMってから来いとは申しませんが、少なくともこのブログの最初から最後まで目を通して来るぐらいのお行儀の良さを身に着けてから、お越しくださいませ。



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I'll say you are dreamers.

マンガ嫌韓流でもそうでしたし、嫌韓系ブログでも意外にしばしば見かけるのが「真の日韓友好を目指して」という意味のお題目です。このお題目、実は私にも心当たりがあります。

来る日も来る日も韓国や朝鮮を貶し倒していると、時にとてつもない不毛感に襲われます。日本の隣にこんな国がある苦悩、日本がこんな国と付き合っていかざるを得ない不満、日本がこんな国の連中に付きまとわれる不運、欧米人から見れば日本人とこんな国の連中の見分けがつかないという不幸。

それをいちいち論っていくうちに気分は真っ暗になります。そして真っ暗になった気分をなんとかしたいという気持ちが湧き起こります。それは「この運命から逃れられないのであれば、これを前向きに考え受けとめることは出来ないだろうか」という発想へ進むことがあります。

馬鹿を馬鹿と言うことについては何の疑問も躊躇も感じませんが、その馬鹿を遮断することの適わぬ状況下で、馬鹿を馬鹿だと言うだけでは何のメリットも進展も無いのではないだろうかと思うようになります。

しかし馬鹿を馬鹿と言うことで馬鹿が少しでもマシになるのであれば、こちらも不快を感じながら馬鹿を馬鹿馬鹿言った甲斐があるというものではないかという考えになり、やがて馬鹿がマシになれば今より少しは良い関係になれるのではなかろうかという考えに発展します。

この考えが「真の日韓友好を目指して」という言葉になります。

韓国を馬鹿馬鹿言うのは決して後ろ向きなことではなく、発展的な関係を構築する為の下準備なのであるという、言わば朝鮮を貶す行為に対する言い訳です。

韓国を知り、韓国を論う人ほどこの考えに一度は陥ると思います。

もちろん私も例外ではありません。馬鹿をただ馬鹿馬鹿言うだけでは、あまりにも無責任に過ぎるのではないかという自己批判を常に抱いています。

この自己批判に対し「いや、私はただ馬鹿を馬鹿馬鹿言って終わりにするつもりはない」という反論を用意したとします。すると私の中の人から「ほう、それは面白い。ではどうするつもりなのか」と反問されます。

私は私の中の人に対し、「月見櫓では、馬鹿を馬鹿だと言うことで、少しでも多くの日本人に注意を促すことが出来る」と答えます。

私の中の人は薄ら笑いを浮かべながら「それで終いか?」と問い返します。

私はちょっと答えに詰まります。私の中の人は意地悪い薄ら笑いを浮かべながら「多くの日本人が馬鹿を馬鹿だと知ってどうなると言うのだ?」と続けます。

ここで私はついうっかりこう答えてしまいたくなるのです。

「多くの日本人が馬鹿が馬鹿であることを理解出来るようになれば、今のような無批判無条件無分別な日韓関係ではなく【正しい日韓関係】を求めるようになる」と。

この【正しい日韓関係】という言葉が曲者でして、私の考えでは【日韓断交をも視野に入れた】という枕詞を入れるべき言葉なのですが、普通に聞くと【友好的な関係】を求めているように聞こえます。

もちろん、韓国人が今後少しでも文明人として振舞うことを覚えられれば【友好的な関係】を築く望みも無いではありません。しかし韓国人が近代文明に触れて100年以上、近代国として独立してからでも60年近くも経つ今日ですら、彼らの多くは文明人として振舞うことが出来ません。おそらくは今後100年が過ぎても、彼らが文明人らしく振舞うことはないでしょう。

韓国人を知る人ほど、これは痛感していると思います。

韓国を知る人々は、日韓が将来【友好的な関係】を築くことは、今世紀中ではほぼ不可能ということを知識としては理解しているのですが、それではあまりに日本の立場が悲し過ぎるのです。

その為、韓国を知る人であっても【日韓の良好で友好的な関係】というものを夢想してしまうことがあると思います。韓国を知っている人ですらそうなのですから、韓国を知らない人が【日韓の良好で友好的な関係】というものが無条件で可能、いや無条件で実現するべき両国の将来像であると思ってしまうのも無理はありません。

