はてなキーワード: あげまんとは
数年前、好きなvtuberが居た(過疎)。
だからそのときは本来の意味も知らずに「中古女だね!」とコメントしたところ、気に入ってくれて中古女を自称するようになってた。
その時も古いゲームをやってて、「古いゲーム好きなんですか〜」みたいた話から始まった。
それで中古で買い漁ってるのを話してる時に「よっ!中古女!」ってコメントをしたら新規さんがキレた。
たぶんvtuberもなんでキレてるのかわからなかったと思う。
「人として最低だ」「配信者も怒ったほうがいい」「こいつは害悪だ」「ブロックしたほうが良い」
みたいなことを言っていた。
それで話を聞く内に「中古女」が蔑称らしいというのがわかった。そんな意味では使ってなかったんだけど。
そこで配信が終わり、次の日にはチャンネルもTwitterアカウントも消えていた。
突然。
「ポケモン図鑑埋めたいけどバオッキーが手に入らないんだよね」
「そうなの?私持ってたかも!中古ソフトに入ってた気がする!あげるよ!」
せめてお別れは言いたかったな
私女だけど半分というか7割くらいあってて3割くらい間違ってる。
女が格上の男を狙うのは往々にしてある。でも自分のことを好きになった男を好きになるパターンは結構ある。
この違いがあるのは3つの要因があって、
・ティーンの頃は8割くらいは格上が好きになる。これはイケメンだとかスポーツができるだとか年上だとかそういう面の話。
・18から25歳くらいまでは現実を見て等身大の付き合いを増やす。ただし夜職入りするとこの限りではない。
・30歳近くで婚活も重ねたパターンだと、9割近くが格上を狙わざるを得ない状況に陥っている。自分が今まで持っていなかったものを取り戻すため。
しかし、格上と付き合って結婚まで行くパターンは4割くらい。だいたい途中で別れて、わかる範囲だと自分より格上の女、端的に言うとスペ高と付き合う。
なんか飽きてきちゃった。
Wikipediaにも何やらそれっぽい語源説が書かれてるけど、1990年の伊丹十三の映画『あげまん』以前に「あげまん」なんて言葉はなかったよな。
なんて、いかにも昔からある言葉のように演出したら、みんながそれを信じちゃったってことだろう。
ただし、同じ意味の言葉として「福マン」というのはあって、これは1970年代ごろから使われていたようだ。
1970年の雑誌『小説宝石』に掲載された伏見丘太郎『男が知りたいズバリ女の感度めぐり 男よ、おかめを探せ』に「福マン」の解説があるのが、調べたかぎりでは最も古いか。
男子の「運」というものは、ほとんどの場合、それを齎らす女性によってつけられるものなのである。斯く申せば、諸君は、ではそうしたツキを齎らす女性とは、いかなる女性であるか、大いに知りたいと思われるであろう。私はこんなところで、決して諸君に気をもたしたりはしない。ズバリ言おう。それは「福門」を有する女性なのである。
「解すべき」というのは、つまり「門というのは女性器のことだと解すべきだ」という意図だろう。
この筆者は、おかめ顔(お多福)で体毛(陰毛)が薄い女性こそが「福マン」である、としており、逆に濃い陰毛を持った女性は「厄マン」だと述べている。
その前年1969年の『週刊サンケイ』では「福マン」ならぬ「運マン・貧マン」が紹介されている。
男どもは世にこの貧マンのあるのを、意外と知らないで、ただひたすらミミズ千匹、タワラ締めなどを求め、めぐりあっては随喜の涙を流し、かくて、ろくでもない運命をつかんでしまう。
当然、この反対に運マンがある。これは、接触すると、とにかくよくなっちゃうのである。ある男がいた。これが、女が見てもうらやむほどの、ものすごい美人と結婚した。しばらくすると仕事が順調に伸びだし、たちまちにして、その世界でひとかどの人物になってしまった。
概念自体は「福マン」あるいは「あげまん」と同じようだし、またミミズ千匹だのタワラ締めだのと明らかに女性器を意識して名付けられてもいる。
また1970年の野坂昭如『好色覚え帳』には「福チン」が登場する。
「そりゃ、きっとその先生が福チンなんだなあ、福チンが勝ったにちがいねえや」という、福チンとはなんぞや、庄助考えこんでいると、「福の神のオチンチンですよ、定奴の貧乏おそそと、勝負して福チンがやっつけちまったんだねえ、だから定奴にも運が向いてきたんですなあ、あれだけの先生なら福チン持ってて不思議はないやね」
「おそそ」は女性器のことなので、「貧乏おそそ」は「厄マン」的なものだろう。
などとして「福・損」「マン・チン」の組み合わせを取り揃えている。
「あげまん」については「女性器のことではなく『間』が転訛したんだ」といった説明もされるが、こうして見るとやはり女性器のことだと考えるべきなのだろう。
そして伊丹十三は、こうした「福マン」「厄マン」的なものから着想を得つつ、元のイメージから切り離すためにちょっと字面を変えて「あげまん」としたんだろうな。
追記。
申し訳ない。
1980年刊の『或る馬賊芸者・伝 : 「小野ツル女」聞き書より』にて「上げマン」「下げマン」を確認した。
特に奴(やっこ)が生きてきた芸妓の世界では、ことが多過ぎた。貧乏性で相手を必ず破滅へと落し入れる女、何人もの男の命を奪い取る女、逆に男を出世させる女など…。上げマンとか下げマンという言葉も残されている。
罵倒しかしてこないバカマカのブコメ如き、ChatGPTにはてなブックマークの住人のマネしてこの文章にコメントしろって言えば遜色ないものが次々上がってくるわ
「自分の非を認められないあげまんは、まさに現実の女性との関係を遠ざける原因だよな。さすがはてブ脳。」
「全ての女性を一緒くたにして、自分だけ被害者気取りか。人間性疑うわ、この人。」
「そんなにはてブ依存で心の中まで蝕まれちゃって、リアルにコミュニケーションができなくなるんだね。哀れだなあ。」
「自己中心的な思考で相手の立場を全く考えず、自分だけ可哀想な被害者のように思っている。まさに現実の女性と上手くいかない典型的な例だね。」
「こんなにはてブに依存して、リアルな人間関係が築けないのに、まだ自分に問題がないと思ってるんだろうか?目が覚めるべきだよ。」
「自分の言い分ばかりで、女性の気持ちや不安を理解しようとしてないから関係が疎遠になるんだよ。そんな人と誰が付き合いたいと思う?」
「自分の非を棚に上げて、相手を悪者にする姿勢。こういう人に限って、自分には何の問題もないと信じ込んでるんだよね。」
「はてブ依存もさることながら、自分を客観的に見られないのが一番の問題だね。もっと現実を見つめて、自分を改善する努力が必要だよ。」