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日本でハングルや朝鮮語を使う若者がいる理由

元々バイクが好きということもあって、このところのバイク談義はとても楽しかったのですが、バイクに関心のない人にはメーカーごとの違いどころか、オンロード・オフロードといったタイプの見分けも難しいもののようですので、バイクブログではない弊ブログとしては、バイク談義はこの辺にしておこうかと思います。

さて先日NHKで、ハングルが日本に溶け込んでいると紹介されたことが月見チャットでも話題になっておりました。NHKでどのように紹介されたか、実際に見てない私としては、その内容が事実かどうかはにわかに判断出来ませが、実は私も、若者が実際にハングルを使っているのを見たことがあります。

つい先日、二十歳前後の若い女性というか、ギャルと言った風情の二人連れを見かけました。二人とも、ジャージっぽい服を少しだらしなく着た、いかにも今時の女の子でした。

彼女らとは100円均一ショップの店内ですれ違い、店を出る時もほぼ同じタイミングでした。店を出た後、私は駐輪場で、買った物をバイクに装着していたのですが、彼女たちはその私の目の前すれすれを自転車の二人乗りで、服装に見合った緩さで出て行きました。

見るともなく彼女らの自転車を見送ったその瞬間、私は目玉が飛び出しそうになりました。彼女らの自転車のリアフェンダーには、銀色のペイントマーカーではっきりくっきりと、ハングルが書かれていたからです。

それは「サランヘヨ」というフレーズでした。朝鮮語で「サラン」は「愛」、「ヘヨ」は動詞の「ハダ」の活用形で「する」という意味で、名詞にくっつけばその名詞を動詞化します。つまり「サランヘヨ」は一般的には「愛してる」と訳されるフレーズです。

思わず「ちょ、朝鮮人?」という言葉が前歯の裏まで出ましたが、噛み潰しました。「朝鮮人」という言葉に切れられても困るし、逆に「ハングルが読める=自分たちと同じ朝鮮人」ということで、仲間と思われても困るからです。

私は日韓チャットで韓国人に「韓国語をわかりますか」と聞かれれば、即答で「わからない」と断言していますが、門前の小僧なので実は片言程度ならどうにかならないこともありません。もちろん日常会話にも程遠いレベルですが、きわめて基礎的な文章なら、いくつか読み書き話すことは出来ます。

その中のひとつ「あなたは韓国人ですか?」という文章は、かなり初期に覚えました。実際に使ったこともあります。

今から20とちょい年前のことです。確か名古屋の地下鉄の中でした。シートに座っていた私の目の前で、5~6歳ぐらいの女の子が、母親の足にまとわりつきながら、しきりにおしゃべりしているよくある光景に出くわしました。

女の子が周囲の目を気にする様子が全然ないのもよくある光景でした。ひとつだけ珍しかったのは、その女の子の話す言葉が、時折日本語の単語が混ざる韓国語だったことです。

当時親韓だった私は、それを特に不愉快には思いませんでした。こまっしゃくれた女の子がよくやる微笑ましい風景だと思いながら、私の座る目の前でのことだったので、見るともなく見ていました。

何かの弾みでふと、その女の子と私の目が合いました。女の子が普通に、にっこり笑いました。そこで私も笑顔を返しながら何気なく「あなたは韓国人ですか?」と韓国語で言ってみました。

その途端、彼女はおびえたような顔つきに変わり、後ずさりするように母親の足を盾にして隠れてしまったのです。

そのことで、女の子の親から苦情や叱責を受けた記憶はありません。ただその女の子の、突然のおびえたような表情の意味がわからず、激しく狼狽したことは鮮明に覚えています。今もその意味はわかりません。

そういう記憶があるので、たとえ本物の韓国人であっても、韓国語で「あなたは韓国人ですか」などと、迂闊に質問しないようにしています。

ハングルも同様です。こちらが韓国語を話さなくても、迂闊にハングルに反応すれば、「ハングルが読める=韓国人または在日、少なくとも親韓」と思われる確率はむちゃくちゃ高くなります。そのいずれでもない私としては、「じゃあ何でハングル読めるんだよ」と言われると説明に困りますし、正直に説明すれば相手も剣呑にならざるを得なくなってしまいます。双方、面倒なだけで何のメリットもありません。

そう考えると、「ハングルや韓国語でのメールや会話」というのは、それを用いることで「仲間を見分けたり、連帯感を強めたりする」という役割があるのではないかと思います。

ハングルが読めたり、韓国語が話せれば仲間である可能性は高くなりますし、仮にハングルが読めても韓国語で話しかけても、反応しない、拒絶する者は仲間ではないと判断出来ます。

そう言えば、「タンベ(朝鮮語で「煙草」の意)」「パチキ(朝鮮語で「頭突き(?)」の意)」などという朝鮮語は、私より上の世代も使っていました。いずれも不良と呼ばれる人々が好んで使う語でした。

「チョンガー(「独り者」の意である「総角」の朝鮮語音「chong-gak」の転訛)」という言葉も、どこか下卑た揶揄を含む俗語として、これは不良に限らず、かなり以前から用いられています。

何のことはありません。日本における朝鮮語は、カッコいいからというよりは、仲間内で用いられる隠語や符牒、インフォーマルな場面での面白ワードとして用いられているだけなのです。

現在の日本に、メールや会話その他でハングルや朝鮮語を使う若者は少なからずいるでしょう。そのほとんどは単に在日や頭の緩い親韓、及び私たちのように、「ウリ」「ニダ」「アイゴー」「ケンチャナヨ」をふざけて使う嫌韓や笑韓だとは思いますが、中には在日でも特に韓国に好悪の念があるわけでもない人も、一定数いるかもしれません。

しかしそれは、NHKがミスリードしようとしたような「朝鮮語で言う方が気持ちがこもるから」とか「ハングルが可愛いから」などという理由などではなく、仲間内でしか通じない隠語や符牒を用いることによって、仲間内の連帯感を高めたり強めたりするためとか、あえて崩したインフォーマルな表現を用いることで、力の抜けたくだけた雰囲気を演出したいというのと全く同じような理由で用いられているだけだと、私は考えております。



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知らずに触るのは危険

前回の記事でカワサキのバイクについて、「これは叱られるかもなあ」と思いつつ書いたら、やっぱり叱られました、ごめんなさい<(_"_)>

実は私はホンダ、ヤマハ、スズキのバイクには乗ったことも所有したこともあるのですが、カワサキだけは所有したことも乗ったこともありません。

カワサキが嫌いだから、というわけではなく、まず周囲にカワサキ乗りが極端に少なかったこと(バイク屋でさえ、展示車にカワサキがない、というところがありました)、次に私がバイク乗りだった頃(前世紀w)のカワサキ乗りはほぼビッグバイク乗りでもあり、自動二輪の限定解除(現在は大型自動二輪免許になり、教習所を卒業すれば実技試験が免除され、学科試験に合格するだけで取得出来ますが、当時は試験場で実技試験に合格して自動二輪免許に付された小型・中型限定を解除しないと取れない、非常に取得難易度の高い免許でした)をしていなければ知人にカワサキ乗りがいても借りれないということ、実際問題として限定解除をしていても、「お前なんかに乗れるか」ということで跨らせてももらえなかったということがあります。ええチビで短足です悪かったな。

