はてなキーワード: コカ・コーラとは
... と、2年くらい前に言ったことが、どうやら実現したようだw
【やじうまPC Watch】「コカ・コーラの味」を完全再現?科学系YouTuberが公開した「秘密のレシピ」が話題に - PC Watch
X(旧Twitter)を掘っていたら、漫画『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(わたモテ)に関する、2013年の興味深い考察ツイートを見かけた。
めっちゃたまってる、もこっち消化中。 漫画だと「黒い飲み物」=コーラなんだけど、アニメで「黒い缶のコーラ」になってるんだが、ノンカロリーコーラでもアリって寄ってくるのかな?w— あくあぶるぅ (@aquablew) September 10, 2013
もこっち(黒木智子)がこぼしたコーラにアリがたかる……という描写についての疑問だ。
この「黒い缶=ゼロカロリーコーラ缶」という認識、今となっては失われた製品デザインになりつつあるので、当時の背景整理と、論文に基づいた科学的な回答をまとめておく。
結論から言うと、「科学的には、アリはノンカロリーコーラ(人工甘味料)をエサとして認識しないため、漫画やアニメのように大挙して群がってくることは考えにくい」。
アリが甘いものに群がるのは、味覚を楽しんでいるわけではなく、コロニーを維持するためのエネルギー源(炭水化物)を求めているからだ。
この点については、昆虫学の研究によって「アリは単に甘い味に釣られるのではなく、エネルギー源としての価値を厳格に見定めている」ことが裏付けられている。
まず、Brinkman & Gardner (2001) の実験(*1)では、ヒアリは砂糖水には群がったものの、アスパルテームやサッカリンといった人工甘味料の水溶液に対しては、ただの水と同じ反応しか示さず、エサとして認識しなかった。
さらに、Roeder et al. (2021) の研究(*2)によれば、アリは天然の糖(スクロースやグルコース等)の間ですら、「エネルギー効率が良いか」「自然界の主食(甘露)に近いか」を基準に優先順位をつけるほど、摂取対象をシビアに選別している。
つまり、本物の糖質ですら選り好みする彼らが、「甘いだけでカロリー(エネルギー)が皆無」であるコカ・コーラ ゼロをエサとみなす可能性は極めて低い。アリの生存戦略において、ノンカロリー食品は無視すべき対象なのだ。
したがって、アニメで「黒い缶(ゼロ)」からこぼれた液体にアリが群がっている描写があるとしたら、それは科学的には誤り(演出上のフィクション)の可能性が高いということになる。
このツイートの肝は、投稿者が 〈黒い缶=コーラ(ゼロ)〉 と即座に認識している点だ。
2025年の現在、コカ・コーラ ゼロは〈赤い缶(黒文字)〉になっており、当時の感覚とはズレが生じている。
2007年〜: 発売当初。「漆黒のボディ」がトレードマーク。
2013年(アニメ放送時): まだ完全に「黒い缶」。投稿者の認識は正しい。
2017年: 「ワンブランド戦略」で、黒背景に「赤い円(レッドディスク)」が入る。まだ黒い。
2021年9月(転換点): ここで全国リニューアル。缶の地色が「赤(コカ・コーラレッド)」に変更され、ロゴだけが黒になった。
つまり、コカ・コーラ ゼロの缶デザインが〈黒色の面積が多くを占めるもの〉でなくなったのは、西暦2021年のことだ。
あのアニメの描写は、2021年以前特有の光景ということになる。
最後に、作中の時系列を整理して、なぜその描写になったのかを推測する。
以下のWikiを参照した。
初出(ガンガンONLINE):2012年1月19日
原作の2012年、アニメの2013年ともに、世間の認識は「ゼロカロリーコーラ=黒い缶」だった。
では、なぜアニメで「黒い缶」が描かれたのか?
もこっちが健康志向でゼロカロリーコーラを選んだ……というよりは、もっと単純な「大人の事情(商標配慮)」と見るのが自然だ。
アニメで「赤い缶」をそのまま描いてしまうと、誰が見ても世界的ブランドであるコカ・コーラ商品だと認識してしまう。
フィクション作品において実在商品の商標をそのまま出すことは権利関係のリスクを伴うため、色やデザインを意図的に変えて「あくまで架空の炭酸飲料です」のようにするのが業界の通例だ。
スタッフが「赤だとマズいから、中身の色に合わせて黒っぽい缶にしておこう」という処理をした結果、「当時のコカ・コーラ ゼロのデザインと偶然かぶってしまった」というのが真相ではないだろうか。
視聴者(投稿者)には「ゼロだ!」と認識され、その結果「ゼロなのにアリが来るのはおかしい」という科学的な矛盾が生じてしまったわけだが、10年以上前の「黒い缶」デザイン全盛期ならではの面白い現象だといえる。
そういった行為はよく見かけるし、同時に多くの人から嘲笑されている
俺もやるし同時に嫌っている行為でもある
例えばさジャンプ漫画でいいけど、鬼滅の刃を好きな人が対抗馬としてヒロアカを引き合いに出して語っているとして、じゃあそれがなぜダメなんだろうか?
自分の中では「比較できないから」と考えているが、そもそも自分たちは常に何かと何かを比較対象に置いているし、そういうことが大好きだ
犬と猫のどっちが良いかとか、女の子と男の子はどっちがお利巧とか、戸建てと賃貸はどっちがお得かとか、コカ・コーラとペプシはどっちがおいしいとか
そういえば、かつてペプシコーラはコカ・コーラより下だという比較広告や、Macに比べてWindowsは使いにくいという比較広告があった
日本人にはこれらが滅茶苦茶不評だったし、俺自身もmacのことが嫌いになった
けど、なんでそういうことをしてはいけないのかということについて、自分の中で客観的な答えはでていない
「そうやって比較しないと自社製品をアピールできないってところが糞」というなら、ドコモやソフバンやau同士の料金を比較するYoutuberを見ている俺は何なのだ?比較する表を出されるてころっと騙せれてるだけじゃないのか?
大半の広告やコンテンツは何かと比較したりランキングを争っている
それを楽しんでいるし、参考にしている俺たちがなぜmacとwindowsの広告に文句を言っていたのだろうか?
双方が合意の上で異種格闘技の舞台に上がるというなら、それは面白くなるかもしれない
だけど、macが優れているって話の中に唐突に「windowsはカスだ」みたいな話を混ぜたら、macの土俵にwindowsが単に放り込まれて見世物にされているようにも見える
ようするにアウェイの会場で違うルールで戦わせられることが、windows側からは卑怯に思えるのだろう
やるなら同じような舞台でちゃんとどういう決着の仕方をすれば勝ちなのかがはっきりさせていた方がいい
とはいっても俺たちは常日頃から公平な心情で何かを比較してみているわけじゃない
ヒロアカを読んでいるときに「やっぱり鬼滅の刃の方が面白いな」ってことを言うのは別に不思議じゃないし、そう思うことをとがめるのも間違っている
そしてそれを誰かがみたところで、ヒロアカへの風評被害と捉えるのはあまりに短絡というか、早計というか
もっというなら、ネット上というのは上品で公平で自分を不快にしないのが大前提という人が多いからなのかもしれない
そうではない人間には死を与える、という人がネット上にはメッチャ多い
狭い世界だけで生きているから他と比較されたりすることに嫌悪感を抱き、無駄に共感を煽るようなものに翻弄されやすいからだろう
ずっとずっとそうなんだよ