しかし残念ですがそれは夢です。それを夢想する人はひとりじゃないかもしれませんし、彼らが私たち嫌韓派も自分たちの仲間になれば良いなと思っているのも知っています。

でもごめんなさい。私たちはもう目が覚めているのです。韓国人と同様の夢想家たちに、共に夢を見ろと言われても無理なんです。つらくても苦しくても悲しくても、馬鹿を馬鹿と認識して対応していかなければならないのです。寝てる場合じゃないんです。

夢想家の皆様に夢を見るなとは申しません。私から夢想家の皆様に申し上げることがあるとすれば、ひとつだけです。

出来ればそのまま静かに安らかに永眠してくださいますように、ということだけです。



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朝鮮を知らないということ

最近日韓チャットもご無沙汰な今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。日韓チャットにいないからってどっか他所のチャットに浮気してるとかそういうことはまったく無く、自転車で走り回っているおかげか眠気に勝てないだけです。

自転車で走り回っていると、「痩せる」と言うよりは「引き締まる」と言った感じで良いのですが、逆に自転車に乗らなくなったらたちまち膨らむのではないかという不安がありまして、そのために走るのをやめられません。これが本当の自転車操業(違)。

で、休みの日は身体が磨り減るほど駆けずり回って帰宅するとばったり寝てしまうという健康的な生活を送っております。精神的にも肉体的にも健康な生活を送り、充電生活を満喫しております。

そんなこんなで更新が間遠になっておりますが、ブログ月見櫓執筆の情熱が冷め果てたわけではないのでご安心ください。吐く息が白くなり、路面凍結な日々が訪れれば、嫌でもインドアな生活に戻ります。そうなれば再び韓国ウォッチングに身を入れることになると思います。

そういうわけであえて意識的に韓国を意識しないようにしているのですが、それでも時々不意に目に入ってくるのは鬱陶しい限りです。

先日も通勤途中、何気なく駅に掲出されているポスターを見ておりました。時はまさに秋の行楽シーズンです。地元の駅の観光ポスターというものは、自転車で出かけるには程よい距離のものが多いので、最近は特にじっくり見るようになっています。

幾枚かのポスターの中に「秋の火災予防運動」のポスターがありました。消防車と消防士のショットですが、なんとなく「作った」感(本物の消防士ではない印象)が強く漂ったので傍によってじっくり見てみると、そのポスターに写っている消防士は、鄭雨盛という朝鮮人俳優でした。ポスターの右隅には、なにやら映画の宣伝も載っています。

別にこの朝鮮人俳優がどうのこうのとかあんまり思わないんですが、何かあればすぐ火を着ける韓国人を「火災予防」のポスターに使うってのは、一種の諧謔なのでしょうか。それとも「こういう人を見かけたら、火災にご注意」という意味なのでしょうか。

そう言えばセコムのコマーシャルでも裴勇俊を使っていましたが、あれはつまり「こういう笑顔で近づいてくる韓国人にご注意」という意味なのかなあと私は思っています。

朝鮮人にとって、日本人に対する犯罪は犯罪ではありません。以前から「韓国では、強盗は凶悪犯罪ではありません」などでも申し上げておりますとおり、「日本人に対する加害行為」は朝鮮人にとっては英雄的行為であり賞賛の対象です。

朝鮮人がそういう連中と知って防犯のイメージキャラクターや防災のポスターに使ったのだとしたら、それを決めた方の人の悪さは筆者を大きく上回ると思いますが、おそらくは「知らずに」使っているのでしょう。

「朝鮮を知らない」というのはこういうことなのであるなあと、駅のポスターの前でしばし思案にふけった次第でありました。




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Chosonized ideology

更新頻度を下げる代わりに、内容を充実させると嘯いたまではよかったのですが、充実が趣味の方に回ってしまい、休みのたびに自転車を駆って走り回っている筆者です。おかげさまで思考に使うべきエネルギーが全部脚に回ってしまい、帰宅すると文章を構築するために脳みそに回すべきカロリーも尽き果て、日韓チャットすらログインはしても、どの部屋にも入室しないで寝落ちするという有様です。