カワサキのバイクは実際のところ、乗り手を選ぶ印象があります。ですのでカワサキのバイクに対する悪口というか揶揄は、選ばれなかった者の僻みとヤッカミとでもお考えいただければと思います。っていうか、バイク乗りの間ではそんな感じですよねw

ついでだから個人的な国産バイクメーカーの印象を言うと、ホンダは優等生だけど野暮ったい、ヤマハは速くてカッコイイ、スズキは淡々と我が道を行くという感じですね。繰り返しになりますが個人的感想です。

韓国のバイクメーカーは、確か暁星以外では大林(デリム)というメーカーがあります。それ以外にもあるかも知れませんが、私は存じません。

暁星はスズキから技術供与を受けておりますが、大林はホンダから技術供与を受け、やがて「一通りできるようになったら、『株を全部買いますから、帰ってくれ』と言われた。『どうしましょうか』と下の者が聞いてきたから、『そんなことを言われるところでやることはねえよ』と言って、金を返してもらった」と故本田宗一郎氏に言わせたという話は、嫌韓の間では有名な逸話になっております。

そもそも韓国では、自転車も含め二輪に乗るのは仕事などで必要に迫られてという場合がほとんどです。それでも自転車の方は、健康の維持・増進のためのスポーツや、遊園地の乗り物的娯楽として嗜む韓国人もいるようですが、趣味のバイク乗りとなればあまり多くありません。

韓国は道路事情的にバイクが走りづらい(ドライバーの運転がもれなく荒い上に、交通弱者は積極的に虐待するのが当たり前、更に道路もケンチャナ整備なので、二輪で走るにはかなり危険)というのと、「二輪なんて、子供か貧乏人の乗り物」という意識が強いからでしょう。

四輪でさえ出来るだけ大きな車が喜ばれ、軽自動車は敬遠されてた韓国です(昨今のガソリン代の高騰等で背に腹は代えられず、最近では軽自動車に乗る韓国人も増えてきたとは仄聞します)。もっと言えば「自動車はお抱え運転手に運転させて、自分は後部座席でふんぞり返っていたい」というのが、一般的な韓国人の価値観です。

自動車と比べればタイヤの数が二個も足りない上に、自分で運転するのが当然の二輪など、韓国人が鼻も引っ掛けないとしても、全く不思議ではありません。むしろそんな国で、趣味のバイク乗りをやれる韓国人がいるのが不思議ですw

ちなみに韓国では、バイクの製造技術が日本由来ということはほとんど知られておらず、独自技術と思われているようです。今回韓国のバイク関連について調べていると、「韓国のバイク技術が中国に流出、日本人も関与」という記事が見つかったのですが、まるで韓国独自で開発したバイク技術が中国に流出したかのように書かれております。

酷いのになれば、日本が韓国のバイク製造技術をパクったのだとまで言う韓国人もいるようで、まあこの辺りは、普通に韓国らしいと言う以外にないでしょう。

何にせよ日本では、バイクは趣味性の高いものですから、韓国バイクだからというだけの理由で買いたいと思う人が買うのを止めるつもりはありません。ただ、いくら見た目が良くても価格が高くても、同価格帯の日本製バイクと同じレベルの性能を期待することは出来ないということを、くれぐれも肝に銘じて購入するべきではないかと思います。

そういう意味で、日本での暁星バイクの販売代理店が、バイクのことなど何も知らない免許取り立ての高校生あたりに買わせるのを主戦略としているのは、あまりにも購入者に酷な話です。

まず、安くはない買い物であるということがあります。どんなに安くても、250cc以上の新車なら数十万(諸費用及び用具代を入れれば50万は見ておいた方が無難)はかかるわけです。原付二種にカテゴリーされる125ccでも、新車価格なら20万超が普通です。

更にどんなにパワーがないと言っても、125cc以上のバイクなら100km/hは確実に出る上に、四輪と違ってバイクは生身剥き出しで乗るものです。どんな国のメーカー製のバイクに乗っても、運転中は常に生命の危険に晒されていると言って過言ではないでしょう。それだけに、バイク本体の安全に関する信頼性の高さは、どれほどあっても過ぎるということはありません。

それに二輪のエンジンは通常、シートの真下にあります。前回のコメント欄でもちらっと触れておられた方がいらっしゃいましたが、万一走行中にエンジンが火を噴けば、ライダーは走りながら火炙り状態になります。

いろんなバイクを集めるのが趣味だとか、バイクの酸いも甘いも噛み分けて、もちろんバイクの構造もよく知っていて、多少の故障や不具合は自力で何とか出来る、もちろん運転テクニックもそこそこという自信があるという方が、コレクションのひとつとして韓国バイクを選択するということならばともかく、バイクへの憧れに胸を熱くしている免許取り立ての青少年の宝物にするには、韓国バイクはあまりにも高価で、あまりにも危険なおもちゃではないでしょうか。

韓国に関しては、ジャンルを問わず全般的に「何も知らずに触るのは非常に危険」と思っておいた方が賢明です。ましてやバイクのような、生命に関わるものであれば尚更のことと、改めて強調しておきたいと思います。



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韓国産バイクのインプレッションを見て

先日、中古の原付バイクを買ったので、本格的に寒くなる前にちょいとツーリングにでも行こうかと思い、書店でバイク用のツーリング雑誌を見比べていたのですが、その内のあるツーリング雑誌におそらく恒例の、インプレッションを兼ねたツーリングレポートが載っておりました。

そのレポートのツーリング先が私の住んでるところから日帰りで行くにはちょうど良いエリアということもあって、最初から最後まで読んでみました。そのレポートに用いられているバイクは、普通のよくあるカウル(風防)の付いたロードスポーツタイプと、カウルのないネイキッドスタイルの2台でした。

通常、バイクのタンクやカウルにはメーカーのロゴが書かれているものです。バイクにさほど詳しくない人でも、そのバイクがどのメーカーのものかは、タンクやカウルを見ればだいたい見当を付けることが出来るのですが、そこに掲載されているバイクのタンクに書かれていたのは、おなじみの国産バイクメーカー4社(ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ)のロゴとは、パッと見から印象が違いました。

外国製バイクかな?と思いながら、そのロゴを読んでみると、語感が如何にも朝鮮風です。帰宅して検索するとやはり、暁星という韓国メーカーのバイクでした。

韓国企業と言えば三星や現代が有名ですが、彼らは何故か自社の名称を外国向けにアレンジします。三星は朝鮮語音なら「samseong(サムソン)」と発音しますが、外国向けには「samsung(サムスン)」です。しかしこれはまだ比較的原音に忠実な方で、現代などは朝鮮語音ならば「hyeondae(ヒョンデ)」なのに、外国向けには「hyundai(ヒュンダイ)」としております。