何しろ一度走り出すと10km20kmは当たり前という、ママチャリ時代には考えられなかった距離を走り回っております。その割りに体脂肪も体重も減らないのは、自転車に乗る時は補給食と称してばくばく食いまくっているせいでしょう(食わないと自動車で言うところのガス欠(ハンガーノック)を起こす為です)。まあ、自転車はダイエット目的と言うよりは、筋力維持とサイクリングが目的なので、体重は別に減らなくても良いんですけどね。体脂肪は減らないと駄目ですが。

しかしこうして韓国や北朝鮮のことを考えない日々を過ごしておりますと、これが実に精神衛生上快適な日々です。なるほど日本では巷の人々が朝鮮関連については蓋をして目をそむけ鼻を摘まんで避けるのもむべなるかなです。

ですが、朝鮮のことを私の意識や眼中から排除しても、連中がいなくなるわけでも改心するわけでもないのは当然で、相変らずあのバカどもはバカなことをやらかし続けている様です。

ミサイル発射に端を発した北朝鮮の暴走と、これに対する韓国の右往左往っぷりは、韓国ウォッチをサボっている私の耳目にもほのかに届いております。こうなると、つくづく北朝鮮と韓国を分けて考えることの無意味さを痛感します。それは、言わば同じメーカーが作った同じ車種で色違いの2台を、色が違って所有者が違うから、それぞれ違う車種だと言うに等しいことだと思います。

北朝鮮と韓国が標榜するイデオロギーは、それぞれ一応異なることになっております。しかしそのイデオロギーは、いずれも朝鮮化されております。朝鮮化されたイデオロギーが元の概念から遠ざかるのは、朝鮮儒教や小中華思想を見てもご理解いただけると思います。

即ち、北朝鮮と韓国の場合、注目すべきは「社会主義」や「資本主義」と言った表面上のイデオロギーではなく「朝鮮化」という点です。

白菜や胡瓜の漬物が唐辛子とニンニクをまぶされてキムチという漬物に変貌するように、元来は違うイデオロギーであっても、「朝鮮化」されることによってそれらは「朝鮮イデオロギー」とも言うべきものに変貌しております。そして北朝鮮も韓国も「朝鮮イデオロギー」を奉じているという点で、同じ主義、同じ思想の国と考えるべきだと思います。

キムチが白菜なのか胡瓜なのか大根なのかを問えば、それらはそれぞれ違う漬物と言うべきかもしれませんが、彼ら朝鮮人にとってはそれが白菜だろうが胡瓜だろうが大根だろうが、「キムチ」という漬物であることに違いはありません。ましてや朝鮮人ではない我々外国人にとっては、その赤くて臭くて辛い発酵食品は、原材料が何であれ同じ物にしか見えません。

同様に、イデオロギーも素材はそれぞれ社会主義だったり資本主義だったりしますが、いずれも「朝鮮化」という過程を経てキムチ、もとい「朝鮮イデオロギー」となっております。

現在、韓国は資本主義の下に経済発展し、国際的にも一定の立場を得ております。だからと言って韓国は日本と同じ西側で、日本と同じ資本主義の下に経済発展している国だという考えで韓国に接すれば、文化の違いだけでは説明し切れない壁に必ず突き当たります。

これは北朝鮮も同じです。同じ社会主義を奉じる国だからという考えで北朝鮮に接した中国やロシアが、文化の違いだけでは説明し切れない壁にぶち当たって頭を抱える羽目に陥っています。

まず国際社会が認識すべきは、北朝鮮も韓国も同じ「朝鮮イデオロギー」を奉じる国であるということでしょう。北朝鮮を社会主義と認める人はずいぶん少なくなったと思いますが、韓国を資本主義あるいは自由民主主義と思っている人はまだまだ多いように思います。

しかし、そういう認識で彼らに接しても、話がまともに通じる望みはありません。逆に、彼らの奉ずるものが「朝鮮イデオロギー」であることを理解した上で彼らを見れば、今まで不可解に感じていた彼らの言動のいずれもが、正しく「朝鮮イデオロギー」に則ったものであることが理解できるようになると思います。



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