暁星もご同様のようで、朝鮮語音ならば「hyoseong(ヒョソン)」と発音するはずなのに、何故か外国向けにはこれを「ヒョースン」と言い張っている模様。当然、そのバイクに書かれたロゴもHYOSUNGとなっております。

検索してみると、バイクの販売ではそこそこ大手のレッドバ○ンが、暁星バイクの日本代理店となっているようです。確かにそのツーリングレポートの協賛には、レッドバ○ンの社名がありました。

販売代理店協賛のインプレッションを兼ねたツーリングレポートですから、協賛会社が提供したバイクについて悪いことが書いてあるはずもなく、そのバイクについても絶賛とまでは言いませんが、良いことばかり書いてありました。

しかしネットで検索してみると、暁星のバイクを手放しに褒めているユーザーはほとんどいません。

普通、自分で選んで買った物は、多少難があっても目を瞑れるものです。ましてやバイクは、実用性よりも趣味性に強く偏ることの多いものですから、他人が見てダメダメなバイクでも、本人が惚れていれば問題なしという例は、極めて一般的です。

例えば国産バイクの老舗カワサキなどは、「重い、曲がらない、壊れる」「イモムシ(カワサキカラーが緑色なので)」などと散々な言われようですが、「だがそれが良い」という熱心で根強いファンも少なくないようですし、名車と呼ばれるバイクもいくつか輩出しております。

ところが暁星バイクに関しては、惚れて買ったはずの人がかなり厳しい評価を下している点が目立ちます。興味のある方は各自で検索いただくとして、評価として概ね共通しているのは「サスペンションがダメ」「ブレーキがクソ」「パワーがない」の3点。これらは正直言って、バイクとしての存在価値そのものが疑われるマイナスポイントです。

これでびっくりするほど安い(同じクラスの国産バイクの半額ぐらい)というなら文句を言わない人もいるかも知れませんが、同じクラスの国産バイクとほとんど変わらない価格です。国産バイクと比較すればメンテナンスやパーツの入手に強い制限がかかることを思うと、同じクラスで程度の良い国産中古を買った方が良いというアドバイスを幾つも見ましたが、全くそのとおりだと思いました。更にリセールバリューはほぼ望めないのですから、余程惚れ込まないと買えたものではありません。

検索した中で、実際に暁星バイクを購入した方が、「ヒョースンバイク良いところ:デザイン(技術提携結んでいただけあって、スズキのバイクに似ている?)悪いところ:品質といった感じです」と端的に表現されておられるのをみました。

この評価はバイクというよりも、韓国そのものについて表現しているようで、かなり複雑な気分になりました。

バイクに限ったことではなく、何につけ韓国は見た目の良さ(かなり主観的になりますが)だけに注力して、品質という「中身」を蔑ろにしております。

それを弊ブログでは「薄くて浅くて上っ面」と評しておりますが、この「薄くて浅くて上っ面」に満足する人が結構な数存在するということと、その「薄くて浅くて上っ面」の元をたどれば「日本の技術提携」によって確立されたものである場合が少なくないということを思うと、「やはり韓国か」と思って出かかった笑いが引っ込んでしまいました。

ちなみに韓国バイクといえばよく笑韓系サイトで取り上げられているYAMUDAですが、あれはどうやらバイクのメーカーではなく、日本のバイクとそっくりのデザインのカウルを付ければ、オンボロ韓国バイクがたちまち高級日本バイクに早変わりという、これもまた韓国らしさの炸裂したコンセプトのカウルメーカーのようです。



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切ない韓国人

前回の1000記事達成にお祝いのコメントをたくさん頂戴し、まことにありがとうございます。本来ならお一人お一人にコメント欄でご返事申し上げるのが筋かもしれませんが、こちらでまとめて御礼申し上げる非礼をお許しください<(_"_)>

次は2000記事などと考えると気が遠くなりますが、今後も出来る限り、ひとつひとつ記事を積み重ねていきたいと思います。

さて、以前にも述べたことがあるかもしれませんが、韓国ウォッチをしていて常々思うことに、「韓国人は切ない」というのがあります。これは韓国をある程度知る方なら、何となく同意していただけるのではないかと思います。

この【何となく同意】というのがまた、絶妙に切ないのです。全面的に諸手を挙げてもげるほど首を縦に振って同意という気には全然ならず、「ああ、まあ・・・そうだねえ、でもそれは、連中の自業自得だしなあ・・・」という歯切れの悪い同意しか出来ないからです。

韓国人は、日本(人)に対して上から目線だと感じている人は多いと思います。しかし同時に、実は韓国人の方も、日本人が韓国(人)に対して上から目線だと思っているようです。

日本人の目で韓国人の言動を見ると、一種の歯がゆさを覚えることは少なくありません。ケンチャナヨ(朝鮮語で「大丈夫です」の意)でパリパリ(朝鮮語で「早く早く」の意)の彼らがやることなすこと、日本人には雑で荒っぽく見えます。だからつい、「それではダメだよ」とか「そうするよりこうした方が良いんじゃない?」などと言ってしまいます。気の強い日本人なら、「だからお前らはダメなんだ!」と声を荒げることもあるでしょう。

これは韓国に対する好悪の情とはあまり関係がありません。むしろ嫌韓の方がこの点では親切ではないかと思います。ですが韓国人には、そういう日本人の態度が鼻持ちならないものに見えるのでしょう。

そういう時に、「韓国には韓国のやり方がある、豚の蹄風情が口出しするな」と突っぱねることが出来れば、鬱憤も然程腹にこもらないのでしょうけれど、困ったことに日本人の言うとおりにした方が合理的だったり効率的だったり道徳的だったりすることを、韓国人も認めざるを得ません。だからこそ尚更に鬱憤が腹にこもるのです。

韓国人にとって、日本は絶対悪です。これは、絶対に動かしようがありません。ちょっとでも日本を認めるようなことを言えば、「お前は親日派(韓国語で「親日派」とは、「非道徳的反民族主義者」という意味)か!」と罵られます。だから、韓国で日本を認めるようなことを言う時は、同時に必ず日本を貶すようなことを言わなければなりません。

なのに、その「絶対悪」である日本を、韓国人は全否定出来ないのです。それどころか、韓国人の大半が「日本に学ぶべし」と考えています。以前から申し上げているように、韓国人の「学ぶ」とは、「お手本を可能な限り忠実に丸写ししたり、丸暗記すること」です。憎み、罵り、貶し、否定しておきながら、同時に彼らは、日本をお手本として忠実に丸写しにしなければならないと素で思っているのです。まことに切ないではありませんか。

更に彼らが、その切なさから逃れたいと望んでいることも、そう望んでいながら、自ら切なさを助長するようなことしか出来ないことも、韓国ウォッチャーなら知っている方が多いでしょう。

韓国が韓国である限り、彼らはその切なさから逃れることは出来ません。個人ならば韓国を捨てて、他国の人間になり切ることで、韓国人としての切なさから逃れることが出来るかも知れませんが、国家や民族全体としては不可能です。韓国人が国家として、あるいは民族としてその切なさから逃れる途があるとすれば、それはふたつしかありません。ひとつは、北朝鮮主導による南北統一です。もうひとつは、韓国が強大国に吸収されてしまうことです。

北朝鮮主導による南北統一が成し遂げられれば、韓国人は今抱えている切なさからは、必ず解放されるでしょう。その代わり別の切なさに苛まれるかもしれませんが、それは今の韓国人が抱えているような、彼らの自己同一性を損なう類の切なさではないでしょうから、少なくともその分の切なさは軽減されるはずです。実際、北朝鮮人は、寒さやひもじさなどの切なさに苛まれることはあるでしょうけれど、韓国人が抱えてるような自己同一性を損なう切なさはありません。

もうひとつの選択肢、韓国が強大国に吸収される場合と聞けば、「日韓併合おかわり絶対お断り」と反射的に即答する方もいらっしゃるでしょう。もちろん、私もそれは断じて望みません。きっと韓国人も望まないでしょう。少なくとも、絶対に望んでいないというポーズを彼らは頑なに示すでしょう。

これからの時代、いくら強大国でも他国を吸収するということは難しいと思いますが、仮に強大国による韓国吸収があり得るとすれば、その候補はやはり中国かアメリカのどちらかだと思います。シナリオとしては、北朝鮮主導による南北統一後、南北揃って中国に併呑されるのが最も現実的且つ理想的ではないかとは、韓国ウォッチを始めた頃から思っています。

いずれにせよ、韓国が韓国のままである限り、彼らが抱える切なさが解消されることはないというのもまた、切ないではありませんか。

それに同情してしまう日本人が少なからず居て、彼らが韓国人に迎合・協力することで、韓国人の切なさを尚更に助長してしまうということも、切なさの極地です。

どこをとっても、どこから見ても、韓国人は切ない人々だと思います。もちろん、だからと言って彼らに同情するつもりは微塵もありませんし、同情すべきだと言う気もありません。

ただ、単調になりがちな韓国ウォッチですが、彼らの切なさとその根源を念頭に置くことで、また違ったものが見えてくることもあるのではないかと思います。



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韓国人の「施し好き」

最近「知れば知るほど面白い 朝鮮王朝の歴史と人物」という本が出版されました。私も本屋の店頭で見かけたので、パラパラと斜め読みしてみましたが、私が嫌韓というのを差っ引いても、「知れば知るほど面白い」とまで言うのは韓国式誇大宣伝としか評価しようがありません。率直に言って韓流歴史ドラマの解説書みたいなものです。

どうせしばらく経ったらブック○フ辺りで大量に出回ると思いますし、ネットなら1円前後で叩き売りされるようになると思いますので、今慌てて買う必要は全然ない本だと思います(だからあえて商品リンクは貼りませんw)。

むしろ「韓国」や「朝鮮」という語に、「知れば知るほど」という枕詞が付けば、「嫌いになる国」と続く方が自然なので、親韓向けと思われるこの本は諸刃の剣になるのではあるまいかと要らぬ心配をしたりしております。「韓国を嫌いになりたくなければ、韓国を知ろうとするな」という本を出す方が、親韓にとっては親切なんじゃないでしょうかね。これも要らぬお世話ですが。

そんなこんなで、ネットだけではなく書籍でも韓国関連の本はチラ見している私ですが、先日古本屋で、黒田勝弘産経新聞ソウル支局長の書いた「ソウル発 これが韓国主義」という本を買いました。

奥付を見ると2009年6月11日初版発行とありますが、内容は2005年から雑誌SAPIOで連載していたコラムをまとめたものと言いますので、ものによっては今から5年以上も前の文章ということになります。

とりあえず一読したのですが、最新でも2年ちょっと前のコラムとなれば、当然ですが目新しい知見もなく、いつもの黒田節を見てクスっと笑う程度で、正直言ってあまり参考になる本ではありませんでした。

ただ「アフガン「大量人質事件」を生んだ韓国人の宗教への異常な情熱」という項で掲げた「韓国人の宗教的情熱の根源は何か?」という自問に、幾つかの理由を挙げているのが少々興味深いかなと思いました。

黒田氏はその理由に、(韓国人の)「一途な性格」、それに関連して「思い込みの強さ」、他人には耳を貸さないジコチュウ、名分重視の原理主義的傾向、他人への施し好き、「多情」という名のおせっかい好きなどが関係あるように思う、と自答しておられます。

この中の「施し好き」というのに、ちょっと思ったことがありますので述べてみたいと思います。

前述したとおり、黒田氏は韓国人が施し好きだと言います。と言うと、東日本大震災の件に絡んで、「それは嘘だァwww」を笑う人がいるでしょう。しかし私も実は、韓国人は施し好きだと思います。

それは何故かと言うと、彼らは「施す」という行為に優越感を抱くからです。優越感のための「施し」ですから、施す内容は、彼らの主観的に「多い」とか「立派だ」と思えればそれで十分なのです。施しを受ける相手にそれが本当に必要か、相手がそれをどのように受け取るかなどということは、彼らの考慮の中にありません。

実際、東日本大震災において、彼らは寄付の多寡や援助物資の実用性は完全に度外視して、「寄付をした」「援助を送った」というそのことだけを殊更に言い立て、それに対する感謝と敬意と見返りを声高且つあからさまに要求してきました。

東日本大震災に関して支援をくれた国は数多くありますが、送った支援に対しあれほど声高且つあからさまに感謝と敬意と見返りを要求したのは、私の知る限りでは韓国ぐらいなものです。中国や北朝鮮でさえ、韓国ほど下品に感謝と敬意と見返りを求めなかったと思います。

このことは、逆を返せば彼らは施しを受けることに屈辱を感じるということでもあります。と言えば、これもまたやはり「嘘だァwww」と笑う人がいるでしょう。「奴らはいつも、「援助させてやるからありがたく思え」という上から目線じゃないかwww」と。

しかし「援助をさせてやるからありがたく思え」というのは、実は彼らが「援助を受けること」に屈辱を感じているという証拠でもあります。「相手が援助をさせてくださいと頼むから、寛大なウリは仕方なくそれを受け取ってやるのだ。決してこちらが困って頼んだわけではないのだからウリが感謝する必要などない。むしろ相手の願いを聞いてやったことを感謝されても良いはずだ」というポーズを作るための虚勢なのです。

実際、日韓スワップ協定の拡大を合意した際の韓国言論が、まさにそういう論調だったのは記憶に新しいところです。

要は韓国人の「施し好き」というのも、彼らの優劣意識の表現型のひとつであって、宗教的な「施し」や、相手を思いやる心の表れとしての「施し」ではありません。

黒田氏は、在韓歴の長さの割に比較的ニュートラルなスタンスの知韓派だと私は評価しておりますが、氏の姿勢で疑問に思うのは、韓国について「わかっているはずなのに、あえてわからないふりをしているところ」や「あえて読者に対しミスリードを企図しているところ」が時に散見されることです。

韓国という国と長らく付き合っていくには、そういうつかみどころのなさで煙に巻くというか、ある種の図太さがなければ続かないのかもしれないと思います。が、それもある程度韓国を知ってる私だからそう思うのであって、大多数の、韓国をほとんど知らない日本人ならば、書いてあることを書いてある通りに受け取る以外ありません。

韓国は、実はそんなに複雑なものではありません。ですが単純な分、誤解の余地も多くあります。韓国を知るということは、言ってみれば韓国そのものについて知ることよりも、その誤解の余地を埋めていくことの方が多いかもしれません。

韓国人は確かに「施し好き」です。しかし、それはあくまで表層的なものであって、その根本にあるのは「優劣意識」です。黒田氏がそのことをあえて飛ばして解説したのは、字数の関係もあるかもしれませんが、韓国を知る者にはそれが言うまでもない当然の前提だからかもしれません。しかし、もしそうだとすれば「韓国を知る者ならそれらがどういうことなのか」分かりきっていることを並べ立てて、彼らの宗教的情熱の根源と解説しているのも、逆に珍妙な話です。

まことに韓国と韓国人は鬱陶しい上に、単純でありながらややこしいものですが、それに対する日本人の方も、妙な遠慮や配慮を発揮し過ぎて、日本と日本人にとっての韓国と韓国人を、更に鬱陶しくややこしいものにしているのではないかと思った次第です。

ところで本記事で、弊ブログの記事数が1000に達しました。ここまで続いたのも、ひとえに読者の皆様の応援のお陰です。韓国ネタも実際の季節も飽きが過ぎて冬になりつつあるある今日この頃ですが、これからも頑張っていきたいとおもいますので、今度もどうぞよろしくお願いします<(_"_)>



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韓国について安易に「良い」と言えない理由

結構長らく韓国について書いていますが、そのほとんどが韓国について否定的あるいは批判的なことばかりです。そのせいか、韓国に良い点は全くないのかと問われたことがあります。

これは実に返事に困る質問です。

まず、「良い」とか「悪い」ということは、必ずしも絶対的なものではありません。立場によって良し悪しの基準や判断が変わるのは、当たり前だと思います。

私個人の立場として言うならば、韓国については概ね否定的あるいは批判的、即ち「悪い」と判断していると思っていただいて全く構いません。ならば、韓国が日本を無条件で絶対悪と思っているように、お前は韓国を絶対悪だと思っているのかと聞かれれば、それは違うと言います。

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、私は韓国にも「良い点」というものがあり得るとは思っています。私の立場では、それについて積極的に調べてみようとか、説明しようという気に全くならないだけの話です。

日本や日本人に、日本としての事情や感情があるように、韓国や韓国人には、韓国としての事情や感情があります。日本人から見れば良くないことや悪いことであったとしても、韓国人としてはそうしてしまう理由や、そうしなければならない事情があるでしょう。あるいは日本人から見れば稚拙だったり取るに足らないものであっても、韓国人から見れば好ましいというものも、きっとあるだろうと思っています。

もし彼らがそれについて胸を張って「良い」と言ったり、あるいは誇ったりするのであれば、俄にそれを全否定するつもりはありません。ただ、今までの経験上、何事につけ彼らが自ら「良い」と判断したり表明したりすることは極めて少ないのです。

彼らの判断基準は往々にして、外部評価です。自分自身がそれを良いとか好ましいと感じて評価することは、あまり多くありません。彼らの考える「権威」の判断と言葉を借りて答えようとします。

日韓チャットで彼らに質問しても、なかなか個人的な判断を語ろうとはしません。必ず模範的な回答を探そうとします。そのため、「韓国人が考える韓国の良い点」というものを聞けた例がほとんどない、というのがまずあります。

それに、物事に対する良し悪しの判定には、往々にして好き嫌いの感情が作用します。

好きなものに対しては良いと言いやすいものですし、嫌いなものに対してはどうしても悪いと言いたくなるものです。そういう感情的な基準を良し悪しの判定から排除するために、数値的な評価を採用することもよくあります。

そうは言っても、「良いもの」は往々にして「好きになれるもの」です。逆に言えば、「悪いもの」と判定するのは、「嫌いなもの」あるいは「好きになれないもの」ということも出来ます。

私は韓国が嫌いですが、その理由は彼らの思考や行動パターンが、日本人的な価値観で見ると下品だったり見苦しかったり好戦的だったりするからです。だから、韓国に対して「悪い」と言うのは容易ですが、「良い」と言うのはやはり抵抗があります。

そんな私に、韓国を「良い」と言わせようと思えば、よほど韓国について詳しく知り、深い理解を持ち、自分の思う韓国の「良い」という点を懇々と、説得力豊かに説明出来る人でなければ難しいでしょう。

私の韓国に対する嫌悪感を全力で助長する連中は佃煮にするほどいたのですが、「韓国について詳しく知り、深い理解を持ち、自分の思う韓国の「良い」という点を懇々と説得力豊かに説明する」韓国人には、残念ながらただの一人も遭遇しませんでした。

私は確かに韓国が嫌いですが、以前から言ってるように最初から嫌いだったわけではありません。むしろ最初の頃は極めて好意的な視線で韓国を見ていたという自覚があります。そんな私に、韓国の「良い」点を説明することも出来ず、韓国の「悪い」点をこれでもかと見せつけ続けたのが、当の韓国人なのです。

その私に「韓国の良いところを言え」と言われても、答えに困るのは自然な反応だと自分でも思います。

更に付け加えるならば、韓国の悪い点については「一部を見て全体を判断しないで下さい」と言いながら、韓国の良い点については臆面も無く「一部を見て全体を判断して下さい」と言う彼らのダブルスタンダードも、私が韓国について安易に「良い」と言えない、言いたくない理由のひとつだったりします。



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唯足不知

本日11月11日は、韓国ではペペロデーとか言って、日本のグリコのポッキーを韓国ロッテがパクって製品化した、ペペロという菓子を贈り合う日です。バレンタインデーのように恋人同士や恋愛対象へのプレゼントというわけではなく、同性の友人同士や親兄弟でも良いんだとか。

それにどういう意味があるのかは外国人の私にはよくわかりませんが、日韓チャットでもこの日には韓国人がそれはそれは嬉しそうにペペロデーのことを話題にしますので、韓国人的には大変楽しいイベントのひとつのようです。余談ですが「~ロ」は、朝鮮語の「~で」という助詞に相当するので、「ペペロ」とハングルで打ち込むと機械翻訳が「ぺぺで」と訳してしまい、慣れない内は何のこっちゃとなります。

今年はこういうお気楽な日の前日が、韓国人的には極めてシリアスな修能試験(韓国版センター試験)でした。

この修能試験は、韓国人の一生を決めると言っても過言ではないイベントです。何しろ韓国は大学進学率が100%を超えている国。大学を出ていなければまともな人間扱いをしてもらえないのです。その大学への関門が修能試験ですから、受験生とその周辺の必死さは涙ぐましいものがあります。

もっとも現在の韓国では、大学を出たからと言ってまともな就職があるわけでもなく、それどころか大学の授業料のために、社会に出る前からかなりの借金を負うことになっているのが普通なのですから、ここでも韓国人は行くも地獄退くも地獄です。

この、「行くも地獄退くも地獄」という状態に韓国人を追い込んでるのは、他ならぬ韓国人自身だと私は思っています。

彼らは「足るを知らない」ので、常に身の程を上回る望みや願いを抱いており、その望みや願いを叶えるために支払われる努力や犠牲が、彼らを「行くも地獄退くも地獄」という状態に追い込むのです。

以前にも【「恨」について】という記事や【恨と諦】という記事で述べたことがありますが、彼らはとにかく、あらゆることで「足るを知る」ということがありません。だから貪欲に理想を追い求めます。

「足るを知る」、あるいは成語として「知足」などとも言います。辞書的な意味は「《「老子」33章の「足るを知る者は富む」から》みずからの分(ぶん)をわきまえて、それ以上のものを求めないこと。分相応のところで満足すること(goo国語辞書より)」だそうです。

これは日本人には比較的馴染みやすい思想で、それが行き過ぎて「上見て暮らすな下見て暮らせ」とか「貧乏人は麦を食え」などと卑屈に受け取る弊害もなくはありませんが、それでも「与えられた条件の中で満足を見出すことが出来る」というのは、人が幸福を手にするために必要な能力のひとつではないかと思います。

そういう意味で、「足るを知らない」韓国人を見ていると、彼らは自ら望んで不幸になっているとしか思えません。

「足るを知らない」韓国人を、「向上心が旺盛」と評価する日本人も少なくありませんが、彼らの「向上心」は、常に分不相応な目標を設定します。目に見えるものなら必ず手が届くとでも思っているのか、1m先の電灯と1光年彼方のお星さまの区別が彼らには付きません。だから、1m先の電灯に手を伸ばすのと同じくらいの努力で、1光年先のお星さまをつかめると彼らは思っています。

その上、彼らの「向上心」は到達点がありません。分不相応な目標を設定して、仮にどうにかその目標に到達したとしても、到達した瞬間に、更にその先の(当然、更に分不相応な)目標に手が届かぬことを不当と考えます。

そうやって彼らは、ほぼ永遠に届かぬ理想を追い求めることになります。それでも「理想を追い求めること」そのものに歓びを見出せるならば、あるいはそれもひとつの幸福の形かもしれません。

しかし、彼らにとって理想を追い求めるための過程は苦役です。彼らにとって価値があるのは、彼らの望むとおりの結果だけです。ですから、彼らは常にどうにかしてそこに到達するまでの過程をショートカット出来ないかということに頭を悩ませるという苦しみをまたひとつ、積み上げることになります。

おまけに彼らは「8割でパペクト」です。彼らは、主観的には常に十全に努力しているつもりなのでしょうけれど、必ず常にどこか詰めが甘いのがお約束になっています。

そんなこんなで、彼らの望みはいつも叶いません。たとえ叶っても、彼らは満足できません。ですから、傍から見てどんなに恵まれていても(実際、彼らはかなり恵まれていると思います)、彼らは常に不幸です。

そういう彼らを見ていると、「足るを知る」ことの大切さを、しみじみ思い知ります。「足るを知る」には、自分を知らねばなりません。自分がどれぐらいで「足る」のかを知らなければ、「足るを知る」ことは出来ないでしょう。

そんな韓国人と言うか朝鮮人を、ある日韓チャット常連日本人が「餓鬼」と評しました。

現在の北朝鮮は正に地上の餓鬼道状態ですが、北朝鮮と比較すれば物質的には満ち足り恵まれているはずの韓国でも、人々は足るを知らず常に飢え餓えているわけですし、その上韓国人が見せる精神的な幼稚さを思うと、「餓鬼」という表現はまことに的確なものです。

これが本来の餓鬼のように想像上の存在であれば供養のしようもありますし、小児的という意味での餓鬼ならば成長も期待出来ますが、彼らは朝鮮半島に現実に存在し、また精神的に終生小児的なままというのが、周辺国住民として頭痛のタネではあります。



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確かに短気だが

ネタを探してネットの巷をウロウロしてたら、スポーツソウルどっとジュゲムにこんな記事がありました。

「せっかちな韓国人そうそうBEST 10」
1位『相手方が通話中なのに、電話に出ないと3回以上も電話する人』
2位『(キャッシュディスペンサー/マート/ファーストフードで)短い列を探して東奔西走する人』
3位『カップラーメンにお湯を注いで3分待てないでずっと箸でいじくりまわす人』
4位『コーヒー自販機の動作完了ランプが消える前にカップを取り出す人』
5位『カラオケで他人の歌の途中に消してしまう人』
6位『地下鉄乗換駅のはやい移動経路をずらずら覚える人』
7位『始業ベルが鳴る前にカバンから取りまとめる学生』
8位『アメを初めだけ舐めて素早く溶けたかと思えば噛んで食べる人』
9位『電子レンジの操作ボタンをクリックし、回る皿を覗いている人』
10位『肉がすべて焼けたか、休みなしに裏返して確認して見る人々』

韓国人の「パリパリ(早く早く)気質」は、つとに有名です。日韓チャットでも、入室して自己紹介もそこそこに、相手の性別と年齢を聞き「友達を探します」と言う韓国人はポピュラーですが、これは「今すぐ私と友達になってください」という意味です。もっとストレートに「私たち友達になりましょう」と言う韓国人も珍しくありません。これに「はい、喜んで」とでも答えれば、それで「友達」の一丁上がり。まことにお手軽です。

あるいは自分自身の発言なのに、その入力速度が待ち切れないのか、単語で話したり、文節でブツブツと切って発言する傾向は、韓国人には非常に顕著です。発言する方は、そうすることで自分の思考の生じるままに、リアルタイムで垂れ流せるので良いのかもしれませんが、それを読まされる方は大変です。その発言方法だと、大して人がいるわけでもないのに、滝のごとくログが流れるのです。

単語で話す奴は論外として、文節ブツ切り発言は、ログが流れるという以外にも困ることがあります。日本語や朝鮮語などの膠着語は、最後の一文でそれまでの文章全体の意味をひっくり返すことが出来るので、正しく発言者の意を汲もうと思えば、ブツ切りの発言が終わるまで待たねばならないからです。

彼らは句読点を打たない傾向も強いので、話が終わったのか続くのか、すぐにはわかりません。彼らの文節ブツ切り方式は、発言する者にとっては「パリパリ(早く早く)」に適っているのかもしれませんが、読む方としては焦れったくてイライラさせられる発言方式です。

それでも辛抱強く黙って韓国人のブツ切り発言が終わるのを待っていると、今度は「何故黙っているのか」と言い出します。ならばと、彼らの発言が終わる前に結論を先取りして話せば、「そうではないです」だの「誤解です」などと言ってグダグダ一直線になります。

これは要するに、「自分が発言を終える前に自分の意を正しく理解し、且つ最適のタイミングで相槌を打ったり褒めたり感心したりしろ」ということなのでしょう。韓国人のパリパリに応じるには、エスパー能力も必要になります。

確かに韓国人は、気が短いと思います。そのこと自体に異論はありません。しかし彼らは、気が短い反面、極めて時間にルーズでもあります。

韓国人の遅刻癖は有名です。英語でもKorean Timeなどと言われ、待ち合わせに10分や20分遅れてくる程度なら、遅刻のうちに入らないそうです。本当に気が短いのであれば、待ち合わせより早く来るものだと思いますが、韓国人が待ち合わせより早く来たという話は、とんと聞きません。

また仕事においても、彼らはダラダラ仕事が多いと仄聞します。その結果、どうしても残業しなくてはならなくなります。だから韓国人の労働時間はOECDでトップだが、生産性は低いのでしょう。彼らが本当にせっかちなら、仕事もサクサク進めたがるはずです。

当該記事では【『速度』と『効率性』を重要に思う韓国人の指向が日常生活の中でそのまま現れている】と言いますが、彼らの「パリパリ」は速度はさておき、効率は必ずしも良くないというか、悪い場合が多いと思います。例えば、アンケートの1位になった『相手方が通話中なのに、電話に出ないと3回以上も電話する人』というのは、どう考えても非効率的です。効率を言えば、話し中とわかりきっている相手にリダイヤルする間に、別のことが出来るでしょう。

彼らが「パリパリ」なのは、せっかちだからと言うよりは「自分が待たされること」、「自分が我慢させられること」を一種の屈辱と考えているからではないでしょうか。だから他者に対してはやたら「早く早く」と言う割に、自分が遅れたり、他人に我慢を強いることにはあまり抵抗がありません。

更に彼らは往々にして、必要な「過程」さえも「パリパリ」ですっ飛ばします。その結果、上っ面だけは立派なハリボテが出来上がります。が、それを支えるために必要な基礎も柱もすっ飛ばし、あるいは手を抜いて作っているのですから、韓国製品は長持ちしなかったり、運用中に不具合続出ということは珍しいことではありません。

それらは韓国の高度成長以後今日に至るまで、非常によく指摘されていることですが、一向に改善される気配は見えません。韓国人的には、基礎や柱などという、外側からは見えない部分など全く重要ではないのでしょう。自分の脳内にある理想が目に見える形で具現化されれば、それがハリボテだろうとカキワリだろうとCGだろうと、全然構わないのだと思います。

そんな韓国人と同じ程度の人というのも、実は日本を含む世界中にたくさんいて、そういう人たちなら韓国人のパリパリもその成果も、韓国人と同じ程度には満足出来るので、世に韓国人のパリパリとその成果を評価する人が結構いるのも、困ったことに事実ではあります。



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韓国人とケレン

昨日の我が家のベランダ(南向き日当り良好)で、最高気温が37度に達しているのを見た時、ここは日本ではなくシンガポールではないかと思いました。それでも来週8日の立冬を過ぎれば、暖房が欲しくなるような気温になるのでしょうけれど、身体が気温の落差についていけるかどうか心配な寒がりの私です。

春夏秋冬いつもそうですが、季節が変わる度に、もっとこう緩やかに穏やかに気温変化していってくれないものかと思います。「自然」とか「ナチュラル」なんていうと、「人為的」とか「人工的」などに比べて、緩やかで穏やかに変化するものというイメージがありますが、本物の自然や天然の変化は案外激しいものだと、季節の変わり目ごとにしみじみ思います。

さて、韓国関連ですが、先日月見チャットで、韓国と「ケレン」について、少し話題になりました。案外面白い視点だと思ったので(ネタもないしねw)、重ねて考察してみたいと思います。

「ケレン」とは漢字で「外連」と書きます。当て字だそうです。意味は「 歌舞伎や人形浄瑠璃で、見た目本位の奇抜さをねらった演出。また、その演目。早替わり・宙乗り・仕掛け物など」のことで、そこから派生して「ごまかし。はったり」の意も持つと辞書には書かれています。「ケレン」単独で用いられるよりは「ケレン味溢れる」とか「ケレン味がない」などと、成句的に用いられることが多いようです。

この「ケレン」、どちらかと言えば少々非難がましいニュアンスを含む語であるのは、客受けの為に伝統を蔑ろにして、見た目の派手さや奇抜さに走る傾向が強いからでしょう。

個人的に「ケレン」の是非そのものについては、必ずしも悪いとは思いません。芸は客に受けてナンボのものですし、そのために新しい表現を試みることは、芸全体の質を維持向上させるために必要なことだろうと思うからです。

ですが「ケレン」は、積み重ねた地味で重厚な技術や所作との対比があって初めて、その軽妙洒脱さや新奇さが光るものでもあると思います。「ケレン」だけでは、一度や二度なら、意表を突かれることで楽しめるかもしれませんが、それ以上になると鑑賞に堪えなくなります。つまり、飽きます。

重厚で地味に見える伝統芸の所作も、最初は「ケレン」であったかもしれませんが、時の流れと観客の目によって鍛えられ、淘汰を勝ち抜いて生き残ったものです。ですから、何度見ても飽きませんし、見る度に新しい発見があることさえあります。

それと比べれば「ケレン」は、どうしても薄くて浅くて上っ面です。

とりあえず見る者の目を驚かすことが出来れば良いという発想で行われるものですから、それはしかたのないことでしょう。そのため「ケレン」は、見る者が見れば、みっともなく見えることもよくあると思います。本物の虎の横に張り子の虎を並べれば、張り子の虎が滑稽にしか見えないようなものです。

そんな「ケレン」を行なうにあたって大切なことは、それを演じる者が恥じらいや照れを見せてはいけないということでしょう。

それがどれほど珍妙であっても滑稽に見えても、演じる者は堂々と胸を張って、見せつけるようにして演じてこそ、「ケレン」が「芸」として成立するのだと思います。

そういう意味では、韓国人はこの「ケレン」がとてもお上手だと言えます。

韓国芸能は言うまでもありませんが、韓国に関するものの大半が、「ケレン」にまみれていると言って良いぐらいです。何につけ彼らは「ごまかし」や「はったり」をまず打ち出してきます。たとえそれが「ごまかし」や「はったり」だと見抜かれていても、彼らは恥じません。それどころか、更に堂々と胸を張って見せつけてきます。見ている方が、その滑稽さ、みっともなさに赤面しても全くお構いなしです。

韓国人がナチュラルボーンコメディアンと言われるのも、その辺りの滑稽さみっともなさを全く照れず恥じず、堂々と見せつける様子が、お笑い芸人に引けを取らないからでしょう。

ただし、韓国人的にはそれを「ケレン」だなどとは微塵も思っていないと思います。彼らは、自分がやってることが「ごまかし」で「はったり」だと十分に知ってはいますが、それを見ている者には全くバレてないと思っていますし、何度も「ケレン」を演じる内に、それが「ごまかし」や「はったり」ではなく、紛うことなき真実だと自分自身で信じこんでしまいます。

「ケレン」は、それを「ケレン」と自覚して演じるからこそ、そこからの発展や進化があり得るのですが、彼らは彼らの「ケレン」を「ケレン」とは思っていません。ですから、彼らの「ケレン」が時の流れと観客の目によって磨かれ、淘汰を勝ち抜き、何十年と鑑賞に堪え得る芸に昇華するということは、今までもありませんでしたし、これからもないと私は確信しています。

翻ってそれを見る者の立場で考えるならば、一度や二度までならば、「ケレン」に驚かされるのはしかたないと思います。しかし何度もいつまでも、韓流などという韓国「ケレン」に驚いていては、見ている方の程度も問われるというものです。

あるいはこの際ですから、韓国人の「ケレン」に騙され続けるかどうかを基準にして、その人の程度を問うのも、有意義な「韓流捏風」という「ケレン」の使い途かもしれません。



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韓国の治安が良いとは、お世辞でしか言えない

最近の報道によると、今年9月に韓国を訪れた20代の日本人女性が、現在一ヶ月以上も行方不明になっているとやらです。この女性の運が物凄く良ければ、強姦と強盗の被害だけで済むかもしれませんが、一ヶ月以上行方不明になっているということは、更に深刻な被害に遭ってる可能性も相当高いと思われます。

韓国では2009年末から2010年に掛けても、一人旅の日本人女性が行方不明になっており、いまだ発見どころか足取りの手掛かりもつかめていないという報道がありました。これらの事件は、公になってるだけまだマシかもしれません。韓国で行方不明になっても、ニュースにもならず捜索さえされていないケースが少なからずあると思います。

それは行方不明者が日本人だからというわけではありません。韓国ではもともと人が行方不明になることはさほど珍しくありませんし、行方不明になってもあまり真剣に探しもしないようです。何しろ彼らは、容貌はもとより、氏名や生年月日さえ容易に変更が可能です。周囲の人々に借りられるだけ金を借りて、そのまま行方をくらますということは非常によくあることと仄聞します。

そうやって自分自身でさえ安易に消滅させてしまう連中ですから、それが他人ならば、尚更に躊躇がないのは当然の帰結でしょう。その上彼らは、自分より弱いとみなした者には極めて強い嗜虐性を発揮しますので、最悪の場合、非常に残酷なやり方で消滅させられてしまうことも、十分にあり得ます。その辺りは、さすが小中華を自称したことのある民族だと言えましょう。

ですので女性や年少者、高齢者や障碍者などは彼らのそういった嗜虐性をいたく刺激する可能性が極めて高く、これらに該当する方が韓国を訪れる場合、犯罪被害に遭う危険度は更に高まります。

率直に言えば、いわゆる社会的弱者に該当する方は当然として、該当しない方も、韓国への不要不急な訪問は個人的に一切お勧めしません。その理由は、過去に何度も弊ブログで述べてきました。

私たちのような韓国ウォッチャーは別として、韓国には一般的な観光客が見るべきものはほとんどありません。何故なら、韓国では「観光客が見たいもの」ではなく、「韓国人が見せたいもの」しか見れないからです。

観光施設であれ名所旧跡であれ、彼らが見せたがるものは「ウリってこんなに凄いニダ。さあ、褒めて褒めて褒めて!」というスタンスで作られております。当然ですがそれらは全て薄くて浅くて上っ面です。

韓国ウォッチャーならばその薄くて浅くて上っ面を引っ剥がして、その下にあるものを観察することで韓国考察のよすがにすることは出来ますが、そうでない方は、その薄くて浅くて上っ面を眺め、賞賛させられるだけです。

もし彼らの薄くて浅くて上っ面を引っ剥がしたとしても、基本的に韓国人はその薄くて浅くて上っ面の下にあるものの存在を決して認めようとしません。

それどころか、下手に彼らの薄くて浅くて上っ面を暴けば、チョッパリは細かいことを気にするだの、重箱の隅をつつきたがるだの、肝が小さいだの、侮辱だのサベツだの謝罪汁賠償汁などと大騒ぎして手が付けられなくなりますので、韓国人の扱い方を知らない方にそういう趣旨での韓国訪問は、あまりにも危険過ぎてお勧めいたしかねます。

韓国を訪れる観光客に対し、韓国人が望むことは、韓国のありのままを見たり知ったり楽しんだりすることではなく、韓国人が普遍的に持つ「理想の韓国と韓国人」像を共有し、その素晴らしさを賞賛し、心酔することなのです。最初からそれを望んでの韓国旅行なら何も申し上げませんが、私の経験上、そういうものを望んで韓国旅行をする人は、無視しても良い程度の割合でしか存在しません。

以前もちらっと書いたことがあると思いますが、落語に「寝床」という噺があります。強い立場を利用し、更に酒やご馳走を振る舞うことで無理やり集めた人々に自己満足な素人芸を披露する旦那の噺ですが、「寝床」ならば酒やご馳走が振る舞われるだけマシというものです。

韓国の場合は、観光客が自腹を切って「寝床」を聴きに行くのですから、おめでたいにも程があります。その上社会的弱者に該当する人々ならば、犯罪被害の標的とされやすいのですから散々です。

韓国のパッケージツアーは、海外旅行の中で、そうと決められてでもいるかのように最安値を提示しているのが一般的です。東京・大阪発なら100%そうだと言っても過言ではないでしょう。その旅行代金の安さと、距離的な近さ、昨今の極端な円高ウォン安、作られた韓流押しなどに乗せられて、韓国を訪れる日本人観光客はこのところ増加していると聞きます。

また、韓国を訪れるに先立ち、ネットや書籍で韓国の治安情報を調べても、嫌韓系でなければ「韓国の治安は比較的良い」としているところが大半です。

しかし現実問題として韓国の治安は、お世辞でしか良いとは言えません。最近の報道でも「韓国は治安が良い」などと言われていますが、それはつまり、そういうことなのです

それを踏まえ、十分な準備と最悪の場合の覚悟をした上で韓国を訪れ、韓国人と「理想の韓国と韓国人像」を共有することを楽しみたいというのであればともかく、「安いし、韓国料理美味しそうだし、話題の韓国化粧品が買えるし、外務省の渡航情報を見ても在韓日本人のブログを見ても治安は良いって言ってるし、もしかしたら韓流芸能人に会えるかも♪」なんていう安易な考えで韓国を訪れるのは、金を野壺に投げ捨てて、更にその野壺を温泉か何かと勘違いして浸かりに行くようなものです。

それでも無事に行って帰って来られれば、野壺の内容物に染まる程度で済むでしょうけれど、野壺を温泉と勘違いしてご機嫌で浸かっているその頭を、韓国人に踏んづけられて沈められてしまうこともあるということを、韓国旅行を計画されておられる方はくれぐれも肝に銘じておかれますよう、韓国を知る者として、衷心よりご忠告申し上げたいと思います。



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月見櫓 韓国 日韓